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間もなく2013年もおしまいですが、私は紅白歌合戦も見ないでこのコラムを書いております(笑)。
私は1996年末に、インターネット上に自分の空間すなわちホームページを持つことになったのですが、そのときのコンテンツは2つありました。
ひとつは、前回書きましたストリップの「日本ストリップインフォメーションセンター」ですが、もうひとつが「Japan Contortion Page」でした。
コントーション、すなわち体の柔らかさをアピールするアクロバットに魅せられて、ホームページを開設してきたわけで、2009年までの13年間に、観賞したコントーションの写真を発表したり、掲示板で情報交換したり、また時には掲示板で知り合った仲間と一緒にコントーションを観賞したり、といろいろ活動してまいりました。
しかし、確かに「コントーション」という言葉こそ世間一般に多少は知れ渡るようにはなりましたが、コントーションそのものは私の望まない方向に「進化」してしまったように思います。
私がかつて魅せられたコントーションは、子供の頃テレビで見た欧米系のサーカスで、大胆なビキニ姿の女性がその驚異的な体の柔軟性とともに、鍛え抜かれた魅力的な体そのものを、しっかりと見せてくれるものでした。
そんなコントーションをいつか生で見てみたい、という思いを持ち続けていろんなサーカスや中国雑技を鑑賞し、そしてインターネットを通じて求め続けてきたのですが・・・
現在見ることのできるコントーションは、体全体を衣装で包み込んでその体の魅力を味わうことはできなくなってしまいました。
そして私は、そういうコントーションを見ても、大きな感動を得られなくなっていたのです。
私はここに至って、私自身がコントーションに求めていたことを、ようやく知ることになりました。
すなわち、私にとってコントーションの魅力は、「体の柔らかさを見せる」ことだけではなく、同時に「柔らかい体を見せる」という要素が不可欠だったということです。
この2つの要素がいわば「車の両輪」のごとく協調したところに、私は魅せられていたのではないかと・・・
ですから、以前「私とストリップ③」でも書いたアクロバットダンサーは、その体の柔らかさと柔らかい体そのものを目の前でたっぷり見せてくれるという、私にとって究極の理想的コントーションだったのです。
しかしそれももう、見られなくなって20年になります。
逆に言えば、その理想的コントーションが見られなくなったから、それを求めるべくネットでの活動を始めたということになりますが、結局それは現在に至るまでかなうことはありませんでした。
おそらく今のご時世では、私のような嗜好はただの「スケベオヤジ」として、むしろ排除されるべきものになってしまったのかもしれません。
前述のとおり、現在でもコントーションはサーカスや中国雑技、または大道芸の公演などで見ることは可能です。
またここ数年では、日本人でコントーションを見せるパフォーマーも出てきました。
しかし私のホームページは残念ながら、そういう人たちとの接点にはなりませんでした。
また今もって不思議なのは、「mixi」にもコントーションに関するコミュニティがあって、そこでは私の「Japan Contortion Page」も紹介されていたのにかかわらず、mixiの会員でもある私がその存在さえも知らされなかったことです。
それらのことに落胆したこともあって、2009年末をもって「Japan Contortion Page」の閉鎖を決めたのでした。
それ以降も中国雑技などでコントーションを見る機会はありますが、当時ほど積極的に観賞することはなくなりました。