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もうすぐ、5月ですね。桜が終わり、各種様々な花が咲き乱れる大好きな季節ですが、そういう記憶も、もう10年前のもの。こちらは朝晩が冷え込んで、日中との温度差が10度以上出てくるようになりました。今朝8時、自分の部屋の温度計は18.9度を示していました。ひんやりよく眠れます。
前回、半分グチ気味な投稿でしたが、そこで書いたオイルプレスマシン、無事香港から到着致しました。
到着を待っていた日は、ひたすらククイナッツに紙やすりかけてました。結局一つ完成するまで8時間以上ですね。最近、金属工具のヤスリバー(?)を購入しまして、そちらを使うと3時間ちょっとで出来上がりました。感動的な速さでしたが、やはり3時間はかかりますね。最初の一つを紙やすりのみでやったというのは、結構根性ものです。
さて、オイルプレスマシンが到着した翌日、組み立てて、ククイナッツを30個ほどハンマーで叩き割って、中身をほじくりだして、オイルを絞ってみました。構造的には金属の筒の中に、螺旋状のスクリューがあり、そこにナッツ類を入れ込むと、スクリューに絡まって、筒の中の方に潰されながら押し込まれていき、その先が行き止まりとなり、押し込まれるナッツ類は圧縮され、オイル成分が絞り出されるという構造。そして、その筒の下にはアルコールランプが設置されて、暖められながらオイルが抽出されるというもの。
今どき、「超」不親切な取説(図解なしの、組み立て方法、手順なしの中国語と英語)を見ながら、組み立てて、アルコールランプに火をつけて、ククイナッツを入れ、スクリューを回してみる。そうすると、茶色いオイルがポタポタと。これ、明らかに火力強いよな…。香ばしすぎる香りが室内に充満。スクリューは重くなり、その先から絞り粕が出てくる穴があるにはあるが、明らかにふさがってしまってる。これ、欠陥品じゃね?ま、中国だし、しょうがね。
頑張って絞った結果出来上がったオイルというものは、ズバリ「廃油」。使えぇね…。取説にある通り5mmほどランプの芯を出してとあったのに、明らかな火力オーバー。ま、一回目に失敗はつきもの。次回を期待しましょう。
という訳で、マシンの温度が下がってから分解掃除。
そうです、圧縮されたククイナッツを除去しなければならないんですが、それがまた五寸釘が折れ曲がるくらいカチンコチンに固まって、その作業はまさに鉱物発掘作業状態。あぁ、炭素を高温で高圧力を加えるとダイヤモンドが生成されるって、こういうことを言うんだなぁ…と妙に納得しながら、強いられた納得出来ない作業を続ける羽目になりました。ククイナッツをハンマーで叩き割って、中身を取り出すの、超めんどくせーと思ってましたが、まさかそれ以上に面倒くさい作業が待っているとは…。
そして、本日、同じくククイナッツを叩き割って、ほじくりだし、加熱すると面倒なことになるので、今回は非加熱でオイルを絞って見ました。過熱することで成分が変わるので、やはり非加熱がいいよね。きっと高圧力がかかっても、常温なので、問題ないはず…。
結果は、オイルとは程遠い産物…。オイルというか、潰されたククイナッツの液状化がほんの少し。そして、後始末は、やはりカチンコチンとまでには行きませんが、かなりカッチリ圧縮されたものを取り出すのに、五寸釘にハンマー必須。しかも、加熱してない分、蒸発もなく、もうそこら中オイルまみれで、こっちの作業工程も最悪…。ココナツオイルを自分で作って…と思ったんですが、買ったほうがよっぽど確実です。
という訳で、オイル生成はしばらくお預けします。もしくは、他の方法を探ります。大量に余ったククイナッツは時間のあるときにゴリゴリシコシコ削って磨いて行こうと思います。ネックレスに至るまで半年覚悟で。
決意表明から早一ヶ月…
中々ネタを探せない日々が続き、また、久しぶりの秋冬を迎え、ほとんど夏服しか持ってない元トンガ人は、日本の寒さに震え気味です。
前回、このコラムのタイトルも変わり、心機一転頑張りますと誓ったところですが、実はその後また転機を迎えてしまい、地元大分を離れることが決まってしまいました。めでたく就職先が決まったことをまずは喜んでおります。
その決まった先は、またもや日本から脱出することとなりました。そして、その脱出先は、なんとトンガ王国(笑)。どうやらこの国と縁があるようです。なので、タイトルは変わりましたが、内容はそれほど変わることなく、今後共よろしくお願い致します。「古今東西音巡り」というタイトルになってますので、音に関することも探していきます。
さて、次なる就職先は貿易関係の会社です。音楽教師とは全くかけ離れた職種。採用の決定打は「現地に慣れてる」恐らくそれだけでしょうね。現地を知らない日本人がオセアニアとか聞くと、リゾート「だけ」をイメージしてやってきて、結果「こんな環境だと思ってなかった…」と1年も持たずに帰国するケースがかなりあるようです。その点、僕は日本からのサポートもなく、現地の「超」激安サラリーで5年半、なんの問題もなく、というかとっても楽しく生活してましたので。トンガにいる時に仲のよかった日本人が来年帰国することになり、その後釜探しをしていた所、僕を思い出し、話を持ちかけられ、日本の本社に履歴書を送って5日後には決定。就職難のこの時代、恵まれてるんでしょうね、自分は。ローカル採用枠で、日本でのアルバイトより低所得ですが、トンガ生活時より数倍なので、僕にとっては問題なし。せっかくなので、そういう話題も盛り込んでみましょうかね、このコラムに。ますます方向性がひっ散らかし状態へ。
あ、そうそう、12月1日に開催されるJunkstageのイベントに参加できることになりました。もうこの機会を逃すと、トンガに戻ることが決定した以上かなり難しいことになるだろうと思いまして、全然たまらず、風通し良すぎる懐具合と相談しながら。Junkstageの皆さんと会えるのが楽しみです。
はじめまして、鈴木真一と申します。
はじめまして、と言いましても、前回まで「南太平洋からこんにちは」というタイトルで書かせていただいておりました、元トンガ在住の鈴木と同一人物です。
前回まで「南太平洋からこんにちは」でしたが、私自身の置かれた現状が全く異なってしまい、コラムも放置プレー気味でしたので、前回お知らせした通り方向転換し、心機一転し、ここを継続させていただくことになりました。
タイトルは既に変わっておりますが「古今東西音巡り」となります。(タイトルタグがまだ変わっていませんが(笑))
軽く、改めて簡単に自己紹介を(笑)
今の私、鈴木は、このコラムでの肩書に「現在は楽器店にて音楽講師を勤める」とありますが、正確には「現在は楽器店にて音楽講師を勤めることが決まった。」というもので、その実績もゼロでして、これから生徒募集をし、これから始めるという状況です。現在の音楽活動は九州の地方アマチュアオーケストラでのトランペット奏者を務めているというのが、唯一の音楽的接点。あと、カトリック教会でオルガニストやフルート吹きも月に何度かさせてもらってます。
このコラムのタイトルは変わりましたが、それまで「南太平洋からこんにちは」というタイトルで書かせていただいていたので、ご存知かと思いますが、5月までは南太平洋のトンガ王国という、僕にとっては楽園で音楽教師とにわか日本語教師をやっておりました。この国にはトータルで5年半滞在し、その前は2004年から2007年までカトリック修道会の宣教師としてソロモン諸島に派遣され、そこの工業職業訓練校で音楽を教えておりました。
ソロモンにいるまでの間、修道士として過ごしておりましたが、その間、音楽大学で音楽を、カトリック系の大学で神学を学ばせて頂き、日本でのミッションスクールでトータル3年ほど教鞭もとっておりました。今は、先に書いた通り、音楽を専門にしておらず、一般事務職でオフィスワークをやっておりますが、やはり音楽に関わる仕事をしたいと思い、音楽講師の採用試験を受け、無事合格したところです。楽器歴は小学校にてトロンボーンを始めますが、手が届かないことを理由にトランペットに変更し、大学1年ではトランペットを専攻。大学2年次に音楽学へ転専攻し、古楽実習でフラウトトラベルソ(今のフルートの元祖)とリコーダーを習い、その後は趣味でトランペットを吹いてます。
さて、心機一転し、タイトルを変え、このコラムを継続することになりましたが、その理由として、僕はあまり日本人が行かない南太平洋での生活が長かったことや、自分が音楽大学で「音楽学」という演奏や作曲と言ったものではなく、既に作曲されたものを研究したり、社会と音楽との関わり、歴史、民族音楽…と、音楽を実践するのではなく、音楽を学術対象として取り扱う分野を専攻しておりました。もうかなり時間は経っておりますが。なので、せっかくいろんな地での生活体験を元に、その国での音楽や芸能事情の紹介的なものが書けるのではないかと思ったことに始まります。また、今参加しているオーケストラや、これから行おうとしているトランペット講師などの現場の話なども合わせて書くことができたらと思っております。それから、行ったことはないけど、是非訪れてみたい国の音楽事情も勝手に、インターネット情報などを元に書きたいですね。あまり勝手が過ぎないように、できる限りyoutube等の引用など心がけたいと思います。「音」を扱う以上やはり聞いてもらわなければわからない部分は多いと思いますので。
執筆対象となる可能性をザッとあげてみます。
ちなみに私の訪れたことのある国は、
フィリピン、イタリア、パプアニューギニア、ソロモン諸島、フィジー共和国、サモア国、トンガ王国、ニュージーランド、オーストラリア、それから日本
パスポートにスタンプはある国は、
バヌアツ共和国、アメリカ(グアム)
ただし、この2国は乗り換えのための数時間なので、考えない(笑)。バヌアツは空港係員のミスで入国する必要ないのに入国し、そのまま出国して、後でチケットが足りなくなって大変なことになったし、グアムも乗り換えのための待ち時間が5時間あったので、2時間ほど出て、ビールのんで帰ってきただけなので、この2国は行ってないに等しいです(笑)
行ってみたい国、体験したい国の音楽はたくさんあります。アジアでは韓国、モンゴル、インドネシア、タイ、インド
よくわからないけど、中東アラブやアフリカの音楽(ざっくりまとめ過ぎ…)
北欧やロシア、アラスカと言った極寒の国の音楽
きっと知らない音が山ほどあるんでしょうね。
もちろんオーケストラをはじめ、クラシック音楽などにも言及はしたいと思っています。
学術的な価値はなく、相変わらず主観まみれのものになるでしょうけど、「南太平洋からこんにちは」に引き続き、「古今東西音巡り」をよろしくお願い致します。
元トンガ住民の鈴木です。
ご存知の通り、私、5月末に帰国してしまいまして、日本人となりました。実は、また高飛びするつもりも含めて帰国したのですが、その予定が潰れてしまいまして、しばらく日本に留まることとなって現在に至ります。
Junkstageの方々より、①休載する、②クローズする、③形を変えて継続する、を迫られましたが、Junkの皆様は、是非とも③という方向で願いたいとありがたいお言葉を承りました。
現在の私の状況はというと、似合わずにオフィス勤めをしておりますので、①か②という方向性を考えておりましたが、先日、某楽器店の音楽講師(トランペット)が決まったという事もあって、僕の移民生活と音楽を合わせて「民族音楽」やそこから派生する事柄なんかを書いてみては?という事になりまして、上記の③形を変えて継続するという方向に致しました。
タイトルや肩書きなどはとりあえず保留(まだ全く考えてない)し、とりあえず、そういう方向性が決まったということで、とりあえず、ここで決意表明致します。
具体的な内容はまだ考察中でして、とりあえず自分の見聞きした場所での音楽や楽器、それから自分が行きたい国の音楽などを語ることができたらなぁと思っております。
ゆる〜く、のんびりとやって行きたいと思っておりますので、元トンガ住民の鈴木をよろしくお願い致します。
なにやら、日本はまだまだ暑い様子ですね。秋田在住の友達が「外気温37度初めて見ました!」と。きっと暑い地区はもっと暑いんでしょうね。トンガでその位に達することは、真夏でも滅多にありませんが。9月半ば過ぎとはいえ、日中症などには、充分気をつけてお過ごしください。
さて、先週の土曜日の夕方前、うちの庭で子犬が「クンクン」泣いている声が聞こえました。時々、うちの庭に入り込んで、庭にある段差を乗り越えられず、勝手に袋小路に陥って動けなくなる子犬がいます。戻ればいいのにと思うんですが、そういう発想はワンちゃんにはさすがに通じませんね。というわけで、段の上にあげて逃してます。
今回もそのパターンと思い、外に出てみると、白い子犬が、尻尾フリフリで、別に袋小路にはまってる様子でもない。そして、初めてみる僕に対しても、別に警戒なし。というわけで、放っときましたwwww。
その後、ちょっと買い物に出かけると、自転車を追いかけてきて、外までダッシュ。そうなると、自分のうちに帰るだろうと思って、そのまま買い物を30分ほどして帰ってきましたら、その白いワンちゃんもうちの玄関でちゃんと座って待ってました。
かわいいじゃん!!!
基本的に動物は好きなんですが、動物を飼うという責任にやや不安あり。飼う以上最後まできっちり責任を持つべき、と思うので、今まで飼うことはなかったのです。この子を飼ってもいいんだけど、そのへんがなぁ…。
で、夕日も直接あたり、飲み水もないし、かと言ってどこかに行くという風でもないので、しょうがないので、水をあげる。すると、ものすごい勢いで水を飲み始める。
夜カヴァを飲みに出かけ、夜中の2時すぎに帰ってくるが、やはりいる。翌日、朝起きると、そのワンちゃんは僕のサンダルの上で寝てましたwww。
日曜日教会に出かけ、昼過ぎに帰ってくるとちゃんとお出迎えwwww
もう、うちいていいよ。わたしが面倒見ましょう!
というわけで、我が家に白い雑種の子犬が仲間入りです。名前は「チロ」。なぜなら「白い」からwwwww。この辺のネーミングセンスの無さがみっともないけど、ま、いいでしょう。
ドッグフードを捜してみると、普通に僕の食費より高価なものでしたので、僕の料理の残り物がチロに行くようにしています。
別に荒んだ毎日を送っているわけではありませんが、こういうペットが出来ると、ペットと戯れて、ほっくり、穏やかになりますね。
というわけで、また。
この間に日曜日(6月5日)のことですが、左奥歯(上の親知らずを含む)から3番目の歯が、ボロっともげてしまいました。その10日ほど前から、「なんかグラグラするなぁ」とか「歯槽膿漏?」とか気になってしょうがなかったのですが、日曜日、ちょっと触ったところいきなりボロっと(爆)その歯は大昔に大きな虫歯があり、ほとんど歯の根管だけを残して金属の被せ物をしていたものですが、その接着剤が剥がれ、根管の端が折れた(裂けた?)感じでとれたものと思われます。
というわけで、この一週間はその抜け落ちた後の残った根管が舌に当たって、気になってしょうがなかったので、病院に行ってきました。えっと、トンガの歯医者は病院の中にあります。(外にもデンタルクリニックがあるっぽいですが)
病院で「ここの治療済みの歯が取れたので…」と説明したところ
「ここじゃ抜くしかないね。いい?」
ま、そうでしょう。そのくらいは予想してました。実はソロモン時代、その全く反対側上の左奥歯から3番目の歯を、全く同じような状況になり、日本に帰国した際、抜きました。日本の歯医者さん曰く
「根管がしっかり残っていれば、それを土台に金属をかぶせることが出来るんですけど、根管が避けたりしてる場合、どうしょうもないんですよね。一度抜いてから、インプラントにするか、ブリッジ掛けるか…」ブリッジ?つまり部分入れ歯か…。
と日本でもそうだったわけだから、当然トンガでは抜くだろう。その位百も承知なので、OKしまして、レントゲンを撮りまして、抜歯に入りました。
あ、レントゲン室に行く際、連れていってくれた医者は、普通にビニール手袋(あのピチっとフィットした医療用の)を付けたまま、普通にドアノブ触ってた。そして、そのままレントゲン…。大丈夫か?そういう些細な不注意は(爆)
あ、設備はとんでもないもので、一応歯医者のリクライニングチェアはあり、ライトもありましたが、それ以外の医療機器は機能していない模様。あ、一台だけはちゃんとドリル(?)が回ってましたね。つまり、他のブースは抜歯専用か…。3,40年前の日本の設備よりひどいでしょうな。
で、麻酔注射をしたんですが、これがまたイタイのなんの。抜歯より痛かった(爆)抜歯自体は、まぁ、思ったよりすんなり行きまして、無事に終了しました。そしてドクター曰く
「そんじゃ、この脱脂綿しばらく噛んどいて。終わり。帰っていいよ…」
って、治療中も治療後も口濯がないの???つか、今、口ン中、血だらけじゃね?ありえなさすぎるだろ!!
いやぁ、久しぶりにびっくりしました。ソロモン、トンガとオセアニアで7年過ごして、大抵のことには驚かない体質になってるんですけどねぇ。あまり病院とか行かないからかな?
そして僕は病院を去ったわけですが、お金払ってないね。数年前から「ローカルは医療費タダで、外国人は有料になった」と聞いたんですが、結局払ってない。以前レントゲンを撮った時も、ミエログラフィ(脊髄に造影剤を注入して神経を撮るレントゲン)をやった時も、お金取らなかったし、そもそもこの病院に会計がどこにあるのか、いや、会計そのものがあるのかどうか、僕は知らない。まぁ、助かりますけど。
はっきり分かったことは「自分の体は自分でケアしろ!」って事ですね。正直こういった発展途上国の医療機関は陳腐過ぎますので、何かあったらもう遅いと覚悟しなければ…。というわけで、ちゃんと歯を磨いて、虫歯を作らないようにしよう!と改めて決意しました。
歯は大切に。
追記
今思い出したんですが、そう言えば消毒ってものもありませんでしたね。(水くれなかったんだから当たり前か…。)一週間経った今日も、まだ疼いてます。こんなに長引くものだったかなぁ?それとも単に自分が意識過剰になってる?確かなことは、歯茎にクレーターができて、モノが食べ辛いったらしょうがありません。
みなさんこんにちは。トンガの鈴木です。トンガに戻ってきてすぐ引越しをしまして、自宅でネットができなくなりました。とは言うものの、引越し先は学校の中でして、徒歩30秒の位置に学校のオフィスがあるので、そこでネットをつないでます。速度は最高に遅いですが、とりあえず自腹じゃないのは楽です(笑)
さて、前回に続きまして、トンガに戻ってくるまでの道中の様子を書いてみたいと思います。
本来ならフィジーに3泊もしなくても、数時間でトンガに戻る飛行機があったのですが、せっかくフィジーを経由するので、とりあえず目的を持って三日ほど遊ぼうというわけで、3泊してトンガに戻るように設定しました。その目的とは
「知人に会う」
ただそれだけです。知人その一は前回書きましたとおり、3年前の飛行機内で仲良しになったフィジー人。そして、二人目はフィジーにある南太平洋大学で教鞭を取っている日本人の先生。mixiで知り合いまして、ソロモン諸島へ出張されたとき、ホニアラにてお会いしました。一泊目は最初のフィジー人のお宅でお世話になり、残り二日はこの先生のお宅でお世話になりました。ちなみにですが、わたくし、2001年より何かとオセアニアと縁がありまして、パプアニューギニア、ソロモン、フィジー、サモア、トンガ、ニュージーランド、オーストラリアを回っておりますが、実は自腹を切って宿に泊まった経験は2回だけ。オーストラリアのバックパッカーで4泊(しかもそれは本来予定になかったもの)とフィジーで乗り継ぎのため一泊のみ。あとの宿泊は以前所属していた関連団体だったり、知人宅へホームステイ。なので、僕の旅程には「リゾート」めいた物はこれっぽっちも存在しないんですよねぇ…。
さて、機内で会ったフィジー人のお宅に泊まり、翌朝、彼は出勤してしまいまして、僕は僕の目的「知人に会う」計画へ。次なる知人はソロモン諸島で出会ったフィジー人警察官。2006年から2007年にかけて彼らはソロモン諸島へ派遣されてました。通常は10ヶ月の派遣だそうですが、彼らのチームはもう一期延長しまして、僕がソロモン諸島を去った後も、しばらくソロモン諸島で活動していました。なので、彼らと会うのはソロモンの空港以来。彼らとはラグビーで親しくなりまして、会えるかなぁと思いつつ警察署へ向かいましたが、ここで問題発生。実はファーストネームしか知らなかった!(爆)しかもそのファーストネームが「Jone(チョネと発音、英名はJohn)」だったりする。もう一人は「Lemeki」という名前でしたが。われながら呆れましたねぇ。ここに来て大チョンボ。でも、ダメもとで、
僕:「Johnという警察官探している」
警官:「どのJohn?」(そりゃそうだろうなぁ…)
僕:「2007年にソロモン諸島に派遣されてて、色黒で、背が高く、がっちりして、お腹が出てて…」
ちなみに、インド系でないフィジー人は色黒で、 がっちりしてて、腹が出てる人が多い…。無理だな。なんという説明してんだ自分…。すると
警官:「よくわかんないけど、John B….かなぁ?彼なら○○署だけど、Lemekiは知らない。聞いたことないよ、その名前…。警察やめたのか、それか離島という可能性もあるかもねぇ。」
そう言えば、当時彼のIDカードの苗字はBで始まってた気がする…。というわけで、ダメもとでそのJohn Bなんとかという人の勤務地を聞いて、バスに乗って移動。その距離バスで5分程度。隣じゃん。 そして、その警察署でその人らしき人に取り次いでもらうと、BINGOでした。さすがにびっくりしてましたね。ソロモン諸島以来、全く連絡先をお互い知らない状態でしたのでね。現在署長さんになってまして、どうやら忙しい日だったらしく、翌日一緒にカヴァを飲もうと約束して、連絡先をもらって分かれる前に「Lemekiはどこ?最初に行った警察署でLemikiって警察官は聞いたことないって言われたんだけど」と伝えると、実は結構近場の警察署にいることがわかり、Joneと別れてバスに乗ってそちらの警察署へ。バスで15分ほど。当然こちらも相当びっくりしてました。彼は研修が終わって、一段落中だったので、一時間ほど彼のオフィスでしゃべって、Joneとともにカヴァを飲むと約束して分かれる。実は、3年前ソロモンから帰る途中、彼の村で泊まったこともありまして、何かと親近感があります。
まぁ、そんな感じで警察官探しも無事終了しまして、先生のお宅へ。荷物を置いたあとは、大学のキャンパス見学をして、チャイナレストランへ夕食へ。南太平洋大学という大学は、南太平洋諸国の共同出資、経営の大学だそうで、学長は毎期順番で、各国のトップ(総理大臣や大統領など)が持ちまわるとのこと。そんな大学があるんですね。名誉職だそうですが。広大なキャンパスに、南太平洋諸国の様々な顔が見れる面白そうな大学でした。ちなみに僕の専門の音楽の学科はありませんので、僕が関わることはないでしょうが。
先生のお宅で宿泊し、フィジー三日目。先生は朝から夜まで予定が詰まってて忙しいとの事だったので、朝一緒に出かけ、彼は大学へ僕は町に向かいますが、実はこのスバという町は以前歩きまわったことがあるので、どうしようと思ったところで思い出した警察官その3。昨日のJone、Lemekiよりずっと前のソロモン諸島派遣の警察官で、フィジー警察音楽隊だった人。その人はソロモン諸島でも音楽隊へ派遣されてたので、音楽隊へ遊びに行っていた僕とは音楽つながり。そう言えば、ソロモン帰りにも来たけど、あの時は式典準備だったし…。音楽隊のオフィスに向かいそこでまたもや問題発生。
「彼、なんて名前だったっけ???」
5年くらい前なのかなぁ?すっかり忘れてました。それで、「以前ソロモン諸島に派遣されてて、クラリネットを吹いてて…」と話すと「あ、奴だ。すぐ呼んでくるよ」と人をやって呼びに行かせている間、オフィスでお茶が出されて、いきなりリラックスモード。ん?このカップとソーサー、フィジー警察のロゴがプリントされてる!!!洒落たもん作んてんじゃん、フィジー警察。とお茶を飲みながら、久しぶりにであった彼とも話が盛り上がり、結局何することなく、まったりと警察で5時間ほど。ちなみに彼らの合奏の練習も覗きましたが、正直びっくりするくらいひどかったですね。トンガも「ん~~、オイオイ」と思うことが多々ありますが、あまりにひどくてびっくり仰天でした。ソロモン警察の方がうまいんじゃね?そう思うと、トンガのバンドレベルはオセアニアの中では、ダントツでずば抜けていますね。
夕方、警察の勤務時間終了あたりを狙って、Joneに電話して、車で拾ってもらい、それからLemekiを拾って彼のお宅でカヴァ開始。Lemekiは「これはお土産にもってけ」 とフィジー警察の紋章入りのネクタイを出すと、Joneは「じゃぁ、俺は…」と持て来たものはフィジー警察のウインドブレーカー。背中に思いっきり「POLICE」と明記。着れないじゃん…。しかもサイズ2XL。手が見えないよ。まぁ、有難くいただきました。ちなみにそのウインドブレーカーは警察ラグビーチームのものらしく、今年の6月か7月に7人制ラグビーの日本代表のフィジー遠征で日本に勝っている。ちなみに現在そのウインドブレーカーは僕の寒い時の寝間着替わりになってます。
ま、そんなカンジで、フィジーで3泊ほどしましたが、恐らくフィジーではっきりと覚えている知人は一人を除いてみんな会えました。その一人とは電話で話しましたが。
なんか、どこに行っても警察と絡んでいる…。
みなさんこんにちは。トンガの鈴木です。日本は涼しくなりましたか?こちらはだんだん夏に向かっているのですが、まだまだ快適です。学校の方も無事始まり、なんとか平穏にスタートを切りました。今年度も後10週で終わってしまいますので、ここらできっちり仕事をしなければなぁと思っている今日この頃です。
さて、トンガの記事に行く前に、今回日本からトンガまでの経由地点のことを少し書いてみようと思います。ちなみに経由したのはグアムとフィジーです。
===グアム===
私、今まで10カ国ほど海外旅行(?)の経験がありますが、未だかつてアメリカという国の土地を踏んだことがないんです。正式には日本に帰国する際、同じルートだったのでグアムには立ち寄ったのですが、待ち時間が2時間だったため、空港からは出ませんでした。今回は5時間だったので、2時間ほどグアムの町を出てみました。
初めてだったので、ゆうさんのコラムを参考に…と何度か読み返したのですが、実は夕方到着して実際には夕方の6時から8時までという、なんともいえない時間帯しか滞在できず。ショッピングとか全く興味がないので、結局海岸そばの店でビールを飲んで、フライドポテトを食べただけ。
しかし、噂には聞いていましたが、日本人だらけですね。びっくりしました。ビールを飲んだ店は結構広くて、ほぼ満席になるほど混んでいたのですが、客が100%日本人。なんだここは???全然海外にいる感じがしませんね。店員も普通に日本語しゃべれるしね。
というわけで、なんの目的もないグアムは正直よくわかりませんでした(爆)
空港に戻ると2時間遅延の案内がありまして、夜8時過ぎの空港は店も閉まって全くすることがなく、だったらもう少し町にいてマッサージでも頼めばよかったかなぁ…。
===フィジー===
というわけで、フィジーに向かう飛行機の中は、僕の席は隣が2つとも空席だったので、ガッツリ独占してガッツリ睡眠。しかし、途中フライトアテンダントに起こされて「Excuse me, Beef or Chicken?」 しょうがないので、「Chicken Please」とチキンを頼むと「Sorry, No Chicken…」頼むから寝起きにそういう事言うのやめて…。なんだったんでしょう???
フィジーは前回も来まして、12時間待ちだったので国際空港そばのNadi(ナンディ)の街巡りはしました。今回のフィジー滞在は3日だったのですが、もうNadiには向かわずにSuva(スバ)という首都に向かうことに。NadiからSuvaまでは飛行機で30分ちょいで行くか、バスで4時間ほどかけて行くか。要は財布との相談で、当然バス(泣)バスの最前列のシートに座って、バスにゆられて4時間か5時間。以前の僕だったら確実に車酔いしただろうなぁと思うんですが、車にも、凸凹道にもすっかり慣れて、なかなかのんびりとバス旅行が出来ました。ちなみに飛行機の1/10程度の旅費でした。懐にやさしい…。フィジーに行って、スバに行くことがあり、しかもちょっと時間的に余裕があるという人はバスの旅もお勧めですよ。車内では明らかに海賊版のDVD映画をやってましたので、結構爆笑の車内でした。
で、3泊のうち最初の一泊はフィジー人の友達のお宅。この人、僕がソロモン諸島での仕事を終えて帰国する際、フィジーから東京に向かう飛行機で前に座ってたおじさん。僕がフィジーやこの辺で正装のスルという巻きスカート(トンガではトゥペヌというけど同じもの)を巻き、ソロモンでもフィジー人と仲が良かったので、「Excuse me」のフィジー語で「チロ(チュロだっけ?)チロ…」 と言っていたことからいろいろ話が始まって、機内でビールを二人でバンバン頼んで…それだけの知り合い。その後はメールでやりとりがあっただけだったのですが、今回は図々しくもお邪魔することに。そこのおじさんと早速カヴァの儀式(フィジーでは客を迎えるための重要な儀式らしい)をやりまして、その後はひたすらビール。通常フィジー人やトンガ人などオセアニアの人たちって、お酒と食事を同時にしないんですが、僕が日本人だということでビールを飲みながらまぐろの刺身の山盛り、いや、てんこ盛りを(笑)醤油に唐辛子と胡椒とごま油を垂らしたピリ辛醤油風味。なかなかナイスでした。12時過ぎまでいろいろしゃべったりして就寝。
非常に長くなってきてますので、続きは次回の更新にて。
お久しぶりです。まだ帰国中のトンガの鈴木です。
今回の帰国ですが、予定より長引きまして、9月初旬となりました。本来ならば七月初旬にはトンガに帰っているはずだったのですが…。身内の不幸がありまして。
というわけで、前回の更新から既に一ヶ月以上経っておりますが、トンガ帰国まで記事更新の一時中断という形でお願いします。
来月トンガに戻りましたら、再開したいと思います。
こちらトンガは、段々と寒くなってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか?
さて、私的なことで申し訳ありませんが、家庭の事情により2ヶ月ほど一時帰国することになりました。帰国する予定は「全く」なかったのですが、ある意味緊急自体でして…。
というわけで、しばらく記事の投稿をお休みするかもしれませんが、御了承下さい。