2008.08.15

アメリカで生きて行く

Dear ゆうさん

暑い日が続いていますがいかがお過ごしですか?

夏のハドソン川の向こうには、マンハッタンが蜃気楼のように浮かんで見えます。

夏のハドソン川

「いずれ日本に帰るの?」とよく聞かれます。今のところ、里帰りする予定はありますが、永久帰国は予定していません。むしろ、アメリカに永住するつもりで市民権も取ったわけだし、アメリカで残りの人生を楽しく過ごせたら、と今は思います。

ある病気の疑いをかけられ、障害を持つ可能性があると言われました。その時、面倒を看てくれる家族がいる日本よりも、障害者が積極的に社会参加しているアメリカに残りたいと思いました。結局は病気でも何でもなかったのですが、年を取るにつれ、日本は住みにくいように私には見えます。

物価は高い。治安はよくない。テロの脅威が襲うこのご時世。アメリカは安心して住むことができると言い切れる国ではない。いい条件は揃っていないけれど、私にとってアメリカはとても快適に過ごせる場所です。(アメリカと言っても、私はマンハッタンからほど近い、ニュージャージーのことを指しているのですが。)

月に数回マンハッタンに遊びに行きます。車で行ったり、バスで行ったり。ご存知の通り、マンハッタンは世界でも屈指の観光スポットです。さすが、度々訪れても、なかなか飽きません。

そして、物価が高い街ではあるけれど、お金を使わなくても遊ぶことのできるスポットや方法はいくつかあります。たとえば美術館。ほとんどの美術館には、入場料が無料になる日があります。20ドルも取られる入場料。無料の日を選ばない手はありません。

映画は週末の午前中が狙い目です。安いところで4ドル前後、高くても6ドルぐらいのマチネ料金で映画を観ることができます。 ま、私の場合は、ニュージャージーのおんぼろ映画館でもっと安いマチネ映画を観ていますが。

マンハッタン

ミュージーカルもマチネを狙います。タイムズスクエアにチケットを安売りする場所があり、そこに並びます。何も有名なミュージーカルではなく、オフブロードウエー やオフオフブロードウエーで、前衛の舞台を楽しむのもいいでしょう。

ブロードウエー界隈のレストランは、ミュージーカルの観客をターゲットにした、プレフィックスのディナーメニューがあり、お手頃価格でおいしい料理が食べられます。レストランでおいしい料理と言えば、レストランウイークと呼ばれる期間に行くと、高級レストランでも参加していれば、驚く値段で最高級の料理が楽しめます。私はもっぱら屋台で食事を済ませてしまうほう。だって、かしこまったレストランより、ずっとおいしいんですもの。デザートは、夏場だったら、屋台のアイスクリームなんてどうでしょう。スカイラインを眺めながら、コクのあるソフトクリームなんて、最高の 贅沢のように私には思います。

リンカーンセンターのアメリカンバレエカンパニーのファンだった時は、フォースリングという舞台から一番遠い格安の席を買って、何度も通いました。

地下鉄は一般市民ばかりではなく、観光客も多く利用しています。駅のブースで地下鉄マップを手に入れると、ビーチにも動物園にも行くことができるのがわかります。乗り放題カードを購入して、自由の女神も、エンパイアステートビルディングも、メトロポリタン美術館も、地下鉄やバスを活用して、体力を節約しています。

アメリカに来て14年経ち、いまだマンハッタンには飽きません。もし人生最後の日が来たなら、私はマンハッタンをゆっくりと歩きたい。 もし日本に帰ってしまったら、私はマンハッタンが、アメリカが恋しくなって、狂ってしまうと思う。(もちろん日本も大好きなんですけどね。一生住みたいと思える場所に出会えて、本当に幸せだと思います。

ゆうさんにはそんな場所がありますか? あるとしたら、それはどこですか?

私のハドソン川からの手紙はこれで最後です。またしばらくしたら、筆をとる(更新する?)かも知れません。その時まで、お互い元気でがんばりましょう。

それではまた

From じゅり (私の日記はこちらでも読むことができます→ヨイコノミカタ

2008.07.30

>>じゅりさんへ 桃生

こんにちは、炎暑お見舞い申し上げます。
日本では梅雨もあけ、平均気温が30度を超える夏になりました。
天気予報によるとニュージャージーも同じく暑い日が続いていらっしゃるようですね。
お仕事と学業の両立でお忙しいかと存じますが、どうかお体にお気をつけてお過ごしください。

さて、アメリカの夏、と伺ってまっ先に思い浮かんだのが、スティーブン・キングの掌編「スタンド・バイ・ミー(原題:THE BODY)」でした。たぶん、読んだタイミングがよかったのだと思います。
というのは学生時代の夏休み、初めて辞書片手に原文で読んだ小説だからです。
映画を見て、ぜひ小説も読んでみたい!と意気込んだものの、自分の訳文の意味の通らなさに四苦八苦。
毎日図書館に通いつめ、ノートに訳した記憶は本当に強く残っています。
なんとか読みたい一心で頑張ったせいか、夏になると必ず思い出してしまう一冊です。

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▲ 日本で出版されている「スタンド・バイ・ミー」と映画版。
小説と映画では印象がちがうのが面白いです。

そういえば日本の学生に与えられる長期の休暇と言えば夏休みで、そのせいか学生が主人公の小説は夏休みを舞台にしたものが多いように思います。
だからこそ、わたしは英米文学のクリスマス休暇やニューイヤー休暇、イースター休暇という言葉の響きに憧れました。小さいころ児童文学で知った「トライフル」を長いこと妖精が食べる何かきらきらしたお菓子だと思っていたのと同様に、それらの休暇の名前をなにか素敵なことが起こるわくわくした響きとして受け止めていたのです。

たとえばサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて(原題:The Catcher in the Rye)」。あのお話はクリスマス休暇が舞台だったと思いますが、「クリスマス」という荘厳な季節と主人公・ホールデンの刹那的な語りがとてもピッタリ合っていてドキドキしながら読んだものでした。
これが冬休みだの正月休みでは詩情台無しというものです。

日本から出たことがないわたしは、実際のアメリカを知らないからこそ小説や映画で描かれるアメリカの四季を特別視してしまっているのかもしれません。
イースター休暇というとカボチャ大王などかわいらしいアイコンをイメージし、ニューイヤー休暇なら晴れがましい賑やかさを想起してしまいます。
お盆と言えば幽霊、正月ならみかんとこたつ。
身の丈はそうでも、心はまだ、物語の四季に憧れてやみません。

じゅりさんは、休暇といえば何を思い出されますか?
よろしければ、こんど教えてくださいね。

2008.07.15

アメリカに住む

Dear 桃生さま

お元気ですか。

 

ニュージャージーは夏まっさかり。ビーチにベーベキューにベースボール。ビールに花火にアイスクリーム。背広姿のサラリーマンもアイスクリームをなめなめ街を歩いています。ちょっとカワイイ?

 

0701

アメリカで移民同士が出会った時、一番多い質問は何だか、ご存知ですか?

 

それはビザのステイタス。「あなたのビザはなんですか?」というのが、お決まりのあいさつといえるでしょう。私もアメリカに来た最初の頃はよく聞かれました。

 

「ビザは何?」

「学生ビザよ」

「本当? 私も」

となって会話が弾んだりしたものです。

 

アメリカに3ヵ月以上滞在するとなると、なんらかのビザは必要になります。仕事や結婚が目的でないかぎり、学生ビザで入国する人が多いでしょう。15年前、私が学生ビザを申請した時は、アメリカにある学校側が発行するI-20という書類が必要でした。入学の申請と銀行の残高証明で、あっさり発行されました。そして、I-20と一緒に、在日アメリカ大使館で学生ビザの申請をするのです。

 

これが私にとって、最初の難関でした。渡米予定の2ヶ月前、学生ビザの発行を拒否されました。独身、女性、フリーランス。どこにも所属していなかった私は、「アメリカで、勉強なんかしないで、さっさと結婚相手を見つけて、居据わるのだろう」くらいにしか、」思われなかったのだと思います。拒否理由に、「アメリカで英語を勉強しようとする根拠が見当たらない」「いずれ日本に帰国する根拠がない」「永住のおそれがある」。学生ビザを発行する人は、あくまでも学生であり、卒業したらとっとと本国へ帰ってもらわないといけないのです。

 

あ、そうだったのか、と思いました。だって、私は永住のおそれがあるというよりも、永住する気まんまんだったのですっ!(鼻息

 

二度目の申請はむずかしいという話を聞き、人の勧めで弁護士を雇うことにしました。移民弁護士の存在も知りませんでしたし、紹介してくれた人も、よく分からなかったらしく、業界で有名な国際弁護士を紹介してくれました。企業間の国際ビジネスを取り扱う弁護士で、それは立派なオフィスでした。考えると、即、断わられて当然のはずが、「移民はやったことがありませんが、やりましょう」と引き受けてくれました。後から聞いたのは、ご自身の留学経験と、アメリカに行くことしか眼中になかった私の気迫に負けたからだそうです。

 

弁護士の尽力で渡米した私ですが、ビザとの格闘は続きます。当時、永住権、もしくはグリーンカードは、だれもの憧れでした。私が渡米する数年前は、抽選プログラムで一人何枚も応募でき、出せば出すほど抽選の確率が高くなるものでした。アメリカで知り合った人の多くは抽選でグリーンカードを当てた人でした。

 

もちろん私も1年に1回の抽選に全てをかける思いでしたが、その頃には、1人1通と限られ、当選率はかなり低くなっていました。学生ビザは、当然のごとく学生でいないといけません。働くことも許されませんし、市立大学で留学生は、市民とは隔てられた特別に高い授業料を払うことになります。延長可能ですが、期限付きでもありました。最初から永住しようと思っていた私には不便なビザでした。

 

労働ビザをサポートするので、正社員にならないか、というありがたいお話をいただきました。労働ビザ、いわゆるH1(b)ビザがあれば、サポートしている会社に勤めている限り、有効です。申請するための費用や弁護士料は自腹ですが、こういうチャンスがあるだけでもラッキーと思わなくてはいけません。でも大枚が飛んでいくのは忍びないものでした。

 

労働ビザは、労働局の許可と移民局の許可の2本立てです。 実は、移民局から渡航の許可発行を拒否されてしまったのです。労働許可は下りても移民局の許可がなければ、働くことは許されても、渡航はできないという状態になります。

 

担当弁護士のアドバイスで、労働ビザの申請と、永住権の申請を同時にすることにしました(また大枚が‥ 涙)。永住権がいずれもらえるのであれば、労働許可さえあれば、移民局の許可いりません。永住権までの数年、アメリカで辛抱すればいい話です。

 

ところが、どうしても日本に一次帰国しなくてはならない用事ができ、移民局の許可を再申請するはめになりました。再申請はアメリカ国外から一度出て、アメリカ大使館で面接を受けるというプロセスがありました。一番近く手堅いところはということで、カナダのモントリオールを選びました。この面接の予約を取るのが一苦労でした。朝の6時から電話をかけ、オフィスの職員に朝一番でその電話に出てもらうのです。さもないと、全く電話がつながらないという状況になってしまいます。

 

面接日が決まり、冬のモントリオールへ旅立ちました。これまで移民局とは、郵便でのやり取りでしたので、面接を受けるのは初めてです。私の担当者は優しく、ていねいに書類を見て、おだやかに会話をしてくれる人。一方、となりの窓口はいじわるな質問を投げかける面接官がいました。人生の分かれ道を見た思いでした。

 

ビザは翌日発行。凍てつくモントリオールの寒空の下で長い列に立ちました。自分の順番が来て、投げるようにパスポートを渡された時、言いようのないみじめな思いをしました。東京に住んでいた中国人の友人から何度も聞かされた、日本の入国管理局での屈辱。それに比べればまだましです。アメリカの移民局は親切なほうかも知れません。

 

永住権はさらに苦労しました。会社からのサポートという建前ですから、働き続けていなければいけません。永住権の取得には5年を費やしました。楽しくのんびりと働きながら気長に待った5年ではありません。永住権をあきらめて、何度も帰国しようと思いましたし、手続きが煩雑で、 経済的にも体力もくたくたに消耗した時期でした。

 

ビザ永住権の先には市民権が待っているのですが、ビザの苦労話はここまで。私がここまで苦労話をあげて言いたかったのは、アメリカで夢を叶えようとするならば、正規のビザを保持することは基本。その努力をするのは当然ではないだろうか、ということなのです。

 

学生ビザも労働ビザも、私が申請していた頃から比べれば、数倍むずかしくなっていると聞いています。それでも、アメリカで一旗揚げようとするならば、堂々と自分のステイタスを語ってほしいのです。たとえ、ただ楽しくニューヨーク生活を送りたい人も、ビザは持っていて欲しい。なぜなら、学生ビザを拒否しつづける理由の一つに、違法滞在者の多さがあげられているから。

 

実力があり、チャンスがあっても、ビザの証明が出来ないために、泣く泣く夢を諦めていく人を見てきました。くやしいし、もったいない。ビザをキープするのは、たいへんなことだけど、アメリカでやりたいことを達成するために必要なプロセスだと思います。

 

今、アメリカ市民ですが、説明が面倒なので、ビザは何かと聞かれたら、「永住権です」と答えています。「いいなあ」とうらやましがられ、私もかつて、うらやましがっていたことを思い出しました。あんなに苦しい思い出は時とともに色あせていくけれど、苦しかった頃に戻って、「大丈夫、あなたは絶対に大丈夫」と、どん底にいた自分に言ってあげたい。

 

長々と書きましたが、これからアメリカに来る人と、今ビザで苦労している人に送りたいメッセージなのでした。

 

桃生さんはアメリカの夏と聞いて、最初に何を想像しますか?

 

それではまた

 

From じゅり 

2008.06.27

じゅりさんへ  晶子

Dearじゅりさん

ニュージャージーに梅雨はあるのでしょうか?
東京(わたしは埼玉在住ですが……)は梅雨の真っ只中。
じめじめして蒸し暑い毎日で、湿気のこもりやすいマンション住まいのわたしの部屋は除湿機がフル活動しています。

わたしは、女子大を3年で中退し、栄養士の専門学校に通っています。
大学に入ってすぐ、勉強をしにきている人とそうでない人の温度差に驚きました。
先輩とのコミュニケーションの時間で、みんな聞くのが「どの先生だと楽に単位がとれますか?」。
何をしに学校に来てるんだろうなぁって思っていました。
そんな人が多いので、大教室での授業は本当にうるさいです。
前から3列目くらいの席に座り、先生もマイクを使っているに声が聞きとりづらい。
注意してもほとんど意味がない。
ゼミでプレゼンがあっても、ほとんど誰かにまかせきり。
同じグループの他人の原稿まで作っていると、バカらしくなりました。
でも、そんな子達の方が要領よく単位を取得していくのです。

そんな大学に通う意味を感じられず、料理の道を志してすぐに大学をやめました。

そして通い始めた専門学校。
そこも結局は同じでした(笑)

高校卒業してすぐの18歳(平成生まれです!)から、社会人を経ている20代後半から30代の人、子育てを終えた50代の人など。
いろんな年代がいるのに、教室はわいわいうるさく、先生からテスト範囲を聞きだすのに必死。
せっかくの調理実習は、出来る人に頼りっぱなし。
社会人を経験してる人ですらそうなのです。

「何のための勉強なのか」という意識が本当に希薄なようです。
学び、知識を得た結果として「卒業」や「資格取得」(卒業と同時に栄養士資格が取れます)があるのに、彼らは資格取得のために仕方なく勉強しているみたいです。
でもその傾向は、最近の資格ブームにも現れています。
「この資格があると●●の仕事ができるから」という理由で多種多様な資格を取得するのです。
「学ぶ」ということの意味はどこに行ってしまったんでしょうね。
暗い話はここまでにしましょう!

わたしはアルバイトをし、一応主婦をしながら学校に通っています。
わたしの通っている学校は、授業が適当なわりに(笑)、レポート提出などが多いので大変です。
1年生前期はまだ週に2本程度ですが、後期になると3本以上、2年になればほとんど毎日レポート提出があるそうです。
手書きではないので、まだ楽にできいると思います。

わたしは結婚する前から学校に入学するのが決まっていました。
だから、旦那さまには「学校が最優先」と宣言していましたし、掃除・洗濯を完璧にやってくれるので本当に恵まれていると思います。
毎日お弁当を作るのは大変ですが、良い勉強です。
この5月から義父母との同居が始まったおかげで、平日の夕飯作りからも解放されました。
片道1時間半の通学でへとへとになって帰ってきて、そこから夕飯を作らなくていいというのは本当に楽です。
夕飯を作っていた時間を勉強にあてることができますし。
家族には、とにかく助けてもらっています。

さらに勉強になっているのが、アルバイトです。
わたしのバイト先は「地産地消」にこだわっており、食材は市内産のものがたくさん。
また、お酒にもこだわっていて、焼酎は関東には出回っていない銘柄をたくさん揃えています。
銘柄を揃えているだけでなく、飲み方も他の店ではやっていないような提案をしています。
日本酒は、本当の意味での地酒を造っている酒蔵のものを使っていて、これが美味しいんです。
このお店のすばらしいところは、オーナーと料理長が「利き酒師」と「焼酎アドバイザー」という資格を持っていて、
舌のどの部分で味の違いを感じるのか、温度の違いで味がどう変わるのか、そんなことを教えてもらえます。
さらに、お客さまに勧めるにはどうすればいいのか、銘柄だけでなく飲み方はどうおすすめするのか、ということも学べます。
造り方の違いが味に与える影響なども教えてもらえます。
そして、すべてのお酒をテイスティングさせてもらえるのです。
同じ芋焼酎でも、麹や蒸留の違いから味や香りが異なります。
温度によっても味や香りの広がり方が違います。
そんな違いを実際に比べることができるのです。

働き場所ではありますが、すばらしい学び舎でもあります。
わたしの将来の目標はお客さまを相手にすることなので、学校での机上の勉強だけでなく、バイト先のでの経験としての勉強もとても大切だと思っています。
じゅりさんが仕事場で学んでいること、また学校で学んだことが生かされことは何ですか?
From 晶子
 

2008.06.15

アメリカで学ぶ(後編)

(前回の続きです)

 

 

1、2クラスとはいえ、フルタイムの仕事をしながら、勉強するのはたいへんでした。締め切りのあった日は、夜のクラスを終えてからオフィスに戻りましたし、残業した日に、朝まで論文を書き、試験勉強したこともありました。普通の大学教育課程ですから、日本と同じく物理や、地理や、経済や、心理学や、英語もあります。チュータリングサービスというのがあり、成績の良い学生が教えてくれるサービスはよく利用しました。

 

苦手な科目もたくさんありましたが、同じように楽しいクラスもありました。 体育はボーリングを選び、若い男子学生とチームを組んで総合優勝し、トロフィーをもらったこともありました。

 

理解できなくて、何度もクラスを落とそうとする一方で、 授業態度が良いからと期末試験を免除されたこともあったし、出張で試験が受けられなかった時は、試験日をずらして、廊下で試験を受けたこともありました。永住権の申請で、経済的に困難になり、クラスに通えないセメスターもありました。大学に通わなければ見えないアメリカと世界と地球と宇宙を学び、年代を越えた人と出会いました。でもセメスターが変わればクラスメートも変わる。なかなか同級生と呼べる友達はできませんでしたね。

 

卒業式

▲感動の卒業式(2008年5月撮影) 

 

仕事や住まいの関係で大学を2度ほど転校し、四年制大学から短大に転校。住まいをニュージャージーに移しても、仕事を終えて車でクラスにかけつけました。入学してから10年が経とうとしていた時に、短大から卒業試験の知らせが届きました。あまりの長さに、短大卒業という区切りが来ることなど、期待もしていませんでした。

 

簡単な卒業試験をぎりぎりでパスし、マジソンスクエアガーデンで開かれた卒業式に出席しました。卒業式はあるけれど、入学式はないのがアメリカです。卒業式に出ても、知らない顔ばかりですし、実感はわきません。短大の学位ですから、達成感もそれほどありません。しかし、学長のあいさつで、「ここにいるみなさんの多くが、何年もかけて卒業という偉業を果たしたことを私は知っています」と言うスピーチを聞き、熱いものがこみあげてきました。そうだ、苦しかったのは私だけではない。ここにいるみんなが戦ってきたんだと思いました。

 

この卒業式の直後から、何事もなかったように、私は四年制大学に通い始めました。今はインターネットで申請し、書類も大学から大学に転送され、必要なクラスもテキストブックも成績もオンラインでチェックできる時代です。何時間もかかった宿題も早くすませられるようになりました。もちろん相変わらず、英語では、特にライティングに苦労しているけれど、だいぶ要領がよくなったような気がします。人前で話すことがこわくなくなったのも、読み書きが早くなったのも、クラスのおかげです。そして、自分が将来やりたいという方向性も、見つけました。

 

四年制大学の卒業の二文字がはっきり見えたのは昨年の始め。取るべきクラスが残り5つを切った時でした。最後の学期が終わっても、ファンファーレも鳴るほどの感動はなかったけど、ずっと私は、そして今も、卒業の余韻を気持ちよ~く味わっています。卒業式はニュージャージーネッツ(バスケットボール)のお膝元として有名なアリーナで盛大に行われ、場内に花火が打ち上げられました。ガウンとキャップを着るのはこれで二度目。正直なところ、和風の顔立ちには全く似合わない、アメリカのガウン。

 

今、大学院で勉強しています。大学とは比べ物にならないほど、専門的な勉強をしています。昇進が目的で、社会人になって大学院に通い始める人はめずらしくありません。60歳を超えたシニアは学費が免除なんです。私の同僚の何人かも夜学に通っています。専攻が仕事に関することであれば、授業料を出してくれる会社もあります。学生証があると、いろんなところで割引も受けられるし、税金の控除があります。でもなにより、私にとって大学に通うということは、学位を取ることだけではなく、いつも自分を磨いていくための手段。再び卒業する日が来ても、また勉強を続けていくんだろうな。

 

晶子さんは栄養士の勉強をされているそうですね。仕事をしながらの勉強は如何ですか? 周りの理解はありますか? 

 

 

それではまた 

かしこ 

 

From じゅり 

2008.05.19

アメリカで学ぶ(前編)

Dear 晶子さん お元気ですか?

やっとニュージャージーに春が訪れ、みんな夏を 待ち遠しくしています。今年は花粉症の当たり年。私も参っています。。。(とほほ      

Hudson river 05-2008

こちらでのアップデートが遅れてごめんなさい。やっと春の学期が終わり、 ほっとしたと思ったら、仕事の山が襲って来て、手つかずにいました。あ、言ってませんでしたね。私は昼間は普通の会社員で、夕方から大学院で勉強しているんです。そして今日は、私の学生生活のお話。ちょっと長いんで、2回に分けました。      

アメリカに来たばかりの頃、私は期限付きの学生ビザを持っていました。ビザの話は、また別の機会にするとして、学生ビザは当然ながら、学生でいなければいけません。学校はビザを持った学生が規定のクラス数の出席に達していないと、それを関係機関に報告する義務があります。

英語が全く話せなかった私は、まずは英語学校でしっかり勉強するつもりでいたので、出席するのは問題ありませんでした。最初は能力に合わせてクラスはレベル分けされます。一日も早く英語が話せるようになりたかったので、必死で勉強したものです。

ニューヨークという街は不思議なもので、英語が話せなくても、生活に不便はありません。ニューヨーカーの耳の良さ、勘の良さ、手振り、身振り。医療から運転免許の取得まで日本語でもサービスは受けられます。

その頃の私は永住しようと思っていたので、英語はきちんと身につけておきたいと思っていました。でも、一般レベルの英語力がないと、時間はかかるし、勘違いも多いし、結構はずかしい体験をしたものです。

6ヵ月ほど経つと、英語学校では物足りなくなってきました。かといって、英語がぺらぺらになるのかと言ったら、とーんでもない。私が10代の若者だったら、脳のスポンジもぐいぐい吸い上げてくれたのでしょうけど、高校を卒業してだいぶ時間が経っていたし、脳はまるで岩盤のよう。相変わらず、英語ができないおかげで、恥かきっぱなしの毎日です。バカにされて、「くやしい」と夜も眠れないことがありました。

大学に行こう! と思いました。日本のような入試システムがないアメリカは、日本よりも入学しやすいと聞いていました。英語を母国語としない留学生は、トーフルと呼ばれる試験を受け、大学の申請書と一緒に提出することになっています。英語力のない私は、トーフルの点数をさほど考慮しないコミュニティー・カッレジからスタートすればいいと思ったのです。

このトーフルが厄介でした。なかなか点数があがらず、いけると思ったコミカレの基準スコアに到達しません。試験は月数回ありましたので、毎月受けていました。結局、アメリカに来てから1年半もかかってしまいました。とはいえ、継続は力といいますが、こんな私でも続ければ何とかなると、自信ができたものです。結局、ニューヨークにある公立の四年制大学の一つに行く事にしました。

トーフル以外にも入学には難関が待っていました。学生ビザは学校側が発行するI-20という書類があって有効となります。その書類を発行してもらうために大学側に別の申請所を提出しなくてはいけません。大学によって揃える書類が微妙に異なります。特に苦労したのが銀行の残高証明。働くことを許されない学生ビザ保持者は、働かなくても通学できる財力を証明する必要があるのです。

今から10年以上も前のこと。インターネットが普及されていない時代です。書類の提出だけで長い列を作り、待たされ、何度も通い、英語力のなさから勘違いな書類を用意したり、職員の理不尽な態度に、トイレに駆け込んで泣いたこともありました。だから、入学許可のレターをもらい、「Congratulations!」の文字が目に飛び込んだ時、おいおい泣いてしまいましたよ。

日本では高卒で社会に出ていましたから、多少の学歴コンプレックスがあったみたい。入学までの苦労と合わせて、アメリカで大学生となった時は、うれしかったなぁー。これで一生懸命勉強して、卒業までまっしぐらしていこう、と純粋に思いました。ええ、卒業まで、まっしぐら。

「なんて簡単にいくわけがない」

ということは、これまですでに学んだこと。何があっても「なるべくして、なったこと」。驚かない、あわてないと決めてはいました。(でも、無理でしたよ)

大学を卒業するのには120単位が必要です。1クラス3単位から4単位ですから、最高で40クラスを取ります。学生ビザ保持者はフルタイムなので1学期4クラス12単位。一見、簡単なようですが、たいへんなのです。

最初のセメスター(学期)で登録したクラスは、なんと無単位クラスでした。入学直前に受けた学力能力査定テストで、数学、リーディング、ライティングのうち、数学しかパスしなかったのです。通常クラスを受けるには、再びこのテストを受けて、パスしなくてはいけません。1クラスはリーディング、もう1クラスはライティングの強化クラスでした。そして、なぜか数学のクラス。こちらも無単位。これは何かの間違いでは? と事務局に問い合わせたところ、「これは通常のクラスだから、学期が終われば単位がつく」という説明。大学のシステムはよく分からなかったので、納得しました。

早く通常クラスを取りたいと思っていましたので、リーディングとライティングの勉強は人一倍に力を入れました。意外にむずかしいテストで何度も落ちている留学生もいますし、アメリカ人でも苦戦している人がいました(これは問題ですよね・笑)。努力は実って、どちらもセメスター内の再テスト一回でパスできました。

問題は数学です。一般のクラスと言われながら、なぜか九九の練習や、簡単な方程式を解いています。「アメリカの数学レベルはかなり低いなぁ、楽勝〜、あっはっは!」といいながら数ヶ月、このクラスが無単位の強化クラス(つまり数学ができない生徒のためのクラス)と気がついた時は手遅れでした。事務局に苦情を入れても、取り消してくれません。授業料数百ドルと3ヶ月を無駄にしてしまいました。事務局も間違う。自分がしっかりしていないと、いけないということを学びました。

公立大学でしたので、私立に比べれば授業料は格安。でも、留学生は通常の2.5倍を支払うことになっています。授業料は固定制で、12単位以上でしたら18単位まで同じ授業料です。クラスメイトの中には、働きながら6クラスを取っている強者もいました。一方、貯金は減るばかり。そこで、掟(おきて)破りのアルバイト探しを始めました。学生ビザ保持者はアルバイトしてはダメ。マネをしてはいけませんよ。

日系の会社でアルバイトしながら、クラスに出席しました。しばらくすると、そこの社長から、正社員採用と労働ビザのオファーをいただきました。アルバイトしたとはいえ、いずれ貯金が底をつくことは見えていましたし、学生ビザのままで続けることができないことは明らか。方や、学校をやめることには、抵抗がありました。だって、苦労して入学したんですよ。英語だって、まだ完璧じゃない。卒業だってしたい。悩んだ結果、オファーを受ける条件として、大学はパートタイム生徒として続けることにしました。労働ビザ保持者でニューヨーク滞在1年以上は、授業料が安くなるという特典もありました。

4年で卒業は無理としても、毎セメスター1、2クラス取っていれば、いずれは卒業できる。今まで高卒で生きてきたわけですし、焦る必要はありません。

アメリカの大学は、一部の大学を除けば、パートタイム学生の受け入れを認めています。クラスも社会人用に、夕方から始まるものもあります。過去に取得した単位を査定してくれるので、転校も簡単。同じクラスを2度受ける必要はありません。こうした手続きは大学側でしてくれますが、卒業に必要なクラスを選び、修了するのは生徒の責任です。もちろん学生課や専攻科のサポートはありますが、自動的に卒業などないのです。

さて、実は、ここまでが私の本当の大学生活の前書きなのです。私の大学生活は、仕事をしながら、1セメスター1クラスずつ取り、自分の弱さと言い訳と戦って来た歴史の積み重ねなのです。

  (長くなりましたので、続きは次回の更新で)

2008.05.02

じゅりさんへ 千映

Dear じゅりさん

 はじめまして。松本千映と申します。
いつも楽しく読ませていただいておりました。
アメリカで暮らす、ということがビビリで、「ドメスティック」なわたしには、本当にすごいな、
と感心するばかりです。

憧れ、に近いのでしょうか。
既に英文で履歴書を書ける、それだけでTOEIC●×点の私には雲の上の存在です。

さて、ご質問から早速入らせていただきますね。自分のことばかりで、
若干面白みのない話になりますが、ご容赦ください。
わたしは、去年の4月に新卒で、日系の某マスコミ関連会社に入社しました。
そして現在に至るので、実は「正社員としての転職」経験はありません。

けれど、その前には割とたくさんのアルバイトをしていたような気がします。
ホテルの配膳、塾講師、家庭教師、交通整理、出版社の編集アシスタント、そして
カフェバーでキッチンとホールをやっていました。
ここに書いていないだけで、他にも色々とやったと思います。

出版社の編集アシスタントは、大学卒業間際の短期間でほぼフルタイムとして
働いていたので、現在の仕事の時間にかなり近いと思います。
けれど、待遇は正社員として比較しても、ずいぶん異なっていました。

今働いている企業は、割と大手なので、分業だとか、福利厚生だとか、
ある程度保障されています。
マスコミという職業の特殊性、というよりは、文化として「残業して当たり前」
の感覚は日本企業の中でも強いので、確かにハードな職種ではありますが、
それでも多少体力があるためか、「休みを取らせる」という選択肢を
部下に「比較的」与えることが出来る企業だと思います。
相応の労働報酬も与えることが出来ている、と思います。

けれど、編集アシスタントをしていた出版社は、同じ「マスコミ」といえど、
まったく違っていました。
まず、正社員が3人しかおらず、そのうち1人は社長なので、
とても管理できるわけがありません。
出版社の業務は、おそらく
①編集(モノをつくる)
②本屋に売るための販促
③広告収入を得るための広告担当
④雑務処理(経理、人事、労務等)
だと思われますが、人数が足りないと1人が①~④までをこなすことになります。
当然、お給料は相応の時間に対して払うべきだと思いますが、
会社にそれだけの体力がない。
労働基準法に訴えでもしようものなら、会社そのものが傾いてしまうのです。

日本に限らず、大手と中小での格差はあると思うのですが、
私は正社員として就職した会社を考えると、やはり前の会社は「余裕」がなかったな、
と思ったりします。

ただ、大きな企業になればなるほど、自分の業務以外は何もわからないような、
そんな分業のかなしさもあると思います。そこにやりがいを見出せないと辛いだろうな、とも。

じゅりさんは、どんなところにご自分の仕事のやりがいを見出されますか?

長くなりましたが、お体に気をつけてお過ごしください。

From 千映

2008.03.15

アメリカで働く

Dear ちえさん

お元気ですか?

アメリカは現在デイライトセービングタイム中。いわゆるサマータイム。時計を1時間早めて夜の電気を節約します。これだけで、春が来たような実感がわきます。

今日のハドソン川

 

さて、いつもは写真の多い私の記事ですが、今月はちょっと堅く仕事の話。「アメリカで働く」ことについて語らせてください。(文字ばっかりでごめんなさいっ)

アメリカに来たのは14年前の小雪が降る寒い3月でした。スーツケース1つとわずかの貯金。胸には計りきれないほどの熱くて大きな夢がつまっていました。

その時の私の夢は、ブロードウエーの舞台に立つこと!! ではなく(汗)、口に出すのが恥ずかしくなるような、小さな小さな小さな夢でした。それは、ごく普通にアメリカ一市民として、ごく普通のアメリカの会社に就職すること。その頃の私にとって、それは大きな夢だったのです。

最初の1年は日本料理店でアルバイトし(注1)、やがて日系の出版社に就職しました。会社が就労ビザとともに永住権のサポートをしてくれたのです。仕事も簡単に見つかり、ビザのサポートというありがたい機会を与えてもらいました。永住権をもらうまで5年近くかかってしまい、いろいろ悩んだ時期もありましたが、順調にここまで進んだと思います。

ええ、ここまでは。アメリカ滞在6年目の私。 アメリカのシステムを理解していなかった私は、ただの無知なオバカさんでした。

ちょうどプロジェクトが終わった頃、私は次の仕事を見つけるために、日系の出版社を辞めました。日本では理解できる行動ですが、アメリカでは自殺行為です。転職のために仕事を辞めるバカはいません。ほとんどの人が働きながら次の仕事を探します。面接で「なぜ前の会社を辞めたのですか」と聞かれ、「転職のためです」などと答える人は一人もいないのですから。収入がなくなったばかりではなく、健康保険もなくなりました。

日本のように就職情報誌などありませんので、新聞やオンラインで自分に合った会社すべてに履歴書を送りました。でも、面接をさせてくれるのは、ほんの数社。連絡をもらうと、限られたチャンスに藁をもすがる気持ちでした。「私を雇って損はさせません」。情熱だけは負けないつもり。面接官はどの人もいい人でした。手応えも感じているのに、でもなぜか採用されず。不採用の連絡さえくれない会社がほとんどでした。

「こちらから連絡しますね」と言われ、電話の前でドキドキ。メールを何度もチェックしたり、電話線を確認したり。今、思い返すと痛々しいほどの私でした。勇気を出して電話すると、「あなたよりピッタリの人がいたので、その人を採用しました」と言われました。「学歴かな」「私の英語かな」といろいろ理由を考え、この時ほど、アメリカの大きな壁を感じたことはありません。この時点で学んだのは、「こちらから連絡しますね」と言われた段階で不採用だということです。アメリカの転職事情に無知な私でした。

私の履歴書

▲アメリカの履歴書は自由形式。カバーレターを添えて自己アピールします。

無職2ヶ月目に突入し、 知人の紹介で、ニュージャージー州にある小さなアメリカ企業から面接の申し込みがありました。 「ニュージャージー、遠いなぁ」と思いつつ、私も必死です。どんな仕事でもいい。収入がないから貯金は減っているし、保険にも入っていないし、崖っぷちに立たされている気分でした。

面接はいつもの通り手応えがありました。でも期待はしていません。でもいつもの面接と違うのは、社長に紹介され、ランチにまで連れて行ってくれたことでした。「採用しないなら、優しくなんてしないでほしい」。そう思いました。

レストランのテーブルにつくと、「いつから会社に来られますか」と聞かれました。その言葉に、「え? 採用ですか」。「もちろんです」。「本当に?」「本当に?」「本当に?」と何度も叫んでしまいました。あの時の嬉しさは一生忘れないでしょう。だって、私の夢だった、ごく普通のアメリカの会社に転職できた瞬間だったのですから。

数日して、電話で職種と給与の確認があり、ファックスで正式採用のレターが届いた時は、部屋中をかけまわりました。

すぐに明日からでも働きたい気持ちでしたが、アメリカでは採用にあたって、ドラッグテストがあります。会社が指定したラボでの尿検査は気分のいいものではありませんでした。荷物をロッカーに入れ、男性係員がトイレのそばに立ち、私が中で尿を採ります。トイレは流さないで出てきてくださいと言われます。本当におしっこしたかどうか、確認するのです。そこまでしないとごまかす人がいるのですね。

働き始めたのは、採用が決まって2週間ほどしてからでした。

初日で驚いたのは、入社にあたっての事務作業の多さです。まず、分厚い就業規則を読みます。そこには、休暇、病欠、退職など、会社が定めた様々なポリシーが書かれており、「読みました」と署名します。さらに就業契約、保険の手続きなど、膨大な書類を作成していきます。ビルに入るための磁気カード申請や、給与の振込や老後のための401(k)は後日の作業となり、それでもたっぷり半日を使ってしまいました。 面接をしてくれた上司に連れられランチに、そして午後は、社員一人一人に自己紹介しました。

アメリカは、日本と同じく、会社によって待遇が異なります。一般的な国民健康保険がないアメリカでは、会社によって契約している保険会社も異なるため、社員の負担が大きくなることも少なくありません。

働き方で日本と決定的に違うと思ったのは、個人重視なところ。たとえチームでプロジェクトを組んでいたとしても、自分の仕事が終われば、とっとと帰ります。どんな問題が発生しても「休暇は休暇」と出かけてしまうのは、むしろ気持ちがいいもの。 仕事を 私生活に引きずりがちな私は見習いたいものでした。

私にとって初めてのアメリカ企業。そして会社にとっても初めての日本人採用。それは無我夢中で働きました。

入社して間もなく米国同時多発テロがあり、会社の事業に翳りが見え始め、ショッキングなことがありました。ある朝、突然、支社が閉鎖したのです。そして同じ日、仲の良かった同僚が解雇になりました。このような辞令は前もって知らされません。口頭での通知とともに、即、人事部またはセキュリティーが立ち会い、机の整理をします。 機密情報の持ち出しや作為的なシステム混乱を防ぐためです。通知から10分ほどでこの同僚はビルを退出させられました。

ショックでした。そしていつか自分も突然解雇されるのではと怖くなりました。

「君は大丈夫」と言われていたのですが、数ヶ月の間、同僚が解雇されていくのを見て、正常な気持ちで働くことができなくなりました。こんな状況でも、「解雇されてから心配するわ」などと、呑気なアメリカ人同僚に励まされたものでした。そしてある日、上司から「次の仕事を見つけた方がいい」と耳打ちされ、これが潮時かと思いました。前回の失敗もあって、今度はアメリカ流の転職です。仕事をしながらの転職活動でした。

こうして、アメリカでの二度目の転職は、生活苦に陥ることなく、決まりました。たいていは2週間前に退職の意思を上司に伝えます。歓迎会も送別会もなく、あっさりしたもの。その方がずっとラクだったのは言うまでもありません。

そして5年の月日が流れようとしています。現在の会社でも解雇はあるし、日本とは違うアメリカのシステムに、驚きと戸惑いの毎日です。 日本で働いていた経験を持つ私には、日本の定規で物事を判断したり、行動したりしがちで、同僚をびっくりさせたり、戸惑わせたりしたものです。そんな失敗から学んだことは「アメリカでは何でも大目に見ること」なのです。どんなに不真面目な人がいても、上司がいないからと職場でパーティー騒ぎをしようと、目くじらを立てないこと。朱に交わらず、赤くなる。これがアメリカで同僚とうまくつき合うコツということを教えてもらいました。

日本人がアメリカで働くことはアメリカの文化を知るということ。日本のように頻繁に飲みに行ったり、食事に行ったり、一緒に旅行したりということはありませんが、アメリカ流も慣れてみると、会社だけが人生ではないということに気がつきます。仕事のために人生や家族を犠牲にしたりはしません。だって、ここアメリカは、自分の人生や家族のために仕事があって、その逆はないのです。

アメリカでは、転職の数は挑戦の数とポジティブに受け取られます。転職でキャリアと収入をアップさせるのがアメリカ人。私も生活向上のために転職も考えてみようかなと持っていますが、居心地の良さにちょっと腰が重くなっています。

ちえさんにはどんな転職経験がありますか? 最初のお給料で買ったもの、覚えていますか?

ということで、また来月お会いしましょう。その間はhttp://www.amenaru.com/で。

From じゅり

 

(注1)学生ビザ保持者が許可なしで働くのは違法です。絶対に真似しないでください!!

2008.03.08

>>じゅりさんへ クロ

Dear じゅりさん
メキシコ旅行はいかがでしょうか?
父がメキシコに単身赴任していた3年間は毎夏メキシコに訪れていました。

首都のメキシコシティが標高2000メートルの高地にあり、空気が薄いこと。
南部はほとんど赤道直下で、南国然としており観光地として開発が進んでいること。
まだまだ貧困層が多く、スラムも残っていること。
観光地には必ず土産物売りがいて、「安いよ~」と声をかけてくるけれど、サングラスをかけると日本語で話しかけてこなくなること。

など、実際に行って見なければ分からないことを毎回体験しました。
目の色で人種を見分けているなんて!

やはり旅行というのは、限定的ではありながらその地の人に混ざるということで、まさに「百聞は一見に如かず」というのを実感できますよね。

さて、じゅりさんのアメリカバス旅行での失敗談(失礼!)、とてもどきどきしながら読みました。
バスが戻ってきてくれたのはとてもラッキーでしたね。
それにしても、その熟睡能力、ある意味ではとっても危険!
自分もどこでも寝られる方なのですが、海外で乗り物に乗るときは結構緊張して寝ないようにしています。

と言っても就職してから海外旅行には行ってないんです。
社会人になっても、忙しい合い間を縫って海外に思い切って旅行している友人もいて、すごいなぁと思うこともありますが…。

私が一番印象に残っているのは、時間の有り余っていた学生の頃、友人と二人で行ったタイ(バンコク、アユタヤ)でしょうか。
その友人とはその前の年に香港旅行もしていて、買って知ったる仲。
貧乏旅行どんと来い、という感じでした。
観光客のあまり使わない水上バスを駆使したり、地図を見ながら延々歩いたり。

中でもタクシーを自力でチャーターしてアユタヤ日帰り観光をした日はとても心に残っています。
かたことの英語同士で希望の摺り合わせ、値段交渉をして、いざ迎えた当日。
運転手はほとんど英語を話せない!これは困った!
でも、やっぱり最終的にはお互い人間、ジェスチャーが共通言語でした。
無事観光を終え、バンコクに帰り着いたときには、固く握手をして別れたのでした。

ところで、じゅりさんは日本国内は旅行されたことはありますか?
海外旅行に比べると非常にハードルが低く、手軽な旅行ではありますが、個人的にはかなりおすすめです。
青春18切符で何度か貧乏旅行(ここでも・笑)をして思ったのは、日本のことも良く知らないんだということ。
京都・広島なども良いですが、これと言って有名でない町でも途中下車してぐるっと散歩してみると面白いと思います。
時には英語以上に難しい方言に出会うことも。

旅行に出てもあまり写真を撮らないもので、お見せできるものがなく恐縮です。
写真を見返すよりは、思い出話で盛り上がったり、人に色々と話して想像してもらったりするのが好きなんですよね。
なんて、旅行の思い出話をしていたら、私も旅行に出てみたくなってしまいました。
でも、今の職場ではしばらく長期の旅行は無理そうです…。
じゅりさんはアメリカでお仕事されているということで、だいぶ事情が違うのでしょうか。

そちらでのお仕事の様子も是非聞かせて下さいね。

From クロ

2008.02.15

アメリカを旅する

Dear クロさん
お元気ですか?

新学期が始まり、毎日なにかと忙しいじゅりです。会社と自宅と学校とボランティアの間をまるで四角形でも描くような私の日々。ストレスがたまります。

ハドソン川(02-10-2008)

今回は私の趣味でもある、旅行の話です。

バスはかすかな砂煙だけを残して、地平線のかなたに消えていました。ぼう然と立ちすくむ私。太陽は私の頭をじりじりと照らし、舗装されていない地面に、私の影を濃く落としていました。

「どうしよう」。その影がつぶやきました。すぐさま手はウエストポーチに。

「財布はある」。バックパックは…?

「ない!」。私の荷物は、2週間旅をともにした麦わら帽子と一緒に、去ってしまいました。

「バスに置き去りにされた!」。

頭の中は真っ白。私はバス休憩で立ち寄ったレストランから少し離れた木陰で、ついうたたねをしてしまったのです。バスの中でも熟睡できる術をこの旅行3日目で身につけました。そのおかげで、どこでも眠れるようになったのですが、まさかバスが発車したことも気がつかないほど熟睡するなんて。

「ばか! ばかばかばかっ! ばかやろーっ!」

(やろーっ)(やろーっ)

心の中の、こだまです。

これは13年前、バスでアメリカ一周旅行した時の、テキサスでの出来事です。グレイハウンドバス会社は、海外からのツーリスト用に、アメリパスを発行していました。当時、15日乗り放題で285ドルだったと記憶しています。このパスを運転手に提示すれば、グレイハウンドバスとその系列バス会社の行くところ、どこにでも行けるのです。日本でいうところの自由切符ですね。「今日はフィラデルフィア、明日はシカゴ」。そんな気ままな旅です。

「アメリカはでっかいぞ!」とヒッチハイク旅行した人は必ず言います。飛行機で旅している人には言えない言葉です。アメリカが好きで好きで、しかたがなかった私。住んで一年経っても、ちっとも嫌いにならない。飽きない。もっとアメリカを知りたい。ヒッチハイクはできないけれど、手頃に旅をするならとバス旅行を思いつきました。当時は知らなかったのですが、バスは「ド貧乏人の乗る乗り物」という印象を持つ人も少なくありません。乗客を思い出せば、「そういえば…」と、心あたりはあります。

当時、私の知っているアメリカはニューヨークだけ。でも多くの人は「ニューヨークはアメリカなんかじゃない」と言います。多国籍文化が織りなす町だからでしょう。だから、バス旅行で、本物のアメリカが体験できるはず、とそれは胸躍りました。

旅行を思いついたのは、英語学校をやっと卒業して、大学進学が決まった時。クラスが始まるまでのバケーションです。この旅で私はいろんな町を訪れました。たった15日ですから、アメリカの観光地すべてというわけには行きませんが、主だったところには行けたとは思います。これを、たった一人で、しかも英語がそれほど達者でもない、日本人の女の子がやってのけたのですから、勇気があったなぁと我ながら思います。というか、無謀ですね。

下の写真はそのごく一部です。左上から時計回りに、サンタモニカ、セントルイス、イエローストーン国立公園(私とバファローの写真も)、サンディエゴの夕日、たぶんテキサスかアリゾナのバスディーポ、グランドキャニオン国立公園。

Feb Photo 1
アメリカを肌で体験したかった旅。強烈に印象に残っているのか、今も目を閉じると、その旅行での風景は鮮やかに蘇ってきます。でも、この旅で何と言っても印象的だったのは、

確かにアメリカはデカイということです。

一つの町から次の町まで、バスはひたすら走り続けます。 何時間も走り続けます。運転手が交代され、バスは給油され、誰かが降り、また誰かが乗ってきます。食事休憩はいつもバーガーキング。朝も昼も夜もハンバーガー。たまに、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドに寄ると嬉しかったです。でも、その次に目が覚めたら、バーガーキング。そんなバス旅行の食生活です

Feb Photo 2
ほとんどの時間、バスは街中を走りません。原野だったり砂漠だったり広大な畑だったり、えんえんと続くのです。昼は太陽が、夜は月が、バスとともに走りました。でも、バスは何もないところを走っているわけではありません。どこに行っても、はるかに伸びた舗装道路があり、そこには人の通った後と、それを見送る大自然の鼓動がありました。

バスでの長距離移動は疲労の上に疲労を重ねる過酷さを伴います。でも慣れって不思議なもので、3日目には車中でも熟睡できるようになり、しまいには誰かに起こされないと起きなくなってしまいました。夜間を移動に、昼間を観光にして、限りある時間を有効に使い、ホテル代を節約したり。ええ、お察しの通り、おフロ入っていませんとも。 (バスディーポのトイレでシャンプーしたり、タオル浴しましたが。)

この旅で私はますますアメリカが好きになり、ニューヨークに帰ってからも、近場でいろいろなところに行っています。これでも減らしたつもりですが、以下が思い出の写真です。

Feb Photo 3
いずれも、日帰りか、1~2泊の小さな旅行です。やっぱりバスが安くて、比較的時間も正確で、気に入って使っています。チャイナタウンの旅行プランもお得です。そしていつも、帰ってくる時の、バスから見えるニューヨークのスカイラインに感動しながら、「ニューヨークが一番好きだ」と思います。自分の場所に戻ってきた安堵感を感じます。

今はニュージャージー在住ですが。ニューヨーク近郊旅行も飽き、ヨーロッパ旅行などもするようになりましたが、「今まで旅行した中でどこがよかったか」と聞かれると、私は迷わず「ニューヨーク」と答えます。それもマンハッタン。その一押しの観光地に車で5分のところに住んでいるとは、なんて私は幸せなんでしょう。まさに「アイ・ラヴ・ニューヨーク」です!

高層ビルが林立するマンハッタンのオアシス、セントラルパーク。全く都会の喧騒を感じさせません。四季折々の風景が楽しめます。でも、夏が一番楽しいかな。

Feb Photo 4
セントラルパークや、自由の女神、エンパイヤステートビルディング以外でも、ニューヨークには見所がいっぱいあります。私は公立図書館が意外と落ち着いて好き。図書館が工事中の時は、シンボルの2頭のライオン像がヘルメットをかぶるんです。なんて小粋な計らいなんでしょう。ワシントンスクエアあたりの、ちょっと旧いニューヨークの佇まいも好き。地下鉄で行けてしまうビーチ、コニーアイランドも、純粋に楽しめます。

Feb Photo 5
ニューヨークから一歩も出ないニューヨーカーって意外といるんですよ。ニューヨークにいれば、世界中を旅した気分になるからって。

そうそう。テキサスでバスに置いてきぼりにされた私のその後ですが、数分後、バスは砂煙を舞い上げて戻ってきてくれました。運転手が、座席にかけたままの私の麦わら帽子を 数えてしまったようなのです。乗り合わせた乗客は手を叩いて大笑い。それからバスの中では彼らとおしゃべりし、ニューヨークまでの車中を楽しみました。

Feb Photo 6
バスの中で出会った人々(じゅりは一番右)。
みんな、どうしているんだろう。バスが戻ってきた時、「アメリカは大きいなあ」と思ったんです。日本だったら、なかなかありえないでしょう? もちろんアメリカでの生活はいいことばかりではないけれど、絶対に希望は捨ててはいけないんだと言い聞かせることができるのは、この時の体験ゆえなんですよね。旅行は自分を大きくしてくれます。

クロさん、最近旅行しました? 今まで一番印象に残っている旅って、どこでしたか?

と、これを読んでいただいている頃、私はメキシコを旅行中のはず。アメリカ一周の詳しい話や日々のブログは、http://www.amenaru.com/で綴っています。

それではまた

From じゅり

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