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2015/09/01

トンガに戻ってきた鈴木です。お元気ですか?

 

前回の投稿で書いた通り、2週間ほどソロモン諸島に行ってきました。

旅程は

8月15日トンガ→ナンディ(フィジー) (Fiji Airways)

8月16日ナンディ→(バヌアツただし機内待機)→ホニアラ (Solomon Airlines)

8月25日ホニアラ→(バヌアツただし機内待機)→ナンディ (Fiji Airways)

の予定が、ダブルブッキングで乗れず(笑)

8月29日ホニアラ→(バヌアツただし機内待機)→ナンディ (Solomon Airlines)

8月30日ナンディ→スバ(バス移動)

8月31日スバ→トンガ (Fiji Airways)

と、こんな感じ。ダブルブッキングのお陰でフィジーの予定がキャンセルで

まるまるソロモン諸島満喫コースになってしまいました。

宿泊は以前所属していた修道会、サレジオ会にお世話になりました。

最初の一週間はヘンダーソン国際空港そばのDon Bosco Technical Institute。

僕が2004年から2007年にかけて活動拠点だった場所。

学校職員たちも殆ど総入れ替えで、僕の知っている人は数名のみ。

あと、工業学校でして、いろいろと拡張されてまして、

殆ど知らない学校になってました…。

実際、その一週間何をしていたかというと、主に、知人巡り。

JICAさん、大使館さん、ソロモン警察音楽隊さん、在留邦人さんなどなど…。

当時、携帯電話もメールも殆ど普及しておりませんで、

その後全く音信不通になっていましたので、

直接訪問すること以外方法がなく、

そして、訪問すると、一瞬固まって思い出してくれるのが面白い。

あれから8年経ってるんですね。

実はRAMSIという平和維持警察みたいなのがまだ続いてまして、

少数ですがトンガ警察からも派遣されております。

ので、ソロモンから帰国してきた警察官が、僕にピジン語で話しかけてきても、

もうすっかり忘れてしまってまして、

今回どんなものかと心配していましたが、

実際に行ってみると、出るわ出るわ(笑)

ブロークン英語のピジン語なので、トンガ語よりも断然スムーズに。

全然問題なかったです。

訪問先で、ちゃっかりと自分の会社の宣伝もしてきました。

なにか引っかかってくれるかなぁ…と期待しつつ。

ホニアラの街はどうなってたかというと、

どうやら中国人やアジア諸国の商人たちが入ってきて、

結構建物も乱立し、車は月100台以上のペースで入ってきて、

ものすごい大渋滞と雑踏の街でした。

この辺は8年前とは比べ物にならない。

 

2週目はテテレというヘンダーソンから田舎側に15kmほど進んだ場所。

僕も3回ほど引率をしたことのあるDBVG(ドン・ボスコ海外ボランティア)が

こちらに来るということでしたので、DBVGに乱入。

基本的にホニアラ市内からヘンダーソン空港辺りまでは電気が通っており、

そこから更に進むと電気なし。

ジェネレーターで発電するか、ソーラーパネルでバッテリーに充電して使うか…。

明かりは灯油ランプとか…。

こちらサイドに行くと、僕の見知ったソロモンの世界が広がります。

それでも、「勝手に」建てた住居なども増えており、若干発展しております。

そして、テテレのDon Bosco RTC(Rural Training Centre)という

農業、畜産系の職業訓練校。

ホニアラの変貌っぷりにはびっくりしましたが、

RTCの変貌っぷりには度肝を抜かされました。

僕の知ってるテテレはもはやありません。

街中の発展は勝手にそれぞれやっているような無秩序的な印象ですが、

こちらの学校は、美しく、きちっと、計画的な発展という印象。

学生も全寮制で、雰囲気もよい。

DBVGメンバーと一緒に作業をしつつ、生徒と交わり、

僕が担当した時の作業物を眺め、

周りに広がる美しいソロモンの風景を楽しんできました。

2週間でスッキリリフレッシュして帰ってきました。

 

ソロモン以外は行きにナンディで一泊、

帰りにナンディとスバで一泊しております。

 

これで、今年の有給は使いきって、

恐らく来年末帰国すると思うので、

まるまる一年以上連続休暇はお預けです。

 

あ、あと、今回利用した4つの空港

トンガ、フィジー(ナンディとナウソリ)、ソロモンそれぞれで

友達に出会いました。大体トンガ人ですが。

オセアニアは、恐ろしく狭い世界です。

さて、9月になりました。

有給も使いきってしまいました。

あとは働くのみ。

一年以上トンガから出国することはたぶんもうないでしょう。

遊びに来てください。

09:49 | DBVG, ソロモン諸島 | バカンス終了 はコメントを受け付けていません
2009/10/25

こんにちは、トンガの鈴木です。

大分間隔があいてしまいました。ネットトラブル続きでなかなか…。言い訳ですね、ハイ。すみません。

さて、前回に引き続きパプアニューギニア(以下PNG)のことを書きたいと思います。と書きかけた後、サモアの地震、津波の災害がありまして、そこから中断してますね。

今回は参加したボランティアグループ(ドンボスコ海外ボランティアグループ、略してDBVG)でどんな活動をしていたかと言うことを書いてみようと思います。

DBVGの基本となる二つの柱は仕事と交流です。「仕事」と言うことだけ考えるのであれば、ぶっちゃけた話、送金して現地労働者でやってもらった方が、はるかに効率がいい。それはDBVGの参加者のほとんどは大学生で、早い話労働力としてはかなり???な部分もありまして、それは引率する立場の人間もそうです。でも、あえてその非力な日本人を送るのは「一方通行で終わらせたくない」という希望があるから。現地の労働者や人々の中に入って行って、交流を深めながら作業を行っていく。そういうわけでDBVGの基本路線として仕事と交流は全く同レベルに重点が置かれています。だから仕事の他にも、活動する場所周辺の村を訪問したり、夜な夜な近所の若者たちと歌って踊って、朝から晩まで彼らと交流を深めていきます。かいつまみ過ぎですが、詳しいことは先にリンクしたホームページをご覧ください。

さて、僕がPNGに行ったのは2004年8月。 場所はPNGの真ん中、シンブ州のクムギにあるDon Bosco Techという工業学校。学校自体は基本寮制で、自動車整備、電気工学、情報工学といった職業訓練校的な学校。僕らはそこで何をするかというと、当然学校関連ではありませんね。そんなスキル持ち合わせているわけないし…。与えられた仕事は学校の境界線を仕切るフェンス張り。期間は3週間。みんな「やるぞ~~~!」というモードで乗り込んだものの、乗り込んだ週は修道会の創立者の記念日と言うわけで、一年に一度の文化祭みたいな週でして、仕事なし…。

というわけで、学校の生徒との交流も兼ねて思いっきり楽しみました。

題して「Enjoy! Don Bosco Days!!!」

Mad man

これぞPNG!と言わんばかりに有名(らしいです)なマッドマン。全身に泥を塗り、粘土で焼いた仮面をかぶり、めっちゃくちゃゆっくり動きます。終始スローモーション。どうやら戦いに行くみたいらしいが、赤ちゃんのハイハイより遅くて、戦えるのか?

Mad Man 2

なにげに顔がかわいかったり…w

traditional fashion 1

全身装飾のPNGの女子高生。

dance

どうやら戦いの踊りらしい…。槍をつきながら行進して行ってました。

dance 2

違う部族の踊り。こっちは太鼓を叩きながら…

makeup

鳥の羽根はどうやら山で拾ってくるらしいけど、こんな羽根が大量に落ちているものなのか?

学校はいろんな人が集まってくる場所であり、当然いろんな部族が集まる。いざこざも絶えないらしいけど、かなり多文化国家なPNGをちょっとだけ垣間見てしまっちゃいました。

各部族によって様々な顔を持つPNG。ソロモンと同じくワントクシステム(ワントクシステムに関して、こちらを)が存在し、いろいろと難しいらしいですけど、それだけ多様性に長けているPNG。思いがけなくカルチャーショーを満喫した日本人ですが、よく考えたら

「こいつら高校生で、プロじゃないんだよなぁ…」

日本もいろんな文化が存在して、地方独自の踊りや祭りがありますが、果たして、同郷5,6人集まったとして、地元の踊りを披露できるかと言われると、全く自信がない。地元の盆踊りですら踊れないし…。 恐らく自分の部族を誇りに思ってるんでしょうね。だからこそワントクシステムが成立する。果たして僕は日本人として、誇りをもっているのかということを問われた気がしました。

僕は今ポリネシアのトンガに生息しています。ポリネシアとメラネシアの違いは?と聞かれると、僕は「単一国家内の文化の多様性」 と答えるでしょうね。部族ごとに言葉を有しているPNG。話によると850以上の言語が存在するとも言われているらしい。ポリネシア国家は単一言語国家だし、大きく言って「ポリネシア語」の方言のような言語で、ポリネシア国家間の言葉にはかなり共通項があるようです。

トンガはどこまで行ってもトンガ。PNGはちょっと離れると全然違うPNGなんです。どっちも面白いです。安全面から言うとダントツにトンガですが、バラエティーを求めるならダントツにPNGです。大きく言うとポリネシアかメラネシアか。すみません、ミクロネシアは行ったことないので、ホントに分かりません…。

PNG、なかなか奥が深いです。

当時一緒に参加した仲間で、DBVGリピーターの一人が活動のHPを作ってましたので、許可もらいましたのでリンク張ります。

Photo Gallery of P.N.G.

僕の写真も使われてます。この記事の写真はそちらから転載です。 まぁ、基本的に自分の写真ですが

06:48 | DBVG, パプアニューギニア | パプアニューギニア その2 はコメントを受け付けていません
2009/09/14

こんにちは、トンガの鈴木です。

先日、日本の大学で勉強しているトンガ人留学生の手を通して、実家から楽器とCD,DVD(計20枚)をいくつか受け取りました。(別府に学生の半数が留学生で、構内の公用語が日本語と英語という超国際的なAPUという大学があるんですけど、そこの留学生)

それで、そのCDを漁っていると、 そのうちの5,6枚はソロモンやパプアニューギニアでのボランティア活動の記録写真や報告会のプレゼン用パワーポイントデータなど。もう5~8年前の話ですが。自分がかかわった活動を後から振り返ると言うのは、めちゃくちゃ面白いものですね。何から何まで懐かしい。一緒に活動したみんなは今頃何してるんだろうなぁ…。

と言うわけで、ソロモンとトンガの他に、パプアニューギニアのカテゴリーも作って紹介します。タイトルは「南太平洋から~」ですから。ちなみに短期ボランティアで3週間しか活動していないので、 それほど詳しくは書けないし、続かないと思いますが…。自分の防備録代わりに、写真など見て、思い出しながら書いていこうと思います。以下パプアニューギニアのことはPNG(Papua New Guineaから)と記すことにします。相変わらず主観バリバリなので、これがすべてではありませんが、僕のフィルターを通したパプアを紹介いたします。

PNGに関する基本データはPNG大使館外務省、を参考にしてください。位置はオーストラリアの北にある大きな島(ニューギニア島)の東半分です。ちなみに西パプアはインドネシアです。

ポートモレスビー国際空港に着くと、こんな壁画が出迎えてくれます。

空港壁画

僕が引率したボランティアグループ(Don Bosco Volunteer Group略してDBVG)の活動地は、PNGのど真ん中で、首都のポートモレスビーから小型飛行機(セスナ?)で一時間半ほど飛んだハイランド州、シンブ州の境目辺りにあるクムギという場所(シンブ州側)。まぁ、地図ではなかなか見つからないでしょうね。もしかするとKundiawaという地名がPNGの真ん中辺で見つけることができるかもしれませんが、クムギはkundiawaのそばにあります。そのハイランド州 にはPNG最高峰のウィルヘルム山(4,508m)がそびえ、活動地自体標高1,500m付近。完全に山の中です。「海?なにそれ?」そこには山と高い空があるだけ。椰子の木すら生えてない。椰子の木の生えてない南太平洋なんて、そんなのうそだ!と思ってしまうほど多彩な顔をPNGは見せてくれます。

近くを流れるワギ川

ボランティア活動は、大学生が中心ですので、大学の夏休み8月に行われましたけど、赤道を越えるとその時期が一番寒いことになってますが、PNGは赤道をちょっと南に下がった場所。日本から考えると完全に「赤道直下の熱帯雨林」。なんですが、上述のように活動地は標高1,500m。朝は、1m先が見えないくらい濃い霧に包まれ、気温は10度を割る。当然吐く息も真っ白に凍る。その前の年に、ソロモン諸島に行ってましたので、オセアニアは多少体験済みでしたが、まさか、こんな冬を南太平洋で体験するとは…。まぁ、事前に標高と冬場で寒いので、ジャケットをもってくるように伝えておりましたが、ジャンバーと言えばよかった…。そりゃ、椰子の木も生えないわけだ。

もやの中で

朝は凍えますが、日が昇り始めると急にポカポカ暖かくなり、しばらくすると太陽はギラギラと輝き、あっという間に30度越え。夏と冬、一度に味わえる、おいしい(?)場所です。やっぱりオセアニアの太陽は「痛い」です。これはホント。日差しは痛いものです。暑いものではありません。(暑いけど…)あっという間に日本人たちは黒く、小汚くなっていきます。もっともPNG人は、元々真っ黒。それが日焼けによるのか、生まれたときから黒いのか分かりませんが…。チモールからフィジーにかけての地域をオセアニアの中でも「メラネシア」と言い、「黒い人」と言う意味で、実際に黒い人が住んでます。PNGとソロモンの国境付近が中でも黒い人たちで、話によると世界の中で一番「黒」い人たちらしい。実際にソロモンの中でも、黒さが違いましたので、かなり信憑性ありです。木炭みたいな黒。あそこまで黒いと逆にかっこいいですよ。黒が黒として映えます。

PNGの子供たち

おっと、話が逸れた!何の話してるんでしたっけ? 話がごちゃごちゃになりそうなので、一旦ここで閉めます。次はDBVGというグループが、山の中のクムギと言う場所で、どんな活動をしていたか紹介します。

06:55 | DBVG, パプアニューギニア | パプアニューギニア その1 はコメントを受け付けていません