2016/10/07

地球の舳先から vol.367
東北2016年秋 編 vol.1

八重山編を一旦延期にし、先に秋の東北旅について記録しておきます。

岩手県の山田町というところを知ったのは、もう5年近く前。
『東北食べる通信』でこの地が特集されたことで、
なんとなくながら深い興味を持ち、自他ともに「海賊」と称される
「第八海運丸」乗組員の皆さんの上京に合わせて開催された飲み会に参加した。

彼らは、「自分たちの手で獲る」ことにこだわっており、
船を出しては「お宝」と呼ぶ魚や生き物を獲ってくる。
シュウリ貝(ムール貝の和種。もともとムール貝のほうが、
外国の海を渡ってきた船舶にくっついて住み着いたそう)は
大きいものでは人の顔くらいになり、養殖にしてはワイルドだと
思っていたところ、危険な岩場に登って人力で獲ってくるのだそうだ…

詳しくは、下記のページへどうぞ。

そんなわけで山田町に興味を抱きつづけながら、
しかもこれだけ三陸地方のほとんどの沿岸を回りながら、
ついに山田町だけに行ったことがないという状態になったのは
交通の便の悪さだけではなく、「取っておいた」という面も強い。

その後、職を変えたことで山田町とはまた別の縁ができるのだが
関係者から多く山田のことを聞く機会も増えたのと反比例して
一向に公務は回ってきそうにないために、ようやく今回
「よしもう山田に行くぞ」としびれを切らした、のだった…。

新幹線で、盛岡。急行バスに乗り換えて2時間ほどで宮古。
岩手県に上陸した台風10号の影響で、現地では甚大な被害が出ていた。
交通網が内陸中心になっているため、大動脈である国道が寸断されたことで、
観光、経済、医療などすべての面において「長い11日間」を過ごした後だった。
倒れ重なる大木、石岸に乗り上げたバイク、折れた橋と
片側通行での復旧後もバスの窓から見える光景は凄惨だった。

山田町に到着し、一通り町を見学した後、海賊さんたちのアジトへ。
仮設の小屋がいくつか立つ仕事場の、屋根も吹き飛び自分たちで直したという。
台風から半月ほど経ったその日も、流されたものを回収しながら、
漁だけでなく、各地で開催されるイベントに出かけては出店をする。

 
(修復されたアジト)

 
(左:ホタテの稚貝を入れる網  右:タコをとる網)

そして、夜(漁師の朝は早いので、早い人は15時頃)になれば
集会所である少し大きな長屋で、子どもからじいちゃんまでが集う。
支援でやってきたというぴかぴかのテレビで大相撲のゆくえを見守り、
茹でたツブ貝に、開けたビール缶を器用にコップに加工して酒を注ぐ。

わたしはまたしてもここで、「不思議な家族の形」を見た。
気仙沼の仮設住宅でも思ったが、ここでは複数の年代も構成も違う家庭が生活をしていて、
それは「助け合っている」というよりも、もっと普通に
「みんないるからたいていの事は出来る」ということになっている。

核家族と、分断された隣の家との線引きが明確過ぎるところで育ってきて、
今も引っ越せば「防犯のために表札は出さない方がいい、オートロックだから、廊下から
ピンポンされたら無視するように」と“指導”される生活とそれは真逆のところにあって、
そして、どちらが当たり前かと言われれば、東京の生活はやっぱり変だし、不自然だった。

海賊の乗組員さんからも、海や漁に関する話を沢山聞くことができた。
漁のスタイルについても、ポリシーがとても明確で、貫き通していることに驚く。
なぜわざわざ危険なことを、、と聞けば
「それが漁師ってもんだと思っている」とは、若頭の台詞。
他にも多くの名言が飛び出したが、公共の電波に乗せていいかどうか自信が持てないので
これで一旦締めておきたいと思う。

 

第八海運丸では、漁師直送のCSAもやっているので、ぜひご覧ください。
Facebookページ
第八海運丸のCSA

山田の海賊のみなさん、素晴らしい時間を、ありがとうございました。

2016/08/25

地球の舳先から vol.366
八重山 編 vol.1

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旅をしたい、と思うことが、ほとんどなくなっていた。
行きたいところには、ほとんど行ってしまった。
残っている行きたいところは、だいたい今行くべきでないところだった。
そして、ばかみたいに、同じところへ何回も行くことも増えた。
たぶんそれはもはや「旅」ではなくて、ただの「用事」だ。

早くに夏休みを取って向かったのは、またしても海のある場所。
海でレースには出るくせに、自然はあんまり好きではない。
暑いとか流されるとか刺されるとか、なんかしか「ヤラレる」ことが多すぎる。
だから、ほとんど名前しか知らない「小浜島」に降り立ったとき
わたしは、とにかく「あれ、どうしよう」と思った。
船着場を降りたらば、草がボーボーで、ほかには何もなかったから。

海外へ行く時はあれだけ調べて本も読み漁るのに
行っても帰ってもカロリーを使う「旅」とくらべて、
国内の休暇では、なにもしない。
ソンをしている部分もあるのだろうが、たぶんトクもしている。
「あれ、どうしよう」と思った後、
「別になにもしなくていいんだ」と思い直し、
自分で何もしなくていいホテルを選んだことも、同時に思い出した。

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ホテルの看板を持ったおじいちゃんに導かれてバスに乗り込むと、
ここが古く「ちゅらさん」の舞台となった地だということを知る。
それから、八重山諸島でいちばん星が見える島だということも。
そして、今年はカラ梅雨で、異常に暑いということも。

梅雨だというから、室内のアクティビティがあるところ、
そして、ホテルにこもっていても十分快適なホテルを押さえていた。
それなのに、鬼のように、晴れていた。

その暑さは、東京のあの薄気味悪い暑さとはぜんぜん違って、
ストレートなだけに攻撃性も高い。
いつだったか、どこの国か忘れてしまったけれど砂漠地帯の国で
だんだんと頭がもうろうとし、具体的に言うと
だんだんと数が数えられなくなったりするあの感覚を思い出す。
あれは、暑すぎて脳細胞がだんだん死んでいくのに違いない。危ない。

スコールでも降って落ち着くかと期待したが、気温は上がり続ける。
冷房をまわして、抵抗する。
その駆け引きの結果、わたしの一眼レフは結露した。
ゆるんだ思考にも、これは相当な打撃だった。

とんでもないところへ、来てしまったようだった。

つづく

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2016/05/16

地球の舳先から vol.365
東北2016春 編 vol.1

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「東京から、乗換1回」
そう言った人がいた。

夜のうちに、移動をする。
駅での時間調整によく使っていた、ヤクルトをくれる食堂は、もうない。
瓶ビールは大瓶しか置いていない、さんまラーメンのおいしかった食堂。
朝に納豆定食で酔いを覚ましたあの食堂…
代わりに、駅前にはピカピカの災害公営住宅が建っていた。

震災で、1万5000棟以上が被災したという気仙沼。
5年が経った今も90箇所以上の仮設住宅が、公園や学校の校庭など
あらゆるところに点在する。
5年も生活していたら、もはや「仮設」という言葉も
あてはまらない気がするが、
震災による地盤沈下と将来の津波に備えてかさ上げの盛土が続いており
整備は2020年まで続くという。
(むしろ、2020年に本当に終わるのかのほうが疑わしい)

“東京オリンピック”その単語を聞くたびに、わたしが何かしら
空虚なものを感じるのは、このためである。
そしてこの「20年五輪」は、被災した地域にも新たな問題を生んでいる。
建設需要の急上昇における需給バランスの崩れだけではなく、
完全復興を世界にアピールしたい政府、追随する行政の、事を急いだやり方が
各地で問題化し始めているのもまた、今ここにある事実のようだった。

とんでもなく大規模な集合住宅が、次々に完成していた。
仮設住宅からの定住を視野に入れているが、事はそう単純でもないという。
「仮設から出たくないという人たちがいる」
そう聞いたとき、わたしは率直に驚いた。
しかしわたしもまた、ぴかぴかの公営住宅が復興のシンボルであると、
イメージに踊らされている一人でもあった。

個別の具体的な問題については、一面的な問題ではないし
第一わたしは外の人間なのでここで一方的に誰かを批判することはない。
ただ、わたしは今回、はじめて気仙沼の仮設住宅を訪れた。
そうそう簡単に足を踏み入れるべきではないと思っていたし、
家やそのほかにいろいろなものを失った方の悲しみや感情については
経験していない人間には、永遠に想像もつかないことだった。

しかし、そこにあるコミュニティは非常にあたたかなものだった。
3世代、いやそれ以上がともに暮らしている。
子育ても、地域でしている。
東京の、仕事をしながら子育てをして、無理な完璧を自分に求め
壊れていく孤独な母親、がもはや当たり前の光景になりつつある
ような姿は、ここにはない。
高齢者の方もとても多いが、そこに(通いのプロは場所によってはいるが)
「顧客と介護職員」のような関係性はない。
今後高齢化に比例したスピードで福祉が整備されるとも思えない今、
地域、いやコミュニティで助け合いともに生活している仮設住宅には
もちろんそこに大きな援助の手が入っているとはいえ、
学びや気づきが大変に多いはずだった。

一方で、単身世帯の多い仮設住宅では、締め切られたカーテンの外からも
部屋の中に不規則に荷物がうず高く積み重ねられているところもあり
中の人の生活状況や状態が心配になることもあった。
2020年までに仮設住宅を撤廃したい政府の意向で移住を急がれたり、
復興バブルで土地の価格が急騰し買い戻せないといった問題も発生している。

単純な問題ではないし、だから今回のこの投稿に結論もオチもない。
しかし、「3.11」は昔のことではないのだ。
こうして、今も。
たぶん、東京にオリンピックがやってくる頃になっても。

2015/09/14

地球の舳先から vol.364
東北2015夏 編 vol.2

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モノではなく「人」で、地方と全国を繋ぐ。

わたしが何度もこのコラムでも紹介している「食べる通信」の試みの根幹はそこだが、
東松島の食べる通信はその色合いがぐっと濃くなる。
リアルな人と人とをつなぐことのできる、現実的な規模感でもあるのかもしれない。
人が増えれば、コミュニティの濃度はだんだん薄くなる、そういうものなのだろう。
人が増えれば、インターネット上での「やりとり」も、やがて「メディア」化する。
その手前の、息遣いを感じるからこその、東松島の生産者と全国の読者の人間同士の関係がある。
わたしは比較的、いろいろなところに友達や知り合いがいる方だとは思うのだが、それでも、ここまでひとつの地域に「顔と名前が一致する人」が密集している場所もない。

編集長の太田さんは、千葉県出身で東北にはゆかりのなかった人。
今では、地元の人に「アイツは漁師か」といわれることがあるほどに愛されている。
そして、読者が東松島を訪ねれば、自らハンドルを握って案内してしまう。
ヘイコラしたりも、威圧したりもしない、垣根のない人。
ずっと東松島のほうにいた人ならともかく、都心の悪いほうの効率資本主義にヤラれていない。だからわたしは、太田さんが東京でエリートサラリーマンをやっていたと聞いて、とても驚いた。
口は悪いが、いい人なのである。口は悪いが。

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(編集長の太田さん。牡蠣漁師、阿部晃也さん撮影。)

太田さんが東松島に関わり始めたのは、震災のあと。
あのころ、程度の差はあれきっと誰もが心のどこかで持っていた「何かをしたい」という思いに突き動かされ、知人の知人を辿ってボランティア先を探した結果、浮上したのがこの地だった。
地元の再生を願うお祭りを手伝い、束の間、清々しい高揚感に包まれていた太田さんは
翌日、ひとり東京に帰る際に通った県南部の手つかずの海岸の光景を見て愕然とする。
復旧活動がひとまわり終わった後の、人の賑やかさがあり道路もある程度整った街との、あまりの落差。
「自分の薄っぺらい使命感が恐ろしくなった。」
報道では見られない現実を―と意気込んで携えてきたカメラでシャッターを切ることはなく、色々見て回るはずだった予定を変更し、すぐ高速に乗ってまっすぐ帰った。
自己嫌悪にも似た気持ちに整理がついたのは、「とにかく1年住もう」と決めたとき。
その後移住し、東松島食べる通信の創刊だけでなく、様々な場で奔走を続けている。
「1年」がとうに過ぎ去った今、太田さんは、「自分がやってきたことは”復興支援”だけではないし、人のためではなく自分のためにした決断だった」と振り返る。

実際、東松島には多くの資源がある。
わたしも今回ほぼ1日滞在しただけだが、太田さんに連れて行ってもらった先は
牡蠣漁師さん(東松島は種牡蠣の一大産地である)、海苔漁師さん(皇室献上の浜とよばれる)、希少米かぐや姫を作る米農家さんの畑、何十種類という野菜を作る農家さんの畑といった農漁業のほか、地元の海苔とのコラボ商品も出す肉屋さんやお菓子屋さん、海産物加工物で新たな価値を加える人、それに、その魅力を消費者の側の立場で解説する役割ももつアンテナショップの方々など
まさに海・山からわたしたちの食卓までの一線のながれにある様々な立場の人だった。
そして太田さんは、漁師の所へ行けば肉を与えられ、農家さんの豪邸ではお茶を啜ってとうもろこしを貰う。

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(庭のバーベキューで、東松島座談会。会話は尽きない。)

職人と、それを世の中とつなぐ人。
職人には、硬派で多くを語らない人も多いので、太田さんのような接着発信剤も必要なのだろう。ただし太田さんは、大きく見せようとか、どうだ凄いだろうというような大げさな演出はしない。
ただ、淡々と。ハートは熱いが、決して暑苦しくドラマティックに語る人ではない。
東松島という地に、そこにいる人に、絶対の自信があるからにほかならなかった。

「偶然」と呼べば、そうもいえるものなのかもしれない。
しかし、有機的に重なる「タイミング」を「縁」に変えるには、相当な人力が要る。
「東松島にとって“+1”の人間として、何が出来るか」を問い実行すること―
と、太田さんは自分の立場を語った。

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(特集した農家さん宅で打ち合わせをする太田さんと生産者さん。)

わたしは、太田さんのように、直接的にその地に居ついて何かをする人間ではない。
けれど、たとえば観光客として考えれば、こうして観光客の「+1」として
東松島というところに関わっている、ともいえるだろうし、
現地へ行かずとも東松島の海苔を気に入ってお取り寄せしている人もまた、
別の意味での東松島の「+1」だといえるだろう。

それは、新鮮な発見だった。
何かができるわけでもないのに、とかくどこかで「何かをしなければ」となぜか無駄に焦る肩の荷をおろしてみると、意外と、あれから広がった世界が、あるはずだった。

好きな土地ができるのは、たぶんそれだけで、とっても幸せな事。
加えてそこに「会いたい人」がいるんだとすると、
(せつない遠距離恋愛はのぞいて)やっぱりとっても素晴らしい事だった。

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(ちなみにわたしの会いたい人は… いっぱいいるけど…
 やっぱりこの、アンテナショップまちんどのアイドルたちかな…)

2015/09/01

地球の舳先から vol.363
東北2015夏 編 vol.1

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最近のわたしは気仙沼一辺倒だと思われているけれど、他の所へも行っている。
ただ、何度も行く場所は、観光名所以外の何かがある場所というのは共通のようだ。
そして、二度めと三度目の壁というものもある。
マーケティング業界でも風俗業界でも同じというが(つまり万象なのだろう)、
「リピーター」と「ファン」の間には、途方も知れない高い壁が聳えているのだ。

わたしが二度通った場所は、数えきれるくらいにはある。
ただし、「三度」以上通った土地は、海外ではパリ、国内では気仙沼だけ。
…だった。
このたび、「東松島市」というところが、それに加わった。
東松島との出会いについては、書くことが多すぎるので、次回に譲る。

今回の東松島訪問では、「大曲浜(おおまがりはま)」という地の海苔漁師と会った。
「皇室御献上の浜」とよばれ、海苔漁で名を馳せた場所である。
ここでわたしは、まさに三者三様という言葉のふさわしい三人の漁師に会った。

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(紹介する漁師さんと、米農家の木村さん、東松島食べる通信編集長の太田さん)

津田大(つだひろし)さんは、柔和な笑顔に似つかわしくない武闘派だ。
東松島に実はある本格サーキットを貸し切った漁師カップでも優勝したというが(それを教えてくれた人に、優勝者はと聞くと「もちろんヒロシですよ」と返ってきたのが印象的)、海苔漁に関してもとことん「攻め」、そして「勝ちにこだわる」人。
「のり工房」は津田さん一族が暮らす豪邸だが、お坊ちゃんとは思えない気質。
余談だが、この豪邸でわたしは津田さんの息子に撃たれた。空気の入ったライフル銃で。血は争えない。

三浦正洋(みうらまさひろ)さんは、対照的に、震災後へこの地に帰ってきて
お父さんの家業を継ぐことを決めた、Uターン。
というとなにかしら「ベンチャー」的気質を想像するが、その逆という感じがする。
大曲浜の歴史と伝統を愛し、調和を是とする、世界平和を絵に描いたような人。
ふたりの好対照はわたしには一見意外なように見えて、
一度故郷を離れた三浦さんにこそ見える世界があることを深く納得させられた。

相澤太(あいざわふとし)さんは、ふたりに比べるとどこかしら兄貴分な存在。
仕事の上でも、次々と海苔に関する新しい価値観を発明しては市場に提案している。
海苔の佃煮を東松島土産にしたのも相澤さんだというし、最近は海苔うどんがヒット。
全国を飛び回りイベントを主催までするなど、いわば漁師の領域を「一次産業」だけではなしにしようとしている人で、相澤さんという人は、その存在じたいが革命だろう。
漁師仲間からも「男」と呼ばれ、アンテナショップの店員さんは「これはふーちゃんが作ってくれたの」とうれしそうに海苔の佃煮を紹介してくれる。(相澤水産HP

同じ浜で同じものを生業にしているわけで、競合関係なのではと思ったが、
ここでは海苔の網は1人100棚と決まっていて、養殖場所も輪番制(!)。
「同じ条件」でいかに工夫をするかで、生産者どうしが腕を上げていったのだそう。

三人がそろってつけていたのが、スカイブルーのリストバンドだった。
これは、大曲浜サポーターズクラブというシステムで、簡単に言うと
「1万円払うと、いつ来ても大曲浜を案内してもらえる」というもの。
船に乗せてもらったり、海苔漁の見学、時期によっては地引網など…
「モノじゃなくて、コトを売りたかった」と相澤さんは言うが
みんないつでも来ていいということになれば大変なことにならないのだろうか…
現在、サポーターズクラブの会員は200人を超えている。
しかし彼らを見ていると、まあ、「来るなら来いっ」くらいの勢いなのだろう…

訪れた人がよく同じことを口にするが、東松島には人の魅力がある。
それは、「だれとかさんに会いたい」という個人的な感情ではなく、
魅力的な人が集まっているところというのは、独特の空気を発するのだ。
言葉にすると「面白い人が沢山いて活気がある」とかの平凡な表現になってしまうが、
「人」が「地」の空気をつくっている。そういう場所がある。

そしてここには、その魅力を客観的に理解し再編集しこの地の「売り」にしていこうとする(もちろん、良い意味で)― とある「参謀」がいる。
次回はその人の話をしたいと思う。

つづく。

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アンテナショップで買った海苔商品の数々と、東松島の夜の〆 のりラーメン。

2015/08/10

地球の舳先から vol.362
尾道編 vol.1

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“瀬戸内キロメートル・ゼロ”という
地産地消をコンセプトにしたリゾートホテル、ベラビスタ。
ここでいう「地産地消」は食べ物だけの話ではなく、
デニム(知らなかった広島ブランド)など産業や文化までを含むという。

元々、造船大手の常石造船の迎賓館だったというから、もちろん景色は至高。
海を目の前に、山の上に鎮座するホテルの中をくぐってデッキに出ると、
「多島美」といわれる瀬戸内独特の、美しい小島が続く穏やかな海が広がる。
そのまま海とつながっていそうな、レッドカーペットみたいな水面には
空がそのまま映り込んで、ぐんぐん流れる雲に1秒たりとも同じ景色がない。

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陽をよけてソファに体をおろしたら、あとはやることはひとつ
…と思いきや、夏は線香花火もできるそうです。

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お部屋は全室オーシャンビュー。そして全室50平米以上。
1室しかない最上級スイートの「ザ・ベラビスタ」には
海を臨む露天風呂があるそう…でも人気でなかなか予約が取れないらしい。
ベッドの上には、デニムのテディベア(連れて帰っていいとのこと)。
遮るものが無いのでいつも陽の光が入って、どこもとても明るい。

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相変わらず、広すぎる浴槽の入り方がわからないわけですが
足を伸ばすと頭まで沈むので、だれか正しい入り方を教えてほしい。
浴室には、アロマキャンドルと、瀬戸内レモンの顔用パック。
室内に、ハーブの香りのスプレーがあったのが気に入ってつけていたら
それは蚊よけだったらしい。このあたりのさりげなさがセンスだなあ。
アメニティはなぜかBVLGARI。唯一の謎。

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SPAは天然「尾道温泉」もちろんオーシャンビュー!
そして、6時からやっている入り放題の岩盤浴、これが本格的。
湯上り処にはせとうちレモン水やホテル手作りのアイスやビールが
あるらしいけれど、わたしは夜は飲んだくれていたので朝入ったのでした。

そして、オーベルジュリゾートですから。
メインダイニングは珍しいバスク料理。
ベラビスタのラベルがついた(独占なのでしょう~)バスクワインも。
そして、スタッフが楽しい。ラテンの香りがする。
お料理は、瀬戸内の素材を生かした創作。
オープンキッチンというか、キッチンの中に客席があるようで
1品1品シェフのパフォーマンスも食事の内。
旬の夏野菜、地元のお魚に、熟成肉まで!

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朝食は日本料理の方へ行ってみたら、
なにごとか朝7時なのにドリンクブッフェ台にシャンパンが…
と思ったら「朝シャン」はここの売りの一つなんだそう(あとから知った)。
すだれのかかった緑のお庭を見渡す席は、茶室にいるようで
20種類もの手のかかった旬のおばんざいに
自然飼育の有精卵「神勝寺たまご」が木箱に入り…
お豆腐も朝づくりのすくい豆腐だったそう。
うんちく好きなので、もうちょっとメニューの説明があったらよかった。
(も一度来いってことか。)
テーブルをいっぱいにしたところで、干物を何にするか聞かれる。
ここから、メインが来るのですか。もう戦いですね。

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(↓こちらはメインダイニングの方の朝食風景から。名物はスパニッシュオムレツ)
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面白かったのは…ロビー。 1日通して、とっても変幻自在。
昼間はとっても明るくて海を見ながら涼しげに泡のでる飲み物…
午後、6時まで角っこでひとつ300円で売ってるピンチョスは
つまみというボリューム感を越えていて見た目もきれい。
6色マカロンはじめデザートやチーズも出すけど、
夜は尾道ラーメンとカクテルも出す。

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ラーメンからチャペルまで。
瀬戸内 しまなみの 旅でした。

ベラビスタ スパ&マリーナ 尾道

2015/08/07

地球の舳先から vol.361
屋久島編 vol.4(最終回)

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信頼筋が薦めるので、泊まってきた。
泊まってきた、というより、体験してきた、に近い。

予約直後からの、細々した丁寧な連絡に、心くばり。
チェックインの時間は、お客さんが屋久島に来た時間だといって
朝早くなのに、ホテルまでの送迎車を出してくれるという。
トレッキングを予約していたのでレンタル品の問い合わせをするが、
その対応がなんとも、柔軟というか、システム化されていないというか、
「屋久島滞在“全般”において必要なことが無いか、あればホテルがそれを手伝う」
というスタンス。
しかし飾りすぎず、お客様様様様様な過剰なサービスではない。
まだ屋久島に行く1か月も前から、すでにホテルのファンになっていた。

あとで聞いた話だが、このホテルにはマニュアルが無いのだという。

送迎車が着くと、総出でお出迎え。
コック帽の人もいたので、その時間いる人が皆出てくるらしい。
こればかりは、ぎょっとするというかやりすぎというか、あまりうれしくはない。
それ以外は、アットホームな人たちばかりで、リラックスできる。
そして、いつどこへ行っても会うスタッフが皆、客の顔と名前が一致している。
どこでどう共有しているのか、不明。
悪いことできないなと思う。(しないけど)
チェックイン手続きにやってきたスタッフの私の予約メモには
びっしりと何事か書き込んである。そんなに、なんの情報が?!
ホテルマンたちは皆どこかしら洒脱な身のこなし。
このホテルで働きたくて県外から来るらしい。

水平線を眺める目の前に広がる一面の海・・・
は、そこが海であることが判別できないほどの大雨に見舞われ
プールで泳いだりプールサイドのテラスでごろごろすることは叶わないが
ライブラリーに置いてある本のセレクションがまさに絶妙で
ドリンク類(ビールも)フリー。何時間でもいられそう。
ライブラリーラウンジでチェックイン手続きをするが、このときは
地元の素材を使ったウェルカムドリンクを作ってくれる。
当然泡々したものを期待したが、これからトレッキングに行くことを
把握されているため、梅ジュースである。しょぼん。

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全室が棟建てのヴィラで、一番狭い部屋でも大きなリビングに
マッサージベッドまでが完備されている。お茶は8種類。
バスルームは大きな鏡に、バスタブのほかにシャワールームも別にある。
アメニティはTHANN(ブランドのセレクションが、また絶妙)で
バスルームとシャワールームにそれぞれ香りの違う2種が用意されている。
浴槽に入れるハーブのマッサージボール。
ホテル謹製のスキンケアセットと、石鹸には持ち帰り用のバッグ。
冷蔵庫内の飲み物はもちろんフリー(ビールも ←しつこい)、
ターンダウンサービスには、木の葉に添えたチョコレートがつき
キャンドルで焚かれたアロマの香りが漂う。
(ターンダウンが不要の場合は、ドアの前に亀の置物を置いておく仕組み)

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徹底して、色々なリゾートホテルの名物サービスを研究してきている。

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この日は天候による欠航便も多く、お客さんの数が減ったからなのか、
よく飲むやつと踏まれたのか、上階のフレンチへアップグレードされていた。
オープンキッチン、その先に広がる屋久島の濃い緑がだんだん更けていく様は
ここがどこだかわからなくなる静謐さ。

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料理は勿論屋久島の素材を沢山取り入れて、ペアリングはブルゴーニュ中心。
なんにも言わなくても、ペースと反応をソムリエさんがちらちら見ている。
最初のシャンパンから、某有名メーカーの、珍しい銘柄。
白とリースリングを往復して、お肉にはピノ。
チーズはワゴンサービスみたいに、7種類から好きなものを好きなだけ選ぶ。
ようやく口を開いて、白の重いめを頼んだら、安定のムルソー。
あー飲み過ぎた。知ーらない。ってなる。
でも、悪酔いをしないのが高いワイン。熟睡。

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朝ごはんは、卓上でブッフェが展開される。ご自慢のパンは、7種類も。
「取りに行く方式のブッフェ」を、きっとホテルは絵的に嫌ったのだろう。
パンは、バターやジャムを塗って食べるもの以外は包んでもらった。
ちなみにわたしはこの日の昼も、競技後の夕食も、その翌日の朝も、
このパンだけで過ごした。このホテルさえあれば、もう何もいらない。

チェックアウト後に続く行程も、スタッフがこまごまと調整をしてくれる。
お土産にホテル謹製の パウンドケーキ型のオレンジブリオッシュを持たされ
空港まで送られた。

絶対また来ると思う。

サンカラホテル&スパ屋久島

2015/07/23

地球の舳先から vol.360
屋久島編 vol.3

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避けて通れない話。
今回の屋久島旅は、最初から雲行きが怪しかった。
文字通り、「雲行き」が。

最初に心配したのは台風である。
屋久島在住日高さんのコラムから、屋久島における「台風」が
我々の知っている「台風」とは別物なことは予習済。
例年よりはるかに早く台風の影が見え始めたが、持ちそうだった。
それを確認して、わたしは安心しきっていたのだ。

6時40分発のJALからまず鹿児島空港行き便の条件付運航の知らせが来る。
チェックイン時に再度、「悪天候時は羽田に引き返しもしくは福岡空港へ
行きます。いいですか」と迫られる。
全然よくないが、いいですと答えないと乗せてもらえないから仕方ない。
無事に経由地の鹿児島空港から屋久島までのフライトも飛んだのだが、
どうやら運が良かっただけらしい。

屋久島空港は着陸がレーダーではなくパイロットの目視らしく(驚愕)
滑走路も短いため、厚めの雲ですぐに着陸不能になるのだそうだ。
この日も、鹿児島から1日に5便飛ぶうち、3便が欠航。
福岡からの便は、屋久島上空で随分待機した後、断念して引き返した。
そしてわたしが大会で嵐の中泳いでいた日は5便中4便が欠航し、
最後の1便も偶然15分ほど雲のどいた時、瞬間着陸したらしい。

空港では、慣れきったグランドスタッフがプリントを手渡してくる。
そこには、鹿児島へ行く船便のタイムスケジュールと翌日の残席数、
鹿児島港から空港までのリムジンバスのスケジュール、
鹿児島空港からのJALの各地への乗り継ぎのタイムスケジュール
といった、必要な情報がびっしりと一覧になっていた。

貧乏人のわたしがもっていたのは、自己都合での変更ができない格安チケット。
「天候調査」と条件付きになった瞬間からしか変更が出来ないので
帰る日はなんにせよ1便の進捗を待つしかなさそうだった。
お金持ちの正規チケットを持った人たちは、翌日の観光を早々に諦め
1便目に変更をしておいて、順次、飛ぶものに乗るという。

ちなみに屋久島では、何便がただいま欠航になりました、とか、
港のコンディションが悪く●●港に変更になりました、とかが
島内放送でスピーカーから流れてくる。びっくりした。小学校みたい。

そしてみんな、いらいらしない。なるようにしかならないことを
身をもって知っているからだろう。

そして2日後の帰り便。
着陸より離陸の方がハードルが低いと踏んでいたのだが、そもそも鹿児島から来る機体で飛ぶ折り返し便なので、着陸してくれないことには乗る飛行機が無いという仕組み。
出発の1時間前から空港へ行き、空の雲と風を見上げていた。
欠航したらすぐに船便に切り替え、港ゆきの極少本数のバスに乗る必要がある。
朝からの土砂降りが、雨レベルの降り方になる。
雲は厚いが、流れも速い。すこし明るくなったのを見て、荷物を預ける。
保安検査場の先では、同じく乗客たちがガラス窓の外を見つめていた。

そのとき。パッと見たこともない光が刺した。
それが太陽だということが一瞬わからないくらい、この数日、太陽を見ていなかった。
視線の先の光景に、「うわぁ…」思わず声がもれたのは、わたしだけではなかった。
何ともドラマチックに、舞台の幕が上がるように左右にはけた雲間から
JACの機体が滑走路目がけて突っ込んでくる、その姿があった。
そこかしこで、小さな歓声と拍手があがる。

誰の晴れ女(男)力を借りたのか、自分の運を使い果たしたのかわからない。
握りしめていた、雨に濡れた船便のプリントを捨てた。
搭乗ゲートの隣には、天気を待つ旅人たちのためだろうか、
かごに入ったおせんべいが、たくさん置いてあった。

最後に、屋久島に梅雨時期へ行く人へ。
あちらの「梅雨」はしとしと雨とは無縁。
傘など役に立たないので、ごみ袋に穴をあけて頭からかぶるとよい。
わたしも、来年はそうする。

2015/07/23 07:40 | ■日本‐屋久島 | No Comments
2015/07/16

地球の舳先から vol.359
屋久島編 vol.2

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ひと月に35日雨が降る、といわれる屋久島。
噴火の花崗岩でできた島には土が少なく、岩や木に生えた苔のうえに草木が生まれる。
木というのは大地の中に深く根を張るものだという先入観からしたら、苔の上に木が生えるなんて、信じられない話。信じられない話が、目の前に転がっている。

だから屋久島の森は、地面まで、茶色じゃなくて緑なんだ。
湿度と霧がつくる雲の中のような森は、雨だからトレッキングをやめようかなと言ったわたしに「水が無いと、あまり綺麗じゃないというか、屋久島らしい景色じゃない」とホテルの人が言っていた通りの幻想的な光景。
ピーカンのお天気では、苔も閉じてカラカラに乾いてしまうらしい。
その苔は、600種類はあるという。

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(ほんとうに苔の上に、小さな杉の木が生えてきた)

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(雨にぬれる、ふかふかの苔。)

15時間もかかる登山だという縄文杉は諦め、やってきたのは「ヤクスギランド」。
名前は子どもだましのようだが、美しい屋久島の自然が体感できる場所で
高齢者でも少しだけ歩ける短い舗装コースから、登山道の山道まで
所要時間とレベル別にわかれ、非常によく練られていた。
15分程度で最短コースを案内するガイドさんの甲高い声が響く。
山に入るバスガイド。なんてワイルドなんだろう。

木のたくましさといったら、意志を持ったバケモノのようだった。
横向きに10メートル以上、大木の幹をのばしていくもの。
昔、岩をまるっと幹で包んで成長したらしい、中に空洞をもつもの。
大木の途中に苔が生え、そこから別の木が生まれたりする。
同じ種であれば、同化して1本になることすらあるそうだ。
大木の幹にからみつきながら地面に下に向かって根を伸ばしている木。
「なかなか着かないなー、って、思ってるでしょうねー」
手練のガイドさんが、のんびりと言う。
お願いして本当に正解。知らないことだらけだった。

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(根の張り方が、相当ワイルド)

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(ぽっかりあいたところは、昔 岩があったんだろうとのこと)

ちなみに、屋久杉とは、樹齢1000年以上のものだけをいうらしい。
じゃ、それ以下は? と聞くと、返ってきた答えは「小杉」。
999年生きても、小杉。なぜかイラッとする。失礼じゃないか。
「東京の杉も500年くらい生きますよー」
そうか、勝手に切るのは人間で、本来の木の一生からいったら、それが妥当なネーミングなのかもしれなかった。

レインコートで視界をふさぐよりも、透明なビニール傘が重宝した。
畳めば急勾配で簡易ストック代わりになる。
土が少ないので、大雨でもグチャグチャのぬかるみなどはほとんどなく
木よりも岩の方が滑らないから、できるだけ岩の上を歩くように言われる。
苔を踏むなといわれるが、やつらの増殖スピードが速すぎて、それは無理な話。

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(切り株から、すぐにわさわさと樹木の土台をつくる苔。)

標高1000mくらいのところにあるのだが、車道ではシカ、サルにも会った。
道路を飛び出してくるヤクシカはよく見る鹿よりひとまわり小さく、
おしりが白いハートの形。かわいい。でもあぶない。
当て逃げされることもあるらしい。「軽とかだとねー」凹むのか。
ヤクサルに至っては、団体家族で道の真ん中で毛づくろい。
クラクションを鳴らしても、「あぁ~ん?」みたいな感じで振り向くが
どく気はゼロ。クラクション、あぁ~ん?、クラクション、あぁ~ん?
どいたと思ったら前方から車が来て、バックで広いところまで戻る。
いろいろな意味で、なかなか前に進まない。

外周100キロある、離島としては大きな島だけれども、
島のほとんどが国有林で、人が住むところがあまりないのだそう。
岩の島は大雨が山に溜まらず、ガンガン流れていく。川へ。
そして、わたしの泳いだ海へ…

そういえば今年のOWS大会のキャッチコピーは
「神様の住む森から流れてきた水は、ウミガメと私が泳ぐ海になりました」。
最初、このコピーの意味が分からなかったけど。

自然はぜんぶ、つながってるんだなあ。

2015/07/16 05:00 | ■日本‐屋久島 | No Comments
2015/07/06

地球の舳先から vol.358
屋久島編 vol.1

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「山と海、どっちが好き?」そう聞かれるたび、こう答えてきた。
「どっちもヤダなあ。山は虫がいるし、海は焼けるししょっぱいし」

…数年前までは。

週末、嵐の屋久島を身一つで遠泳するというネタのような大会に出た。
どうしてこうなったのか分からなくて、いま、これを書いている。

わたしは0歳6か月のころから泳いでいた(泳がされていた)。
ほとんどやる気はないので、強化選手コースを選ぶこともなく
スイミングクラブのコーチにははじめから見限られていたが、
元々特技だから何の努力もしなくていいだろうという理由で入った
中学校水泳部の敏腕顧問に見いだされ、フォーム矯正と修行を強要された結果、
魔法のように美しく、速く、しかも楽に(これ大事)泳ぐようになった。
上位大会の常連にもなり、順調な競技生活を送っていた、のだと思う。

今も実家には夥しい量の賞状があるが、全校朝礼のたびに表彰されても
そもそも承認欲求みたいなものがあまりない人間なので、興奮するでもなく
ジャージ姿のまま全校生徒の前で台に上がらされることの方がよほど嫌だった。
そして思春期のある日、「こんな水泳体型はイヤだ」と我に返り、水泳とは絶縁した。

心境の変化が起きたのは、東日本大震災だった。

物心つく随分前から水の中に居たので、この泳力は、わたしにとっては
自分の意志とはまるで関係のないところで養われた先天的な能力だった。
泳ぐことを「選んだ」わけではなく、好きでも嫌いでもない。
ただ、泳げるから、泳いできた。主には、ラクをするために。

でも、わたしは、はじめて自分の意志で、水の中に戻ることを選んだ。

この泳力が、いつか自分か誰かの身を助けることがあるのかもしれない。
そう思ったからである。

2011年以来、わたしは、人命救助や水回りの資格をチマチマと取り始めた。
そして、同じJunkStageで連載している屋久島在住の日高さんのコラムから、
海を集団で遠泳する大会があることを知った。

どんだけ物好きなんだと興味はおぼえたが、相当悩んだ。
ずっと海を避けてきた。「焼けるししょっぱい」も実際あるが、怖いから。
あまりに「海では泳がない」と言うので、本当に泳げるのかと言われたこともある。
泳力の過信という自覚も十分にあった。
わたしみたいのこそ、調子こいて海で泳いだりするもんじゃない。

海は怖い。
遊ぶとこじゃない。プールじゃない、相手は自然だ。流される。死ぬ。
震災とは関係なく、身内に海の事故があったわけでもないのに、ずっとそう思っていた。

でもたぶん、海と向き合うこの一線を、超えるべき時が来ていた。
大会なら、コース上にジェットに乗ったライフガードも沢山待機している。
「もうイヤだ」と手を振れば、ジェットスキーで陸まで送ってくれるらしい。
「もう疲れた」と仰向けにずっと浮かんでいても、陸まで運んでくれるという。

「世界遺産で抜群の透明度の屋久島、去年は海亀と一緒に泳いだ」
の甘言で決意したわたしに、島は容赦なく自然の厳しさを見せつけてきた。
東京のゲリラ豪雨がかわいく思える、意味の分からない降り方の大雨。
会場のテントは風で吹っ飛ばされそうになっており、
吹きっさらしの荷物置き場にも雨が横殴りに降りこんでくる。

しかも、気温は21度、水温は23度。寒い。
別の距離では、低体温症がでて救急車が来たそうだ。(その後、無事)
これ、何の罰ゲーム?

透明な海も、海亀もいない。海に入っても、魚どころか浅い底砂さえ見えない。
すぐ近くを泳ぐ人の存在すら、手足がぶつかって初めて知れるほど。
近くの川から大量の雨水が流れ込んだ水面近くはところどころ真水で、浮かない。
目的を失い、頭を切り替えた先は、無理目なタイム設定をして真剣に泳ぐことだった。
幸い、五輪メダリストの宮下純一さん、寺川綾さんを筆頭に、インターハイ常連選手や
マスターズのランカー達が揃い踏みの先頭集団は、上質すぎるペースメーカーだった。
こんな人たちと一緒に泳げる機会も、そうそうないだろう。

足に巻いたICチップは正確にタイムを測り、
目標を15秒切ったタイムに、緩やかな高揚感を覚える。
こういうところは、どこかしらアスリートなのかもしれない。

またずぶ濡れになりながら移動した体育館では、地元漁港の漁師さんと
お母さんたちが、1日がかりで大量のご馳走を用意してくれていた。
あたたかい首折れサバのあら汁に、焼酎のお湯割りで暖をとる。
物好きなスイマーたちが、これが何戦目だとシーズンの予定と記録を話している。

「次は湘南ですか? 10kmで会いましょう!」
ヤダよ、3時間も4時間も泳ぐなんて。焼けるじゃない。
そう思いながら、別の大会の、今回の倍の距離をそっと申し込んだ。

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↑メダリストの宮下純一さん、寺川綾さんと。
わたしの出た部の1位は寺川さんと同じミズノの白井裕樹選手、1キロ11分ってスゴすぎ。まさに速すぎて見えませんでした。

2015/07/06 06:26 | ■日本‐屋久島 | No Comments

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