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2013/10/21

少し前のニュースになってしまい恐縮ですが、
アベノミクス第三の矢「成長戦略」の最重要項目、
『規制緩和』が早くも後退を強いられております。

雇用規制緩和特区、断念へ…厚労省の反発に配慮
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20131016-OYT1T01460.htm

安倍首相のやろうとしていた国家戦略特区では、
解雇や労働時間に関する規制緩和を行うという労働市場の流動化に寄与するもので、
細かな制度設計に異論はありますが今後の成長戦略に欠かせない試みです。

以前にギャップイヤーを取り上げた記事の中でも言及したことがありますが、
日本の労働規制は確実に経済の活力と若者の雇用を奪い取っています

「正社員になったら、事実上解雇されない」
「一度上がった正社員の賃金は、よほどのことがない限り下げられない」

こんなルールがあったら、ちょっとアベノミクス効果で目先の
景気が良くなったからといって、経営者が新しく正社員を増やしたり、
賃金を気前よく上げてあげたいと思うでしょうか?

無理ですよね。

いつ悪くなるかわからない経済状況の中で、
一度あがったら下げられない賃金を上げる人はいません。
正社員登用にだって、もちろん慎重になります。

結果、そうした縛りのない派遣社員が
調整弁として使われるだけですから、

金融緩和で目先の景気が回復

でも企業は雇用や賃上げには慎重

「なんだ、景気回復してねーじゃん!」「家計には実感できない」

人々の期待が萎み、景気悪化

という道をたどることになります。
金融緩和はカンフル剤に過ぎませんから(レッドブルみたいなものです)、
その後に続く規制緩和とセットであることが大前提なのです。

にも関わらず、安倍首相は

全国一律でないと不公平が生じる

などという厚労省の言い分に配慮をして、
規制緩和を事実上見送る方向性に舵を切っているようです。

この厚労省の言い分は、そもそも中央集権制度が限界にきていて
「全国一律」というシステムが破綻しつつあるのですから、
時代の流れに逆行する二重の意味で最悪の主張です。

・全国一律ではなく、地域の特色を活かした政策を実施していく
・雇用規制を緩和し、労働市場を流動化させ経済をドライブしていく

どちらの点から見ても、安倍首相のやろうとしていたことは正しいのです。
それに反対したのは「解雇特区」などとネーミングをして扇動したマスコミと、
左派政党の野党たちです。

彼らが誰の権益を守ろうとしているのか、
ぜひもう一度考えて見てください。

労働市場が硬直化してもっとも割を食っているのは、言うまでもなく若者です。
企業は年配の正社員を解雇するためには、新卒採用を停止しなければいけません。
若者は職を失い、正社員は定年まで会社に居残り、退職金をたっぷりもらってゆっくり退場する。

またこの一度乗ったら降りられない(降りることを許さない)
「正社員というレール」が、産休・育休を必要とする女性たちの
キャリアを阻害している
ことも見逃せないポイントです。

逃げ切りを図る特権階級の「正社員」たちを守ろうとするあまり、
特区の設立すら足を引っ張ったことで、労働市場改革がまた
何年も遅れたことは間違いがありません。

私は世代間格差の観点からも、経済成長の観点からも、
地域主権の観点からも、女性活用の観点からも、労働市場の流動化を主張し続けます。

ぜひアベノミクスが打ち上げ花火で終わらないよう
安倍首相にももう一度、ネジの巻き直しを計っていただきたいと思います。

それでは、また次回。

2012/02/19

若者の年金離れが進んでいます。

国民年金の納付率は6割程度になり、
若者(20代)の半分以上は年金を払っていないという
衝撃的なデータも算出されています。

…なんて書くとニュースの中の出来事なんですが、
僕のごく身近にも少なからず未納者がいたという(!)
衝撃の事実が発覚したので、今日は年金についてなんか書きたいと思います。

◆そもそも「年金」とは何か?◆

年金年金というけど、これって一体なんじゃらほい?

「お年寄りになるともらえるもの」
「そのために、若いうちから年金を納めなきゃいけない」

ということはもちろん誰もがご存知かと思いますが、
その本質は以外と理解されていないのではないでしょうか。

「年金」とは、端的に言えば「長生き保険」なのです。

「老後にお金なんかもらえなくても、自分の面倒くらい自分で見たいよ」
「貯金をしっかりしておけば大丈夫でしょ?」

という考えの方は少なくないと思います。
が、かなり年収が高くしっかりと老後に向けて貯蓄ができた人も
うっかり(?!)120歳まで生きてしまったら、どうなるでしょう?

どれだけ貯蓄をしていても、生活を切り詰めたとしても、
引退してから60年分の生活費を蓄えておくことはほぼ不可能です。
120歳は言い過ぎでも、100歳でもほとんど無理でしょう。

この「万が一、自分の想定よりはるかに長生きしてしまった」時のため
『保険』として保険料を払っておき、死ぬまで毎年定額がもらえるというのが
「年金」の本質です。

考え方は、自動車保険や生命保険とまったく一緒です。

みんな保険料を払いますが、病気や事故と無縁の人もいます。
そうした人たちからも集めて運用してある保険料で、
病気や事故になってしまった人たちの金銭を工面する。

年金なら、60歳でなくなる人も80歳でなくなる人もいます。
60歳でなくなった人は年金は一切もらえませんが、そうした原資で
「長生きしてしまった人」を支える。これが年金の「正体」なのですね。

じゃあなんで、「世代間の不公平」が生まれているのでしょう??

自動車保険や生命保険で、世代によって有利不利が生じるなんて話しは
聞いたことがないですよね。

この原因は多岐に渡りまして、

・年金が積立方式ではなく、現在の若者からの保険料で
 高齢者を支える「賦課方式」になし崩し的に移行したこと
・少子高齢化が予想をはるかに上回るスピードで進行していること
・高度経済成長期に、政治家が調子に乗って支給額を上げまくったこと

などなど、これだけで本が一冊書けてしまいます…。
ので、とりあえず

今の年金は、若者世代に著しく不利!

ということを結論&前提とした上で、話しを進めます。

それでもなお僕は、若者も年金はきっちり納めるべきだと考えます。
(ちなみに未納という選択ができるのは「国民年金」対象者のフリーターや自営業者で、
サラリーマンは強制的にお給料から引かれてます。ご安心(?)を!)

まず第一に、前述のように年金は「長生き保険」だからです。
年金を払わない理由としては主に

「どうせ年金は破綻して、もらえない」
「自分で老後のために貯蓄しておけばオーケー」
「いざとなれば、生活保護に頼ればいい」

などが挙げられます。
しかし、この理屈はどれも破綻しています。

先程も述べた通り、予想外に長生きする事態に対して
貯蓄でなんとかするということは困難を極めます。

また、「生活保護に頼ればいい」というのもおかしな話しです。
年金とは、社会保障の最も大きな柱です。年金が破綻するようなことになれば、
それは「=国家の破綻」であり、その時には当然生活保護など機能していません

「民間の年金保険に加入する」というのは一つの選択肢としてありますが、
運用利回りはかなり悪く、また保険会社が数十年後まで存続するかなど
誰にも測り知ることはできません。

単純に、現時点で年金を納めないことは
「分の悪い賭け」であると言えます。

第二は、年金の社会的・道徳的意義です。

年金とは、「働けなくなったお年寄りを社会で支える」という
古今東西どんな国・社会でも逃れられない役割を一身に背負う制度です。

日本で公的年金がスタートしたのは1942年ですが、
それまでの日本社会はどのようにお年寄りを支えていたのでしょう。
そう、基本的に親と同居をし、老後の面倒は家族でみていたのです。

しかしながら、産業構造の変化で都市化・核家族化が進み、
親と最後まで同居して老後の面倒を見ることは困難になります。

同居しなくても、金銭面でバックアップできればいいかもしれません。
年配の方を一人支えるのにも、医療費や生活費で年間100~200万程度はかかります。
ですが現在、子どもから老後の親への仕送り平均額は年間15万円程度だそうです。

つまり年金とは、

「もう家族で老後の面倒を見るのは限界だ。国がなんとかしてくれ!」

という、我々国民からの社会的要請で誕生した側面が否定できないのです。
現状、いくら不公平が生じているとはいえ、現役世代の納める年金で
たくさんの年配の方々の生活が支えられているのは事実です。

確信犯的に年金を未納しているとすれば、それは
「老人は全員、姥捨て山に捨てればいい」
と思っているのと同義であるとも言えます。

そして最後の理由は、
年金を納めるのは法律で義務付けられているからです。

身も蓋もない話しですが、不公正や負担を理由に未納を正当化するのは、
選挙に行かずデモに参加をして文句を言うのと同じことではないでしょうか。

現状に異議があるなら、まず制度の中での改革を訴えかけるのが筋であり、
いくら自分たちに不利だからといってボイコットしていいものでは決して無いのです。

以上から鑑みると、仮に未納をして許される人がいるとすれば
(まあ、いないんですけど)

・自分で老後に備えて蓄え、また民間の年金保険にも加入している
・少なくとも身近な老人(両親や親族)の面倒は、
 金銭的な負担も含めて死ぬまで自分が見るという覚悟がある

方に限られると思います。

が、大半の未納者の方々はそこまで考えていないでしょうし、
年金制度の破綻を本気で信じているか、目先の金銭欲しさに
年金を払っていないのが現実でしょう。

※なお、金銭的な事情で年金が納められない方は
当然のことながら免除や減額などの措置も充実しておりますので、
ほったらかしに(未納状態に)せず、まずはお近くの年金窓口に相談してみましょう!

もちろん、現行の若者世代に不利な年金制度が
そのままでいいなどとは、僕も思っていません。

改革の手段としては、

・支給額を徐々にカットし、上の世代にも負担していただく
・世代間の不利が生じない、積立制度に全面的に移行する
・公的年金は廃止、民間の保険に加入を義務づける(自動車の自賠責保険と一緒)

などの選択肢が考えられます。
最近では、大阪維新の会が「年金掛け捨て制度」を提案していますね。

いずれにせよ、年金の社会的意義をしっかりと理解し、
決められたルールの中で改革に取り組むことが重要だと、僕は思います。

長くなりましたが、われわれ若者世代も

「まだ関係ないな」
「知らなかった!」

では済まされない年金制度。
少しでも皆さまの興味を引き、知識となれば幸いです。

そしてお年寄りを支える制度が健全なものとなり、
自分たちが歳を重ねても安心して暮らしていける国を作るため、
参政権を駆使してしっかりと政治に働きかけていきましょう!

それでは、また次回。

2012/01/28

政府・与党が予想に反して今月6日の素案をまとめあげ、
「社会保障と税の一体改革」として増税がやや現実味を帯びつつあります。

以前の記事に書いた通り、
僕は消費税の増税を一概に否定する立場ではありません。

日本の財政は火の車であり、国債の乱発は将来世代への借金でしかありません。
全世代から薄く広く徴収できる消費税は、増税としてはベターな選択肢です。
http://www.junkstage.com/syun/?p=46

しかしそれは、その増税分で財政再建をして将来世代へのツケを減らすか
震災の復興財源に当てるなど、将来への投資として有効に活用されるというのが大前提です。

その観点から見ると、今回の「一体改革」は最悪の一言です。
ポイントは、消費税を「社会保障目的税」とする部分です。

「目的税」というのは、その目的の財源となることが約束されることです。
今回政府・与党は消費税の増税分を「社会保障(=福祉、医療、年金等)」に当て、
社会保障制度の継続性と高め、さらに充実させることを目的としています。

しかしながら、現在の社会保障制度が欠陥だらけであり、
継続性などないことはどうみても明らかです。

必要以上に多額の公費(税金)が投入されている医療。
賦課方式で、世代間の公平性を著しく欠く年金制度。

現在、社会保障分野の不足財源は10兆円と言われています。
理屈としては、1%につき約2兆円の財源となる消費税を5%と上げることで
この不足分をカバーするための「目的税化」するということになっています。

しかしながら、この分野に必要な金額は毎年1兆円以上のペースで増えています。
少子高齢化が2070年頃まで続くと予想される日本では、現在の社会保障を維持しようとする限り
このペースが上がることはあっても下がることはありえません。

とすれば、消費税を社会保障の「目的税」とする限り、
この上昇ペースに伴って消費税はずっと上がり続けます。
それが2070年まで続くと…消費税は何%になるのでしょう??

そうならないために、持続可能な社会保障制度を構築する、「一体改革」が
今回の目玉だったはずですが、まとまった素案でその内容は大変お粗末です。

高齢者の医療費一部負担や、年金受給開始年齢の引き上げなど
少しでも「痛み」を伴い社会保障が削られる内容は、すべて素案から消え去りました

むしろそのかわり、低所得者への年金支給額の増額や、年金受給条件となる
納付期間の短縮(25年→10年)など、さらなるバラマキ施策が満載されたのです。
国民に増税の理解を得るためとはいえ、こんな制度がいつまで続けられるのでしょうか?

世代間格差を拡大させ続けている、現在の社会保障制度を維持するための
消費税の「社会保障目的税化」に、僕は断固として反対です

なお将来世代への「エサ」として、増税分を子育て支援に当てると
某厚労省大臣がおっしゃっておりますが、これも完全なる欺瞞です。

次回は民主党のウソフェストの一つである「こども園」からみる
子育て支援施策の失策について論じることにしましょう。

それでは!

2012/01/08

「職業選択の自由、人生選択も自由」
http://www.sony.co.jp/SonyInfo/Jobs/newgrads/concept/contents1.html

今年のソニーの新卒採用スタンスがネット上で話題になっています。
端的に言うと、

「来年3月に卒業する学生のみの一括採用をやめて、
 卒業から3年以内の学生をすべて「新卒」とみなして採用活動する」

というもの。
この制度は海外では「Gap Year(ギャップ・イヤー)」として知られており、
日本よりはかなり一般的のようです。

実は僕が学生のとき(6年前)にも少しだけ話題になった時期がありまして、
「日本にもギャップイヤーを!」という運動をしていた団体もあったのですが(今もあるけど)、
その時は今ほど話題にならず、ソニーのような企業も現れず、その動きは沈静化しました。

ギャップイヤーをどう思うかと言われれば、もちろん賛成です。
そもそも「新卒一括採用」というシステム自体が極めて日本的で特異なシステムですし、
多様性という観点からもこうしたキャリアの選び方は推奨されるべきだと思います。

しかし、一部で盛り上がっているような

「革命的な制度だ!」
「ギャップイヤーこそが、働き方を変える!」

というのは、少し違うと感じています。
ギャップイヤーが重要なものであるのは間違いありませんが、
厳しい見方をすれば多岐に渡る労働問題の各論の一つに過ぎません

この「ギャップイヤー」という制度を初めて聞いたとき、僕は何かに似てるなと思いました。
何と似ているのでしょう?

そう、産休(育休)を取得する女性のキャリアです。

ギャップイヤーの要点は、一本のレールに縛られず、
少しくらい寄り道や空白期間があっても、そこで得てきた経験を
仕事に活かしてキャリアを築こう!というもの
です。

この考えを何よりも求めてきたのは、出産を希望する女性たちでしょう。
欧米では、妊娠・出産をきっかけに退職するものの、子育て期間で貴重な経験を積み、
また違う企業に(日本でいうところの正社員として)再就職することも珍しくありません。

ところが日本では、キャリアの空白は許されません。
妊娠を機に退職すれば、ほとんどの人は再度働くとしてもパートタイマー。
子持ちの女性が正社員として再就職することは、極めて難しいのが現実です。

もともといる企業に残ったとしても、あってはならないことですが、
妊娠・出産前と同様のキャリアを築いていくことは難しくなります。
一戦から退いた期間を理由に閑職に回される例は、枚挙に暇がありません。

ことほど左様に日本の労働市場は、「道から外れる」ことを極端に嫌います。

大学生は卒業したら、正社員として企業にすぐ入る。そして、定年まで過不足なく勤め上げる。
一度でもその「正社員」というレールから外れたら、元に戻るのは極めて厳しい。
転職も留学もダメ。産休取得にも、目に見えないプレッシャーがかけられる…。

そう、つまり最大の問題点は、労働市場が硬直化していることなのです。
転職や退職、そして再就職という「流れ(流動性)」がしっかりと確保されることが、
これからグローバル化・多様性の時代に何より求められていることです。

であれば、このキャリア・労働問題における「ボーリングのセンターピン」はどこか?
僕は「解雇規制の緩和(≒正社員特権の剥奪)」だと考えます。

何度か本コラムでも言及しましたが、日本は正社員の待遇が手厚すぎ、既得権益化しています
有名な「整理解雇の四要件」のように、いちど正社員という「身分」を獲得すれば、
(法的には)企業はまずその従業員を解雇することができません。

高度経済成長期に日本を支えたこの「終身雇用を前提とする仕組み」は、
しかし、限界を迎えていることは明らかです。

これからはその状況と必要に応じて、人材を流動化していかなければなりません。
「企業が簡単に人をクビにできる」と言えば聞こえが悪いですが、転職が一般的になれば、
そもそも一つの企業に拘泥する理由もなくなるでしょう。

左派政党は派遣社員の正社員化などを主張しますが、逆です。
乱暴な言い方をすれば、「同一賃金、同一労働」の大原則に基づき
すべての人々が派遣社員になると考えれば良いのです。

そこで生まれるのは、健全な競争です。
必要なスキルを持った人が、必要とされる場所で働く。
それが終われば出ていく。また新しいニーズのあるところに異動する。

「レール」はなくなり、ギャップイヤーだろうが産休だろうが自由。
大事なのは紙の上での経歴や「正社員」などという肩書きではなく、
本当の意味での『経験』やその人が持つスキルになる…。

これが、硬直化した今の日本を活性化させる、
ほとんど唯一無二の方策だと言えるでしょう。

話を元に戻します。

労働市場が硬直化してもっとも割を食っているのは、言うまでもなく学生(若者)です。
企業はオジサンたちを解雇するためには、新卒採用を停止しなければいけません。
若者は職を失い、正社員は定年まで会社に居残り、退職金をたっぷりもらってゆっくり退場する。

こうした状況下で、「新卒」という枠ではすでに3割以上が職を得られない中、
出てきた悲鳴のような叫びが「ギャップイヤー」なのではないでしょうか

しかしながら述べてきたように、根本的な問題は内部にあります。
いくら入り口で改革(ギャップイヤー)を叫んでも、出口(解雇規制)をしっかり開けなければ、
行き詰まってしまうことは残念ながら目に見えています。

それでもこれは、大きなチャンスです。

この日本の硬直化したシステムは、特に出産を考える女性たちにとって、
これまでも決して小さくない問題でした。しかしそれは単に「問題のごく一部」として扱われ、
大きく社会問題化することも話題に取り上げられることも、あまり多くありませんでした。

この労働市場の問題が若者全体にまで波及したことで、
いま社会はこれまでにないほどこの問題に注目を集めています。

それが今回、ソニーが話題にのぼっている理由の一端だと思います。

就職難も、ギャップイヤーも、産休取得困難も、再就職難も、すべての根幹は一緒です。
若者や女性たち、利害関係者は一致団結して、「正社員」という特権にNOを突きつけて、
労働市場の流動化を進めるべく声をあげていくべきではないでしょうか。

…なんか終盤が市民団体のスローガンみたくなっていまいましたが、
最後に英国王立員会の発言を引用して終わりにしたいと思います。

「若者が減る社会は危険なほど革新的でなくなり、
 技術や豊かさ、知識や芸術面でも遅れを取る」
 (英国王立委員会報告/1949)

若者たちの就職難や、女性のキャリア問題も解決して、
彼らが持っている本来の力を発揮できる社会を創っていく。
願うだけではなく、自らも主体性をもってこうした問題に取り組んでいく1年にしたいと思います。

というわけで、今さらながら明けましておめでとうございます!
何気にtwitterやFacebookのリアクションを楽しみにしてますので、
本年もオトキタ並びに本コラムを、どうぞ宜しくお願い致します。

敬具

2011/12/21

いかに最近の若者が政治に関心が薄いとはいえ、
みなさんの周りにも一人くらいはやたら熱く政治や社会を語るキャラがいると思います。
そういう人って、周囲からどう思われているでしょう??

ズバリ、「めんどくさいヤツ」ではないでしょうか。

そんな疑問を持ったわたくしオトキタも最近、敢えて飲み会で政治を語るという
社会実験(?)をしばらく続けてみた結果、順調に周囲からは

「彼って面白いけど、ちょっとめんどくさいよね」

という評価をいただいていると耳にしました!(号泣)
ぐーれーてーやーるー

僕も若者の政治参加や投票を促進すべくコラムを書いているわけですが、
若者が政治から離れている原因として挙げられる

「腐敗した政治に絶望している」
「高齢者の方が多いため諦めてしまっている」
「政治に関心を持たせない教育が悪い」

などは、すべて言い訳だと思います。
はっきりいって一番は「めんどくさいから」です。

ではなぜ、「めんどくさい」と思ってしまうのでしょうか。
政治や選挙が大切だということはみんなわかっているはずなのに、です(多分)。

端的に言えば、いま僕たち若者世代にはほとんど危機感がありません。
社会学者の古市憲寿氏の調査によると、若者のなんと7割が

「現状に満足している(不満はない)」

と感じているそうです。
若者の閉塞感が、これほど叫ばれる世の中において!
(ただし、不安を抱く若者は増加傾向のようですが、これはまた後日)

この事実を知った時、僕は色々なものがストンと腑に落ちました。
なぜ若者は不満を持たないのか。現状を変えようとしないのか。

まず第一に、僕ら若者世代は現状ではかなり恵まれているということです。
大半の人が幼少のころから着るものにも食べるものにも困らず、高等教育を受け、
物心ついたときにはクーラーやパソコン、インターネットが当たり前にありました。

一部の若者たちが

「既得権益層だ!持っているリソースを手放せ!」
「経済成長の恩恵を享受するだけして逃げようとしている!卑怯だ!」

と憤る団塊の世代と比べても、
現状だけ見ればとても恵まれた青春時代を送っています。

そして第二にその「恵み」が実は、
まさにその団塊の世代の親たちによってもたらされていることです

団塊の世代の親たちが建てた家で育ち、彼らの所得によって学校に通い、
携帯電話やインターネットを自在に使いこなして遊ぶ。

この時点で若者はすでに唾棄すべき大人たち、いわゆる「既得権益層」の共犯者であり、
心のどこかでその事実を感じ取っているのではないでしょうか。

つまり今の若者は自分の親世代、「既得権益層」が豊かである限り、
そのリソースにあやかってそれなりに幸福な毎日を送れてしまっています。

もう少しだけこの立場を手放したくない、先行きの短い既得権益層。
そして彼らのおこぼれにあずかっている限り、それなりに幸福な若者たち。

この二つの利害が見事に重なりあって、「現状維持」を選択し続けているのが
まさに今の日本社会であり政治の姿なのですね。

そりゃあぬるま湯に使っていれば楽ですし、
今の状態を変えるのは「めんどくさい」ことでしょう。

しかし当然のことながら、こんな状態が長く続くはずがありません。

割けられぬ運命として、人は年をとるからです。
やがて既得権益層は死に、そのリソース(資源)とともに社会から消え去ります。
いや消える前に医療費や介護費で、そのリソースを食いつぶすかもしれません。

いずれにせよその時はじめて、恩恵にあずかっていた「若者」たちに危機が訪れるでしょう。

その頃には当然の帰結として、「若者」であった層も50代、60代になっています。
そして、次の『若者』たちにこう言われるのです。

「こんな社会に誰がした!」
「こうなるとわかっていて、どうして何もしなかった?!」

「めんどくさい」に劇的な処方箋はありません。
僕が今このコラムでできることは現状を示し、リアルな未来を想像する手助けをすることです。

今の我々(若者世代)は、政治の腐敗に絶望し、既得権益層に憤り、
何もしてこなかった大人たちに侮蔑の目を投げつけています。

「こんな社会に『誰が』した」
「『誰か』早くなんとかしろ」

とぬるま湯に浸かりながら叫び、主体性も危機感もなく、
いわば幸福な「その日暮らし」にそれなりに満足して過ごしています。

この態度は果たして、我々の未来に何をもたらすのでしょう。

今の大人たちが既得権益を吸って問題を先送りしたように、
我々も「めんどくさい」と言ってすべてを先送りしようとしているのかもしれません。

自分の子供たちに、

「あんたらがナマクラだったから、日本がダメになっちまったんだよ!」

と詰め寄られる姿をリアルに想像して見てください。

政治に参加するのは、めんどくさいですか?
政治を語る人は、めんどくさいヤツですか?

2011/12/13

2011年の国会が閉会しました。

色々と理由はあるのでしょうが、結局民主党政権は
公務員の給料も国会議員の数も削減できず、国民IDも導入できず、
増税も歳出削減の方策も打ち出すことはできませんでした。

「政権は少なくとも2年くらい見てから判断するべき」

という僕も少々…いや、かなりの先行き不安と不満を感じざるを得ません。
結局、将来にツケの回ることはそのまま放置されて新たな年を迎えることになりそうです。
そんな中、年の暮れにふと思いだしたのが、とある政治家です。

そう、第87~89代内閣総理大臣 小泉純一郎

僕ら若者世代が生きてきた中で唯一、日本に可能性が見えた時期。
そのとき国のリーダーシップを取っていたのは、言わずと知れた彼でした。

僕の周囲の所謂若者世代には、彼はいまだにもっとも人気のある政治家と断言できるでしょう。
もちろん単に景気が良かった、決断力があった、演説がうまかったなど
漠然とした理由で好感を持っている方も多いと思います。

しかし我々若者世代は、特に政治に関心が高い者でなくても、
彼が強く持っていた信念をなんとなく感じ取っていたのではないでしょうか。
そう、

将来世代にツケを回さない

という、当たり前のようでこれまで誰もできなかった、
そしてまた今ふたたび誰もできていないことです。

僕はこれまで数多くの政治演説を聞いてきましたが、
彼の総理大臣就任演説を超えるものを寡聞にして知りません。
その中でもっとも印象的なのは、「米百俵」と言われるエピソードを引用した締めの部分です。

全文をそのまま引用しましょう。

明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。
米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。

しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、
明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。その結果、設立された国漢学校は、
後に多くの人材を育て上げることとなったのです。

今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、
改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。

新世紀を迎え、日本が希望に満ち溢れた未来を創造できるか否かは、
国民一人ひとりの、改革に立ち向かう志と決意にかかっています。

そして彼はこの言葉の通り、明日のために今の痛みに耐える施策を、
郵政民営化や多くの規制緩和案、そして聖域と言われる社会保障費の抑制に乗り出しました。

「格差が拡大した」

などの(僕から見れば的外れな)批判を浴びながら
それでも彼が若者世代を中心に彼が圧倒的な支持を得たのは、
本物の理念とそれを断行する覚悟に、我々がどこか惹かれていたからではないでしょうか

翻って、今の為政者たちはどうでしょう。

同じく「大物」と称される小沢一郎氏。
消費税増税に断固として反対し、民主党内で署名を集める動きもあるそうです。

彼の行動に、考えに、小泉元首相のような「将来を思う」気持ちが感じられるでしょうか?
増税に反対する名目で持ち出される「国民」「民意」は、いったい誰のことをさしているのでしょうか?

その中に、選挙権のない子供たちが入っているとは、僕にはどうしても思えません。

今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』。
少なくとも今まだ若い我々だけは、いつまでも失わないで保ち続けたいものですね。

2011/11/30

海外出張、国内出張と立て込んでいるうちに、
案の定大阪の選挙が終わってしまいました(死)。

しかしながら、結果は大阪維新の会が市長選、府知事選ともに大勝利と、
日本政治の未来にとって明るいものになったと言えるでしょう。

大阪からどんな変革が始まるのか。二重行政の解消や公務員制度改革も重要ですが、
僕が注目しているのは「ニア・イズ・ベター」というキーワードです。

前回の記事に

>また、大阪市は東京同様に「区」がありますが、東京都と違い
>区長たちは選挙で選ばれる政治家ではなく、市長が指名する役人です。

>260万人もの市民を「大阪市長(市役所)」が一手に引き受けるという、
>非常に非効率的かつ独裁的なシステムが構築されています。

>これらを抜本から改革しよう、府も市も一端解体して、クリアでわかりやすいシステムにしましょう、
>というのが橋下さんの言う「大阪都」構想(の一部)なのです。

と記載しました。

大阪都構想では、この現在260万人という市としては大きすぎ、
また世界で闘う「都市」としては中途半端という大阪市を、堺市と共に解体して
8つの「特別区」にしようという政策があります。

特別区というのは、東京都同様選挙で選ばれた「区長」がいます。
そして一つの行政単位ですから、これまでは大阪市役所でなければできなかった
行政の仕事や決済をできることになります。

おそらくこの行政単位の人口は、一つあたり30万~50万というところでしょう。
このレベルに細分化した自治体にどんどん権限を移譲し、住民に根ざしたキメ細かな行政を任せて、
大阪都は広域行政として戦略的な政策を行なっていく…。

これ、何かに応用できませんか?

そう、現在箇条に中央集権が進み、1億2千万にも膨れ上がった人口を
一手にコントロールしようとしている日本政府と霞が関の官僚たちに、です。

大阪市が260万人をコントロールできず衰退していったのと同様、
日本も一つの国家として1億人以上の国民を司ることに、とっくに限界がきています。

「ニア・イズ・ベター」というのは、国際的には基本とも言える地方自治の考えです。
住民に近いところのほうが、よりニーズにあった政策が実行できる…当然のことです。

日本の人口がまだ少なく、また時代も高度経済成長期であれば、国家が強力な推進力で
中央からトップダウンで国を導いていく戦略も正しかったのかもしれません。

しかしながら、強大な権力はもはや腐敗し、既得権の温床となり、
地方や都市細部まで行き届かない政策がまかり通っているのが今の日本です。

大阪市民や大阪府民の「民意」を受けて、より有権者に「ニア」な部分に
権力が移譲され、改革が進むことを僕は心から切望しています。

今回の選挙では、60代以上は半数以上が平松支持、
30代の若年層では6割以上が橋下知事を支持すると
世代間の意識差が綺麗にあらわれたそうです。

東京都知事選では逆の結果となりましたが、
今回の勝利は現状の改革を望む我々若者世代にとって
特に意味のあるものと言えるでしょう。

橋下さんにはぜひ、志を突き通して進んでいただきたいものです。
記者会見は感動モノですので、見ていない方はぜひ動画でご覧下さいね。

http://www.ustream.tv/recorded/18777802

それでは!

2011/08/22

こんばんは、怒れる若者を勝手に代弁しているつもりのotokitaです。ですが今日は、我々若者世代、生産現役世代にもちょっと耳の痛い話しをしようと思います。

民主党の次期代表選が間近にせまり、候補者選択とともにまたも「増税」が話題になってきました。

本来、「増税か否か」という二者択一はまったく意味がありません。これだけ国家として借金を重ねた日本では、社会を持続可能なものにするためには「増税か、歳出削減か」という選択肢の中で、有権者に民意を問わなければならないのです

その辺りまではけっこう理解が進んできたものとも思われるのですが、日本で「歳出削減」というとすぐに「まず国会議員の給料(人数)を減らせ」「公務員の給料が高すぎる」という話しに矮小化されがちなので、もうちょっと違う角度からこれを考えてみたいと思います。

そもそも国会議員の給料を減らせというのは半分以上感情論で、確かにやらねばならないとは思うものの、それで捻出できる財源などタカが知れ狂っています。結局、みなさん具体的な「痛み」からは目を背けたいということなのでしょう…。

さて、例えば社会保障費。これは福祉や医療、介護など社会保障全般にかかる費用で、なんと国債償還費を除く国家予算の半分近く(27兆円強)を占めています。しかも少子高齢化に伴い、毎年自然増で1兆円ずつ費用が増えていく恐ろしいもので、これに比べれば「ムダの温床」と言われて削減対象になっている公共事業費(7兆円弱)など可愛いものです。

なぜこんなに社会保障費が膨れ上がってしまったのでしょう?それは、我々が普段何気なく受けている医療などの社会保障サービスに、公費(税金)が湯水のように投下されているからです

若い人には介護や年金は馴染みがないと思うので、医療を例に取ります。私たちが病気になって病院で診療を受け、薬をもらうと「自己負担」はだいたい三割です。じゃあ、残りの7割は??

この大半に投入されているのが公費、つまり税金です。「え、でも毎月毎月高い保険料が給料から引かれてるじゃん?あれから払われてるんでしょ??」と多くの人が誤解していますが、現在の日本の医療費は現役世代が負担する保険料程度ではとてもとてもまかないきれていません

この医療に投入される公費は、経済成長期の政治家たちによる大盤振る舞いの結果、現在医療費の5割にも及んでいます。つまり医療費は自己負担3割、保険料から2割、公費(税金)から5割が支払われているということです。

医療費の半額に公費が投入され、また医療が必要な老人たちは年々急激に増えているのですから、社会保障費(=国の借金)は膨らみ続けるに決まっています。

そもそもなぜ、保険料でまかないきれない部分に公費(税金)が投入されているのでしょう?常識で考えれば、払っている保険料でカバーできないのなら自己負担分を上げるのが筋というものです。

はっきりいってこの公費投入には明確な正統性はないようです。きっかけとしては1983年の老人保健制度の設立などにさかのぼりますが、結果としては大衆に迎合した政治家たちの人気取りパフォーマンスだったと言ってしまっていいでしょう。経済成長期の遺物です。

所得の低い人に安くするのなら意味がありますが、今の制度では誰でも公費5割の補助が受けられるので、社会保障を通じた所得再配分という意味すらまったくありません。ハンバーガーを買うときに国が半額払ってくれたら疑問に思う人は多いと思いますが、なぜか社会保障ではそれがまかり通っています

無限に成長が続く社会であれば、また税収が十分にある国であればそれもいいでしょう。しかし、税金を投入して本来払うべき自己負担金を下げているのなら、そしてその税金が国債発行による借金だとしたら、それは将来世代へのツケの先送りに他なりません。そう、こうしたサービスを享受している我々若者世代も、すでに将来世代に借金を送り、自分たちの負担を避けている既得権益者なのです

「増税しない」「歳出を削減する」「痛みを国民で分かちあう」とはつまり、そういうことなのです。

ちょっとした風邪で病院にかかるだけで、5000円くらい診察料を取られるようになるかもしれません。
親が要介護になれば、相当な費用がかかることになるでしょう。もらえる年金も、格段に少なくなります。

生まれてくる子どもたちのために。国の将来のために。
「痛みをとる」覚悟はありますか?