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2010/03/09

前回の投稿から章が変わって、第一話が始まったのですが、周囲からは予想以上の反響がありまして、余りにも今とのギャップがありすぎると。そこで、もっと子供時代を振り返って自分の半世紀を記したいと思いました。今回は6才までの自分の環境を思い出しながらです。

僕 の母方の祖母が他界してから丁度一年後に僕が産まれました。親戚の叔父さん叔母さんは、僕を見るたび「生まれ変わり」だというくらい、顔の骨格、目の大き さ、足の指の形まで、まるで生き写しだといいます。お婆ちゃんは40歳代でなくなったので仏壇に飾ってある写真は「お婆ちゃん」の姿とは程遠く「お姉さ ん」です。自分が女装したらこんなふうだろうというくらい似ている。

父親は理容師、母親は美容師。夫婦でサロンをオープンして直ぐに産ま れた子供が僕だったから、仕事と子育ての両立でそれは大変だっただろうと今だから少しは分かる。それに加えて、身体が弱く、赤ちゃんの時の自分の写真はと いうと、頭は包帯でグルグル巻き。瘡蓋(かさぶた)で覆われた皮膚病の頭皮を治療していたらしい。乳幼児がかかる病気という病気は全てかかり、いつも病院 へかかっていた。商売を始めたばかりの両親に、なんて親不孝な子供だったと思う。

保育園にも一時は通っていたみたいだが、身体が弱くて数ヶ月たらずで中退。もし履歴書が生まれた時から全て記載しなければならないルールだったら、「苗穂厚生会保育園 一身上の都合で中退」と書かなくてはならなかっただろう(笑)

3 歳の時は肺炎で入院。親戚のおばさんがお見舞いに持ってきてくれたスイカで命拾いしたとか?当事の病棟は今でも覚えている。面会時間が終わると母親は家に 帰る、目が覚めると一人ぼっち、泣いて「ママー、ママー」と叫びながら病室を出るけど、もう誰もいない、外は暗くなっている。どのくらい入院したのか覚え ていないが、また1人ぼっちという寂しい気持ち、空虚さは今でも覚えている。

「また一人ぼっち」。物心付いた時から親はお店で仕事、お腹がすいて泣きながら親を求めてお店にでても、「お客さんがいるから来るんじゃない」と言って、バタンとドアを閉められる。どんなに泣き叫んでママを呼んでも、お客さんがいなくなるまではドアが開く事は無かった。

そ して同じく3歳の頃、ストーブの上に乗っかっていた熱湯が両足の上に落ちてくるという事故が起きた。さすがに親はお客さんを置いて病院へ。縮みあがった両 足の皮をピンセットで引っ張るという治療が半端でなく痛く、両手両足を押さえつけられて治療台の上で絶叫している自分の姿は今でも思い出す。

今でも火傷の影響で足の毛は生えていなく、太ももの裏はケロイドが残ったまま。しかし、当事の医療技術で、ここまでキレイに再生されているのはすごいと思う。札幌の入江外科という名前は忘れずに感謝している。

身体が弱く保育園も通えなく、1人でいる時間が多かった子供だったので、やはり1人遊びを覚える。興味があったのはコンセントとプラグ、ネジ、ナットとボルト、そして昆虫やクモやミミズなどの生き物だった。

4 歳5歳でドライバーの使い方を覚え、家の中のネジというネジを全部外して回った。父親は仕事が終わると、家の中のネジを閉めて回ったそうだ(笑) ケーブ ルが二本いつも隣り合わせなのは、コンセントが二つだからと理解していたし、そのケーブルを二つ重ね合わせたらどうなるか疑問に思ってやってみたら火花が 散った瞬間に家の電気が真っ暗になった。ブレーカーが落ちたのだ(笑)触ったらどうなるかもやってみたら、全身がしびれてビックリした、4歳で既に感電を 味わっていたのだ(笑)

親が聞いたら怒られるかもしれないが、わが家は裕福ではなく、おもちゃなども飽きるほど買ってもらえるような家では なく、周りにあるもの全てが僕にとっての「おもちゃ」。工夫をすれば何でもおもちゃになる。一歩外にでると、色々な虫たちがいる、土を掘ればミミズ、石を どければワラジ虫やらクモなど、全部捕まえて牛乳瓶に詰め込んで・・・という人間の本能の狩猟?というのを、飽きもしないでコツコツやっていた子供だっ た。と同時に一人ぼっちじゃない、他の生き物と一緒という安心感もあったはずだったに違いない。

物があふれていたわけでもなく、世話をしてくれるお婆ちゃんがいるわけでもなく、ドア一枚向こう側では両親がサロンで一生懸命仕事をしている。なのに反対側では僕はいつも1人ぼっち。今日のおもちゃになるものは無いかと探している。

5 歳になり、やっと幼稚園に入園できた。しかしこの5年間1人で遊んできた子供が、いきなり集団行動の中に入れるはずもなかった。同じ園児服を着て、好きで もない絵をかかされ、粘土でモノを作るなんて、凄いキライな時間だった。大嫌いな親子遠足、うちの両親は仕事している。代わりに父方のお婆ちゃんが一緒に 親子遠足へ。全体写真に残っているのは、僕だけがお婆ちゃんと一緒。皆はママが来てくれているのに、僕だけどうしてお婆ちゃんなの?答えは「ママはお仕事 があるから」。

既にこの頃から、自分の一匹狼的な性格が出来上がっていた。そして無いものは工夫して活用するというのも覚えた。一人でも十分に楽しめるし、みんなと同じ事をするのが嫌な性格の基盤は5歳までに出来上がっていた。

6 才の誕生日を迎えた10月24日。全く同じ日に弟が産まれた。この日は僕の一人っ子に終止符を打ってくれた記念すべき日でもある。この弟の存在というの が、今の自分の「リーダー論」の原点を教えてくれた。人への「愛情のかけかた」を教えてくれた。とても大切な一生の出来事だったと振り返ると思える。

2010/03/09 10:00 | 第三章 われ、弱ければこそ | No Comments

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