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2010/03/03

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ブラジルの話題にはそぐわないのですが、お隣の国チリの大地震についてのお話です。日本まで津波を運んだチリの大地震に付いては皆さんも良くご存知と思いますが、当地新聞に出ている写真等を見ながら少しお話しさせて下さい。

 227日午前334分(現地時間)にマグネチュードM8.8の大きな地震がチリ首都のサンチアゴから325km、コンセプシオンの街から115km、綺麗なチリ富士の一つチジャンの温泉スキー場から100km離れた震源地に大地震が起きました。

27日(土)朝、メールを開くとフジテレビの『めざましテレビ』と言う番組の糸川記者からのメールが入っており地震の現地の事情を聞かせて欲しいとの事で大西洋岸に近いブラジル南部のポルトアレグレでは地震があったのも知らなかったと返事しましたが、チリにお知り合いがいれば教えて欲しいとのことで首都のサンチアゴにお住みの山本雅俊さんの電話番号を教えました。

所要に出ようとしていると携帯に電話が入り今度は読売新聞の女性記者からの緊迫した声で『私たちの40!!』に掲載されているコンセプシオンにお住みの三好貴志子さんの電話番号を教えて欲しいとのことで教えておきましたが、コンセプシオンではまだ電話が開通していない状況です。

コンセプシオンの街には日本製鋼所の押出機を納めており改造の際に通訳としてお世話になった三好貴志子さんがお住みですが、電話は不通で直接現地の様子が分からず気になっていますが、PETROQUIMと言う会社のサンチアゴ本社のジェネラルマネジャの方からの当方のお見舞いに対する返信ではサンチアゴの本社は被害なし、プラントのあるコンセプシオンは、地震後すぐに無事製油所を含めて総てのプラントをシャットダウン出来た。現在の所、押出機への被害はない。10日か2週間程度で原料供給が可能となれば生産を再開したいと思っているがどうなるか分からない。何か必要となれば連絡するので手伝って欲しい。 プラントのあるコンセプシオンは、生活線が寸断されており、電気、水道、電話が総て駄目で復旧までに時間が掛かる。携帯電話は通じていたが電気が無いので充電が出来ず繋がらなくなって来ている。問題は水と食物で食べるものが無くなって来ている。PETROQUIMの職員で家をなくした者もいるが、一部の職員と連絡が取れておらず被害に巻き込まれている可能性もあるが現在の所、関係犠牲者は確認されていない。以上現地の様子を知らせて頂いていますが電話、インタネット等は繋がらないようでサンチアゴ経由の情報と成りました。

ブラジルのルーラ大統領は、逸早くサンチアゴを訪問バケレッテ大統領と飛行場で面談(写真1)、野外病院の設置等医療関係の援助をさせて欲しい申し入れている。港の岸壁に乗り上げた大きな船(写真2)、津波で街の中まで押し出された船(写真3)、地震後の街に座り込む住民(写真4)、家の家財道具を取り出し呆然と座り込んでいる住人(写真5)

2010/02/20

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喧騒のカーニバルも無事終わり雨と共に真夏日から20度台の凌ぎやすい天候になりやっとブラジルの新しい年が始まった感じで結構活気付いて来ております。ブラジルのカーニバルの(その3)として纏めを掲載して置きます。 

地元ポルトアレグレのデスフィーレ(点数を競うパレード形式のカーニバルサンバ大会)は、インぺラツリース ドナ レオポルヂーナが創設29年目で初めて念願の優勝を飾った。サンパウロでは、常勝のモシダ―デ、ガビオンを尻目にローザス デ オーロ(金の薔薇)が16年振りに優勝した。伝統あるリオのデスフィーレでは、何と1934年以来の74年振りにウニドス ダ チージュカが優勝した。リオのサンボドロモが出来て今年で25年だったそうで私が見たリオのカーニバルはまだこのサンボドロモが出来ておらずヴァルガス大通りやリオブランコ大通りの時代でした。地元紙に掲載されていた各地にチャンピオン選択の総合点等と共に関係写真を掲載して置きます。 

 私の住む南大河州は、人口1000万ちょっとの州ですが、カーニバル期間中に起きた殺人件数が38件、交通事故で亡くなった犠牲者数が27人と毎年のことながら華やかなデスフィーレの陰に過激な出来事も発生している。ブラジル全国ではこの20倍はあるのでしょうか? 

ブラジルのカーニバル特集はこれで終了させて頂きますが、サンパウロの邦字紙サンパウロ新聞のカーニバルに参加された日系人関係の記事もお借りして披露して置きます。

 「これぞブラジルの文化」 日系人参加者からも興奮の声今年のカーニバルにも数多くの日系人が参加した。

今年が初出場となった青柳バネッサ・マユミさん(20、2世)は、「レアンドロ・デ・イタケーラ(Leandro de Itaquera)」に所属。ゾナ・レスチにある学校の練習場で特訓した成果を存分に発揮し、「とても楽しくて時間が経つのが早く感じた」と思うように踊り終えた充実感を見せていた。
 「マンシャ・ベルデ(Mancha Verde)」のパレードに飛び込み参加を果たしたのは、柴田クラウジア・アケミさん(25、3世)。同エスコーラでは、衣装を先に購入していれば当日の飛び込み参加が可能ということで、友達と一緒に参加したという。
 「ローザス・デ・オーロ(Rosas de Ouro)」のパレードに参加した山村デニーゼ・ゴメスさん(2世)は、過去にバイーアのカーニバルに出場したことがあるが、サンパウロでは初出場。「バイーアではTシャツを着て山車を追いかけるだけですが、サンパウロのカーニバルは衣装も踊りもきちんと決められていて楽しかった」と興奮気味に語った。
 夜が明けた13日午前7時頃に登場した「バイ・バイ」所属のオダ・ヘナタさん(30、3世)は、「これぞブラジルの文化という感じがしました。今回は初めての出場でしたが、これからは毎年参加したいです」と、パレードを終えて観客席からその日一番の歓声と拍手を受けながら、チームの仲間と喜びを共にしていた。
2010
216日付

2010/02/17

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ブラジルのカーニバルの雰囲気の一部なりとも感じて頂ければと当地の地元紙に掲載されていた写真を御披露しましたが今回はその第2弾です。写真と共にブラジルのカーニバルの位置付けとして【サンバは「裸踊り」でなく文化だ。】とのサンパウロの邦字紙、ニッケイ新聞の社説に当たるコラム「樹海」に書いておられる深沢編集長のご意見を披露して置きたいと思います。 

 ==コラム「樹海」== ニッケイ新聞社説
カーニバルといえば「裸の美女が踊り狂う」との先入観が強いかもしれないが、実は1年がかりで綿密に練習された〃行進するオペラ〃といえる伝統芸能だ。打楽器隊の強烈なリズムに合わせて、パレード参加者全員がテーマ曲を合唱し、観客席と一体になって盛り上げる様は、集団陶酔の儀式を思わせる▼聖市の頂点グルッポ・エスペシャルは金、土曜晩にパレードする計14チームだが、その下にはアセッソが8チーム、G1が12チーム、G2が12チーム、G3が13チーム、一番下のG4が10チームで、公式参加するチームだけで68もある▼これ以外に趣味のチームもあり、全部で100チーム以上あり、参加者総数なら数万人規模といえる。サンボードロモでパレードできるのは、そのうちの頂点というか、氷山の一角だ。大半は、その晩だけ大通りを仕切って作る仮設会場を行進する▼立派なパレードをするために、前年の8月ごろにテーマ曲の選出コンクール、9月から打楽器隊を入れた練習を毎週重ね、衣装や山車を作り、1月からはサンバ会場でのパレード練習も始まり、週2~3回も集まる▼そうして準備されたパレードがこの週末に披露される。各カテゴリーの上位チームが、上のカテゴリーの下位チームと入れ替わるから真剣だ。衣装、協調性、山車、打楽器隊、テーマ、曲などの約10項目が審査員によって厳しく評価される▼このようなサンバ・チームは、貧困層の子供たちを集めて麻薬や犯罪組織から遠ざけ、集団に献身することの尊さ、規律や役割分担などを教える重要な役割を担っている。サンバは「裸踊り」でなく文化だ。(深) 2010年2月12日付け

2010/02/14

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バンクーバで冬季オリンピックが始まり、中国の旧正月が祝われていますが、ブラジルでは喧騒のカーニバルに入りテレビ、新聞でもカーニバル一色の感じがします。

ブラジルのカーニバルと云えばリオが一番有名ですが、サンパウロ始めポルトアレグレでも見せるカーニバル(サンボドロモと云う特設リンクが設けられて一晩中観戦する)が中心と成って来ていますが、東北伯のサルバドール、レシフェ、オリンダ等では参加するカーニバルが盛んで大型トラックの上に楽団が陣取り有名歌手が大音響のマイクを使用して歌いその前後を何千人の大観衆が一緒に歌い踊って練り歩くカーニバルに参加一晩中練り歩き疲れると公園や海浜で寝込んでしまい目が覚めると又歩き踊り出すと云うブラジルならでのカーニバルもあります。上流階級の人たちは、社交クラブで仮装の舞踏会式カーニバルも行われますが矢張り人気があるのは、最後の夏を満喫する海浜での冷たいビールやカイピリニア(砂糖黍の自酒とレモンを割った焼酎割り)を飲みながら過ごすカーニバルでポルトアレグレの街からもカーニバル期間(金曜日の夜から翌週の水曜日の昼まで)は、海浜の太平洋岸にどっと繰り出し街に残っている人は夜のサンボドロモに踊りに行くか観戦に行くかで昼間は寝ているようで静かなものです。我が家の娘3人ともリオやミナスに出掛けており二人だけの静かなカーニバル休みを過ごしています。

カーニバル(謝肉祭)は、復活祭を迎える前の四旬節(クアレズマ)に入る前の灰の水曜日前日まで犠牲週間(肉を食べないとかタバコを吸わない等)を迎える前の肉を食べて飲み明かす謝肉のお祭りだそうですが最近では宗教的な意味は薄れて来ているようです。

連日新聞にこれでもかと云うように掲載さえているカーニバル関係の写真を選んでその熱気を感じて貰う意味で羅列掲載して置きます。写真は、購読している地元のZERO HORA紙とCORREIO de POVO紙からお借りしています。

2010/02/04

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日本では国の翼としてJALの赤い鶴が再生し生き残れるかどうか問題になっていますが、ここブラジルでは国の翼としてのVARIGは消滅、名前だけがGOL社に残っていますがJALと同じ様な問題を抱えていました。VARIGを吸収したGOL社にしてもTAM社にしても何れも身軽な新しい航空会社として業績を伸ばして来ました。

昨年からブラジルの国産機EMBRAER195を導入しブラジルの空を飛んでいるAZUL(青い空)航空に今回2度目の搭乗を果たしました。前回はポルトアレグレからサンタカタリーナ州の海浜迄の新路線の開通日に搭乗したのですが、その斬新的な機内サービス、航空券販売等のマ―ヶチングに感心しましたが、今回は機内にAZUL社の会社案内パンフがありましたので紹介して置きたいと思います。AZUL社の社長は、DAVID NEELEMANは、ブラジル生まれのアメリカ人で5歳までサンパウロに住みSALT LAKE CITYに戻り18歳でモルモン教の宣教師としてリオに赴任しペルナンブッコ、パライ―バ州等で布教、アメリカに戻ってからは観光会社に勤務、アメリカでJET BLUE社を起こし150機の飛行機を飛ばす航空会社を経営していたがこれを売却し今回ブラジルでAZUL社を建ちあげている。VARIGJALと違い年金生活者ゼロの身軽さは従業員総てが現役で働くという経営を可能としてブラジル国産機100%、メンテナンスにも殆ど金が掛からずEMBRAERの優秀職員を雇いいれている。現在の航空会社経営では新しければ新しいほど経営が楽になると云った特徴がみられる。

ブラジルにはAZULの他にもOCEAN AIRLINENHTWEB JAT等新興航空会社が幾つも増えて遣って行けるのもこの身軽さによるものでしょうか?安全面さえクリアできれば安くてサービスの良い新興航空会社が伸びて行く余地があるようですが、私は矢張りGOLTAMが安心です。

写真は、ポルトアレグレの空港で撮ったAZUL社の国産機EMBRAER195、リオの空を飛ぶAZUL機、機内サービスに出されたポテトチップ等です。

2009/07/14

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ブラジルと云えはアマゾン、リオのカーニバルと常夏の気候を想像してしまいますが、ブラジルは現在冬に入っており特に私の住むブラジル南部では寒さが厳しいです。713日の地元紙ZERO HORAでは、今年一番の冷え込みを記録した日曜日の朝は、CAMBARA do SUL市では零下2.8度を記録、BOM JESUSでは雪が薄っすらと積もったそうです。

今週は水曜日まで気温が下がり最高気温も18度を超すことはないだろうとのことで州内各地で霜が降りるだろうとの天気予報です。  皆さんに寒いブラジルが想像できるでしょうか?写真は、ゼロオーラ紙の裏面にあったBRANCO de FRIO(真っ白な寒さ)で霜に覆われた州内の田舎の景色です。 

この寒さに新型インフエンザの州内第2の犠牲者として9歳の男の子が今朝方亡くなったとのニュースが今朝の新聞に出ていました。ブラジルに置ける3人目の犠牲者です。冥福を祈ると共に早く納まって欲しいと思います 

2009/06/25

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5月に3週間弱訪日しましたが、豚インフルエンザと共に成田に到着、神戸、茨木(大阪府)京都、滋賀、神奈川、東京と感染者発生の汚染地区を掛け巡りました。帰国後は豚インフルエンザは、パンデミアの指定を受け世界100カ国に5万5千人以上の感染者を出しており私の住んでいるブラジル南部のポルトアレグレでも隣国アルゼンチンから戻った24歳と28歳の女性2人が先週感染が確認され飛行場でも写真の通りマスク着用が目立っています。州内の田舎、サンガブリエルの町では全学校が休校になり寒そうな学生の姿が今朝の地元紙に掲載されていました。遅ればせながら日本の再現のような様子に驚いています。

リオの山下さんが何時も統計数字をグラフ化して送って呉れていますが最新版は下記の通りです。豚フル  55867 人に ブラジル 334 人に急増  リオの山下さんからの報告です。山下@リオです豚フル累積感染者数 55867米国21449 カナダ6457 チリ4315 英国2905 オーストラリア2857アルゼンチン1213 中国906 日本893 タイ774 スペイン539フィリ345 ニュージーランド386 イスラエル375 ブラジル334パナマ330 ドイツ301下にブラジルの数字

2009/03/18

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ブラジルに付いて興味をお持ちの方に是非覗いて頂きたいのが国立国会図書館が最近開設した電子展示会「ブラジル移民100年」です。これまでに公開されたブラジル移民史、100年の流れをこれほど詳細に渡り纏めているサイトは存在しませんでした。私がブラジルで生きて来た47年は、6章の日系社会の分裂と対立、7章の日系社会の再統合から現在までですが、日本史の中のブラジル移住の歴史を纏めて呉れています。写真、資料も豊富でブラジルに付いて知りたい人の格好の読み物となっています。URLは下記です。http://www.ndl.go.jp/brasil/index.htmlこの国会図書館の電子展示会「ブラジル移民100年」のリンク集に『私たちの40年!!』も取り上げて頂いています。戦後移住史を語る『私たちの40年!!』がこの電子展示会にリンクされていると云う事実は、本当に栄誉であり日頃の努力が認められた嬉しさを感じます。http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/index.php

2009/02/24

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予定通り2月21日(土)にポルトアレグレのカーニバルを見学に出かけました。200枚程写真を撮ったのですが、ここに写真を貼り付けるのは少し無理だと判断し「ポルトアレグレのカーニバル」として私の下記BLOGに簡単な説明文を付けて掲載しておりますのでご覧頂けると嬉しいです。写真は、気に云った写真を4枚だけ掲載して置きます。 

ポルトアレグレのカーニバル(その1)

http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/39023482.html 

ポルトアレグレのカーニバル(その2)

http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/39023874.html  

ポルトアレグレのカーニバル(その3)

http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/39026917.html  ポルトアレグレのカーニバル(その4)http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/39043909.html  ポルトアレグレのカーニバル(その5)http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/39044261.html  ポルトアレグレのカーニバル(その6) http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/39044387.html  ポルトアレグレのカーニバル(その7) http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/39044777.html 

2009/02/22

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昨日の夜、2月20日()より喧噪のカーニバルがブラジル全国で繰り広げられます。最高潮に達するのは24日()の夜で翌日の灰の水曜日まで続きます。やはりブラジルで一番有名なのはリオのサンボドロモ(カーニバルの特設サンバスタジアム)でのカーニバルで世界中から観光に遣って来ますがサンパウロのサンボドロも負けずに大観衆を集めます。東北伯のサルバドール、レシフェーのカーニバルは座って見ているより参加するカーニバルとして有名で何十万人もの市民が大音響のトラックの上で奏でる音楽に合わせ朝まで町を練り歩く阿波踊りを大きくしてブラジル式にしたお祭りが5日間も続きます。カーニバルは、謝肉祭と云われ復活祭(イースター)を迎える準備として四旬節の間肉を食べないとか禁煙する?とか犠牲の期間に入る前にドンチャン騒ぎをしようと云うのが趣旨で灰の水曜日からは復活祭まで肉を食べずに過ごす習慣があります。カーニバル期間中は、銀行、会社は休みに成りますが工場は普通に勤務を続けますが事故発生率が増える事から代休制度を使用休ませる所もあります。地元ポルトアレグレでは金曜日にカーニバルの喧噪を避けて今年最後の海浜を楽しむためにバスで七万人、有料道路を通過した車が5万5千台と町はカーニバルに参加するか見に行く人か全く関心のない人だけが静かな町を楽しみます。130万人と云われるポルトアレグレの町もこの期間中は静かで過ごし易い町になります。今年は、二女の伴侶が今晩ポルトアレグレのサンボドロモで打楽器隊のリーダーとしてBANBAS da ORGIAと云うグル―プで参加するとのことで見学に行く積りにしています。22時50分に第1グループが出場し最後の第7グループは翌日の朝の6時20分に出場とのことでそれこそ徹夜に成りますが、幸いBANBAS da ORGIA(昨年は14チーム中の3位に入賞、今年は優勝を狙う)は、第2グループで0時5分出場との事ですので午前2時ごろには戻ってこれそうです。カメラを首にぶら下げてどんな写真が撮れるか久し振りに現場のカーニバルの見物に出かける事にしています。写真は地元紙に出ていた昨夜の参加チームの写真2枚とポルトアレグレの名門チームBANBAS da ORGIAの踊り子の写真を張り付けて置きます。最後の1枚は、サンパウロの昨夜のサンボドロモの写真です。

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