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2012/03/29

地球の舳先から vol.231
マダガスカル編 vol.8(最終回)

旅の実用情報その2は、食事編。
マダガスカル。巨大な島国だけあって食は資源が非常に豊富。
野菜も魚も、マダガスカル特有の牛「ゼブ牛」もとっても美味。

ただ、旅行者にとって少し痛いのが、値段が高いこと。
もちろん現地の人が買うような屋台・ローカルレストランもあるものの
それなりのレストランだと、前菜+メイン+デザートがセットになったコースがほとんど。

■Marina(ムルンダヴァ)

ムルンダヴァのホテルが立ち並ぶビーチストリート、「ノシ・ベ」にあったレストラン。
このあたりはレストランが非常に多く、困らない。
ビールは基本、大瓶で出てくる。3匹の牛がついた「Three Horses Beer」というブランド(そのまんま)。さっぱりめでとても気に入った。
そして、マダガスカルに行ったらとにかくシーフードを!
海の街なので手始めにエビを。ぷりっぷり。ペッパーソースも大変美味しい。

 
(左:マダガスカルはどこもかしこも閉め切らない。開放的で、電気は自然光。
 右:沢の上に杭を打ったレストラン。ぽつぽつ大量に見えるのは全部小カニ。繁殖中?)

■Hotel Baobab Cafe(ムルンダヴァ)

ホテル編でも紹介した、ヨーロッパ系旅行者の多いホテルのレストラン。
1階の、マングローブの林にせり出したテラスレストラン。
メニューもとても豊富で、中でもシーフードが美味しい。

ここはホスピタリティもとてもあたたかい。日本人もそれなりに泊まるので、
オーダーを取る時に「エビ」とか「カニ」とかカタコト日本語で説明してくれる。
「オ、オモ、オモモモ…」「…お飲み物?」「That,One More.」「おのみもの」「オノミモノ!」
と日本語講座をしたりしていた(笑)

 
(左:ワインがなみなみ。南アフリカ、チリ、フランス、イタリアとワインの種類は豊富。
 右:タコのマリネサラダ。マダガスカルはタコ食べるらしい。)

 
(左:カニのスパゲッティ。想像とだいぶ違うカニのごついのが出てきた。
 右:朝食。朝の光がまぶしい。元・仏領だけあってパンも美味しい)

■Hotel Le Dauphin(トゥラニャロ/ル・ドーファン)

こちらも泊まったホテルのレストラン。朝食は屋外テラス、夕食は室内レストラン。
割とお高いホテルだけあって、食材もそれなりなものが出てくる。
サービスも、行きすぎず。全体的にフライ系よりグリルやソテーのシーフードが美味しい。
朝食も、フルコース。卵は片面焼きの目玉焼きは衛生上避けましょう。

 
(左:前菜のアボカド・トマトサラダ。玉ねぎを刻んだイタリアン系のドレッシングも◎
 右:メイン。なんだかよくわからない魚の丸焼きと、付け合わせはすごく美味しい野菜。)

  
(左:前菜、ムール貝のパセリ&ガーリックバター焼き。美味い!
 右:デザート。よくわからないアンズ的なもののシロップ漬け)

■Berenty Lodge(ベレンティー保護区)

とにかくマダガスカルで驚いたのは、びっくりするくらい野菜の味が濃くて美味しいこと。
土壌が豊かだから、ということらしい。味付けもいらないくらい、野菜の固有の味がする。
食には期待していなかった保護区でも、それなり以上の料理が出てくる。
これも、レトルトっていう概念がないからこそできることなのかもしれない。
上の写真は昼食。白身魚のソテー。塩コショウで十分。

 
(左:夕食。イカやエビのシーフードをトマトソースで和えたものと、クスクス。
 右:デザート。マンゴー切りっぱなし。1個、異常にすっぱいのがあった。)

 
(左:こちらもレストランは半屋外。ワオキツネザル様の散歩コースにもなっている。
 右:ハエがビールに飛び込んで、おいおい泣いていたら店員が小皿を持ってきてくれた(苦笑)

■RELAIS DES PLATEAUX(アンタナナリヴ)

最終日、空港へ行く前に首都アンタナナリヴ市街地と空港の中間にあるレストランで。
シーフードばかりだったので、初めての肉食。
現地の人が交通や運搬の手段にもしている「ゼブ牛」というコブのある牛。
ゴロゴロのカタマリだけどやわらかくミディアムレアに焼いてあって美味しい。
付け合わせの野菜は素揚げしてあって、本当にやることが繊細。料理が美味いんだと思う。

 
(左:前菜。いろいろ野菜の生春巻き。
 右:デザート。プリンって言ったらなぜ3個出てきたのかはわかりません。わたしは1人です。)

 
(左:プールサイドにパラソルでレストラン。白+青でまとめたコーディネートも洒脱。
 右:この雰囲気に押されて、キューバリブレ。この旅では初のカクテル。昼だしね。)

こうして見ると、本当に外光をうまく取り入れているというか、それは環境への順応にほかならないわけだけれども、とても開放的で健康的な場所だったのだなあと実感する。
とにかく食は侮れない。いい土地でできたいいものを食べなきゃな、と思った旅だった。

おしまい。

2012/03/23

地球の舳先から vol.230
マダガスカル編 vol.7(全8回)

さて、本編は終了したものの、マダガスカルという比較的メジャーな観光地ということで
これから行かれる方のために、わたしの泊まったホテルをご紹介しておきたいと思う。
 
■Island Continent Hotel (IC HOTEL) (57ユーロ~)
 Lot 043 MMA II   Ivato Tana 105   MADAGASCAR

首都アンタナナリヴのイヴァト空港から車にて約5分。
空港から街の中心部までは、深夜でも20分、日中はヘタすると2時間近くかかる。
わたしは初日が深夜入り、翌日も朝5時起きで空港直行だったのでこの立地は助かった。
入り口は重い鉄製の扉門で閉められているので、自力で行く人は事前に到着時間を電話入れておいたほうがいいかも。
深夜に車で乗り付けても、(おそらくチップ目当ての)子どもにワーキャーワーキャーと
取り囲まれ、我争うようにスーツケースを駐車場からホテルまで運ばれたのでした。
部屋はいたってシンプルながら、マダガスカルの伝統建屋がコンセプトとのこと。
マダガスカルはどこへ行っても蚊帳のあるベッド。天蓋付きでちょっとした姫様気分。

■Hotel Baobab Cafe (62ユーロ~)
 S.A.R.L Baobab Tours BP 77 – NOSY KELY – MORONDAVA
 ★Baobab cafeのあるムルンダヴァの旅行記はこちら

ムルンダヴァ空港から車で20分。 バオバブ並木道へは約30分程度。
ヌシ・ケリーと呼ばれるビーチに面した区域は中級以上のホテルが立ち並び、道路は舗装されているけれど薄く白い砂浜に覆われた海の街。
部屋はシンプルだが、マングローブ林を臨む側がおすすめ。バルコニーから眺めていると、大小の船やボートが往来しては、子どもが手を全力で振ってくる。眼下にはプールも。スタッフも皆なつっこくてとても親切。雨季は、雨でホテルが倒れるのではというくらい降る。あと、カメが飼われている。

 
(左:バルコニー。 右:朝、バルコニーからの風景。)

 
(左:ここももちろん蚊帳つきベッド。 右:ホテルの建つビーチの夕方。)

■Hotel Le Dauphin (84ユーロ~)
 BP 54 FORT-DAUPHIN – 614

マダガスカル南部トゥラニャル(別名フォール・ドーファン)の老舗ホテル。
ガリヨン湾やリバヌナ・ビーチなど美しい自然に囲まれながらも、周辺は庶民の生活が色濃く見られるので、周辺を散歩するととても楽しい。このあたりは伝統的な暮らしをしている民族もまだ多く残っているとのこと。
このホテルは、ベレンティー保護区のオーナーが経営しており、保護区へ行くには原則としてこのホテルでツアーを申込む必要がある。そのため、ピークのシーズンは予約必須。わたしは絶賛オフシーズンに訪れたため、宿泊客も数組。そのためか、ベッドルーム、リビングルーム、デスクルームと3部屋続きのスイートに案内された。
ツアーデスクから両替から土産物屋から、なんでもそろう大きなホテル。あとスタッフが明らかにインテリ。帰りにここへ寄って昼食を食べていたら、わざわざフライトの遅れを教えに来てくれた。

 
(左:これがホテル、ではなく私が泊まったスイートコテージの外観! 右:3部屋からなるスイート)

 
(左:蚊帳留めもかわいい。 右:一流ホテルのようなバスルーム。でも水は黄土色…)

■Berenty Lodge (76ユーロ~)
  BP 54 – FORT DAUPHIN 614
 ★ベレンティー保護区の旅行記はこちら

ル・ドーファンから88キロのところにあるのがベレンティー保護区。
フランス人オーナーによる私営の保護区で、多種多様の動物たちが生息している。
16棟あるロッヂはベレンティー保護区内で唯一の宿泊施設で、ロッヂを予約すると、日中の動物ツアーと夜のナイトサファリがついてくる。
レストランは屋根と柱だけの掘立小屋だが、今度レストラン棟ができるそう。
自動販売機的なものはなく、レストラン営業時間以外は水も買えないので要注意。
なお、夜は施設じゅうの電気が使えなくなりろうそくで生活。このおかげで、星がすごい。ドアを開けておくとキツネザルに襲撃されるかも。一夜を無事に過ごせるか(虫が)心配になったけど、窓やドアには網戸も張ってあるので、割合、快適だった。クーラーは無く、ファンのみ。

 
(左:泊まったロッヂの外観。 右:ロッヂ棟まで、キツネザルは散歩に来る。)

■Hotel Chalet des Roses (42ユーロ~)
 13 rue Antsahavola | PO Box #BP 4364, Antananarivo
 ★首都アンタナナリヴの旅行記はこちら

街の中心部にあって、非常に観光に便利なホテル。でも、すぐ向かいの独立広場は犯罪が多いところでもあるので夜などは要注意。広場から見下ろす街の風景は絶品。
併設のイタリアンレストランが美味しいらしいのだが、わたしが泊まった日は元旦でクローズ。代りに近くのレストランを探してくれたり、行き先が決まると少年を送りに出してくれたりと何かと親切にしてくれた。
反面、ホテルの前には物乞いや喜捨を求める人もいるし、すぐ近くの高級ホテルには売春婦…というには幼すぎる少女もいたりする、そんな街。

 
(左:はじめての蚊帳の無いベッド。 右:浴槽つき。水が透明だった。)

2012/03/12

地球の舳先から vol.229
マダガスカル編 vol.6(全8回)

さて、成田の地をほとんど定刻に踏む頃には、
わたしは今回の旅を心のなかで随分整理し終えていた。

たぶん、いろんな難しいことを考えたくなかったのだ。
わたしは旅をするとき、普段は、いろんな難しいことを考えたがる。
活字になるのは一部、とわかってはいるが、勉強もする。政治、宗教、戦争、人種。
そんな、普段の旅のスタイルのテンションには、どうしてもならなかった。

ひとつには、自分が311を引きずっていて、もうひとつには、世界の側も動きすぎていた。
思えば2011年という年は、結構すさまじいものがあった。
わたしが、某SNSの日記やtwitter・Facebookなどで取り上げたものだけでも、これだけある。

1月 ジャスミン革命 米露原子力協定 尖閣衝突ビデオ流出
2月 エジプト革命 ニュージーランド大地震  タイ-カンボジア国境紛争 リビアで無差別空爆
3月 東日本大震災 福島第一原子力発電所事故
4月 アメリカ巨大竜巻 仏軍・国連がコートジボワール軍事介入
5月 ウサマ・ビンラディン死去
6月 ギリシャ財政危機 NATOがリビア空爆 米軍がイエメン南部空爆 
7月 南スーダン共和国独立 インドムンバイ連続爆破テロ ノルウェー爆破・銃乱射連続テロ 
8月 北朝鮮が延坪島砲撃 英国ロンドンでデモ イスラエルがガザ空爆 
    パキスタン・アフガニスタンで自爆テロ事件 ナイジェリアで爆破テロ事件 
9月 イスラエルで史上最大デモ インド首都で爆弾テロ 
10月 リビア・カダフィ大佐死去 タイ洪水 トルコ東部大地震 ウォール街デモ 
11月 ユーロ危機 ナイジェリア北東部で連続テロ事件 エジプト暫定内閣総辞職表明 
    イラク南部で連続爆弾テロ事件 米国がパキスタン誤爆 クウェート・ナセル内閣総辞職
12月 北朝鮮金正日総書記死去 イエメン挙国一致内閣発足  

何なのだろうか。地球が丸ごと呪われているようなこの状況は。
なかでも311の影響は大きく、東京から動かなかったわたしでさえ心身の疲労は澱のように溜まり、しかしいちいち動じることもゆるされないようなひりひりした圧力に、日々晒されていた、そんな気がする。
それでも。いや、「だからこそ」だったのかもしれない、
たぶん、わたしはもう一度「What a  beautiful world」と叫びたかったのである。
…地球の裏側で。 

わたしがマダガスカルから持ち帰ったものは、
コルカタで感じたような人の生きる逞しさでも、
真冬のフィンランドで感じたような自然の威権でもない。
ただ、太陽がべらぼうに暑くて、夜になると空にありったけの星が見えて、
人や動物や植物があたりまえに生きていながら、一方で私有地に動物を囲って保護区としたり、
中国のプランテーション建設で乾燥地帯の植物が根腐れしたりする、
それこそ必然的な現実でもあった。

地球に、無理を押しているのかもしれない。いや、間違いなく押している。
しかし、太古の原始に還ることが正義なわけでもなかろう。
わたしたちは生きていく以上、前を、上を、目指し続ける宿命にあるのだ。
その中で守れるものを守り、捨てるものを捨てていく。
それを「地球の劣化」と断罪することが、いったい誰にできるだろう?

それでも地球は廻るのだ。
そして、わたしたちは生き続けて、もしくは、生を繋いでいく。
この生き辛い(ろくでもなくはない)、素晴らしき世界を。

…いい旅だったな。
というかこのタイミングで、するべき類の旅だったのだ。
衝動は、いつだって必然。

外気温2度の成田に、フレンチスリーブの薄いカットソー1枚で降りた。
上着と自宅の鍵を入れたスーツケースはこの日ついぞ帰って来ず
わたしはマダガスカル旅の、予想外な最終ラウンドを演じることになるのだった…。

おわり。

2012/03/05

地球の舳先から vol.228
マダガスカル編 vol.5(全8回)

ベルベル族(日本人)に別れを告げ、わたしは一路帰途へ。
最後に立ち寄ったのが首都のアンタナナリヴ、通称“タナ”。
同じ国とは思えないくらい涼しい夜風に当たるが、気分は開放的にはならない。
「女性ひとりで歩くのはちょっと…」というくらい治安が悪い、とも聞いていた。
最低限の事に気をつけていればなんともないのだが、初日はそれも分からない。
久しぶりにぴりっと気を張って、わたしは空港から出た。
車をつけたホテルの前の幼い物乞いの少女に、景色が変わったことを実感する。

ホテルは、隣接する美味しいイタリアンレストランが有名なのだが、元日でクローズ。
フロントスタッフが何軒か電話をかけて空いているレストランを探してくれ、裏に人を呼びに行く。
まだ少年とも呼べるような子が付き添いとして、連れて行ってくれた。
お互いカタコトの英語でほのぼのと散歩をしたのも束の間。
タナきっての高級ホテルのレストランには何組か、間違いなく買春とみえるカップル。
子どものようなあどけない顔にぴっちりした露出の多い服とアクセサリーの少女を前にした
大柄な白人男性は、もはや人間というよりただの獣同然の空気を発している。
どうりで、空港やらホテルやらに、やたらと性犯罪防止のポスターやカードが沢山あったわけだ。

食事もそこそこにレストランを出ると、目と鼻の先に帰るホテルが見えた。
小さな外套、うす暗く細い階段を20段ほど下りて、すこし歩けばホテル―おそらく数分だろう。
しかし、大事をとって止めておこう、と思って、おんぼろのタクシーをつかまえた。
クリーム色の車体は、博物館に展示されていてもおかしくないようなクラシックカー。
よく見ればクルマ好きにはたまらない、年代物のルノー4である。
無事にホテルの部屋へ帰り着き、バスタブに張ったお湯は限りなく透明色に近い。
この旅で初の、蚊帳の無いベッドで、久々に虫の心配をせずに眠った。

翌朝、半日をめいっぱい使い、まずは自分の足で街をめぐる。
まだ正月休みの余韻で閉まっている店は多いものの、
鉄道駅で、ゴミのアルミで精巧につくられたシトロエンの模型を買ってご満悦のわたし。
警官に止められ、何を言っているのかわからず立ち往生するものの
どうやらスリに気をつけるよう注意をされていたことに気付く。
細い階段がたくさんある小道を、丘を上がり下がりして店を探し、
マーケットであやしげなお菓子を買い、バオバブのイラスト入りのハンコを彫ってもらう。
およそ人へのお土産にはなり得ないような、がらくた探しをするのも楽しいものなのだ。
郵便局が開いていたので、飛行機の遅延を待っている間書いたハガキを空便で友人に出す。
いや、正確には「わたしは空便分の切手代を払った」というところまでしか言えない。
友人たちにハガキが着いたのは、1カ月以上後のことだった。

バザールできょろきょろしていると、軽装の外国人(白人)に話しかけられる。
いかにもあやしいのだが、わたしが道に迷っていると思ったらしい。
目指す高台の女王宮は「距離的には近いけど坂が多いから大変」といわれ、
今度はクラシックなシトロエンのタクシーをつかまえて、高台までのぼってもらう。
大きな池を囲むように、やわらかな赤色調の街並みが眼下にひろがる。
かわいらしい街。日本の地を踏むまで、あと数十時間に迫っていた。

初めてのアフリカ地方。闇もたくさん垣間見た。
貧困も開発も犯罪も一筋縄ではいかず、様々な問題が絡まり合ってより複雑化する。
どんなに「豊かだ」といわれていても、問題のない国などないのだろう。
バオバブとキツネザルの孤島すら、「孤島」ではいられないのだ。

それでも、地球は美しい。そして、回り続ける。
なぜ自分がこの地に来たのか、わたしはようやく解り始めていた。

つづく

2012/02/27

地球の舳先から vol.227
マダガスカル編 vol.4(全8回)

大晦日のその晩。
見たことの無い虫に対し虚勢を張ることを、次第に覚えたわたしは
「ナイトサファリ」なるものに連れ出された。
合言葉は「虫の方が人間が怖い!」「先に手を出したほうがやられる!」である。
…根拠は特に無い。

懐中電灯ひとつだけを携えた軽装のガイドに「これからトゲの森へ行く」と宣言される。
長袖2枚、パンツの下にはタイツ、靴下2枚に厚めのスニーカーで完全防備。…夏なのに。
想定外の虫が落下してくることを前提に、つばの広い帽子は、日が沈んでも欠かさない。
だって、多足動物が背中にでも侵入したら…なんて、想像するだけで失神しそうではないか。

しかし、予想外に、ナイトサファリは非常に神秘的だった。
夜しか見られない美しい鳥や、植物の茎に佇むカメレオン、
木にくくりつけられた巣箱から顔を出す、ハムスター並みの小ささのキツネザル…。
どうやって発見するのか、ガイドが目ざとく見つけては懐中電灯を当てて見せてくれる。
わざと大きな音を立てて動物をおびき寄せるガイドもいるようなのだが、
わたしについてくれたガイドは、昼間の段階から変わらず非常に穏やかな人で
動物を見つけてもひそひそ声でわたしを呼んで、ただ懐中電灯を手向けるのだった。

ナイトサファリを終えると、空には見たこともない量の星が煌めいていた。
この保護区は22時以降すべての電気が消灯されるので、夜の星の量はまた凄まじく増える。
地の果てで電気がつかないという環境におかれること自体も珍しいが、
さらに加えて天気がからりと晴れなければ、これだけの星には恵まれない。
真っ暗闇で目に映るのは月と星の光だけ、耳に入るのは植物が風に触れる音。
空が湾曲していた。
地球はほんとうに丸いらしかった。


(顔を出したネズミキツネザル。手のひらにのりそうな大きさ。)

早朝、おそらくニューイヤーを祝福する地元の家族の歌声で目を覚ます。
詳しいことはわからないが、抑揚のない静謐な旋律はおそらく伝統的な歌なのだろう。
新しい年を迎える、アルコールを含んだお祭り騒ぎも、指笛も歓声もない。
片手で数えられるくらいの人数の、地元の一家の、朝日が昇る瞬間の静かな合唱。

歌が終わるのを待って、さえぎるもののない朝焼けの屋外に出て行く。
人々の視線がやわらかくて、「おや?」と思い、その違和感の理由を探した。
普段とはなにかが違う、どこか慈愛に満ちた空気。
しばらくして、なるほど、とひとり納得した。

アフリカに来ると、よくわかる。
日本人は、アジアの多くの国ではカモにされ、ヨーロッパの多くの国では
「ジャパン」としてある部分については認められているが、
この地ではいまだ、差別対象なのだ。もちろん、人種という意味で。
マダガスカルを旅して、いやがらせを受けたことはない。むしろ人はみな親切だった。
しかし言葉はわからなくても、ときに投げられる蔑称は空気を切って意図を伝えてくる。
差別してきた側より、されてきた側の人間のほうが、その根は深いのだ、とも思い知らされる。

わたしは、自分のことを「黄色人種だし、人種差別はいまだあっても仕方ない」と思いつつも、
「日本人であること」に対して一定のアイデンティティを持っていたことに気付く。
それはある意味で驕りそのもので、ある意味では選民思想で、
しかし、じゃあ日本の何を誇っているんだろう、と思うと、どうしたって口ごもる。

旅行をして、どこかの国を旅するとき。
それは、その国の人々の庇護のなかで歩き回っているに過ぎない。
その国が、貧しいとか、不安定だとか、そういうことじゃなくて。
そして、日本にいると気付かないものだが、
自分の中に居る「日本人」な部分を実感して、びっくりしたりもする。

地球は広く、自分は小さい。
2012年のはじまりの朝に、もう一度心のなかで受け止めた、旅の掟であった。


(あのですね、そこは散歩コースではなくわたしの朝食テーブル…)

つづく

2012/02/20

地球の舳先から vol.226
マダガスカル編 vol.3(全8回)


(マダガスカル名物、ワオキツネザル。)

何事かと思わせる轟音で明け方に目覚めた。雨だと気付くのに随分かかる。
バケツをひっくり返した、なんて生ぬるい表現では足りない。
ナイアガラの滝の内側にいるようだ。水しぶきで窓の向こう側が見えない。
ホテルの前の川は増水して、砂浜のきれいな沢ガニごとどこかへ流し、
朝から川沿いに張り出したテラスレストランには修復の人が来ている。
ホテルの入り口で飼ってあるカメだけが、動き少なにひょっこり頭を出す。

今日が行動日でなくてよかった。車での移動はままならないだろう。
泥を踏みしめて空港まで移動し、2つめの目的地、フォール・ドーファンへ向かう。
次なる目的地はベレンティー保護区、ここで動物を見てロッヂに泊まるのだ。
べレンティー保護区はとある金持ちが経営している私的施設でもあるため、
指定のホテルで予約をしなくてはならないというルールがある。
なんとわかりやすい囲い込みかただろう。

飛行機は数時間遅延し、待ちくたびれたホテルの迎えの車には5~6匹の蚊。
わたしがもんどりうって車から離れ、蚊よけスプレーをしているうちに、
後部座席には同じホテルへ向かうほかの客が乗り込んだ。
中東かモロッコ系と踏んでいた彼に日本語で話しかけられわたしは二度見する。
トップクラスの観光スポットであるべレンティーへ行く客はみな、このホテルに集結するはずなのだが、迎えの車は私と彼の2人だけを乗せて出発した。
…とにかく、人がいない。
到着してから知ったのだが、この時期のべレンティーは絶賛オフシーズン。
旅は道連れ。わたしは彼と貸切状態のべレンティーをご一緒することになるのだった。

翌朝。
コテージタイプの部屋のドアにたたずんでいる25センチほどのカタツムリのようなものに恐れをなしつつチェックアウトを済ませると、長髪を紫色の布で覆い、サングラスで武装した人がいる。
「…アルカイダみたいですね…」
「なんと。ベルベル族といってほしいな。」
というわけで、わたしは彼のことをベルベルと呼ぶことにした(心の中で)。

緑が生い茂る豊かなトンネルの中を車はひた走る。
この日、12月31日。元日はこの国でもお祭り騒ぎで、マーケットにはたくさんの人。
助手席のガイドが車の窓を開けて結構大きな魚を揚げたようなものを購入する。
このへんで軽食かしら、と思って目が合うと、彼は気まずそうに目をそらし
その魚をサイドボードの引き出しに素早く仕舞って、言った。「…I love fish」
…どうやら自分のおやつだったらしい。わたしも、物欲しそうな顔を引っ込める。

橋を渡り、大きな山をひとつ越えると、見える風景は一変する。
さきほどまでの、雨季の恵みを一身に受けた木々はあとかたもなくなり、
まさに、サボテンの山。天をさしてまっすぐ生えるトゲだらけの森。
さらに、舗装されているのだが地割れを起こしているためにガタガタの段差ができ、
未舗装の道路より走りにくい悪路を行くと、道の両端にサイザル(麻)の巨大プランテーション。
学校の授業では何度も聞いた「プランテーション」というものをおそらくはじめて見た。
道路の両脇に、神経質なまでに等間隔で植えられたサイザルの畑。
その面積、25,000ヘクタール。まったく実感がわかない数字だが。
これだけで一体、何人の雇用を支えているのだろう。

ようやくとべレンティー保護区へ着くと、キツネザルの大群に早速遭遇する。
人に慣れていないと聞いていたのだが、近づいてカメラを向けても我関せずでムシャムシャと葉っぱを噛んでいる。
それどころか、食べ物はないかと人間のロッヂに集団襲撃に来るらしい。
だが、まあ、かわいい。へたりこんでいるおっさんのようなやつも居る。

 もうひとつのマダガスカル名物、「シファカ」という動物もたくさん居た。
横っとびが特徴的で、日本でもCMデビューしている。
その時のCM撮影クルーは3週間ここに滞在したらしいが(広告バブル時代だな)
ガイドは巧みにシファカを追い込んだり指笛を吹いたりして横っとびを見せてくれる。
「来るぞ!カメラを構えて」…嗚呼、よみがえる NO MORE BAOBABの悪夢。

ほかにも、えらい大きいダンゴムシとか、えらい大きいコウモリの大群とか
色々と心臓に悪いものを見たあとでコテージへ帰ると、
網戸に30センチ超の真っ白いムカデの親玉のような多足動物が貼りついていた。
わたしはヘビはイケルが、足がいっぱいあるやつは本当に苦手なのだ。
「ウヒョッ」と悲鳴のような奇声を上げ、この夜を越えられるのか不安になるのだった。

つづく


(シファカと目が合った。というか…見られた…?)

2012/02/13

地球の舳先から vol.225
マダガスカル編 vol.2(全8回)

「バオバブだぞ!降りろ!さあ!写真を撮れ!」
…もちろんこんな乱暴な言い方をされるわでけはないのだが、
たぶん1日100回くらいこの台詞を聞いた。

辿り着いたひとつめのディスティネーションは、定番のバオバブで有名なムルンダヴァ。
空港を出てとりあえず、「暑ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」と叫ぶ。
もう、のっけから、ガイドがバオバブの話しかしない。
当たり前である。バオバブの木はマダガスカル観光の最たるもの。
しかしこれが、後生大事に保護区のような場所に植えられているのかと思いきや、
人々の生活し往来する道にあちこち生えているというすごく庶民的なものなのだ。
この記事に掲載した、上の写真は、わたしが一番気に入っているもの。
信じられない規模の自然の中に、人がいて、当たり前のように共生している。
わたしの中では珍しくなってしまったそのこと自体に、何度も、目を瞠った。

ホテルは海側の2階が予約されており、広いバルコニーからはマングローブの林が見えた。
小さなカヌーのような手漕ぎボートがゆっくりと往来している。
わたしもその小さなボートに乗って、ベタニアという漁村へショートトリップへ出かけた。
ときは雨季。雨が降ると増水して、行けなくなるそうで、さっそく沖向こうへと渡る。
漁村なのに、ニワトリやヤギ、ブタなどの家畜がたくさんいて驚く。
ここの人たちは銀行を使わず、キャッシュはすぐに家畜に換えてしまうのだそうだ。

 

ホテルへ一旦帰還し、さっそくバオバブツアーが始まる。
小さな村にあり、豊作などを祈願する神聖な場所になっているバオバブ。
「愛し合うバオバブ」と名付けられたツイスト型のもの(取っ組みあうバオバブにしか見えない)。
木の幹を撮影していると、現地の子どもが幹の中に手を突っ込んで、
その小さな穴のスペースに巣をつくった鳥の青いきれいな卵を取り出して見せてくれる。
途中、ガイドがバオバブの花を拾って、くれた。鮮やかなオレンジ色、潤沢な香り。
1メートルに満たない細い細い枝はようやく20年物で、大きなバオバブは樹齢700年。
そもそも、700年前から、土地がこのままであることが、わたしには信じられない。

と思っていた途中、異様な光景に立ち会った。
バオバブの木が生えている乾燥地帯であるはずの一帯が緑に染まり、
水生植物であるはずのホテイアオイが咲き乱れている。
あまりに異様な光景で、美しいとはとても思えず、ガイドに思わず尋ねる。
聞くと、近くに中国が建設したサトウキビのプランテーションに常時スプリンクラーで水を撒くため
この場所だけ、湿地帯と化しているのだそうだ。無論、バオバブは根腐れし、ちょっとした台風でも倒れてしまうのだという。


(まったく、破壊するのは自国のみにして頂きたい…。)

最も有名なバオバブの並木道で夕日が暮れるのを待つ。
のどかにテーブルを出して、バオバブの実や土産物を売る人々。
わらで作ったような原始的な家に、子どもたちと子犬、鶏などが走り回る。
それがあまりに“豊かな”光景に見えて、複雑な思いが去来する。

…などと思いを馳せている暇も無い。
まるでロケコーディネーターと一緒にロケハンに来たカメラマンのように、わたしは
「ここから夕陽が落ちるぞ」「待て、あの雲を待つんだ」「この角度から撮れ」
「今度はこっちだ」「次はあのバオバブ」「あっちのバオバブは最大級だ。ズームで撮れ!」
と、ガイドに指示されるがままに「あ、はい!」と、写真を撮る。
あらゆる角度やアングルや色調で収めたはずなのに、わたしの撮影技術が悪いのか、
なんだか似たようなバオバブの写真が300枚ほどおさまって、わたしのSDカードを圧迫する。
一日が終わるころにはすっかり当初の感動も薄れ、帰りの車の中でうとうとしてバオバブの夢を見た。

「明日のバオバブツアーは、何時出発にする」
ホテルへ着き、にこやかに詰め寄るガイドに、わたしはこの日もっとも明瞭な英語を使った。
何か伝えたいことがある時、人は必死になるし、初めて言語というものの存在意義を認識するものらしい。
「や、もういいです。NO MORE BAOBAB」
代りに、キリンディー自然保護区というところに動物を見に連れて行ってもらった。
行きと帰りにもれなくバオバブ並木道でふたたび車を降ろされたのは、言うまでも無い。

つづく

2012/02/07

地球の舳先から vol.224
マダガスカル編 vol.1(全8回)

マダガスカルへ行った。
地理の弱い友人からはガラパゴスと混同されたが、アフリカ大陸の隣にある、アーモンド型の島である。
世界で4番目に大きい島で、国土は日本のおよそ1.6倍。
この地には、世界の動植物の5%もの種類が生息しているとも言われている。

わたしにしては、いつになく「道楽」的な旅だった。
9日間もの長い休みが取れるのは、せいぜい年に1度。
そのカードを切り、未踏だったアフリカへ飛んだ。
バックパッカー的修行的旅行を避けるわたしにしても、旅行代金も高すぎた。

予約をしてから、これでよかったんだろうか? と、正直な話、何度か思った。
中国の滅茶苦茶な開発もあって生態系が壊れ始めているとはいえ、
わたしの旅の基準である「いま行かないと」の理由はないように思えた。
地球の裏側近くまで行って動物や植物を見るなど、自分が喜びそうな要素が無い。
旅を終える頃、わたしはその答えを見つけることになるのだが、当初は悩みながら飛んだ。
飛行機のチケットを買ったりして、退路を断つことも、旅にはときに必要なのである。多分。

長い長い移動の初日を、ようやく終えようとしていた。
12月26日の24時半に羽田を発ち、「会社が終わってから出発できる」「寝ている間に着く」と好評の、羽田の深夜便でバンコクへ。
とはいえ機内で眠れないわたしはまんじりともせず、朝6時前にバンコクへ着いた。
スワンナプーム空港はもの凄い規模で、まさにアジアの要のハブ空港。
毎時、世界中にあらゆる旅客機を飛ばし、マダガスカルへも直行便を出しているのだから驚きだ。
予想通り来ていないホテルの送迎の車をカタコトの英語で呼びつけ、ぬるいシャワーを浴びて数時間眠った。
午後に空港に戻ると、シンハービールとレッドカレーでお腹を満たし、証明写真を忘れてきたので、使うかはわからないが念のため、空港のツーリストポリスで撮ってもらった。
まったくよくできた施設である。
わたしはバンコクが好きではないので空港とホテルだけを往復し、
また飛行機のなかへとおとなしく収まる。

およそ30時間の移動を終えて降り立ったマダガスカルの空港は、キューバを思い起こさせた。
おんぼろのラゲッジラインに、木の机ひとつのイミグレーション。質問事項、特になし。
半灯で暗い空港で発給されるビザはなんとタダ。
バンコクのミスタードーナツで買ったドーナツをかじり、アフリカへ来た実感も無く
空港近くのホテルで堕ちるように急いで眠った。
なんせ、翌朝もまた5時起きで国内移動なのである。

とにかく、外国へ来たら、1にも2にも体調管理。
旅に出ると、妙にまじめになったり神妙になったりするから、不思議だ。

つづく