2015/03/31
パイネイラの花が粗、満開でした。
 
普通は、日本の桜と同じ時期の4月初旬に咲くのですが、今年は3月から咲き始めており3月19日(木)に金沢友の会創立総会の為に市役所まで出掛けた帰路、コレジオロザリオの諮問前の公園にある見事なパイネイラの樹が粗、満開に近い井出達で見事に花を咲かしていました。まだ咲き始めていない樹もあり開花時期がまちまちですが、このパイネイラの花は、見事でした。
写真を貼り付けて置きます。
 
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2015/03/31

リオ五輪まであと500日=間に合うか競技場建設=メダル数10位を狙う伯国 ニッケイ新聞WEB版より

リオ五輪の準備状況を説明する、エドゥアルド・パエス・リオ市長(Beth Santos/Prefeitura do Rio de Janeiro)
リオ五輪の準備状況を説明する、エドゥアルド・パエス・リオ市長(Beth Santos/Prefeitura do Rio de Janeiro)
 24日に五輪開幕まであと500日となったリオ市だが、環境保護区に建設中のゴルフ場への反対運動や、ヨット競技の行われるグアナバラ湾の浄化など、開幕までに解決するべき課題がまだ多く、メダル獲得数上位10位以内に入るという目標もある。南米初の五輪開催の準備状況や競技力の展望を24日付伯字各紙が報じている。
ヨット競技会場のグアナバラ湾に流れる下水の80%を五輪までに取り除くという目標は09年に出されたが、未だに半分も達成されておらず、同湾に流れ込む水で浄化処理がされている水は35%にすぎない。
14年に始まった湾に浮かぶゴミの回収計画も今年2月に予算不足で中断されたが、カルロス・アルトゥール・ヌズマン伯国五輪委員会(COB)委員長は、「過去の五輪でも水質問題はあった。リオ州はかなり浄化を進めてきたし、昨年8月のプレ・イベント時も不満は出なかった。条件は皆同じ、実力、準備、コンディションが一番勝ったものが勝つ」と楽観とも詭弁ともとれる発言を繰り返すばかりだ。
112年ぶりに五輪に復帰したゴルフ競技も、リオ五輪開催にあたっての悩みの種の一つとなっている。リオ市が自然環境保護区の一部をゴルフ場建設用地に決め、高層建築なども認めたため、リオ州検察が建設中断を求める訴訟を起こしているからだ。
リオ市では、五輪向けに170億レアル規模の公共交通への設備投資計画がある。最大の投資対象はイパネマ区とバラ・ダ・チジュッカ区を結ぶ16キロに及ぶ地下鉄の延伸工事だが、伯国設計院(IAB)はリオ市郊外を走る鉄道の駅を整備し、地上を走る地下鉄にする方がよほど重要でコストも安いとしている。
競技面に目を移すと、COBは10年にリオ五輪で獲得メダル数上位10位に入るという目標を掲げている。そのためには30個程度のメダル獲得が条件だが、伯国の過去3大会でのメダル獲得数は10個、15個、17個にとどまっている。
COBは、男女階級別で19個のメダル獲得のチャンスがある柔道をはじめ、およそ10種目にメダル獲得の可能性があると見ている。
2015/03/29

≪得した気分に≫ 山下さんからのお便りです。

山下@リオです

ある方に、オリンピックの記念通貨が流通していますよと、耳打ちされ、手元の硬貨を調べたら2枚ありました。

得した幸せな気分です。

bbbb yamasita kouka Sem título

中銀のサイトによるとこれだけ種類があるようです。

bbbb yamashita kuka 2 Sem título

なぜ、そんなに大騒ぎするかって?

Mercadolivre.com.brで価格を見てください。

2015/03/29

RS州に置ける修好120周年記念オープニングセレモニの招待状が届いていました。

 JOSE IVO SARTORI州知事と梅田 邦夫ブラジル日本国大使名で47日午後4時半から修好120周年を祝う式典を州知事公邸(PALACIO PIRATINI)の大広間で開催されるとの事でその招待状が留守中に届いていました。式典前に州経済開発、科学、技術担当ブランコ長官と日本企業家との懇談会が行われる予定で後藤領事からポルトアガル語から日本語への通訳をするようにとの依頼を受けておりお手伝いに行く予定にしています。

届いていた招待状を貼り付けて置きます。

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http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/48100514.html

 

2015/02/28
≪思いつくままに≫砂古さんの【想い出の記】連載(その3)
 
 
砂古さんの≪思いつくままに≫(6)リオ編最終と(7)サンパウロに舞台を移しての第1回に当たり戦後移住が始まり戦前のブラジルに残られた方からジャパンノーボ(日本から来た新来青年がこう呼ばれていた)への移行の時代に青春を謳歌された新来青年の当時の様子を活写しています。少し時代がずれますが、ブラジルに来た頃の1962年頃と重なります。呼び寄せ移民、コチア青年、産業開発隊員、花嫁移住者、土地を購入して遣って来た計画移住者、炭鉱離職者、まだ海外から引き揚げて来た潜在移住希望者がいるころで我々の乗った1962年3月の第12次航あるぜんちな丸が最後の大型移住者運搬で681名の同船者がベレン、サルバドール、リオ、サントスで下船(ブラジルとボリビア組)、最終港ブエノスアイレスでアルゼンチンとパラグアイ組が下船しました。砂古さんの≪思いつくままに≫を参照しながらお話しに付いて行ければと期待しています。
CASA東山で執務中?の若かりし頃の砂古さんの写真をお借りしました。恰好が良いですね。
 
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2015/02/28
≪思いつくままに≫砂古さんの【想い出の記】連載(その2)
 
『私たちの50年!!』のMLメンバーのお一人、砂古友久さんに戦後移住史の神代の代に当たる戦後初代ブラジル日本大使の君塚 慎大使の私設秘書として飛行機移住?してえ来られた砂古さんに連載で当時の御話を聞かせて頂いており今回はその4)と5)を収録させて頂きました。メンバーの皆さんの驚きと強い興味を引く御話にコメントが飛び交っており砂古さんだけの【語り】と共に皆さんのコメントを残して置くのも貴重な財産との捉え方で総て収録している為に2回分しか収録されませんでした。
貴重な写真を送って頂いておりどの写真を掲載するか迷うのですが、今回は、迷わずに若き砂古さんの華やかな女性軍に囲まれた写真を選びました。
 
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2015/02/28
≪思いつくままに≫砂古さんの【想い出の記】連載(その1)
『私たちの50年!!』のMLメンバーには、特異な方が参加されており戦後移住史を語るに相応しい方がおられます。ブラジル在住63年目を迎えられる砂古友久さんにお願いして≪思いつくままに≫と題して戦後日本とブラジルが外交関係を復活させ初代大使として1952年に赴任して来られた君塚 慎大使の私設秘書として大使赴任に同行飛行機移民として戦後移住者の第1号的な歴史に残る方から戦後政府計画移民第1号のさんとす丸の処女航海をリオに君塚大使と共に出迎えれた砂古さんの『想い出の記』1,2,3とコメント集を(その1)として纏めました。
使用する写真に迷いましたが、砂古さんの飛行機のタラップで両手に荷物を抱えシルクハットを被ったままの写真をと思ったのですが、やはり公共性の観点から初代ブラジルの君塚 慎日本大使の砂古さんがパケタ島に遊ぶ大使を馬車の中で日本から持参した蛇腹のカメラに収められた貴重な写真を使わせて頂く事にしました。
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2015/01/30

第28回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2014/2015』(その9=最終編)

 

http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1740

 

(その9=最終編)は、最後は、年末年始の大きな出来事だった前田さんの胆嚢摘出手術とその後の癌細胞発見、抗癌剤使用で締める事になりましたが、ニッケイ新聞のコロニアの年末行事の餅つき、文協の年賀祝賀会の記事も一緒に残して置く事にしました。和田個人としては、3年目に入る4000万歩への道程を残して置きたいと思います。お陰さまで新年の1月は、月刊50万歩を(1日平均16129歩)が達成できそうです。と云うことでその9=最終編の写真は、1月2日、75歳の誕生日の日に撮って貰った好きな『黄色いハイビスカと私』で飾らせて貰いたいと思います。 多くの皆さんの参加、協力に心より感謝します。何時の日かこの年末年始の語らいを紐解く時が有ればどんな気持ちになりますかね

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2015/01/29
第28回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2014/2015』(その8)
(その8)は、しゅくこさんを中心とした会話が弾みました。しゅくこさんの書き込みは、何時も関係写真が添付されており皆さんつい語り掛けたくなりますね。
≪6才になった愛孫は、学校で覚えたという論語を披露してくれました。
「子曰く、学びて時に之を習う、またたのしからずや。
朋 遠方より来る、またよろこばしからずや」
その他に宮沢賢治の、あの有名な長詩「雨にもまけず、風にもまけず・・・」も朗朗と暗誦してくれました。≫との事、6歳で日本語の科目が有るとか、将来が楽しめますね。
今回も写真は、このしゅくこさんの6歳のおしゃまなお孫さんの三田の校庭で雪だるまを作って遊ぶ写真を使わせて貰いました。これでしゅくこさん提供の写真が3枚目になりました。有難う、しゅくこさん。
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2015/01/29
第28回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2014/2015』(その7)
(その7)は、私の75歳の誕生日、≪めでたさも ちゅぐらいなり おらがはる≫に始まり、根川さん、杉井さん、内田さんの年始の挨拶が飛び交いました。面白かったのは、記憶力抜群の丸木さんが、数字には疎いと云うかメートルをマイルに勘違いしこれまでプールで泳いだ累計が100万メートルを100万マイルと勘違いし地球を40回廻ったのかとの砂古さんの突っ込みがあり話題が沸騰しましたが、結局100万メートル(1000km)で落ち着きました。それにしても凄いですね。
写真は、色々掲載したい写真が有るのですが、昨年11月に大歩危小歩危の渓流沿いに歩いた時の写真をベースに描いて呉れた恵子の何処までも歩く私の後ろ姿を象徴する好きな絵を使う事にしました。
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