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地球の舳先から vol.302
旅の準備 編
ユウさんはビルマ(ミャンマー)へ行きました。
この記事は、小人ではなく、出発前夜に本人が書いたものを予約投稿しました。
写真はイメージです。
ミャンマー。かつてのビルマ。それほどの印象しかなかったけれども、
数いる旅の猛者どものうち「ミャンマーが一番良かった」という人が結構いるのです。
なんでも、人がいいとか。そのほかにも安全だとか物価が安いとか色々あります。
でも、わかりません、ミャンマー。大日本帝国の戦争のイメージしかないです。
しかしよくよく調べてみると、トルコかミャンマーかというほどの親日国家とのこと。
東南アジアには軒並み恨まれている日本ですが(中韓はタカリ屋なので話が別)
あの戦争後、仏教国マインドといえどどうやったらそこまで親日になるのでしょう。
しかも、賠償などをいっぱいして時間が解決してくれたということでもなさそうで、
敗戦直後、焼け野原になった貧しい日本にミャンマーはいち早くコメ援助をしています。
ビルマで死んだ日本の軍人は、戦闘よりも、大本営の失策で兵站も断たれ、飢えや病気で死んだ人が多いそうで、ミャンマー人の中には、いまだに「あのとき日本の兵隊さんを助けてあげられなかった」と言う人も少なくないそうです。 …そんなにいい人で、大丈夫ですか。
そしてアウンサンスーチーさん。どうもこれは、現地で大使をやっていた人の著作によれば
「軍政はよくやっている。アウンサンスーチーさんは諸悪の根源で、西欧諸国にミャンマーを経済制裁しろと呼びかけていたり、最大の問題である少数民族との対話は拒否するなど、話にならない」という見方もあるようで、この見方の是非はさて置くとしても、少なくとも「スーチーさん=善、軍政=悪」という単純なバカでもわかる構造はやはりメディアレイプのようです。
ノーベル賞だって、アレですしね。スーチーさんは欧米の傀儡なんでしょうか。
あと彼女、韓国で日本批判演説とかしてるから、彼女が国のトップについたら、
ミャンマーも親日国ではなくなるかもしれませんね。まあ、そうはならなさそうですが…
そんなこんなで、どうも結局よくわからないというか、興味を持ったミャンマー。
実はもっと昔に行くつもりでいたのですが、なぜかいつも機をうしない、
そうこうするうちに数ヶ月前にホテルをとらなければ人気の宿はいっぱい、
というくらい、ミャンマー需要は高まっていたのでした。
「いざとなったら寺に頼み込んで宿坊させてもらえる」と前向きなアドバイスを頂きましたが
わたしはバックパッカーではないですので、そういう旅は根性がついていきません。
周到にホテルから押さえ、航空券はなんと全日空の直行が飛んでいたのでそれを押さえ、
ビザを取って、ついでに僻地のガイドと気球のツアーを予約しました。
そこまでやってから初めて『地球の歩き方』を買ったのですが、ページをめくれど寺、寺、寺。
寺以外の見所はないのでしょうか。たぶんないのでしょう。
いや、以前日本軍が従軍慰安施設にしていたところなどがあるのですが
キレイにリノベートして高級リゾートホテルになっていたりして、昔のそういうことは
ガイドブックには一文字も書かれない。変なところに観光客を連れて行くと現地の人間のほうが
尋常でなく罰せられるというのもなんともキューバ北朝鮮的、いや失礼、社会主義的です。
そんなこんなで、余計な詮索をするという楽しみも断たれ、
「美術館・寺(城)・遺跡」にまるで興味がないというか極力避けて通りたいわたしは
いったい何をしにミャンマーへ行くのか。完全に「やること」を見失って早数ヶ月。
突如、わたしは仏教に目覚めました。
なんか、仏教、すばらしいと思うんですよね。
どっかの宗教のように正当な理由があれば人を殺していいとか言わないし、ウィキペディアによれば“(仏陀は)「私を信じなければ不幸になる。地獄に落ちる」という類の言説は一切しておらず、死後の世界よりもいま現在の人生問題の実務的解決を重視していた。” んだそうです。
「神のご加護」なんてない。崇拝すべき教祖もいない。
仏教に目覚めた割には寺めぐりをして徳を積もうというほどには敬虔になれないのですが、
仏教が息づく国とそこに生きる人びとというのを、興味深く見てきたいと思っています。
あと、今度から外国で宗教を聞かれたときに「仏教徒だ」と答えることに嘘八百を感じずにすみそうです。
パスポートを取り替えてはじめての旅。
わたしなんかにもらわれてしまった不運なスーツケースも先日ちょうど10年でぶっ壊れ(よく頑張った)、最初の1ページをまた刻み始める旅になりそうです。
皆さまも、よいお年を。
地球の舳先から vol.258
イスラエル(旅の準備)編
常に不安定で、今回大規模空爆が行われたガザ地区だけでなく
そこから離れた、首都機能を置くテルアビブで爆弾テロと思しき事件が起きたのが、
わたしのイスラエル行きが黄色信号から赤信号へと変わった瞬間だった。
自爆テロは止められないし、停戦を迎えたとしても政局と関係なく起こる。
代わりの行き先も、そう頭を働かせずに、短時間で決めた。
しかし、出発1ヶ月前の11月30日を、リミットと決めて
わたしはイスラエル行きのチケットをホールドした。
どうせ、ここまで来てしまったら、72時間前までキャンセルフィーは変わらない。
9割方、心の中でキャンセルを決めていたものの、
現地の旅行会社に連絡をしたのは、ずいぶん経ってからだった。
Shalomというヘブライ語にすら抵抗を持っていたのに、あたりまえにメールの冒頭に
状況と彼らの身の安全を案じる文章を連ねている自分に驚いた。
向こう側の対応は誠実極まりないものだった。
わたしが行こうとしている場所は「基本的に」、治安に問題はない。
しかし不安はもっともだし、こういう状況なので全額返金で対応する。
が、あと48時間以内に状況が落ち着くという説もあるので、もう少し待ってはどうか―
単純に、心が痛んだ。
彼だって、ひとりの人間として、イスラエル・パレスチナ関係に思うところだってあるだろう。
大口顧客でもないのに何度となく面倒なやりとりを重ねた日本人に「危ないから行きたくないっ!」とある日突然いわれても、「あなたがどんな決断をしてもそれを尊重します」と言う、いや、言わざるを得ない、現代イスラエルという場所で観光業を生業にする人間の立場。
意地や情で、判断能力を失ってはいけないのはわかっている。
しかし、彼のオフィスとこの手配に関わってくれた5人ものスタッフ。
会った事もない人から、「彼らの国」へ行きたい、という気持ちが生まれていた。
ただ、たとえ今行っても、巻き込まれ事故を起こさないために、
公共交通機関の利用はかならず避けなければならないし、
カフェやレストランなどの現地の人が多く集まる場所も避けねばならないかもしれない。
どこへ行くにも「セキュリティ」の名のもとに尋問されたりして、嫌な思いも沢山するだろう。
しかし、それが今のイスラエルであることに変わりはないし
多少、情勢が変われど、短期間でかの地が根本的な問題の前進や解決を遂げるとは思えない。
つまり、わたしは、「最初から、そういう国へ行こうとしていたのだ」。
右手には、キャンセルすべき手配内容のリスト。
(航空券、トランジットのパリのホテル、イスラエル滞在中のホテル、送迎、現地ツアー…)
左手には、それはそれで十分に魅力的なプランBの行き先と、
「年にせいぜい2度しかない長い休みを棒に振るのか」という勿体ない気持ち。
この頃、すでに、イスラエル・パレスチナ間では、停戦の合意がなされていた。
そして、自身で一線を引いたリミットである11月末日のその日。
外務省は、騒動前のレベルまで、イスラエルの危険情報を引き下げた。
なんというタイミングだろうか。
旅行会社だけでなく、知人の伝手も辿って、現地から情勢に関する情報の裏取りをした。
ひとしきり世話になっている旅行会社に、ティベリアスという北部の町から
バスで帰ることをやめてエルサレムまで専用車を手配したらいくらかかるか聞いた。
路線バスが自爆テロ標的の筆頭、というのは、イスラエル人には常識である。
「テロ」という単語を出さずとも、わたしのそのリクエストの意図は正しく理解された。
「マネージャーと相談しましたが、エルサレムまでの車を追加料金なしでお付けします。
これは我々の会社のサービスで、喜んですることなので気にしないでください。
我々は、あなたのイスラエル滞在が素晴らしい体験になるよう、責任をもってコミットします。」
・・・えっ。
運と、縁と、タイミング。
一時、そのすべてに見放されたかに思えた「旅の三種の神器」は、手の中に揃った。
結論。
・・・行こう。イスラエルへ!
地球の舳先から vol.257
イスラエル(旅の準備)編
思えば、イスラエルは本当に遠かった。
何はなくとも、出国審査に5時間かかることもザラというイスラエル。
日本人(連合赤軍)が過去にベングリオン空港で銃乱射テロをやらかしたりしていて、
日本に対する関係もすこし特殊。
真っ先に心配したのは、今年の5月に行ったイランの出入国スタンプだ。
イランのアフマディネジャド大統領(←早口言葉ではない)が「イスラエルを地図から抹殺する」
とか言ったというのはアメリカの記者の誤訳だというが、敵対国の筆頭株には変わりない。
「えー、えー、わたしは今年イランに行きましたがイスラエルに入れますか。
えー、それはですね、アブソルートリー・ノー・ポリティカル・リーズン(ズ)でして、
えー、…」と、たどたどしい英語で、在日イスラエル大使館にメールを書いた。
わずか2時間後、美しい日本語でメールが返ってきた。
「お問い合わせの件ですが、基本的にアラブ諸国を旅行された方々の、
イスラエルへの入国を拒否することはございません。」
・・・あ、そーですか。
それから先が、大変だった。
とかく、「地上手配」と呼ばれる、現地の移動やガイドの手配が高額すぎる。
車と、ドライバー兼ガイドを借りて「1日」10~15万円などという法外な見積り。
ボッタクリだろう、とタカをくくって複数社を当たったが、ほぼ横並びでその料金。
それでなくとも航空券だって高いのに、3日もいたら破産する。
その「相場感」にしびれつつ、ようやく良心的な旅行会社と、行程の工夫を発見するが
ここまでに1カ月以上を要し、十何社もと、疲れきるほどメールのやりとりを行った。
航空券を押さえていたので後には引けないし、かといってわたしが行きたいと思っていた場所は
どこも、個人旅行で公共交通機関でふらりと訪れるようなところではなかったからだ。
正直な話、わたしはイスラエル「という国」が好きではない。
今だって、それは変わっていない。
様々な事情や理由があるにしたって、イスラエルのやる「殺し方」はちょっと異常の様相を感じるし、その原動力が過去の追憶とトラウマ(ホロコースト)であるにしたって、同情は禁じえないけれども、国民総集団神経症のような暴力には、どうしたって共感しない。
だから最初、現地の旅行会社からの「Shalom」(ヘブライ語でHello)という書き出しのメールに
同じように返すことができなかった。
「アッサラーム」(アラビア語)とは抵抗なく言えても、「シャローム」という響きは、全身が断固拒否した。
なんでそんな拒否反応を起こすような国に行こうとしているのだ、と、当然ながら自問自答した。
しかしメールの相手はいつも明晰にして臨機応変。かつ涙ぐましい調整努力。
いつしか、ディスプレイ1枚だけを通した「向こう側」を、実感を持って「同じ人間」と思うようになっていた。
「人」と「国家」は別物。そんな原点にも、あらためて立ち返った。
いよいよほぐれてきて、初めてディスプレイの向こう側に「Shalom」と返したのは、何度目のメールだっただろう。
向こう側からの返事は、「Dear Ms.XX」から、「Hi Dear Yuu-san!!」に変わった。
…そんなもんだ。人間なんて。
なんとか希望通りの、国境沿いをゆく行程が組めそうな算段がつき
ほっとひと安心してツアーの海外送金も済ませたところに、この空爆騒ぎである。
日増しに更新される外務省安全情報のホームページからは、希望など見出せない。
ここまでやりとりを重ねた徒労感に、もはや別の「プランB」の計画を練る気力もなく
わたしは、久しぶりにフルアテンド、もしくは団体ツアーの別案を当たり始めた。
執念深くまだつづく
地球の舳先から vol.254
イスラエル(旅の準備)編
pen online より
イスラエルへ行く、行く、と、ずっと言っている。
なぜなら、パスポートの有効期限切れが近いからだ。
このコラムで何度も書いている事ではあるが、
わたしはキューバの入国スタンプがあるばかりに
アメリカに入れないという、いわくつきのパスポートを持っている。
(普通、観光客は「ツーリストカード」というものに入国スタンプを押してもらうのだが、
留学ビザを申請していたわたしはパスポートにべったりとキューバ国家の名が
刻まれた。しかも、何ページも。)
こうした、国交断絶や外交上の問題から、
その国のスタンプがあるとその後の旅に支障をきたすということが
非常に少ない例ではあるが、世界には、いくつか、ある。
その代表例が、イスラエルだ。
もしかしたら、アメリカ以上に世界の嫌われ者かもしれないイスラエル。
占領地の実効支配を繰り返し、国連からも非難される
(が、決定的なダメージはアメリカの拒否権発動で回避してきた)
イスラエルのスタンプがあると、敵対国であるアラブ諸国から
入国を拒否される、という仕組み。
しかしいまのわたしに、怖いものはほとんどない。
パスポートはあと1年で切れる。
多くの国が、3~6か月の残存有効期間を求めるので、
実質的に「使える」のはあと半年といったところだろう。
それに、対立国である「アラブ諸国」のうち、
絶対に行きたかったイランとイエメンにはすでに行った。
狙っていたイラクとシリアには、情勢的にまだ当分行けそうもない。
リビアもとりあえず自粛だろう。
そんなわけで、
よし! 今だ!
となり、ダライラマ法王に会いに行くはずだった夏休みを仕事で返上した反省を
生かして、いち早く航空券を押さえた。先出しジャンケンというやつである。
それでも、年末年始のフライトの予約にしては、決して早い行動ではない。
すでに一番安いフライトはエールフランスという(わたしにとっては)最高級ブランド。
すぐさま目が眩み、パリで1泊ドロップして大晦日を過ごすことにしてしまった。
そして、わたしはイスラエルという国についてほとんど知らない事に気付く。
無宗教なので、聖地巡礼をしても感激もないだろう。
というか、わたしは異教徒(正確にはわたしは無宗教なので異教徒とはいわないが)
にとっての聖地に足を踏み入れること自体があまり好きではなく
ひとの土地を土足で踏み荒らしているような、不快な気分に囚われるのだ。
さて、どこへ行って、何をしようか?
いつものごとく図書館で大量に本を借りて、旅の準備を始めた。
世界的にも観光立国だというのに、意外と遠かったイスラエル。
難航した現地の手配も含めて、今回は「旅立つまで」も含めて
記していきたいと思う。
地球の舳先から vol.136
イエメン準備編 vol.6
どうやら旅先で襲われたり病気になったりすることを勲章のように語るバックパッカーが
多いので困ったものだが、わたしはとことん、トラブルに遭遇したことがない。
いや、遭遇しているのかもしれないが、最後は笑い話で終わることが多い。
インドで少年にボート代を5ドルと言われて離岸したあと「ボート代は5ドルだけど僕が漕ぐのに
あと50ドルだよ」と言われたときも、「じゃああたしが漕ぐ」とキレて漕ぎ終わって岸に帰ってきた後
「あたしが漕いだから50ドル寄越せ」と要求してビビらせたりとか…
だが、わたしにも怖い体験のひとつやふたつある。
それが、イタリアでのジャンキー事件と、東ティモールでの急性腸炎事件である。
イタリアはフィレンツェの街で明らかな麻薬中毒者に町中追っかけられて(彼の目的は謎だがとにかく追いかけられたので逃げた)全速力でフィレンツェの町を走りまくりホテルにゴールインしたのが、前者の「ジャンキー事件」とわたしが勝手に自分史のなかで呼んでいる事件である。
もうひとつが、一昨年12月に行った東ティモールでの急性腸炎である。
このほかにも東ティモールでは熱射病になって、国連軍御用達のホテルに滞在していたため
夜すが国連軍に看病されるという野戦病院的な親切を受けたのだが、帰国して腸炎を発症。
元々、落ちているものを食べても、腐っているものを食べても、集団食中毒でも、なんともなく、
会社の人と行ったオイスターバーで全員があたってもひとりぴんぴんしている人間で
およそ今までの人生で「お腹をこわす」という経験がなかったため、この衝撃は大きかった。
そのころわたしはすごく激務な会社にいて、弱ったカラダで僻地にいったのが元凶なのだが。
それからわたしの中では、「僻地で危ないのはヒトじゃなくて病気だ」という構図が出来上がった。
今度のイエメン行きも、いま、いろいろなWebサイトなどで、病気情報を調べている。
◆経口感染
いわゆるA型肝炎とか、B型肝炎とか、赤痢とか、腸チフスとか、サルモネラとか、
つまりざっくりいうと食中毒系である。イエメンでは、乳製品がとくに危険とのこと。
一番ポピュラーな「A型肝炎」は、ちょっとしたマイナー国に中長期滞在したことのある人間は
発症したことがあるかどうか、自覚があるかどうかに関わらず、ほとんどかならず1度はかかっているものらしく、免疫ができているのだそうだ。だから多分わたしもすでにどこかでやっている。
これは、僻地に限らずどこでもリスクのあるものなので(日本で牡蠣にあたることもある)除外。
ちなみにわたしは、旅に出ると人格が変わるらしい。
人と旅に出て同行者が病気になろうが盗難に遭おうが、放っておく。
いやむしろ、「かわりに色々見てくるね!」ばりに。だから余計と、デフォルトは一人旅、誰かと行くとしても、それなりにドライで個人主義な相手としか行かないのである。
恋人なんかと行こうものなら、出国“前”のほうの空港で成田離婚まちがいなし。
もっとも、結婚は修行であるから、新婚旅行で自分の抑制力と、相手の忍耐力を戦わせるというのは有効かもしれない…(何の話だっけ)
◆マラリア
これが9月から多いらしく、注意が必要だ。わたしはものすごく蚊にさされる。
蚊のいるところに行くときは、わたしを連れて行くとよい。なぜなら、わたしばかり刺されて同行者は無傷のことがほとんどだからだ。そのくらい、刺される。
今年もヤブ蚊で2度病院へ行った。そんなわたしにとって、蚊を媒介とするマラリアは脅威である。
どこぞの製薬会社が開発した「絶対刺されないパーカー」なる服を発見したがダサすぎて却下。
そういえばマラリアには予防薬があることを思い出し調べてみたが、副作用がすごそうである。
『不安、不眠、眩暈、錯乱など精神神経系の副作用が多く、悪心、嘔吐、下痢、頭痛、洞性徐脈、胃痛、皮膚症状、食欲不振等。副作用が強いため、出発の2週間前から試験的に服用し、それから現地入りするのがよい。』
…。錯乱…。 こまります。というわけで結局、いつもどおりキンチョーの蚊取り線香で対策とする。
日本の蚊取り線香は優秀だ。いつぞやイラクに派兵した自衛隊員は、他国軍と違い規律を重んじる日本らしく、イスラム圏のイラクに合わせて酒類の持込を自粛していたのだが、日本の蚊取り線香があまりに優秀なのでオランダ軍から「ビールと蚊取り線香を交換してくれ。頼む」と頼み込まれた、と知り合いの自衛隊員が言っていたくらいだ。
◆ビルハルツ住血吸虫
…新キャラである。
なんでも、イエメンの川や池に生息している寄生虫で、巻貝に住み着いており、ヒトが水のなかに入ると皮膚を食い破って侵入、体内で繁殖。重症になると肝臓にやってくるという。
こここここここここコワイよぅぅぅぅぅぅぅ。なんなんだよぅコイツ…。
が、とにかく、池を見つけてもみだりに足を突っ込んだりしなければよいので、
これは知ってさえいれば防げそうな寄生虫である。
◆狂犬病
これもイエメンに限った話ではないのだが、イエメンでは年間20~30人も発生しているとのこと。
WHOいわく「狂犬病は発症すると100%近く死亡してしまう恐ろしい病気です」…。
イヌと足で戦っても勝てる気がしないが、これもワクチンがあるので噛まれたら病院へ行けばよし。目の据わったイヌを見たら逃げることである。
◆高山病
山地は結構標高が高い。わたしは高いところへ行ったことがないので、未知の世界だ。
イエメンに関する情報はないので、ペルーの旅行代理店のWebサイトで対策を調べた。いわく…
【高地到着後の過度な運動は避ける。】
最初は少し、ゆっくり目の行動を心掛けて下さい。
【高地到着翌日はアルコールの摂取を控える。】
(イエメンには酒はないから大丈夫だ)
【十分な水分を取る。】
アルコール以外なら何でも良いですが、水道の生水などは避けて下さい。
【炭水化物を多く摂取する。】
すぐにエネルギーになるので良いです。飴を舐めるのも良いです。
【首を激しく振ったりすると、高山病の引き金になる。】
高地に来て、いきなり激しく踊りだすような人はいないでしょうが、
とにかくそうして下さい。
…うーん。最後がおもろいなぁ…。
そんなわけで一通りの病気を調べた。
リツさん、わかりましたか?池に足を突っ込んじゃダメですよ。
ちなみに意外なハナシだが、イエメン(といっても基本は首都のサナア、ということだろうが)では
水道水が飲めるらしい。ヨーロッパでも飲めないのに、案外インフラ整ってるのかしら。
しかし、塩素濃度が高いのでマズイからやっぱりミネラルウォーターがいいらしいのだが。。
つづく
夏が終わりそうである。
外に出れば、セミの死骸が落ちていて、ベランダの朝顔は枯れ、秋の風がながれている。
秋は嫌いだ。冬は、もっと嫌いだ。だから、この季節は、もの寂しくなる。
気づけばもう8月も終わりで、つまりは…
…イエメンがわたしを呼んでいる。
といいながら、イエメンでの内紛が激化している、と、現地コーディネーターと、
首都のサナアでお世話になるマサさんから連絡が。
まあ、こればっかりは水物なので仕方ない。刻々と情勢が変化するのが世界である。
こんな平和ボケした日本にいるとなんだか、鈍くなるけれど。
でも、わたしがキューバに居たとき、社会主義国でぶっちゃけ働かなくても食っていける彼らに
「日本では働かないとパン1個食べられないんだよ」とホームレスの説明をしたところ
なんてアンビリーバブルで悲惨な国だ、といわれたことがある。
アメリカだって、年金のない国。老後資金を作れず身寄りもなければ野垂れ死に。
先進国が必ずしも平和だとも限らないんである。
実際、アメリカの兵士のなかには、餓死を避けるために軍隊入りして戦地に赴く人間が
馬鹿にならない数、存在するわけで…。
さて、添乗していただく立花さんも、シャハラ(今回の紛争地帯)がクローズになった場合を考えて
当初から、色々とイエメン内のほかの旅程を検討してくれている。
(夏先に添乗を正式にお願いしてから、「イエメンの写真集を買って研究しています!」と
大変ほのぼのとしたメールが来たのだが。笑)
しかし日本には本当にイエメンの情報が入ってこない。検索したって、出てきやしない。
所詮、地球の隅々までの情勢なんて追っかけてられないというのもわかるのだが
大使館のホームページでくらい、ニュースのひとつやふたつ掲載してほしいものである。
外務省のページにすら、まだ出ていない。
ばかりか、6月頭から更新されておらず、ここになって紛争が始まっているというのに、
「【危険情報】 本情報は2009/08/24現在有効です。」などと言っている。大丈夫か外務省は!
今回、首都のサナア以外に行こうと思っていたのは2つ。
砂漠の摩天楼都市(このキャッチコピーだけでは、なにがなにやらだが、なんだかすごそうだ)
であるシバームと、今回紛争となってしまったシャハラ。アルカイダの制圧区域である。
マサさんもいわく、サナアだけじゃそんなに見るところはないぜよ、とのことなので、
イエメンでほかにいけるところを探すか、多少行程を変えてドバイかオマーンあたりで1泊してみるか、もしくはサナアにあるマサさん家で流しそうめん大会でもしてみるか…、
とにかく、せっかくのシルバーウィークを効率的に使うべく思案中。
今回は航空券の予約は2月というありえない先手を打ったものの、お勉強が後手後手である。
というわけで、とりあえずAmazonでイエメン関連の本を片っ端から購入しよう、と、したのだが…
…ない。
東ティモールのときは、政治やら歴史やらで沢山刊行されていたのに…
エリアスタディー系の本が、全然ないのである。
きっと東ティモールの場合は、自衛隊が行ったりして注目が集まったからなのだろう。
完全に日本の出版市場から無視されている。
これは、困った。
わたしは、その国の背景を知らずに旅をするのを非常に怖いことだと思っている。
理解や納得はできなくとも、知識として持っているだけで旅の行動は変わってくるし、
知らずにその国の人々を傷つけたり失礼にあたることなども沢山あって、それがトラブルへ変わることも大いにあるから…。
とりあえず、かろうじて出てきた冒頭のMOOK本と、もう1冊を購入。心もとなすぎるなぁ…。
そんなわけで1ヶ月を切ってきたイエメン行き、鋭意準備中。
どうでもよいのだが…
Googleとかで、間違えたつづりで検索をすると「○○ではないですか?」と出てきますよね。
Amazonもこのシステムを導入しているようで…
なんと、「イエメン」で検索をしたら、「もしかして:イケメン」などと出てきた。
イケメンじゃないよ。イエメンだってばさ…
地球の舳先から vol.129
グアム短信 編 vol.2(全6回)
そんなわけでEsta詐欺に遭うもののすぐにカードを止めてもらい事無きを得ました。
無類のクレジットカード嫌いですが、こういうとき便利ですなぁ。。
にしても無知ってこわいですねー。
そしてのっけからいやーな感じな予感のするグアム行きです。
今回も引き続き、Esta申請話。ワタシのパスポート的には仮想敵国であるアメリカのビザ免除システムです。
申請自体はカンタンです。パスポート情報や渡航フライトなど、いわゆるよくある入国カードに
書くような情報をWebで入力していきます。次のステップはYes/No申請。
これが…英語の直訳調なので、ちょっとおもしろかったのでご紹介。
「A) 伝染病にかかっていますか? 身体的または精神的障害を患っていますか?
麻薬常習者または麻薬中毒者ですか? 」
…のっけから麻薬ネタ。
「B) これまでに不道徳な行為に関わる違法行為あるいは規制薬物に関する違反を犯し逮捕されたこと、あるいは有罪判決を受けたことがありますか? 2つ以上の罪を犯して合計5年以上の禁固判決を受けたことがありますか? 規制薬物の不正取引をしたことがありますか? 犯罪活動あるいは不道徳な行為を行なうために米国へ入国しようとしていますか?」
…罪、1つならいいのかよ?! 国民性?!
…そして「不道徳」な行為って何?! ナンパとか?!
「C) これまでに、あるいは現在、スパイ行為、破壊活動、テロリスト活動、もしくは集団殺戮に関係したことがありますか、あるいはしていますか?1933年から1945年の間に何らかの形でドイツ・ナチス政府やその同盟諸国に関連して迫害行為に関係していましたか? 」
…しゅ、集団殺戮、、、
「D) 米国で働くつもりですか。米国から国外退去、あるいは強制送還されたり出国を命ぜられたことがありますか?不正手段または虚偽の申告によって米国ビザの取得または入国を試みたことがありますか?」
…「働くつもりですか」って。そんなつっかかんなくても。
「E) 親権を持つ米国市民からその子供を取り上げ、拘束し、あるいはその親権を渡さなかったことがありますか?」
…コワイ…
「F) 米国のビザまたは米国入国を拒否されたことがありますか。または、発行された米国ビザを取り消されたことがありますか?」
…う、う?!(汗
かなりグレーな質問が最後にありましたが気にしない気にしない。
最後に署名がわりに下記に「同意します」をチェック。
「権利の放棄: 私は、ESTAで取得した渡航認証の期間中、米国税関国境警備局審査官の入国に関する決定に対して審査または不服申立を行う、 あるいは亡命の申請事由を除き、ビザ免除プログラムでの入国申請から生じる除外措置について異議を申し立てる権利を放棄する旨の説明を読み、 了解しました. 上記の権利放棄に加え、ビザ免除プログラムに基づく米国への入国の条件として、私は、米国に到着時の審査において、 生体認証識別(指紋や写真など)を提出することにより、米国税関国境警備局審査官の入国に関する決定に対して審査または不服申立を行う、 あるいは亡命の申請事由を除き、ビザ免除プログラムによる入国申請から生じる除外措置について異議を申し立てる権利を放棄することが再確認されるものであることに同意します.」
さて。ここまで。即時審査に入りますが、このシステム、日本人にとってはあってなきようなもの。
そもそもEstaでビザを取れる国というのが決まっていて、“そうでない国”からの渡航制限をするというのがこのシステムの大きな目的なので、同盟国の日本人にとっては儀式的な意味合いしかナイ。
パスポート情報を入力して、全部「いいえ」にしたらそれで終わりな訳です。
もっとなんか、色々と審査的なものが入るのかと思っていたので、逆に不安になるワタシ。
そして認証結果がその場で(数秒後)表示されます。
「あなたの渡航認証は許可され、ビザ免除プログラムに基づき米国に渡航することができます。
この回答は、米国への入国を保証するものではありません。
最終決定は入国地で米国税関国境警備局審査官が行ないます。」
………………………やっぱり…………………………Σ(T▽T;)
委ねようではありませんか。米国税関国境警備局審査官に………
出発まで、あと両手でかぞえられる程度。不安だなぁ…
↑宿泊。あたりまえだけれど安宿なんてないらしい。
ちゃっかりバカンスしてきま~す♪(入れれば。)
地球の舳先から vol.127
イエメン準備編 vol.4
イエメンの最終日程が出た。
ちなみに同行者はJunkでおなじみ丸太作家のリツさん。実は旧来の友人なのである。
んが、僻地に人といっしょに行くのは初めてなので、リツさんの命は背負えない。ということで、
このコラムでお馴染みの、僻地専門旅行代理店の店長「立花さん」に添乗願うことにする。
あぁ、すごい濃いな今回の旅のメンツは。
当初、添乗は考えていなかった、のだが…。情勢の不安定さというのもあるのだが
…たったの+4万で出発から到着まですべて添乗してくれる、というのだ。
なんでそんなに安いのか立花さん?!
儲かってるのか立花さん?! そんなんで店は大丈夫なのか立花さん?!
と声を大にして聞きたい気持ちは山々である。
そしてあの理不尽極まりない「燃油サーチャージ」という制度。
ようやく石油バブルが崩壊した。
見積りを作ってもらった年明け当初の値段に比べると、ないに等しい値段に変更されていたが
ここにきてさらに、続報が来た。
「エミレーツ航空の燃油付加制度が廃止されます」
ナンデスッテ?! は、廃止~?!
そんな事情もあって立花さんの添乗費用は4万円になったのである。
あんまり安い安いと連呼しすぎると業務に支障がでるかもしれないのでこのへんでやめとくが、
そんなわけでわたしのトホホな財布事情につき、「ギリ」な旅程は当初より10万円以上下がり、
しかしながらすべての希望を詰め込んでもらった旅程が、下記のようになっている。
【1日目】
20時に羽田を出発。そう羽田なのだ。らくちんだ!!!
羽田からはエミレーツ航空の直行便が出ていないので、関空経由でドバイへゆくのである。
行きはトランジットのみで出国せず、ドバイをスルーする。
【2日目】
朝ドバイで乗継ぎ、イエメンの首都サナアへ。時差ぼけに負けずに観光する。
サナアはアラビアンナイトのモデルとなった街。お泊りはアラビア式の旅館で。
僻地ではある程度のクラスのホテルに泊まらないと、とんでもないことになる。
そしてこの日が、ちょうどイスラム教徒のラマダン明けである。観光に支障がなくなる。
イエメンがわたしたちを呼んでいる。
【3日目】
山岳地帯シャハラへ。「奇跡」といわれる絶景の観光地なのだが、
周りをアルカイダ制圧区域に取り囲まれているというのが厄介モノである。
これまでも何度もクローズになっているので、ここにいけるかどうかは情勢とご相談。
イエメンに行くなんて一生で一回だろうから、幸運を祈りたい。と思いつつかなしそうにしていると
「もしクローズになった場合は、アル・マウィート(天空の村落)と、スーラと、シバームと、コーカバンと、ロックパレスを全部あわせて50ドルでアレンジさせますから、そこへ行きましょう」
とすかさず代案を出してくる立花さん。
ねえそれってホントにアメリカドル?と、安すぎる金額に突っ込むわたし。
【4日目】
アラビア式のはたごに泊まり、サナアに帰りながら山岳地帯の村々を見学。
いまだに、人が住んでなさそうなところに生きてるからすごい。
もっともこのありえない山岳たちのおかげでイエメンは領土を守ってきた背景もある。らしい。
【5日目】
サナアにて自由行動。
せっかくだから、今年のお正月に初対面した、イエメンのユニセフに勤めているマサさんに会う。
この日は翌日が早いので、とっとと寝る予定。直った時差ぼけがまた狂いだすあたり。
【6日目】
砂漠の摩天楼都市「シバーム」に日帰り旅行。
行きのフライトが朝6時という突貫だが、週2便しかヒコーキが飛んでいないので仕方ない。
ちなみに世界文化遺産。
【7日目】
またしてもサナアにて自由行動。イエメン最終日。
【8日目】
ふたたびドバイへ。昼イチには着くので、ラクダに乗って砂漠サファリツアーに出かける。
【9日目】
夜中の2時台の便で帰路へつく。翌日からは仕事である。
以上ビザ取得代行込みの、お値段35万円、ファイナルアンサーです。
「それって日本円ですよね?」と、またしても突っ込んだことは言うまでもなく。
今回は立花さんもかなりイエメンに情熱をもっていたというところがラッキーだったところ。
「添乗しないことになっても、イエメン久しく行ってないし、マイレージも切れるし、毎年9月に休み取ってるし、個人的に行こうかな」とか言っていたくらいである。
というか、そうでもなきゃこの金額はありえない。
…旅はタイミング。
そして、この類の「タイミング」には割と恵まれているわたしである。
あとは情勢の「タイミング」が味方してくれれば、と思うばかり。無茶はしないのでね。
とくに最近は、誘拐されたアジア人が殺されたり、イエメンの飛行機が落ちたりとなにかと喧しい。
月に1回くらい、立花さんを通じてとどく現地からの情勢を待ちつつ、引き続きの準備を進める。
地球の舳先から vol.124
イエメン準備編 vol.3(出発までつづく)
さて。JunkStage月例イベントでも取り上げていただいた9月のイエメン行き。
定員は4名(車1台で移動できるから)ですが、3人で行くことになりそうです。
まあ、ガイドはしませんから、移動以外は個人自由行動ですが。
現地のユニセフで働くマサさんからも、治安が安定してきたとの一報。
燃油サーチャージも下がった、と朗報続きなところ。
今回はすこし趣向を変えて、旅の準備について書こうと思います。
ちょっと今年は例外的に多めなのだが、年に2回は旅に出ることにする生活をだいたい19歳くらいから始めて以来、聞かれる質問は、だいたい以下の3つ。
「どうやって手配しているの?!」
「どっから資金捻出してるの?!」
「会社に所属しながらどうやって長めの海外旅行を?!」
…わたしは、勘違いされることも多いのだが決して旅慣れた人間ではない。
バックパックを背負って戦い、動物的コミュニケーションで乗り切る旅は、つかれるから嫌。
そんな日和者で旅シロウトなわたしでも、行きたいところに行ける。という観点から
これから僻地へと向かわれる読者の皆様(…いるのか?)に、上の3つを書いてみます。
■「どうやって手配しているの?」
よく、言われます。
「東ティモールに行ってきた」 → 「は?!なにで?!」
「北朝鮮へ行ってきた」 → 「入れるの?国交ないよね」
実はそうタイヘンでもなく、わたしの旅はいつも日本の旅行代理店で手配をしてもらっている。
だって、日本から自分でやるのはめんどくさいし英語読めないし、現地での調達は危険だし。
ただし大手では扱いがない国が多いのも確か。
が、世の中には「僻地専門旅行代理店」というものが存在する。
わたしがいつもお世話になるのは、「たびせんパームツアーセンター」の立花さん。
立花さんは実質ひとりで会社をやっているので、手配もすれば添乗もする。旅の相談をしながら
「ちょっと明日からクゥエートなので、帰ってきたら連絡しますね」みたいな事も日常茶飯事。
ちなみに立花さんの会社の取扱国といえば、ルワンダ、コンゴ、リベリア、 シエラレオネ、ウガンダ、アンゴラ、東アフリカ、リビア、マリ、モザンビーク、ソマリア、マルタ、サウジアラビア、イエメン、マダガスカル、コモロ、マヨット、レユニオン、コロンビア、ペルー、ギアナ三国(スリナム)、エクアドル(ガラパゴス)、イースター島、パタゴニア、ブラジル、イグアスの滝、パラグアイドミニカ国、ハイチ、セントキッツ&ネイビス、セントルシアインド、インドシナ三国、ラオス、カンボジア、ブータン…割と、お手上げです(笑)。
イエメンあたりだとそこまでの僻地じゃないのでどこの代理店に頼んでもよいのだが、もうわたしは立花さんをパートナーだと勝手に思い込んでいるので立花さんのところにお願いする。
現地の人間とのラインも強いし(先日も「スイマセン、航空代金上がっちゃったんで、現地ツアー分を値引かせました」とメールがきた)、情勢もよくわかっている。
だって彼は、取り扱っている全ての国へ行っているから。そんな代理店、大手にはない。
そして旅の直前にはめちゃくちゃ手作り感たっぷりの旅のしおりを作ってくれる。
他国には他国の文化や人間性があり、守られない約束や時間など当たり前の場合もある。
信用できる業者を見つけることが一番の近道。見つからなければたびせんパームツアーへ。
(いや。宣伝では、ないですよ…)
■「どっから資金捻出してるの?!」
この質問をしてくる人は、海外旅行好きの人だろうと想像がつく。
韓国やハワイ、欧米への航空券の安さにはぶったまげる。そう、僻地に行くには金がかかる。
飛行機の便数は少なくて高いし、乗継がうまくできず経由地で1泊とか、公共機関がなくて車チャーターだとか、観光地じゃないので町には超高いホテルが1つしかないとか。
飛行機代だけで30~40万かかるところもザラ。わたしが次に狙っているアフリカのガボン共和国なんて、最低限の泊数行程でも一式で80万くらいかかる。
現地に入っても移動含めすべてカスタマイズになるので、料金は公開されておらず、目的や行程を伝えて見積りを作ってもらうというやりかたになる。
しかし、陳腐な言い方になるけれど旅というものはわたしにお金で買えない価値を与えてくれる。
モノを買うわけではない。物質的にはなんにも残らないけれど、持ち帰ってくるものは大きい。
…裏技などない。貯めるだけである。定期預金と保険の積立で給料日には半分以上が自動的に引き落とされようとも、毎日せかせか家計簿をつけようとも、「旅資金」は全力で溜める。
そして旅先ではパーッとつかう。紙幣のカタチが違うので、金銭感覚もズレるのがちょうどよし。
だって、お財布と相談しながら旅なんてしたくないでしょ。
それに、用途のハッキリした貯金というものは非常にしやすいどころかわくわくするもの。
わたしは、毎年まず年度のはじめに海外計画を立てる。たとえば今年であれば
【7月グアム(2泊) 9月イエメン(7泊) 12月ロシア(5泊) 2月ニューカレドニア(3泊)】て具合。
それで算出していくわけだが、もひとつポイントとしては「数年後を見据える」ことである。
これから3年分くらいまでに行きたい国をあらかじめピックアップして計算しておくのである。
たとえば2年後に南極に行きたいとしたら破格の料金がかかるわけで、それを見据えて大目の蓄えをしておく必要がある。そうやって、自転車操業的でなくかつ「衝動飛び」に備えるのだ。
加えて、南極へ行くには3週間必要とする。となれば転職の切れ目でしか行けないだろう。
そうすると、南極は●年後だな。などと、こうして旅計画は人生設計へつながってゆくのである。
もっとも人生何が起きるかわからないわけで、計画してもその通りいかないことも多々、だが。
わたしだって、マサさんと出会わなければイエメンなんて一生興味を覚えなかったかもしれない。
面白いですね。旅も、人生も。
■「会社に所属しながらどうやって長めの海外旅行を?!」
うん、これがいちばん多い質問である。経験則から言うのならば、「おどおどしてはいけない」。
カイシャなんて、「ワタシがいないとダメなの」は幻想で、いなきゃいないでなんとでもなるのだ。
びくびくと、遠慮がちに、暗い目で「あのぅ」などと話しかけて上司に隙を与えてはならない。
「局長♪ 9月に9日間、いませんっ♪」笑顔で、大声で、堂々と…のほうがたいていうまくいく。
罪悪感なんてもたれたら、送り出すほうだって気まずかろう。(という勝手な解釈)
が、人に迷惑をかけて「旅」を悪者にすると次がないので、半年前くらいから言う。
そして、しょーがねーなっ、と思ってもらえる程には、普段ひとより働いておく。
そして、ひとより働いても苦にならない天職な仕事と、愛し愛せる上司のいる会社を見つける。
…嗚呼。こう考えるとワタシにとって旅とは。まさに人生そのもののようだ。
数回繰り返せば、「次はいつ?」とか、大型連休の前になれば「今度はどこ?」と、こちらが黙っていても申請する機会が与えられるようになる。ハズ。
が。ワタシはこのせいで会社じゅうに「旅好き(しかも妙な国へ行きたがる物好き)」を喧伝された結果、某外国の鉄道やら、某国の大使館やら、某国の食品やら、よくわからない(しかもたいてい怪しげ)案件仕事を自動的にまわされることになり、すっかり「海外イロモノ仕事ならユウさんへ」と間違ったブランディングをされたことは特記しておく。
いえ。文句なんてないですよ。全社的にワタシのライフワークを応援していただけるのなら……
もうひとつ、これは前の旅計画の話にもつながるのだが、「ベストシーズン」を知っておくこと。
混む混むといわれるゴールデンウィークに逆に空く国や、一般的に店が閉まって観光しづらいと言われる年末年始こそイベントごとをやっている国もある。
そういったところを把握しておけば、GWや年末年始の「公休」を利用しても、不満不足のない旅は十分できる。
ちなみにイマドキの携帯電話は優秀なのか空気が読めないのか、どこまでも追いかけてくる。
北京に降り立てばソフトバンクから自動的に「中国に入国されたお客様へ」とメールが来るし、
東ティモールでも電波は通じる(これにはちょっと、びっくりしたけど)。
そう。こんなタイトルのコラムを連載していて恐縮だが、もはや地球上に僻地など(ほぼ)ない。
社内に旅行を喧伝したにも関わらず、カイシャから着信があればそれは確実に緊急事態である。
壁に投げたりせずに、超高な通話料で必ず全力で掛け直すことが次の脱出の機会へつながる。
そして国内の皆さん。携帯電話は、相手が海外にいるとこちらから掛けても通話料は相手持ち。
意外と知られていないので。 知 っ て く だ さ い … … 。
以上。前回が暗かったので、今日は軽めの内容にしてみました。
地球の舳先から vol.117
イエメン準備編 vol.2(出発までつづく)
さて、イエメンツアーのプランニングのその後である。
私が「必須」の目的地に挙げたのは、「サナア」「シャハラ」「シバーム」この3つの地。
とはいえ、イエメンなんて知らないよ、という大半の読者の皆様にとっては
地名だけ聞いても「…?」という感じだと思うので
これから3週にわたって、わたしが見聞きしたこの地の予習を公開したいと思う。
第1回は、シャハラ。
シャハラは山岳地帯である。半端な山岳地帯ではない。丘といってもいいほどの渓谷。
その頂上部分にある村が、シャハラだ。
まるで空に浮かんでいるようなところから、「天空の村」とも呼ばれている。
…というと、聞こえはいいのだが。
16世紀後半、オスマントルコがイエメンを征服していたのだが、
この地の利を生かして反撃の拠点となり、独立地として留まった。
というのは世界史を深く勉強した方なら、聞いたことがある話かもしれない。標高は3000メートル。
なんでそんなところに住むのか、というと、イエメン南部では部族社会がいまだ残っており
部族間の抗争が激しい護衛拠点のためなのだそう。
ちなみに、外部への警戒心が激しく、首都サナアのナンバーの車などは受け入れないという。
名物は「シャハラブリッヂ」。
前述の、オスマントルコに制服されそうになったとき、下山せず村同士で連携をとるために
山と山のあいだに架けられた天空に浮かぶ橋である。
この写真を見て、建築にほぼ興味のないわたしでも惹かれずにはいられなかった。
ちなみに、イエメンに歴史的建造物が多いのは3つほど理由があるらしい。
1)アラブ文明の発祥地はイエメン。
2)辺境にあるので古い文化が残された。
3)石油がとれないので他のアラブ諸国より遅れている。
確かに、昨今のドバイやらオマーンやらの超近代都市を見ていると、
中東=アラブ=ドバイのあの感じ、になるのだが、本来アラビア半島は文字通り
「アラビアン・ナイト」のモデルとなった地である。
が、気軽に行けるところではない。
首都サナアの西北163キロ、ということは東京静岡間くらいのものである。
問題は距離ではない。
シャハラへ行くためには、アルカイダの制圧区域を横切る必要がある。
過去に日本人グループも誘拐されている。個人旅行には適さない。
わたしは、アルカイダとかイラクとかアフガンとかを、今まで徹底的に避けてきている。
それは、さきのイラク人質事件の無責任すぎる人質たちの行動に本気で腹を立てたし、
旅は個人がするものであっても時として「政治行為」であるということを知ったから。
日本人が人質にとられるということは、その人間の責任ではなく日本の責任となる。
良識ではない、常識ある個人として、やっていいことと悪いことの見境、というものがある。
無鉄砲な行為は、冒険ではなく政治行為なのである。
…こんな平和ボケした半共産圏の国にいると、簡単に見誤るんだけど。
一方、東ティモールへの旅で知ったのは、「危ない危ないといわれている地が、
シチュエーションによっては気にすることないことも多い」ということでもあった。
わたしは去年、いまなおPKOが常駐する東ティモールへ行っている。
その年にも、集中砲火や抗争で家が焼かれたなど、紛争まっただ中のような報道もあった。
しかし調べていくうちに、(あくまで当時は)抗争は軍の「檻のなか」で行われており、中心部や田舎を旅行する分には、「現地の情勢を知り尽くしている」人間が同行していれば大丈夫だろう、という結論に至った。
知っていれば防げる被害、というのが、往々にしてとても多いのだ。
もちろんこの判断を下すためには、現地に強い日本の旅行代理店、現地の代理店へのヒアリング、現地在住の日本人からの情報提供などを受けていた。
わたしは、「びびりながら僻地へいく」変わったタイプだと思う。
だいたい危ないといわれるところへ行く人たちは、エイヤで行ってしまう勢いがある。
わたしは昔からバックパッカーを自称もしていないように、
疲れるからバックパックよりインドでもキャスター付のスーツケースがいいし、
諍いに挑むくらいなら手数料を払っても日本で現地交通手段を確保していきたいし、
あぶないところなら添乗員や現地係員に同行してもらった方がいい、
とおもっている、ヘタレな僻地トラベラーである。
が、そのおかげで身もまわりも貴重品も守ってきたという自負もあった。
今回も、最低限、現地でのコーディネーターにシャハラに関しては全行程同行してもらい、
さらに、情勢が少しでも悪化した場合には、わたしがお世話になっている僻地専門旅行代理店のひとり社長さん(今回も手配をお願いしている)に添乗をお願いすることにした。
つまりは、結局行くことにしたのである。
シャハラの情勢については、今後も1回くらいはこの場で書こうかと思う。
※画像は、4travelのジェロニもさんにお借りしています。