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2008/12/08

地球の舳先から vol.102
世界の宿泊事情 vol.3
~北朝鮮編

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平壌は観光地である。中国人がうじゃうじゃいるので不快だが。
北朝鮮には、日本人観光客が多く泊まるホテルが2つある。
ひとつは川の中州に浮かぶ高級ホテル、だがわたしは安いほうにした。
ガイドに両脇を固められての観光しかできないため、どこまでも一緒。
2人のガイドはわたしの隣の部屋に泊まるのだという。それが決まりなのだそうだ。
無断外出は禁止なので、夜勝手にホテルから出ると「スパイ罪」で捕まると言われる。
そんな説明…というよりは忠告を聞きながら、わたしは学校見学を経てホテルへ入った。

高い天井のロビー。中央には視界におさまりきらないほど大きい金日成・正日親子の水彩画。
ホテルのフロントには数名の美女軍団。にっこり微笑みかけてくる。
そして、水を打ったように静かだった。このホテルは日系の経営で、主に日本人と欧米人を
泊めるため(中国人とは隔離されるようだった)あまり人がいないという説明を受ける。
無駄に広い廊下には赤じゅうたんが敷かれ、金親子写真展のように色々な写真が飾られている。
ミサイルの前でご満悦の総書記の御姿もあり、「ひぃぃ」となる。

朝食はホテルで食べたが、そのへんの川でとってきたような貧相な魚とキムチいっぱい、
それにのりとおかゆ。市街のレストランではいろんなもの(犬とかアヒルとか)が食べられたのだが。
地下にはカラオケルームがあり、日本の曲もたくさん入っているというか日本語の本さえ用意がある。
しかし多くの曲が黒で塗りつぶされており、日本の戦時中の教科書を思い起こす。
ミラーボールにラグジュアリーソファと、カラオケというよりどこぞのクラブのような雰囲気で、
やっぱり両脇をガイドに囲まれた欧米人とカラオケして交流をはかる。
ホテルの売店にはなぜか賞味期限切れの日本のお菓子やら三菱鉛筆やらサッポロビールやらが
あり、国交がないはずなのになぜ日本製品が…と思うがあえて突っ込まないでおく。

部屋はとても広くてきれいでとてつもなく殺風景だった。人気がないというか、拒否しているというか。
10月終わりといえど大変寒かったので、早速お湯を張ってどでかいバスタブにつかる。
「よくわからんなこの国は…」などとひとりごとを言いながら入浴剤にまみれていると、
突然部屋から「ガタンッ」という不信な音が聞こえた。

北朝鮮旅行を終える頃にはこの国のスタンスがわかり始めるものの、これは1日目のこと。
パスポートも携帯も取り上げられ、右も左もわからずに様子見をしていたわたしはそのとき、
心のどこかでこの国に旅行することを恐れていたのだとその不信な音を聞いて初めて気付く。
…おいおいおい、なんだよ今の音は。
そう思いながらでかいバスタブの中を水音をたてないように移動する。

開け放したバスルームのドアから、カーテンが揺れているのが見えた。
…窓が開いている…?
そんなわけはなかった。これだけ寒いのだから締め切って暖房の温度を上げ、
落ち着かないのでカーテンも閉めたのは10分も経たない前の自分自身の行動だった。
揺れる赤いカーテンと、さっきのガタンという音。窓が“開けられた”のだ。

こういうとき、不思議とドキドキしたりパニックになったりしないものらしい。
わたしは頭が急によくなったように冴えてきて、次の行動への考えを組み立て始めた。
まずバスルームで、このまま逃げてもいいようにさっき脱いだ服を着る。
どこへ逃げるのかはよくわからないが、身だしなみは大事である。
それから忍び足でバスルームを出て、広い部屋を見渡した。
部屋に備え付けられた電話の受話器を取る。
…電子音が聞こえてこない。使えないようだった。
…なに…。
ますます不信感は広がる。

人の気配は、相変わらずない。流れ込む冷たい風だけが部屋の中に妙な波長を生んでいた。
わたしは意を決して、エイヤと部屋に入り、赤いカーテンを引いた。
すると、そこには…
窓ガラスが窓枠ごと落ちていた。老朽化か手抜き工事か、窓が外れて落ちた(だけ)らしかった。

「ワーーーーーーー」

わたしはここで初めてそう叫んだ。
人間は恐怖のさなかではなく、恐怖が途切れたときに声が出るものらしい。
そういえば、強盗に襲われた人とかも「最初は声が出なかった」とよく言う。
「スパイかと思ったよ!!!!!」
と窓枠にむかって怒り狂って文句を言い、フロントへ行って部屋を変えてもらった。

あれだけ下調べをしてから「これなら大丈夫」と自分なりに判断して渡航に踏み切ったが、
日本人として心のどこかに潜在意識というものは絶対的に在るものらしい。
だってあのときのわたしにも、「拉致」と「スパイ」の2語しか浮かんでいなかったのだから。

人騒がせな事件であるが、いろんな新発見のあった北朝鮮初夜の出来事だった。

2007/06/11

地球の舳先から vol.12

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北朝鮮旅行記vol.10(最終回)

最後の夜を明け、とうとう北朝鮮を去る朝がやってきた。
中国産の入浴剤を入れて、ちょっと見かけないくらい大きなバスタブにつかる。
テレビからは、日本のNHK-BSが流れてくる。

世界ってなんだろう。

詰め込まれる歴史も、価値観も、概念も、誰かに組み込まれたものなのだ。
「日本は戦争をした悪い国だ。アメリカが正してくれたんだ。」
徹底的に母国を否定されて育った私には、いまだに日本への意識が希薄だ。
前提が違いすぎる。

完璧な国なんてない。
日本だって、食糧もなければ石油もない。
その代わりに、テクノロジーを売り、システムを売っている。
ダメな戦争はした。
それでも今は、多くの国を援助している。

それはそれでいいのだ。
広い立場で考えれば、世の中はギブアンドテイクだし、結局は自国の利益追求が支えあいにつながる。
それは人権団体の語る「支えあい」よりもずっと現実的で、ずっと有益なものだ。

無言の圧力と説得力のある、平壌の町。

朝ごはんは質素だ。
素かゆに、のり、明太子、キムチ、
そこの川で獲ってきました? みたいな、怪しげな小魚。

空港まで、お世話になったリムジンが送ってくれる。
現地の旅行会社の、社長も送りに来た。
「あの金日成のバッヂは、皆さんつけているんですか?」
「…外国人…とくに日本の方には理解できないかもしれません。
 しかし私たちは本当に、主席を父と思い慕っているのです」
「…わかります」
私の言葉に、彼は少し驚いたようだった。
いや、もしかしたら心外だったのかもしれない。

軍人の、それは単に「数」の多さ、
部屋の明かりだけが空中に浮かんでいるかのような、夜の暗さ。
人々が彼について語るときの口調、一種独特な笑顔。
それらは私の心にでも頭にでもなく、目に焼きついている。

主張を捨てるくらいなら、電気も米も要らないと本気で思っている人が確かに存在する。
たとえそれが洗脳と呼ばれる種のものであったとしても、
私たちに彼らの「今」を犯す権利はない。人々はひたむきに生きている。

世界は、衝突し合わなければ存在し得ないのだろうか。
人と世界は互いに傷つけ合う、そんな「業」をあらかじめ持っているような気さえする。
他人に対する干渉など、本来必要もなければ権利もない。
憎みあわずには均衡を保てない、見えざる力を感じた。

それなのにここの人々や風景は、なぜか私に懐かしさと哀愁を思わせる。
それこそが、両国が良い関係を結ぶことはないだろうという感覚に変わる。

ルールさえ守れば、旅行者にとって危険な国ではなく
訪れればきっと、目と感覚でしか受け取れない「別世界」を感じるはずだ。

パスポートと携帯電話を返却してもらう。
出国審査を終え、空港から一歩出て外階段を降りるとき、
ふと胸に迫るものが涙を誘った。
ガイドたちとの別れの寂しさでも、この国を離れる悲しさでもなく。

振り返って、きっと最後になるであろう一言は、
韓国企業で働いていたからだろうか、「純血ですか?」と聞かれることさえ多かった、
「アンニョンハシムニカ」

2007/06/04

地球の舳先から vol.11

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北朝鮮旅行記vol.9
(全10回完結)

いよいよ、マスゲーム鑑賞の日。
北朝鮮といえばマスゲーム、という方程式がどこかにあるが、
とりあえず行って初めて知ったのは「マスゲームは主役ではない」こと。

彼らはあくまで「背景隊」と呼ばれ、主役はステージで踊ったり歌ったりする人なのだ。
写真は、上半分の文字の部分がマスゲーム。結構面食らう。

小さな電光掲示板にテロップのようにテーマやメッセージが流れる。

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こちらはオープニング。
マスゲームを構成するのは、4万人。
学校単位で予選大会があり、10万人の中学生の中から選抜された人しか出ることができないという。

この祖国統一の願いを込めたステージ「アリラン」は、今年で2回目。
(ちなみに私の観に行った翌年からは中止。つくづくこのとき行っておいてラッキーだった)
第1回目の2002年は、アメリカのオルブライト長官も日本の政治家も訪問。
オルブライト氏は「感動した」と言って米国内で大バッシングを受けたという。

でも実際見てしまうと、ちょっとこれは感動するしかない。
私自身はどちらかといえばマスゲームを「人権侵害だ」のように否定的に見ていた方なのだが、
それも「民主主義」「個の尊重」を前提とする国で生まれ育ったゆえの一方的な価値観によるもので、
対極として、すべてみんなに合わせることを美しいとする文化があってもおかしくはないと思わされる。
(もちろんそれは生存権や諸処の制限とは別次元の話であれば、という前提だが)

同じく「合わせることが最優先」でも、アメリカのチアリーディングなどは「全体主義だ!!」とは言われない。
せめてこういう芸術分野だけでも、偏見を抜きに見たいと思った。

実に美しい。それに尽きる。
どう指示を出しているのか、コンマ何秒の世界で背景がばさっと変わる。

たぶん北朝鮮の人にしかできないし、
これはこれで一種の伝統舞踊として大事にしてほしい。

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↑国旗。
しつこいようだが、上半分の国旗の部分がマスゲーム隊。
幼稚園生が出演する部もあり、国民全員サーカス団なんじゃないかと思わされる。

ちなみにマスゲームの練習だが、祖国奪還記念日の8/15から毎日行っているらしい。

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↑金日成主席。
ちょい暗い。そしてここから、だんだん明るくなっていくという演出。
これがマスゲームだっていうんだから、驚き。

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↑この向かって左の物体は…
ええ、ミサイルです。
(こういうパフォーマンスはどうかと思いますが)

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↑先軍政治を称える章にて。
中学生の男の子たちが人民軍の制服で銃を振り回して踊る。

しかしとある資料によれば、北朝鮮は現実的には戦争はできないという説もある。
この国には石油が年間50万トンしか入ってこないため、
戦車も飛行機も動かせないどころか、満足な演習すらままならない、という状況らしい。

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↑平壌市の夜景。
実際の街には、明かりは通っていない。
信号を作ったものの信号に流す電気がなくて、
交差点ごとに「人間信号機」が手旗信号で立っているくらいである。

「こんなに電気がないのに、どうしてアメリカや日本は核の利用断絶を迫るのですか?
日本だって原子力発電所はあるじゃないですか」
とガイドに訴えられると、返す言葉がない。
(しかし知見の深いガイドである)

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↑統一メッセージ。
青い形のものは、分断されていないカタチの朝鮮半島。
(問題なのは、北朝鮮の人々が、韓国の人はみんな統一を望んでいるのに、在韓米軍が邪魔をしていると信じていること)

余談だが、なぜか地球儀の日本が縮尺上異常に大きかったりする。

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↑クライマックス。
最後は平和ムードで、青い空に平和の鳥・ハト。

先軍政治は、小国が大国の間で生き残る苦肉の策だったと信じたい。
実際、北朝鮮の思惑に先進国がはまってしまっているのが現状。
北朝鮮の核が怖くて強硬姿勢に出れないアメリカ、日本もしかり。
北朝鮮の先軍政治を押し進めているのは、そうした先進国の外交態度による部分も大きい。
日米にも責任がないわけじゃない。
一概に北朝鮮だけを責めることはできないと思う。

戦争をしたくてする国なんてない。
それしか国が生き残る道がなかったのであって、
北朝鮮だって平和を望んでないわけなんかじゃない、
そう信じたい。…と、この日の旅ノートには書いてある。

2007/05/28

地球の舳先から vol.10

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北朝鮮旅行記vol.8

それっぽくない北朝鮮の風景。
平壌(ピョンヤン)にある噴水公園。
向かいには図書館があり、図書館といっても学校を兼ねている。
社会主義の北朝鮮では、ほんとに頭が良く、家柄も良くないと大学に行くことができない。

そこで、この図書館で、語学から生物、化学、コンピューター、工学、音楽、文学…などさまざまな「授業」を無料で受けられる制度ができたという。
中を見学させてもらったが、本当に普通の授業。
前に黒板、プロジェクタ。レジュメと教科書で先生が授業を進める。
ちなみに授業はビデオ録画もしていて、好きなときに見ることもできる。

そして勉強に疲れたら外に出て、この噴水公園でマッタリするらしい。
私のガイドさんのお姉さんがこの図書館で働いていて、いいところだからと言って連れてきてくれたのだった。
結婚式を挙げたあとにここで写真を撮る人も多く、この日も2組のカップルがいた。

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仕事を終えた労働者たちや、兵役中の人民軍兵士たちも利用する。
兵役中の人は、兵役中にここで勉強して、兵役が終わってから大学に進学する人もいるという。
当たり前だがどこかの国とは意識が違う。

ちなみに北朝鮮の兵役は、17歳から10年間。
どうりで、この数だ。車で移動していても、歩いていても、軍服の数にはびっくりする。それは単に「数」の多さ。
日本人の私はそれを、「青春丸つぶれ」と思ってしまうが、彼らにとっては青春時代に身を挺して国を守ることこそが幸せなのかもしれない。
平壌では決して見られなかった、農民や土木作業の人々。わらを運ぶ人々。
彼らにとっては、金日成の思想を捨てるくらいなら、一日数粒の米で餓死したほうが幸せなのかもしれない。
ここへ来る前私は、やっぱり私の基準による「幸せ」でしかものを図れないから、「そんな幸せがあるわけない」と信じて疑わなかった。
「彼」が怖くて、権力でしょうがなく金日成万歳、とやっているんだと思っていた。

が、そんな単純なものではない。
立ち止まって肖像画を見上げる人々の顔、金日成を語るときに豹変する彼らの厳粛な口調。

彼らには彼らなりの幸せがあるわけで、「民主主義」や「個の尊重」を当たり前だと思っている私たちがその価値観から、彼らの幸せを批判したり否定したりする権利はないんだろう。

突き放しているようだが、
わかろうとすること自体が間違っているのかもしれない、とも思う。

写真を撮っていると、一度空港で会った、旅行会社の日本部の部長さんが
「ユウさーん!!! まだ怖いですかー???」
と遠くから手を振ってきた。その顔は自信たっぷりである(笑)

2007/05/21

地球の舳先から vol.9

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北朝鮮旅行記vol.7

滞在2日目、とうとう最大の目的のひとつである38度線へ。
地名は「板門店」。数々の映画の舞台としてもすでにお馴染みの軍事境界線だ。
半径2キロが武装解除区域。その2キロ以内では、農民が野良仕事をしている。
韓国側はセキュリティがかなり厳しく、服装の制限があり写真撮影も禁止だという話だが、北朝鮮側はフリー。
(韓国側から38度線を訪れるほうが、相手が北朝鮮だから危ないという説がある)

停戦協定所を見学した後、突如ガイドと引き離されて挙動不審になる私。
ガイドはにこにこと「いってらっしゃい!」と手を振っている。
ここから先は、観光客ひとりに対して人民軍兵士がひとりついて案内をするのだという。
兵士はかなりフレンドリーで、私も金日成の碑の前で人民軍兵士とツーショット。
成田で発見されたら確実にアウトな物的証拠である。

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私の護衛&説明をしてくれた人民軍兵士は、日本人相手と知ると興味津々。
しかも若い女性がひとりで旅行に来るなんて、相当稀なのだそうだ。(まあ、そうか)

北朝鮮のイメージが実際に来てみて変わったと伝えると
「是非ひとりでも多くの日本の方にそれを伝えてください。
 今すぐは無理でも、両国が関係を改善していければ、素晴らしいことです。
 私は2国両方の未来がともに明るいことを心から望んでいます」
とのこと。
日本と朝鮮は大変微妙な関係なのに、そんなことをこの国で堂々と言える彼はカッコいい。
かなりの高官だったようだが穏やかでいい人そうな軍官で、私が何を言っても終始遠い目でニコニコしながら話していた。むしろ達観か。
会った中で、一番印象に残っている人でもある。

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これが境界。
人民軍兵士が向かい合って立っているその足元の、50センチ幅のコンクリがそれだ。
城壁があるわけでもなく、またげば超えられる小さなものが国を分けている不思議。

人民軍兵士が、また質問をしてきた。
「この民族の分断された様子を見て何を感じますか?」
来た来た。日本人には必ずこの質問をするのだとガイドブックに書いてあったのだ。
ちなみにそのガイドブックには、「ひとつの民族が悲しい歴史によって分断されているのを目の当たりにし悲しい気持ちです」と言えと書いてあった。
が、島国で戦争も知らない世代の私にそんなことを言う筋合いはなく、ただ率直に
「不自然です」
と言った。確かに何かが変だったのだ。1本の線。それはホントにただの「線」。
周りの土地の形も、山あいの具合も、南北で何も変わりはしないのに、
横たわる現実はといえば、そのコンクリの線を挟んでこっち側はでこぼこの石、向こう側は綺麗に舗装されたコンクリだってことだ。
ただ不自然だなと思った。

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板門店の帰りに寄った古都高麗で食べた、宮廷料理。
豪華すぎる。食器が全部金なんだとか。ハシが重いですけどね。

別れ際の私の最後の質問に、彼はやはり私にはわからない答えを言った。
「どうして統一を望むのですか?」
「同じ民族だからです」

2007/05/14

地球の舳先から vol.8

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北朝鮮旅行記vol.6

平壌で日本人が観光に訪れる場合、多くはある2つのホテルのどちらかに泊められることが多い。
ひとつは川の中州に立つ最高級ホテル、もうひとつが私も泊まった高級ホテルだ。
この2つのホテルには両方とも、カラオケボックスが入っていることで有名である。

せっかくなので、ガイドさんと一緒にこの名物カラオケへ行く。
なんせ夜はやることがないし、ホテルの中でも誰ともすれ違わないし、ホテルから勝手に一歩出ればスパイ罪でとっ捕まるのだ。
おとなしくマッコルリでも飲んで、1曲だけ知っている朝鮮の歌でも歌っていたほうが得策である。

日本の曲も、演歌を中心に結構入っていた。
写真は、カラオケの本。(日本の曲専門の本)
本自体はそのまま日本から入手しているので、その上からグレーで消されている歌や歌手がある。

思わず、戦時中の日本が教科書の都合悪いところを黒で塗りつぶしていたことを連想せずにはいられない。
大日本帝国との共通点を挙げればきりがない気がする。
金日成崇拝も天皇崇拝と精神構造としては似ているし、日本人だってあの時代は涙腺が天皇に感じるようにできていたのだ。
北朝鮮が半世紀も続いてるのは奇跡のようだと人は言うが、大日本帝国だって4分の3世紀も続いたのである。

この「黒塗り」の基準だが、在日の歌手や平和礼賛(ビートルズとかね)が対象のようであるが、
ドリカムなどの歌も何曲か塗りつぶされていた。
このことについては特に触れもせずガイドにも聞かなかったので、明確な基準は闇の中。

カラオケといってもいわゆる個室ボックスではなく、スナックとかでコーナーにステージと機材が置いてある感じ。
ここもバーで、だいたいの客がガイドと一緒に来る。
私はガイド2人とも女性だったが、2人とも男性の客も中にはいて、黒スーツに金日成バッヂをつけた人に両脇固められていたりする光景は、わかっていても結構ものものしいものがある。

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この日は中国人の客が2組と、ヨーロッパからのお客、それに私たち。
みんながそれぞれの国の歌を歌い、なんだか6カ国協議のようである。

言葉がわからなくても歌なら通じるので、みんな聞き入って飲んで拍手して結構大盛り上がり。

ちなみに金正日(ジョンイル)さんは極悪非道の悪党扱いされているが、芸術にかけては天才そのものだったらしい。
(キューバに住んだことのある私はアメリカによるキューバ報道の偏りを肌で経験したため、日本による北朝鮮報道も結構話半分に聞くことにしている)

映画監督、本、詩、などなど、若い頃はすごかったらしい。
泣ける映画を撮って重鎮たちの支持を勝ち取ったとも言われている。

そして実は正日さんの政治のやり方には、北朝鮮人でも疑問の声があがっている。
悪口なんて言ったら拘束されたりとかするのかと思っいたのだが、人々は結構言っていたりする。
といっても面と向かっての批判というのとはかなり違い、
「今は金正日同志は政治、経済、外交などおひとりで全てやられているので、とても難しい状況になっています」
という感じで、ここはニホンジンとして過剰反応してはならないところだ。

それにしてもそんなに才能があるのなら、テポドンとか言わないで文化交流から始めてほしい。

が、日本もやっぱり十字架を背負ってはいるのだ。
「曽我ひとみさんを拉致しましたね?」と言ってみても
「日本軍は戦時中、朝鮮から2万人を強制連行しましたね?」と言われると
「だってしょーがねーじゃん、それは戦争だもーん」なんて言えないのもまた当然だ。
「あたしは戦争中は生まれてないもん」と言ってみたところで、
「私も曽我さんを拉致していません」と言われれば同じことである。そして
「はぁ・・・すいません」と言うと彼らも
「私たちも日本人の拉致については非常に心を痛めています」とくるのである。

だんだん、世の中と歴史がよくわからなくなってくる。

2007/05/04

地球の舳先から vol.7

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北朝鮮旅行記vol.5

北朝鮮では、建築は大事な政治要素のひとつである。
みんなででかいものを作ることによって、「全体性」を高める国家事業。
だから、国が傾いてきたときに限ってでかいものを作る、とも言われている。

↑こちらは、展望室から臨む平壌市。
案外都会で驚かれる方が多いことだろう。
正面の三角形のものは、108階建てのホテル(ただ人と電気の不足で何年も工事停止中)
工事停止は北朝鮮国家的にあまりオープンにしたくないので写真撮影は止められる、とガイドブックには書かれていたが、そんなこともなかった。

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↑こちらは、チュチェ思想塔。

チュチェ思想とは、一言で言うなら金日成を崇めよという思想。
宗教というよりは戦時中の日本の天皇制にイメージが近い。
高さ170m(その内烽火の高さ20m)。世界で最も高い石塔。
70階建てにあたり、エレベータ料を払えば最上階の展望室に行くことができる。

四角い塔の四隅に、表18段、裏17段の段があり、これをあわせると70段。
(=金日成主席の生誕70周年に作られた)
塔は石を積み上げてできていて、この石の数が25,550個、つまり70年×365日。
(=金日成主席の生きた日数)
塔の川面に埋め込まれた石碑にはチュチェ思想を称える文章が12個書かれ、この石碑の大きさが4m×15m。
(=金日成の生まれた「1912年4月15日」を表している)

…という、なんともすごい凝りっぷりである。
すべて記憶していて平静にぺらぺらしゃべるガイドも凄いが、私も死ぬ気でメモを取った。
勉強熱心な日本人だと思っていただけただろうか。

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↑朝鮮労働党のシンボルマークの像。
労働者、農民、インテリがそれぞれハンマー、かま、ペンを持っているモチーフ。
北朝鮮では花崗岩が豊富にとれるらしく、これもすべて花崗岩。

写真両脇に写ってるのがマンションで、約30階建て。(というところで大きさを想像してほしい)
この像を作るOKを出した翌日に主席は亡くなり、ジョンイル氏の「悲しみを力に変えろ」との号令でこれをわずか1年で完成させたという(もちろんすべて手作業だ)

ちなみに平壌のマンションにはすべて名前がついていて、この両脇のマンションの名前は、
向かって左側が「百戦」、右側が「百勝」(笑うとこ…ですよね?)
「オレさー『百戦』の4階に住んでんだよねー」
などという会話が交わされるのだろうか。非常に興味深い。

2007/04/30

地球の舳先から vol.6

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北朝鮮旅行記vol.4

そんなわけで、平壌の地を踏んだ私。
前評判どおり、自由旅行は禁止されている。
ガイドという名の監視役が2名(私より日本語がうまい)、専用ドライバー1名、そして専用リムジン1台。
軟禁状態で乗せられた車で平壌市に入ると、ときは中国の胡錦涛主席が訪朝していた。
側道には「同志胡錦涛主席熱烈歓迎」のように中国語で書かれた垂れ幕がどこまでも続く。
北朝鮮は朝鮮語であるから、当然これは中国からの訪朝者に向けたアピールだ。
同じ時期に中国から北朝鮮に渡ったので、どこか不思議な感じがする。

リムジンの中では、日本から手配した北朝鮮の旅行会社の社長も同乗。
北朝鮮のイメージを聞かれ、私が素で「コワイ」と答えるとガイドさんが笑って「怖い? どうして??」と無邪気に聞く。

ホテルのロビーには、巨大な金日成&金正日の肖像画。
ホテル内はほとんど金親子写真館と化しており、ミサイル施設をバックに微笑む写真もある。
このホテルは経営と建築に日本の会社が絡んでいるらしい。
いつの時代のものかわからないパッケージの、アサヒビールやシャープの鉛筆が売店にある。

部屋は40平米近くあったのではなかろうか。かなり広かった。
手足を伸ばし尽くしても大丈夫なバスタブに、豊富に出るお湯、冷え込む冷気を感じさせない暖房。
きわめつけはNHK-BSが映ったことで、私は北朝鮮で浦和レッズのゲームをテレビ観戦。

荷物を置くと、さっそく中学校を訪問する。
時間が遅かったので、普段観光用に開放している中学校は閉まっているらしく、近くの学校へ。
もちろん中学校の校舎にも、でっかい金日成主席の肖像画が。
この学校は金日成と縁のある学校らしく、中庭の高台にいくつかの小屋がある。
チマチョゴリで説明にあたってくれる女性教員の、その施設を眩しそうに見上げる目がマジである。

校庭で学ランでサッカー。日本と大して変わらない光景だ。
校内ではコンサートの練習会を見る。
綺麗に化粧して衣装をまとった中学生が、ピアノやギターや歌を歌う、舞台の練習。
ステージ上の彼らは、ものすごく豊かな笑顔を浮かべていて、私はそれにびっくりした。
日本だと、このくらいの子供の頃は「笑って!」とか言われても笑顔をつくれないものである。
そしてさらに驚くべきだったのは、演技とは思えないほどの自然さがあったこと。
体でリズムを刻み、右や左に腕が揺れる。
その動きはまったくみんな一緒なのに、本当にひとりひとりが、心を込めてその表情&動きをしているのがわかる。
ここは演技の学校ではない。ただの中学校だ。

私は唸った。
差別と恐怖は紙一重だというが、権力に対する畏怖にも似た思いが襲った。
何度も言うが、私は右でも左でもないし、反中ではあるが反朝ではない。
むしろ平壌に一歩足を踏み入れたときには北朝鮮の人々にどこかしら安心と信頼を持っていた。
そういった次元とは別に、場の空気の中に、人の表情の中に、「権力」を感じたのだ。
気のせいだったのかもしれないが、「目に見える」権力というものを初めて目にした気がした。

日本にいれば当然だが、恐怖政治だの独裁に押し付けられているだのという面を想像するのは容易い。
しかし、北朝鮮の人のそれは、そういうのとはどこか違っていたのだ。

…違う世界に来たな。
良い悪いじゃなくて、「違う」。
校庭の砂利石を蹴飛ばしながら、否定でも肯定でもなく、不思議なほどフラットにそう思ったのを覚えている。

2007/04/23

地球の舳先から vol.5

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北朝鮮旅行記 vol.3

こうして高麗航空のあたたかい人々のおかげで無事北朝鮮入りした私。
入国審査もビデオカメラ回し放題。
私と目を合わせてから急にブースを開いた入国審査官の姿に必要以上にびびるが、
眉間にしわを寄せて入国カードにスタンプを押すと微笑んで「カムサハムニダ」と言った。
スタンプを押すのは、入国カード。パスポートには押さない。
北京を出てからふたたび北京に入国するまで、私には記録上「空白の4日間」が存在することになる。

飛行場では、青い高価そうなチマ・チョゴリを着たガイドさん2名と、
専用ドライバー、それに現地の旅行会社の社長が勢ぞろいで出迎えてくれた。
にこにこしながら私のパスポートと携帯電話を没収する。
この国ではそういうきまりになっているのだが、やはりちょっと不安がよぎる。
「ここのところ寒いですから、お体に気をつけて」
私より流暢に尊敬語と謙譲語と丁寧語を操る彼女は、外国語大出身だという。

北朝鮮旅行では、国の指定するガイドをつけ、国の指定するドライバーで旅行をしなくてはならない。
実質自由旅行は認められておらず、24時間軟禁状態におかれる。
しかし、私は北朝鮮観光本の言うような
「ガイドに何か聞かれたらウソでも模範的な回答をしないと、当局にチクられ連れて行かれる」
というところまではさすがに信じていなかった。

しかし彼女たちと話をしていると、
ここを訪れる日本人たちがそのアドバイスを鵜呑みにし、
彼女たちの喜ぶようなことしか言っていない事実がわかる。

日本の国民の9割は北朝鮮との国交正常化を望んでいる。
日本の国民は靖国参拝に反対している。
日本の国民は南北朝鮮の統一に皆賛成している。
…これらを、ここを訪れる日本人のほとんどが言っていたと彼女たちは言うのだ。
(そしてきまって、私のことを外道右翼扱いするのだ)

まあ、未だに北朝鮮を扱う日本の旅行代理店にいちばん多く寄せられるのは
「生きて帰って来れますか…」という質問だという。

その点私は旅行中、実にガイドに喧嘩をふっかけていた。
「あなた方の尊敬する金日成主席の考え方は、
他国の罪もない人を拉致することを肯定するという主義なのですか?」
「その教育は洗脳ではないのですか?」
「金日成をどうして崇めるのですか?明確な理由があるのですか?」
「どうして自由旅行を禁じるのですか?見せたくないものがあるのではないのですか?」

また、ガイドもよく喧嘩をふっかけてきた。
「靖国問題が国際的に批判されていますがどう思いますか?」
「中国の領土を自分のものだと言い張るのはなぜですか?(竹島のこと)」
「植民地時代に2万人を強制連行したことを考えれば、
拉致など小さな問題だとは思わないのですか?」

そのたびに、私と2名の現地ガイドは願わずとも討論にならざるを得なかった。
私は日本をいい国だなんてあんまり思ってなかったし、
日本人としてのプライドとか愛国心とかないつもりだったけど、
実際に露骨に批判されるとどうしても擁護したくなるということに気付く。

そして私たちが互いに気付いたのは、
お互いを説得するほどの明確な理論も根拠も持っていないということだった。
ガイドと客だからといって議論が軟着陸することもない。
自分の思うことを「翌日のプレゼン資料」のように書き連ね、夜が明ける日もあった。
何より自分の国のことを考えさせられた4日間だったと思う。

「工作員がやってくる」
「拉致される」
「ガイドに密告されて当局に消される」
という思いは、夜ひとりになったりすると、一瞬だけど湧き上がってくる。

夜に入浴していて、ガタンという大きな音がしたことがある。
あわててバスルームから出ると、壁一面くらいに大きい、締め切ったはずの窓のカーテンが揺れていた。
ろくに確かめもせずにガイドの内線番号を頭の中で反芻し、上げた受話器には電話線が通っていない。
単に老朽化と強風で窓枠が落ち、電話もこの国では頻繁にある停電のせいだったのだが、
このときばかりは「あたしももう終わりだ」と思った。
今となっては笑い話であるが。

馬鹿げた話だけれど、あの光一筋入らない平壌の寒く、異常に静かな風景を
見ていると、ここが世界の一部ではないような、無性な不安にとりつかれたものである。

次回からは、北朝鮮1日目からを振り返りながら具体的な旅行のことをお話しようと思う。

2007/04/16

地球の舳先から vol.4

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北朝鮮旅行記 vol.2

どうでもいい話だが、わたしはよく入国審査で止められる。
友人と女2人で旅行してわたしだけ「有り金を全部見せろ」と言われたり、
「顔写真のついた証明書をあとふたつ出せ」と言われたりする。

19の頃にキューバに住んでいたことがあって、
イスラエルの入国スタンプがあるとヨーロッパを自由に行き来できないように
キューバの入国スタンプがあるとアメリカ国内を自由に行き来できない。
加えて、メキシコで「あっ、かすれちゃったからもう一度」という
アホな入国審査官が入国スタンプを2つ押したりしたせいで
わたしのパスポートはかなり汚れている。かなり。

その割に写真欄は、自分でもみたことのないような爽やかな笑顔なので
こりゃ胡散臭くもあるわけだ、と思わないこともない。
とにかく、愛想笑いと愛嬌は裏目に出る。
目を合わせずに「Hello」も言わないほうが、実はイイ、というのが実体験だ。

そんなぐるぐるした思いを胸に秘めつつ、経由地である北京へ飛んだ。
日本と北朝鮮には、ご存知のとおり国交というものがない。
日本で航空券や現地に入国してからの手続きは終わらせたが、
肝心のビザは北京の朝鮮大使館で取らなくてはならないのだ。

時は、嫌中・反日ムードが高まっていたご時勢。
わたしは右でも左でもないつもりだが、
どんな無法国家といわれている国ですら、そこだけは厳粛に敬意をもって受け止める
サッカーの試合前の国歌演奏にブーイングなんぞ浴びせられれば、中国を嫌いにもなる。
そして、嫌悪感というものは絶対に、体の外の雰囲気に染み出すものなのだ。

手配をかけてくれた大阪の旅行代理店も、
「生きて帰って来れますかね」と茶化すわたしに、「北京の滞在だけが心配」と告げた。

結果からいうとわたしは北京で4回ほどハメられ、
そのうち1回は冤罪で警察に取り調べされかけるという羽目になるのだが
そのエピソードは愚痴になってしまうのでここでは控えることにする。
(が、わたしの中国に対するイメージが落下したことはいうまでもない)

特筆すべきは、騙されて6時間迷った挙句たどり着いた朝鮮大使館の対応である。
指定時間を過ぎていたにも関わらず、日本からその日にわたしが申請へ行くと
連絡を受けていた大使館は、ドアを閉めずに待っていてくれた。
加えてビザを取得後すぐに、北朝鮮の航空会社である「高麗航空」のオフィスへ
行って航空券を発見しなければならないわたしのために、超速で処理をした上
(この国で最初で最後となった)“悪意のない”タクシーを手配してくれた。
高麗航空のオフィスも実はすでに閉店時間となっていた。
わたしは半分以上もう北朝鮮入りをあきらめていたのだが、
小さなオフィスに7人程度のスタッフ(そして美女軍団である)は全員残っていて
わたしの名前を確かめると、わたし本人よりよっぽど安堵の表情を浮かべたのだった。

翌日、わたしは無事、平壌の地を踏む。
10品はあろうかという豪華な機内食、
美女スッチーがシートを倒してくれて毛布をかけてくれる、
若干やりすぎ接待のような、機内での時間を過ごして。
隣の軍服の男性3人組の胸に光る金日成バッヂを見ても、もう冷や冷やはしなかった。

ちなみに平壌の空港は撮影も自由で驚いた。
普通、飛行場や駅は軍事施設と同項なので、撮影厳禁の国も多いのだが
わたしも、テレビでよく見る、肖像画のふたつ並んだその飛行場をカメラに収めた。

好奇心が勝ったとはいえ、不安がまったく消えていたわけではない。
入国審査を超えたらすぐに、現地のガイドに預かられることになるパスポートと
帰りの航空券、すべての身分証にビザ…。
身分と立場を保証するものをすべて差し出す瞬間の覚悟が、必要だった。

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