君は本物のしめじ茸を見たか ~奥多摩の常識と非常識

私は見た。人生で初めてこれが本当のしめじなのだということを思い知らされた。

その栄光あるしめじは、立川から1時間半。東京は奥多摩の産。
今週出張した際に、味わいのある駅舎前売店で目にした。外見は青いビニールに入った変哲のない大ぶりしめじ。
絵的にブリリアントなものではなかったし、初対面から強く食指をそそられたわけでもない。
奥多摩名産であるアワビ茸ではなく、香りに定評のある椎茸でもない。
しめじ。なぜ?
手に取った理由は定かではないが、「バターでいためたらおいしいかな」という程度のニュアンスを胸に、かなり大ぶりのしめじを袋に詰めてもらった私は、
閉店間際のおばさんに満面の笑顔で見送られながら奥多摩発の列車に乗り込んだ。
19時、すでにあたりは群青の闇に包まれている。
東京最西端の町に見送られながら、かすかに土の匂いが香るしめじちゃんを胸に私は眠りに落ちた。

3時間後自宅。
空腹を抱えた私はフライパンにバター風味のマーガリンをそっと置き、ついで青いビニール袋を残酷に破いた。
指でえのきをばらすときから、ちょっとした違和感を覚えていたのは事実。
どうもほぐれ具合が、普通のしめじとは違うのだ。
色も形も普通のしめじ。だが一本、一本ちぎっていくときの感触がきつい。ちぎりにくいくらいしっかりとそれぞれが根元でつながっている。
暴君気取りなわたしは乱暴にそいつらをばらして軽くソテーし、塩コショウを忘れたまま浅い益子焼にしめじを盛った。
相棒は軽めの赤。
ふうっ。出張の疲れを吐き出すように軽いため息を漏らしながら腰を落ち着け、コポコポとワインをグラスに注ぐ。
エアコンが吐き出す温風に、だいぶ温まってきたテーブルの前で「ビールのほうがよかったかな」という思いがふと脳裏をよぎったが、
私の右手はすでに何本かのじめじをフォークの先に捉えていた。

まっすぐ直線的軌道を描いてしめじはわたしの唇の間を通過する。
口に含むと、芳醇なバターの香りに続いてきゅッという歯ごたえ。
きゅっ、きゅ
奥歯でしめじをかみ締める。
塩コショウを忘れたからか。
キノコならではのしめじのうまみが、ほのかなバターの塩味にあいまって
弦オーケストラ出だしのような分厚く、圧倒的な勢いで押し寄せた!

こりゃはじめてだ!
この食感、しめじのうまみ、そして言葉を超えた素材力。
私が今まで食べていたしめじはなんだったのだろうか。

24時間、食材が手に入るコンビニという新たな常識に安暮する私たち。
3時間かけて列車を乗り継ぎ、食材を手に入れるという非常識。
しかし非日常的経路でしか手に入らない常軌を逸した味わい。
「24時間の利便性」というかつての非常識を手にした我々は、
味覚の標準を知らぬ間に崩され、(今日の私のように)時折目からうろこを落とす。
私の住む政治フィールドでは今年、地球環境保護や文化の相対性が叫ばれ、CO2削減とまちおこし的地方文化がもてはやされた。
しかし小難しい論理や政治的正当性は「澄んだ空気を吸う喜び」や「しめじの旨さ」という実感をともなって初めて動き出すのだろう。
あんな旨いしめじがあるならば、私は喜んで再び奥多摩を訪れよう。

原稿を書きながら残りわずかな(今日2回目の)しめじソテーに対面する喜びと、
深夜にご馳走を食する是非に胸を引き裂かれつつあるそんな師走の夜。

2007年12月22日

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