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2009/03/10

気持ち涼しくなってきたかなぁと思う今日この頃ですが、いかがお過ごしですか?トンガの鈴木です。
日本は気持ち暖かくなってきたかなぁという感じでしょうが、こちらは南半球なので日本と正反対です。

僕は今トンガ王国に住んでいますが、2007年までソロモン諸島で活動してました。ちなみにソロモン諸島はパプアニューギニアの東、オーストラリアの北東に位置する島国です。以前「ソロモン諸島に行くことになった」と友達に話した所、「えぇ!?ソロモン行くんだ!知ってるよ!カリブ海だよね!」とか、「アフリカだよね?」とかかなり頓珍漢な答えが返ってきて爆笑しましたが、南太平洋にあります。オーストラリアのちょい北、赤道のちょっと南あたりを探してください。
今回はそのソロモン諸島の話を少し思い出しながら書いてみようかと思います。

ソロモン諸島の首都はホニアラと言いまして、ホニアラはソロモン諸島最大の島ガダルカナル島という島にあります。日本史を勉強された方は「ガダルカナル」といえば第二次世界大戦で、日本が初めて負けを決した場所。ガダルカナル海戦とか言ってますが、そのガダルカナル島です。ガダルカナルの戦いは日本がひそかに上陸し、ひそかに空港を作った所、アメリカに発見され、奪われ、それを再び日本軍が取り返すべくゲリラ戦を展開し惨敗した戦いです。歴史に疎いもので詳しいことを書けずに申し訳ありません。日本軍はこの戦いを機に敗戦へと転じていくわけで、第二次世界大戦のピークというか分岐点となるわけです。その空港はガダルカナル島北部にあるヘンダーソンという場所であり、現在、同じ位置に「ホニアラ国際空港」があります。ちなみに私の住んでた場所、仕事場の学校は同じヘンダーソンにあり、空港から徒歩5分という場所にありました。もちろん今は全く平和でのどかな場所ですが、60数年前はこの場所の争奪戦が繰り広げられていました。戦争の舞台のど真ん中です。

ガダルカナルのことを「ガ島」と略して言って、さらに「餓島」と漢字を当てていたそうです。話によると戦いそのものよりも餓死するケースがたくさんあったそうです。実際にその場所に住んだものとして「ソロモンで餓死?ありえないでしょ?何で?」と思ってしまいます。ココナツ、バナナ、パパイヤといったトロピカルフルーツは年中絶えることがありませんからね。それでも餓死していく。その原因は「マラリア」にありました。ゲリラ戦でジャングルにもぐりこみ、マラリアになり高熱にうなされ、体力をどんどん落として行き、食べる体力さえ無くしてしまい、結果餓死…。恐らくそういうことなんでしょう。マラリアになると40度の熱が数日から1週間位続きます。現在でもマラリアで亡くなる方がたくさんいます。そういうひどい状態に日本軍は置かれていたのでしょう。

さて、戦争は60数年前に終了致しました。僕は35年前に日本で生まれました。当然戦争というものは歴史の教科書でしか知りません。正直「大変だっただろうなぁ…」と無責任に思う程度でした。空から爆弾が降ってくるという実感など当然ないわけで、爆弾にどれだけの威力があるかなど想像すら出来ませんでした。まぁ、僕に限らず、戦争を知らない世代のほとんどがそうなのではないかなと思いますけど。そんな僕がソロモン諸島で体験したことは、その爆弾の威力でした。

日本軍がガダルカナルを撤退した後、米軍は武器その他をガダルカナルの土に埋めて破棄したそうです。それが今わんさか発掘され(うちの学校の建設の際にも不発弾やら、銃の薬莢やら、当時のコーラビン、ネームプレートなど出てきたらしい)、RAMSI (Regional Assistant Mission of Solomon Islands)とソロモン警察の共同で発掘された爆弾の処理が行われております。(多分今もやってると思いますが、少なくとも1年半前まではやってました。)不発弾処理は日本のように、発見場所から半径数キロ以内の住民を避難させ、特殊部隊が信管を抜き取り、起爆しないようにする…というようなものではなく、人里離れた海岸で爆発させてしまうというものです。首都ホニアラから10数キロ離れた海岸でその爆破処理が行われていたのですが、うちはホニアラから10kmほど離れている。つまり爆破処理現場から数キロという場所。まぁ、安全ですよ。実害はありません。(あったら困るけど…)警察、RAMSI軍人の管理下で行われてますので。ですが、音は防げませんので当然よく聞こえてきました。ただ、そのよく聞こえるというレベルが違う。ものすごい爆音です。雷が1m隣に落ちたような(ってそういう体験もしたことありませんが)音、そして、爆発から生じる衝撃波。数キロ離れた家、学校の窓がビリビリと震えるくらい。最初は何のことか分からずホントにびっくりしました。びっくりするなんていうレベルをはるかに超えてまして、到底文章などでは表現できません。とにかくすごい衝撃でした。

今は管理の下でこういった作業が行われてます。しかし、60数年前、こういうものが無差別に空から何百、何千も降ってきたとは…。そして、同じことを日本もしてきた…。戦争って心底恐ろしいものだと思いました。当然実際に体験された方にとっては僕の体験など体験に含まれないのでしょうが…。そして、今世界中で起こってる戦争、内紛…はこれが現実なのでしょう。

と、いかにも分かったように書いていますが、僕が体験したのは数キロ先の爆発音とその衝撃波だけで、正直何にも分かってないんでしょうね。体験された方がこれを読んで「ふざけるな!そんなことで判ったふりするな!」と怒鳴られそうですが、戦争を知らない僕がほんのちょっとだけ体験した「戦争のかけら」。でも、体験してよかったと思いますね。戦争体験の話や本に、ほんの少しでもリアルに想像することが出来るようになったし、表面的に「戦争はよくない!」と偽善ぶることもなくなったと思います。もちろん、全面的に戦争反対ですよ、理由がどうであれ。戦争になったらこういうものが空から降って来ると思うと、何がどうあっても戦争に対してYESとは言えない。映画の戦闘シーンでも、あの音と衝撃波がリアルに感じてしまいます…。

全世界が武力を放棄したら、恐らく平和になるはずなのに、平和のための武力ってなんなのでしょう?RAMSIたちもライフルとか常時もってました。特にオーストラリアとニュージーランド。先進国です。逆にトンガやフィジーの警官、軍人は丸腰でした。理由は「銃の必要ないでしょ?」だからか、ソロモン人たちはRAMSI、特に白人に警戒してましたが、丸腰のフィジー人トンガ人とは結構友達感覚で仲良くやってたように見えました。武器は警戒を生みます。そこがそもそもの始まりなのではないかな?と思いますがどうでしょう?お互いを信じてもいいのでは?お互いのためには、まず自分が相手を信じる姿勢が大切なのかな?信頼は信頼を生みます。信頼から戦争は生まれないと思うし…。

う~ん、やっぱり平和ボケしてるのかな?それでも相手を信じる自分になりたいと思う今日この頃です。
さ、まずは僕のかわいく、時に憎たらしい生徒から(爆)

2009/03/10 04:10 | ソロモン諸島 | No Comments

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