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2009/02/09

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昭和27年に神戸の山手小学校(廃校に成り現在は存在しない)を卒業、元町駅から兵庫県庁を上がって相楽園の前にあった山手小学校は神戸小学校と合併したそうです。家からは妹と手を繋いで?通っていたのを思い出します。途中に昔の中華街後の廃墟がありました。昭和30年に卒業した生田中学も廃校になり今はなくなってしまったそうですが近くに熊野神社があり堀割筋を隔てて神戸海洋気象台がありました。家からは墓の近くの階段を上がれば直ぐでほんの5分も掛からなく昼飯に家に帰り昼寝が出来る程で却って遅刻ばかりしていたようです。学級で45人、生田中学から40人前後が神戸高校に入学出来るとかで高校入試の試験を受けたことを覚えていませんがそれ相応勉強はしていたのではないかと思います。

神戸高校には緑の市電で加納町3丁目経由原田まで行き王子公園横の地獄坂を駆け上るのですが何時も時間的に間に合わないとの判断で加納町3丁目から市バスに乗り換えて布引の滝経由、上野7丁目でおり地獄坂の残りを掛け上がる毎日でした。神戸高校では勉強はあまり出来ない癖に目立ちたがり屋で兵庫高校(神戸2中)との野球、ラグビー、サッカー等の対抗戦の応援団長をしたりクラス代表の協議会委員になったり3年卒業の時はアルバム委員長等を遣っていました。

神戸高校は進学校で神戸大学、大阪大学、京都大学等に大量に入学生を出し私立大学への進学は、少ないし蔑視される風潮があり東京への進学は東大、東工大、一橋程度で私立では早稲田、慶応もいましたが関西の関学、同志社、甲南等が中心の進学方針を立てており私は早稲田1本で解析、幾何、物理、化学を嫌い歴史、地理、人文化学等を選択した所、就職コースと云うか運動部の連中が多い面白い学級に配属されました。神戸高校でスポーツでは一応、名を成した猛者が揃ったクラスで余り勉強に力を入れない仲間が多くいました。当時の様子を級友の山本啓詔君が下記に書き残して呉れています。

<<好司・17才・神戸>>http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=87

40年前の奉加帳が見つかったと思えば、今回は45年前の神戸高校時代2年と3年生の二年間机を並べて勉強?した同級生の一人山本啓詔君からの暴露記事が寄せられました。彼は昨年休暇を取り南伯及びアルゼンチンに旅しており、数日ポルトアレグレ近郊を一緒に旅をしながら昔話を聞いたがその記憶力には、驚嘆した。その抜群の記憶力を誇る彼が思い出す事もなかった高校時代のエピソードを綴って呉れている。自分でも記憶が定かでない半信半疑の気持も強く作り話ではないかと思う事しきりですが青春の一コマとして記録して置くのも無駄ではないかとの判断から敢えて掲載して置きます。写真は大震災後新しく立て替えた神戸高校の昔のまま残した正面玄関の部分で撮った筆者山本啓詔君です。来年度には神戸高校卒業45周年の記念同窓会をイグアスの滝を見ながら開催しようと企画しておりもし実現すればその受け入れ準備に忙しくなりそうです。 

 あるぜんちな丸に乗り込むまでの生活を簡単に1回で書き込む予定でしたが昭和33年の神戸高校卒業までしか到達しませんでした。次回もう一度予備校、早稲田入学後の生活を続けることにします。写真は、<<好司・17才・神戸>>を書いて呉れた山本君の神戸高校正門前での写真を使用することにしました。高校時代演劇部長として活躍していた山本君は、元気に遣っているでしょうか?最近連絡が途絶えているので気にしています。

2009/02/09 05:49 | ブラジルと私 | No Comments

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