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2014/12/04

こんにちは。

2014年も残り1か月を切りましたね。

僕が高校を転校して吹奏楽部に入り、コントラバスという楽器を始めてから来年で25年目になります。いや、1年半音楽から離れた事を含めると正確には24年目でしょうか。

今回から数回に渡り、自分の音楽との関わりを整理する目的で、これまでの人生を振り返ってみようと思います。

■家系

まずは僕の誕生から、という事になると思いますが、その前に家系を説明する必要があるでしょう。

僕の両親はどちらも音楽家です。父はホルン奏者で、ベルリン交響楽団、ドゥイスブルグ交響楽団、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団などで活動したのち帰国し、新日本フィルハーモニー交響楽団を経て東京芸術大学教授として後進の指導にあたりました。母はピアニスト。ドイツでの演奏活動から帰国、東京音楽大学の教授として世界的なソリスト・小菅優さんをはじめ数多くの演奏家を輩出しています。

そんな両親だけではなく、母の父、つまり僕の祖父はヴァイオリニストとして日本音楽コンクール第1回・第2回で優勝を果たし、NHK交響楽団での演奏活動から引退後は国立音楽大学の教授として指導もしていました。他にも祖父の兄(つまり大叔父)は日本ヴァイオリン界に名を残す指導者ですし、現在も僕の親戚にはヴァイオリニストやピアニストが数名居ります。クラシックの世界で、祖父や両親の名前を知らない人は居ないと言っても過言ではありません。

そんな家庭状況ですから、僕は生まれた時から音楽に囲まれていたと云えるでしょう。僕がプロになっていろいろなオーケストラに伺うようになり、自己紹介で名前を名乗ると「『あの』鷲見一族には関係ありますか?」と聞かれたものですし、しばらくの間自分の名前に苦しめられる事になります。

■誕生

さて、僕はドイツに生まれました。

当時ドイツのオーケストラで演奏活動していた父とピアノ留学した母が知り合って結婚し、僕が誕生したのです。家庭ではドイツ語と日本語を使っていたようで、当時の親子の会話を録音したテープを聞いてみると、幼き日の僕が流暢なドイツ語を話している形跡があります。その様子からは、後に音楽大学でドイツ語の単位を落とす事が想像出来ません。

幼少期の頃の僕は実に明るくて愛嬌があり、誰にでも愛想を振りまく子供だったようです。ドイツに来て面倒を見てくれた祖母の話によると、デパートのレジで店員さんに投げキッスをしてチョコレートを貰うような出来事は日常茶飯事で、公園では遠くから走ってきた人が僕を抱き上げ「連れて帰りたい!」と叫び、誘拐されると思った祖母が慌てたというようなエピソードもありました。

昔「人の人生には数年周期で春夏秋冬が訪れる」というような話を何かの文献で読みましたが、この頃の僕はきっと太陽も眩しい夏真っ盛りだったのではないかと思います。

この頃父はベルリンを拠点に活動しており、あのベルリンフィルにも客演していたようです。僕は母に連れられてリハーサルを見学しに行くことも多く、客席で静かに聞き入って、帰宅するとレコードをかけて指揮者の真似をしていました。今でも、下着姿で指揮棒を振りまわす僕の写真が残っています。

両親は「子供は日本で育てたい」と考えていて、僕が4歳の時に帰国を決断します。

こうして僕は日本に移り住むことになったのです。

・・・続く・・・

2014/12/04 11:22 | 紆余曲折伝 | No Comments

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