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2017/06/23

「自然への興味の行き着く果ては自分自身が生きていることの不思議さへと通ずる。」
ある人物がそんな事を語っていた。
決してこのような言葉に導かれた訳ではないのだが、近頃は僕自身も自分の祖先達の事が気になっている。
今、自分が生存しているということは、20万年前に新人類がアフリカで誕生してからいつの時代も途切れることなく命を繋ぎ止めてきたという事実に他ならない。
少し大げさに聞こえるかもしれないが、考えてみるとそれは本当に奇跡のようなことである。
私達はいつの時代にどこからやってきたのか、そして私達の住む土地の歴史について先人達が残した遺跡を巡りながら、現代までの「自然と人間の成り立ち」について調べている。

オホーツク人の存在。
かつて北方から北海道に渡来し、北部から東部にかけての海岸沿いに広く暮らしていた人々。主に海での狩猟採集を生業としていた民で、縄文人やアイヌとは全く違う「北海道の先住の民」である。

どの遺跡を見ても、同年代に彼らの特徴ある住居跡とアイヌの住居跡が重なることは決して無く、オホーツク人はオホーツク海岸沿いに、アイヌは内陸の川沿いなどに住居を構え、しっかりと棲み分けができていたと言われている。
しかし、彼らが北海道で築いた独特の文化、「オホーツク文化」はアイヌ民族の文化形成に大きな影響を与えていったという。

先日、網走の博物館に足を運んだ時の事。
小さなヒグマの彫刻の前で足を止めた。
北海道のオホーツク海沿いの集落跡から出土したものでオホーツク人が残したものである。

海での狩猟生活が主だったオホーツク人であるが、ヒグマに対しても特別な信仰を持っていたと言われている。
彼らの住居跡の内部からは壁際の特定箇所にヒグマの頭骨の集積が見つかることが多く、中には一軒の住居から数百体分もの頭骨が見つかったこともあるという。
他にもクマ意匠の彫刻や木製品が多く出土していることから、彼らのヒグマに対する強い信仰心が窺える。
実はこの彫刻には非常に興味深い事実が隠されていた。
一つ目はこの彫刻の素材が北氷洋にしか生息していないはずのセイウチの牙で作られているということ。他にも礼文島でオホーツク人によるセイウチの牙で作られた彫刻品が出土しているのだが、一説によるとこれらはオホーツク人が北方地域との交易によって入手した牙や骨に加工を施したものであるという。
現在ではこの説が有力視されているが、北極に住む憧れの動物であるセイウチの骨が北海道から出土していること自体に不思議さを感じるのである。
二つ目はヒグマの背中に彫られている文様である。
アイヌのクマ送りの儀式では、クマの胴に”削り掛け”を巻き付けて神の国に旅立つ晴れ着に見立てている。
つまり、オホーツク人もクマ送りの儀式を持っていたということである。それどころか、アイヌ文化がまだ形成される以前の出土物であることから、オホーツク人のクマ送りの方が先行していて、アイヌに影響を与えた可能性が高いということだ。
これまで北海道にアイヌ以外の民族がいたことさえも知らなかった自分にとって、それは衝撃的な内容だった。

果たして、はるか昔に北方からやってきたオホーツク人とは何者なのか・・・。
歴史上では10世紀頃になって忽然と姿を消してしまったとある。
これもまた、故郷へ引き上げたという説もあれば、次の時代の擦文文化時代に吸収されてしまったという説もあり、謎に包まれている。

その後、僕は専門家の方々の書籍を見つけては何冊も読みふけっているのだが、次々と興味深い内容を知ることとなり、この個人的研究は遅々としていてなかなか前には進まない。
まだしばらくは「オホーツク人」から離れられないだろう。

2015/10/16

なにかと忙しいこの秋。

10月に入り、自然界ではあっという間に紅葉が深まり、つい先日には早くも北海道内

各地で降雪となった。

このところの急激な寒気の到来に、自宅でもいよいよストーブが稼働し始めている。

近頃は、夕方を狙って自宅近くの山を歩くようにしている。

今の季節、森の中では小さな生命達が冬に備えて活発に活動しているのだ。

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足を止め、耳を澄ませてみると、あちこちからカサカサと枯れ葉を掻き分けるような

音が聞こえてくる。

特に夕方、日没の1時間くらい前が賑やかでおもしろい。

僕はいつもこの時間帯をめがけて森に入る。

低い斜光の中で生き物をシルエットで捉えるチャンスでもあるのだ。

夏には早朝にしか出会うことのなかったエゾリスも、今の季節はこちらの存在を気にする

暇もないくらい日没ぎりぎりまで木の実集めに余念がない。

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そんな訳で充実した時間を終えて帰路に向かって歩き始める頃には森の中は闇に包まれ

始めている。

真っ暗な山道を帰路に向かってトボトボと歩いていると、決まって森の奥からエゾシカ

の求愛の声、ラッティングコールが大きく響き渡ってくる。

それは秋の夜長にぴったりな風情ある声だ。

以前は北海道東部の旅先で、寝袋の中でこの声を聴くのが楽しみのひとつであったのだが、

ここ数年来自宅から車で数分の札幌市郊外の森でこの声が聞けるようになった。

エゾシカの増加問題も気になるところだが、野性味あふれるこの声が自宅近くで聞くことが

できるのは密かに嬉しい。

できればもう少しこの秋の情緒を楽しんでいたいところだが、きっとこの森もいつものように

あっという間に白銀の世界に変わってゆくだろう。

 

さて、本格的な冬がやってくる前に取材しておきたい場所がいくつかある。

まずは明日、自分も冬支度をひとつ、”冬タイヤ”に交換だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015/09/30

久しぶりに見上げた満月。

深まる秋、冷たい空気が漂う中で見る満月は穏やかで美しかった。

月の引力が大きくなる満月の夜は地球上の生物達に様々な影響を与える

という。

満月の日には私達人間を含めて様々な生物に出産や産卵が多いと聞く。

明治以前、まだ月の周期を基準に置いた太陰暦が使われていた頃、

当時の産婆さんは月の満ち欠けを見て出産の予定を立てたという。

私達と月の密接な関係性について、科学の知を超えた不思議な力を感じずには

いられない。

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満月の夜の森。

これまでの撮影行でも幾度もそのタイミングを迎えてきたが、

やはりどこか雰囲気が違う。

それは満月が放つ強い光のせいだけではないだろう。

静まり返った森の中であちこちでうごめく生命の気配に耳を澄ませる。

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きっと自然の中で生活していた先人たちは、私達より更に深いところで満月の力

を感じ取っていたに違いない。

さらに深いところで・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

2015/08/30

小高い山の上に登ると突然視界が開けて、森の奥の方にやっとそれらしき

ものを発見した。

いつか訪れてみたいと思っていたこの地。

森の中の空間にはどこかから運ばれたと思われる大小様々な石がたくさん

置かれていた。

それらはある規則性があるかのようにきれいに円形に配列されていた。

「ストーンサークル」

世界のあちこちに残されているというその史跡はここ北海道の地にも

いくつか存在する。

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これは縄文時代後期、今から約3500年程前に北海道に生活していた

北方系縄文人によって作られたもの。

3500年前・・・。

それはどれほど以前のことなのか。

わずか数十年という時間しか与えられていない私達の生命からは想像しがたい

時の流れである。

今回訪れたストーンサークルは、かつてはなんらかの儀式や祭り跡という説も

あったというが、その後の調査によって人骨、土器片、飾玉、弓などが出土し、

現在は先住民の墓であると結論付けられている。

以前、別な土地で見たストーンサークルはこれほどまでにきれいな配列は

していなかったが、このストーンサークルは本当にきれいに円形状に配石され、

美しい状態で残されている。

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辺りには直径5m程のサークルがいくつも点在していた。

岩の半分は地面に埋められ、地上に露出した部分は苔むしていて長い長い時の流れ

を感じさせるものだった。

深い山の中でどこか場違いなこのサークルは、ある意味この土地で初めて人間に

よって造られた人工物といってもよいだろう。しかしそれは気の遠くなるような長い

歳月の中で完全に自然の一部と化し、今も静かにそこに眠っっている。

夕刻、初秋を迎えた冷たい空気の中で僕は太陽が沈むまでここで過ごしていた。

森の中は徐々に光を失い、鳥や虫たちの声も止んで辺りが静まり始めた。

そろそろ山を下りようと腰を下ろして荷物をパッキングしていると、

驚いたことにサークルの岩の一部が赤く輝き始めていた。

太陽が水平線に沈む直前、木々の間から差し込んだ真っ赤な夕日がストーン

サークルを照らしていたのだった。

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それは本当に美しい光景だったが、わずか一瞬の出来事だった。

夢中でシャッターを切った。

まるで古代の先人が再び息を吹き返し、皆で円を描いて座っているように見えた

のだ。

その後、急速に森が闇に包まれてゆく情景が、たった今見たストーンサークルの姿を

一層強烈な印象として僕に与えていた。

輝いた瞬間、なにか不思議な”力”といえば大げさだろうか・・・、でも自分自身

が不思議な心境に包まれたのは確かだった。

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北海道の自然、動物達、人々。

太古から存在し続ける「生命の繋がり」には無数の不思議さ、美しさが隠されている。

ぼくはこれからもこの地に生きる生命を、そして時を超えて様々な生命の足跡を辿って

いきたいと考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015/06/12

南東アラスカのジュノーに降り立つ。

ジュノーはアラスカの州都であるが、人口はわずかに約3万人ほどで、

アラスカ本土の南端に位置しながらも市外へ通ずる道路や鉄道はない。

ここも水路と空路が重要な役割を担っている。

また、この辺りの海もほかの南東アラスカの地域と同様、周囲には大小

たくさんの島々が浮かんでいて、どの島も海岸線ぎりぎりまで森林が

迫り、複雑なフィヨルド地形となっていた。

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町から遠く離れた海に浮かぶ島々はどれも無人島であったが、時折

島の森の中にポツンと小さなログハウスや人間の生活の痕跡を見る

ことがあった。

現在でもこうして時代に逆行するように、人目を避けるようにひっそり

と暮らしている人達がいると思うとなんだか不思議に思えた。

彼らは一体どのような生活を送っているのだろうか・・・。

船の上からの眺めは目に映るものすべてが新しくて興味の尽きること

がなかった。

ジュノーでは朝から晩まで小さなボートに乗って鯨の姿を求めた。

これまでカナダからアラスカへ向かう船の上で本当にたくさんのクジラ

の姿を見てきたのだが、やはり近距離での撮影は小さなボートに勝る

ものはない。

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今回の旅では南東アラスカの中でも「クジラのメッカ」と言われる

ジュノーで撮影をすることをあらかじめ決めていた。

春を迎えた今、少しずつ南からザトウクジラがこの地へ戻ってきている。

様々な期待と不安を胸にボートに乗り込んだ。

海へ出て1時間ほど経った頃、島の沿岸で高々と吹き上がるクジラの

ブローが見えた。

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初めてアラスカの海で聞くクジラの呼吸音、浮上のたびに見える彼らの

大きな背中・・・。

落ち着いてファインダーを覗きつつも、ココロの中では沸々と嬉しさと

感動が込み上げてきた。

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その後は幾つかのクジラの姿を見つけるも撮影には及ばず、ボートは

ただひたすら寒風を切りながら次から次へと撮影を可能にしてくれる

クジラを求めて走り続けた。

そして、やっと夕日が傾きかけた午後7時、観察していた一頭のザトウ

クジラが突如として何度も宙へ舞い上がり、遂に彼らの全身を間近で

見ることができた。

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彼らの巨体もさることながら、落下した時の水面の爆発は想像以上の

ものだった。

地元北海道でこれまで何度も鯨類の撮影を行ってきたが、アラスカの

ザトウクジラはやはり格別なもの。

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またいつかこの地に戻ってきてじっくりと向き合ってみたい・・・。

アラスカのクジラはそんな思いを大きく抱かせてくれるものだった。

アラスカの大いなる自然に出会えたことに感謝したい。

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2015/06/02

カナダブリティッシュコロンビア州バンクーバーに降り立った翌日、船でアラスカ州

へ入った。

南東アラスカの海域には小さな島が無数に浮かび、大きな島の海岸線はどこも複雑な

フィヨルド地形となっていた。

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降り立ったのはバラノフ島シトカ。

人口9000人程が海と山に囲まれた環境に暮らしている。

ここはかつてアラスカ先住民「Tlingit」の聖地であったが、一時アラスカがロシアの統治下

にあった時代には両者の間に激しい衝突があり、その後も微妙な関係を保っていたことを

知る。

町を歩くと幾つものロシア建築の建物を目にする為、アラスカ先住民の聖地としてはどこか

異質な印象を受けた。

先住民族「Tlingit」は北海道のアイヌ民族との共通点も多いという。

アイヌ民族の生活圏が北海道以外にも樺太、千島、カムチャツカに至る広範囲に及んでいた

ことを考えると、両者の関係になんらかの繋がりがあっても不思議ではない。

実際、南東アラスカの「Tlingit」とカナダ北西沿岸の先住民族「Haida」の伝説には過去に

アイヌ民族との接触があったことを伝える物語が幾つかあるという。

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「Tlingit」文化の最大の特徴ともいえるトーテムポールは、アイヌ民族の文化には存在しない。

トーテムポールに刻まれている様々な動物達や人間の姿は、それぞれの家系やそれぞれが

所有する伝説や物語の登場者で、家の中や家の前、また墓地などに建てられていたのだという。

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夕暮れ近くに海岸に面した森に入ると、すぐにどこからともなくワタリガラスの声が聞こえ

てきた。

この地の先住民族にとって”raven”は人間や動物を創った神話の主人公であり、特別な存在

としてトーテムポールにも刻まれている。

ワタリガラスの声は日本のカラスとは全く違っていて、どうにも言葉では形容しがたい不思

議な声だ。

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そしてまた、時折聞こえてくるのがハクトウワシの甲高い声。

静まり返った夕刻の森にトーテムポールに刻まれた”主人公達”の声が響き渡ると、一気に

アラスカ先住民の世界に導かれていくようだった。

森の中でトーテムポールを見つけると、しばらく立ち止まってポールに刻まれた動物達を

ひとつひとつ見上げた。

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森を見つめるポール、海を見つめるポール。

森の木々に溶け込むように建てられたポールをじっと見つめていると、それぞれのポールが

まるで魂を持って自然や人間を見据えているように思えてくる。

南東アラスカからカナダにかけて先住民族が信仰したトーテムポールの文化は一体いつ頃

から始まったものなのか・・・。

朽ち果て、土に帰ることを前提に建立されてきたトーテムポールだけに、その起源は

わかってはいないという。

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確実に消えゆく真の時代のトーテムポールは静かに見守りながらも、その文化は積極的に

今の時代へ伝えてゆこうとするアラスカ先住民の姿をいくつかの場所で見てきた。

彼らの活動は北海道の先住民同様、今の時代に失われつつある”人間が生きていく上で大切

な精神”の継承であるように思われる。

 

美しきトーテムポールの森にはいつまでもワタリガラスの声が響き渡り、そして静かに夕闇に包まれていった・・・。

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2015/05/06

世の中がGWを迎える中、僕はトラクターに乗って急ピッチで雪解け後の田んぼを耕し

ていた。

トラクターは毎日早朝から日没後までフル稼働で、エンジン全開による爆音と熱と振動

で体の感覚がおかしくなりそうだった。

先日、仕事を終えて夜空に浮かび上がった満月を眺めていると、なにやら遠くに「獣」

のシルエットが見えた。

どこからともなく2頭のキツネが駆け足でやってきて、夕闇の耕した田んぼの中で

じぁれ合っていた。

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この田舎ではごく日常的な光景も、僕の目にはとても新鮮に映り、最後まで興味深く

観察した。

 

僕は毎年春の一時期だけ知り合いの米作農家を手伝っている。

もちろん「仕事」ではあるのだが、どちらかといえばこれは僕の趣味に近い。

なにより春の農作業は気持ちが良いのだ。

田んぼのあぜではフキノトウが一斉に芽吹き、時折北へ向かうハクチョウやガンの群れ

が頭上を通過してゆく。スコップで土を掘り起こしていると、まだ冬眠から覚めやら

ぬカエルまで起こしてしまい、そんな時は静かに土の中に埋め戻したりする。

今シーズンも例年同様に様々な発見を楽しみながら農作業を進めてきたのだが、実は

今年は本格的な田植えを前にしてここを離れることになっていた。

例によって「旅」に出るのだ。

農家のご主人さんの意向によってギリギリまでトラクターに乗っていた為、出発の前日

になって慌てて準備を始めた。

今回は荷物が多い為、撮影機材の種類は最小限に抑えなければいけないのだが、内容は

第一線で活躍している重量級のものばかりになってしまった。

本来は少しでも軽量化を図りたいところだが、やはりここは妥協できないのだ。

明日、いよいよ出発となる。

「田植え作業」に後ろ髪を引かれながら、旅モードへ気持ちを切り替えてゆく。

今回はどんな素晴らしい光景を見ることができるのか、そして新しい作品創造への期待

を胸に「旅立ちの時」を待つ。

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2015/03/07

先日、札幌市が主催するヒグマフォーラムに参加した。

街なかの会場に足を運ぶと、僕の提供したヒグマの写真が大きな

ポスターとなって掲示されていた。

起用していただいたのは昨年に引き続いて2回目だ。

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さて、北の大都市「札幌」ではここ近年ヒグマが相次いで出没するように

なり、住民のヒグマに対する意識も少しづつ高まりつつある。

会場には子供から若い女性、年配者に至るまで多くの人達が集まっていた。

現在、札幌市はヒグマ対策の専門機関を設置し、住民とヒグマとのトラブル

を防ぐ為にさまざまな活動に取り組んでいる。

例えば、市内に点在する自然公園等のパトロールを行ってその情報を細かく

発信したり、道路際や河川敷の見通しをよくする為に草刈を行ったり、また

出没時には迅速な対応をこなして、住民の安全を守っている。

そして市民向けにこのようなフォーラムを開催して現状や対策などを発表している。

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僕が幼少の頃の札幌市内は今よりはるかに野山が多かったはずなのに、ヒグマが

出没したなどという話は聞いたことがなかった。しかし、不思議と都会化が進む

につれてそのようなニュースが頻繁に聞かれるようになった。

その要因についてはいろいろと考えられるのだが、長くなるのでここでは省略しよう。

僕が研究者の方のお話に興味を持ったのは以下のような話だ。

これまでは移動距離の長いオスのヒグマが食べ物を求めて山奥から緑の回廊となる

森を伝って人里に出てきていたというパターンがほとんどだったという。移動距離

の長いオスのヒグマは数十キロという広範囲にわたって徘徊する為、一時的に人里

近くに現れても割と短い期間でまた立ち去ってゆく。しかし近年は移動距離がごく

短いメスの存在が住宅地付近で度々確認されているという。つまりこれは長距離を

移動しないメスのヒグマが安定的に市内に隣接した山林で年間を通して生活している

ということを意味している。

ヒグマの習性と出没の事実をもとにしたこのお話はもっともであると感じたのだが、

何よりこのことからヒグマの生態が現代に順応する為に少しずつ変わりつつあると

いうことがよくわかる。

僕は、「人とヒグマの共存」という言葉が幾度となくささやかれる中で、果たして

お互いの生活域が重なる中での「共存」が本当に望ましいことなのかという疑問が

いつも頭の中をよぎる。

動物と人間が対等ではなくなってしまった今の時代、過大に権力を持ってしまった

私達は、なにか自分たちに不都合が起きると結局彼らの生き方や習性を尊重すること

なく一方的に彼ら生命を脅かす。少なくともこれまでは幾度となくそれを繰り返して

きた。

本当の意味での共存とは、大地の中で人間と動物達の棲み分けが確立している上

で彼らの生活を脅かさないということではないだろうか。

つまり一番大切なのは、彼らの本来の生活圏を荒らさず、奪わないという事に尽きる

のだと思う。

様々な動物達を神の化身と信じていた先住の民もきっとその事を理解していたに

違いない。

以前、国立公園でヒグマの業務を務めていた際は、フィールドは常にヒグマ優先の土地

であり、そこに人間が立ち入るにあたって時間規制まであったほどだ。

しかし、都会近くの山林に生活するヒグマへの対応はこうも違うものかと思うことがある。

 

「野生動物と人間社会」の存続を考える時、本当に自然を大切にしなければいけないと

考える者もいれば、自然よりも安全や有益を求める者もたくさんいる。

この多用な価値観の中で深い自然の象徴であるヒグマや彼らの生きる環境をどうしたら

守っていけるのか・・・。

刻々と変わってゆく社会状況の中で、自然は人間のこれまでの代償をゆっくりと、そして

しっかりと求めてきている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015/01/19

日本最北の不凍湖。

山岳地帯に囲まれた周囲約40㎞のカルデラ湖「支笏湖」を眼下に見下ろ

した。

山の上からは標高1000m前後の比較的小さな山の連なりが遠くまで

見渡せた。

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「山」といえばいつも大きな山に惹かれて遠くまで足を延すのだが、札幌

近郊にもなかなか魅力的な景色はあるものだ。

自宅から約1時間。

今日は軽い気持ちで運動がてら・・・と思ってやってきたスノーシュー登山。

目的の山頂まで行ってすぐに戻るつもりだったが、この景色の美しさに

惹かれて少し足を延してみることに。

というのも、先ほどすれ違った登山者の方が親切にもおすすめの縦走路を

教えてくれたのだ。

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湖を横目に見ながら広い台地上の雪原を進んでゆく。

あちこちに点在するキツネやウサギの足跡。

このロケーションの中で動物を撮影できたら素晴らしい写真になるだろうなぁ。

次回、ぜひ挑戦してみよう。

もっともっと・・・、あの山の頂まで歩いてみたい。

なだらかなに続く尾根は、どこまでも行ける気がした。

そんな心境に囚われるが、今日は見晴らしい丘の上で途中退散。

次回は動物を待ちながらここで夕焼けと月光の支笏湖を望みながらテントで

一晩を過ごしてみたい。

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2014/12/28

「Gold Rush」と聞いてすぐに頭に浮かぶのは、やはり北米やアメリカ西部で巻き

起こった壮大な”夢物語”だ。

1896年のカナダ・ユーコン準州「クロンダイク」での金鉱の発見は世界中の人々

に 「一攫千金」の夢をもたらした。

これまでいくつかの「ゴールドラッシュ」にまつわる文献を読んできたが、遠い異国

の地で起こった壮大な物語を活字の中から想像するのは難しい。

まだ見ぬ土地に足を踏み入れ、厳しい環境と戦いながら夢を追い続けた男たちの物語

には興味が尽きない。

先日、北海道北部の浜頓別町を訪れた時に、ふっとこの町が「砂金の町」であることを

思い出した。 現在はこの町を流れる川の上流で観光用に砂金堀り体験が行われている

のだが、 実はその昔、この地でクロンダイクに勝るとも劣らない空前の「ゴールドラッ

シュ」が巻き起こったという歴史が残されている。

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しかし、今はもう北海道に生きる者でさえその出来事を知る者は少ないのではない だろ

うか・・・。

僕はしばしこの土地の歴史を調べ、当時の壮大な舞台の中に入り込んでいった。

 

北海道で砂金採取が始まったのはまだクロンダイクで金鉱が”ストライク”する以前の事、

江戸時代には既に採取が行われていたという 。

北海道南部から始まった”砂金探索”は次第に河川源流部から山を越え、北海道の南から

北へと急速に進んでゆくのだが、同時に人々の「夢」への関心もどんどん高まって いった。

砂金探索が頻繁に行われるようになると、その情報が砂金採取者達を刺激し、 一攫千金

をひそかに狙う者達が各地の網の目状に広がる支流や源流部に入り込んでいった。

そんな中、 明治31年に浜頓別町のウソタンナイ川で「砂金が出た」というひとつの小さ

な話題から、いわゆる”枝幸砂金”の「ゴールドラッシュ」が始まっていったのだ。

それはカナダのクロンダイクで「ゴールドラッシュ」が始まってわずか2年後のことだった。

翌々年にはウソタンナイ川の上流で国内最大となる768g、こぶしほどもある巨大な金塊が

見つかって採取者達に更なる衝撃を与えた。

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わずか25人から始まった採取者が数ヵ月後には優に1万人を越えるまで 膨れ上がり、

あっというまに鉱山集落ができたというのだから、この「ゴールドラッシュ」がどれだけ

センセーショナルな 出来事であったかがわかる。

「東洋のクロンダイク」と言われた”枝幸砂金”の「ゴールドラッシュ」。

その歴史の陰には様々な人間模様を描いた裏話も伝えられている。

当時、砂金は国の財産であり、採取するには正式な国の許認可が必要であった中で、多く

の砂金採取達は「密採者」であったこと、大勢の砂金採取者の中には全く労働に不向きな者

や町の生活になじめない者もたくさん含まれていたこと。

また、それまでの仕事を捨てて「一攫千金」を夢見てやってきたものの、運に恵まれない者

は野宿同様の生活を送り、最後には帰る旅費まで失って衣服や所持品を売る者もいたと

いう。

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“一攫千金”を狙う者はいつの時代も「後には引けないギャンブラー」のようだ・・・。

そんな状況の中でも確実に儲けた者達がいた。

彼らは”一握りの夢”に賭けるのではなく、現実を冷静に見極めた賢い人物だ。

それは砂金採取者達を相手に商売を始めた者達。

山の中に突如として集まった大勢の男達を商売人が放っておくはずがない。

かつてアメリカのゴールドラッシュにおいて、ジーンズメーカーの”リーバイス社”が誕生

した話は有名であるが、この地でも彼らを相手に始めた「宿」や「風呂屋」や「食堂」は

瞬く間に潤いに満ちて、それらの繁栄が現在の町の原型にまでなっているのだ。

それぞれがそれぞれの方法で”金”を求めて「駆け引き」を行ったゴールドラッシュの舞台

では詐欺師や強盗さえも物語の主人公となってゆく。

 

北海道の歴史に壮大な物語を残した北海道浜頓別町のウソタンナイ川。

今は当時の華やかな状況は見る影もなく、静かに蛇行を繰り返しながら森の中を流れて

いる。

渓流に沿って続く山道で見つけた大きなヒグマのフンは、すでにこの地が彼らの聖域に

戻った証であり、また、河原に茂る大木にはサケの遡上を狙ってたくさんのオオワシが

群れ、周囲は彼らの甲高い鳴き声に包まれていた。

今もこの川のどこかに金が眠っているのだろうか・・・。

そんな可能性を否めないこの土地に、ほかの土地には無い神秘の魅力を感じた。

 

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