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2010/04/06

地球の舳先から vol.162
フィンランド編 vol.11(最終回)

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“静”
これがわたしにとってのフィンランド旅行だった。

なにか神がかった静謐さがあり、そのみえないなにかが規制をしているような
静粛で暗黙のルールの中で存在しているような整いかたを感じた。
IKEAでありNOKIAでありとビジネスでも一定の注目を集めている、
オシャレでスマートな北欧の国。
フィンランドがそのように昇華を遂げたのは、ここ最近の話。
ついこの間まで、ロシアとすさまじい戦闘を繰り広げ、抑圧・弾圧されてきた。
そのあとこの国の一部の人たちは希望をもつことをやめてしまった、とは
最終日のタンペレ駅でわたしに布教活動をしてきたクリスチャンの言葉である。
日本での巷の「北欧」や「フィンランド」という響きとはかけ離れた現実は、過去ではない。

そのあとの急速な高度成長も、なにかに抗うかのような人々の病的なまでの生真面目さも
いつかの日本の姿と重なって、その時代を生きていないわたしもふと立ち止まることもあった。
――そんなにがんばらなくて、いいのに。
大雪の中定刻運行を厳守する路線バスや、ストライキ中であっても通常営業をしようと
眉間に皺を寄せてカリカリとデスクへ向かうフィンエアーのスタッフを見て、何度思っただろう。
ある意味での危うさを感じたのも、事実だった。
もちろんニホンジンのわたしは、「好きなときだけ好きなように働く」みたいな
ラテンのノリにはもっと馴染めないんだけど。

最後のオマケは別として、こんなにすべてが予定通りに進んだ旅はなかった。
別に僻地ばかり行っているから予定が狂いまくるわけではない。
(わたしだってフランスもイタリアも行っているし、アメリカに関しては実は4回も渡航している)
それは、時間の限られたトラベラーにとっては感謝すべきことだった。
だが、わたしが今回の旅を経て、「“番狂わせ”が起きるのが旅」だったのだという
意識を新たにしたことも事実だった。
そう思うと、どこかの僻地で時計を見ながらキャーキャー言ったり、食卓を見て愕然としたり、
人にだまされて人間不信になったりするのもWelcomeであることなのかもしれないとも思った。

なんのために旅に出るのか。
OLと海外旅行はもはや切っても切れず、わたしも確かにそのクラスタではあるのだが
その問いに対し、わたしはいつも“ナマモノ”と“ミズモノ”が見たいから、と答えてきた。
権威のある絵画にも、歴史のある世界遺産にも、まるで興味は無い。
この瞬間だけ、この国だけで起きること、起きていることへの関心だった。
いい天気でおばあちゃんが笑ったとか、ストリート音楽家のおっさんのギターの弦が切れたとか。
そういう些細なシーンやヒトを通じて、透けて見える、もしくは3割位は妄想な風景を追ってきた。

斜に構える、といわれれば、それも真なのだろうと思う。
今回の旅でわたしが見たいと思っていたのは「北極圏」であり「トナカイそり」であり、
「サンタ村」「ムーミン博物館」「流氷ダイブ」「夜行寝台列車」であった。
そして実際に旅を終えて強く「これが自分の旅の思い出だ」と思えたものは、
ソリを装着されるときのトナカイの異常なまでに機嫌の悪いヤンキーな顔とか、
ヘルシンキまで路線バスで向かうフィンランド兵士の若すぎる姿とか、
ケミの街で会った暗い暗いでもすごくいいヒトなシンガーとのタバコ1本分の会話とか、
ムーミン博物館へ行く前に出会った市場のおばちゃんとのノンバーバルコミュニケーションだったりとか、やっぱりそういうことだったのだ。

そして今回も、わたしは「ナマモノ」をつかまえてこれたんだな、とこのコラムを書きながら思った。
日本からいちばん近いヨーロッパのフィンランド。
うつくしく、静謐で、再生(再構築)した国。
10代でキューバとかふざけた国に住んでしまったわたしから見れば、鬼気迫るものすら感じる。
執着。ナショナリズム。意志。
そういったものを、響きが可愛いすぎるフィンランド語がオブラートに包んでいたような。

世界地図にまたひとつ印をつけて、わたしは次のディストネーションを探す。

(おわり。意外なことにこのシリーズ、今までで一番評価をいただきました。ありがとうございます)

2010/03/30

地球の舳先から vol.161
フィンランド編 vol.10

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北極圏から脱出したらすこしはやわらぐと思っていた寒さはむしろ強くなっていた。
ヘルシンキにほど近いタンペレの地へやってきた理由はあるのだが
朝6時前に着いてから街が動き始めるまでの間を埋めなければならない。
コインロッカーに早々とスーツケースを預けて、街へ出る。
低い位置に満月が鎮座している。フィンランドは本当に、早朝がいちばん美しい。

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これが、教会裏手でみつけた、神々しいほどに美しい風景だった。
細かい雪。樅の木。淡く光る外套。小さな公園のブランコは凍り付いている。

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…しかし肉体の限界はすぐに訪れる。
風速4mにつき1度体感温度が下がるなか、凍傷の危機を感じ一旦駅へと戻る。
オープンしたコーヒーショップでコーヒーとフィンランド名物キシリトールを購入。
ふたたび街へ繰り出すと、年始だから期待していなかった市場がひらいていた。
市場といっても魚、肉、野菜などだけでなく、ケーキやパン、惣菜もある。
朝食にはシナモンロールを1ユーロ足らずで買う。どこの国へ行ってもスーパーや市場は楽しい。

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フィンランド最終日にしてわたしが唯一食べのがして心残りであった、フィンランド家庭料理であるアンチョビとポテトのグラタンにもここで出会うことができた。その名も「ヤンソンさんの誘惑」。
さすがに市場の人とは英語が通じず、「ムニャムニャムニャ」(←現場ママ)とつぶやきながらジェスチャーでいちばん小さなタッパーに詰めてもらった。
そのほかにも、北欧名物サーモンをその場でオリーブオイルとレモンで和えているものなどもあり半狂乱になりながらその場をあとにした。(にしても1/2から市場が開いているとは日本並である)

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さらに街を進み、ちょうどオープンの時間くらいに目的地へ着いた。
“ムーミン博物館”である。
輸入版ムーミンとオリジナルムーミンがかなり違うのをご存知だろうか。
クラシックミッキーと現代版ミッキーの違いくらい、全然違う。
たいへん素朴で手書き感があり、とにかくかわいいのだ。そして、精緻。
トーベ・ヤンソン女史の手書きの原画や、立体模型などが展示されている。
売店にはムーミンの国際切手も売っていて、この博物館から手紙を出すとムーミンの消印が押される。わたしも友人10人ちょっとにニューイヤーの葉書を送った。
(後日談だが一週間もかからず着いたらしい。3ヶ月もかかった上「この封書は一度水没しました」という注意書きつきで着いたキューバから日本への手紙とは雲泥の差である…)

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おとなのための博物館、といった雰囲気を放っていたムーミン博物館。
子供用のプレイゾーンもあるのだが、展示物はおとなの目線の高さを想定してディスプレイされ、ほの暗いなかに原画がライトアップされる幻想的な雰囲気。
PCでムーミン谷の登場人物の紹介や名言なども見ることができる。

ムーミンといえば、わたしの母校の大学のH先生を思い出さずにはいられない。
目下オネエ疑惑のあったH先生はムーミン文学の研究家で、「ムーミンを英語で読む」の授業を大学時代のわたしは受講していた。
コピペを防止するため、1冊のムーミン本を手書きで翻訳レポートを提出するというツライ授業。
H先生はムーミンマニアで、授業には必ず岩波文庫かなにかのムーミン本日本語翻訳版を持ってきて、英文ムーミン本の該当部分を音読しては「ぼ、ぼ、ぼくのミィはこんなことは言わないっ!」と机に叩きつけては怒り狂っていた。
ネコとエレクトリカルパレードに狂喜乱舞するH先生、学部長にまで出世したらしいが…

そんなことを思いながら土産物屋でマグカップ、マグネットなどのムーミングッズを大量に買い込み、1冊英語版のペーパーバックを買う。
出発直前になってから、旅行会社の確認ミスでここのオープン日時の誤情報が判明し、
急遽途中の旅程を変えて無理やり組み込んだのだが、来られて良かった。
夏であればこのムーミン博物館のほかに、同じくフィンランド南部のナーンタリという地に
「ムーミンランド」というテーマパークがオープンする。
湖水と森林の美しい北欧の夏、またぜひ来たいと思いを馳せる。

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ムーミン博物館を出ると、久々に見た太陽がすでに沈みかけながらもあたりを照らしていた。
うつくしく反射する太陽を「まぶしい」と思う、何日かぶりの感覚。
出来るだけ行きと違う道を通って、タンペレの街を歩き、駅へと向かう。
夕方には首都ヘルシンキから帰国便に乗ることになっていた、最終日。
すこしでも多くの風景を見ておきたいと、寒さをおして最後の散歩をした。

最終回へつづく

2010/03/23

地球の舳先から vol.160
フィンランド編 vol.9

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アイススケートで余った体力をしばし使い、ロヴァニエミ鉄道駅へ。
途中、世界最北のマクドナルドでフライドポテトを補給。味は変わらない。
なんらかのトラブルに備えて移動の際は30分前行動なのだが、
ここフィンランドではトラブルというトラブルがなく待ち時間が多かった気もする。
清潔なコインロッカーはガタつきもなくわたしのスーツケースをふたたびはき出し、
雪の積もったホームへ出ると、すでに列車は着いていた。
北極圏からヘルシンキまでを結ぶ長距離夜行寝台列車、通称「サンタクロースエクスプレス」。
電車が好きなのである。わたしは1等、個室シャワー付きを日本から予約しておいた。

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荷造りとごみ捨てなどを済ませ、薄着になってから列車の中を詳細に探検する。
まず個室。といっても2段ベッドにトイレ&シャワールームのついている狭いものだが快適。
最初はシャワーの存在に気付かなかった。
というのも、シャワールームの扉を開けると一見トイレ&洗面所なのである。
シャワーがついているというのはガセネタか?と思いつつ、しばらくして、洗面台の棚に小さな取っ手がついていることに気付いた。
そこを引っ張ると隠し部屋よろしく洗面台をトイレ側に格納することができ、シャワーブースが現れる。
アイディア商品ではないか!(普通なのかもしれない)

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わたしは1等寝台だったが、相部屋の2等寝台、そしてリクライニング座席のシート、乗車券だけ購入して荷物車両で寝袋で寝ているつわものなどもいる。検令は厳格。
食堂車でビールを1杯。やわらかい光の中で、読書をする人、友人と語り合う人。
日本の新幹線が捨ててはいけなかった、情緒あふれる光景がそこにはあった。
旅というのは、効率やスピードばかり追っかけてはいけないのだ。
効率化ばかり考えると、飛行機に負けてしまうのに。列車には大事にしなきゃいけないものがある。
ふらふらと帰国日がわからないような旅はさすがにできないとしても、
限られた時間のなかで、できるだけゆっくり、動いて。
カメラのアングルばっかり気にしないで、実物の、その大きさを、雰囲気を、感じて。
そうやって街と出会えるといい。
加えて、1泊分のホテル代が浮いて寝ている間に長距離移動ができる夜行は
時間の限られたトラベラーの強い味方なのだった。

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車掌が検令に来る。
「終点じゃないから、寝過ごさないように気をつけて。5時48分に着く。」
と言って、部屋の隅のわたしの目覚まし時計に目をやってうなずいた。
「もし早く着いちゃったら、その時間までは停車しててくれるよね?」と訊くと
「いや」と彼はさも当然のように首を振った。「5時48分に着く」。
ここでわたしは、ちょっとばかりまた狼狽しそうになった。
運転手が到着時刻を断言するなんて、今まで行った国ではなかったぞ、と。
中国で「あと5分で着く」と言われてから3時間後に到着したのは別格として、
インドでだって3時間遅刻を「優秀~♪日が出てるうちに着いた~♪」と喜んだものだ。
車掌は時間を言い切り、しかもその時間はとても中途半端だった。
戸惑いを隠し、「オーケー、センキューセンキュー」と手を振る。

…旅をするには便利なのだが、この国の神経質さにすこし疲れてきていたのも確かだった。
日本への帰国の飛行機便がストライキで大変だったことは一番最初に書いたが、
「定刻」を絶対視するあまりピリピリし過ぎているような気もする。
20秒遅れると始末書を書かされるらしい山手線もしかり、だが…。
フランス人の知人が「日本は道を歩いてても電車に乗ってもあれするなこれするなって看板とアナウンスばかり。小学校か!」と言っていたのをふと思い出す。

「車窓、車窓」とワクワクしながら窓に顔をくっつけるも、夜の帳がおりて真っ暗。
すごすごベッドに入り、フィンランドではメジャーらしい、ぶどうとジンのお酒を飲みつつ
心地よい寝台の揺れのなか就寝。

朝起きると、ようやく北極圏から抜け出していた。無傷。生還だ。
インナーを1枚少なくして、当然“5時48分”にタンペレの駅で降車したわたしは
「うぁぁぁぁぁぁぁ北極圏より寒いじゃないかぁぁぁぁぁぁぁ」
と叫びながらとりあえず近くにあった地下へ続く階段を駆け下りたのだった。

つづく

2010/03/15

地球の舳先から vol.159
フィンランド編 vol.8

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しばしの仮眠の後、ロヴァニエミに帰ったバスは、団体観光客をおろして最終目的地のツアー会社に着いた。
「ここで降りたほうがいい?それともこれからどこかへ行く?」と問うとドライバーは「君はどこへ行くんだ」と逆に聞いてきた。寝惚けた頭でも、案外と口をついて英語が出てくることに驚く。
意外と旅を続ける程度の英語なら結構喋れることにも驚く。
これはやはり幼少時に母親が算数と英語の寺子屋を自宅でやっていて、放置されたわたしが暇つぶしに壁に貼ってある「あいうえお」と「ABC」を小学校以前にマスターしたサブリミナルが効いているのか。
むかしは神童とよばれていたのだ(6歳以下まで限定)。あんなにそろばんで遊んでいたのにいまこんなに3桁のお金の計算さえできないのが悲哀である。

「今晩夜行列車に乗るから、とりあえず鉄道駅まで行く」とドライバーにいうと「じゃあ鉄道駅まで行ってあげるよ」との好意で鉄道駅まで行ってくれた。英語が喋れるとトクをするらしい!
これが、わたしがフィンランド旅行で得た一番の学習であった。
歩けば1キロほどの距離を、どでかいバスを貸しきってしまった。
チップを渡して、英語をやめてフィンランド語で「キートス(ありがとう)」と言う。

鉄道駅でもわたしの改心は変わらず、「この近くにコインロッカーありますか?」と問う。
「あそこ。でも小銭しか使えないから、持って無いならここで両替できるよ」と。
最低限の日本語でもコミュニケーション自体はできるが、英語を喋るとプラスアルファのトクをする。
そういうことなのか。そういうことなのだ。わたしはいままで、ソンをしていたのだ。
英語や現地語が喋れるということは、旅においては、クーポン券をもっているようなものだったのだ。
「10ユーロをおろしてもらったほうがいい? 食堂車に行きたいから、もう少し必要かな?」
と聞くと、「ビール1杯でもクレジットカードでOKよ」と笑顔が返ってくる。
ロヴァニエミでの自由時間は約5時間。主要な観光スポットをめぐり、市街中心部へ向かう。

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(ロヴァニエミ中心部。写真中の人間の背丈と比較してこのスケールを感じてほしい)

元旦だが、店を閉めてお祭り騒ぎということはなく、マジメに営業している店も多い。
世界最北のマクドナルドで軽食を済ませ、ロヴァニエミの街をぷらぷらした。
大きすぎる雪だるま(6メートルくらい?)。うつくしい屋台の数々。浮き立つ人々。
そこで、ひらひらしている貧弱なビラを見つけた。
「スケートリンク。時間制限なし。10ユーロ。ここから徒歩1分。」

これはなんともそそるではないか。
実は、運動音痴なわたしができる唯一唯二のスポーツが水泳とスケートなのだ。
つられて行ったスケートリンクは、ただの公園をリンクにしたような簡易的なところだった。
それでも、ちいさなテントの中には主要なサイズのレンタルシューズが置いてあり
奥のほうには雪と氷で作った小さなお城のようなアミューズメントパークもある。

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わたしはブーツを脱いで、スケート靴に履き替えた。
ただ滑る人も、アイスホッケーをする人も、入り乱れて地元の人々に混じる。
ホッケー組はむしろ、いかにそのスケート組という障害物を避けてゴールを決めるかという点に燃えており、小中学生らしき小さい子たちは巧みにスケーターの合間を縫っていく。
へっぽこスピンをしている小さい男の子もいる。こういう子が将来、フィギュアデビューするのかもしれない、と思うと、日本の「フィギュアをできるのは限られた人間のみ」という構図との差を考えてちょっと悲しくなった。
1時間、と思っていたのにリンク(というほどの大きさではない)を何往復したのか、あっという間に時間が過ぎていた。運動しているので体はあったまっているのだが、露出した顔部分は若干の凍傷気味。いかんいかん、とマフラーで覆いなおして、靴を脱ぐ。
元旦の夜、フィンランドの地元の人々と一緒に地元のスケートリンクで滑ったことは、この旅を通じて忘れられない、いかにも北欧らしいわたしの思い出になる。

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旅は、ある程度タイムスケジュールが決められてしまっている。
だから旅行するほうも、決まったポイントを「こなす」という感じになってしまいがち。
それは残念だけど、社会人たるもの、決まった日数で行って帰ってこなければならないのも現実。
そういった中で、予定表になかった偶然の出会いが、旅の色を決めていく。

表面はつめたく、中は運動後でぽかぽかしている身体をもてあましながら
わたしはまた、市街地から約1キロを歩いて鉄道駅へと戻った。

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(もちろんちゃっかりロヴァニエミの観光スポットもおさえておく。)

つづく

2010/03/01

地球の舳先から vol.158
フィンランド編 vol.7

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旅、4日目。ちょうど折り返し地点のこの日は元旦。
前日の経験(前回コラム参照)からわたしは、僻地旅8年目にしてはじめて心を入れ替えた。
「サンポクルーズへ行きます」と英語で言い、「タクシーを呼んでください」と英語で言った。
もう、「タクシータクシー!ぴぎゃー(日本語)」と喚かない。伝えたいことがあるなら、伝わる言葉で。

そう、何も理由が無くてこんな地方都市(失礼)に来たわけではない。
ケミの街には、世界に誇れる観光産業がある。それが「サンポクルーズ」。
フィンランドでもとくに西側で、ボスニア湾に面している湾岸都市は、冬の間に海を凍結させてしまっては貿易も輸出入も成り立たなかった。
そのため、船の自らの重みで流氷を砕いて海を進んでいくハンパなくでかい船を開発。
その砕氷船「サンポ号」はいま、氷上の航路をつくる傍ら、観光客を乗せて流氷の間を行き、極寒の海に突き落として遊ぶ(もちろんハイパーなウェットスーツで)というツアーを組んでいる。
この発着地点が、ケミだったのだ。
わたしがこの存在を知ったのは「フィンランド冬物語」というガイドブック。夏と冬で、できることがまったく違うフィンランドは、正直、「地球の○き方」も、神様・「ロンリープ○ネット」もあまり参考にならなかったりする。
夏物語と冬物語に分かれているこのガイドは、季節に特化してその季節ならではで楽しむ方法を提案してくてくれるので、フィンランド旅行者には必須だろう。

タクシーに乗り、港まで向かう。クルーズのホスピタリティは驚くほどだった。
出航の30分も前に着いてしまったにも関わらず、船からスタッフが出てきて、(アジア人はここでもいなかったのですぐに見分けがついたのだろう)わたしの名を言い当て、「待ってました」と言う。
手配内容を確認し、タイムスケジュールを書いた紙を渡してくれる。
ランチにはサーモンスープを頼んでいたのだがトナカイスープという手配書になっていたので、日本から持参したeチケット(予約内容が書いてあるメール)を出すと(決してクレームのようなテンションではない)、顔を曇らせて「手配の不行き届きを詫びる。今後こういうことのないようみんなで共有して運営にあたっての反省材料にしたいので、eチケットのコピーを取ってもよいか」と申し出られたときにはさすがにビビった。
ここは日本か、と。
山手線がたった20秒遅れただけで始末書を書かされる、日本か、と。

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船はほんとうに、流氷を砕きながら道をつくって進む。
氷を割ってできた道を、小船がたくさん追随していくのだ。
埼玉生まれ東京育ちのわたしはほとんど雪の無いところで生きてきて、加えて小学生のときにスキーで両腕を骨折して以来、雪とはテキセツな距離を保ってきたので、はらはらと落ちてくる雪の一粒一粒がほんとに雪の結晶の形をしていることに感動してしまった。
あまりにはしゃぎ過ぎて甲板で滑って転び、そのまま階段の中腹まで滑って「イタイ…」となりながらも、真っ平らな氷の上に雪が降り積もった大地を、自分の乗った船がバリバリと氷を砕いて進んでゆくさまはかなりな見ごたえである。
4日目にもなるとマイナス10度以下との付き合いもわかってきて、皮膚の薄い顔や手を、ちょっとした布でもいいから覆っておけばずいぶん長い間外に居ても大丈夫なこともわかってきた。

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(雪ってほんとに1粒1粒がこのカタチしてるのね!)

サンポクルーズには3つほどハイライトがある。
まずは、時間差でスタッフが案内してくれる船内ツアー。それにランチタイム、最後が特殊ウェットスーツを着て、乗っているサンポ号が氷を砕いてできたスペースで北極圏の海でプカプカするスイミングタイム。
ひとりで参加したわたしはイギリス人4人とスイス人2人のグループに組み込まれ、7人ほどのチームとなった。
これがまた、文化の違いを思わせる。とくに、イギリス人。
イギリス人もスイス人も積極的に干渉しようとはしない国民なので、わたしがひとり外へ出て写真を撮ったりしても見て見ぬ振りをするわけだが、船内ツアーでは一変。
ウロウロしているとかならず、ツアースタッフよりも目利きのするイギリス人男性がわたしを見張っていて、最後尾にはなにがなんでも自分が立つのだ。
ご一行様がまとまって行動するので、イギリス人グループはまとめようとわたしが先を譲ろうものなら、「女性に最後尾を歩かせるなんてとんでもない」という価値観よろしく、かならずイギリス人男性は自分が最後尾を歩く。急な階段ではなおのこと。
「友達と一緒に行かなくていいの」と思わず突っ込むと「でも(君が)迷子になるかもしれないし、階段から落ちるかもしれないから」と言う。
決して妙な下心ではない。それが当たり前だという教育を受けているのだ。

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(船長室案内にて。)

ランチタイムも、わたしには単独テーブルを予約してくれていたのだが、「日本のことが聞きたい」とのオファーで、せっかくのご縁なので混ぜてもらうことにした。
このイギリス人グループはカップルと夫妻の2組だったのだが、ひとり旅のアジア人をいろいろとフォローする男性陣を女性陣は当たり前のように眺め、日本の「鬼嫁」なんて言葉がかわいいくらいに女王様である。自分たちはただ、わたしを含む女同士の会話を楽しむ。
まだ20歳代のカップルであったが、話し相手であるわたしのワインがなくなっても、アイコンタクトでパートナーの男性に持ってこさせるし、とにかく女性が目を配らせて守られることは当たり前らしい。日本人のわたしにとっては、カルチャーショックである。
こんなに気を使われたら、恋人である女性陣のほうの目線が日本人としては気になってしまうのだが、ソツなく女性のエスコートをこなしている自分のパートナーをむしろ満足げな表情で見守っている。
そして無邪気に、「一昨年銀座に行ったのよ」とか「秋葉原はどんなところなの?」と男性陣をシャットアウトするかのごとくガールズトークを持ちかけてくる。
…な、なんなんだ、これは…。
でも確かに、わたしが日本でかなりお世話になった、イギリス育ちのS氏やA氏も、相当に思慮深いレディファーストな人種であったが…。
出されたサーモンスープが、具沢山でたいへん美味しく満足感の高いものだったことは、言うまでも無い。

ランチのあとは男女の更衣室に分かれ、最後のハイライト。これまで乗ってきたサンポ号が砕いた流氷のためにできた海水に浮かぶアクティビティだ。
必要以上に厚いウェットスーツに着替え、海へ。北極圏の極寒の海にぷかぷかと浮かぶ不思議な感覚。

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這い上がるのは難しく、スタッフに、アザラシよろしく引き上げてもらう。
ウェットスーツを脱いで身軽になり、凍った氷の上に積もった雪景色の中ではしゃぐ一行。
本来は海である場所の水面上を走り回るというのは実に不思議な感覚だった。
何よりも忘れられないのは、凍った海の上で沈んでゆく太陽の光だった。

こうして第三の目的、サンポクルーズを終え、わたしは団体ツアーの帰路に混じってロヴァニエミへと長い距離を戻っていったのであった。
サンタの街ロヴァニエミへと向かうバスの中では、オトナもコドモも区別無く、はしゃぎ過ぎた人々が爆睡する場と化した。
わたしも、Hotel Merihoviでテイクアウトしてきたサンドイッチを腹におさめ、しばし眠った。

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2010/02/23

地球の舳先から vol.157
フィンランド編 vol.6

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(フィンランド有数の観光地、のバスターミナルらしくないターミナル。)

「うーーーーーーーーん。」

簡易すぎる手書きの地図(地上手配=日本からの航空券以外の現地交通手段などをしてもらった会社の担当者がくれた、というか描いてくれた)を眺めながら、サンタ村から市街地ロヴァニエミに帰ってきたわたしは唸る。
クリスマスの街であるロヴァニエミの観光を入れるため、翌日またこの地に帰ってくるのでこの日は観光はスルー。
とにかくこの大晦日の12月31日、わたしのミッションは、ロヴァニエミの鉄道駅から至近のバスターミナルへ移動し、第3の目的地「ケミ」の街へ向かうこと。だけ。だった、はずだった。

まず、地図が見れないという自分の特徴にもっと危機感をもつべきである。
乗り継ぎに確保した時間はほんの30分。二度迷えば乗り遅れる計算だ。
「たぶん、あそこだろう」というポイントはすでに視界には入っているのだが、何せ日本で言う国道レベルの大通りを挟んでいるので信号のないところでは道を渡れないし、歩道かと思いきや積雪で通行不能というトラップもある。
つまり、目的地(推定)はすぐそこに見えているのに、どうしたらそこへ辿り着けるのかの道がわからないという、なんとももどかしい感じ。

かくしてわたしが最初にとった道は鉄道駅のパーキングに突っ込んだし、二度目にとった安全策の道では「そこは倉庫です。入らないで」と警備員に突っ込まれ、結局スーツケースを無理やり引っ張りながら道のない雪の坂を這ってすすむ羽目になった。
「どうせ、早く、行ったってさ、また超寒くてさ、足が、冷たくなってさ…」と、息を切らしながら、サラサラ過ぎてまるで足場が確保できない雪の中を一歩一歩すすみながらひとりごと。一人旅に独り言はつきものなのだ。

なんとかまる20分かかってバスターミナルだとわたしが判断した場所には着いたものの、バスは1台もおらずほとほと不安になる。
事務所は、佐川急便の荷物流通センターのような雰囲気。
「あの、ここは、バスターミナルですか」と質問をして、キョトンとされた。
バスが来るまで事務所の中の待合室で待つ。と、フィンランド兵2人組と遭遇。

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(か…かっくいい!!!!!)

フィンランド軍といえば、あのロシアと地獄の冬戦争を戦った世界軍事史に残る伝説。
ロシアとの冬戦争で壊れゆくフィンランド軍司令官の精神面を描いた映画『フロントライン』が思い出され、アドレナリンが沸騰し敬礼したい気持ちをぎりぎり抑制する。
方向性を大幅に間違えることも多いし、戦争を肯定するつもりもまるでないが、国や不特定多数の人のために命を投げ出せる人種に、わたしはいつでも畏怖をもったある種の敬意を感じる。
それは、「誰かがやらなきゃいけないことだから」という以上のなにかを。
「ケミに行くんですけど、ここで合ってるんでしょうか」と勇気を絞って問いかけると、iPodを耳から外して、以外にもまだ若い兵士は「僕らはヘルシンキへ行くけれど、そのバスは途中でケミに停まる。一緒のバスだから、来たら知らせるよ」とやはり流暢な英語が返ってきた。

更けた夜、フィンランド兵2名とわたしだけの乗客でヘルシンキ行きの夜行バスに乗車し、2時間ほどで途中駅のケミに着いた。
あまりメジャーなところでもないので、またひとりぽつねん、である。
ひとりは慣れているのだが、ドのつく観光地へ来たつもりだったのにここまで日本人と出会わないと、さすがになんだか調子が狂ってくる。
ケミでバスターミナルを降りて、また北欧の寒さにとりまかれながら、わたしは人を探した。
とあるホテルの前で、煙草を吸っているやたら化粧の濃い女性が居た。
そこは、ホテルという看板は出ているのだがなんだかカジノ付バーのような雰囲気で、彼女はフィンランドには珍しい褐色の肌に縮れ毛で、ニューイヤーを迎えるために呼ばれたシンガーか何かのようだった。

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わたしにとってここまでのフィンランドという国は、なんだか出来過ぎていた。
教育水準が世界一だとか福祉が凄いとか、国としてもなんだか可愛げのないところである。
そして実際に見たフィンランドも、人は親切、英語はぺらぺら、公共交通機関は定刻、売春婦も物乞いも物売りも(目に付くところには)居ない、というスマートな印象。
それはやっぱりなんとなく、可愛げがないというよりは、リアル感がなくて逆に正体のない不安に変わる。とにかく、リアルな生身のヒトが生きている感じがしないのだ。
まるで、九州にあるガリバー王国ランドとか、ディズニーランドのようなところからその国の綺麗な景観だけを見ているような、なんとも不確実な気持ちになっていて、それは北朝鮮で「外国人に見せてもいいもの」だけを観光していたときよりもよほど嘘くさくて居心地のよくないものだった。
完璧すぎると機械みたいだ、などと昭和的価値観を持ち出してはいけないのだろうが、なんだか無性に旅をしていて肩身がどんどん狭くなっていくような感覚もあった。
そんなことを思うと、かつてフランス人を日本に案内したとき(それはとても重要な国民の休日だった)に言われた「日本は、ナショナルホリデーじゃなくても“こう”なのか?」という困惑に似ていたような気がする。

それが、その、上品なんだけれどもすこしヒト感のあるバーの入り口で煙草の白煙を追う彼女をみたときに、わたしは「ヒトの住んでいる国へ来た」という感覚をようやく得て、ほっとしたのである。
すべてを日本語で通していたわたしは、自分の口からまず「Happy Year-end-day」という英語が出てきたことにも驚き、次にそのわけのわからない英語に自分で呆れた。
しかし彼女はにっこり微笑んで頷くと、無言で空を仰いだ。
つられて空を見上げると、港のほうから決して派手ではない花火が打ちあがっていた。

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(ホテルの部屋からもよく見えた花火は、夜が明けるまで静かに続いた)

首都のヘルシンキでは大晦日はお祭り騒ぎだという。大晦日のパリも凄かった。
しかしこんな地方都市ではなにもないだろうと思っていたし、実際彼女に会わなければ気付かなかったかもしれないくらい地味な花火の打ち上げに、わたしは目を見開いた。
そして地図を出し、泊まるホテルを指して「どこにあるか知ってますか?」と尋ねると、「Ah,Melihovi」と彼女はうなずき、道を教えてくれた。まっすぐ、右折、そしたら右側。
その顔には「そんなにたくさんホテルのある街じゃないし、そりゃ知ってるわよ」と書いてあったが、無駄な会話は一切しないようにできているようだった。

礼をいい、「Have a nice ….. next year」とこれまた破滅的な英語を発するも、
「You too」と彼女はまたにっこりと微笑んだ。
“英語”は教科や科目ではなく、言語の違う誰かと会話をするための道具だったらしい。
つまりは学問としての「語学」ととらえて、語法文法がおかしいとビビったり、流暢でないことをナーバスにとらえる必要なんてなく、そして逆をいえば、いくら語学としての英語を知っていても、伝えたい相手や伝えたいことが無ければ、なんの意味も持たない能力だったのだ、とも。
彼女は、自分が指示した曲がり角でわたしが曲がるまでじっと見つめていて、わたしはそこで曲がるときにもう一度、彼女に手を振った。
彼女にとってわたしは、「意味不明な英語で話しかけてくる日本人」だっただろうか?いや、「ニューイヤーにこんな街に来た物好き」―このほうが近かったはずだ。

その晩泊まった Hotel Melihovi は地方都市らしくアットホームで、民宿のよう。
部屋の窓をあげると、5階の部屋から真正面に花火が一晩中打ち上げられているのが見えた。
しかし騒ぐ人々もおらず、ただ静謐に。

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フィンランドで一番ふわふわで爆睡できたベッドに横たわりながら、3日目にしてようやくフィンランドに出会えた、と思った。
なぜ旅をするのかと聞かれたとき、わたしはよく「ナマモノとミズモノ」と答える。
りっぱな建築にも美術館にも世界遺産にも興味は無い。
そこに暮らす、1日ごとに変わってしまう「人」や「生活」こそが、面白いのだと。
だから旅がやめられないんだ、とも。

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(それでも観光もするのだ。興味の無い寺も教会もキチンと回るのは、勿体無いという貧乏根性だけだけれども。これはケミの街に建つ大きな教会。)

ケミへ来たわけは、流氷にダイブするためである。
そのお話は、また次回。

2010/02/15

地球の舳先から Vol.156
フィンランド編 Vol.5

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さて、フィンランドの食事情。
わたしの旅経験からいうと、「暑いところはマズい。寒いところは美味しい。」である。
今回のフィンランドも、その経験則を更新してくれた。

まずはホテルで出る一般的な朝食から。

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フィンランドはとかく、乳製品が豊富。
朝のミルクも、4種類くらい用意されている(違いがわたしにはわからない)。
加えてベリー類がたくさんとれるので、好きなものをチョイスしてヨーグルトにトッピング。
というのが正しいフィンランド朝食のようだ。
それだけではなく、だいたいパンはホテルで焼いていて、焼き立てがホールでサーブされる。
バイキング式なのだが、焼きたてのパンにナイフを入れて持っていくというのは素敵。
当然、乳製品であるチーズも豊富で、最低でも4種類は並んでいる。
たっぷりの野菜に、これまた名物のニシン漬け(トマト、オリーブなど多種)、ソーセージ類、なかにお米の入ったカレリア地方の郷土料理、カレリア風パイ。
そんなこんなで、まず不自由しない食事情。
わたしはいつまでも旅においては(いや、すべてにおいてかも)学生気分が抜けていないので、パンにチーズとハム・サラミ類を挟んでテイクアウトし、金欠の場合やレストランにありつけなかった場合の昼食に備える。
日本のバイキングだとお持ち帰りなんてご法度だけど、海外ではそうでもない。

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次。これがトナカイである。
骨つき肉や肉厚のステーキなどはどうも気が引けたので(だって数時間前にトナカイにラップランドの自然を案内してもらったばっかりだったし)、薄切り肉のソテー。
味はというと、ヘラジカとうりふたつ。まあ外見もそっくりだものね。
鹿肉とほぼ同じ味とわたしの味覚上では分類された。
ラムなどのほうがよほど臭味もあると思うのだが、付け合せには、食べ慣れていない外国人用なのであろう、臭味消しのピクルスやベリーが添えてある。
肉の下にもりもりと敷かれているのはマッシュ・ポテト。
北欧諸国の主食はジャガイモなのだ。ライスのかわりに、ジャガイモ。
この世のなによりジャガイモが好きなわたしにはたまらない。
量がハンパないのだが(日本の大きさのジャガイモなら、3個分くらいだろうか)、いたくご満悦でいただいた。

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こちらは、もしかしたらフィンランドで一番おいしかったかもしれないもの。
エスカルゴを供されるときによくある器に、エビのオイル煮。
…と思いきや、ザリガニです。
でもまあお味は甲殻類だし、このオイルが色々調合してあるらしく美味。
パンにつけて1滴のこらずいただきたくなる味です。
パンもフライパンで両面を焼くらしく、さくっ、ふわっ、と。
そして、あったまるんだな。これに限らず、やっぱり寒いところの食事は「いかに暖を取り、いかに栄養を取るか」という、サヴァイヴ思考が根底の基本にある。

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こちらは写真が失敗してスイマセン。
これもフィンランド名物、サーモンスープ。
当然の立地ゆえ、サーモンはとっても中心食材、なのですが。
やはり寒い地方にはあったかいスープが似合う。
ジャガイモをはじめとした各種野菜と煮たクリームスープの中には、サーモンがごろごろ。
そのサーモンの角切りの大きさ、ハンパなし!
ちなみにこれは、3回先くらいでコラムする予定のバルト海クルーズで出されたものなのですが、ボリュームもたっぷり。
日本人なら、これ1皿で十分1食分。(おかわりも自由)いや、深夜までお腹空かない。
実際、事前の予約でヨーロッパ人はこのスープはあくまで「前菜」でメインディッシュを選べるようになっていたのですが、日本人は「サーモンスープ or トナカイスープ」の選択のみ。
それくらい、ボリューミー&日本人と欧州人の胃袋キャパシティの違いを実感しました。

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最後は、夜食。(これも写真がフレたー)。
フィンランド人の好物は、ソーセージなんだそう。
現地語では「マカッラ」といって、バースタンドにたくさん、メニューがありました。
日本のようにギトギトな感じではなく、ボロニアソーセージのようなあっさりめの味。
食感も実にやわらかで、夜食にしても罪悪感が芽生えない。
下に敷かれるのはもちろん、たっぷりのフライドポテト。
わたしはサーリセルカ滞在時、ほぼ24時間営業の移動軽食屋(トラック1台で軽食を作ってくれ、ソーセージやバーガーなど色々)にお世話になりました。

ちなみに、「旅の指差し会話帳」を見ながらわたしは「ありがとう」と「ソーセージ」以外のフィンランド語を放棄しました。
だって、英語やラテン語よりも複雑で、「私の」「私が」「私を」など、動詞がその次に来る単語によって、11種類か12種類も変幻自在に活用するんですもの。ムリすぎる。
でも、フィンランド語はなんだか響きが可愛かった。
ヘルシンキを舞台にした映画『かもめ食堂』で興味をもたれた方も多いかと思うけれど、
「ありがとう」は「キートス」。
「~はどこ?」は「ミッサオン ~?」
「おいしい」は「ヒュヴァー」
「トナカイ肉」は「ポロンリハ」。
…なんか可愛くないですか?

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そしてフィンランドといえばやっぱり頭にまず浮かぶのは「福祉国家」。
税制がホントにしっかり、というか、ちゃっかりしてる。
交通の罰金なども年収ベースで掛かってくるから、ちょっと駐車違反してン百万円(ヘタしたらン千万)なんてことも現実に起きてる。
もっとも、だからこそ良い人材が他国に逃げてしまうっていう現実もあるんだけれど。
わたしがびっくりしたのは、酒税。
フィンランドのお酒には、アルコールの含有率パーセントによって「Ⅰ」とか「Ⅱ」とかが明記してある。
これは、アルコール含有率によってかかる税金が違ってくるからだそうな!
スーパーでお酒を買ったら、明確に「コレは○レベルだからtaxが○%」といちいち明記されていた。びっくり。

福祉大国、さすがだな…。

2010/02/12

地球の舳先から vol.155
フィンランド編 Vol.4

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さて、話は戻るが、サーリセルカの話をしよう。
前回、サンタ村の話を先に書いたのは、クリスマスから遠のけば遠のくほど
サンタクロース村の価値が下がるような気がしたからである。

青く淡んだ街、いや、「街」というにはあまりに小さいサーリセルカ。
オーロラも犬そりも目的ではない(両方カナダでトライ済みのため)わたしが、
日本人のフィンランド旅行者の間ではオーロラ観測ならまず選ばれるこの地を組み込んだのは、
「ラップランド(北極圏)に居たい」という情緒的な理由だけである。
かわりにわたしはヘルシンキをすっ飛ばし、国内線をすぐに乗り継いで北極圏へ到達。
気温はマイナス15度から20度の間を推移しているが、湿気がないので体感温度はそれほどでもない。しかし風が吹くと、風速4メートルごとに1度体感気温が下がるのでぐっと冷え込む。
とはいえ、各アクティビティ会社が貸し出している防寒具をレンタルすれば、
暑いということはあってもまず寒いということはない。…動いていればの話

実際わたしは日本でなにも準備と予約をしてこなかったので、サーリセルカに着いた翌朝から
当日参加できるアクティビティを探すことになった。
街いちばんのスパホテルを取っていたので、当然のことながらホテルのフロントの隣にはコンシェルジュがいてツアーの予約を請負い、日本語対応ツアーは割高に設定されているもの…というわたしの想像はもろくも外れた。
「あの、トナカイぞりは」と言っても、アクティビティ会社のパンフレットは見せてくれるが予約もしてくれないし、コンシェルジュデスクなんてものは存在もしないらしい。
「意外と…」とひとりごとを言いながら「雷鳥」という名のホテルに併設されているアクティビティ会社まで出向き、「トナカイ乗りたいです」と主張。その場でお金を払って、予約をした。
ちなみに夜は、スノーモービルで雪山をひたすら走りまくるというツアーを予約した。

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そう、ソリ。自分は動かない。これが盲点であった。
トナカイは犬ぞりのように疾走するわけもなく、ぽっくぽっくと歩くのみ。
その割にラップランドの自然の森をぐるーりと一周するので、防寒具を着ていてもブルブル。
たまにデカいトナカイが振り返ったりすると、「ヒィィ」とおそろしい。
そうトナカイの顔は意外にもスゴク怖いのである。
おまけに、草(エサ)をあげないと威嚇してくる始末だ。
鼻もぜんぜん赤くない。どうなっているんだ!と憤慨しながら結局2時間もトナカイに揺られた。
「絶対今晩食ってやる!!!!!」となぜか戦闘モードに入るわたし。

寒すぎるのだが、絶妙のタイミングで、ホットベリージュースなるものが供される。
文字通り、ベリーのジュースをあたためたものなのだが、こちらではかなりメジャーなようで、
ティーバッグの商品もたくさん出ているよう。
ベリージュースをテントの中でサーミ族(現地原住民)のおじさんにジンジャークッキーと共に出され、心は和むのだが、体温を取り戻すには至らない。
ここで、マイナス15度の世界で何が起きるかを記録しておきたいと思う。

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1)バナナで釘が打てる。
これは試していないので知らないが、凍ったものが相当な強度を発揮することはよくわかった。

2)凍傷になる。
上述のとおり、あまり体感温度が下がらないので、「なんだこんなもんか」と見くびっていると気づかないうちに凍傷になったりするらしい。
地肌の肌色に白い斑点が浮かんできたら要注意だそうだ。怖っ。

3)カイロが効かない。
サーリセルカからサンタ村へ行くバスを待つため、15分ほど前にバス停へ行った。
どれほど遅延や早着があるのかわからないのと、1本逃すと長距離バスは次の便まで4~5時間ということも珍しくないので、賢明な判断だったとは思うのだが…
防寒具を返し、サーモインナー2枚とスウェット、ヒートテックのハイネック、ジャケット、スキーウェアでも所詮日本製は日本製。
地面に接した足からとにかく凍ってくる。スーツケースをあけてカイロを出し、足裏に装着。
ところがカイロはものの1~2分で完全沈黙。どうやら、有効な気温層を下回るとまるで使い物にならないらしかった。これも盲点であった。

4)鼻水が凍る。
わたしは、後述の5)の反省から、つねに顔まわりを覆っておくことにしたのでこの被害には遭わなかったのだが、乾燥しているため、「鼻血が凍る」ということが多く起きるらしい。
で、もぞもぞするから鼻に手を突っ込んで引っ張ると、完全に自分の鼻の形に固形化した鼻血が採取できるらしい。
鼻の内部の形など、なかなか見ることがないため、なかなかに感動する経験らしい。

5)睫毛が凍る。
これはほんとう。フェイスマスク(いわゆる目出し帽)をかぶるのは、外気に顔の地肌が触れないためと思っていたのだが、もうひとつ意味があった。
とにかく、自分の吐いた息というのがいちばん温かいので、それが瞬時に蒸気となって凍るのである。
そして、位置関係上、吐いた息の蒸気は睫毛につく。で、瞬時に凍る。
このとき、マスカラをつけているとそのまま睫毛がボキッと折れるらしい。
とわたしは聞いていたのでつけなかったのだが、息をすると睫毛が凍り、次いで下睫毛も凍り、まばたきをすると上睫毛と下睫毛が凍ってくっついて目が開かなくなる。
というなんだか物凄い体験をした。「目ッ、目があーッ!」と、ひとりパニックに陥るニホンジン1名。

6)カメラが結露する。
これはトラベラーにとって一番痛い。
フィルムカメラと違って、デジタルカメラは色々なICチップや電子回路でいっぱい。
ここに水分が入ると当然、電子機器は死亡。
冷たいところに居る間はカメラは意外と丈夫なのだが、あたたかい室内に持ち込んだ瞬間蒸気が発生してカメラを壊す。これがおそろしい、「結露」という現象だ。
わたしも、マニュアル通りに冷たいところから持ち込むときはタオルで巻いてジップロックに入れて最低数時間、できればひと晩かけて室内温度に慣らす、ということをしていたのだが、それでも1台は壊れた。北極圏へ行くなら、予備のカメラは必須。
加えて、寒いとバッテリーの消耗が激しいので、いつでも充電をできる環境に無い旅中では、電池で動くものがベター。

と、以上のようなことがわたしが北極圏で学んだことである(えっへん)。
次はフィンランドの食事特集でもしようと思う。

2010/02/01

地球の舳先から vol.154
フィンランド編 vol.3

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実際の行程とは前後するのだが、先にサンタヴィレッジの話をしよう。
なんでこんな極寒の時期に物好きにもフィンランド、と突っ込まれるのだが、理由は幾つかある。
1)トナカイを食う。
2)サンタ村へ行く。(フィンランドはサンタの故郷)
3)夜行寝台列車に乗る。(その名もサンタクロースエクスプレス)
4)ムーミン博物館へ行く。
とこの4点が主なテーマであった。北欧は夏が美しいのは勿論なのだが、やはり涼しいとはいえ雪の無いサンタ村など、あまりシズらないではないか。
前回の投稿にも「写真が美しい!もはや文章はいらない!」という、嬉しいんだか、もの書きとしては寂しいんだかな感想を複数いただいたが、今回も写真がかわりに語ってくれるだろうと思う。

サーリセルカから凍死からがら長距離バスで、サンタ村のあるロヴァニエミへ。
乗車時、スーツケースを荷物入れにしまってくれる運転手に「サンタヴィレッヂへ行きマス!!」と
宣言(日本語)すると、「OK,Santa Village.」とうなずく。やはり日本語は万国共通語なのだ。
しかしメジャーなはずのこのサーリセルカ~サンタ村のルートにも、観光客がいない。
サンタ村へ着くと運転手はピンポイントでわたしのほうを振り返って「Santa Village」と知らせる。
バス停がわりの小さいテントで降り、トンネルをくぐってサンタ村へ。入場はすべて無料。
正午近くなって、ようやく日が出たが、もくもくと曇っている。

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まずは、サンタに会いに行くことにした。
このサンタ村、実際巨体のサンタがいるわけなのだが、カメラ撮影は禁止。
そうかサンタは聖職だからか、と最初は思ったのだがとんでもない誤解。
法外な値段で「サンタさんとのツーショット」写真を売りつけるためである。
なんと夢の無いサンタ! というわけで、わたしはどんなにサンタが凄くても写真は買わない。
ホーンテッドマンションのようななぜかおどろおどろしい通路を抜けると、サンタスペース。
サンタは世界中をまわるために時間を操作することができるとのことで、大きな時計が。
サンタの部屋にはならんでひとりずつ入る。で、バシャッと写真を撮られて一人15秒、みたいな世界なわけであるが(問答無用に全員写真は撮られる。ただし買わなくてもよい。)
ドアの前でサンタの手下が「ニホンジン デスカー」と話しかけてくる。
「日本語喋れるんだ」と突っ込むと、「ダッテ、トゥントゥ ダカラ」。
ちなみにトゥントゥとは、サンタの手伝いをする魔法使いの小人のことなのだが…。
そして対面したサンタは、とにかくおなじ人間とは思えないほどデカかった。
(いや、同じ人間ではないのか。)

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そのあと、サンタの家の裏につくられたスノーパークで遊ぶ。
雪を固めて長い滑り台にしてあって浮き輪のようなもので滑ったり、土地土地の人たちはほんとうに自然を生かして遊びを発明するのが天才だなと思ってしまう。トナカイも、スノーモービルもある。北極圏のアクティビティが売りのサーリセルカとは規模が違うが、体験版には良いようだ。
寒くなってきたので室内に戻り、サンタクロース郵便局へ。
当然、世界中の子供たちから大量のサンタ宛の手紙がここに届くのである。
ここから手紙を出すことも当然できて、郵便局には沢山のポストカードとサンタの切手(特別な消印がつくらしい)、それにポストが2種類。
1つは通常配達、もう1つは、次のクリスマスに発送されるポストだという。なるほどねえ。

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北欧といえばサーモンなわけで、小さなテントをカフェにしているスペースへ。
民族衣装的なものを着たおじさんが、豪快にサーモンを焼いてくれる。
これが、日本の鮭の切り身のゆうに4倍はあるかというボリューム。
これにまるいパンと、半パック分のポテトサラダがついてくる。
非常に美味しいのだが…4分の1でいい…。
ホテルの朝食ビュッフェから、非常食用に拝借してきたパンに残りを挟んで、テイクアウト。
14時をすこし回ったくらいで再び外に出ると、早くも日が傾いていた。
夕暮れのサンタ村は、ライトアップが映え非常に美しい。
建物と建物を結ぶ青いラインが、北極線の境目なのだそうだ。

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なるほど、とわたしはまたもここで感心した。
この短すぎる日照時間は、タイトな旅行スケジュールの味方だったのである。
わたしもサンタ村への滞在時間は3時間ほどしか確保できていなかった。
できれば1日じゅういたいものだが、他にも見たいところも沢山あり、効率重視で組むとそうなる。
普通の場所なら12時から15時の滞在だと昼の顔しか見られないが、
たった3時間で昼景、夕景、そして夜景まで楽しめるのである。これは良い。

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(注:14時半)

気温も急に下がってきたので、出たり入ったりを繰り返しながらショッピングアーケードをのぞく。
オンナゴコロを刺激する可愛いモノがたくさんあるのだが、まだ旅も前半。買い物は最小限に。
というわけでわたしが買ったのはこれだけ。マッチとクリップ。しめて1ユーロ(笑)。
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こうしてサンタ村の滞在を終えたわたしは、ふたたび路線バスでロヴァニエミ市街へと向かった。
ちなみに、サンタ村からロヴァニエミまでのバスの途中で、サンタパークというものもある。
こちらは経営不振でこのほど株式売却。…不況はメルヘンな世界にも現実をもたらすらしい。

2010/01/29

地球の舳先から vol.153
フィンランド編 vol.2

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イエメンに行くより前に予約のリクエストを入れていたフィンランド。
これが、チャイナ・エアーと永久決別したわたしが見つけた、旅を安く上げる方法。
旅行会社にリクエストだけ前々から入れておき、金額が発表になったらすぐに押さえてもらう。
気の向くままに、おもむくままに、とはいかないけれど。
ヘルシンキに着いたのは、15時半。太陽はすでに翳っていて、一面が青かった。
1日中太陽が沈まない「白夜」に対し、1日中太陽が出ない「極夜」がフィンランドには1~2ヶ月あり、
これは「カーモス」といって第5の季節と呼ばれている。
わたしは極夜といえば一日中真っ暗なのだと思っていたのだが、これは誤解で、水平線すれすれのところに太陽がくるために、あたり一面が「青く」なったままになるのだそうだ。
まさにヘルシンキ空港の夕方がこの「青い」状態で、ビール片手にスタンディングバーで相席したフィンランド人のご夫人にわたしは「これが1日中続くのがカーモス」と教えてもらった。
こちらから聞けば喜んで親切に流暢な英語で答えてくれるが、それ以上ぺちゃくちゃお喋りしまくってこないのがフィンランド人のようだ。

北の最果てで空港を降りて、文字通りわたしはひとりになった。
年末というのはむしょうにいろいろなものを整理したくなるものらしい。

スパホテルだというホリデイクラブ・サーリセルカで荷を降ろし、死んだように眠った。
のもつかの間、時差ぼけで数時間ごとに目を覚ましながら、朝を迎える。
暗闇から一転して、カーモスの青色に染まった町へと繰り出したわたしを待っていたのは、
息を呑むほど美しい、この世のものとは思えない光景だった。

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淡い青色に染まった街。外套のオレンジの光が、一面の白い雪に反射する。
木の風情を生かした建物と、樹氷のなかを一歩一歩、降り積もっては跡を消していく雪を踏みしめ、また新たな足跡がスノーブーツとこすれて音をだす。
ざっく、ざっく、という定期的な自分の足音しか聞こえない一本道。
道路といっても車道と歩道の境もなく、少ない車通りは、歩行者をみつけるとなんとなく止まる。

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「これがカーモス…」
わたしは文字通りすっかり空気に呑まれながら、サーリセルカという、日本人旅行者にはおなじみの北極圏の街を歩く。
寒すぎるからあんまり長時間散歩はできないかな、と思っていたのだが、1時間もあれば街の中心部がぐるっと回れてしまうコンパクトで便利なところ。
大きな主要ホテルが目印のようになって道がつくられている。
ホテル街を抜けるとスーパーマーケットにショッピングアーケード。
そのとちゅうに、可愛い雑貨屋さんがこぢんまりと佇む。

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街の入口である小さな協会に着いて、サーリセルカ一周は終了。
大きなホテルに併設してあるアクティビティツアーの受付で、トナカイぞりとスノーモービルを予約し、一旦暖をとるために帰った。

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