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2013/12/31

突然のお話で申し訳ありませんが、今回のコラムをもちまして「I love choreography!」の最終回とさせていただきます。

思い起こせば4年前、2009年の11月にJunkStageのスタッフの方から、ライター勧誘のメールをいただいたのが、こちらでお世話になるきっかけでした。
奇しくも、先ほど書いたことですが、それまで13年間運営してきたホームページ「Japan Contortion Page」を、年内に閉鎖しようと思っていた矢先のことだったのです。
そのお誘いのメールの中で、「『芸術スポーツを観に行くにはちょっと肩身が狭い』という点も、同じような感じ方をされている方にとって共感できることなのではないかと思います」という記述に私も感銘を受けて、書いてみようかという気になりました。
こうして、2009年11月22日付けで私のコラム「I love Choreography!」がスタートしたのでした。

以来4年間、こうして書かせていただいたわけですが、ボディビル・体操・フィギュアスケートなどの「芸術系スポーツ」と、大道芸やサーカス・中国雑技などの「スポーツ系芸術」の観賞レポートを中心に、時には海外にも飛び出しての観賞レポートも含めて、私らしくやらせていただいたと思います。
また「Choreography」に限らず、「番外編」と称していろいろ書かせていただきました(笑)。
特に、他のライターの方々の活動を拝見してそれをレポートすることは、いわば私の「十八番」(爆)で、私もこれまで縁の薄かった世界を知ることもできて、一石二鳥の企画だったと我ながら思っていたのですが、スタッフの方から「全体の一割程度にしてください」と言われたので、しばらく封印する羽目にもなったものでした(苦笑)。

しかし、最近は「Choreography」の観賞レポートを書くことも少なくなりました。
先ほどのコラムでも書いたとおり、最も好きだった「Choreography」でもあるコントーション(柔軟芸)を、見に行く意欲が最近はなくなってしまいました。
またこちらでも書いたことですが、JunkStageそのものを昨年3周年を機会に、一度は「卒業」させていただこうと思っていたところでした。
そのときは、取りやめてもう少しがんばってみようと考え直したのですが・・・
特に今年に入ってから、「Choreography」を見に行こうという気持ちが大きく低下してしまったように思います。
確かに、ボディビルディングの大会はよく行きましたが、それ以外はほとんど見ていませんでしたね。
ひとつには、ボディビルは現在唯一写真撮影が可能な「芸術系スポーツ」である、ということがあると思います。
他の芸術系スポーツ、例えば体操・新体操・シンクロナイズドスイミング・フィギュアスケートなどは、今や部外者は撮影禁止で「撮影したい」という意思表示をしただけでも、半ば犯罪者扱いされるような状況ですからね(苦笑)。
見るだけだったら、現地で豆粒程度にしか見えない選手を見るよりも、テレビ中継の方が正直見やすいです(爆)。
ただ最近の特に民放のテレビ中継は、どうもねえ・・・(苦笑)
つまり、「芸術スポーツを観に行くにはちょっと肩身が狭い」という状況は、この4年間でもまったくといっていいほど改善されていなかったわけで、これも「Choreography」を見に行く意欲をなくしたことの一因かもしれません。

それと最近書きましたが、今年に入ってからはコスプレ撮影の方に、興味を奪われているということもあるかもしれません。
実際、撮影する楽しみはこちらの方がはるかに上ですし、若いコスプレイヤーの皆さんと仲良くなれるというのは、実にこたえられません(原爆)。
それに「ストリップと私」シリーズなどで、あるいは皆さんもお気づきかもしれませんが、本質的に私は単なる「スケベオヤジ」に過ぎないんだなと、改めて自覚しました(水爆)。
そのような私が、これ以上JunkStageの末席を汚すわけにもいかないんだろうなと、そんなことも思ったりしたわけです。

最後になりますが、読者の皆様方及びJunkStageのスタッフの皆様方、そしてJunkStageのライター仲間の皆様方には、4年間お世話になりましたことを厚く御礼申し上げます。
これまで、本当にありがとうございました。
私がいなくなっても、JunkStageにはすばらしいライターの方々が数多くおられますので、読者の皆様方におかれましては、引き続きJunkStageでお楽しみいただければと思います。
また、これからもブログ「行動派の I love muscle beauty!」の方は続けてまいりますので、よろしかったらお読みいただければ幸いです。

それでは皆様どうぞお元気で、そして2014年が皆様方にとってよい年でありますように。
2013年12月31日
山根 幸弘

2013/12/31

間もなく2013年もおしまいですが、私は紅白歌合戦も見ないでこのコラムを書いております(笑)。

私は1996年末に、インターネット上に自分の空間すなわちホームページを持つことになったのですが、そのときのコンテンツは2つありました。
ひとつは、前回書きましたストリップの「日本ストリップインフォメーションセンター」ですが、もうひとつが「Japan Contortion Page」でした。

コントーション、すなわち体の柔らかさをアピールするアクロバットに魅せられて、ホームページを開設してきたわけで、2009年までの13年間に、観賞したコントーションの写真を発表したり、掲示板で情報交換したり、また時には掲示板で知り合った仲間と一緒にコントーションを観賞したり、といろいろ活動してまいりました。
しかし、確かに「コントーション」という言葉こそ世間一般に多少は知れ渡るようにはなりましたが、コントーションそのものは私の望まない方向に「進化」してしまったように思います。

私がかつて魅せられたコントーションは、子供の頃テレビで見た欧米系のサーカスで、大胆なビキニ姿の女性がその驚異的な体の柔軟性とともに、鍛え抜かれた魅力的な体そのものを、しっかりと見せてくれるものでした。
そんなコントーションをいつか生で見てみたい、という思いを持ち続けていろんなサーカスや中国雑技を鑑賞し、そしてインターネットを通じて求め続けてきたのですが・・・
現在見ることのできるコントーションは、体全体を衣装で包み込んでその体の魅力を味わうことはできなくなってしまいました。
そして私は、そういうコントーションを見ても、大きな感動を得られなくなっていたのです。
私はここに至って、私自身がコントーションに求めていたことを、ようやく知ることになりました。
すなわち、私にとってコントーションの魅力は、「体の柔らかさを見せる」ことだけではなく、同時に「柔らかい体を見せる」という要素が不可欠だったということです。
この2つの要素がいわば「車の両輪」のごとく協調したところに、私は魅せられていたのではないかと・・・
ですから、以前「私とストリップ③」でも書いたアクロバットダンサーは、その体の柔らかさと柔らかい体そのものを目の前でたっぷり見せてくれるという、私にとって究極の理想的コントーションだったのです。
しかしそれももう、見られなくなって20年になります。
逆に言えば、その理想的コントーションが見られなくなったから、それを求めるべくネットでの活動を始めたということになりますが、結局それは現在に至るまでかなうことはありませんでした。
おそらく今のご時世では、私のような嗜好はただの「スケベオヤジ」として、むしろ排除されるべきものになってしまったのかもしれません。

前述のとおり、現在でもコントーションはサーカスや中国雑技、または大道芸の公演などで見ることは可能です。
またここ数年では、日本人でコントーションを見せるパフォーマーも出てきました。
しかし私のホームページは残念ながら、そういう人たちとの接点にはなりませんでした。
また今もって不思議なのは、「mixi」にもコントーションに関するコミュニティがあって、そこでは私の「Japan Contortion Page」も紹介されていたのにかかわらず、mixiの会員でもある私がその存在さえも知らされなかったことです。
それらのことに落胆したこともあって、2009年末をもって「Japan Contortion Page」の閉鎖を決めたのでした。

それ以降も中国雑技などでコントーションを見る機会はありますが、当時ほど積極的に観賞することはなくなりました。

2013/12/21

さて、昨年の1月から始まりましたこのシリーズも、いい加減ここらへんで締めくくらなくてはなりません(爆)。
というわけで、今回を「私とストリップ」の最終回とさせていただきます。

1993年にパソコン通信でストリップ情報の交換を始めたわけですが、結局3年くらいでやめることになりました。
ひとつには、以前書いた「ストリップファン」と「踊り子ファン」との対立が、収拾がつかない状況になっていて、それに嫌気がさしていたということがあります。
なにしろ、運営していた私でさえ「吊し上げ」を食うような状況でしたからね(苦笑)。
そしてもうひとつ、ちょうど「WINDOWS95」が普及してきてインターネットが身近になってきたことにより、ホームページで情報発信してみたいという気持ちがわいてきたのですが、既存の集まりの運営が忙しくて手が回らなかったので、これを機会に活動の場所を変えてみようという、タイミングに合ったということもありました。

こうして1996年末に作ったストリップのホームページが、「日本ストリップインフォメーションセンター」(Japan Striptease Information Center)でした(爆)。
我ながらずいぶん大きく出たものですが、インターネットは世界に開かれた空間でありますから、ひとつここで世界に向けて「日本のストリップ」を発信してやろうじゃないかという「野心」が当時はありました。
ですので、内容も拙いながら英語とのバイリンガルで作ってみた次第です。
具体的には、日本及び世界中でストリップを扱ったホームページのリンク集を作成し、これに日英バイリンガルで解説を付けたのが、スタート時の内容でした。
もっとも、以降はもっぱら日本語のみで、ストリップの観賞レポートを書き続けていましたが・・・
また、ストリップ関係のホームページをやっている人間としては異例のことだと思うのですが、きちんと自己紹介を行い、本名を明かして活動しておりました(原爆)。
それは、見てくれた皆さんに「得体のしれない人間」や「怪しい人間」だと思われないよう信頼を得るのと同時に、「ストリップを見ることは、恥ずかしいことではない」とアピールする狙いがあったからです。
さらに、今考えてみれば無謀だったことに、自分が「地方公務員」であることまで書いた上に、その「地方公務員」をクリックすると勤務先にリンクしているという、徹底したものでした(水爆)。
ですので、下手をすれば勤務先にまで脅迫電話がかかってくる危険性もあったわけですが、幸いにもそういったことはなく現在に至っております(笑)。

しかし私は、この頃は明らかに間違っていた方向に進んでいたように思います。
もはやストリップを「choreography」を見る場ではなく、「踊り子と仲良くなるための場」と勘違いしていたみたいですね(苦笑)。
すなわち、「私はストリップのホームページで有名なんですよ」という売り込みで周囲に顔を売っておいて、まずは踊り子を応援していたファンの人に接近し、そのファンを通じて踊り子と知り合ったり時には飲みに行ったりするということを、繰り返していたのです。
しかもそれを、特定の踊り子だけでなく誰彼かまわずやっていたわけですから、これが周囲の反感をかわないわけがありません(苦笑)。
また私は、ストリップの質が下がったのは、踊り子を応援する人たちが踊り子と仲良くしようとしてばかりで、踊りの質の向上をむしろ妨げていたことにも一因がある、という考え方を表明していて、この点でも「応援系」の皆さんを怒らせていたことと思います。
結局、ネット上でも劇場でも叩かれまくり、わずか2年足らずの1998年9月に「日本ストリップインフォメーションセンター」を閉鎖することとなりました。
自業自得とはいえ、これはさすがにこたえましたね。
これ以降はおとなしく、普通の観客としてしばらく観賞を続けていましたが、すでにこの時点でストリップは「choreography」としては大きくレベルダウンしていて、一回り3時間劇場に居続けることさえ苦痛になっていました。
そして、以前から見続けていた踊り子が2001年5月に引退したことを機会に、ストリップ観賞に一区切りをつけることにしたのです。

ストリップに関する活動で、一時的には多くの知り合いができましたが、現在に至るまで関係が続いている人は、残念ながら1人もいません。
そして現在の自分のホームページでは、ストリップに関する記載はすべて削除しております。

といったところで、2年にわたってお送りしてまいりましたこの「私とストリップ」、この辺で締めくくらせていただきたいと思います。
ここまでお読みくださった方、どうもありがとうございました。

2013/10/30

10月に入っても、まだコラムを書く気が起きない今日この頃です(苦笑)。
ボディビル大会シーズンも終わり、気が抜けてしまったのかもしれませんね。
今年はゴールデンウィークから後は、ボディビル大会以外のchoreographyを見ておりません。

さて、皆さんもすでにご存じのことと思いますが、2020年の夏季オリンピックは東京に決まりましたね。
夏季五輪としては1964年の東京以来、56年ぶり2回目の開催となります。
私自身1964年生まれでして、55歳にして初めて日本での夏季五輪を経験することになったわけです。
しかし、個人的には正直この東京五輪、歓迎しておりません(爆)。

え、体操・新体操はじめchoreographyがいっぱい見られるのに?
いえいえ、オリンピックともなれば会場も当然大きなものになり、肝心の選手たちの姿は遠目にしか見られないので、テレビで観戦した方がたぶんマシですし、それなら何も日本でやる必要はないと思うわけです(原爆)。
でも最近のテレビのスポーツ中継を見ていると、あまり多くは期待できないような気もしますけどねえ(苦笑)。
会場ですが、たとえば体操・新体操の会場に予定されている「有明体操競技場」は、収容人員が1万2千人という規模になるということです。
また、シンクロナイズドスイミングを含む水泳は、「オリンピックアクアティクスセンター」で行われるそうですが、こちらも収容人員は2万人ということで、客席によっては選手が米粒くらいにしか見えないのではないでしょうか。
それに入場料ですが、新聞で見たところでは平均なんと7700円くらいだということで、さすがに五輪といえどもなかなか手が出にくい高さです(苦笑)。
そのチケットも、確保できるかどうかがまず問題ですが・・・

そしてなにより恐れているのは、「浄化作戦」と称して各種取締が厳しくなって、ちょっと羽目を外すことさえも許されなくなってしまう、つまらない世の中になってしまうことだったりします(水爆)。
これまでも、なにかしら日本で国際的なイベントがあると、そのたびに「浄化作戦」が行われて、私たちの楽しみが奪われてきていますからね。

むしろ、来年秋に韓国・仁川で行われるアジア競技大会の方を、見に行きたいと思っています。
あちらなら入場料も安いでしょうし、撮影も自由にできると思いますので・・・

今回のコラムは、こんな感じで調子が上がらなくて、すみませんでした。
来月はこのコラムも4周年を迎えることもありますので、ピッチを上げていきたいと思います。
11月に入ったら、大道芸ワールドカップもありますからね。

2013/07/03

私事で恐縮ですが、本日午後2時過ぎに父親(78歳)が亡くなりました。
そのため、読者の皆様方そしてJunkStsgeスタッフの方々には申し訳ないのですが、四十九日が終わる8月まで、2か月ほどこちらをお休みさせてただこうと思います。
そしてこういう状況ですので、今週末のClub JunkStageも残念ながら行けなくなりました。
落ち着きましたら、これまで以上にchoreography観賞に力を入れる所存ですので、その節はまたよろしくお願い申し上げます。

2013年7月3日
山根 幸弘

2013/05/31

5月も終わりに近づいて、そろそろ尻に火がついてきた頃にこのコラムを書くわけですが、どうも最近意欲がわきません(苦笑)
こういうときは、連載物に限ります(爆)。
というわけで、久々にこれをお送りいたしましょう。
忘れた頃にやってくるストリップのネタですが(原爆)、時系列的には昨年11月に書いた1995年時点から再開する形になるかと思います。

さて、私がパソコン通信で開設していたストリップファンの集まり(BBS)ですが、参加しているメンバーはおおむね2つに分かれていました。
片方は、特定の踊り子の「追っかけ」をやっている方々で、BBSでも主導権を握っていた皆さんでした。
そしてもう片方は、特定の踊り子にのめり込むことはなくストリップそのものを楽しんでいる、いわゆる「一般客」の皆さんでした。
別の表現をするなら、前者は「踊り子ファン」で後者が「ストリップファン」と言ってもいいかもしれません。
さらに細かくいえば同じ「ストリップファン」の間でも、ストリップを「風俗」としてとらえる人と「choreography」として理解する人と分かれていたかもしれません。
そして私自身はといえば、「ストリップファン」でストリップは基本的に「choreography」と考えていましたが、「風俗」としての一面も否定しないというのが、当初のスタンスだったと思います。
しかし、BBSの主導権を握っていた「踊り子ファン」の皆さんとの交流が深まるにつれて、私の考えも変わってきてしまったようでした。
それにつれて、BBSは「踊り子ファン」のほぼ独壇場と化した感があり、「ストリップファン」の肩身が狭くなってしまったのではないかと思っています。
といいますのは、「ストリップファン」は自分の楽しみが最優先ですが、「踊り子ファン」にとってはそれ以上に踊り子のことを優先する傾向が強く、踊り子が不快に感じるような楽しみ方を否定することが、しばしばありました。
そのため、自分の楽しみ方を否定された「ストリップファン」の多くは「沈黙」を選ぶようになり、ますます「踊り子ファン」の勢力が強くなっていったのでした。

今振り返って思うに、「ストリップファン」と「踊り子ファン」はどちらもストリップ劇場からみれば「客」には変わりないのですが、そこに求める楽しみが異なるために互いに反目しあうことになってしまったのかもしれません。
それでも、劇場の中ではそれほど露骨な対立はなかったと思うのですが、ネット上のBBSという場で図らずも、両者の対立の構図が露呈してしまった感じでしょうか。
今では私はこういう場(BBS)を設けたことが、そういう「対立の場」になってしまったことを、率直なところ後悔しております。

とまあ、暗い話になってしまうのであまり書く気が進まなかったのですが、なんとか次回で締めくくりたいと思います。

2013/04/21

4月も、早くも3分の2が過ぎてしまいました(苦笑)。

私事ではありますが、このたび転勤し新しい職場での生活が始まりました。
3月までの職場とは違って、男ばかりではありますが雰囲気も明るく、自分を取り戻しつつあることを実感しています。
また、先日母方の祖母が99歳で亡くなり通夜・葬儀などあって、その点でも忙しくてコラムに手が回らなかったことをお許しください。

さて、この数ヶ月の間は、ライター仲間のたかはしういかさんのステージを、いくつか拝見することができました。
そこで、その観賞記録をこちらで書かせてもらおうと思いました。
もちろん、ういかさんご本人も承諾済みです(笑)。
ういかさんは、歌だけでなく演劇やパントマイムなども手がけていて、これらはまさに「choreography」と言うべきものです。
よって「番外編」ではなく、本編として今回のコラムを書かせていただく次第です。

3月16日には、東京は赤坂のジャズバー「杜のうた」で、ミニオペラライブがありましたので、こちらは夫婦で鑑賞させていただきました。
こじんまりとしたジャズバーでオペラというのが、なんか新鮮ですよね。
当日会場に到着すると、なんとういかさん自らお出迎えしてくださいました。
昼食付きでなんと3000円という、破格のコストパフォーマンスを誇るこのライブ、しかも最前方の席でしたので、これは実にこたえられません。
なにしろ、わずか1メートルばかりの距離で、ういかさんはじめとする歌手の皆さんの、生の歌が聴けるのですからね。


今回のメンバーは、歌手3人とピアニスト1人という構成で、歌手はソプラノのういかさんにテノールの佐藤慈雨さん、そしてバスの吉田拓人さんでした。
佐藤さんは、昨年3月に見たオペラ公演の「リタ」で「自由だ!」と日本語で叫んだ、リタの夫を演じていた人で、今回は進行役も務めていました。
また吉田さんは「拓人(たくと)」のお名前通り、本業は指揮者だそうです(爆)。
なおピアニストは、現役音大生の石川花蓮さんでした。
ライブは2部構成で、1部・2部とも最初にオペラのとあるシーンを再現した寸劇が演じられ、そこから歌に入っていくのですが、ここでういかさんの演技力が生き、アドリブとは思えない絶妙な受け答えを見せてくれました。
歌の方も、オペラ歌曲だけではなく日本の歌もしっかり歌いあげていましたね。
個人的に印象に残っていたのは、佐藤さんの「フニクリ・フニクラ」で、途中でなぜか歌詞が「鬼のパンツ」になってしまいました(原爆)。
(「鬼のパンツ」は「フニクリ・フニクラ」にコミカルな日本語の歌詞を付けたもので、NHKの「みんなのうた」でも放送されていたのです)
「リタ」でも笑いを取っていた佐藤さん、さすがこちらでもしっかり笑いをとっていきましたね(笑)。
今回初めての試みだったそうですが、今後もぜひ続けてほしいと思います。

 

そして4月6日には、雨の中代官山の「シアター代官山」に出かけてまいりました。
ここはかの「劇団ひまわり」の本拠地で、その専用劇場が「シアター代官山」というわけです。
こちらでは、ういかさんは「Bouquet-たえまなくねがうしあわせに-」と銘打たれたお芝居に出演していたのです。
タイトルから想像できるかと思いますが、舞台は結婚披露宴会場となったとあるレストランで、その披露宴を巡って起きる様々なトラブルに、頭を抱えながらもなんとか披露宴を成功させようという、ブライダルプランナーたちの奮闘ぶりをコミカルに描いたものでした。
ういかさんが演じていたのは、そのブライダルプランナーにスタッフの1人で小道具係の「戸川」さんでしたが、なんと披露宴の演出で派手な衣装で踊るシーンもあり、ういかさんの持ち味が実によく出ていたのではないかと思います。
こちらは撮影禁止ということで、写真で雰囲気をお伝えできないのがちょっと残念ですが、参考までに昨年の12月14日に同じシアター代官山で観賞した、パントマイム発表会の写真をご紹介してしまいましょう(笑)。

それにしても、ういかさんの「引出し」の多さには本当に驚かされます。
歌ってよし、踊ってよし。演じてよし。
そのうえ、しゃべると笑いも取れる(爆)まさに「マルチタレント」という表現がぴったりの人だと思いました。
そして、これほどの人材がJunkStageのライター仲間のお一人であることは、大変すばらしいことだと思います。
というわけで、これをお読みの皆さんにも一度ういかさんの舞台をご覧になることを、お勧めしたいと思います。
伸びゆく「初花の芽」が花を開かせるまでを、見届けようではありませんか。

2013/03/31

さて3月ももうおしまい、相変わらずぎりぎりで申し訳ありません(苦笑)。
ただ、実は4月から職場を変わることになりました。
いわゆる「人事異動」というやつですが、このためにここのところ忙しくて、こちらまで手を回す余裕がなかったことをご容赦ください。
仕事のことはこちらでは書くまいと思っておりましたが、率直に申し上げてこの1年間は26年間にわたる私の地方公務員生活の中でも、ワースト3に入るであろうひどい年でした。
上司・同僚に仲間外れにされ、いくら仕事をしても報われない、ただ職場にいるだけでも苦痛な日々でしたね。
明日から出向く新しい職場に何が待っているかはわかりませんが、なにより自分に正直に生きることを最優先に、気持ちを新たに臨みたいと思います。

さて。前置きが長くなってしまいましたが、前回「番外編」をお送りすると予告させていただきましたが、なにぶん今月まだ1回しか更新していないので、とりあえず本編を一本お送りしておきましょう。
最近お送りしてきたシリーズの、続編です。

さて、前回はカメラをデジタルカメラを切り替えたところまでお話しさせていただきましたが、2006年以降ははデジタルビデオカメラに切り替えておりました。
といいますのは、choreographyの「瞬間」だけでなく「動き」も記録して残しておきたいという気持ちが前からあったのですが、デジタルビデオカメラで静止画も同時に記録することにより、その両立が可能になったからでした。
しかも、ハイビジョンならば静止画も写真として必要十分な画質を得ることができることもあって、昨年まではこの路線で撮影していました。
しかし実は、最近になって再びデジタル一眼レフカメラに回帰する動きがあったのです。
確かに、ビデオカメラなら写真とビデオを同時に撮影できるメリットはあるのですが、その画質は専用のデジタルカメラに比べるべくもなく、また縦長の写真は取れないという落とし穴がありました。
最近ボディビルの方で撮影仲間もできたのですが、彼もデジタル一眼レフを駆使して、私が恥ずかしくなるくらい見事な写真を撮っていました。
そこで私も、昨年末にキヤノンの「EOS 7D」というデジタル一眼レフを購入してしまいました。
以前愛用していた、「EOS Kiss Digital」に比べて画素数は3倍の約1800万、連写性能も1秒間に8枚というマシンガンみたいな「馬力」を誇り、頑丈なボディとあいまって実に頼りになる「相棒」といえるでしょう。
このEOS 7Dを使って撮影したchoreographyの実例は、こういう感じです。

お気づきの方も多いと思いますが、今年1月13日にさいたま市で観賞した大道芸のパフォーマンスの写真です。
まだこのカメラで撮影したchoreographyは、これしかないのです(苦笑)。
4月になれば、地元横浜での「ヨコハマ大道芸」及び「野毛大道芸」で、遺憾なくそのパワーを発揮してくれることと思います。
そして、5月から始まるボディビル大会シーズンでも、活躍してくれることでしょう。

というわけで、私がchoreographyを残すために使ってきたカメラの変遷をお伝えしてまいりました、このシリーズをこれにて締めくくらせていただこうと思います。
ご高覧、ありがとうございました。

2013/03/17

今月も早くも月半ばとなりました。
やはり年度末は公私ともに忙しく、なかなかこちらの方まで手が回りませんでしたが、今回はなんとか書いてみましょう(笑)。
今回も、前回の続きでカメラについて書かせていただきます。

1990年代ではもっぱらコンパクトのフィルムカメラでchoreographyを撮影してまいりましたが、21世紀に入って大きな変化がありました。
そう、デジタルカメラがこの頃から手の届く値段になってきたのです。
初めて買ったデジタルカメラはオリンパスの「C-100」で、2001夏に買いました。
わずか130万画素(1280×960ドット)でズームもありませんでしたが、けっこう撮ろうと思えば撮れるものなんですね。
このカメラでの作品例は、こちらです。

これは2001年の7月から9月の夏休みシーズンにかけて、東京・池袋の屋内型テーマパーク「ナムコナンジャタウン」で行われていた、中国雑技のパフォーマンスを撮影したものです。
この頃のデジタルカメラは、画素数の少なさもさることながら画質も今とは比べ物にならないほど低く、また次の撮影が可能になるまでの時間もかなりかかったため、動きのあるchoreographyの撮影にはまだとても耐えられるものではありませんでした。
ですので、当時はフィルムカメラも並行して使っていました。
上と同じパフォーマンスをフィルムカメラで撮ると、こうなります。

こちらは、現像後のネガフィルムをスキャナで読み取ってデジタル化したものですが、やはりこちらの方が質の高い画像ではないかと思います。
私が完全にフィルムカメラからデジタルカメラに乗り換えたのは、2004年にキヤノンのデジタル一眼レフカメラ「EOS Kiss Digital」を入手してからのことでした。

しかしながら、ご覧いただきましたように当時の性能の低いデジタルカメラであっても、どうにか観賞に耐える写真を撮影することは不可能ではありません。
また、このJunkStageのライターの方で、携帯電話で芸術的な写真を撮影する方もかつておられました。
もちろん、携帯電話のカメラの性能も向上著しいものがありますが、あのおまけのような小さなレンズを通して、本格的な一眼レフカメラで撮った写真にも劣らない、見事な写真をコラムに掲載されていたことを、今でも記憶しています。
ここで私は、あるひとつのことわざを思い出すのです。

「弘法筆を選ばず」

これは、弘法大師(空海)のような優れた書家ならば、どのような筆を使ってでも立派な書が書けるという意味ですが、写真撮影についても同じことが言えるのではないかと、私は思っております。
すなわち、優れたカメラマンであるならば、どんなカメラでも芸術的な写真を撮ることができるものなのだと。
それこそ携帯電話のカメラや使い捨てカメラであっても、「いい写真」が撮れないということは決してないんだと思うわけです。
私もカメラに関しては、できるだけシンプルな構成で撮影に臨むようにしていますが、その中でchoreographyの魅力を十分に切り取れるような写真を撮りたいと、常に思って撮影に臨んでいるつもりです。(あくまで「つもり」ですが・・・)

今回はなんか、偉そうなことを書いてしまいましたね(苦笑)。
さて次回は、まことに勝手ながらしばらく封印してきた「番外編」を、書かせていただこうと思います。
え、フィギュアスケートの世界選手権はどうしたって?
まだ録画も見ておりません(爆)。
まあ、男女とも来年のソチ五輪の出場枠を3つづつ確保できたのですから、よろしいのではないでしょうか。

2013/02/28

さあ、2月も今日でおしまいです。
尻に火がついてきたところで、もうひとつコラムをお届けいたしましょう。

今回は、前回の続きということでカメラのお話をまたさせていただきます。
そういうわけで、1990年代のchoreography撮影はコンパクトカメラ+高感度フィルムという組み合わせで、もっぱら行っておりました。
しかしご存知のとおり、カメラのフィルムは長くても36枚撮りまでで、フィルム交換の間にいいシーンを撮り逃すこともよくありました(苦笑)。
お金に余裕があれば、カメラを2台用意してかわりばんこに撮影すればよいのですが、あいにくそこまでの余裕はありませんでしたしね。

こうして、choreographyの撮影にいそしんできたわけですが、フィルムカメラというものは一瞬を切り取るものなので、動きのあるchoreographyの撮影では「ここぞ」という一瞬にタイミングを合わせてシャッターを切ることが、実に難しいものです。
これは数十年続けていても、自分でもまだまだだなあと感じております(苦笑)。
だいたい、ファインダーからのぞいて「あ、これだ!」という瞬間を見てからシャッターを切っても、もう遅いのです。
ですから、何十枚何百枚と写真を撮ってもそのうち観賞に値するショットは、せいぜい数枚程度といったところが実情でした。

そして私は、自分なりの格言らしきものを作って自戒するようになりました。

「シャッターチャンス!と思ったときには、もう遅い」

ではどうすればよいかというと、「正解」といえるものがまたないんですよね(苦笑)。
ある程度場数を踏めば、演技の流れから「ここらへんなら」という部分がなんとなくわかってはくるのですが、結局は「カン」が頼りということになりますか(爆)。
しかしまあ、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」という言葉もあるように、何枚も撮っておけばいくつかは使えるショットも偶然撮れたりするもので、これを地道に積み重ねていくということではないでしょうか。

というわけで、1990年代後半の私の作品からもう少しご紹介してみましょう(笑)。

こちらは、1995年に今はなき横浜プリンスホテルで撮影した、新彊ウイグル自治区雑技団のコントーションのパフォーマンスです。
横浜プリンスホテル内の中国料理レストラン「李芳」で、当時は毎晩中国雑技の公演があり、料理を楽しみながらchoreographyを観賞できたのです。
このときは燭台のロウソクの光を際立たせるために場内を暗くした演出だったのですが、ここで高感度フィルムが活躍してこのような写真を撮ることができました。
中国雑技にしては、衣装がなかなかセクシーだったのも魅力的でした(笑)。
少数民族であるウイグル族によるパフォーマンスだったからこそ、でしょうか。

よし、これで今月のノルマはなんとか果たしたぞ(爆)。
3月はもう少し、間隔を整えましょう(苦笑)。

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