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喧騒のカーニバルも無事終わり雨と共に真夏日から20度台の凌ぎやすい天候になりやっとブラジルの新しい年が始まった感じで結構活気付いて来ております。ブラジルのカーニバルの(その3)として纏めを掲載して置きます。
地元ポルトアレグレのデスフィーレ(点数を競うパレード形式のカーニバルサンバ大会)は、インぺラツリース ドナ レオポルヂーナが創設29年目で初めて念願の優勝を飾った。サンパウロでは、常勝のモシダ―デ、ガビオンを尻目にローザス デ オーロ(金の薔薇)が16年振りに優勝した。伝統あるリオのデスフィーレでは、何と1934年以来の74年振りにウニドス ダ チージュカが優勝した。リオのサンボドロモが出来て今年で25年だったそうで私が見たリオのカーニバルはまだこのサンボドロモが出来ておらずヴァルガス大通りやリオブランコ大通りの時代でした。地元紙に掲載されていた各地にチャンピオン選択の総合点等と共に関係写真を掲載して置きます。
私の住む南大河州は、人口1000万ちょっとの州ですが、カーニバル期間中に起きた殺人件数が38件、交通事故で亡くなった犠牲者数が27人と毎年のことながら華やかなデスフィーレの陰に過激な出来事も発生している。ブラジル全国ではこの20倍はあるのでしょうか?
ブラジルのカーニバル特集はこれで終了させて頂きますが、サンパウロの邦字紙サンパウロ新聞のカーニバルに参加された日系人関係の記事もお借りして披露して置きます。
「これぞブラジルの文化」 日系人参加者からも興奮の声今年のカーニバルにも数多くの日系人が参加した。
今年が初出場となった青柳バネッサ・マユミさん(20、2世)は、「レアンドロ・デ・イタケーラ(Leandro de Itaquera)」に所属。ゾナ・レスチにある学校の練習場で特訓した成果を存分に発揮し、「とても楽しくて時間が経つのが早く感じた」と思うように踊り終えた充実感を見せていた。
「マンシャ・ベルデ(Mancha Verde)」のパレードに飛び込み参加を果たしたのは、柴田クラウジア・アケミさん(25、3世)。同エスコーラでは、衣装を先に購入していれば当日の飛び込み参加が可能ということで、友達と一緒に参加したという。
「ローザス・デ・オーロ(Rosas de Ouro)」のパレードに参加した山村デニーゼ・ゴメスさん(2世)は、過去にバイーアのカーニバルに出場したことがあるが、サンパウロでは初出場。「バイーアではTシャツを着て山車を追いかけるだけですが、サンパウロのカーニバルは衣装も踊りもきちんと決められていて楽しかった」と興奮気味に語った。
夜が明けた13日午前7時頃に登場した「バイ・バイ」所属のオダ・ヘナタさん(30、3世)は、「これぞブラジルの文化という感じがしました。今回は初めての出場でしたが、これからは毎年参加したいです」と、パレードを終えて観客席からその日一番の歓声と拍手を受けながら、チームの仲間と喜びを共にしていた。
2010年2月16日付