2010/09/04

どうも。

 

先日、ある適性検査を受けたときの話です。

すると隣に座っていた留学生が質問しました。

 

「“まれにある”とはどのくらいですか?」

 

質問用紙には、5つの回答が載っており、

“まったくない”

“ほとんどない”

“まれにある”

“ときどきある”

“よくある”

と書いてありました。

 

白髪まじりの試験官もおそらくそんな質問されたことは初めてで、

あたふたして曖昧な答えしかできずに終了。

 

『“まったくない”はゼロで一度もないということで、

“ほとんどない”はたまにしかないということで、

“まれにある”はほとんどないことで。。。』

 

え、2つの選択肢が一緒になってしまってますけど。。

 

たしかにいつもなんとなく答えていますが、

いざ聞かれると、日本語の曖昧なニュアンス満載ですね。

 

5段階評価で真ん中に位置するので、

50%かというとそうでもない。

 

言葉の受け取り方も人によって違いそうですし、

それで判断されるってどうなんでしょう。。

 

しかし、この試験官の日本語説明の適性はないということは間違いないと思いました。

 

 

 

「小学校生活」

 

自分で思い返すと。。

 

部活が一番印象に残っている。

 

私が通っていた小学校では、高学年から授業後の活動として部活動があった。

私は小学校で部活があることを当たり前だと思っていたが、

大学でいろいろな友達に聞いてみると、

部活はほとんど中学校からしかないということに衝撃を受けた。

小学校4年生から6年生まで、一年間部活漬けだった自分には信じられない。

 

3月〜8月 野球部

夏休み中 陸上部

9月〜3月 サッカー部

 

アメリカみたいにシーズン制のような仕組みで、

だいたい仲の良い友達はこのサイクルで一緒に部活に入っていた。

なので、競技は変わっていくが一年中友達とスポーツをしていた。

 

休みは基本土日なので、平日は日が暮れるまで学校の校庭で走り回っていた。

 

 

一輪車の練習はというと、

土日と平日部活から帰って夕飯を食べた後。

 

平日は部活。

平日の夜と、休日に一輪車。

 

だいたいそんな感じで、毎日が過ぎていっていた気がする。

そんな小学校生活だった。

 

 

あとはクラス長的なのをして職権乱用したり、

生徒会長をして更に幅を利かして職権乱用したり、

マニアックな担任の先生の影響でエヴァンゲリオンを観てみたり、

さらに、松本人志を天才と評す先生の影響でひとりごっつまで観てみたり、

優良児童に選ばれて、「有料児童」だと思ってお金もらえると勘違いしたり、

運動会の騎馬戦で大将をして。。そういえば、これ勝った負けた?気になる。。負けてたら悔しいな。。

恋愛をして浮き沈み?沈み沈み?タイタニック号?むしろ潜水艦?とにかく恋愛の恐ろしさを知ったり、、

図工の時間は毎回アイデアに時間をかけすぎて、毎回居残りしていたり。

 

思い出すと色々ありすぎてなんとまとめればいいのやら。。。

 

とにかく学校が大好きだったな。

そして、とにかく楽しかった。

先生にも友達にも恵まれていたし、やりたいことは全部やった。

 

うーん、人生のピークだったのかも。

とも思えるくらい。

 

まぁ、その後20年近くピークが続いているとも思っていますが。

 

 

ではなぜ部活が一番印象に残っているかはまた次回。

 

2010/09/04 03:23 | 未分類 | No Comments
2010/08/21

どうも。

暑い日が続きますね。

今日、東京は少し涼しかったように感じます。

 

暑い日が続くと「もう勘弁してください。」

となげきながらも、

 

少し涼しくなると「もう終わりですか。」

と少し寂しさを感じてしまう自分。。。

 

厳しい練習に耐えてきたアスリート精神でしょうか?

 

ただ単に、暑さで頭がやられているのでしょうか?

 

 

 

「相手を見極められない負けず嫌い」

 

前回紹介した大会に向けての練習会では、

練習後に前週の結果が載っているプリントを支部長から渡された。

その記録用紙には、全員のタイム結果が載っていた。

 

さらにマラソンの練習では、トップ5人だけが細かいラップタイムや

予想ゴールタイムまで様々な計算がされて大きく載っていた。

 

私は小学生のとき、そのトップ5人の中に入りたいと強く思っていた。

10歳になったか、なってないかくらいの私には、

ペースを考えて走れる程の頭は持ち合わせていなかった。

 

細かい数字などに興味があったわけではなく、

ただそこに大きく載るってことが、なんかカッコよく感じたのだと思う。

 

しかし、そこには男女や年齢、タイヤのサイズもまったく配慮はなかった。

中学生や高校生、大人の人もいる中で、5番目までに入らないといけなかった。

 

そのため、タイヤのサイズが小さい私は、

小学生の中では速い方であったが、

全体で5番目までに入ることは出来なかった。

 

悔しくて、タイヤサイズなんか関係ないくらい速くなりたいと思い、

練習会以外の日にも必死に練習した。

 

しかし、結局小学生の間に、

自分の名前が上から5番目までに載ることはなかった。。。

 

 

小学生の頃の練習のことを振り返ってみると、ふとそんなことを思い出した。

 

このことを思い出してもうひとつ思い出すことがある。

 

大学1年生のときに同じクラスだった、

あるLリーグ(女性のJリーグ的存在)のサッカー選手と話したことについてである。

 

新人賞を受賞した彼女に、子どもの頃どんな選手だったかと聞くと、

「小学生のとき、必死に男性の大人のコーチをドリブルで抜こうとがんばっていた。

でも全然抜けなくて、単純に悔しかったし絶対に抜きたいと思って必死だった。

そのとき、相手が男とか大人とかそんなことまったく意識していなかった。」

 

そんな話を聞いたとき、ふと自分の小さかった頃の自分と重ね合わせていた。

 

先述した記録用紙のこともあり、自分も同年代だけを意識するのではなく、

とにかく誰よりも速く走りたいと、必死になって走っていたことを思い出した。

 

 

 

すべての結果を残した選手が同様に考えていたわけではないだろうが、

こういう考えを持つことも、ひとつの大きな成長に結びつけてくれるポイントだと思う。

 

少なくても私の場合は、年齢やタイヤサイズなどの枠に捕われない考え方が、

今の自分へと導いてくれたのだと思う。

 

「枠に捕われない」と言うと少しカッコよく聞こえるが、

ただの「相手を見極められない負けず嫌い」と言う方が正しいのかもしれない。

 

 

 

※一輪車競技(レース)の大会では、基本的に年齢でタイヤのサイズが規定されている。

小学生低学年:16インチ、高学年:20インチ、中学生以上:24インチを使用することが多い

 

 

2010/08/21 12:31 | 未分類 | No Comments
2010/08/06

どうも。

 

暑いですね。

とにかく暑いですね。

昨日、1日外にいたら、まんまと日焼けしました。

というより、もうこれはヤケドだと思います。

 

前は、もうちょっと太陽も優しかった気がするのですが。。

最近、ゴリップクのようですな。

何に怒っているのでしょうか。

 

人間が自己中心的だから?

太陽の存在を軽視しているから?

存在感を出して、こらしめようとしているのか?

 

どうか許してちょ、おてんとさま!!

 

 

 

「クラブでの練習2」

 

名古屋支部の練習には、

「月例会」以外に、大会に向けての練習がある。

 

大会に出場希望者が、

週に1度、毎週日曜の午前中に、

河川敷のサイクリングコースで3時間程。

 

この練習会では、大会に向けた練習メニューを行っていた。

小学生の頃は、だいたい年間の予定として、

 

15月  マラソン大会 (20km42.195km)

510月 トラックレース大会 (100M400Mなど)

101月 駅伝大会 (10km程度)

 

という感じで、練習を行っていた。

 

簡単なイメージとして、

夏は短距離、冬は長距離。

 

 

「月に一度の楽しみ」

 

練習会の思い出としては、

月に一度、午前中に大会に向けての練習会、

午後に月例会という日があり、その日が最高に楽しみだった。

 

一日中、友達や先輩と一輪車に乗っていられること、

これが楽しみだった何よりの理由。

 

そして午前の練習が終わり、午後の月例会の場所に移動する、

その移動の23時間もまた楽しみの大きな理由だった。

 

 

先輩や友達と一時間程歩いて移動し、

途中、昼食をどこかに入って食べるか、

買って月例会の場所に移動して公園で食べる。

 

だいたいいつも親や大人の人はおらず、

先輩に連れていってもらうか、

友達と自分たちだけで移動していた。

 

そのちょっと背伸びした感じや、

自分たちだけの時間は、とても特別の時のように感じた。

 

この楽しみは小学生から高校生まで続いた。

 

いつのことかはもう忘れてしまったが、

こんな素敵な日があと何回あるのか、何回しかないのか、

「月に1回、年に12回、あと何年だとしたら…」

と計算したくらいだった。

 

 

そのときは当たり前かのようであったが、

こうやって振り返ってみると、

本当に練習に行くことを楽しみにしていたのだと思う。

 

仲間や先輩、練習環境に恵まれていたこと。

これなしにして、世界チャンピオンになることはなかっただろう。

 

本当にありがとう。

2010/08/06 07:43 | 未分類 | No Comments
2010/07/17

どうも。

誕生日に素敵なプレゼントを頂きました。

今回はその中の大きなプレゼントをご紹介したいと思います。 

25歳の誕生日プレゼントの模様 

      

クリックリックリック

2010/07/17 01:45 | 未分類 | No Comments
2010/07/04

 

先日、25回目の誕生日を迎えることが出来ました。

 

もう四半世紀を過ごした訳ですね。

 

信じられません。

 

 

当日サプライズでお祝いしてくれた みなさん、

素敵なプレゼントを用意してくれた みなさん、

電話やメールでお祝いしてくれた みなさん、

訪問していた山梨の小学校や関係者の みなさん、

本当にありがとうございました。

 

誕生日をとても多くの人に祝って頂き、とても嬉しかったです。

 

自分の誕生日を多くの人に覚えていただけること、

自分の誕生日のために多くの人が時間や労力を割いていただけること、

本当に幸せなことなのだと体感しました。

 

もちろん、今までもこの幸せを感じ、感謝していたはずですが、

今回はこの幸せを今まで以上に感じることが出来たような気がします。

 

これも回数を重ねているからでしょうか。

だとしたら来年はもっと幸せを感じられるのでしょうか。

いや、そうなっていたいと思います。

 

産んでくれた両親、

育ててくれた家族、

さらに大きく育ててくれた多くの方々、

25回目の誕生日を迎えさせて頂き、ありがとうございます。

これからも宜しくお願い致します。

 

2010/07/04 11:57 | 未分類 | No Comments
2010/06/21

どうも。

 

ワールドカップが初戦の勝利により、

予想以上の盛り上がりをみせていますね。

 

同じ結果だったとしても、

期待が低い方が凄く感じられていいのかもしれないですね。

 

と思うと、菅政権大丈夫でしょうか?

 

なんておせっかいなことを寝不足の頭で考えつつ、

今回は以前書いた、「児童館からクラブチームへ」の続きを書こうと思います。

 

小学校3年生になると同時に入ることになった“名古屋支部”。

その後、19歳までの10年以上過ごしたこのクラブは、

私が一輪車について話すのに、欠くことが出来ない存在です。

そんなクラブについて少し説明したいと思います。

 

 

「クラブでの練習」

 

私は小学1年で入った児童館での一輪車クラブを、

2年間の満期によりやめることになったので、

小学3年生から“日本一輪車協会 名古屋支部”に所属することになった。

 

このクラブは、入会金だけ払えば年会費等はいっさいかからない。

そのために入る際は明快だが、

出る際はハッキリとした手続き等がないので、

実際に所属している人数はよくわからなかった。

 

私が入ったときの会員番号が700番台だったので、

私が入るまでには700人もの人が所属していたのだろう。

(ちなみに私がいる間に新しい会員の番号は4ケタを超えていた。)

実際に同じ時期に練習に来る人数としては、

多かったときで、60人くらいだったと思う。

 

会員構成としては、

幼稚園児の女の子から70歳を超えるオジさんまで、まさに“老若男女”。

同じ年代の小学生もいれば、中学生や高校生もいて、

男女比も半々くらいでした。

 

名古屋支部の決まった活動として、

定例練習会「月例会」がある。

月に1度、日曜の午後に3時間程度、

名古屋の大きな公園のヘリポートで行われる。

クラブ会員が基本みんな参加する、

基本的な練習会という位置づけのものである。

 

どんな練習をするかは自由。

むしろ練習するかどうかも自由。

いや、本当は練習しなくてはいけないのだろうが、

しないと怒られるとか、何か決まりがあるとかはない。

 

私が今考えるに、月例会の趣旨としては、

一輪車の技術向上 と 

一輪車に乗ることをみんなで楽しむ ではないかと思う。

 

技術向上に関しては大会に向けたレースの練習とは違い、

2010/06/21 08:17 | 未分類 | No Comments
2010/06/06

どうも。

 

先日、「時間は誰にとっても平等」という話を耳にしました。

う〜ん、、、なるほど。

でも、この世に〝平等〟なんてものはあり得るのでしょうか。

そんなことをふと考えていました。

 

同じ教室にいて、同じ先生の話を聞いて、

同じ時間を過ごしていても、

その時間の意味や価値は一人一人異なるような気がします。

 

なんて思いつつ、〝時間〟について少し考えてみました。

 

 

「時間」

 

私たちは常に時間と共に生きている。

 

私には私の時間があり、隣の人には隣の人の時間がある。

時間は共有物であるような、個人の所有物であるような。。

同じ時間を過ごしても、各々によってその時間の意味は変わってくる。

 

「無駄な時間だった。」

 

と言うが、それはなんなのか。

時間を無駄なものにしたのは、その人自身であるにもかかわらず、

あたかもその時間が最初から無駄であったかのような言われようである。

 

各々が自分の時間と一緒に生きている。

それなら、

 

「素敵な時間だった。」

 

と自分の時間に言ってあげたい。

 

自分の時間が自分を幸せにしてくれるのではなく、

自分の時間を幸せにすることが、

自分を幸せにすることにつながるのではないだろうか。

 

自分の時間に感謝し、自分の時間に誇りを持てたとき、

そこに「幸せな時間」が生まれるのではないだろうか。

 

とか、思ってみたり。

2010/06/06 08:20 | 未分類 | No Comments
2010/05/21

どうも。

 

だいぶ暖かくなってすごしやすくなってきました。

しかし、朝晩は意外と風が冷たかったりする今日この頃。

この温度差にふりまわされながらも、

ちょっとヨーロッパみたいでなんだかいい気分。

そういえばヨーロッパに住んでいる仲間らは何をしているのだろうか。

たまには連絡してみようかな。

 

さて、そんな物思いにふける春の夜短。

今回は、児童館からクラブチームへ移った小学生の頃、

一輪車以外ではどんなことが起きていたかを顧みたいと思います。

 

 

 

「小学生の死闘」

 

小学校のときは、6歳年上の兄とよくケンカしたことを覚えている。

 

長男はイタズラ好きで、

さらには自分が小学生のときに、反抗期まっただ中。

じーざす。

 

たとえば 夕食のときに、

楽しみに最後までとっておいたエビフライを食べられてしまったり、

たとえば 家でひとり遊んでいるときに、

帰ってきた兄と顔を合わせた瞬間 殴られたり、

毎日のようにいろいろと理不尽なことが起こった。

 

その都度、立ち向かった。

勝てない事は百も承知だったが、我慢出来なかった。

 

エビフライが返してほしかった。

一発殴り返したかった。

自分は自分の正義を主張したかった。

力が強いからといって理不尽な兄に屈する事は納得出来なかった。

 

毎回泣かされ、

死闘の末、仕切りの窓ガラスが割れることは日常茶飯事だった。

 

力では勝てない事はわかっていた。

だから奇跡を起こすしかなかった。

戦いながら、最強の召還獣“親”が出てきてくれるのを待っていた。

 

親に正しいジャッジをしてもらい、

親の絶対的立場から兄の間違いを正して欲しかった。

 

しかし、最強の召還獣は幻の生き物であった。

 

親が仲裁することはなかった。

 

いつも家事をしながら背中で見守っていた。

 

 

ただ、いつも終わった後に泣きじゃくっているとき、

親が慰めてくれたことを今でも覚えている。

 

  :「勝てないことがわかっていても、よく懲りずに向かっていくね。」

 

三男:「だって、自分は間違ったことしてないから。

    でも勝てなくて悔しい。兄が悪い事をしたんだからしかってよ!」

 

  :「今は勝てなくても、いつか必ず勝てるときがくる。

   そうやって自分の考えを持って、絶え間ぬ努力と立ち向かう勇気があれば。

      そのときに良い思いをするのはあなただから。

      だから今は勝てなくても我慢しなさい。」

 

三男:「やだーーーーーーーーーー!!!!!」

 

 

いつもこんな感じだった。

 

 

もちろん自分の正義を主張せずに、屈する事はしたくない。

しかし、正しい事を正しいと主張するだけでは意味がない。

納得出来なければ、自分でなんとかする。

なんとか出来なければ、泣くしかない。

泣きたくなければ、泣かなくてすむように自分でなんとか出来るようになれ。

 

今思い返すと、家族という小さな社会の中で、

そんなことを知らず知らずのうちに学んでいた気がする。

 

 

そして、最近世の中という大きな社会も似ているように感じる。

「えー!?」ってことが普通に起きていたりする。

誰かが善悪を決めて、平和になるほどこの世の中は単純ではない。

 

だから、自分が思う正しいことをしたいのであれば、

自分でその正義をつらぬけるだけの能力を身につけなくてはならない。

 

 

小さいときに教えてくれた、小さな社会に感謝。

ありがとう。

 

2010/05/21 08:50 | 未分類 | No Comments
2010/04/26

どうも。

 

今回は、ふと最近感じた事を徒然なるままに書きたいと思います。

 

 

先日、ぽかぽかした日にキャンパス近くを歩いていると、

ふと葉桜が目に留まりました。

 

「 あ〜、なんかいいかも。 」

 

満開を過ぎ、花びらもかなり散り、葉が目立つ桜。

 

私の目には、ピンクとミドリのコントラストが凄く美しく、

青々した若葉や新芽がイキイキして写りました。

 

 

 

満開の桜は美しい。

 

これは日本人の普遍的価値であり、

私も満開の桜には毎年魅了されます。

 

しかし、満開でありながらもその陰で散っていく花びらを観ると、

とても寂しい思いになってしまいます。

 

なので、小さい頃から満開よりも七部咲きくらいが好きでした。

「これからやりまっせ!!」って感じの、

美に向かう向上心や勢いが、なにか力をくれる感じがします。

 

そして、満開後の桜は苦手でした。

花びらが地面に落ちていく姿を観ると、凄く寂しい思いになってしまうから。。

だから葉桜に目を向ける事はあまりありませんでした。

知らぬ間に避けていたのかもしれません。

 

しかし、先日感じたものはまったく違う感覚でした。

 

『 輝いてるなぁ。 』

 

そのとき初めて気がつきました。

輝きは満開に向けて増していき、満開でピークになり、

満開後は衰えていくかのように感じていました。

 

しかし、それは見た目にとらわれた浅はかな考えでした。

 

 

自然は常に変化し、常に一所懸命で、常に輝いている。

 

だから、常に美しい。

 

人間も同じかもしれませんね。

 

 

とか、思ってみたり。

 

 

2010/04/26 02:20 | 未分類 | No Comments
2010/04/12

どうも。

 

「最高気温20℃超ッ!」

暖かくなったと喜んでいたら、

なんと今日は最高気温ギリギリ2桁!?

 

デフレとはいえ、

気温まで50OFFはちょっとやり過ぎではないですか?

 

安定した人生よりも、変化に富んだ人生を望む安藤も、

この変化にはビックリです。

新しい党の名前と同じくらいビックリです。

 

 

さて、そんなガンダムの話は置いておいて、

今回は児童館からクラブチームへの移籍() についてです。

この移籍により、本格的に大会に出場するようになりました。

 

そう考えると、この時が最初の岐路だったのかもしれません。

 

 

 

「児童館からクラブチームへ」

 

初めての大会出場から数ヶ月後、

児童館の一輪車クラブに入って2年。

大きな決断を迫られていた。

 

児童館のクラブは年間会員制で、期限は1年間。

毎年3月に次年度の年間会員を募集していた。

 

私が小学生の頃は、

一輪車が学校や児童館等に設置され始めたこともあり、

子どもたちにとって一輪車人気バブル絶頂期。

 

児童館の一輪車クラブは毎年定員に達して抽選になるほどだった。

そのため、一輪車クラブの会員更新は1度だけ、

つまり児童館では2年間しか続けることが出来なかった。

 

2年生から3年生になると同時に、

2年間続けた児童館の一輪車クラブを卒業することになった。

 

 

私は間を空けることなく、次の扉を開いた。

 

児童館に指導に来ていた指導者に誘って頂いたこともあり、

その指導者が代表を務める地域のクラブチーム、

“名古屋支部”に入った。

 

新たなクラブに入ることへの不安や迷いはまったくなかった。

 

なぜなら、「続ける」以外の選択肢が自分の中には存在しなかったから。

 

だから、このとき“決断”という決断をした記憶は自分にはない。

 

“最初の大会に出場して感じたトップ選手に対する憧れ”

“新たな友達づくりのキッカケ”

“家族でのポジションづくりや褒めてもらうキッカケ”

 

そんな一輪車をやめようとはまったく思わなかった。

 

しかし、それもまた“決断”なのかもしれない。

2010/04/12 11:19 | 未分類 | No Comments

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