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2011/12/08

沖縄がまた揺れています。

沖縄防衛局長の「犯す」発言と更迭から始まり、
それに飛び火した防衛大臣の

「(沖縄婦女暴行事件を)あまりよく知らない」
「乱交事件」

発言により、いよいよ12/9の国会で
防衛大臣の問責決議案が出される見通しだそうです。

こうした「失言」については以前も当コラムで言及したことがありますが、

「復興担当大臣炎上から学ぶ、政治家の失言構造」
http://www.junkstage.com/syun/?p=68

今回は「失敗」について考えてみたいと思います。

僕は今回の失言騒動も、沖縄の人には申し訳ないですが、
本当に情けない茶番・無駄な騒ぎだと思っています。
主な理由は2点です。

1点目。
そもそも、「失敗」とは何か?

僕は「失敗」とは、「取り返しがつかないものであるか」で判断されるべきだと思っています。
人殺しがとてもとても重い罪なのは、殺された人はどうやっても返ってこないからです。
まさに「取り返しのつかない失敗」といえます。

かたや経済的な損失や事務的なうっかりミスなどは、その後の対応でかなりの部分まで回復が可能になります。
取り返しのつく失敗であれば、失敗を責め立てるよりも、まずリカバーする方法を考えるべきなのです。

その観点からすると、政治家の「失言」の大半は辞任に値するような失敗ではないと思います。

人間だれしも過ちを犯すもの。
確かに誰かの感情というのは見えないもので、モノと違って明確に修復できるものではありませんが
それでもその後の行動で信頼を回復することも不可能ではないでしょう。

取り返しのつく失敗を政局に利用して過剰に責め立て、問責を決議して辞任に追い込む…。
こんなことを繰り返すうちに政治家は萎縮し、チャレンジしなくなり、優秀な人間は政界にいなくなりました。

いい加減、このような愚行はただちにやめるべきです。

2点目。
政治家の辞任や政府の謝罪で、結局物事は前に進むのか?

これ、案外と抜けがちだけど一番大事なポイントですよね。
それで辞任や首相が謝罪することで、沖縄問題は少しでも進展するのでしょうか?

「沖縄の人々の感情を傷つけた」
「有権者の気持ちが納得しない」

というのはまさしく文字通りの感情論で、
感情論を振り回したり抑えたりするのは「政治」の役割ではありません。

マスコミや大衆がバカ騒ぎしている中でこそ、政治家は冷静に
今回の問題の本質(基地問題)と、その解決策を虎視眈々と練らねばならないはずです。

為政者とは、あらゆる事象やあらゆる感情を鑑みて
物事を解決して社会を導いていくのがその役割なのです。

その観点から見ると、沖縄県知事の仲井さんは
人としては良い人なのでしょうが、政治家としては不適格だと思います。

せっかく沖縄まで足を運んできた政府の要人に対して

「まことに遺憾、沖縄は怒っている」

という感情論だけをぶつけてたった8分で返すなど、
どう考えても一流の政治家のやるべきことではありません。

一部の沖縄県民の支持はそれで上がるのかもしれませんが、
それが目的なら彼はもはや政治家ではなく政治屋になったのでしょう。

真の政治家であれば、今回の「失敗」を全力で利用して、
有利な形で政府の協力を得て基地問題を進展させることを考えるはずです。

この大事な観点が抜け落ちた人がトップにいることも、
また沖縄の不幸なのかもしれませんね。

果たしてその「失敗」が、取り返しのつかないものなのか。
「失敗」したとしても、そこから前に進む方法はないのか。

こうしたことを真の政治家や国民が真剣に考えるようにならなければ、
辞任で人をすげ変えたところでまた同じ過ちが繰り返されるだけです。

そして我々有権者に求められるモラルは、政治屋やマスコミの大合唱に乗じることではなく、
政治家の資質に疑問があるのなら参政権を駆使して次の選挙で「ノー」をいう回答を突きつけること

ただ、それだけだと思います。
それでは、また次回。

2011/11/14

大阪市長選 平松氏・橋下氏立候補
http://bit.ly/sbe8mu

いよいよ13日、大阪市長、府知事のダブル選挙の告知日となりました。
現職の平松市長に、何かと話題の「大阪維新の会」元府知事の橋下徹が挑む、という構図です。

しかしながら、ニュースでは頻繁に取り上げられるものの、
大阪に在住している方以外は(むしろ住んでいても?)イマイチ

「いま、大阪で何が起こっているの?」
「どうして橋下さんと平松さんは、あんなに対立しているの??」

ということがわからないのではないでしょうか。

僕も生粋の東京都民であり、大阪の地理や事情には明るくないのですが、
今回の選挙は日本の未来を占うかもしれない重要なものであると思っています。
なので、今日は少しだけ大阪の話をしたいと思います。

◆大阪府VS大阪市の対立、「二重行政」「二元行政」◆

今の大阪が抱える最も大きく、そしてわかりやすい問題が
府と市による二重行政です。僕も正直、この問題に関心を持つ前は

「府知事>>市長でしょ。府知事が市長に指示出せばいいじゃん。
 なんで大阪はこんな揉めてるの??」

くらに思っていたのですが、実は大阪市は大阪府の中にあって
歴史的になぜか完全に独立した行政自治体になっているのです。

府が決定したことでも、市が認めなければ大阪市内では行えない。
大阪市のことは大阪市がやる。

どういうわけかこの「慣習」が、大阪ではまかり通ってきました。
でもこれ、よく考えるとおかしいですよね?

大阪府の人口は800万人以上。
対して、大阪市民は260万人です。

府知事選挙は、当然大阪市民も選挙権を持っています。
府知事は大阪市民を含めた府民全員の民意で選ばれています。
対して、大阪市長は当たり前のことながら、大阪市民の民意しか受けていません。

なのに、大阪府知事が「大阪全体にとってプラスになる」と考えて推進しようとする政策に、
大阪市内が絡む案件に関しては「大阪市内に不都合だから、嫌だ!」と市長が拒否できる。
簡単に言うと、これが今の大阪の問題です。

例えば大阪市内を通って遠方から関空に直接高速道路、鉄道を敷こうとします。
遠方の府民にとってはイチイチ大阪市に出なくても空港に行けるので便利になりますが、
市内を素通りされてしまうようになる大阪市にとっては旨みのある話ではありません。

すると、大阪市は「これは大阪市内に道路(鉄道)を敷く問題だから」と抵抗する。
府知事はそれに対して、指示命令ができない。結果、事態が膠着する。
大阪府全体にとってプラスになることが実施できない…。

他にも大阪市内に「市立」と「府立」の大学や図書館、病院が2つずつできたりと
府と市が独立する現在の大阪の行政システムには問題が山積みなのです。

かつて大阪市が名実ともに大阪の政治的・経済的中心であり、
大阪市=大阪府であった時代であれば、それも良かったのかもしれませんが、
関空の例ひとつ取っても今やそれが大阪府の全体最適にならないことはあきらかでしょう。

また、大阪市は東京同様に「区」がありますが、東京都と違い
区長たちは選挙で選ばれる政治家ではなく、市長が指名する役人です。

260万人もの市民を「大阪市長(市役所)」が一手に引き受けるという、
非常に非効率的かつ独裁的なシステムが構築されています。

これらを抜本から改革しよう、府も市も一端解体して、クリアでわかりやすいシステムにしましょう、
というのが橋下さんの言う「大阪都」構想(の一部)なのです。

なので彼は石原慎太郎都知事が誤解するように、
「都」というワードにこだわっているわけではないのですね。

ではなぜこの大阪の行政改革が、日本にとっても重要な選択になるのでしょうか。
ここからいつもの

既得権益
利権

などなどのキーワードが出てくるわけですが、
長くなってきたので、次回に続きまーす。

そうこうしてる間に、選挙が終わっちゃったりして…(ボソッ)

大阪のダブル選挙まで、あと13日。

2011/09/21

冒頭から重大発表ですが、なんと今日は僕の28歳の誕生日でーす!おめでとー!ほぅら、台風が僕のバースデーを祝福してくれているよ。参院選の被選挙権を得るまであと2年だNE!

…さて、皆さまからの冷たい目線を感じたところで、誕生日の夜に一人でコラムを書いているオトキタです。こんばんは。天気が悪かったんだよ!←

さて、宣言通り今日は前回の給料問題に引き続き、

国会議員の数は本当に多いのか?

という争点をかなり個人的な視点でぶった切っていきたいと思います。一般的に、「日本の国会議員は多すぎるっ!」と思っている方が多いと思うのですが、これは

政治家(=国会議員)が尊敬されてない

しかも高給取り

あんな給料もらいやがって、税金の無駄遣いだ!

そもそもあんな人数いらねーよ何やってんだよ寝てんじゃねーよ

というイメージに寄るところが大きいと思いますので、あまり論理的ではないと思います。まず、先進諸国との比較で考えてみることにしましょう。ちなみに政治家の数を比較するときは、人口比率(政治家一人あたりに対して人口が何名か)を考えるのが一般的であります。

まず「国会議員が多すぎる!」例として真っ先に引かれるのがアメリカ様で、日本と比較すると

にぽん:衆議院480名、参議院242名=722名 人口1億2千万
メリケン:上院100名、下院435名=535名 人口3億人

と、確かに絶対数でも人口比率でも大きく日本を下回っており、思わず「国会議員の首を半分はねとばせぇぇぇ!」と激高したくなります。

が、ちょっと待ってプリーズ。そもそも直接選挙でトップを選ぶ大統領制のアメリカと、議院内閣制の日本では代議士一人あたりの重みが違いますし、地方分権が進み地方の州議員が国会議員的な役割を担っているアメリカは、実質的な議員数は日本の数倍とも言われています。

他の先進諸国も比較に加えると、日本が特別議員数が多いわけではないことに気付きます。

にぽん:衆議院480名、参議院242名=722名 人口1億2千万
メリケン:上院100名、下院435名=535名 人口3億人
エゲレス(英):議員数合計1050名 人口6000万人
ゲルマン(独):議員数合計755名 人口8千万人
フランス(仏):議員数合計898名 人口6000万人

他にも枚挙に暇はありませんが、平均すれば日本は人口当たりの国会議員数は中位レベルであるといえるでしょう。なので「多すぎる=減らせ!」理論は一概には成り立ちません。

しかし、こうした前提があった上で、僕はなお国会議員の数は縮小していくべきだと考えます
理由は、大きく二つあります。

1点目は、国会議員のレベルアップです。

はっきりいって、今の日本の政治家のレベルは低すぎます。地方有権者の御用聞きになっているような二世議員は、地方議員ならまだしも国政は不要です。

前回の記事とも関連しますが、政治家に優秀な人が集まらないなら、数を半分にして給料を倍にするべきです。単純な解決策ですが、単純なだけに効果は高いと思っています。選択と集中の戦略の一つとして、国会議員は削減すべきというのが1点。

そして2点目は、「国会議員は、国民の代表である」という意識付けです。

みなさん国会議員を全員なんて知りませんよね?一般大衆に認知されている人なんて、せいぜいテレビや新聞に出てくる各党の代表・幹事長クラスくらいです。

しかし、こんな状態で「国民の代表」という意識を国民が持てるでしょうか?この意識の希薄さが、政治への無関心を助長しているように僕には思えます。

わかりやすい例をあげると、衆議議員は現在480名。これはなんと話題のAKB48の10倍にあたります。僕はAKBでは板野が大好きですが、それでも(?)顔と名前が一致するのはせいぜい半分以下で、480人のおっさんどもの顔なんて思い浮かべただけで吐き気がします(暴言)。

何が言いたいかというと、「顔と名前が覚えられる人数にしろっ!」というわけでは必ずしもなくて、「国会議員の数は、国民が監視できる(把握できる)レベルの人数であるべき」ということです。今の日本国民の政治意識からすると、国政に722人もの人数はあまりにも国民の手から離れすぎています。

国民の目が行き届き、「代表である」と意識が持てる程度の人数にアジャストしていくこと。これが逆説的に国民の意見を国政に届け、政治家が機能するために必要なことだと、僕は思っています。

というわけで、おそらく普通の人とは理由は違いますが(一番多いのは「給料も人数も減らせ!」という方)、たぶん国会議員の削減が必要ということではおおむね国民のコンセンサスが取れていると思います。

では、どうして国会議員の人数は(あれだけ選挙で公約されても!)一向に減らないのでしょうか?

ここにはいつも立ちはだかる、現職議員たちの「既得権益」もありますが、議員数を決定する選挙制度には、民主主義の根幹に関わるとても深遠な問題が内包されているのです

という流れで次回は選挙制度について語る道筋をつけつつ、会社の先輩がバースデーピザをおごってくれるというのでご飯を食べに行ってきます!彼女なんていらねぇよ、バースデー(死)

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