« | Home | »

2009/04/19

s-nichijyo056-027.jpgs-nichijyo056-033.jpgs-nichijyo056-029.jpgs-nichijyo056-030.jpgs-nichijyo056-031.jpgs-nichijyo056-035.jpg

雑用も多く思うような更新が出来ておらず気にはなっているのですが焦らずに少しづつ書き続けて行きたいと思います。

 私の卒業した神戸高校は、戦前は神戸一中としてカキ色の制服を来てゲートルを巻いた豪の者が運動場で風に舞う砂を噛み締めながら立ち弁当をしていたそうですが戦後新制10回生の私達の頃は県立第一高女と合併した男女共学の新制高校で男子生徒は、普通の学生服に帽子姿で女子生徒も普通のセーラ服にスカート姿のいとも優しい進学校でした。

前回書いたように進学クラスから外れた就職クラス?のスポーツ選手の集中する特殊クラスで英語、国語(古文)社会しか勉強しない早稲田受験を目指しましたが見事失敗。1年の東京での予備校生活を余儀なくされました。早稲田大学の大隈講堂の裏隣りにあった早稲田ゼミナールと云う予備校に通い英語、社会、国語の3科目だけを必死に勉強しました。予備校の1年間の事は余り覚えていませんが今も親交がある友達は地方から出て来ていた予備校の仲間で谷 広海君(宮崎県大宮高校卒)は、早稲田を卒業後ブラジルに移住、現在日本語センターの理事長を遣っておりブラジル文化福祉協会の副会長として立候補して選挙戦を戦っています。もう一人は坂本 翼君(佐賀県佐賀高校卒)で彼は八幡鋼管から新日鉄に勤務、もう35年も前に100万円を掛けてブラジルまで陣中見舞いに来て呉れて毎年帰国時には千葉県の大網の彼の所に立ち寄っています。

1年の猛勉強の成果があり無事我々3人は早稲田大学第1政経学部に無事入学した。昭和344月のことで丁度、皇太子殿下の美智子妃とのご成婚が410日にあり入学式に神戸から親父が出て来ており一緒に御成婚式の行列に立ち会った。あれから丁度50年の日が過ぎ去った。親父は現在97歳で大阪の茨木の養護施設に入っている。我々3人は、それぞれ満69歳。昔風に云えば古稀に当たる。

早稲田では、早慶戦と60年安保デモに洗礼される。早慶戦で優勝し神宮球場から新宿経由高田馬場、戸塚のキャンパスまであるいて行進したこともある。新宿に大きなライオンと云うビアホールがあり良く皆で繰り出した。貯金箱の硬貨を掻き集めて新宿ガード下の爆弾と云う安い焼酎を飲みに行ったこともある。学生服に角帽、確か下駄を履いて歩いていた。神戸からチッキで布団袋に布団と僅かな下着、本等を入れて高田馬場止まりで送り早稲田の学生会の看板で下宿を探し西武新宿線界隈を中心にその内に東武池袋線、小田急線等の沿線にも足を伸ばし半年ごとに下宿を換えていた。今は宅急便とか便利なものがあるが昔の国鉄では、汽車の切符を買うとチッキと云う別送荷物を切符の目的地まで送って呉れる。しっかりした布団袋も年2回の神戸―高田馬場間の往復で最後の方になるとボロボロになっていた。

60年安保では、国会議事堂前で徹夜の座り込みをしたり首相官邸乱入事件では、電話線を傘の柄で引きちぎったり大いに暴れていた。清水谷公園に集結してスクラムを組んでデモリ出すのだがアジルのは東大のオルグ連中で機動隊と直接接触する頃にはどう云う分けか早稲田か明治が一番先頭に出ておりど付かれる図式。神戸高校の先輩で東大生だった樺美智子さんが警察隊にもみくちゃにされ圧殺された事件がある。次のデモの際に【樺美智子さんの死を悼む!!】神戸高校稲門会との大きなプラカードを持って参加していたらNHKのニュース班に撮られ高校生の政治参加(デモ)をどう思うかとかの番組で紹介されていたとかで有名になる。

さて私のブラジルへの道に話を戻す必要がありそうですが、続きは次回にさせて下さい。

写真は、神戸高校の卒業アルバムより(右から3人目が私)、早慶戦で谷 広海君と、 早慶戦のニュース、当時の早慶戦入場券、山手線の切符、仲間達と(前列左端が私)

2009/04/19 08:41 | ブラジルと私 | No Comments

Trackback URL
Comment & Trackback
No comments.
Comment




XHTML: You can use these tags:
<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">