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こんにちは、トンガの鈴木です。
今週で今年一年の授業が終了しました。後は授業がなく、細々とした行事およびその練習のために学校にいくだけです。なんとか、今年一年無事に教員生活送れそうです。
さて、前回はソロモンでの出会いを中心に書いてきましたが、今回は、いきなりですがソロモンを出国する話です。
2004年9月にソロモン諸島に渡り、2007年9月末にソロモン諸島を去りました。修道院に属しておりましたが、常々思うことがありまして、修道院を去るつもりでソロモン諸島を後にしました。ソロモンを去って日本に帰国するわけですが、帰国する前にちょっとだけ寄り道。
その名も「ソロモン諸島で出会ったRAMSIの警察官、軍人に会っていこう計画」
行き先は、フィジーとトンガ。いろいろな国の人達と出会いましたが、このふたつの国の警察官、軍人と非常に仲が良かったので、是非とももう一度会っておきたかった。でないと、彼らと会うことはもう一生ないだろうと思ったし、日本に一度戻ってしまうと、もう2度とオセアニアに戻って来れることはないだろうと思いましたので。
前述の元相撲取りの警察官と何度かメールのやりとりがありましたので、彼を拠点に旅程を決定。彼の奥さんがフィジーで大学院生をしていたのでフィジーの滞在は彼女の家、トンガの滞在は警察官のお宅でそれぞれホームステイをすることになりました。
フィジーに到着してまず向かった先は、やはりトランペットを持って警察本部にある音楽隊の練習場。ソロモン諸島で出会った警察官と再会したのはおよそ2年ぶり位ですかね。残念ながら、練習のない日で、翌日は重要な式典で…と行事続きの忙しい日だったため、一緒に演奏することはできませんでしたけれど…。
翌日は、仲のよかったもう一人の警察官のお宅を突撃訪問!するつもりでしたが、名前しか知りませんでしたので、とりあえず町にある警察署で彼の所在を聞き出しました。どうやらPolice Mobile Unitにいるらしい…。
「あのイカツイ顔して、通信班か…。見掛けによらないなぁ…。もっと前線にいそうな気がしたんだけど」
Mobile→ケータイ→通信という脳内イメージ。
早速バスを乗り継いでPolice Mobile Unitに向かい、無事到着しましたが、なんかここ、広い演習場みたいなんですけど…。
はい、ここにきてようやく分かりました。Police Mobile Unit=「機動隊」だったんです。やっぱり僕の予想は的中!警察最前線です!
夕方おじゃまして、そのまま夜中まで彼のお宅でカヴァというポリネシアの飲物を飲みながらまったりとゆっくりとした一時を過ごせました。
お互い全然関係ない国の人間が「ソロモン諸島」を通して結び付く不思議さを改めて体感してました。
さて、驚くのはこれから。トンガに渡ります。
巨人の国トンガ。ガリバー旅行記のモデルになったと言う説もあるトンガ。
トンガにきて、最初に向かった場所は、やっぱり警察。当然ですね、トンガ人の知り合いは警察官しかいませんから…。ソロモンもゆるゆるな警察でしたが、トンガも負けてません。警察本部のくせに無警戒すぎませんか?
僕:「警察音楽隊にいきたいんだけど〜」
セキュリティー:「いいよ〜、場所知ってる?このまままっすぐ行って、右に曲がって…」
あの、名前とか所属とか聞かなくていいの?まぁ、いいか、トンガだし…。
音楽隊に到着したとき、彼らは練習中でして、知り合いが僕を見つけると、挨拶する前に楽器が手渡され、そのまま合奏に…。いいですねぇ、この気楽さ。合奏後ようやくみんなに紹介してもらい、それから結局連日警察で過ごすことになります。
ソロモン、フィジー、トンガとやってきまして、やっぱりオセアニアが好きだなぁと言うことを実感してましたので、なんとかこっちで就職先が見つからないかなぁ、今でなくても可能性位は…と若干思っておりましたら、音楽隊の警察官の一人が「俺の従兄弟が学校のブラスバンドの顧問やってるから連れていってやるよ」とトンガの私立中学高校に連れて行かれ、そのまま学校のバンドに放りこまれてしまった!そして、その日はトンガで大きな行事がある日で、その練習の後、そのまま本番を迎えることになり、なぜかいきなりやってきた僕も生徒と一緒に演奏する羽目に…。生まれて初めて聞く曲ばかりの本番初見大会の始まり始まり〜。
結局これがよかったのか、その学校の校長先生とコンタクトをとることができまして、可能性を探ろうと思い話を振ってみました。
ボク:「ボクは音楽大学出てるんですが、この学校で音楽の先生になる可能性とかないですか?」
校長:「いいよ〜。来年1月から始まるから〜、日本に帰ったら、履歴書FAXして。」
って、オイ!これで決まるのか!?校長にあって5分も経たないうちに内定もらっちゃいました。
ソロモンを経って一週間、「オセアニアには、もう戻って来れないのかぁ〜。僕の精神的バカンスも終わりだなぁ〜。もう戻るチャンスはなかなかないだろうなぁ…」という淋しい思いは、あっという間に解消されました。
そして、僕はトンガを後にし、日本に帰国しまして、東京でマンスリーマンションを借り、一ヶ月ほど生活しておりましたが、まさかのオセアニアのつながりはここ東京でも広がって行きます。
それは、帰国の飛行機で始まります。たまたま隣に座ったフィジー人で機内でビールを飲みまくった陽気なおじさんのつながりから、フィジー大使館経由で呼び出されました。そこに行ってみると、なんとソロモン、ヴァヌアツ、PNG(パプアニューギニア)と言ったメラネシア人(ピジン英語が通じる)、フィジー人、トンガ人が…!なんなんでしょう?この異常なまでのオセアニアつながりは!日本ですよ?ここは!と驚きながらも東京でオセアニアを体験できる喜びを感じておりました。
「来年からトンガの学校で教えることになった」と知り合ったトンガ人に伝えた所、「そこの学校、俺の息子が通ってるぞ!」と。なんと言う世界の狭さ!ちなみに、その彼の家と今僕が住んでいる家は、徒歩3分というご近所さんになるんですよねぇ。トンガつながりがいくら狭い世界とはいえ、この偶然は恐ろしい!そして、彼のほかに、僕が就職する学校にはソロモンで知り合ったトンガ警察官の娘も通っていることが後に発覚。しかも僕が副顧問をすることになるブラスバンドに!!
と、偶然が偶然を呼びまくった1ヶ月でした。こういうこともあるんですね。
そして、僕は今、トンガで楽しく生活しています。
あぁ、やっぱりオセアニアはいいなぁ!
やっぱり、長くなってしまいました、では、このへんで。