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2007/08/14

今回は、短いながら私の人生を振り返りながらいくつかの「挑戦」について思い出してみたいと思います。

そもそも「クラシック音楽」という、将来成功するかどうか、稼げるかどうかも分からない未知の世界に飛び込んだ時点で人生最大の挑戦な訳ですが…ごく個人的な視点からすれば、音楽に関わっていて「挑戦」と感じられる体験がいくつかあります。

まずは楽器を始める事への「挑戦」。

諸処の事情により名門・慶應義塾高等学校を退学になり、関東第一高等学校へ編入した時の条件が「吹奏楽部へ入ること」。

これに渋々従いつつ与えられたのがコントラバスという楽器でした。

厄介な事にコントラバスの楽譜はそれまで音楽の授業で誰もが目にした事のあるト音記号ではなく”へ音記号”なるものから成立しており、楽譜の読み方なども一から勉強。楽器指導の先生もほとんど来ないので、一年先に入部した同級生や時折姿を見せる卒業生などに教わりながらなんとか形を習得したものです。

その後は涙アリ感動アリ、励ましアリ暴力アリという体育会系青春ドラマのストーリーを絵に描いたような展開のなか吹奏楽コンクール2年連続全国大会出場を果たし、少しずつ音楽の楽しさや努力の結果が形になる事の喜びを知り始めました。

その勢いと勘違いをそのままに東京音楽大学受験という「挑戦」。

ほとんど自己流だった演奏実技については受験半年前から今や日本を代表するコントラバス奏者であり指導者でもある永島義男先生の下で基礎から学び直し、弾いた事も無いピアノを母のもと1日数小節ずつ練習し、その場で渡された楽譜を見てすぐに歌う「新曲視唱」やピアノで弾いた和声(複数の音から構成される響きやメロディーのこと)を耳で聴き取る「聴音」など音楽に必要なソルフェージュ全般を叩き込まれて挑戦した受験。

実技試験が終わった夜には全く納得がいかず、電話越しに「良かったよ、大丈夫だから」と言ってくれている先生の言葉も耳に入らず、泣きながらお詫びしたものでした。

今思えば大学で指導している先生が大丈夫だと保証してくれたのだから安心して良かったのですが、当時はそんな心の余裕も無かった訳です。

意外とすんなり合格した大学生活を終え現在も最高の思い出となった「挑戦」。

ドイツ留学。

当時から「低弦」(チェロやコントラバスなど低音域の弦楽器)といえばベルリンフィルハーモニー管弦楽団が最高レベルと信じて止まなかった私は、留学するならベルリン、学ぶなら元ベルリンフィルハーモニー管弦楽団首席コントラバス奏者ライナー・ツェパリッツさんしかいない!と強く考えており、使える手段を全て使って連絡を取った結果、温かいお返事を戴くに至りました。

近年でこそ留学してそのままドイツのオーケストラ入団を果たした日本人演奏家が珍しくありませんが、私が留学した当時はコントラバスで他にドイツ留学などしている人が全くおらず、まさしく「挑戦」でした。

ツェパリッツ先生という最高の指導者のもと週2日、1回3時間近いプライベートレッスンに夏は講習会と、常にハイレベルでクラシック音楽にどっぷり浸かった環境に置かれての生活は、これまでの人生で最も充実した楽しい時間だったかもしれません。

さて、帰国してからはオーケストラのオーディションという難関への「挑戦」。

帰国した最初の理由は日本フィルハーモニー交響楽団のオーディション受験。
ここで運良く最後の数人に残り、お仕事の依頼を頂くようになったのをきっかけに演奏活動は上り調子になります。

NHK交響楽団や東京都交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団など日本各地のオーケストラから次々にオファーを頂き、フリーの演奏家としては「売れっ子」と呼ばれる地位を自覚出来るようになりました。

しかし、その後オーディションへの「挑戦」は失敗の連続。

読売日本交響楽団のオーディションの際は1ヶ月前に左手の指を2本骨折し受験を断念、日本フィル再挑戦の際は忙し過ぎて全く練習出来ず無念の落選、そして「普通に弾いてくれたらお前を取るつもりだった」とまで言われた某楽団のオーディションでは逆にそれがプレッシャーになり本番に失敗。

いつの間にか、オーディションを受験する事自体に前向きではない自分が生まれていました。「フリーでも十分食っていける」と自分に言い訳をしながら「挑戦」する事から逃げていたワケです。

その後将来の人生設計を見据え演奏活動から引退、新たなジャンルへ「挑戦」して現在の自分がありますが、会社員という枠組みに入って気づいたのは、やはり演奏の世界の素晴らしさ、演奏家たちの個性の強さでした。

今年に入り、のだめオーケストラ限定で演奏活動復帰をしましたが、そこで出会う演奏家たちの豊かな感性によって刺激される自らの魂の鼓動は懐かしく温かく、そしてどこまでも奥深いもの。

今私は演奏と一般社会の勤めとの狭間に居ながら本当の自分の居場所を追い求めている段階であり、これもまた新たな挑戦と言えるでしょう。

しかし、ひとつだけ確かなことは、私にとって「辛い事を辛いと感じず、挑戦を挑戦と感じないもの」が音楽であり、魂を込めて挑戦出来るものもまた音楽である、ということ。

これからも、少しでも皆様がコンサート会場に足をお運び下さるよう、クラシック音楽の裾野が広がるよう、自分に出来る限りクラシック音楽の分かりやすさを伝えていこうと思います。