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2008/12/01

地球の舳先から vol.101
世界の宿泊事情 vol.2
~モンゴル編

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わたしがはじめて社会人生活を送ったのは、某大手広告代理店だった。
それまでもいろいろと常勤でのアルバイト生活はしていたし、
その就職自体も知り合い伝手だったのでそんなに就職ブルースはなかったのだが。
ただなんとなく、気後れしていた。
生来ふらふらしている人間だったので、周りもほっとしてくれるかと思いきや
逆に心配して「あんまり狭いところに閉じこもるなよ。」と何人の人にも言われた。

そんな衝動も手伝ってか、わたしは就職の半月前、3日後発の飛行機を押さえた。
ちょうどその頃、手掛けていた一大スポーツイベントのプロモーションも終わり一段落。
そのイベントはとても厄介で気の滅入る仕事だったこともあり、わたしはふと
「飛びたい……」と思ったのだった。

そして3日後。
わたしはモンゴルにいて、時差ぼけのままウマに乗っていた。
どこまでもウマに乗って走り(いや、格好つけすぎた、歩き)、楕円形の空を眺め
見た目が結構えぐい腸詰などを食べて、21時を回っても明るい空のしたにいた。

当然、泊まったのはゲルだ。
モンゴルといっても、首都ウランバートルには今やホテルが充実している。
それでもやはり、草原に出てゲルに泊まることをわたしはおすすめしたい。
明日には場所が変わるかもしれない宿泊施設であるゲル。
わたしがモンゴルへついたときも、現地ガイドが
「ちょっと待ってね…今位置確認してるから…」と言っていた。
が、そんな遊牧民族モンゴル人たちが携帯を持ち歩いているのを見ても落胆してはならない。
いまどき、マサイ族だって携帯電話で連絡を取り合っているのだから。

わたしがモンゴルを訪れたのは7月だったが、「暑い」というほどではなかった。
日差しは強かったが、草原や山岳地帯は高度もあり、涼しい風と澄んだ空気が流れている。
そのため、日中でも日焼け防止も兼ねてずっと長袖を着ていた。
たまにウマが振り返って、どぅらー、とヨダレをつけてきたりするので油断ならないが。
逆に夜の草原はかなり冷える。

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ゲルはいやに派手な装飾の柱に内装で、ベッドはわたしの泊まったゲルでは4つ。
真ん中に、煙突を外まで立てた暖炉があって、それを囲むようにベッドが並んでいる。
布団のほかに毛布も貸してもらえるのだが、あまり役にたたない。
同室の4人のうち、誰かが寒くて起きる。そして、暖炉に薪を足しにいくのだ。
薪は現地の人がひと晩じゅう、外国人観光客のために割りつづけていてくれる。
「さぶいよう」と日本語で言っても通じる。
というか、わたしの経験上、ポピュラーでない言語を喋る人たちとのほうがコミュニケーションできる。
もちろんそれは「ニホンジンという人種に対する概念としての上下関係」も関係しているのだろうが、
相手も「自分の言葉を喋っても通じるわけがない」と思っているので逆にスムースなのだ。

薪を貰って暖炉に足す。
いきなり薪を入れても火は立ち上がらないので、紙などの燃えやすいもので火を大きくしていく。
順調に暖炉がぱちぱち言い始め、煙が煙突を伝ってゲルの外に出て行き、
貰ってきた暖炉に入るだけの薪を放り込んでしまってから、眠りにつく。
でも薪は1~2時間のうちにまた燃え尽きる。
手足のさきの、末梢神経から凍っていくような寒さでまた起きる。
「こんなに頻繁に起こされんの、子ども産んだとき以来だわ…」
と、朝に同室のおばちゃんが苦笑していた。
わたしは2回くらい起きたので、たぶんあとの4回くらいは誰かが薪役をやったのだろう。

朝は活気で起こされる。
ゲルはああ見えてかなりな遮光がほどこしてある。
それでも外が朝を迎え、周りにはほとんど何もないにも関わらず朝が来ると空気が変わるのだ。
そうすると、自然に目が覚めてくる。
人間は生来朝型なのだなあと思い知った瞬間でもあった。

ゲルの扉をあけてみると、ものすごい光量。
空に近いうえに遮るものがなにもないのだから、当たり前なのだが
まぶしくてしばらく目を開けられない自分に、
「わたしはなんて不健康な生活を送っていたのだろうか」とひとり反省会をしてしまう。

目が慣れてくると、もう現地の青年がわたしの乗るウマを用意している。
こどもが手を振っている。
臭みの強いギョーザみたいな現地の食べものでおなかを満たし、またウマのもとへ。
「もうすこしで、もっとウマ来るよ」とはるか山の先をさして説明する青年。
だいぶしばらく経ってから、わたしの目にもウマを大量に引き連れた別の人の影が見えはじめた。
山に住んでいると視力が5.0とかになるというのは、伝説でもなんでもないらしい。

なんにしても、自らの不健康を思い知る旅であった。

2008/04/04

地球の舳先から vol.58

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モンゴル旅行記 vol.3(全5回)

かくして到着したのは、ゲルが10棟のほかには遠くを見渡しても
視界になにひとつ入ってこない地の果てだった。
視界が開けすぎて、地平線が湾曲して見える。

馬を普通に乗りこなす現地ガイドにゲルを案内された。
しろつめくさのような花を踏みながら、ゲルに入る。
中の壁がオレンジを基調とした派手な絵柄で塗りたくられ、
中央には薪を燃やす暖炉と、煙を吸い上げて外へ出す煙突が下がっている。
相部屋のゲルに、4つの木彫りのベッド。
手をひろげたくらいあるクモが、屋根の梁のところでじっとしていた。

簡易的につくられた食堂らしきところで、朝食をとる。
小さい肉まんのようなものが、ほぼ毎日出た。
肉はだいたいラムなので、苦手な人にはキツかったことだろう。

そしてついに、わたしの乗るウマを現地の人がつれてきた。
自身もウマに乗りながら、10頭以上のウマを引いている。
3人兄弟のようで、3人で大量のウマをどこからか走らせてきている。
いちばん下の男の子は、10歳に満たないようだがウマを当然乗りこなす。

日本語も英語も通じないのだが、妙にコミュニケーションがとれるから不思議だ。
いやに元気そうなウマもいて、ここでふいに不安になった私はお兄さんに
「暴れないやつにしてね(←もちろん日本語)」と言うと、
お兄さんはいちばんうしろでぼけっとしていたウマを連れてきてくれた。
目が眠そうである。たしかに暴れはしなさそうだが、ちゃんと走るのかコイツ。
ついでに、ここにきてふと、傷害保険に入ってこなかったことに気がついた。
こけるわけにはいかない。

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よいしょ、と乗るが、ウマの背が低いので、高さの恐怖はない。
しかし予想以上に、つかまるところがないバランスのとりにくさがすごい。
これは腹筋が鍛えられそうだ。
ぽっくぽっくと歩くウマに乗って、道なき道を進み始めた。
20人くらいをいちどに面倒見なくてはならないお兄さんは、すでにわたしとトロいウマのことなど放置である。
取り残されたわたしは、どうやったらウマが走ってくれるのか、方向を変えてくれるのかもよくわからず、ウマが走りたい時に走り、草を食べたい時に食べるのに付き合うがまま。
右手側の手綱を引っ張ったら右に曲がってくれると聞いていたのだが、ウマはふと立ち止まって首だけでわたしを振り向いただけである。

これは…。トロいのではなく、完全になめられている。

しかしやたらに走られるほうが困るので、あまり何も考えずまかせることにした。
一定のペースで揺られながら、緑と山の起伏と雲の影だけを見ていた。
もとは、曲がり角や道なんかじゃなくて、こうしたひとつの「地」だったのだろうと感じる。
アフリカの人の視力が6.0あるとかいう話も、嘘ではないと思えた。

突然、ウマが小走りになった。焦るわたし。なんだ。エサでもみつけたのか。
ウマはじょじょにペースを落とし、今度は静かに立ち止まる。
ぶるるん、とくしゃみのような鼻息を鳴らして、また首だけでわたしを振り返る。

これは…。ウマに気を使われているのか?!

「あ、大丈夫です。(←もちろん日本語)」と話しかけ、振り向いたウマの首のあたりをぽんぽん叩くと、ウマはふたたびさっきと同じ小走りスピードで走りはじめた。
そして、さらに加速する。ちょっと怖いが、自分の姿勢すら保てば平気なようだ。
ウマはまたスピードダウンして立ち止まり、振り返る。「大丈夫です」と返すわたし。
こうしてウマがスピードアップしていくうちに、置いて行かれた集団に追いついた。

これは…なんて頭の良いウマなのか!!

生まれてはじめて、ウマと会話をしたわたしは、なにか自分の小ささを思いながら
しかしやっぱりどこを目指しているのかわからないままにウマに乗せられて走った。

つづく

2008/03/19

地球の舳先から vol.57

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モンゴル旅行記 vol.2(全5回)

羽田から発つわたしの乗る飛行機が、1週間前にビジネスクラスに格上げとなった。
なんでも、予約していた首都ウランバートルで一番いいホテルが急遽取れなくなり、
1ランク下のホテルになってしまったので、それのお詫びですということだった。
「ちょっと事情が」を繰り返す旅行代理店スタッフは電話口でしつこいくらい平謝りだったが、
ホテルなんて、刺す虫が出なくて窓にガラスがはまってりゃいいのだ(案外このハードルが高い)。
むしろ、ビジネスクラスに乗れるほうが嬉しかった。

出発前は当然知らされないこの「ちょっとした事情」を、出発日にわたしは知ることになる。
新聞の紙面を飾ったそのニュースは、「小泉首相ウランバートルへ」。
当時首相だった小泉氏の電撃訪問。
当然、首相様とその御一行に、「ウランバートルで一番いいホテル」は占拠されたのだ。
そりゃ、しかたない。

なんだか、胡錦濤中国国家主席と同じ日に北朝鮮入りしたり、
小泉当時首相と同じ日にモンゴル入りしたりと、わたしの旅はいつも政治くさい。
生まれてはじめてビジネスクラスに乗ったわたしは、空港からそわそわそわそわ。
180度に倒れるドーム型の座席に、ちゃんとカラフェで出てくるワイン。
しかし高級すぎるおかげで、いつもエコノミーで出されるちいさな瓶の白ワインを1本
くすねてくるという蛮行はこの日は身を隠すことになった。
手元のボタンで背中や足の高さを調節し、あとは爆睡あるのみ。

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晩に着いて1泊し、ウランバートルを出発した。
モンゴルといえど、都会なところは都会なもの。
いきなり空と草原とゲルしかない、というわけではないのだ、もちろん。
バスに乗って、だんだんと首都を離れてゆく。
だんだんと建物がなくなり、ついに視界をふさぐものがなにもなくなる。
たまに建ったゲルがお土産物屋になっていたりするが、それも明日にはここにはないかもしれない。

草原のなかに、石の積み上げられた小さな山を発見した。
地元の人々か、ジェスチャーで、その小山に石を投げろと言っている。
石を投げて、その小山のまわりを何回か回る。
どうやら、なにか旅の安全祈願的なならわしらしい、と雰囲気だけで知る。

鞍もつけていない馬を、まだすごく小さな男の子が後ろに妹を乗せて操る。
カメラを構えると、照れくさそうに、でも離れた所にいる友達を嬉しそうに呼び、
一緒に写真におさまった。
ちなみにモンゴルで移動に使われている馬は、競走馬のような外見ではない。
背丈はおとなの男性が立ったのと同じかすこし小さいくらいのもので、足もごつごつして短い。
そう、「馬」というよりも「ウマ」という感じだ。

のちに、このウマだからこそ乗っても安定感があって怖くないことを知るのだが、
競走馬のような馬に乗ると勝手に妄想を膨らませていたわたしは
長い足にも長い首にも切れ目にもさらさらのたてがみ(?)にも程遠いウマ達を見て
ちょっぴりガッカリした。失礼な話である。

つづく

2008/03/04

地球の舳先から vol.55
モンゴル旅行記 vol.1(全5回)

1年半前の、夏。
フリーライターというかフリーターのような生活に終止符を打ち、
人生初の会社勤めを始めるにあたって、旅行に行こうと思った。
「社会人になったら、そうそう海外になんて行けないし」
と、心にもないことを口走りながら。

遠くて広いところへ行きたかった。
なんだか消えない窮屈さのなかから、飛びたかった。
そんなときに選んだディスティネーションは、短絡的にも「モンゴル」。
「よし、モンゴルで馬に乗ろう!」

行き先を決めるときなんて、いつもこのくらいのものだ。
今回ばっかりは、遺跡にも歴史にも興味がない。
わたしにしては珍しく、ウランバートルのマンホールチルドレン
(寒さをしのぐため、マンホールで共同生活する路上生活の子ども)にも関心が沸かなかった。
ただ、何もないところを、ひたすら馬で駆けたかった。
なんでそんなことを思ったのかわからないが、とにかく思い付きだ。
ちなみに馬に乗ったことはない。乗れるのかどうかもよくわからなかったが、
やっぱり、決めて10日もしないうちに日本を離れていた。

夜になってから到着した、首都ウランバートルから離れた山のなか。
カラフルなゲルが8つあるだけの、移動式宿泊所。
昼間は暑く、夜になると夏でもがっつり冷え込む。
何時間おきかに起きて、だんろに薪を足しながらでないととても寝てはいられない。

朝、くぐらないと出られない小さなゲルのドアを開けると、
日本では考えられない光量の朝日。
這い出して空を見上げたわたしは、「わあ」と思わず感嘆した。
というかそれ以外、ことばが出てこなかった。

空が、丸かったのである。

抜けに山以外何もないその地は、本当に何キロも先まで見渡せて、
山の緑と空の青、そして白い雲以外のものがない。
どこまででも見渡せる空は湾曲していて、わたしはそこで初めて地球が丸いことを知った。
そして、東京、いや日本では、視界がたえずどこかにぶつかってさえぎられるがゆえに、
世界の何百分の一しか見えていなかったのだということも初めて知った。

遠くから、現地の人が何頭もの馬を引き連れてすごいスピードで走ってくる。
彼を見ながら、わたしはまた不思議なものを発見した。
山の緑色のなかがところどころ、丸くて黒くなっているのである。
「なんだありゃ」わたしは英語を話すガイドをつかまえて、あれは何だと聞く。
人のよさそうなガイドは意味がわからなくて困り果てている。
わたしの英語力の問題か、と思いながら、ふと自分の立っている場所が黒くなった。
空を見上げる。わたしの頭上に、雲があった。

黒いものは、「雲の影」だったのである。
ほわんほわんと浮かぶ丸い雲の形に合わせて、
いくつもの丸い影が山に落ちていた。
いや、雲がただの丸い物体に見えるほど、空が広すぎるのだ。
雲の影なんてものも、生まれてはじめて見た。
そりゃ、ガイドに聞いても変な顔をされるはずである。

なんて狭っこい世界で、わたしは生きていたんだろうか。
届きそうもない空の下、初体験の連続に、わたしは感嘆するばかりだった。

つづく