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2009/01/18

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ブラジルと私と云うテーマで私を通じてのブラジルを紹介して行きたいと思います。全12回程度で私の47年に成らんとするブラジルとの繋がりを書き残して置くことにします。その第1回は、私の生い立ちとブラジルとの出会いです。

私は紀元2600年(1940年、昭和15年)12日のおめでたい日に神戸で生まれました。4人兄弟の典型的な二男坊で生まれたら既に兄がおり、直ぐに妹と弟が生まれ追いかけられる立場にあり何時も【何糞】との気持ちを持ちながらそれでも比較的のんびりと港町、神戸に育ちました。子供の頃の思い出は余りないのですが、一時里子に預けられたり残っている小学校のクラス写真は、苦虫を噛み殺したような顔をしておりあまり目立たないと云うか苛められる方だったのかも知れません。どんぐり眼できかん坊だったので今西郷さんとか云ってからかわれていたそうです。

良く働く母親と余り働かない父親と4人兄弟の商家に育ち経済的には困った覚えがない自由闊達と云うよりこれと云った教育方針のないほったらかし的な育て方を受け継いで来たようです。

確か中学2年生の時に社会科の女の先生(どうしても先生のお名前を思い出しません)に課外授業として(自由参加だったと思う)戦後移民が再会され神戸からアマゾンのトメアスー移住地に向かう移住者の見送り(テープ拾い)に出かけたことがあります。その当時は地球の裏のアマゾンの地にピメンタと云う黒胡椒を作りに出掛けるとの話を聞き『大変だろうな』程度の気持ちしかなかったのですが、これが後日私の人生の選択としてブラジル移住の道を選ぶ伏線になろうとは知る由もなかった。私のブラジルとの繋がりはこうして中学生の頃のアマゾン移民として神戸港を離れる方のテープ拾いから始まったと言えそうです。

次回は、移住船あるぜんちな丸に乗り込むまでの高校、予備校、大学生活に簡単に触れる事にします。

当時の関係写真は、見つかりませんので戦前、戦後の多くの移住者が御世話になり関西・淡路大震災にも耐え、今年5月に改装工事が完成する神戸の旧移住センターに咲くブラジル国花イッペーの花とブラジルの地図を配した移民発祥の地の碑を貼り付けて置きます。(昨年4月に立ち寄った時に撮影)

2009/01/18 10:41 | ブラジルと私 | No Comments

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