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2010/05/29

大人が嫌いだった。先生は信用できなかった。自分も大人になるのが嫌だった。

親を悲しませたくないし、近所では評判の床屋さんの息子でなくてはいけなく、思春期に入った自分は親には反抗はしなかったものの、学校や社会、そして自分に反抗していた。

タバコは13歳で味を覚え20歳でやめた。競馬もパチンコも高校と同時に卒業した。

外見こそ不良ではなかったが、やっている事は不良だった…と思う。もし自分の息子が、こんなんだったら、張り倒しているに違いない(笑)

時には、授業は弁当を食べながら受け、匂いが教壇に届く前には食べ終わり教室の後ろのドアから抜け出す。廊下でウロウロしていると捕まるので、二階建て木造校舎の屋根に上って昼寝。

15歳、高校の合格発表の日の朝。僕は二日酔いで頭が割れそうになりながら出かけた。
理科満点。英語8点で志望校合格。「なんじゃそりゃ」、また世の中をなめるようになった。

何を始めても中途半端で、小学校時代のサッカー少年団は5年生の時に止め、中学から始めたバスケ部も1年で退部、高校になったら三年続けようと思ってバスケをやろうとしたけど、バンドの方が楽しくて退部。何をやってもやり遂げることのできない自分。

大 嫌いだった国語と英語、そして美術。小中高で一度も感想文や作文は書いたことがなく、国語と英語の教科書は卒業時でも新品。文章を書くのが大嫌いで、感想 文なんて「僕は、」だけ書いて提出、いつも決まって三文字だ。もちろん赤点。しかし、今はこうやってJunk Stage書いている。

英語は「三人称単数のS」が分からないまま高校卒業。「俺は日本人なんだから英語なんて必要ない!」と突っ張って6年が過ぎた。そういう自分は、現在英語を使って生きている。

絵 を描くなんて、図画工作なんてトンでもない。クリエイティブな発想ができない子供で、あんなつまらない美術の時間なんて出席を取る最初の5分だけ教室にい たけど、その後は抜け出してどこか行っている。義務教育で落第はないだろうって学校を完全になめていた。今はクリエイティブな仕事をしている。

人生って、どうなるか分からないもの。

中学2年生の時は、校内放送で「2年2組の田中、苗穂交番から呼び出しがかかっています、至急職員室まで」なんてこともありました。僕の両手の10本の指紋はどこかの署に保管されているはず。

いつも職員室で正座させられていた。

も う、先生が大嫌いで信用していなくて、尊敬なんてできなかった。相当生意気な生徒だったと思う。もし自分の先生が親の機嫌取りだけではなく、真剣に僕の人 生を考えてくれていれば違ったのかもしれない。そんな大人の嫌な部分を当時の僕は見抜いていた。子供は全てお見通しなのである。

先生を心から「凄い!偉い!」って思っていれば、学ぶ姿勢になったのかもしれない。人のせいにしてはいけないけれど、子供とはそういうものだ。人は理屈だけでは動かない、心で動くものなのに、当時の大人たちは「心」がなかった。

今 現在、自分が教壇に立って教えることがあるけれど、まず最初に「自分はこんなに凄い偉い!」という事をアピールする、もちろん謙虚な言い方で。子供が「こ いつ何しに来たんだ?アホか!」って思われたら学ぶ姿勢を閉ざすので先に進めない。逆に生徒が「へぇーこいつ、すげー」って思ってくれたら、こっちのもの で一生懸命学んでくれる。自分が子供の時そうだったから分かる。

「教えなくてはならないことを教える」のが先生ではない。「この子達が将 来、社会へ飛び立った時に必要なことを教える」のが指導者だと思っている。「今、この子の偏差値が上がるように教える」のじゃ駄目で、「この生徒の将来に は、この勉強が必要だから」って教えないと付いてこない。

将来の夢、そんなもの無かった。

明るい高校生活、そんなもの期待しなかった。

もう自分の成績、自分の性格、「いまさら、変えれっこないじゃん」ってあきらめていた。

その反面、苦しくて、辛くて、どうすれば良いのかわからず、いつも暗闇の中に閉じこもっていた。

バンドやってスタジオで練習。制服にはいつもタバコの臭い、朝まで賭けマージャンやって、自転車通学も寄り道しながらで帰宅時間は夜の11時。親にはなんて嘘つこうかって考え、内緒で取ったバイクの免許はストーカー女に密告されバレてしまい。。。。

「自分っていったい何なのか…」苦しかった。

「このままで俺はいいのか…」考えると涙が流れた。

この失望感。絶望感。

子供の頃から母親に言われていた言葉「外で悪い事をしてはいけない」は、守れなかったが、「笑顔で挨拶」、そして「女の子には優しく」は守っていた。

・・・・そんな中学高校時代。

自分の10年後、20年後はどうなっているのか、タイムマシーンに乗って「将来の自分」が僕に会いに来てくれないかなって、いつもいつも空想していた。今、当時を思い返せばものすごい空想力だったと思う。

その夢と現実の空間で「ひらめいた!」、 高校3年の10月。

2010/05/29 09:55 | 第三章 われ、弱ければこそ | No Comments

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