Home > 4月, 2010

2010/04/29

よく質問されるのが「子供の頃から両親の姿を見て、理容師・美容師になろうと思ったのですか?」 だ。トンでもない!冗談じゃない!子供の頃から大変な目に合い、6才下の弟の面倒を見ながら、いつもお腹をすかせて、学校の行事には親は来てくれなく、遠足のお弁当だって近所の俵谷商店で買ったパンと牛乳だった時もあったんだぞー!と言いたい(笑)

子供の頃から、「お兄ちゃんは、大きくなった らお父さんの後継ぎをするのかい?」なんて近所のおじちゃんおばちゃんから言われたが、「わからない・・・」と返事はするものの、心の中では「絶対に後継 ぎなんかするもんか」と叫んでいた。

当時は恨みもした親の職業だが、今となっては、その育った環境にはとても感謝をしている。親は決 して計算をしていたはずは無いだろうが、その偶然の環境が社会人になってからの僕に途轍もない良い意味での影響を与えてくれている。

【お 金が無い】
母親は口癖のように「お金がない」「お金があったらねー」を毎日のようにぼやいていて、それを小さな頃から聞かされていた僕は 「あぁぁ、うちは貧乏なんだ」と思うようになった。確かに周りの友達と比べると下の方で、うちは木造の店舗付き住宅で、昼間でも電気を点けないと暗いような居間 だったし、お風呂も家には無かったので18歳までは銭湯通いだった。靴下の親指に穴があいたら新しいのは買わずに、その穴を縫い付けるのでいつも親指の爪の間には糸の結び目が食い込んでくる違和感があった(笑)

しかし、お金が無いはずなのに、子供の知らぬ間に土地を買って新築を 建てて、そこは借家として人に貸していたのだ。子供に贅沢もさせず、いつもお金が無いといいながらコツコツとお金を貯めていた母親の力量には頭が下が る。素晴らしい母親だ!

【食べ物】
商売をやっていれば当たり前なのだが全てがお客さん中心。自分を犠牲にしてでもお客さん第一 という商人魂は、親から自然と教わっていたのだろう。そりゃ夜の6時にご飯を食べるなんて夢のような話で、ドラマの中の「夜6時になったら夕食ですよー」 なんて不思議でたまらなかった。最後のお客さんが夜遅く差し掛かる時などは、母親が仕事を終わるのを待ちきれずに寝てしまう事もあった、晩飯抜きである。

しかし、これも小学校高学年になってくれば智恵も出て くる。釜の冷ご飯をよそって、塩をかけて食べたのが始まりで(「ゴマ塩ふりかけ」の、ゴマ抜きという発想だった)、生卵ご飯、醤油とバター、おかずの材料にな るものを盗んで食べると怒られるので、分からないように量を差し控えながら盗み食いをし飢えをしのんだ(笑)

ガムの味が無くなると、砂糖を噛んだガムにからめて食べてみ ようとやってみるが、ものの数秒で味が無くなり、次はハチミツとか甘いものを探してガムの寿命を延ばそうと智恵を絞ぼり(10歳の頃だった)、しかし、ど う頑張ってもガムの甘さの寿命は延ばせないんだと気付き、ガムを作った人は天才だなと子供心に感動した(笑)

親は火曜日休みで、学校は日曜日休み。夏休みや冬休み期間だけが親とデパートへ行ったり外食できる唯一の時間。しかし…。おもちゃ付きの旗の立っているお子様ランチを注文するなんて夢の夢!いつも「ほら、ざるそばと盛りそば、ざるそばは海苔がかかっているんだぞー!」と父親に助言され、なぜかデパートの最上階のレストランでの我が家の定番はざるそばだった、たしかに一番安い。

【節約】
ここまで 「うちは貧乏でお金が無い」と洗脳されていると、誕生日プレゼントに何が欲しいと聞かれても、欲しいものを欲しいと言えるような子供に育つはずがない (笑)弟にも「それは高いから駄目だよ、もっと安いものを考えろよ!」という始末。小学校高学年の時に要求した誕生日プレゼントは、「納豆をどんぶりで独 り占めにして食べたい」。親は驚きながら、「もっと他にないの?」と聞いてくる。「それじゃ、牛乳1リットルを独り占めしたい」。そうキーワードは「独り 占め」(笑)

本当に欲しいものは、お年玉を貯金し新聞配達などをして、自分でお金を貯めて購入した。天体望遠鏡も一眼レフカメラもコツコ ツとお金を預金しながら買ったものだ。親の立場にしても、子供から「お金がかかるからプレゼントはいらない」と言われると、何か買ってあげたくなるものだ ろう!そういう心理というのも子供のクセに解っていたので、自分から「欲しい!買って!」とは言わなかった。「追うと得れない」というのも解っていた、恐 るべし12歳。

海外生活を長くしぶとく続けていけるのは、この食べたいものをコントロールし、節約できるというのが本当に 役に立っている。欲を抑えることができるのは、うちの両親の下で育てられたからで、お坊ちゃんに育っていれば、挫折していたと思う。物が無かった環境で、 アイデアを絞って工夫をして生きていくと言う事も、この環境下で学んでいたのだと思うし、これが美容師という仕事にも間違いなく繋がっているのは間違いな い。

両親が子育てをしながら忙しく仕事をしていた、そのいくつもの偶然の重なり合いが、今では全てが繋がって僕と言う人間が形成されている。そんな両親には感謝してもしきれない。


2010/04/06

リーダー論

宏昌が4歳5歳のころ、自分は小学校4年・5年生だった。ここまで年の差が離れていると、正直一緒に遊んでいても面白くない、興味を持つものが違いすぎるのである。しかし、僕と一緒に遊んでいないと、親はお客さんをしているので「ママ~~」と仕事の邪魔になるというのも分かっている。

近所には弟と同じ年齢のイツギ君という男の子がいて、仲良く遊んでくれてるのはいいのだが、どうしても4歳5歳児同士の遊びでは限界が出てくる。そうなると「お兄ちゃん、遊んでぇ~~」となるわけだ。

しかし、一緒に遊ぶと言っても、兄の興味のある事は6才下の弟達は面白くない。弟の面白い事は僕はつまらない・・・。しかし、自分が経験をしている遊びや虫取りなど、教えてあげると「へぇ~凄い!」となるわけで、これが単純なんだが優越感に浸れる。そうすると、「もっと遊びを教えてあげるよ!」となり、また「お兄ちゃん凄い!!」となるわけだ(笑)

こなると、もうサル山番長である。自分が同級生のクラスメイトや先生から虐められていても、学校から家に帰り弟を保育園まで迎えに行くと、その瞬間から弟達のボスに変身する。「この遊びは3人集まらないとできないからもう1人誰か探して来い!」と言うと、弟たちは「遊んでもらえなくなるかも!?」という焦りで、友達を見つけてくる。そして兄の僕は、この三人の子供に遊び方を教え、ルールを説明しながら、個々にあったポジションを与えて、皆で楽しく遊べるように指示をする。

リーダーに必要な、1、支配性がある。2、優れた対人技能を持っている。3、部下を公平に気遣う。4、目標達成を強調する。この4つは、僕の弟とイツギ君達によって自然と鍛えられたのである。

支配性は、6才も年上のヒロ君のお兄ちゃんだから当然だし。対人技能は、怖かったり殴られたりしたら子供たちは寄って来ないので、笑顔で「一緒に遊ぼう!」という姿勢でいなくてはならない。部下を公平に気遣うのも、何人も子供たちがいる中で自分の弟だけ優位になるようなことはできない、逆に弟だから厳しくしないと周りが納得しないというのも学んだ。そして最後に皆に目的意識を持たせて遊ばせないと、直ぐに「つまらない・・・、面白くない・・・、もう帰る・・・。」となるのだ。

自分が高校生になると部活に入ったり、バンド組んでスタジオでドラムを叩いたり、同級生との時間が楽しくて、家に帰るなんて夜の10時11時だった(笑)。この頃は、兄弟で何をしていたのか、あまり覚えていない。もう大人と子供の違いが出てくる。

自分が高校3年生になると、弟は小学校6年生。我が家の場合、学校の行事は親は仕事があるので来てもらえることは殆ど無く、運動会の日は、朝からお弁当は作ってくれるのだが、場所を取って子供の走りを見に行くなど不可能に近かったので、お昼の時間は、家族で楽しそうにお弁当を広げている友達の姿を横目にしながら、自宅へ帰って1人でお弁当を食べていた。急いで食べ終えて、午後の運動会に戻るというのが毎年恒例のだった。父兄参観だって、偶然にお客さんの切れ間ができれば教室まで来 てくれたが、来るか来ないかなんて誰にも分からない、来てくれる保障はなしという家庭だった。

そこで、自分が親代わりになれば弟に寂しい思いをさせないですむと思うようになり、運動会の朝は従姉弟の美香と公義を呼んで、一緒に場所取り、カメラを持って弟の写真を撮るという、父親のような事をしていた。この従姉弟の2人も年下、僕はお兄ちゃんと呼ばれて慕われていたので、運動会開場でもサル山の大将発揮である(笑) おやつを食べて良いかの許可を出し、お昼のお弁当は弟が昼休みにはいるまでお預け、トイレに行って帰ってくる時に迷子にならないように、時間を見計らって手を振るなど、すっかり保護者であった。

父兄参観だって、兄と言う文字が入っているのだから、兄が父兄参観に出て何が悪い!と言っては、小学校の授業参観に出席をして、他のお父さんやお母さんに混じって、高校生の兄が弟の授業を見ている。誰かが「あっ!田中の兄ちゃんだ!」と発すると、全員が僕を見る。全く恥ずかしいとも思わず、僕は弟の授業を父兄として参観日に出向く事を誇りに思っていたし、弟も同じ思いで、自分だけ違うという劣等感ではなかったはずだ。

そうやって僕の育った環境は、リーダー論を身につけるには最適だったように思える。弟の宏昌の存在、従姉弟の美香と公義の存在、偶然にも自分が一番年上で、「お兄ちゃんだから」という責任を押し付けられたのが良かったのだろう。

フリーペーパー会社の裏社長をやっていた時、20人以上の若いインターンシップを動かせたのも、FMラジオの運営で若いスタッフを引っ張って行けるのも、親が忙しかった環境下の下、更に、この6才年下の弟がいたお陰で、幼少のころから自然に身に付く事ができたのだと自己分析できる。