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2008/09/04

昨日、ホールに向かう電車の中で読んだ雑誌に、先日の五輪水泳で金メダルを獲得した北島選手のインタビューが載っており、興味深い事が書いてありました。
実は北島選手が五輪のレースをほとんど覚えていないと発言した事を受けての解説記事。

「終えた試合を覚えているというのは感覚に歪みがあるから知覚される訳で、感覚通り・理想通りだと知覚されず記憶が無かったり、試合をした事を感覚的に覚えていなかったりする」

つまり、スポーツ選手は、自分の本当の理想通りのプレーが出来るとハッキリした記憶が無いのだというもの。これ、きっと演奏家もそうなんじゃないかなと思いました。

理想通りの演奏=感覚に歪みが無い=記憶に残らない

オーケストラの場合、自分個人の演奏の出来と楽団全体の出来や指揮者との関係、聴衆を含めた演奏会の雰囲気自体が良いかどうかはまた別ですから、その条件を全て満たして感覚的に満足するなんてかなり低い確率です。
しかし、やはり集団で行うものですから、全てを満たさないと個人的に「良い演奏会だった」とは思えない。実際に、これまでに心の底から満足した演奏会は数える程度しかありません。

そんなとき、思い返してみると自分がどんな演奏をしたかよく覚えていなかったりするんです。ではいったい何が素晴らしかったんだろう?と思い返しても結局「雰囲気」といった感覚的な回答しか導けない。これが本に書いてあった「感覚論」に通じるのではないでしょうか。

ただ、メジャーリーグのイチロー選手なんかは「これまでの打席、配球はほとんど記憶している」という事ですから、そうなると彼は感覚を超越した天才なのか、それとも理想が高すぎるあまり毎回感覚に歪みを感じているかといった話にもなります。まあ、あれほどの選手でも3割しか打てない訳ですから、7割は歪みを感じているはず。配球を覚えているのと理想のバッティングをする事は別なのかもしれないですね。

ちなみに同じ雑誌で、ソフトボールで金メダルの原動力となった上野投手は

「自分の良い時の映像を見たりしてその状態に近付けようとする選手が多いが、自分はやらない。身体・体調は日々変わるから、その中でベストを尽くそうとするし、少しでもベストの体調になるように確率を上げる努力をする」

と発言していました。

これも、演奏に通じる発想。

「確率を上げる為の準備、反復練習」ですね。

そもそも演奏家の日常なんて反復練習の繰り返し。

個人的に弾けない箇所を何回も繰り返して練習し「確率」を上げ、リハーサルでも数日間同じ曲を練習する事で作曲家の意思や指揮者の意図を表現する「確率」を上げていく事の繰り返し。

ちなみに上野投手は、利き手である右手を守る為、握手ですら非礼にならない限りはなるべく左手でするそうです。日常の些細な注意が金メダル獲得の原動力となる万全の体調を整える「確率」を上げたのかもしれません。

日頃からこうした注意と反復練習を繰り返し確率を上げ、演奏会が終わってみれば記憶が無いほど満足する演奏をしていた・・・演奏家の日常はまさしくアスリートの世界そのもの。この感覚だけは絶対に体験しなければ分かりませんから、こうしたスポーツ選手のインタビュー記事を読む事は非常に勉強になり刺激になります。

正直現状自分の生活なんて本当に甘えたものですから、もっともっと音楽に真摯に向き合わないと、と強く感じました。

この数日のリハーサルで、オペラ好演への「確率」は少しでも上がったかな?
  

2008/09/04 07:30 | 居酒屋トーク | No Comments

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