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2007/11/21

演奏家は一生自分との闘いを続ける職業です。

音楽はスポーツなどと違いこれといって数字で示される到達点がなく、突き詰めればキリが無いし一方で簡単に妥協も出来てしまう。演奏の出来不出来は自らの満足度に関係なく幅広い趣味思考を持つ聴き手の判断に委ねられます。

自身が満足出来る演奏のレベルをどこに設定するかは人によって違うでしょう、
そして深く考えていくと完璧な演奏とは何か、という最大の難問にぶち当たります。

美しい音、正しいリズムと正しい音程で演奏すればそれで良いのか、はたまた作曲家が記した楽譜を忠実に再現し一切の感情を排除すべきなのか、ある程度個人的な意志を持って演奏する事で「演奏家の個性」なるスパイスを加えて良いものなのか。これらはきっとこれからも演奏家たちが一生抱えるジレンマとなるでしょう。

人間に「好き嫌い」があり、また天の邪鬼な人間が存在する限り、おそらく今後も「世界中誰もが認める完璧な演奏家」は登場しないのだと思います。まあ、イチロー選手だって打率10割は打てない訳で、この世に「完璧な人間などいない」と考えてしまえばそれまでですけどね。

さて、先ほど「スポーツのように数字に現れない」と書きましたが、音楽界において唯一数字や結果がはっきり出るのが「コンクール」というやつ。

以前私は「音楽を演奏する」という芸術行為に点数をつけ、かつ順位で優劣を表すコンクールは如何なものか、下劣極まりない行為だと考えていました。近年海外のコンクールなどはスポンサーの影響力により日本人受賞者が増加傾向にあるなど、まあ多くの問題もありますから。しかし、だからといってコンクールの撤廃は音楽を学ぶ学生にとって目標を見失いモチベーションの低下にも繋がりかねないし新たな才能の発掘に一役かっているのは事実です。「コンクール至上主義」にさえ陥らなければ、ある程度は仕方ないのかと最近考えを改めています。同じ芸術で絵画だってコンクールは存在しますからね。

演奏家がコンクールを受ける事のみならず一つの曲を演奏するにあたり、どこまでを「完成」とし満足するかは本人の意志ひとつ。究極に自分の音楽を追い求めた結果、演奏会でその到達点に達した、或いはK点越えを果たした人がどれだけ存在するのか。

私は「自分の実力ではこれ以上弾けない」という事実を前提に開き直って演奏した結果「楽しめた」本番はありましたが一度たりとも完璧な演奏に少しでも近づいた、と感じた事はありません。「完璧だ」と思って自身に満足したらもう成長しないだろうし、そうやって経験を積み重ね、人間として成長すれば自ずとそれを評価してくれる人たちが現れる事を、実際に体験してきました。

そんな事を考えて、私が到達した結論は「演奏家は万人に受ける必要は無く、努力を続け経験を重ね、自己に満足せず活動を続けていく事によって少しでも自らの演奏に共感を覚えてくれる人たちを増やしていき、自分の位置を確立していく」のがベストではないかと考え始めています。

演奏において作曲家の書いた音符を忠実に再現するか自分なりの表現を加えるかは、ある意味自らのセルフ・プロデュースのやり方にもよるでしょうし、人それぞれではないかと。

演奏会場に足を運ぶとき、演奏家一人ひとりが何を考えて演奏しているのだろうと、表情をじっくり観察するのも良いかもしれません。

案外、演奏者が楽しそうな表情をしていれば、それだけで演奏も楽しく聴こえたりするものなんですよね。

2007/11/21 12:31 | 居酒屋トーク | No Comments

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