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2013/02/26

今月も下旬になって、まだコラムを書いていませんでした(苦笑)。
いや本当に最近は、choreographyを全然見ていないものですから・・・
で、苦し紛れに今回はこういうネタでやろうかと思います。

前に、昨年末中古のデジタル一眼レフカメラを買ったお話をしたかと思いますが、今回はchoreographyの撮影に欠かせないカメラのお話をさせていただきます。
演じられたその場限りのchoreographyを記録し、いつでもその魅力を見返すことができるようにしたいという気持ちは、常に私の中にありましたが、私がchoreographyの写真を本格的に撮影するようになったのは、1990年代に入ってからのことだったと思います。
といいますのは、それまで一般に体操・新体操やサーカス・ダンスなどのchoreographyは、カメラで撮影するには暗い場所で行われていて、当時一般大衆が写真を撮影することはたとえ禁止されていなくても、技術的にほぼ不可能なことだったからです。
せいぜい、屋外で行われた大道芸が撮影できるくらいだったでしょうか。
もっとも、当時の私は大道芸でchoreographyが見られることを、まだ知らず興味を持っていませんでしたが(苦笑)。
しかし1990年代に入ると、感度が普通のフィルム(ISO100)の16倍(ISO1600)という高感度フィルムが手軽に入手できるようになってきました。
また、コンパクトながらオートフォーカスでピント合わせの手間が省け、しかも3,4倍のズーム機能もついた便利なカメラが、手軽な価格で入手できるようにもなりました。
このフィルムとカメラの組み合わせにより、暗い屋内で行われていたサーカスでもなんとか撮影できるようになり、その魅力を残しておくことができるようになったのです。
そんな私の初期の写真は、こういう感じでした。

これは1992年秋に神奈川県相模原市で行われていたイベントに来演していた、フランスのミニサーカスのパフォーマンスの模様です。
もっとも、演じていた彼女自身はは中国の出身で、主に中国雑技の皿回しなどやっていたわけですが(爆)。
もうひとつ、この時期のchoreographyをご覧いただきましょう。

あらゆるchoreographyの中でも私が最も好きなのが、体の柔らかさと美しさを「これでもか」というほど見せてくれる、「コントーション」というアクロバットです。

こちらは、1994年の秋に愛知県のリトルワールドで初めて見た、モンゴルサーカスのコントーションです。
屋外で行われたこともあって枚数もかなり撮りましたし、これを見るために横浜から何度も出向いたものです。
驚異的な体の柔らかさだけではなく、体の美しさも大きな魅力でしたが、これ以降見るモンゴルサーカスではその体全体を衣装で包んでしまい、魅力を半減させてしまっているのが残念です。

うん、苦し紛れに書き始めたネタでしたが、一旦書き出すとこれはなかなか行けそうな気がしてきました(笑)。
これも今後、シリーズ化してみようかな。
さしあたっては、今月中にもう1回コラムを書かなくちゃいけないし(爆)。

おまけ
24日にはJunkStage総会に出席してまいりました。
しかし、出席したメンバーで頭が白いのって私だけでした(苦笑)。
寄る年波には勝てず、懇親会も途中で失礼せざるを得ませんでした。
新しいライターの方も増えてきたし、やっぱり潮時かなあ(原爆)。

2013/01/30

2013年は早くも1か月が過ぎようとしています。
考えてみれば、私は今年まだコラムを1回しか書いておりませんでした。
前回(1月13日)以降、choreographyをまったく観賞していなかったもので・・・(苦笑)
ネタに困ったところで、苦し紛れに久々にこの連載を復活させるわけです(爆)。

 

お話は、確か結婚したことまででしたが、それは1995(平成7)年のことでした。
当時は仕事で心身ともに疲弊した状態でして、ストリップを見に行くことは当時に私にとっては、もっとも有効なストレス解消手段でもあったのです。
しかし問題は、それが結婚後も続いたことでした(原爆)。
本当にカミさんには悪いことをしたなあと反省しておりますが、自由にさせてくれたことには感謝しています。
あ、もちろん休みのときにはよく夫婦で一緒に、いろんなところに出かけましたよ(笑)。
ストリップ劇場にも、2回ほど連れて行きましたが(水爆)。

さて、当時はいわゆる「アイドルストリッパー」の全盛期で、テレビ番組でもよく取り上げられていましたし、雑誌のグラビアを飾ったりもしていたものです。
そして彼女たちのステージはまさに「choreography」としても、かなりいい線いっていたのではないかと思います。
しかしその一方で、「風俗」としてのストリップも1990年代にはまだ健在でした。
これまではっきりとは書きませんでしたが、すでに今世紀には「過去の遺物」と化したので、書いてしまいましょう。

 

私がストリップを見始めた1980年代半ばの頃、ほとんどのストリップ劇場のメインの演目は「本番生板ショー」というものでした。
これは要するに、ステージの上でダンサーと観客代表がある「行為」を行うというものでした(中性子爆)。
そして、その代表になる権利を得るための「ジャンケン合戦」の熱気と殺気は、それはすさまじいものでした(苦笑)。
ですから、形は「ショー」でも中身は正直見られたものではなかったものが、正直大多数でしたね。
少数ながら、踊りもきっちりこなすダンサーもいましたが・・・
そんな中で、黎明期のアイドルストリッパーやアクロバットを見せるダンサーは、「見せる」だけで観客を満足あるいは納得させなければならなかったわけですから、当然質の高い「choreography」を見せなければならなかったのです。
逆に1990年代後半、「風俗」としてのストリップの影が薄くなっていく一方で、「choreography」としてのストリップの質が落ちてきたと感じられるようになりました。
「昔はよかった」という言葉は古い人間が言う言葉なのでしょうが、ことストリップに関して言わせてもらうなら、まさにこの一言に尽きると思います。
まあ、私ももう古い人間の1人なんでしょうけどね(苦笑)。

 

と、今回は横道にそれてしまいましたが、ここらへんでなんか書いておかないと、次いつ書くかまたわからなくなっちゃいますからね(爆)。
こんな感じで、しばらくゆっくりさせていただこうと思っております。

2013/01/13

今更ですが、あけましておめでとうございます。
今年の年末年始は風邪をこじらせておりまして、choreographyを観賞しておりませんでした。
ようやく今日、観賞することができましたので、さっそくレポートさせていただき今年のコラムの幕開けにしたいと思います。

今日行ってきたのはさいたま市のさいたま新都心駅で、例年この時期に駅周辺で大道芸のパフォーマンスを行っているのです。
この「さいたま大道芸フェスティバル」と銘打たれたイベントに、出向いてきた次第です。
もっとも屋外のパフォーマンスだけに寒さも半端ではなく、私もなかなか横浜から足を運ぶだけの気合いが入りませんでした(苦笑)。
しかし今回は、先月初めて拝見したポールダンスの「めりこ」さんが登場し、また中国雑技のパフォーマンスがあるということで、何年かぶりに出向くことにしたのです。

今回見たパフォーマンスは、他分野のアーティストとのコラボレーションでした。
5人組の管楽器ユニット「Cocochi-kit」の奏でる音楽をバックに、めりこさんが「熊男」を鞭で打ちながら登場するという、インパクトの強いオープニングでした。
実はこの「熊男」は、ジャグリングアーティストの森田智博さんで、沢入国際サーカス学校出身の筋金入りです。
このメンバーによって、「奇想天外な話」が展開されたというわけですね。
それにしても、めりこさんのコスチュームはかなり過激でしたね(爆)。

そしてもうひとつ、おなじみ在日中国雑技芸術団のパフォーマンスを見てまいりました。
こちらは男女1人づつによるわりとこじんまりとした内容で、鞭の芸と足芸それと写真には撮りませんでしたが以前にもご紹介したローリングバランス、といった構成でした。
この「さいたま大道芸フェスティバル」も、今回で10回目を数えるそうで寒い中人出もかなりありました。
私が見なかったパフォーマンスの中でも、アクロバットありダンスありで魅力的なchoreographyが数多くあった模様です。
とまあこんな感じで、今年も大道芸を見る機会が多くなりそうです。

2012/12/31

さて、2012年も残すところ数時間となってまいりました。

今日は一日中家にいて、ゆっくりこのコラムなど書くつもりでいたのですが、家族から年賀状と電気ストーブの買い出しを頼まれたのをよいことに、東京ビッグサイトまで「コミックマーケット83」のコスプレ撮影に出かけてしまいました(爆)。
といいますのは、一昨日(12月29日)に中古でデジタル一眼レフカメラの「EOS 7D」(Canon)本体が、6万円弱で出ていたので思わず衝動買いしてしまい、さっそくその性能を試してみたかったからです(原爆)。
というわけで、当初は「私とストリップ」の完結編を書くつもりでいたのですが、予定を変更して今日は簡単に済まさせていただきます(笑)。
(年内に「卒業」するつもりだったので、そこまでに決着をつけるつもりでしたが、その必要もなくなったので・・・)

この季節で「choreography」といえば、そうフィギュアスケートですね。
今年はこれで早くも3回目となりますが、またも将棋ファンを釣る(爆)「羽生ネタ」を使わせていただきます(笑)。
なにしろフィギュアスケートはあまり私の「得意分野」ではないのですが、かといってこのシーズンはほかにあまりchoreographyネタがありませんので、なにとぞご容赦くださいませ(苦笑)。
まず12月上旬には、2014年に冬季オリンピックが行われるロシアのソチで、「ISUグランプリファイナル」が行われました。
日本からは、男子が高橋大輔選手・羽生結弦選手をはじめなんと4人、女子も浅田真央選手と鈴木明子選手の2人が参戦しましたが、男女あわせて出場選手わずか12人のうち半分を日本の選手が占めたのは、それだけでもすでに快挙と言えるのではないでしょうか。
さらに男子は高橋選手、女子は浅田選手が優勝して日本勢の「アベック優勝」という、これまた空前の快挙が達成されました。
これまでグランプリファイナルでは、日本勢では女子は過去3回優勝していますが、男子は優勝がなく今回が初めてだったとのことです
ちなみにこのとき羽生選手は、高橋選手に次ぐ2位でした。
しかし、「羽生ネタ」の本番はここからです(爆)。
そう、今月下旬に札幌市で行われた全日本選手権において、ついに羽生選手が高橋選手を降して優勝したのです。
ついに、フィギュアスケートの世界において「羽生名人」が誕生しました(笑)。
(ちなみに将棋の方は現在「羽生名人」ではなくて「森内名人」です)
今月7日に18歳になったばかりの羽生選手ですが、すでに「王者の風格」も感じられますね。
ソチ五輪はもちろん、2018年の平昌(韓国)五輪までは日本男子勢を引っ張って行ってくれそうな気がしています。
2位の高橋選手は順当ですが、3位には無良崇人(むら・たかひと)選手が入り、この3人で来年の四大陸選手権(大阪)及び世界選手権(カナダ)に臨むことになります。
小塚崇彦選手が5位と不調だったのが思えましたが、男子も女子に劣らぬ激戦区になったことは確かでしょう。
それが、さらなるレベルアップになることを期待しています。
一方女子は、浅田選手の優勝そして村上佳菜子選手の2位は順当に決まった感じですが、3位にジュニア世代の14歳、宮原知子(さとこ)選手が割って入り、鈴木明子選手は4位に押し出された格好となりました。
宮原選手は昨年も注目していた存在でしたが、1998年3月生まれということで実はソチ五輪にも出場可能だったことは、つい最近知りました。
ただ、来年の世界選手権にはまだ出られないので、浅田選手・村上選手・鈴木選手の3人で四大陸選手権及び世界選手権に臨むことになりました。
地元日本の大阪で行われる四大陸選手権は、おそらく世界選手権に向けてのいわば「壮行会」という感じになるのでしょう。
来年の世界選手権は、カナダはオンタリオ州の「ロンドン」というまぎらわしい場所で行われますが(爆)、ソチ五輪の出場選手枠を決める大事な大会でもあります。
男女ともぜひ好成績を挙げて、それぞれ3人づつの出場枠を確保してほしいと思います。

以上をもちまして、今年の私のコラムを締めくくらせていただきたいと思います。
読者の皆様方をはじめとして、JunkStageスタッフの皆さんそしてライター仲間の皆さんには、今年も大変お世話になり感謝しております。
本当にありがとうございました。
一時期は、今年いっぱいで「卒業」しようと考えたこともありますが、来年もできるかぎりがんばってコラムを書き続けようと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
それでは、皆さんどうぞよいお年をお迎えください。

2012/12/29

この2012年も、残すところわずかとなりました。
少し間が空いてしまいましたが、ここらへんで一発書いておかないといけませんね(笑)。
さて今回は、初めての試みになりますが、もう一つ私がやっているボディビルのブログとの「連動企画」といいますか、同一内容でお送りさせていただきます。
またの名を「手抜き」とも言います(爆)。

その私のブログですが、ご存知のとおり「行動派のI love muscle beauty!」と銘打っております。
「行動派」というのはボディビル関連の活動における私のハンドルネームで、「行動派musclle beautyファン」の略でもあります。
そしてその「muscle beauty」なのですが、私流の定義では「ボディビル大会に出場している現役の女性ボディビル選手」ということになります。
ここでいう「ボディビル」には、ボディビルのほかに健康美・フィットネス・ボディフィットネスも含まれます。
私はここで、「大会に出場している」ということにこだわっています。
といいますのは、私はボディビルとは無関係の「部外者」であり、muscle beautyの皆さんを拝見する機会は、ボディビル大会を除いてほかはないからです。
どんなに鍛え抜かれて魅力的な体を持っている女性でも大会に出てくれなければ、私はその体の魅力を知ることはできません。
ですから大会に出ていない人は、私にとっては「いない」ことと同じで「muscle beauty」とは言うことはできないのです。
逆に言えば極端な話、ボディビルの競技歴がまったくなく鍛えられていない体の女性であっても、選手としてボディビルの大会に出てきた以上は、私的には「muscle beauty」であるということになります。

なぜこういう話を切り出しかと言いますと、例年のことではあるのですが今年も数多くのmuscle beautyの方々が大会から姿を消していき、それを非常にさびしく思ったからであります。
率直なところ、ボディビル競技において女子選手の入れ替わりはかなり激しいものがあります。
10年以上の長期にわたって活躍を続けている選手がいる一方で、1年間活躍してそれっきりという選手も少なくありません。
中にはたった1回大会に出て、以降姿を見ない選手もしばしば見かけます。
せっかく魅力的に鍛えた体を勇気をもって披露しながら、それが長く続かないことはとても残念に思えてなりません。
だから私は、muscle beautyの皆さんとは常に「一期一会」の出会いであるとの心構えをもって、真剣に観戦及び撮影に臨むよう心掛けているつもりです。

また、4つあるカテゴリーのうち「健康美」に関しては、他の3つのカテゴリーよりも一段低いものと考えている人が、選手や関係者の中に多く見られることを感じています。
たとえば役員の方が健康美で優勝した選手に、「健康美は一度優勝したら、その後はボディビルやフィットネス・ボディフィットネスに専念すべきだ」というようなことを言ったという話を聞いたりします。
これも考えてみれば、とんでもない話だと思います。
といいますのは、日本の女子ボディビルの歴史は実はその健康美から始まっているからです。
ボディビルで女子の日本選手権が始まったのは、1983(昭和58年)年のことでした。
そして、オールジャパンミスフィットネスが始まったのはさらに遅く、1996年(平成8年)に第1回が開催されています。
さらにオールジャパンミスボディフィットネスに至っては、第1回が行われたのは2007年(平成19年)のことでした。
一方健康美ですが、現在開催されているミス21健康美こそその名の通り、21世紀に入った2001年(平成13年)からのスタートですが、その前身である「全日本実業団ボディビルコンテスト」の「ミス健康美」部門は、1977年(昭和52年)に始まっています。
つまり、ボディビルの日本選手権よりも長い歴史を誇るのが、健康美なのです。
そして健康美から、ボディビル・フィットネス・ボディフィットネスと枝分かれしていったわけですね。
ですので、日本におけるの女子ボディビル競技のいわば「源流」でもある健康美をないがしろにすることは、けしからんと憤慨している次第です(爆)。
もし仮に、ボディビルの日本選手権とミス21健康美が同じ日に違う場所で開催されたとしたら、私はミス21健康美を観戦することを選択するでしょう。

というわけで、今回は私のmuscle beauty及び女子ボディビル競技についての考え方を、披露させていただきました。
もうあと2日しかありませんが、年内にもう1回書かせていただこうと思います。

2012/11/25

さて、このコラム「I love choreography!」も22日で3周年を迎えました。
これもひとえに読者の皆様のご愛顧と、JunkSatgeスタッフの皆様のご支援のおかげだと思います。
まことにありがとうございます。

それを記念してというわけでもありませんが、ここで昔の海外スポーツ観戦の思い出を語らせていただこうかなと思います。
以前に、2007年にタイで観戦した東南アジア競技大会(SEA Games)のお話をさせていただきましたが、今回は2002年の韓国・釜山で行われたアジア競技大会についてお話しさせていただきましょう。

今世紀に入って、芸術系スポーツの撮影が日本国内では難しくなってきた頃でしたが、海外の大会ならそういうことはないだろうということと、ちょうど日本に近い釜山で大規模な総合スポーツ大会(アジア大会)が行われるということで、思い切って見に行くことにしたのです。
これが、私の初めての海外スポーツ観戦でした。
9月末から10月頭にかけて行ってきたわけですが、その間に見たものは開会式・シンクロナイズドスイミング・競泳・ビーチバレーボールでした。
体操・新体操は日程的に離れていましたし、まだこの頃は何とか国内でも撮影可能な時期でした。
それでは写真を交えつつご紹介いたしましょう。
まずは、開会式からです。

開会式が行われたスタジアムは、この年の6月にはサッカーのFIFAワールドカップ会場としても使用されています。
開会式そのものの模様を写した写真はなくて申し訳ありませんが、ここで特筆したいのは「北朝鮮美女軍団」の存在です(爆)。
観客席1階に陣取ったピンク色の服装で統一した集団は、一糸乱れぬ動きで歌を歌い続けていて、ある意味異様でしたね。
そしてもうひとつ驚いたのが、開会式終了後に私たち一般の観客も先ほどまで選手たちもいた、スタジアムのトラックに降り立つことができたのです。
そこでは、開会式のマスゲームを演じていた女の子の写真も撮ることができました(笑)。
さらに思い起こすのは、開会式の最中に隣に座っていた地元の家族連れの人が、海苔巻や水を私にご馳走してくださったことですね。
言葉も通じない見ず知らずの人間に、ここまで親切にしてくれるなんて・・・
だから私は、現在でも韓国を嫌いになることができません。
ただ入場料はかなり高くて、私は最も安い席だったのですがそれでも50000ウォン(約5000円)しました。

続いては、シンクロナイズドスイミングです。
当時すでに日本では部外者の撮影ができなくなっていただけに、貴重な撮影機会となりました。
このときはビデオ撮影を中心にしていたので、写真の方はあまりいいものはありません(苦笑)。
シンクロに関しては、当時はまだ日本がアジアのトップだった時期で、立花美哉選手と武田美保選手が圧倒的な強さを誇っていました。
ただオリンピックや世界選手権と違って、参加チーム数がソロ・デュエットとも6~7組程度だったのが、ちょっとさびしかったですね。
こちらの入場料は、予選が6000ウォン(約600円)で決勝が10000ウォン(約1000円)と記憶しています。

次は競泳ですが、こちらは男子の競技しか見ていません。
男子個人メドレーでは、日本代表が1・2位を占めいわゆる「ワンツー」を決めました。
まあテレビ中継で見るのと、感覚的には同じような感じでしたか。

最後はビーチバレーですが、こちらは「海雲台」(ヘウンデ)という海岸で行われました。
見事な砂浜が広がっていてそのままビーチバレーの会場となりましたが、ここもまた大都市・釜山の一部なのです。
ここで観戦したのは、中国対香港の試合でした。
すでに中国の一部となった香港ですが、スポーツ上は別の「地域」として扱われているわけですね。
長身の赤いビキニのペアが中国で、小柄な青いビキニの方が香港のペアです。
試合後には、中国のペアが大会スタッフと一緒に記念撮影をしていましたね。
最後の黒ビキニのペアは、次の試合に臨むタイの選手でした。
2007年の東南アジア競技大会と比べますと、ビキニはややハイレグ気味かもしれませんね(原爆)。

こうして海外スポーツ観戦の楽しみを知った私は、この後昨年の上海世界水泳選手権に至るまで、何度も海外にスポーツ観戦に出向いています。
やはり魅力的なアスリートの姿を自由に撮影できる楽しみは、今や日本ではボディビルを除けば味わえないものとなりつつありますし、また選手との距離感も日本よりはかなり近く感じることができます。
今年は家庭の事情もあって、海外に出かけることはできませんでしたが、今後も機会があれば海外で観戦してみたいと思っています。

2012/11/20

さて、毎度気の進まないこの話題ですが・・・(苦笑)
なんでも、笠原ちかさんが楽しみにしておられるとのことですので、とりあえず続きを書いてみることにします。

さて、1993年に行方不明になった踊り子を探すために、パソコン通信で情報交換を呼びかけたわけですが、その当初目的を果たさないうちに別の楽しみにはまっていきました。
なにしろ、それまでストリップに関して他の人と深く語り合うということはあり得なかったことでしたが、このパソコン通信の閉じられた場では情報交換に限らず、心置きなく同好の士とストリップについて語り合うことができるのですから。
私はこの情報交換の場として、今でいうところの「会員制掲示板(BBS)」を開設したのですが、当時のパソコン通信ではこれが月に1万円もしました(苦笑)。
さらにこれに1分10円の接続料金、それとは別に電話料金が3分10円かかったわけで、今振り返ってみても「高くついたなあ」というのが実感です。
それでも、当時はいわゆる「独身貴族」で自由に使えるお金があったので、特段不自由には感じませんでした。

そのとき集まったストリップ仲間には、いろんな嗜好を持った人たちが集まっていたわけですが、中でも最も強い影響力を持ち事実上この集まりを仕切っていたのは、いわゆる「追っかけ」と言うべき熱烈な「踊り子ファン」の皆さんでした。
アイドルの「追っかけ」は、すでに知られた存在ではありましたが、ストリップでも若くてルックスのいい踊り子には、そういうファンが付いていたのですね。
そして彼らが劇場の中で何をやっていたかといいますと、踊り子が踊る音楽に合わせてタンバリンをたたいたり、テープ状のリボンを投げて踊り子を彩ったりして場を盛り上げる、いわゆる「応援」行為を行っていたわけです。
こういう人たちはネットでもその思いを熱く語り、私の開設した掲示板でも主導権を握っていました。
また、ネット上のみならず実際にストリップ劇場の中で顔を合わせる、「オフ会」(オフラインミーティング)もよく行われました。
実際に仲間と顔を合わせてストリップ談義を行うことも、このときの私の大きな楽しみのひとつでして、それは大切な踊り子を失った穴の全てではないにせよ、かなりの部分を埋めてくれました。
さらには、そういったファンの紹介で踊り子と劇場外で会う機会もできたりして、これもまた今までにない楽しみを与えてくれました。
踊り子も踊り子で、かつてのアクロバットダンサーのようなインパクトこそありませんでしたが、当時はルックスはもちろん踊りも上手く、踊ってよし脱いでよしの優れた踊り子が多かったと思います。
また単なるアイドル系のみならず、クラシックバレエで鍛えた体の柔軟性をしっかり見せてくれる踊り子や、「1人ミュージカル」を演じて感動を呼び起こす踊り子などもいて、実にバラエティに富んでいて見応えがありました。
そこで、実際にストリップを見に行っての感想なども大いに交換されたものです。
私も約5年間で数百本の観賞レポートを書き、その先頭に立っている自負がありました。

しかしその一方で、私の人生にも大きなターニングポイントが訪れていました。
それは「結婚」です(爆)。
私個人としては、結婚は十分な収入が得られるようになる30歳になってから考えても遅くはないと考えていましたが、親が早く結婚してほしいと言うので「だったら見合い話のひとつでも持って来い!」と言うと、3つほど見合い話を持ってきました。
最初とその次の女性とは、1回会っただけであっけなく振られてしまいましたが、3番目に会った彼女が今の妻ということになります(笑)。
このとき私は、彼女には当時の自分の最大の趣味がストリップであることを話したわけですが、彼女はそれを受け入れてくれたのです。
ある意味、これが結婚の「決め手」だったかもしれません。
しかし今考えてみれば、結婚そして新婚生活に入ってもストリップ通いをやめなかった私は、やはり異常だったことは確かでしょう(原爆)。

そしてこういう異常な生活は長くは続かず、やがて私はストリップから遠ざかるようになってしまったのでした。
そろそろ次回あたりで、締めくくれるかな。
そういえば22日で、このコラムも3周年を迎えますね(笑)。

2012/11/04

今日は静岡まで、「大道芸ワールドカップ」を見に行っておりましたが、そのレポートは改めて次回お送りしたいと思います。
って、本当は先月のうちにもう一本書いておこうと思っていたのですが、いろいろストレスが溜まっていてその解消を優先していたので、遅れてしまったんですね(苦笑)。

さて、私がこちらで最も話題にしているのはボディビルですが、今回は私がボディビルの大会会場でどういう「行動」をしているかを、書かせていただこうかなと思うわけです。
これまで私のコラムをご愛読くださっている皆さんなら、あるいはおわかりかもしれませんが、私の観賞・撮影対象は基本的に「muscle beauty」すなわち女性の選手のみです(爆)。
そして、男子選手が競技を行っている時間帯には、会場内にいないことがしばしばです。
それで何をしているかといいますと、撮影したばかりの女子選手の写真をプリントしております。
今は、コンビニエンスストアに設置してあるコピー機にメモリーカードを挿入して、記録した写真をプリントできるご時世となりました。
そこで大会に行く前には、大会会場付近のコンビニを調査することが必須項目となっております。
そしてプリントした写真をどうするかといいますと、最後の表彰式の後に設けられている「プレゼントタイム」のときに、選手の方々にお渡ししております。
普通プレゼントタイムでは、応援していた選手のみに花束等渡すのですが、その中で選手全員に写真を配る中年オヤジの姿は、やはり会場内で浮いていたことは確かです(苦笑)。
まあ、下心満載のスケベオヤジと思われても仕方ありませんし(そもそも下心が皆無というわけではありませんからね)、ネット上で誹謗中傷を受けたこともあります。
しかしその一方で選手の方々から、「今後に向けての参考になりました」「だれにも撮ってもらってなかったのでうれしい」などの声をいただきました。
そういった声を励みにして、かれこれ8年ほどこういうことを続けておりますが、おかげさまで最近ではかなりスムーズに渡すことができるようになりました(笑)。

それでなくとも、現在ボディビル大会の参加選手は男性が圧倒的に多く、女子は全国レベルの大会ではともかく、ブロック・地方レベルの大会では数人程度しかいないこともしばしばです。
そんな中、大会に出場して鍛え上げてきた体をビキニ姿で披露する勇気は、大いに讃えられるべきだと思いますし、またその勇気に応えてあげたいという気持ちが、私をこのような「行動」に走らせたのだと思います。
それに、せっかく鍛えて魅力的になった体を披露しながらそれを形に残せないのでは、あまりにも寂しいことではないでしょうか。
渡した写真が今後の大会に向けての励みになったり、またよき思い出として残していただけるのなら、私も手間かけて写真をプリントした甲斐があったというものです。
今年のボディビル大会のシーズンはもう終わってしまいましたが、来年も引き続きやることと思います

ボディビルをはじめとして、これまでさまざまな芸術系スポーツ及びスポーツ系芸術、すなわち「choreograohy」に傾倒してきた私ですが、なぜそれらに傾倒していたのか最近「答え」が出てきたように思います。
その「答え」は、このコラムを締めくくる頃にはこちらにも書いておきたいと思っております。

それでは次回は、大道芸ワールドカップのご報告をさせていただきましょう。

2012/10/17

今月もスロースターターで失礼しております(笑)。

今年のボディビル大会シーズンも、先日7日の日本選手権でついに終わってしまいました。
懸案になっていた当日券ですが、前日に大阪に泊まって朝8時前に会場に並んだおかげで、どうにかチケットを購入できて無事観戦することができました。
現在ブログの方に、レポートを順次アップしておりますので、興味のある方はぜひご覧ください。

さて、それで今回何を書くかといいますと、これも半年以上放置していた連載「私とストリップ」の続きです(爆)。
正直言って、これを書いたことによって私のJunkStageライターとしての価値が、さがってしまったのではないかと思っているのですが、今更どうしようもないので書けるところまで書いてしまおうと思います(苦笑)。
ただ、なにぶん久々なので思い出しつつ書いてまいりますので、今回は軽めに済ませたいと思います。

前回は昭和から平成に変わった前後の時期の、私のストリップ観賞が最も充実していた時期のお話をさせていただきました。
そしてその時期に終焉が訪れることを、予告したところまででしたね。
つまり、私がストリップにはまった原動力となった、2人のアクロバットダンサーとの別れがあったのです。
まず1991年(平成3年)の11月に、川崎市のストリップ劇場で火事があったのですが、その劇場にはアクロバットダンサーのK嬢が出演していたのです。
それで火事のときに、劇場2階の楽屋にいたそうであわてて飛び降りたわけですが、そこで大けが(骨折)をしたのがダンサーとしての致命傷になってしまい、その後彼女を見ることはありませんでした。
もう1人のアクロバットダンサー、B嬢とはその後もしばらくよい関係が続いていましたが、1993年の2月頃にちょっと気まずいことがあって少し会わないでいたのですが、それっきり彼女の行方がつかめなくなってしまいました。
当時ストリップの踊り子の行方は、夕刊紙「内外タイムス」の劇場広告によって関東近辺しかつかめませんでしたので、それ以外の地域の劇場に出ていてもわかりません。
そこで私がどうしたかといいますと、パソコン通信を使って全国レベルでのストリップ情報交換を呼びかけたのです(爆)。
パソコン通信そのものは、すでに2年ほど前から始めていましたが、それまではもっぱら情報収集のみ利用して、自分から情報発信したり積極的に情報交換をしたりはしていなかったのですが、B嬢の行方をなんとかつかみたいという一心でそのような行動に踏み切ってしまいました。
情報交換の輪は意外と早く広まり、ピーク時には100人を超える人が集まっていたのですが、肝心のB嬢の情報は把握できませんでした。
しかし、このパソコン通信を通じてのストリップ情報の交換の面白さを知った私は、その後その情報交換やオフラインミーティングなどに没頭していくことになりました。
ところでB嬢の行方ですが、結局1993年4月を最後に引退したということでした。

こうして、ストリップにはまった原因であるアクロバットダンサーを失ってしまった私でしたが、今振り返ればここで「卒業」しておけばよかったのに、ここから「迷走」が始まってしまったのでした(苦笑)。
ここから先は、自分でもあまり振り返りたくない過去になってしまうので、次はまたしばらく時間を置いてからにしたいと思います。

2012/09/30

早いもので、もう今日で9月も終わりです。
こんな日に思い出すのが、この歌です。

さて、それはともかく今日コラムを書いておかないと「Regular Writer」はく奪になってしまいますので(苦笑)、なんとか書いてしまいましょう。
ご記憶の方もおられるかと思いますが、実は私いくつかの連載物を途中で放り投げている状態でした(爆)。
大変申し訳ないので、とりあえずそのうちのひとつを今日片づけておこうかと思います。

ボディビル大会のシーズンも、いよいよ10月7日の日本選手権を残すのみとなりましたが、実はチケットの入手がちょっと危ない状況になってまいりました。
今年は大阪市で開催されるのですが、男子でかつて日本選手権4連覇を達成した大物選手が、7年ぶりに参戦するということで盛り上がってしまったようです(苦笑)。
できれば、画竜点睛を欠くようなことのないようにしたいとは思うのですが・・・
というわけで、前回はボディビル競技の大会の流れをご説明させていただきましたが、今回はそれ以外の「健康美」「フィットネス」「ボディフィットネス」の、3つの大会における流れをご説明させていただきましょう。

ボディビルが「予選」「決勝」の二本立てで行われるのに対し、これら3競技は「第1ラウンド」「第2ラウンド」「第3ラウンド」の三本立てで行われています。
もっとも、第1・第2ラウンドを「予選」、そして第3ラウンドを「決勝」と位置付けることもできます。

まず第1ラウンドは、全選手がビキニを着用して「回転演技(クォーターターン)」を行うことにより、審査が行われます。

以前ご説明しましたが、「回転演技」を行うときはまず最初に「フロントリラックス」というポーズをとり、「Turn to the right(右を向いて)」の号令とともに右に90度づつ回転します。
この第1ラウンドで、健康美及びフィットネスでは各選手オリジナルのビキニを着用しますが、ボディフィットネスの場合は黒ビキニで統一されます。

続いて第2ラウンドですが、これは3競技それぞれ特色があります。
まずボディフィットネスですが、各選手オリジナルのワンピースを着用して、第1ラウンド同様に「回転演技」を行います。

次に健康美は、オリジナルのワンピースを着用し「回転演技」を行うことまではボディフィットネスと一緒ですが、さらに「ダブルバイセップス」「サイドチェスト」「バックダブルバイセップス」の3ポーズもあわせて行います。

そしてフィットネスにおいては、この第2ラウンドこそメインと言っていいでしょう。
「ルーティンラウンド」とも言われますが、各選手それぞれ工夫をこらしたコスチュームに身を包み、力強さ・柔軟性・持久力・巧緻性などをアピールする、90秒以内でのフリーパフォーマンスを行います。

そして第1・第2ラウンドの審査結果によって入賞選手が選抜され、入賞選手のみが最後の第3ラウンド(決勝ラウンド)に臨むわけです。
健康美では、第3ラウンドで初めて「自由演技」というパフォーマンスを行います。
ボディビルで言うところの「フリーポーズ」、フィットネスで言うところの「フリーパフォーマンス」に相当しますが、演技時間が45秒と短めです(苦笑)。
しかし、その短い時間の間に各選手が創意工夫をこらした健康美の自由演技は、私が最も魅力的に感じているところでもあります。

一方、ボディフィットネスの第3ラウンドはやはり「回転演技」のみで審査されますが、今度は各選手オリジナルのビキニを着用します。
3種類の水着で各選手の魅力を楽しめるのが、ボディフィットネスの持ち味かもしれませんね。

またフィットネスの第3ラウンドは、第1ラウンド同様各選手オリジナルのビキニで「回転演技」を行います。
フィットネスは参加選手が少なく予選落ちがめったに出ないので、第1ラウンドの繰り返しになるケースがほとんどですね(爆)。

そして最後に順位発表・表彰式となるわけですが、ボディビルのような「ポーズダウン」というものがこれら3競技にはなくて、入賞選手全員が整列した状態で下位から順位が発表されていきます。
そして順位を発表された選手が順次後方の表彰台に下がり、最後まで順位を発表されなかった選手が優勝という流れは、ボディビルと同様です。
実は健康美にはポーズダウンがあって、ボディビルとは違った華やかな感じが好きだったのですが、今年9月2日に行われた健康美の全国大会「ミス21健康美」では、ポーズダウンがなくなってしまい残念に思いました。

以上が、各競技の大会のおける流れでした。
今年はもう大会も終わってしまいましたが、来年以降に「観戦してみようかな」という方は、参考にしていただければ幸いです。

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