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2014/10/31

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日本中央競馬会には東西(茨城県、滋賀県)にトレーニングセンターがあり常時2000頭の以上の競走馬が滞在し、日々調教が行われている。また施設には診療所(獣医師)や装蹄場(装蹄師)があり日本の競馬を大きく支えている。
・施設設備
調教コースは南北にダート、ウッドチップ、芝、ニューポリトラック、芝障害コースの馬場があり南調教馬場には全長(計測区間800m)1000m、高低差18m(栗東32m)の坂路馬場がある。また北馬場の奥、丘陵地にはリフレッシュや追い切った翌日などの軽い調教用に森林馬道が設けられ、さらに馬場正面付近には競走馬スイミングプールやウォータートレッドミルがある。
ダートコースは調教時の馬への安全を図るために蹄で掘り起こされたあとのハローがけや冬期は凍結防止剤の散布、夏期は散水など徹底した馬場の維持管理がされている。また競馬場と違いセンターでは安全性や足腰のトレーニングという点から川砂や海砂といったクッション層が8〜9㎝(競馬場では7㎝)の厚さになっている。
ニューポリトラックは芝やダートコースに比べ降雪や凍結の影響を受けにくい。排水性に優れており降雨による馬場の悪化が少ない。が反面、1㎥=14万円と高額なためランニングコストがかかるというデメリットがある。
ウッドチップは木材(国産:赤松、杉)であるため耐久性に劣り、腐食や細粒化が進むと水分を過剰に含み、蹄が深くもぐったり、冬期は凍結する原因となる。また大雨が降った際はまずはじめに馬場が閉鎖されてしまう。坂路を含め調教の主流となっているが路盤の安定化のため転圧や散水といった維持管理作業に加え、材料の取り替えや排水処理にコストがかかる。
スイミングプールは屋内プールとなっており水温、室温はコンピュータ制御されており通年使用可能になる。濡れた馬体を乾かすために温風を送り出す装置も設置されている。浮力を利用し脚へ負担をかけず心臓と肺を鍛えることができる。脚部にかかる負荷は通常調教の40〜45%という。なのでこのトレーニングは脚部に不安のある馬や休養明けさらには若馬にとっても有効であるという。
また当センター中央には競走馬診療所があり日常の各種疾病や調教・競走によって発症する運動器病などの診断や治療、伝染病の予防や蔓延防止のための防疫、出走の適否を判断する馬体検査、薬物使用の未然防止とその指導、装蹄職員を配置し一般削装蹄のほか、X線診断による趾軸検査、特殊装蹄による装蹄療法など装蹄技術の向上と普及、調教飼育管理に関するコンサルタント及び、保健衛生思想の普及など幅広い業務を受け持っており、競走馬の健康増進と公正の確保に大きく貢献している。また年間200〜250件手術し蹄に関する病気で治療する馬は月に2、3頭だという。入院馬房は16室あり基本的に担当きゅう務員が面倒をみるという。

2014/06/30

馬の博物館 【神奈川県横浜市中区根岸台1ー3 根岸競馬記念公苑】に行ってきました。

我が国の馬は、明治以前は一部戦闘にも用いられていました。主に農耕や運搬を目的として繋養されていたため、「南部曲がり屋」など、一般の人々の生活の中に普通に馬が係わる文化が根付いていました。その後、明治時代の近代に入ると、欧米に対抗できる国力を維持するため、騎馬などの軍事力として利用や日本で生活する欧米外国人の生活習慣としての「乗馬
」「競馬」の導入など、新しい馬との係わり方が生まれてきました。それに合わせて、欧米で改良されてきた体格の大きな馬の輸入や日本での自家生産を目指した品種改良なども行われてきました。一方、現在の馬は、生物学的に特殊な進化の過程を得たことで、特徴な構造と機能を備えています。
今回の博物館や関連施設の見学を通じて…

【日本の馬と人の歴史】
旧石器〜新石器時代にかけて日本に野生馬が生息していた可能性は低く、弥生〜縄文時代に生息されたと考えられる。日本の古代馬は小型(115cm内外)と中型(130cm内外)に分類された。その小型馬は縄文後期から弥生時代にかけて現在の中国南部(四川地方)から入り、蒙古馬の系譜をもつ中型馬は弥生時代から古墳時代にかけて朝鮮から日本に導入され、九州や南西諸島には現在のトカラ馬や宮古馬、与那国馬のような小型馬が残っている。一方、中型馬は軍用として重用され、中世には木曽馬、御崎馬、対州馬のような中型馬が多数を占めるようになった。また大陸より伝来した小型馬も中型馬も遺伝的にはほとんど差がないことから、日本が朝鮮半島からのみ馬を受け入れ、これが本土から南下し、島に隔離されたものが小型馬になったとも考えられ馬の伝達手段には諸説ある。

【馬の特徴:進化、生体としての特徴】
馬の耳はクルクルと動きアンテナのような働きをし、開いている方向の音を選択的に聞き取るようにできている。これは、馬の耳が10種類もの筋肉に支えられ、前後左右と自由自在に向きを変えることができるため、立体的に音を聞き取っている。また、音を聞くだけではなく、気持ちを雄弁に表現する。この耳の動きから馬の心理を推し量るかとができる。
・前に向ける
平静な精神状態。関心を引いている時。
・頻繁に動かす
不安な心理状態。

・後ろにしぼっている
敵意や警戒心を示している。

気分の良い時は高い声で長くいななくのは嬉しい時で尾を高く振り、軽やかに歩く

[参考文献 生命科学研究室 楠瀬良 2001.12.10]

2014/04/30

ただいま栃木県にて馬について勉強してます。

なんと人生、3回目の寮生活です。笑

久しぶりすぎて何について…泣

んー。

 

すみませんが、歩法にします。

歩法は大きく4種となります。

カエルやイモリ、サンショウウオ等の両生類は脊椎のS字曲線を使って歩きます。この歩法を常歩(なみあし、walk)といい、LH(左後肢)ーLF(左前肢)ーRH(右後肢)ーRF(右前肢)と動きます。2肢または3肢が常に着地し肢に負重するために頭を動かし正面から頭の動きを見ると∞のように動かします。競走馬でいうとパドックでみられる普通の歩き方、4拍子でパカパカパカパカ

ワニやトカゲ等のハ虫類は体の下に空間を作り、立つことができるようになりました。これにより速歩(はやあし、trot)をし、対角線上にある前肢と後肢(右前肢ー左後肢など)が同時に動きます。この歩法を斜体側歩(速歩)といいます。ラクダや道産子(北海道和種)、二輪馬車を引く繋ガ競走のペーサーは同側の肢が同時に動く側対歩をします。1歩中に、2回の四肢が浮いている期間があり、その間に着地している2肢を入れ替えます。常歩と違い脊椎は動かないですが背中は上下に動きます。ダクといわれる速い歩き方、2拍子でトットットットッ

ホ乳類(四肢動物)はさらに駈歩(かけあし、canter)、襲歩(しゅうほ、gallop)をします。駈歩は着地順により2通りの走り方があり左後肢→(右後肢、左前肢ほぼ同時に着地)→右前肢の着地をします。これを右手前の駈歩といいます。右後肢→(左後肢、右前肢ほぼ同時に着地)→左前肢の着地をします。これを左手前の駈歩といいます。三肢が同時に着地している期間があり、1歩で1回、四肢が浮いてる期間があります。競走馬でいうと馬場に出たときにみられる軽い走り方、主に3拍子でトトトーン、トトトーン

襲歩は乗馬ではみられない歩法で競走馬が体を目一杯伸ばし全力疾走、4拍子でダダダダッ、ダダダダッと音がします。着地順により2通りあり、交差するためこの歩法を交差襲歩といいます。左後肢→右後肢→左前肢→右前肢の着地順序を右手前の襲歩といい、右後肢→左後肢→右前肢→左前肢の着地順序を左手前の襲歩といいます。さらに、スタート時や左右の手前を変える手前変換の際には回転襲歩を行います。着地順は左後肢→右後肢→右前肢→左前肢(または左右が入れ替わる)駈歩と異なり三肢が同時に着地している期間はなく、同時に着地しているのは二肢のみになります。また四肢の着地タイミングが独立しています。1歩で1回四肢が浮いてる期間があります。競馬では非常に疲労したとき以外、常に襲歩で走行しています。

襲歩は秒速12〜20mで肢の動きが速いので肉眼で肢の運びがわかりません。コーナーの入りでの手前変換時にスローモーションで確認するのもまた競馬を見る楽しみかもしれませんね。

2014/02/01

日本在来馬の8種の中で一番個体の小さい馬が野間馬(ノマウマ)です。体高はおよそ110~120cmと小型で、ポニーに分類されます。

毛色は江戸時代には白毛(芦毛)が流行したが、現在では栗毛・鹿毛が中心です。性格は温和で賢く、四肢は短節で細いです。関節は骨太で蹄は緻密であり、体格に対し頭部は大きく、前髪や鬣が長く蜜毛なのが特徴になります。

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野間馬の起源は、寛永 12 年(1635 年)に伊勢国桑名から松山城に転封になった藩主久松定行公が、ご舎弟の今治城主定房公に命じて、今治港の北4㎞の来島海峡に浮かぶ馬島に軍馬の放牧場を作らせ、多くの馬を放牧させたことから始まるとされています。

この放牧は、飼料不足と疾病の発生のため、多くの馬が死亡し失敗に終わりました。そこで藩は、松山領内の野間郷(現在の今治市乃万地区)一帯の農家に馬の飼育を委託して繁殖させることとしました。当時の馬は体高4尺(約 121 ㎝)を定尺として、この定尺より大きい馬は藩公から飼育費のほかに報奨金を与えることで増産を進める一方、この定尺より小さい馬は飼育費を支払わない代わりに農家に無償で払い下げられました。現在の野間馬はこの定尺以下同士の交配からできあがったものといわれており、「野間駒(ノマゴマ)」「野間子(ノマゴ)」「野間馬」と呼ばれ日本在来馬の中では一番小型の馬です。

四国地方には土佐駒(高知県)、越智駒(愛媛県)などの在来馬が飼育されてきたが、野間馬はその一種といわれています。

昭和 60 年(1985年)に8番目の日本在来馬に認定され、63 年(1988年)には今治市天然記念物として文化財に指定されました。

2013/10/27

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23日宮古島から沖縄を経由して東京へ戻る予定であったが宮古島発の飛行機がなんと遅れてると・・・長く宮古島にいたかったので最終の便にしてました。(いつも飛行機は最終と決めてます)カウンターで乗継便への搭乗が難しく、席の確保が取れれば他社の飛行機にと案内がありました。ホッとしました。

が、しかし他社の那覇行きが離陸し直行便(空席有の表示)の最終も行ってしまった。笑

暫くすると使用機が到着し急いで搭乗。みんなが「間に合うんでしょうね」と思っていただろう・・・が、、、離陸し、まだ上昇してるときに機内アナウンスで『ただいま、乗継便が那覇空港を離陸しました―。』とよく目にするコント番組かのように。こんなこと初めてでどうなるのかなと・・・なぜかワクワクしてました。笑

那覇に着きカウンターで案内されホテルの宿泊チケット、空港からホテルまでの移動費、夜食費が出ました。宮古・沖縄3泊4日というとてもゴージャスな出張に変更です。ホテルも申し分なく無駄にツインでゆったり休むことが出来ました。沖縄も行ってみたいところがありすでにリサーチ済みです。高校時の卒業旅行以来の本島上陸です。もちろん今回は自転車ですよ!!当時は車だったけど・・・

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まずは沖縄こどもの国

ここには与那国馬と韓国の済州島在来の天然記念物【済州馬(チョランマル・さいしゅううま)】が飼育展示されています。韓国と日本の馬が同時に観れる唯一の施設です。韓国の馬はここでしか観れません。

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済州馬、初めて観ました。芦毛なんですね。

おや、何かに気付きませんか???済州島・・・

日本の在来馬・対州馬(長崎県対馬)に心なしか似ていませんか。対馬と済州島は200キロ離れて韓国本島から両島とも150キロの場所にあります。起源はモンゴル(蒙古馬(モウコウマ))で少し体形は大きいが島へ移住し土着の馬と交配され小さく進化したのだろう。

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そしてこちらが与那国馬です。今まで観た中で肉付きがよく体形がやや大きい。(体高115㎝くらい)そしてモヒカン。笑

2種類とも沖縄ではポピュラーなネピアグラス(イネ科)を好んで食べていました。沖縄などの離島では飼料が1キロあたり20円も高いです。在来馬は運動料によって粗飼料(乾草・青草(そこらに生えてる草))で十分に飼育でき、お金のかかる濃厚飼料や高価な程度のいい乾草は不要です。こういった環境で育てるには問題ないんでしょうね。かえって打って付けでしょうか。サラブレッド等の乗用馬だったら様々な問題でとても管理が難しそうです。

こどもの国の飼育員さんとまたまたアポなしでお話しすることができ現在抱えている沖縄・在来馬問題について聞いてきました。僕が宮古で34頭観て思ったことと飼育員が感じていることが一致してました。それは、

  • 飼育者の高齢化
  • 頭数が少なく外部への移動ができない
  • 天然記念物なだけにフットワークが鈍い

などなど問題はまだまだあります。

こどもの国では今後、沖縄在来馬コーナーを施設内に新設するそうで琉球大学と在来馬の繁殖等も含めて協議されるようです。

 

次に向かった先は沖縄ヨナグニウマふれあい広場・うみかぜホースファームさん

ここでは実際に与那国馬に乗れる施設になります。こどもの国から35キロ・・・鬼です。こんな遠いとは思ってもなかったですが頑張って自転車こぎました。汗

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着いてビックリ!!馬がサングラスしてました。笑

こどもの国より若干小さめの体形です。サングラス(目隠し?虫よけ?日差し対策?)していても目はしっかり見えているようです。

この4日間で何キロ走破したかわかりませんが実のある毎日でした。またこの期間、腕が真っ赤になったことは言うまでもありません。笑

 

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2013/10/26

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在来馬を求めて先日、沖縄県宮古島へ行ってきました。4月21日~23日初めての宮古島です。宮古馬は沖縄県の天然記念物なので、まずは話を聞きに保存会のある宮古島市上野庁舎へ

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直談判。野間馬に関して4年前初めて今治市役所に行った時を思い出しました。あの時もアポなしだった。笑

電話で何度か話してましたが・・・保存会の方も時間を急遽とってくれて座って話しが出来ました。単刀直入に譲渡交渉をしましたが先方の発した言葉にびっくり!!25年4月現在で宮古島に34頭、北海道の農水省家畜改良センターに4頭で日本に38頭しか生息していないということ

島外への移動は50頭になったら考えるとその担当者は言っていましたが果たして・・・???

 

34頭すべてを観るために宮古島での移動手段はすべて自転車にしました。バスやレンタカー・バイクとありましたが土地や空気、匂い等も今後飼育することを考えてこの移動手段を―。前もって飼育されている場所を調べていたので、すらすら宮古馬に会えることが出来ました。

が、しかし宮古島とっても広いんです。自転車作戦大失敗です。飼育地が5,6箇所あるんですが島の東端や北端、西端に飼われてる・・・2時間かけて宮古馬を探しに行ったり、はたまた行ったら違うところに放牧しているとか。4月の宮古島は灼熱です。次回は間違いなく車ですね。笑

個体を観てみると与那国島の馬と比べ宮古島の馬は体形の統一性はなく体高100㎝のもいれば120㎝超の馬もいました。

宮古島・荷川取牧場

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他の在来馬と比べ栗毛が多かったかな?多頭飼いで栗毛が多いと栗毛の法則(栗毛の両親からは栗毛しか生まれない)で遺伝したのだろうか。僕のイメージは北海道和種は白系(芦毛・河原毛等)木曽馬、対州馬などは鹿毛(脚が黒く胴体が茶色)が多い気がします。

宮古馬全頭制覇して言えることはその全頭が人懐っこいということ。噛みつきもせず耳を伏せて怒ることもなかった。大人が乗馬するには体形が小さいかもしれないが足腰がしっかりとしていて海に入るくらい好奇心旺盛で穏やかである。島の人はしきりに【利活用】と言っていました。飼育し馬を用いて活用する。今では結婚式やイベントでも頑張っているそうです。また、お世話になった荷川取牧場(にかどり:宮古島市平良字下里2606-2)や宮古島市体験工芸村では曳き馬やトレッキングが出来ます。

宮古馬は在来馬の中で一番頭数が少ないです。

宮古島はトライアスロンや珊瑚礁が有名ですが是非、馬にも会いに行ってふれあってください。新しい発見がそこにはあります。

 

 

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