Dear ちえさん
お元気ですか?
アメリカは現在デイライトセービングタイム中。いわゆるサマータイム。時計を1時間早めて夜の電気を節約します。これだけで、春が来たような実感がわきます。

さて、いつもは写真の多い私の記事ですが、今月はちょっと堅く仕事の話。「アメリカで働く」ことについて語らせてください。(文字ばっかりでごめんなさいっ)
アメリカに来たのは14年前の小雪が降る寒い3月でした。スーツケース1つとわずかの貯金。胸には計りきれないほどの熱くて大きな夢がつまっていました。
その時の私の夢は、ブロードウエーの舞台に立つこと!! ではなく(汗)、口に出すのが恥ずかしくなるような、小さな小さな小さな夢でした。それは、ごく普通にアメリカ一市民として、ごく普通のアメリカの会社に就職すること。その頃の私にとって、それは大きな夢だったのです。
最初の1年は日本料理店でアルバイトし(注1)、やがて日系の出版社に就職しました。会社が就労ビザとともに永住権のサポートをしてくれたのです。仕事も簡単に見つかり、ビザのサポートというありがたい機会を与えてもらいました。永住権をもらうまで5年近くかかってしまい、いろいろ悩んだ時期もありましたが、順調にここまで進んだと思います。
ええ、ここまでは。アメリカ滞在6年目の私。 アメリカのシステムを理解していなかった私は、ただの無知なオバカさんでした。
ちょうどプロジェクトが終わった頃、私は次の仕事を見つけるために、日系の出版社を辞めました。日本では理解できる行動ですが、アメリカでは自殺行為です。転職のために仕事を辞めるバカはいません。ほとんどの人が働きながら次の仕事を探します。面接で「なぜ前の会社を辞めたのですか」と聞かれ、「転職のためです」などと答える人は一人もいないのですから。収入がなくなったばかりではなく、健康保険もなくなりました。
日本のように就職情報誌などありませんので、新聞やオンラインで自分に合った会社すべてに履歴書を送りました。でも、面接をさせてくれるのは、ほんの数社。連絡をもらうと、限られたチャンスに藁をもすがる気持ちでした。「私を雇って損はさせません」。情熱だけは負けないつもり。面接官はどの人もいい人でした。手応えも感じているのに、でもなぜか採用されず。不採用の連絡さえくれない会社がほとんどでした。
「こちらから連絡しますね」と言われ、電話の前でドキドキ。メールを何度もチェックしたり、電話線を確認したり。今、思い返すと痛々しいほどの私でした。勇気を出して電話すると、「あなたよりピッタリの人がいたので、その人を採用しました」と言われました。「学歴かな」「私の英語かな」といろいろ理由を考え、この時ほど、アメリカの大きな壁を感じたことはありません。この時点で学んだのは、「こちらから連絡しますね」と言われた段階で不採用だということです。アメリカの転職事情に無知な私でした。

▲アメリカの履歴書は自由形式。カバーレターを添えて自己アピールします。
無職2ヶ月目に突入し、 知人の紹介で、ニュージャージー州にある小さなアメリカ企業から面接の申し込みがありました。 「ニュージャージー、遠いなぁ」と思いつつ、私も必死です。どんな仕事でもいい。収入がないから貯金は減っているし、保険にも入っていないし、崖っぷちに立たされている気分でした。
面接はいつもの通り手応えがありました。でも期待はしていません。でもいつもの面接と違うのは、社長に紹介され、ランチにまで連れて行ってくれたことでした。「採用しないなら、優しくなんてしないでほしい」。そう思いました。
レストランのテーブルにつくと、「いつから会社に来られますか」と聞かれました。その言葉に、「え? 採用ですか」。「もちろんです」。「本当に?」「本当に?」「本当に?」と何度も叫んでしまいました。あの時の嬉しさは一生忘れないでしょう。だって、私の夢だった、ごく普通のアメリカの会社に転職できた瞬間だったのですから。
数日して、電話で職種と給与の確認があり、ファックスで正式採用のレターが届いた時は、部屋中をかけまわりました。
すぐに明日からでも働きたい気持ちでしたが、アメリカでは採用にあたって、ドラッグテストがあります。会社が指定したラボでの尿検査は気分のいいものではありませんでした。荷物をロッカーに入れ、男性係員がトイレのそばに立ち、私が中で尿を採ります。トイレは流さないで出てきてくださいと言われます。本当におしっこしたかどうか、確認するのです。そこまでしないとごまかす人がいるのですね。
働き始めたのは、採用が決まって2週間ほどしてからでした。
初日で驚いたのは、入社にあたっての事務作業の多さです。まず、分厚い就業規則を読みます。そこには、休暇、病欠、退職など、会社が定めた様々なポリシーが書かれており、「読みました」と署名します。さらに就業契約、保険の手続きなど、膨大な書類を作成していきます。ビルに入るための磁気カード申請や、給与の振込や老後のための401(k)は後日の作業となり、それでもたっぷり半日を使ってしまいました。 面接をしてくれた上司に連れられランチに、そして午後は、社員一人一人に自己紹介しました。
アメリカは、日本と同じく、会社によって待遇が異なります。一般的な国民健康保険がないアメリカでは、会社によって契約している保険会社も異なるため、社員の負担が大きくなることも少なくありません。
働き方で日本と決定的に違うと思ったのは、個人重視なところ。たとえチームでプロジェクトを組んでいたとしても、自分の仕事が終われば、とっとと帰ります。どんな問題が発生しても「休暇は休暇」と出かけてしまうのは、むしろ気持ちがいいもの。 仕事を 私生活に引きずりがちな私は見習いたいものでした。
私にとって初めてのアメリカ企業。そして会社にとっても初めての日本人採用。それは無我夢中で働きました。
入社して間もなく米国同時多発テロがあり、会社の事業に翳りが見え始め、ショッキングなことがありました。ある朝、突然、支社が閉鎖したのです。そして同じ日、仲の良かった同僚が解雇になりました。このような辞令は前もって知らされません。口頭での通知とともに、即、人事部またはセキュリティーが立ち会い、机の整理をします。 機密情報の持ち出しや作為的なシステム混乱を防ぐためです。通知から10分ほどでこの同僚はビルを退出させられました。
ショックでした。そしていつか自分も突然解雇されるのではと怖くなりました。
「君は大丈夫」と言われていたのですが、数ヶ月の間、同僚が解雇されていくのを見て、正常な気持ちで働くことができなくなりました。こんな状況でも、「解雇されてから心配するわ」などと、呑気なアメリカ人同僚に励まされたものでした。そしてある日、上司から「次の仕事を見つけた方がいい」と耳打ちされ、これが潮時かと思いました。前回の失敗もあって、今度はアメリカ流の転職です。仕事をしながらの転職活動でした。
こうして、アメリカでの二度目の転職は、生活苦に陥ることなく、決まりました。たいていは2週間前に退職の意思を上司に伝えます。歓迎会も送別会もなく、あっさりしたもの。その方がずっとラクだったのは言うまでもありません。
そして5年の月日が流れようとしています。現在の会社でも解雇はあるし、日本とは違うアメリカのシステムに、驚きと戸惑いの毎日です。 日本で働いていた経験を持つ私には、日本の定規で物事を判断したり、行動したりしがちで、同僚をびっくりさせたり、戸惑わせたりしたものです。そんな失敗から学んだことは「アメリカでは何でも大目に見ること」なのです。どんなに不真面目な人がいても、上司がいないからと職場でパーティー騒ぎをしようと、目くじらを立てないこと。朱に交わらず、赤くなる。これがアメリカで同僚とうまくつき合うコツということを教えてもらいました。
日本人がアメリカで働くことはアメリカの文化を知るということ。日本のように頻繁に飲みに行ったり、食事に行ったり、一緒に旅行したりということはありませんが、アメリカ流も慣れてみると、会社だけが人生ではないということに気がつきます。仕事のために人生や家族を犠牲にしたりはしません。だって、ここアメリカは、自分の人生や家族のために仕事があって、その逆はないのです。
アメリカでは、転職の数は挑戦の数とポジティブに受け取られます。転職でキャリアと収入をアップさせるのがアメリカ人。私も生活向上のために転職も考えてみようかなと持っていますが、居心地の良さにちょっと腰が重くなっています。
ちえさんにはどんな転職経験がありますか? 最初のお給料で買ったもの、覚えていますか?
ということで、また来月お会いしましょう。その間はhttp://www.amenaru.com/で。
From じゅり
(注1)学生ビザ保持者が許可なしで働くのは違法です。絶対に真似しないでください!!