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2013/10/07

今年に入ってからの都議選、参院選で共産党さんが
躍進を遂げたのは記憶に新しいところですし、昨今の世論調査では
共産党の支持率が野党No1を取る場合すらあります。

「どうしてですか?」

とよく聞かれるので、今日はこれに関連した小話をば。

都議会議員に着任し、
委員会の配属が決まる際、

「文教委員会(教育分野を専門とする委員会)は、伝統的に共産党の力が強いですよ」

と言われ、ああここでもやっぱりそうなのか、と思った覚えがあります。
共産主義や社会的主義なイデオロギーを持ついわゆる「サヨクっぽい人」は
知識人に多いのですが、特に教育界やマスコミに多数存在します。

教員の労働組合である「日教組」なんてその象徴ですし、
朝日新聞、毎日新聞なども左掛かった思想を反映している大新聞です。

これにはちゃんとした理由と、彼らの「生存戦略」が背景にあります。

共産主義が台頭してきた時、まだまだこれを支持する人数は少なく、
民主主義の議会において過半数を取ることは当面不可能であると
賢明な彼らは早くから看過していました。

そこで彼らは、こう考えました。

「今は多数派になれないかもしれない。
 しかし四半世紀後、半世紀後に勢力図を逆転すればいい。
 そのためには思想を司る職業に、多くの人材を送り込むことが必要だ!」

こうして彼らが目をつけたのが
そのものずばり「教育」の世界と、
大衆の思想に大きな影響を与える「マスコミ」でした。

後のインテリ左翼と呼ばれる知識人候補の大学生たちは、
積極的に教育関係や報道関係機関などを就職先として選びました。

政界でも、政権与党がお金になりそうな経済方面にばかり根を張る間に、
彼らはお金にならず、目に見える成果が出にくいため人気のない
「教育」分野に注力し、確固たるポジションを築いてきました

こうして、日本の教育現場では反日教育が堂々と行われ、
日本の大新聞は靖国問題や慰安婦問題などを積極的に創りだし、
議会の場で共産主義・社会主義が後退を続ける中でも一定の存在感を保ちます。

ソ連が崩壊し、東西冷戦が集結して

「共産主義は終わった」

と言われてからも、彼らは粘り強くチャンスを待ちました。

「議会で勝てないならば、他の場所で勝負すればいい」

議会に依らない市民運動や住民直接投票に
左系の方々が熱心なのも、こうした考えによるものです。
彼らは現時点では、議会で勝つことはハナから諦めていたのです。

議席がどれだけ少なくなり、「確かな野党(笑)」などと小馬鹿にされても、
彼らは戦略に忠実に人材を創りだし、存在感を保ち、静かに時を待っていたのです。

そして今…

圧倒的な勢力を持つ与党を前に、太刀打ちできない既存の野党。
増税、原発促進の流れに、国民の気持ちは一つではない。

50年以上前から彼らが巻いてきた「タネ」が、
静かにその芽をもたげ始めた…

なんてね。

僕個人としては共産党さんの考えに共感するところはありませんが、
確固たる政治思想と組織を築いている稀有な存在だとは思います。

時代の要請によって、求められる政治思想は変わるもの。
共産主義がもう一度台頭するとは考えづらいと思っていますが、
彼らの戦略と世論の流れには注意を払っていたいと考えています。

それでは、また次回。

2013/01/15

日本では多くの人が選挙に行きません。
地方選挙では、下手したら6割以上の人が行かないことすらあります。

民主主義国家なのに。
自分たちのことを、自分たちで決める、大事な選挙なのに。

どうしてでしょうね?

「よくわからなくて、めんどうくさいから」

色んな言い訳があっても、だいたいこの言葉に
その理由の八割くらいが集約されている気がします。

そんな人たちには、どういう言葉で説得したらいいのでしょう?

「行かないと、自分たちが損をすることになる」

これは、それなりに説得力のある戒めです。
だからこそ、高齢者の投票率は若者のそれに対して格段に高い。

でも、今は政治なんかの保護に頼ることなく、
毎日を楽しく生きる若者の心には届きません。

「民主主義は、先人たちが血を流して勝ち取ってきた、貴い制度だ」
「昔の人は、選挙に行きたくても行くことができなかった」

そんな高尚な理念で攻めてみるのはどうだろう。
でもここで、民主主義の根幹にぶち当たります。

そもそもみんな、政治に参加したい(選挙したい)んでしょうか?

民主主義にまつわる、3つの歴史を見てみましょう。

古代ローマでは貴族の圧政に苦しむ人々が貴族制を打倒し、
世界最古の民主主義制度を築きました。しかしその後、三頭政治や
カエサルの独裁を経て、アウグストゥスをもってローマは帝政へと移行します。

近代フランスでも、重税に苦しむ大衆の不満が引き金となってフランス革命が起こりました。
しかしその後、革命の指導者たちが先鋭化し粛清の嵐が吹き荒れ、社会は不安定になりました。
そこに颯爽と登場したナポレオンは圧倒的な支持を得て、ほどなくしてフランスは帝政になります。

第一次世界大戦後のドイツは、世界で最も民主的な憲法を持っていましたが、
戦争によって負った賠償金で国の経済はガタガタ、プライドはズタズタになりました。
そんな中で台頭したヒトラーを民衆は諸手を上げて迎え、ドイツはファシズムを体現します。

いずれの例でも民主主義がもたらしたのは
安寧や理想の社会ではなく、新たな帝王や独裁でした
しかもそれは、「民主的な」選択によって選ばれたのです。

このことから論理的に導き出される帰結はずばり、
民衆は民主主義など求めていない、政治になんかできれば関わりたくないということです。

ローマの民主政もフランス革命も、
圧政に苦しむ人がそこからの解放を求めて始まっただけで、
何も「政治に参加したかった」わけではなかったのです。彼らはただただ、

「今よりもっとマシな暮らし」

を求めていただけなのです。
だから同じ理由で、帝政や独裁へとまた回帰していきました。

したがって、

「民衆は本来政治に参加したいと思っているはずだし、参加するべきだ」
「そのために歴史上多くの血が流れ、民主主義はその犠牲の上に立っている貴い制度だ」

というロジックはまったく成り立たないどころか、
むしろ民衆が選挙を忌避することさえ納得できてしまうのです。

そう考えると、投票率が低いことは寿ぐべきことかもしれません。
民衆は

「マシな暮らし」

ができている限り、政治になど関心は持たないのです。
つまり、投票率が低いことは、社会が安定していることの裏返しなのかもしれません。

それでも僕は、今の現状を看過する立場に与しません。
選挙には行くべきだし、政治にはもっと参加するべきです。

民主主義は我々に安寧も理想ももたらさなかったけれど、
それでも世界がこのシステムを採用したのには理由があります。

誕生以来何千年かけて人類が学んだ最新最強の知見は、
一部のエリートたちが起こすシステム・クラッシュよりも、
愚かにも少しずつ損をする民主主義の方がよっぽどマシということです。

民主主義下で民衆の関心が政治から遠ざかることで、
この社会はゆっくりと劣化していきます。恐らく、破綻は突然訪れるでしょう
その時、大衆は独裁を望み、そこにはもれなく戦争と混乱が付いてきます。

戦争や混乱を望む人など多くないはずです。
しかし何度も、何度も、歴史の中でこうした流れが繰り返されてきました。

そんな中でも。

今度こそ、同じことは起こらない!
今の日本人の教養レベルと、現代のIT技術を持ってすれば、
民主主義は次なるステージに必ず辿り着ける!

そう信じて、信じて、愚直に政治参加を訴え続けることだけが、
政治の道を志したもののレゾンデートル(存在意義)なのだと、僕は思います。

だから最後に、しつこいようでも
(そして伝えたい層はこんなコラムを読まないんだけども)

「よくわからなくて、めんどうくさいから」

選挙に行かない将来世代の仲間たちへ。

「行かないと、自分たちが損をすることになる」

ことに薄々気づきながら、選挙を忌避する若者たちへ。

いま選挙に行っていなくても、

「学生時代にもっと勉強しておけばよかった」

なんて後悔をしている人はいると思います。
そうした後悔と、選挙に行かないことで被る損害は
まったく別次元のものであることをお伝えしておきたい。

あなたが「勉強しなかった」ことで被る被害は自分だけのものですが、
選挙に行かないことで被る被害は同世代全員、そして将来世代にまで渡る大損害です
自分たちの子どもや孫にまで、ツケを包装して贈呈する明白な選択ミスです。

民主主義は、恐ろしいシステムです。
政治家は、みんなの代表ではありません。
政治家は、選挙に行く人たちの代表です。

1票では、何も変わらないと思わないでください。
1票でしか、この社会は変わらないのです。
なぜなら、日本が民主主義だからです。

入れたい人がいないかもしれません。
選びたい政治家がいないかもしれません。
それでも、もうちょっとだけ辛抱して、選挙に行き続けて下さい。

その「選びたい政治家」が一人でも多くなるように、
僕も牛歩の歩みながら、研鑽を積んでいきたいと思います。
少しでも早く、前へ。前へ!

というわけで皆さま、明けましておめでとうございます!(遅っ)
今年の決意表明も兼ねた新年一発目のコラムですが、
なんだか重たくてゴメンナサイ。

ここまでお付き合いくださった皆さま、ありがとうございます。
本年も本コラム及びオトキタシュンを、どうぞ宜しくお願い致します!

2012/07/18

世間は夏真っ盛り、ですね。

政界の方はと申しますと、
ご存知の通り「壊し屋」こと小沢一郎氏が

「国民の(K)生活が(S)第一(D)」

なる新党を立ち上げまして、たちまちのうちに

『KSD49』
(49は新党立ち上げ時に参加した国会議員数)

なんて愛称がつくくらい、殺伐としております。
あと一人だったのにぃぃ!!←

というわけで今日はストレートなタイトルをつけまして、
「小沢一郎」とは果たして何者だったのか?ということについて
ごくごく個人的な考察をしてみたいと思います。

なお、過去形であることは仕様です。
あしからず。

まず、彼の思想の変遷を確かめるべく
早速本棚からこいつを引っ張りだして再読してみた。

日本改造計画 / 小沢一郎著
http://amzn.to/Jop25G

彼の代表的な著作でして、政治家としての彼の思想は
ここに概ね書いてあると思って良いでしょう。

一節によると、日本の政治を学ぶ教科書として
アメリカの大学の授業でも取り上げられてるとか…ホントかよ?
そんなに面白く…ゴホンゴホン!

さて、著作の中から彼の代表的な主張を
いくつか取り上げてみるとこんな感じになります。

・新自由主義(規制緩和による経済改革)
・日米同盟重視(アメリカとの協調路線)
・国連中心主義(積極的な自衛隊の海外派遣)

・自由貿易(ただし、ブロック経済型の一部自由貿易には反対)
・二大政党制(小選挙区制度の導入による政治・選挙制度改革)
・消費増税による税制改革(代わりに法人税、所得税を下げて直間比率を是正)

etc..

特にこれらの主張の核となっているのは、一番最初に挙げた新自由主義でしょう。
著作の中のまえがきでは、

「アメリカのグランドキャニオンには(観光客の安全のための)柵がない」

ということを例に挙げ、続く本論の中でも日本社会がいかに過保護に守られているか、
規制が多すぎるかに触れ、規制緩和・民間の競争による経済活性化を訴えています。
直接そういう表現はしていませんが、かなり「小さな政府」思考であると言えるでしょう。

どうでしょうか、ここまで読んでいただいて
今の小沢氏とイメージが重なる方はどれくらいいるでしょうか?

僕は少数なんじゃないかと思います。

今の小沢さんはというと、福祉の充実や格差是正を訴え、
いわゆる「バラマキ」とも批判される施策を推進し、
以前のお考えとはどうも真逆の方向に向かっているようです。

では、上記の主張に戻っていただいて。

小沢さんであることを一端忘れて、先の主張だけ眺めていただくと(特に上3つ)、
これに近いことを主張していた政治家が思い浮かびませんか??

そうです!←(?)
第87~89代内閣総理大臣、小泉純一郎氏です。

小沢さんがこの著書で主張していたかなりの部分(3割くらいだと思いますけど)は、
彗星のように現れた稀代の宰相、小泉純一郎とそのブレーン竹中平蔵が
次々と成し遂げて一定の成果を出してしまいました。

どうしよう?
俺のポジションは?立場は?メンツは??

ここから、彼の迷走は深まったのではないかと思います。
(まあ、その前から結構ブレてはいましたが。)

やりたいこと、やるべきことが彼に取られてしまった。
それを後追いすることや、さらに深めることは自身のプライドが許さず、
違うポジションを求めて政界を彷徨い、政局を混迷に追いやっている…。

それが、小泉政権以後の彼の姿なんじゃないかなと。

そしてここからはさらに個人的な所感ですが、
小沢一郎という政治家は

「日本をどうにかしたい!」「よくしたい!」
そして俺様の名を、後世に轟かせたい!

という気持ちはあれど(特に最後)、それを具体的に形にするための
強固な思想を持っていなかったのだと思います。
(小泉さんが郵政民営化と自由競争・市場原理を固く信じていたほどには、特に。)

1980年代に新自由主義的な改革の必要性に気づいていたことは
慧眼であるし一流の政治センスの持ち主だったことは間違いありません。
しかしそれはあくまで一つの「戦略」であって、「信念」や「思想」ではなかったのでしょう。

まだまだ日本には、改革が足りないのですけれどもね…。

自身の主要な戦略を奪われ、思想転換するも迷走を続ける彼は
どこか「死に場所」を求めているように思えてなりません。

とはいえ、「二大政党制」「政権交代」への道筋をつけた立役者として
20世紀を代表する大物政治家の一人だったことは間違いないと思います。

政治資金問題の先行きも不透明な小沢一郎氏ですが、そんな彼に敬意を示し、
かの問題の結論が出て「法的に」葬られるよりも、選挙を通じて「政治的に」
引導を渡して差し上げるのが、彼に対するわれわれ有権者の最後の役割ではないでしょうか。

さようなら、小沢一郎氏!

KSD49総選挙編 -完-
(まだ早いって)

2012/06/28

増税法案が可決され、新聞の政治欄が賑やかになってきました。

あまりにも小沢小沢の字が喧しく踊っておりますので
あたくしはそちらは華麗にスルーし、増税法案の裏番組で進んでいる
選挙制度改革を前回に引き続き取り上げてみたいと思います。

連用制 党利党略の優先に呆れる
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120620/plc12062003170000-n1.htm

さて、現在政界では一票の格差が問題になっておりまして、
衆院選挙はすでに最高裁判所によって現状が「違憲状態」とされています。

これを改善しなければならないのと、もともと民主党はマニフェストで
議員定数の削減をうたっていたこともあって、議員定数を削減しながら
選挙区や選挙制度自体の改革にも踏み込む動きがあるわけですが。

民主党はもともと、比例代表制度で選出される議員数の削減を志向していました。
野田総理は過去の著作(「民主の敵」)の中でも、いずれは比例代表制を廃止して
小選挙区一本で議員を選出するべきだ、と書いています。

前回の記事で述べた通り、選挙制度には基本的に二種類しかありません。

・多数決、多数の意見こそが民意だと考える「多数代表制」(≒小選挙区制)
・少数の民意をできるかぎり汲み取ってこその民主主義だと考える「比例代表制」

そう、明らかに民主党は前者を志向する政党だったわけです。
(もともと、二大政党を招きやすい小選挙区制で台頭した政党ですから)

ところがそれが、ここにきていきなりブレた。
しかも、半端じゃないくらいブレまくった。

降って湧いて出てきたのが、比例代表制の議員を削減する代わりに、
「比例代表連用制」を一部に導入するという案です。

もうこんな制度マニアックすぎて一般市民は理解不能だと思うのですが、
簡単にいうと小選挙区で勝てなかった弱小政党に
比例票を優先して回して席を取りやすくさせる、という制度です。

理屈としては、小選挙区(多数代表制度)選出の議員が相対的に増えると、
小選挙区で勝ちやすい大政党に有利で当選者のバランスが悪くなってしまう。
ゆえに、比例代表のパートではもっと弱小政党に有利なように制度を変えましょう、と。

…意味わかんねーよ!!

弱小政党に配慮して少数意見も汲み取れる選挙制度にしたいなら、
単に多数代表の数を削って比例代表を増やせば済むだけの話しです。

繰り返しになりますが、選挙制度には2つの制度と思想しかありません。
多数の意見を取る多数決主義か、多用な民意を汲み取る相対主義か。
前者が多数代表制(小選挙区制度)で、後者が比例代表制です。

日本はどちらの制度にも決めきれず、折衷案のような形で
小選挙区300、比例代表180という中途半端な制度を取ってきました。

-さあ、ここからはじまる民主党劇場-

マニフェストにも議員定数削減って書いちゃったし、
裁判所からも違憲状態で改善しろと言われてしまった…

でも小選挙区を減らすのはマニフェストや党の志向に反するし、
現職議員の反発も強いしムリ。かといって、比例代表を減らしたら
少数政党(ていうか公明党)の反発が強すぎてそれはそれでムリ…

じゃあ比例代表の数は減らす代わりに、
少数政党(ていうか公明党)に有利な制度を導入すればいいんじゃないか?!

そしたらその少数政党(ていうか略)がとある政党(自民党ですが)と
選挙協力する必要もなくなり、こっち側に擦り寄ってきてくれるかも?!

そうだ、これだ、連用制を導入しよう!!

-劇場終わり-

いったい、どっちを向いて制度設計をしようとしているのでしょう?

仮にこれが通って衆議院選挙の比例代表制の一部に連用制が導入されると、
ざっとみてこれだけの選挙制度が日本には併存することになります。

・小選挙区単記制(衆議院、参議院の一人区)
・大選挙区単記制(参議院の二人区以上、地方議会選挙)
・拘束名簿式比例代表制(参議院)
・非拘束名簿式比例代表制(衆議院)
・非拘束名簿式比例代表連用制(衆議院)←New!

無理。

「選挙制度のデパート」と世界から失笑を買う日本の選挙が
主義思想もなくさらに複雑化していくというわけです。

選挙制度を変えるのに、政治思想・哲学は必要不可欠です。
「民主主義」「民意」をどう捉えるか。そのためにはどれくらいの議員数が必要で、
どんな方法で選出するのがベストなのか。

そういった大切な議論を一切せず、

「違憲状態だから」
「減らすって言っちゃったし」
「とりあえずとある政党の選挙協力が欲スィ」

といった理由で選挙制度が変えられようとしていることに、
もっと我々は危機感を抱かなければいけません。

増税や社会保障制度も、わかりやすく大切な問題ですけれども、
ますます選挙制度が複雑化して若者の選挙離れが進まないよう
こうした問題にもしっかりと関心を持ち続けていきたいものです。

ではではー。

2012/06/10

今週は週末のワイドショーに至るまで、
水曜日に結果の出たAKB総選挙一色でしたね!
まあ僕、テレビあんま見ないんで適当に言ってるだけですけど。←

んでこれを天下の日経新聞まで取り上げたので、
政治周りの世界でもちょっとした話題(?)になったようで。

バカバカしくないAKBの総選挙
http://www.nikkei.com/article/DGXBZO42302970X00C12A6000000/

日経新聞は「世代交代」という点にフォーカスして記事を書いていますが、
僕もせっかくなので選挙にこじつけてなんか書きたいと思います。

この企画の何が凄いって、「選挙」という言葉を
ここまでセンセーショナルに使いこなしたことでしょう。
これに対して、

「1人で何票も投票できるんだから、選挙じゃない!」

という意見が多く聞かれますので、
ココらへんを切り口に選挙制度を見てみましょう。
とかく日本人は「一人一票!」という固定観念がありますからね。

■多数代表制と比例代表制

そもそも選挙とは主に投票を用いて代表や役員などを選び出す行為ですが、
これには凄いざっくり言うと制度的に二種類しかありません。
「多数代表制」と「比例代表制」です。

日本では、衆議院選挙がわかりやすいですね。

・自分の選挙区(小選挙区)で候補者個人に投票し、定数(1名)が当選する制度
・政党名を投票して、得票数に比例して政党から当選者が出る制度

が併用されています。
前者が「多数代表制」で後者が「比例代表制」です。

じゃあこの「多数」と「比例」ってなんじゃらほい?
何に対して「多数」や「比例」なんでしょうか??

結論から言うと、
多数とは「大多数」「多数決」の多数で、
比例は「民意と比例する」という意味の比例です。

解説しましょう。

まず多数代表制。
日本では「小選挙区制度」として定着していますが、
選挙区で個人名に投票する制度では、当選者が決まると当然他の候補者は落選します。

たとえ100万1票 対 100万票 であろうとも、
定数が1なら当選者は前者の1名だけであり、後者の
100万票の民意は「無」となります(これを死票という)。

この根底に流れる思想は「多数決の原理」です。
民主主義とは、「多数決」だ!数が多い方が勝ちを「総取り」し、世間の意見を代表する!
まあ『弱肉強食』に近いのがこの考え方です。

翻って比例代表は御存知の通り、政党単位で投票させて
その票数に比例させて議席数を各政党に割り振っていきます。

かなりの票数を取る政党があっても、すべてを総取りできるわけではありません。
逆に言えば小政党でも、それなりの議席数を確保することができます。
これにより、世論を鏡のように「比例した」当選者を選出することができます。

こちらの考え方の基調となっているのは、
少数の意見を汲み取ってこその民主主義!」というものでしょう。
多数決が弱肉強食なら、こちらは『多様性重視』とでも言いましょうか。

単なるテクニカルな違いではなく、この2つの制度には民主主義の根幹にも関わる
天と地ほどの隔たりがある思想・哲学が内包されているのです。

さて、ちょっと強引にAKBの話しに戻りましょう。
では選挙とは、常に1人1票なのでしょうか?

そうとは限りません。

多数代表制においては、
定数(当選者の数)が2以上の場合は定数分だけ有権者が票を持っている
大選挙区・完全連記制という制度があります。

日本の衆議院選挙はいま「小選挙区制度」といって
当選者は1人なので、有権者は1票でまあこれは普通です。

アメリカやイギリスではこの選挙制度で
国から地方までほぼすべての選挙が一本化されています。

ですが日本の場合、地方議員の選挙では自分の選挙区の定数は3だったり4だったり、
市・区議会レベルにいたっては20だったり40だったりします(!)。

でも、有権者は1人1票しか持ってない。
するとどうなるか?

数百票レベルの争いでポっと出の候補者が当選したり、
支持政党に入れようにも政党から4、5人候補者が出ているもんで
決め手がなくて最後は適当に投票してみたり…。

地方議会の選挙に関しては「何かおかしくね?」と感じている方は
少なくないと思うんですが、はっきり言っておかしいです。

今の地方議会の選挙制度では「多数決」にもなっていなければ、
民意を比例して吸い上げる「政党政治」にもなっていません。

このため大選挙区を用いる海外では、定数毎に有権者に票数があるのがスタンダードです。
定数が3の選挙区なら、有権者は3人に投票することができます。
この場合は、どうなるでしょう。

政党側は、きっちり3人枠には3名ずつの候補者を立ててきます。
ガチガチの支持政党がある方は当然その3名に投票するので、
政党政治も機能します。

また、曖昧な支持をしている人は「A党の候補者2名と、B党の候補者1名に」
という選択も可能であり、「勝者総取り」になる多数代表制の欠点を多少解消した、
比例代表制との折衷案のような制度にもなるのです。

これが多数代表制における「大選挙区・完全連記制」です。

ただ、折衷案のようでどっちつかずなのが嫌われるのか、
こうした大選挙区制度をとっている国はそれほど多くありません。

しかしながら、そこではほぼ例外なくなんらかの連記制がとられており、
定数が2以上なのに1票しかない日本は世界から見ると相当に「異常」なようです。

そんなわけで、AKB総選挙においては、
仮に8名の選抜メンバーを選ぶ選挙であって、
有権者は8票ずつ持っていますよ!

…というルールであれば、別に1人1票じゃなくても立派な
「大選挙区・完全連記制」として認められる選挙なのである!

ところが。

まあAKB総選挙って、票が金で(CDで)買えるよね。
しかも、同じ人に何票投票してもいいよね。。

というわけで、やっぱり残念ながら選挙には成り得ないのでした!
惜しいぃぃ!(惜しくねえよ)

ていうかこれ、AKBにこじつけて論じる意味あったんすかね…。

まあとりあえず、AKB総選挙の制度にふさわしいネーミングは
「人気投票」もしくは「株主総会」であるのだけど、そこにあえて
『選挙』というワーディングをした秋元康にはひたすら頭がさがるわけであります。

さて、話しを戻します。
もうどっちが本題だかわからなくなってきました

現在国会では、「議員歳費のコストカット」「一票の格差の是正」ということで
衆議院選挙における議員の削減を計っており、

「小選挙区をもっと減らせ」
「いや、比例選出を減らすべきだ」

という議論が行われておりますが、
どうにも党利党略のみが先行し、前述のような
選挙における思想・哲学の話しまで踏み込んでいるように見えません。

多数の意見が代表されるのが、民主主義なのか(多数代表制)。
少数の意見をできるだけ汲み取るのが、民主主義なのか(比例代表制)。

これはまさに、民主主義の根幹を揺るがす論点です。

「とりあえず、一票の格差を是正しなければならないから」
「連立を組んでる◯◯党に不利だから、比例代表の数は減らせないな」

とか、そんなレベルで結論を出してよい問題ではないです。
そもそも日本はこの二択に結論が出しきれずに、どっちつかずの
「小選挙区比例代表並立制」という折衷案に逃げ込んだという歴史的経緯があります。

そしてこれは本当に難しい問題です。
一般的にイギリスやアメリカなどのアングロ・サクソンの国は多数代表中心、
欧州各国は比例代表が中心の考え方と言われています。

多数代表は、二大政党制になりやすく意思決定が早いが、少数を犠牲にし独善を招く。
比例代表は連立政党を招き、多用な意見を汲み取るが不安定で意思決定も致命的に遅い…。

果たして日本は、どちらの道に進むのか。
それとも今のような、「選挙制度のデパート」と海外から揶揄されるような
中途半端でどっちつかずの、国から地方まで異なる選挙制度を維持していくのか…。

20世紀で結論が出せなかった議題は、
どうやら21世紀を担う我々の宿題となったようです。


ちなみに長くなるのでまた機会を改めますが、
僕は現時点では比例代表制を支持しています。
これ、本当に本が一冊書ける議論になるのでね…実際書いてる人沢山いるし。。

世間を賑わしたAKB総選挙という祭りは終わってしまったけれど、
その結果を眺めながら時には、政治の選挙に想いを馳せるのもいかがでしょう?

次はA党とK党とB党で政党選挙やって、
比例代表制・拘束名簿式で争ったらどうかな?!

なんてこと言っていると世間からますます疎まれ置いてかれるのであるよ。
嗚呼。

【第4回AKB総選挙】大島優子が1位を奪還
http://news.livedoor.com/article/detail/6632242/

P.S.
板野に5位以内に入って欲しかった。
(知らないよ)

2012/04/15

先日、金融機関勤務の友人と飲んでいた際、熱い話しになりまして。

「(日本の)1000兆円以上の借金なんて、金融の常識として返せるはずがない」
「デフォルト(国家破産)かハイパーインフレか、いずれにせよ破滅的な結果がくる」

そして日本に限らず、先進国諸国の現状を踏まえて

「大衆はお金を使うことしか考えないから、借金ばかりが増える。
 やっぱり民主主義はダメで、独裁だろうとも一部の優秀な人間が
 社会を統治した方がよっぽどマシ!」

と結論づけていました。
飲み会でのヨタ話しなのですが、実は大切なポイントが
いくつか含まれているので、今日はその辺りについてなんか書きたいと思います。

「大衆はバカなので、国民を主権者とする民主主義国家は
 結局のところは衆愚政治になって国家が衰退する」

なる「衆愚論」は、民主主義を否定する論拠として根強く残っています。
そしてそれを裏付けるものとして、

民主主義を採用する先進国は、例外なく財政赤字に陥る

という経済学者ブキャナンが喝破した事実が存在します。
実際現在でも、ほとんどの先進国は赤字です。財政タカ派のドイツでさえ、
常にある程度の借金は抱えて苦しんでいるのが実情です。

何故こうなるのかは、それほど難しい話しではありません。

民衆に政治家を選ばせると、政治家は民衆のご機嫌取りを行う。
民衆は目先のことしか考えないから、短期的に利益をもたらしてくれる、
甘いことを主張しいわゆる「バラマキ」政策を行う政治家を支持する。

当然、財源は有限なので限界はあるはずだが、
「国債発行」という借金の先送りでどんどんバラマキ政策が行われる。
そして国の借金は膨れ上がり、最終的には…?

こうした負の側面を論拠に一部識者が支持するのが、
寡頭制(独裁制を含む)です。愚かな民衆よりも、優秀な頭脳を持ち
長期的なスパンで物事を考えられる一部の人間に社会運営を委ねよう!と。

これは正直、なかなか魅力的な案です。
実際にシンガポールなどいわゆる「開発独裁国」が
順調に成長を遂げていますし、一見正しいようにも見て取れるのです。

しかしながら、結論から申し上げて寡頭制は
民主制より明らかに優れたシステムにはなりえません

なぜなら、たとえ一時期は優秀な人材たちが国を発展させたとしても、
「絶対的な権力は、絶対に腐敗する」からです。

具体的に申し上げると、原因は世襲です。
一度権力を握った権力者は(なぜか)必ず、どこかのタイミングで
自分の血縁者、あるいは息がかかったものにそれを譲渡しようとします。

そして残念ながら、今の権力者がいかに優秀であろうとも、
譲渡先の人物が優秀であるとは限りません。いやどちらかというと、
優秀でない可能性の方が高いとさえ言えます。

権力者が優秀な間が脅威の発展を遂げてきた国が
跡継ぎが愚昧であったため一気に滅亡へと突っ走った例は、
枚挙に暇がないのです。また、年老いた指導者が迷走するケースもありえます。

何が言いたいかと申し上げますと、我々はどこかで必ず
「愚か者のコスト」を払わなければならないということです。

人間は完璧ではありません。
いやそれどころか、大いにミスを犯す存在です。

寡頭制は、優秀な人に権力を収集させ、その「愚か者のコスト」を
極限まで消滅させるシステムです。しかしながら、後を着ぐ人物次第で
一気にそのツケが爆発し、「愚か者のコスト」が最大になるリスクがあります。

翻って民主主義とは、
愚か者のコストを常にちょっとずつ皆で引き受けながら、
その中でもどうにかこうにか世の中をよくしていこうとするシステム
なのです。

人間が完璧な存在ではない以上、このコストを消滅させることは不可能です。
どこかで一気に引き受けるのか、少しずつ常に抱えるのか…

どちらが正しいか、断定はできません。

しかしながら、一部の人間に国の舵取りを任せて
どこかのタイミングで一気にコストが爆発するような社会よりも、
色々ともどかしくてもみんなでコストを分け合う方がよっぽどマシ!

それが文明社会が2000年以上かけてたどり着いた、
「現時点での世界の知見であり結論」であることは間違いないでしょう。

世の中がうまくいかないと、どうしても我々は
一気に社会変革が起こるような出来事に期待してしまいがちです。
大阪維新の会や橋下市長のリーダーシップへの期待も、そんな感情に起因します。

しかしながら、魔法の解決策はやっぱりあるようでないのです。

「愚か者のコスト」を払いながら、
理想と大衆との間で少しずつ世の中を改善していく。

それが21世紀の社会を導いていく、
真の為政者に求められる自覚と資格なのかもしれません。

だからこそ「ノブレス・オブリージュ(高貴なるものの義務)」の精神が
民主主義社会でこそ重要であると僕は思うのだけれども、
長くなるのでこの話しはまたの機会。それでは!

2012/03/09

「EU、上場企業に女性役員登用の義務づけ検討」

という記事が、一昨日の日経朝刊に掲載されました。
ウェブでは有料記事になっており、アクセスできないのですが…

「努力目標だけでは、女性の社会進出が進まない」と業を煮やした欧州議会が
罰則規定をつけることまで視野に入れた法制化を検討し始めるようです。
可決されれば上場企業には、30~40%の登用義務を課されるとのこと。

うーん…

女性の社会進出が進むことは、とても素晴らしいことだと思います。
何せ僕のコラムのサブタイは「女性主導の世界の作り方」だもんで。

欧州でも女性の取締役がなかなか増えず苦労しているようですが、
それでも大抵の国では10%~の比率をKeepしています。
我が国の上場企業の女性役員比率は、なんと0.98%です。

げに恐ろしき、男尊女卑国家。

しかしながら女性の社会進出は、政府が法律を作って縛り、
無理やりに生み出されるもので良いのでしょうか?

政治は、制度や法律を作ることができます。しかしながら、
価値観を押し付けたり、変えたりすることはできません
(正確には、するべきではありません)

例えば、小子化問題。
国家が

「国民は25歳までに結婚して、生涯2名以上の子どもを生む努力をすること!」

と義務づけることには、ほぼすべての人が反対するでしょう。
これは明確に国家による、思想信条の自由への侵害です。

しかし、上記のように企業に登用義務を強いるような政策には
賛否両論が発生し、賛成に回る人もけっこう多いと思います。

ですが程度の差はあっても、やってることの根は同じです。

僕は「小さな政府」を支持する立場の人間です。
国家による経済活動への干渉は必要最小限に抑え、
人々が自由意志で活動できることに史上の価値を置きます。

国家は自由意志で動く国民の活動が円滑になるように、
法律やシステムを整える黒子であるべきです。

働きたい女性が増え、今の法律や制度がその実態に合わなくなってきた。
だから変えましょう!こういう流れが正しい順番のはずです。

女性の活動を制約する法律やシステムはどんどん取っ払うべきですが、
女性の活動を無理強いする政策は、新たな不自由を必ず生み出します

欧州の環境にはそれほど明るくはありませんが、
この法律の導入はあまりにも安易な気がします。

「じゃあ、どーすんのよ!自由に任せるって、今の状況を放っておくの?!」

と言われそうなので、日本については一言。

僕は現状の女性(及び最近の若者)を虐げているのは、雇用の硬直性だと考えています。
終身雇用のサラリーマンとその専業主婦が理想とされる価値観が支持され、
それを反映して制度やシステムが構築されています。

正社員は手厚く保護され、首にすることは事実上できません。
会社に忠誠を近い、長時間残業も厭わない社員の給与が年功序列で上がっていきます。
これが「女性の活動を制約する法律やシステム」の一つです。

以前の記事にも書かせていただいた通り、
労働市場(雇用)の流動化が進み同一の条件ですべての労働者が健全に競争を行えば、
やる気とスキルのある女性は男性以上のパフォーマンスを発揮できると思います。

そしてこの正社員を手厚く守っている「規制」を取っ払う
変革を起こすには、なんだかんだで日本にまだ蔓延している

「終身雇用のサラリーマンと、その専業主婦が理想とされる価値観」

が覆される必要があります。

「やっぱり大企業が安心だよね」
「あたし、働きたくないから家庭に入る」

という人々が大多数では、
制度も法律も変わるはずないのです。

そう、結局のところ

政治は、人々を映す鏡

どこかの優秀な誰かに任せておけば、
いい制度や法律ができて世の中が変わるわけではありません。
また逆に、政治や政治家が悪いから、社会が悪くなるわけでもありません。

この世界を良くするのに近道なんてたぶんなくて、
我々一人ひとりの意識と行動にかかっていると、僕は考えます。

仮に前述の法律が可決されて、表舞台に出てきた欧州の女性たちが得るのは
自由なのでしょうか。それとも、新たな不自由なのでしょうか。

もしも法律という不自由の力なくして、
マイノリティが自由に経済活動できないのならば、
それはそれでとても悲しい現実なのだけれども。ね。

2012/02/11

今日はまず、本のご紹介から。

働きながら、社会を変える。
―ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む / 慎泰俊
http://amzn.to/wf90cy

著者は普通のビジネスパーソン(サラリーマン)でありながら、
「働きながら社会貢献(パートタイムでの社会貢献)」という
新しいライフスタイルを考案し、NPOを立ち上げて活動されている方です。

マイクロファイナンスと教育のLIVING IN PEACE(LIP)
http://www.living-in-peace.org/

フルタイムではなく、自分の本業を持ちながら
いわゆる「空き時間」で子どもの貧困などの社会問題に取り組んでおり、
この本では主に児童養護施設を中心とした問題提起を行なっています。

さて、フツーのサラリーマンであった彼はなぜ
こうした活動に身を投じるようになったのでしょう?

経済学者のジェフリー・サックス氏によると、
極度の貧困、1日1.25ドル未満で暮らす人々を無くすために必要なお金は、
計算すると先進国に住む人々の支出の2.4%分/年に過ぎないそうです。

2.4%!

この数字をどう捉えるかは人によって様々でしょうが
日本のGDPで換算すると、日本のGDPは年間500兆円なので、
日本から12兆円のお金が貧困解決に回れば良いということになります。

12兆円というと到底集まらない気がするけれど、
組織や個人がその所得から2.4%ずつだけ出すだけと言われれば
解決できそうにも見える数字。。

単純に置き換えられるものではありませんが、
これを時間(労力)として考えてみたらどうでしょう?

24時間のうち2.4%なら、1日たったの35分。
人々が一日のうち半時間だけでも、社会問題解決のために動いたら…?
全員が難しいとしたら、じゃあ一部の人が1日2時間でも、社会貢献に時間を当てたら…?

アフター5や週末だけでも、真剣に社会問題にコミットする10%の時間は捻出できる。
そんな「パートタイム社会貢献」が増えて、全体の2.4%に到達すれば、
働きながらでも貧困を解決することができるのではないか?!

これが彼が、「パートタイム社会貢献」という発想にたどり着き
積極的な活動を始めた一つの動機だったそうです。
(あとの詳細は本をお読み下さい)(丸投げ)

著者の考えには色々と感銘を受ける部分が多かったのですが、
この2.4%という着眼点と発想は非常に素晴らしいと思います。

我々はいつも

「忙しい、忙しい」

と言って目先のことに夢中になり、
政治や社会問題から目を背けがちです。

「自分以外の誰かがやるだろう」
「こんな社会に誰がした!」

と言いながら、いつしか何も変えられないまま歳を重ねていく。
でも、本当にそれでいいのでしょうか?

朝寝坊する時間。飲み会で過ごす時間。なんとなくグダグダと流れる時間。
そうしたものを少しだけ、2.4%だけ社会のために使えないものでしょうか?

-世の中は、だれか一人の英雄によって変わるものではないけれど、
みんなが少しずつ変わることによって、ゆっくりと、でも確実に変化する。-
(本文より)

少しだけストレッチして、今の生活にない部分に手を伸ばすこと。
「政治」や「社会」に関わることは敷居が高いのかもしれないけれど、
その2.4%はひょっとしたら「投票に行くこと」なのかもしれませんね!

…と、強引に政治と結びつけて結論してみる。
(選挙の手間を考えると、本当に2.4%くらいかもしれないと思ったり)

さて、せっかくなので本書が触れている
子どもの貧困についても一言。

本書の中での問題提起として、子どもに対する社会保障の支出額が
先進国の中でGDP比ワースト2位(老人保障大国!)であること
なども
子どもの貧困の原因として取り上げられていますが、

中でも個人的に僕が最大の問題だと思うのはやはり、
母子家庭の貧困です。

先日も産経新聞にこんな記事が出たばかりです。↓

単身女性32%が「貧困」 男性は25% 20~64歳、国立研究所分析
http://bit.ly/zvcoKI

「なんだ、たった7%差か」とも見えますが、
これが母子家庭になると、なんと貧困率は48%に跳ね上がります

子どもが児童養護施設に送られてしまう理由は様々です。
けれどもやはり、経済的な要因がその中核となっているケースが多いと思います。
虐待や病気などは、親の貧困が原因となっていることが用意に想像できるからです。

母親が貧しいと、その子どもも貧しくなる。
悲しいくらいわかりやすい、貧困が再生産されるロジックです。

であれば、子どもの貧困解決の「ボーリングのセンターピン」は
女性の貧困を解決することだと、個人的に僕は思っています。

妊婦や子持ちになった女性が就労機会を奪われ、
所得が低下していくことが当たり前になっている日本社会。
これを打ち破らなければ、日本に明るい未来はありません。

「女性が真に力を発揮する社会」作りを目指すものとして(プロフィール参照)、
こうした問題に対する提起や政策提言を本コラムで行なっていけるよう
これからも自分の「2.4%」を捧げていきたいと思う次第です。

みなさんもぜひ、自分が捧げる「2.4%(1日30分!)」を見つけて下さい。
それでは、また次回。

2011/12/21

いかに最近の若者が政治に関心が薄いとはいえ、
みなさんの周りにも一人くらいはやたら熱く政治や社会を語るキャラがいると思います。
そういう人って、周囲からどう思われているでしょう??

ズバリ、「めんどくさいヤツ」ではないでしょうか。

そんな疑問を持ったわたくしオトキタも最近、敢えて飲み会で政治を語るという
社会実験(?)をしばらく続けてみた結果、順調に周囲からは

「彼って面白いけど、ちょっとめんどくさいよね」

という評価をいただいていると耳にしました!(号泣)
ぐーれーてーやーるー

僕も若者の政治参加や投票を促進すべくコラムを書いているわけですが、
若者が政治から離れている原因として挙げられる

「腐敗した政治に絶望している」
「高齢者の方が多いため諦めてしまっている」
「政治に関心を持たせない教育が悪い」

などは、すべて言い訳だと思います。
はっきりいって一番は「めんどくさいから」です。

ではなぜ、「めんどくさい」と思ってしまうのでしょうか。
政治や選挙が大切だということはみんなわかっているはずなのに、です(多分)。

端的に言えば、いま僕たち若者世代にはほとんど危機感がありません。
社会学者の古市憲寿氏の調査によると、若者のなんと7割が

「現状に満足している(不満はない)」

と感じているそうです。
若者の閉塞感が、これほど叫ばれる世の中において!
(ただし、不安を抱く若者は増加傾向のようですが、これはまた後日)

この事実を知った時、僕は色々なものがストンと腑に落ちました。
なぜ若者は不満を持たないのか。現状を変えようとしないのか。

まず第一に、僕ら若者世代は現状ではかなり恵まれているということです。
大半の人が幼少のころから着るものにも食べるものにも困らず、高等教育を受け、
物心ついたときにはクーラーやパソコン、インターネットが当たり前にありました。

一部の若者たちが

「既得権益層だ!持っているリソースを手放せ!」
「経済成長の恩恵を享受するだけして逃げようとしている!卑怯だ!」

と憤る団塊の世代と比べても、
現状だけ見ればとても恵まれた青春時代を送っています。

そして第二にその「恵み」が実は、
まさにその団塊の世代の親たちによってもたらされていることです

団塊の世代の親たちが建てた家で育ち、彼らの所得によって学校に通い、
携帯電話やインターネットを自在に使いこなして遊ぶ。

この時点で若者はすでに唾棄すべき大人たち、いわゆる「既得権益層」の共犯者であり、
心のどこかでその事実を感じ取っているのではないでしょうか。

つまり今の若者は自分の親世代、「既得権益層」が豊かである限り、
そのリソースにあやかってそれなりに幸福な毎日を送れてしまっています。

もう少しだけこの立場を手放したくない、先行きの短い既得権益層。
そして彼らのおこぼれにあずかっている限り、それなりに幸福な若者たち。

この二つの利害が見事に重なりあって、「現状維持」を選択し続けているのが
まさに今の日本社会であり政治の姿なのですね。

そりゃあぬるま湯に使っていれば楽ですし、
今の状態を変えるのは「めんどくさい」ことでしょう。

しかし当然のことながら、こんな状態が長く続くはずがありません。

割けられぬ運命として、人は年をとるからです。
やがて既得権益層は死に、そのリソース(資源)とともに社会から消え去ります。
いや消える前に医療費や介護費で、そのリソースを食いつぶすかもしれません。

いずれにせよその時はじめて、恩恵にあずかっていた「若者」たちに危機が訪れるでしょう。

その頃には当然の帰結として、「若者」であった層も50代、60代になっています。
そして、次の『若者』たちにこう言われるのです。

「こんな社会に誰がした!」
「こうなるとわかっていて、どうして何もしなかった?!」

「めんどくさい」に劇的な処方箋はありません。
僕が今このコラムでできることは現状を示し、リアルな未来を想像する手助けをすることです。

今の我々(若者世代)は、政治の腐敗に絶望し、既得権益層に憤り、
何もしてこなかった大人たちに侮蔑の目を投げつけています。

「こんな社会に『誰が』した」
「『誰か』早くなんとかしろ」

とぬるま湯に浸かりながら叫び、主体性も危機感もなく、
いわば幸福な「その日暮らし」にそれなりに満足して過ごしています。

この態度は果たして、我々の未来に何をもたらすのでしょう。

今の大人たちが既得権益を吸って問題を先送りしたように、
我々も「めんどくさい」と言ってすべてを先送りしようとしているのかもしれません。

自分の子供たちに、

「あんたらがナマクラだったから、日本がダメになっちまったんだよ!」

と詰め寄られる姿をリアルに想像して見てください。

政治に参加するのは、めんどくさいですか?
政治を語る人は、めんどくさいヤツですか?

2011/12/13

2011年の国会が閉会しました。

色々と理由はあるのでしょうが、結局民主党政権は
公務員の給料も国会議員の数も削減できず、国民IDも導入できず、
増税も歳出削減の方策も打ち出すことはできませんでした。

「政権は少なくとも2年くらい見てから判断するべき」

という僕も少々…いや、かなりの先行き不安と不満を感じざるを得ません。
結局、将来にツケの回ることはそのまま放置されて新たな年を迎えることになりそうです。
そんな中、年の暮れにふと思いだしたのが、とある政治家です。

そう、第87~89代内閣総理大臣 小泉純一郎

僕ら若者世代が生きてきた中で唯一、日本に可能性が見えた時期。
そのとき国のリーダーシップを取っていたのは、言わずと知れた彼でした。

僕の周囲の所謂若者世代には、彼はいまだにもっとも人気のある政治家と断言できるでしょう。
もちろん単に景気が良かった、決断力があった、演説がうまかったなど
漠然とした理由で好感を持っている方も多いと思います。

しかし我々若者世代は、特に政治に関心が高い者でなくても、
彼が強く持っていた信念をなんとなく感じ取っていたのではないでしょうか。
そう、

将来世代にツケを回さない

という、当たり前のようでこれまで誰もできなかった、
そしてまた今ふたたび誰もできていないことです。

僕はこれまで数多くの政治演説を聞いてきましたが、
彼の総理大臣就任演説を超えるものを寡聞にして知りません。
その中でもっとも印象的なのは、「米百俵」と言われるエピソードを引用した締めの部分です。

全文をそのまま引用しましょう。

明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。
米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。

しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、
明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。その結果、設立された国漢学校は、
後に多くの人材を育て上げることとなったのです。

今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、
改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。

新世紀を迎え、日本が希望に満ち溢れた未来を創造できるか否かは、
国民一人ひとりの、改革に立ち向かう志と決意にかかっています。

そして彼はこの言葉の通り、明日のために今の痛みに耐える施策を、
郵政民営化や多くの規制緩和案、そして聖域と言われる社会保障費の抑制に乗り出しました。

「格差が拡大した」

などの(僕から見れば的外れな)批判を浴びながら
それでも彼が若者世代を中心に彼が圧倒的な支持を得たのは、
本物の理念とそれを断行する覚悟に、我々がどこか惹かれていたからではないでしょうか

翻って、今の為政者たちはどうでしょう。

同じく「大物」と称される小沢一郎氏。
消費税増税に断固として反対し、民主党内で署名を集める動きもあるそうです。

彼の行動に、考えに、小泉元首相のような「将来を思う」気持ちが感じられるでしょうか?
増税に反対する名目で持ち出される「国民」「民意」は、いったい誰のことをさしているのでしょうか?

その中に、選挙権のない子供たちが入っているとは、僕にはどうしても思えません。

今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』。
少なくとも今まだ若い我々だけは、いつまでも失わないで保ち続けたいものですね。

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