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地球の舳先から vol.63
グァテマラ旅行記 vol.2
「イヤッホウ」
くらいの勢いで、こうしてとにかくグァテマラ入りしたわたしは
バスへのって一路、アンティグアの街中へ入っていった。
この地でスペイン語を学ぶ日本人K氏とともだちになった。
彼は、中南米大縦断のため、まず物価の安いグァテマラでスペイン語を勉強していたのだ。
噴水公園のまえで話をする。彼いわく
「たまにキューバに住んでる人がここ来るんですけど、
みんなユウさんみたくものすごい疲れた顔して、
『観光には最高だけど住む国じゃない。ずっといると本当に疲れる』
って言うんですよー」
とおっしゃる。そのとおりである。
わたしはキューバの表面的な部分だけを礼賛する村○龍をさんざんこきおろしていた。
そのとき、腰の曲がった老婆がいやな感じで近寄ってきた。
インドでもどこでも、この手の光景には飽き飽きしていた。
日本人と見れば、ぼったくろうとしたりお金や物を乞う。
もちろん彼らにとって日本人はその程度の存在でしかなく、
いくらわたしが「金持ち大国ニッポンのお嬢が道楽でバカンス、うふっ」
ていうのとは違うんだ、と思っていたところで、現地の人にしてみたらそんなに差はない。
わかってはいても、さみしさやむなしさを感じたりするし、
逆に観光地スレしていない国で子どもたちとかと接すると感動したりもする。
どちらにせよキューバにはない光景なので久しぶりの出来事。
無視を決め込むか、席を立つか、つたないスペイン語で断るか・・・
どうしようかなぁ、面倒くさいなぁ、と思ったときだった。
隣に座っていた友人K氏は、老婆が何か言う前にポケットから財布を出し、
小銭を老婆に渡したのだった。
わたしと会話を続けながら、さも当たり前のように。
その彼の「普通さ」が逆に不思議に映って、びっくりしたわたしに、彼は話し始める。
「グアテマラって、年金制度がないんですよ。
だから、若いころに老後暮らせるだけの資金を貯められずに
身寄りもないお年寄りは、野垂れ死ぬか、物乞い金乞いになるしかない。
観光客の人ってみんなそういうの知らなくって、ただの物乞い、って思うんだけど。
こっちでは、グァテマラ人もほとんどみんなあげるんですよ。」
なるほど。
見れば確かに、現地の人もすくない小銭だがなんらかのものを渡している。
しかし世の中には年金なんてない国の方が多かろう。
そこで老人を見捨てずに、国内外の多くの人が見ず知らずの人間にお金を渡すのは
国民性なのか、それとも明日は我が身という共同意識の潜在なのか…。
近所のスポーツバーで外国産ビールに揚げ物メニューに感動し、わたしは宿へ。
地下一階に掘られた一室は、とてもきれいだが電気を消すと夜目もきかないほど暗い。
そんなとき。
ブチッ、と音がして部屋中の電気が切れた。
わたしはパニックである。かばんの位置も全くわからず、匍匐前進だ。
オーナーの老婆がろうそくを持って入ってきてくれたのに、あまりの老衰加減に
オバケに見えてしまい(失礼)、また「ぎゃっ」となる。
ああ、せっかくの資本主義のはずが、キューバで数日に1回は悩まされる停電
(というよりも節電のために定期的に地区ごとに停電をかます陰謀である)を
ここで経験するとは・・・
ちなみにわたしがキューバへ行ってはじめて覚えたスペイン語は
「Se fue la luz」(光がいっちゃった=停電)。
グァテマラ旅行記 vol.1
南米大陸は、遠い。
日本から直行便がほぼないので、心理的にも遠い。
アメリカを通らなければならないというのも、政治的に遠い(私の場合)。
だから、キューバにいるうちに、近隣の中南米国を旅することにしていた。
それは単に旅がしたいというよりは、モノとか食べ物とかがたくさんなくてもいいから
選択肢のある国へ逃げたい、という衝動も含まれていたと思う。
キューバにいたころ、よくすすめられたのがグァテマラだった。
偶然知り合ったグァテマラ在住日本人の方の存在もあり、
わたしはグァテマラ&ベリーズに行ってくることにした。
情報はない。ハバナ大学でみつけた日本人から地球の歩き方を借りる。
そしてわたしの逃亡は始まった。
けだるいキューバの空気。どこまでも続く舗装された道路と、
至る所にある政治的な落書きとチェ・ゲバラの似顔絵。
その光景に慣れきっていたわたしは、予想できたこととはいえ
グァテマラの地に降り立って「おお」「おお」「おお」ばかり連発していた。
バーガーキング。マクドナルド。サブウェイ。ダンキンドーナツ。
トヨタ。アルファロメオ。ディオール。
すべてキューバにはあるわけないものだ。
「資本主義や~!」と、バーガーキングのワッパーセット片手に叫ぶ。
挙動不審にきょろきょろしながら歩くので、階段から落ちたりして、また生傷。
ちなみにわたしがワッパーの次に買ったものは、
キューバでは物価高騰で1箱3ドルまで値上がりしたマルボロだった。
空港近くのタクシー乗り場でうろうろしていると、
私の胸の高さくらいの黒人の男の子たちが
靴磨きの道具を持って、しきりに男性に声をかけている。
素手でクリームを塗るその掌は、手の甲よりも数段黒い。
ぴかぴかに靴を磨き終えるとコインをもらい、
また靴台と道具を下げて休む暇もなく別の人の足元に早足で寄っていく。
キューバじゃ子供は働けないからなあ…と、
もの珍しいものでも見るように、しげしげ眺めてしまう。
しかし子供たちには不思議と暗さはなく、働くことが当たり前だと言わんばかりだ。
チップを多めにもらった、と嬉しそうに他の子供に自慢している。
大人もろくに働かない国と、子どもも働かなければいけない国。
ほんとうに豊かなのは、いったいどっちなんだろうか・・・
わたしはそのままタクシーをつかまえ、先に値段を聞くことを忘れずに
アンティグアという大きめの街へと向かった。
中南米の、いかにもいなかくさいという根拠のないイメージとはかけ離れた空港周辺の景色は
しだいに変わっていく。でも、田舎ではない。こじんまりした、コロニカルな風景が続く。
つづく