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2016/08/02

先日、台湾での演奏会に出演してきました。

シエナ・ウインドオーケストラが昨年から行っているファイナル・ファンタジー音楽のツアーで、今年は18都市24公演、私はそのうち19公演に出演させて頂きました。このツアーは先週千秋楽を終えたところですが、それについては後日また改めて書きたいと思います。今回は台湾公演について。

私自身海外への演奏旅行はシンガポール・フランスに次いで3ヶ国目。台湾は初めてでした。今回は2泊3日。到着日はフリー、翌日の夜演奏会を行って3日目の午後帰国する日程。

台湾に向かう飛行機でいきなり洗礼を浴びました。とにかく空調が寒い!日本は30℃を超える暑さだったのでポロシャツ1枚での搭乗だったんですが、支給された毛布を首までかぶり、機内食のついでに頼んだワインで身体を温める始末。台湾に到着してから分かりましたが、原則的に台湾の空調はとても寒いのです。外は物凄い湿度と気温なので、寒暖差で身体がおかしくなるのではないかと思いました。

ホテルにチェックインしてからはフリー。
とりあえず暑いしマンゴープリンを食べようという事で、低音楽器メンバーで有名店へ。

 

これがめちゃくちゃ美味しいのですが、量が半端じゃない。3人くらいでシェアして丁度良いくらいでした。

その後市内を散策して一旦ホテルに戻り、シャワーを浴びて一息ついたら友人と合流。実は、台湾国家管弦楽団というオーケストラに、音大の後輩が在籍しているので、再会する予定になっていたのです。

実は今回テューバ、コントラバスはこの楽団から楽器をお借りする現地調達の方式を取っていたので、彼に翌日の本番会場に連れて行って頂き、楽器のある場所などを先に案内して貰いました。

 

 

会場周辺は伝統的な建築物が多く、ホールも美しい造りでした。ステージには入れなかったので、楽屋などを見て退館。

その後は彼の案内でタクシーに乗り夕食へ。

台湾の交通事情、凄かったです。クラクションで会話をしているのではと思うくらい、そこらじゅうでクラクションの音。我々が乗ったタクシーも、信号待ちをしているバスにクラクション鳴らしまくってました。「いやいや、それは仕方ないやん」と思わずツッコミを入れたくなるレベル。

そして、やはり現地にいる人が連れていってくれるお店は間違いないですね。

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ここで彼から聞いた話が感動的でした。

東日本大震災が起きたとき、彼は台湾でリハーサルをしていたそうです。最初話を聞いた彼は「日本に地震はよくある事だから」と話していたそうですが、ニュースを見て茫然。実際連絡を取れない知人もたくさんいたそうです。

それからオーケストラの仲間たちがあっという間に高額の募金を集めてくれて彼に渡してきたので、送金をしようとコンビニに行ったら、目の前で写真を現像していた見知らぬ男性が彼が手にしている現金を見て「日本に送るのか?」と聞いてきたので、そうだと返答すると、その男性は自分の財布からお金を出して「これも一緒に送ってくれ」と渡してきたのだそうです。彼は涙が出たと話していました。こうした出来事も含め、台湾はどちらかといえば日本に好意的な人が多いと感じるとのことでした。

さて、本番当日は早目に目が覚めたので、ホテル周辺の市場を散策。
これが結構衝撃的でした。

生肉や生魚が野ざらしの状態で売られており、衛生面が心配になりました。アジアに住む友人なんかは「氷の上に乗ってるし問題ない」と言いますが、やはり日本に住んでいるとちょっと受け入れ難いですね。魚売ってるおばちゃんが目の前で足の爪にマニキュア塗ってたり、いろいろ凄い。

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それから、臭いがキツかった。
最初は下水の臭いかと思っていましたが、友人に訊ねたところ臭豆腐だそうです。「台湾の人はみんな好きですよ。僕は8年住んでもダメですが」とのこと。あの臭いがしたら口に運ぶ前にギブアップしてしまいそうです。

お昼から会場入りしてゲネプロ。

私は現地調達の楽器に早く慣れたいと思っていたのですが、ホテルからホールまでの徒歩10分程度の距離も、海外だからなのか団体行動、全員バス移動が義務付けられました。

前日入れなかったステージ、入ってみるととても豪華絢爛な造りで響きも素晴らしいホールでした。

用意された楽器はあちこち割れていたり弦高がとても低かったりと問題はありましたが鳴ってくれる楽器で、悪くない弾き心地。ラベルにはかなり古い年代が記されていましたがこれは本物かどうかちょっと怪しいかな。
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ゲネプロはさっと必要な箇所だけをつまんで終了。国が管理するホールという事で、職員が休憩を取らなければならない時間が定められており、ゲネプロ後はステージでの音出しは禁止。という訳で本番までの時間はホール内の喫茶で軽食。

さて本番ですが、まあ台湾の熱気は凄い!

植松さんの前説から大盛り上がりで、本番でも1曲終わるごとにロックコンサートのような大歓声。アンコールではそれこそお祭り騒ぎでした。日本国内でも場所によってはだいぶ盛り上がりましたが、台湾の比ではなかったように思います。国民性でしょうか。

日本公演ではアンコールで楽器を持ったお客さんがステージに上がってくるのですが、台湾公演は禁止。という訳で楽器を持ったお客さんは客席での演奏でした。あの盛り上がり方でステージに上がってきたら大変な騒ぎになっていたかもしれません。
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開演が19時半と日本よりやや遅めで、終演も22時くらいだったでしょうか。楽器を戻したり着替えたりしてホテルに着いたのは23時前だったと思います。ここから例の後輩と合流し、小籠包のお店に連れていって貰いました。

夜市の喧騒から一本横に入った寂しい裏通りにある「ウチはまずいから他の店行け」というようなふざけたお店なんですが、ここが美味しかった!!メニューは「小籠包」「焼売」の2種類しかなくて、注文はただ数を頼むだけ。美味しくていくらでも食べられました。

我々が入店したのは閉店間際だったのでお酒が売り切れていて「そこらで買ってきて」という対応。コンビニで台湾ビールを購入して呑みましたが、これが小籠包と合う。お腹いっぱいになったところでホテルに戻りました。

帰国日の朝は一人で街を散策。

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ホテルの朝食がイマイチだったので街のカフェに行って朝食を食べ、お土産を探したりして歩き回りましたが、まあ日本語がよく通じる。飲食店に入ると日本語メニューが出てくるし、買い物をしたら「小分けの袋は要りますか」と流暢な日本語で聞かれるし、外国感は薄かったですね。

そして一本裏道に入ると流れてくるあの臭豆腐の臭い。肌が焼けつくような陽射しと共に、良くも悪くも台湾らしさの一つなんだなと思いました。

これは書いておかねばならないでしょう、今回の旅で一番ストレスになったのはトイレ。

ガイドブックに「トイレに紙は流さず、横にあるゴミ箱に捨てること」と書いてあったのですが、いくらなんでもホテルは大丈夫だろうと思っていたら、ホテルのトイレにもしっかり「紙を流さないで下さい」と明記されていました。

私は結構神経質なんで、これがたまらなく嫌でした。ゴミ箱に捨てるという不衛生な行為を想像するだけで便の出が悪くなり、明らかに回数が減りました。幸いフロントのすぐ上の階だったので、どうしてもトイレに行きたくなったらフロント階のトイレを使うようにしましたが・・・

「ダメと知ってたけど流しちゃった。大丈夫だったよ」という方も居ましたがこれは結果論で、個々のモラルの問題。私には出来ませんでした。実際フロントで「流してもいい」と確認を取ったにも関わらず詰まってしまった人もいました。

こうした事を含めても、2泊3日という滞在期間はちょうど良かったように思います。プライベートな旅行で行くかどうかは微妙かなあ。やはりヨーロッパを選ぶような気がします。

こうして短い時間ながら台湾演奏旅行は終わりました。

楽器を演奏する行為は何処にいても変わりませんが、こうして街を歩くことで得るその国独特の雰囲気などは人生において大切な財産になると思います。演奏会では台湾の人の熱さを肌で感じ、街を歩いて多少は文化に触れ、濃密で刺激的な3日間でした。この経験が、今後の演奏活動で糧になると信じて、また一歩ずつ進んでいこうと思います。

2016/06/27

6月24日に母のリサイタルが終了致しました。

前回のリサイタルが超満員だった事もあってチケットについては心配していなかったのですが、直前になって売れ行きが苦戦していると聞いて慌ててインターネットを中心に宣伝をさせて頂き、結果8割を超すお客様にご来場頂きました。本当にありがとうございました。

そもそも今回母がプログラムに「鱒」を選んだのは、僕が以前ブログに書いた一言がきっかけだったようです。それは母の東京音楽大学退任記念演奏会を終えた後「息子でもあり、東京音大の卒業生でもあり、仮にも演奏家として活動していながら出演の声がかからなかった事が残念」と書いた文章を、たまたま母が読んだようなのです。

僕は母から「一緒に鱒でもやる?」と言われたとき、やっと少しは演奏家として認めてもらったかと喜んでいたのですが、どうも裏にはこのブログの言葉があったらしいと知り、まだまだ本当に認めてもらうには道は遠いのだろうなと感じたのでした。

とはいえ、きっかけがどうあれ母とこうして公式の演奏会で共演出来るのは光栄な事ですし、ピアノとコントラバスという組み合わせではチャンスもなかなか無いですから、二つ返事で引き受けたのでした。

共演者についても母から相談を受け、「母と何か関係がある人、または僕と何かしらの繋がりがある人でなければただの『仕事』になってしまう」と考え、まずヴァイオリンには、これまで意外にも共演した事のない親戚の鷲見恵理子ちゃんを、そしてヴィオラは僕の大学の同級生でもあり現在読売日本交響楽団奏者でもある榎戸君、チェロは僕の仕事・遊び仲間でもある金子鈴太郎君を推薦したのでした。

メンバーが決まったまでは良かったのですが、とにかく超多忙なメンバーなので合わせの日程がなかなか決まらず、結局本番の前の週に2日間、計6時間だけ集まる事になりましたが、優秀なメンバーなのでリハーサルはあっという間に楽しく進みました。

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日付とメンバーが決まり、僕自身は鱒の演奏が4度目とあって多少気持ちに余裕があった事もあって、チラシ・ポスター・チケット・プログラムのデザインは全て請け負いました。

そしていざ本番、鱒の当日ゲネプロは15時から。

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一通り全曲通し、最終チェックをして本番が始まりました。

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前半は母のソロでシューベルトのソナタを2曲。チェロの鈴太郎君は楽器の調子が悪いからと楽器屋さんに行ってしまったので、僕はヴィオラの榎戸君と楽屋で談笑していたのですが、楽屋のモニターを点けていたのが失敗でした。そもそも僕はこれまでの母のリサイタルでも一番後ろの席で毎回心臓が痛くなるくらい緊張してきたのですが、楽屋で前半の母の演奏を聴いていたら、その感覚が再び襲ってきたのです。それまで何の緊張感も無かっただけに、一度緊張を感じたらその度合いは増すばかり。「ヤバい、緊張してきた」と話すと榎戸君に「本当に緊張してるヤツは言葉にしない」と言われましたが、いやいやかなりの緊張感でしたよ。

本番が終わった今だからこそ書けますが、母は以前から頸椎のヘルニアを抱えており、今回もずっと包帯をしたまま練習に臨んでおり、右手の指が3本痺れたままだと聞いていたので、余計に心配だったんです。

そんな状態で後半、鱒の演奏に入りました。ステージに出ていって最初に目に入ったのが上手の2階席に座る家族の姿でした。こっそり手を振ったら、子供たちが凄い笑顔で手を振ってくれて、かなりリラックスするきっかけとなりました。

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序盤は本当に緊張していて、第1楽章の前半はかなり頭が真っ白な状態でした。これまでに鱒を3回経験していなかったら何をしたか分かりません。

それでも、1楽章後半からはただ仲間たちとのコンタクトを楽しむようになっていました。やはり彼らにお願いして良かった!

本番後に「コントラバスがもっと主張しても良かったのでは」「今後はチェロの方のようにノリノリな演奏を期待してます」といった感想も見かけましたが、ベルリンの師匠からも常々言われてきたように、僕はコントラバスの本分はそんなところには無いと思っているので、むしろ自分らしい演奏が出来たんだなと思っています。

後日談になりますが、演奏会の数日後に母から連絡があって、僕のベルリンの師匠と何度も鱒を演奏したピアニストが聴きに来ていて「コントラバスはドイツのサウンドだった、彼は標準語で演奏していた」と話していたよと言われたときには「あ~分かる人は分かってくれるんだ」と感激でした。

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アンコールの愛の挨拶を終え、最後に母が出演者一人ひとりと握手をしてきたのですが、最後に僕と握手をした瞬間客席からの拍手の音量が数段大きくなりました。「ちょっと止めてよ!」という気恥ずかしさもありましたが、危なく泣くところでしたよ。耐えられるようになった自分を褒めてやりたいと思います。

終演後は短い時間ながらホワイエでご来場頂いたお客様とご挨拶をし、同じ建物内のレストランで打ち上げ。毎度の事ですが打ち上げでは挨拶の連続でほとんど何も食べられず 笑 これも本番の一つと言えるのかもしれません。

打ち上げが終わってからは手配しておいたワゴンタクシーにコントラバスと大量の花束、プレゼントを積み込んで母と共に実家へ向かいました。毎回母のリサイタル後は物凄いプレゼントの量になるので、一人暮らしの母では捌ききれないだろうと一緒に帰ったのですが、それでも布団に入れたのは午前3時でした。

翌日僕はサントリーホールで日本フィルの演奏会本番があったので、母が眠っている間に家を出ましたが、母にはまずしばらく休んで治療に専念して貰いたいと思います。

今回出演の機会を与えてくれた母、ご来場頂いた皆さま、演奏会に携わって下さったスタッフの皆さま、そして出演を快諾してくれた仲間たちに深く感謝したいと思います。

本当にありがとうございました。

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2016/05/09

 昨年に続き、今年もシエナ・ウインドオーケストラがファイナルファンタジーの楽曲を演奏するツアー「BRA BRA FINAL FANTASY BRASS de BRAVO 2」が始まりました。今年は18都市24公演、さらに台湾でも公演があります。

 思えば昨年のツアーの打ち上げで、ファイナルファンタジー楽曲の生みの親植松さんが「47都道府県制覇を目指したいと思います!」と仰っていたのですが、その際「そういえば自分はこれまでどれだけの都市に行って来たんだろう」と思い、記憶を思い起こしつつ過去の手帳や依頼書、公演プログラムなどを調べてみて、「どうやら和歌山以外は全て行ったようだ」と気付きました。

 そして何と、今回のツアーの最初の公演が和歌山!という訳でワタクシ、演奏会での47都道府県制覇を達成致しました!

この公演で「これで全県制覇した」と話している人が複数いたので、和歌山は一つの難関なのかもしれませんね。

だいたいどんなお仕事で全国行ったかな、と考えると、やはり全国ツアーの多いシエナ・ウインドオーケストラが中心となりますが、後は一時レギュラーメンバーを務めていた熊川哲也さんのKバレエカンパニーオーケストラ(シアターオーケストラ・トウキョウ)もツアーの多い楽団でした。そのほかで言うと、東京佼成ウインドオーケストラの九州ツアー、東京都交響楽団の東北ツアー、NHK交響楽団の関西ツアーなどが記憶にありますね。他にも地域常設の群馬交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、札幌交響楽団などで各地に訪れました。それから各オーケストラの文化庁公演、寄せ集めオーケストラで音楽鑑賞教室の旅、これも大きかった。コツコツと演奏を積み重ねて帰国から約18年で47都道府県達成というところです。

私がドイツ留学から帰国して演奏活動を始めた頃はバブルが崩壊していたものの、まだその香りが残っており、地方公演の移動に新幹線のグリーン車が手配されていたり、公演後帰京出来るだけの時間的余裕があるにも関わらず宿泊させて頂いたり、宿泊もそこそこランクの良いホテルだったりと、かなりプレイヤーの身体に気を遣って頂いていたものでした。

 ところが近年はクラシックのコンサートのチケット売上が厳しい事もあって主催者側の財布の紐もきつくなり、交通の便が良くなった事も手伝って、例えば山形や名古屋くらいなら日帰り公演は当たり前。空港に朝8時集合とか、地方公演を行って新幹線で帰京した結果、帰宅が日付を跨ぐといった仕事もかなり増えています。以前は夜公演を終えてバスで移動し、夜中にホテルに着くなんて事もありました。主催者にしてみれば「数字の上では可能だから」という事なんでしょうが、演奏で強いられる緊張や移動による疲労までは考慮されていない事が多いのが現実。

こうなるとプレイヤーは肉体的、精神的にきつく、移動で疲労も溜まりますから、ベストな演奏をするため、あまりにキツイ行程の時は自らギャラを削って自腹で宿泊を追加したり移動手段を確保する事になります。こんな時、経済がもう少し上向いてくれたらなあ、という考えが頭を過ったりすることもあります。

それでも旅先でその地の美味しいものを食べたり、お客さんの笑顔を見るとまた頑張ろうと思えるのが我々のお仕事。ファイナルファンタジーのツアーもまだ始まったばかりですし、これからも、全国各地へ伺う事を楽しみに演奏を続けていこうと思います。

このファイナルファンタジーのツアーは観客参加型で本当に楽しいコンサートですし、ゲームがよく分からないという方も一度ぜひ会場に足を運んでみてください。ご来場お待ちしております!

2015/09/15

先日、東京佼成ウインドオーケストラに客演して、アレンジャー・藤野浩一さんの還暦記念コンサートに出演しました。

藤野浩一さんといえば、中森明菜さんのコンサート音楽監督を長年務められ、紅白歌合戦を始めとする数多くのテレビ番組のスタッフとして活躍された名アレンジャー。近年は神奈川フィルをはじめとするオーケストラでもご自身の編曲作品を中心とした演奏会で指揮を振るなど大活躍されています。

幅広くアレンジを手掛けていらっしゃる藤野さんらしく、誕生日のお祝いに駆けつけた大勢の出演ゲストは超豪華メンバー。歌手の渡辺真知子さんに「ピンキーとキラーズ」で知られる今陽子さん、新妻聖子さん、藤沢ノリマサさん、坂本九さんのお嬢さんである大島花子さん、そしてサプライズゲストにも大物が数名。さらにゲストミュージシャンにトランペットのエリック宮城さん、テナーサックスのつづらのあつしさん、トロンボーンの中川英二郎さんと大物スタジオミュージシャンも勢ぞろいでした。

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素晴らしい歌手の方々の歌声にリハーサルから感涙。渡辺真知子さんの「かもめが翔んだ日」の歌の入りで鳥肌がたち、大島花子さん「親父」の歌詞にはリハーサルでも本番でも涙腺が緩み、エリックさんやつづらのさんのソロにはニヤけるばかりでした。

 

本番のセッティングはご覧のビッグバンドスタイル。僕個人としてはあまり慣れない配置で多少緊張感もありましたが、いざ本番が始まったらもう楽しくて楽しくて、舞台上に居ながらステージを満喫させて頂きました。

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渡辺真知子さんの時代の歌手の方はポップス、ジャズなどジャンルを問わずハイレベルで歌っていらっしゃって、本当に歌が上手な人しか生き残れない時代だったんだろうなと想像出来ます。最近は口パクしながら「歌手」「アーティスト」と謳っているタレントも多くてウンザリする事が多いのですが、こうした一流歌手の歌声は元気を貰えますね。最近あまりポップスのステージで演奏する機会は少ないのですが、いやあ、楽しかった!!

※コンサートの模様は新妻聖子さんのブログ大島花子さんのブログ藤沢ノリマサさんのブログにも掲載されています。

2015/08/23

昨日、富士山河口湖音楽祭の演奏会を終えて帰宅しました。

毎年夏といえば佐渡裕さんとシエナ・ウインドオーケストラのツアー、夏の終わりに河口湖音楽祭というのがこの7~8年の定番となっていますが、今年は佐渡さんが多忙ということで夏のツアーが秋に移動し、この夏は文京シビックホールでの演奏会とこの音楽祭だけでした。とはいえローマ3部作という吹奏楽ではなかなかの大曲だったので、それなりの疲労感ではあります。

ローマ三部作というのはレスピーギというイタリアの作曲家が作った「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」という3曲の交響詩を言います。オーケストラではたまにやりますが、吹奏楽では管楽器への負担も大きく、単発でやる事はあっても3部作全てを演奏する機会は少ないように思います。特に「ローマの祭り」は古代ローマ帝国の円形劇場の祭りをイメージして書かれている作品ですし、「ローマの松」では小鳥のさえずりが曲中に出てきますから、河口湖ステラシアターのように石段に囲まれ、本物の鳥の声がいつも響いている野外劇場で演奏するにはぴったりだったように思います。

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今回はコントラバス2本。「ローマの松」にはコントラバスパートが上下に分かれ全く違う事を弾かなければならない箇所が数か所出てきますから、事務局に増員をお願いしました。結果、倍音の鳴りが豊かになって低音の厚みを増やすことが出来たのではないか、と思っています。やはり吹奏楽のコントラバスは複数欲しいところですね。パートナーには大学の後輩をお願いしました。やはり自分が卒業した大学の後輩は大切にしたいですからね。

文京シビックでの演奏会では、教えている多くの生徒さんたち、そしていまレッスンで関わっているアニメ「響け!ユーフォニアム」の声優さんたち、映画「マエストロ」でご一緒した俳優の池田鉄洋さんなど、これまでお仕事で知り合った方々も多数ご来場頂きました。こうして多くの方に支えられて今の自分があるんだという事を改めて気づかされますね。

河口湖音楽祭は2週間に亘って開催され、ファイナルステージが佐渡×シエナ。通常のプログラムを終え、アンコールが終わると同時に盛大に花火が打ち上げられるのですが、これを見て演奏会の感動に包まれると同時に、「あ~これで夏が終わるんだなあ」と感傷に浸ったりもします。

日本では夏といえばロックフェスですが、ヨーロッパではオーケストラの野外コンサートも定番です。この富士山河口湖音楽祭はそんなヨーロッパの音楽祭の雰囲気だけでなく、お客様も参加する楽しいコーナーもありますし、本当に心から楽しめるコンサートだと思います。皆様ぜひ一度はお越しください。といっても毎回僕が出演する保証は無いんですが。出演するときは宣伝させて頂きます。

そして明日はテレビ朝日「題名のない音楽会」収録。佐渡裕さんの司会卒業収録です。前半がシエナ、後半はシエナ×佼成×大阪市音の吹奏楽オールスターズ。佐渡さんが司会になってから吹奏楽を取り上げた回は40回を超えたそうです。佐渡さんは「吹奏楽推進委員会としてはなかなか大したもんやろ」と仰っていましたが、メディアの力は大きいですから、これをきっかけにますます吹奏楽が発展していく事を願いたいと思います。

また、佐渡さんは題名の司会を降りる理由について「ウィーンのオーケストラの音楽監督になり多忙になったのもありますが、何より、シエナを続けるためです・・・・・分らんけど 笑」と仰いました。これ、冗談ぽく話してましたが、数年前ベルリンフィルを指揮する事が決まった際、シエナとの飲み会を主催された佐渡さんは「ベルリンフィルを振る事で忙しくなるかもしれないし、シエナを振る機会が減る可能性もあるけど、僕の原点は吹奏楽で、吹奏楽があったからここまで来れたし、必ずシエナには戻ってくるから」と涙ながらにお話していましたから、本音なのだと思います。素晴らしい関係だなあと思いますし、僕も少しでも長く関わっていられたら嬉しいですね。

また来年も音楽祭に参加出来るよう、まずは目の前の演奏会に一つずつ向き合っていきたいと思います。

2014/07/07

母の東京音楽大学退任記念演奏会でした。

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出演者は先日の記事に書いているのであえてここには挙げませんが、現役の音大生から世界で活躍するピアニストまで、母と関わりの深い人たちが出演してくれた演奏会となりました。

僕はミューザ川崎で東京交響楽団の演奏会本番があった為、母の演奏会を第1部から聞く事は出来ませんでしたが、このミューザの演奏会の前半がピアニスト小菅優ちゃんのソロによるリストのピアノ協奏曲第2番。この小菅優ちゃんは10歳まで母の生徒さんで、彼女はこの日リストの協奏曲、さらにアンコールを弾き終えると大急ぎで紀尾井ホールに移動し、すぐに母の演奏会でモーツァルトのソナタを演奏してくれるという離れ業を見せてくれました。彼女の音楽はもちろん、そのスタミナ、パワーには脱帽です。

この日出演してくれた門下生のほとんどは僕も知り合いで、懐かしい再会となった人たちも大勢いらっしゃいました。そんな人たちとの再会の場となったこの演奏会、母のみならず僕にとっても大変嬉しく、意義深い一日になりました。今回出演した下さった方々、企画運営に携わって下さった皆様には心より感謝申し上げます。

幸い、ミューザでの演奏会が昼本番だったので、急いで移動して何とか母の出番である第4部には間に合い、シューマンのピアノ五重奏曲を聴く事は出来ました。

本音を言うと、母から「何か一緒に弾かない?」と言われれば仕事を断ってでも演奏したかったんですが、お声がかからなかったという事は、まだ演奏家としては認められてないんだなと感じ、悔しさと無念さでいっぱいです。この日クインテットに出演してくれた生野君は唯一「僕の友人枠」として出演してくれたので、勝手に彼に魂を預けたつもりでした。チラシ、ポスター、プログラム、チケットのデザインで多少なりとも母の力になれたかな?とは思いますが、チラシに関していえば作成時間も無く多くのミスを犯してしまい、猛省しております。

母の演奏はというと、最初は若いカルテットに老人介護される状態になるんじゃないかと心配だったんですが、演奏を聴く限りがっつりカルテットを支え、まだまだ元気な母の姿に安心しましたし、相変わらず美しい音色、そして最後の最後で音を外したりカーテンコールで譜面台を倒したりというお茶目な一面を見せる辺り、母の特徴が全て出た演奏会でした。

他にも母が可愛がってきたチェリストの趙静ちゃん、バリトンの寺田君、祖父の愛弟子だったヴァイオリンの佐藤俊介君、そしてヴァイオリンの中川さんとチェロの門脇君などは多忙を極めるスケジュールのなか出演してくれました。彼らにも感謝するばかりです。

演奏会後のレセプションでは母の昔からの友人である俳優の石坂浩二さんをはじめ、音楽会のみならず母の交流の広さを伺わせる多くの方々が参加され、お話していて「母は温かい人たちに囲まれているなあ、これも母の人懐こく裏表のない性格が為せる業なんだろうなあ」と感じた次第です。

きっと母はこれからもピアノを、音楽を勉強し続けると思いますし、また幼い子の育成に力を注ぎたいと話していましたから、まだまだ元気でいてくれると思いますし、皆様のご支援が必要になると思います。今後とも、母をどうぞよろしくお願い致します。僕も、陰ながら母の力になれるよう、そして母に追いつくよう音楽に邁進していこうと思っています。


感謝。

2014/05/08

こんにちは。

前回のゴーストライター騒動も徐々に忘れられかけ、僕も「結局は素人の巻き起こした騒動に過ぎないな」程度の認識になりつつあります。あれから僕は素晴らしい演奏会への出演が続いたことで、ますます例の騒動がくだらない事だと感じるようになりました。

その素晴らしい演奏会の数々で感じたことについて記しておきたいと思います。

まず最初が3月のインバル指揮、東京都交響楽団によるマーラーの交響曲第8番・第9番。指揮者のインバル氏はイスラエルの方で、これまでにフランクフルト放送響、ベルリン響、チェコフィルなど世界のオーケストラで音楽監督を務めてきた、マーラー作品の演奏に定評のある78歳の名指揮者です。

インバル氏は東京都交響楽団のプリンシパル・コンダクターとして最後の演奏会、さらにクラシックファンの間でその演奏評価がどんどん高まってきたインバル/都響のマ-ラ-チクルス(全集)としてもラストとあって、もともとチケットが早くに完売するなど前評判の高い演奏会ではありましたが、第9番の前の週に行われた第8番「千人の交響曲」の演奏がまた素晴らしく、ネットで「歴史的な名演」と騒がれた事で、さらにファンの期待値が上がっていたようです。僕もこの第8番、第9番と演奏させて頂きましたが、久しぶりに自分と聴衆のテンションが一致したように感じました。

僕は今回の8、9番で初めてインバル氏の指揮で演奏をしたのですが「とにかく細かく、よく練習する指揮者だな」というのが第一印象。事前に「早く終わる事は無いから」と聞かされてはいましたが、時間いっぱい使うだけではなく、内容も非常に密度が濃いので、4コマの練習時間でフラフラになるほど集中力を使いました。僕のように英語が堪能ではない人間は、外国人指揮者の指示を聞き取る事にも集中力を要するので、特に疲れるんです。

練習の中身については想像にお任せし、ここではあえて深く触れませんが、マエストロの練習は、強い信念と意思のもとに同じ箇所を何回も妥協無く繰り返し、プレイヤーの脳と身体に叩き込んでいくという表現が合っているかもしれません。8 、9番とも、練習で一度も通さなかったのはちょっと心配でしたが、それすら「オ-ケストラの緊張感が欠けない為の手段だったのかもしれない」と思ったくらいでした。

今回、第8番は東京芸術劇場と横浜みなとみらいホ-ルの2公演、第9番は東京芸術劇場、横浜みなとみらいホ-ル、サントリーホールの3公演。どの会場もほぼ満席で、来場された聴衆の雰囲気も素晴らしかったのですが、とりわけ第9番千秋楽のサントリーホールは客席と舞台が見事に融合し、これまでにあまり体験した事のない空間だったように思います。入場した瞬間から、ビリビリするばかりの客席の緊張感と期待感が舞台に伝わってきました。プレイヤーは意外と客席の雰囲気を肌で感じる事が出来るので、この客席の雰囲気って実はとても大切なんです。演奏家は「どんな時も同じように演奏するよう心がける」と一応は言いますが、正直人間ですから、期待感を浴びればもちろんやる気も漲りますし、近くの席につまらなそうな顔をしている人がいればテンションも下がります。しかし、この日は2000人からの全身に浴びるような凄い期待感を感じました。

そして演奏が始まってすぐに「今日は凄い演奏会になるかもしれない」と感じました。すでに本番を2日こなした後でしたが、それまでの2日間を凌ぐような音、そしてオーケストラの集中力を感じましたし、第4楽章冒頭では全身が痺れるような感覚にすら陥りました。これはマ-ラ-の第9番が僕の大好きな曲である事ももちろん一つの要因でしょうが、会場の持つ雰囲気が大きく影響していたと思っています。曲がフィナーレに近づくほどに涙を流しながら演奏するメンバーも増えました。
僕はマエストロの指揮で演奏するのが初めてだったので氏にそこまでの思い入れはありませんでしたが、昔からの楽員さんはそれなりの感情があったのでしょう。演奏者が涙を流せばその空気は客席にも伝わります。終演してから見ると涙を浮かべているお客様も多く見受けられました。

演奏会の成功は終演後の拍手に表されると言っても過言ではありません。音が消え入るように霞んでいき、ホールの静寂はマエストロの手が降りるまで続きました。マエストロの呼吸が落ち着いたとき、まさに万雷の拍手が巻き起こったのです。立ち上がる聴衆、笑顔で応えるマエストロ、一つの歴史が刻まれた瞬間だったと思います。

演奏会が終わると僕らコントラバスは楽器や弓を磨き、松脂やチューナーなどの小物を片付けるため多少ステージに残るので、聴衆が下手側に集まり、スタンディングオベーションでマエストロを讃える瞬間を目撃する事が出来ました。結局マエストロはカーテンコールで数度ステージに呼び戻されたのではないでしょうか。

僕は普段演奏会本番の夜はテンションが上がってなかなか眠れないのですが、この日はいつも以上の興奮で、テンションが高いまま帰宅し、帰宅後はむしろ凄い疲労感に襲われてしまいました。翌日も早朝から仕事だったのですが、なかなか頭が切り替わらず、軽い燃え尽き症候群にすらなりかけました。こんな体験はほとんど経験がありません。この経験は今後の演奏活動にきっと活かされていくと信じています。

そして、これから演奏会に出かける皆さんも、入場する演奏者を仏頂面で出迎えるのではなく、多少の笑顔で迎えてみて下さい。きっとその笑顔は演奏会を盛り上げる要因の一つになるはずです。

2011/09/19

先日、母のリサイタルが終了しました。

2年に1度のペースでリサイタルを開催してきた母も、この10年くらいは満身創痍で、手術などもあり今回は5年ぶりの開催。

私は費用や事務など諸々の負担をかけないよう、少しでも力になれればと、チラシやプログラムのデザインを担当。「ひたすらシンプルに、読みやすいように文字は大きめで」という要望は、実に母らしいものでした。

さて、ヴァイオリンそして音楽一筋だった祖父同様、母もまた音楽に真摯に向かい合ってきた人です。私はなぜ二人の血を継がず多趣味になってしまったのか…という話はともかく、音楽家、演奏家、教育者としての母には尊敬の一言しかありません。

そんな母は決して日本のマスコミが大好きな「天才」タイプのピアニストではありません。いや、「努力する事の天才」と言えば良いのかな。真面目に輪をかけたような性格で、本当に音楽が好きだからこそ、よくありがちなレパートリーを回して頻繁に演奏会を行うような事をせず、二年に一度のリサイタルに全力を傾けてきました。

その一方で教師として本当に多くの生徒を抱え、ピアノの技術だけではなく人間教育として礼儀から教える厳しさで、コンクール入賞者を輩出するだけでなく、素晴らしい教師をも育てています。

今では音大の教授という立場にあり、リサイタルをしなくても名前に傷がつく訳でもないのに現役に拘る、それはただ母が音楽を愛しているからなんだと思います。

私も演奏家の端くれとして、年齢を重ねる毎に音楽の難しさや怖さを知り、体力や技術の衰えを感じてきていますから、あの年齢で、そしてあの過密スケジュールの中でソロリサイタルを開催する勇気には感服するばかりです。

そんな母も、先月会った時は体力と暗譜能力の衰え、そしてブランクの長さによる本番感覚の欠如が不安だと話していました。私もそんな弱気な発言をする母は初めてだったので、数日前からはほとんど連絡をしないようにすらしたくらい。

いざ会場に到着して驚いたのは、開場前にも関わらず既に長蛇の列が出来ていたこと。事務所によれば完売だったとのこと。小ホールといえど東京文化会館完売はなかなか無いこと。始まる前から、改めて母の凄さを思い知る事になりました。

事務所側から招待客指定席を用意して頂きましたが、私は目立たない端の席へ移動。母のリサイタルは毎回異常に緊張するので端から静かに聴きたいこと、それから真ん中に座っていると関係者への挨拶で落ち着けないのが理由。いや、挨拶が面倒な訳ではなく、あくまでも主役は母なんで、あまり自分が前に出たくないんです。

そして始まったリサイタル。

母が入場してきた瞬間、その雰囲気から今までにない緊張を感じました。それと同時に手足が震え始め、痺れすら感じ始めた私は「あ、そういえば俺は毎回、母のリサイタルでこんなに緊張感を味わってきたんだよなあ」と徐々にその感覚を思い出してきました。

1曲目のバッハでは母としては珍しくかなり危ない場面もあり、もはや私は自らの心臓の鼓動で演奏に集中出来ない状態。ひたすら「無事に通ってくれ」と祈るばかりでした。しかし次のブラームスは流石の内容。不覚にも涙が止まらなくなりました。やっぱり、母のブラームスは最高です。

前半のバッハとブラームスを終わってちょうど一時間経過。先月まで母はこのまま前半でウェーベルンまで弾くつもりだったのですから、今考えても変更して正解でした。

ブラームスで落ち着いたのか、後半は一気に安定しました。ベートーヴェンもまた素晴らしい内容でした。ただ、私の場合緊張で冷静ではなく、半分くらいしか聴こえていないかもしれませんが。

終演後、打ち上げのパーティーに顔を出し、一瞬だけ母と話す時間がありました。「心臓止まりそうになったでしょ」と笑いながら話す母を見て何だか一安心、終電で帰途についたのでした。

終わってみて私は物凄い安堵感に襲われていますが、母にとってリサイタルの終了はまた多忙な日々への再スタート。これからも全身全霊で音楽に向かい合っていくに違いありません。そして次回リサイタルがあるなら、私はまた客席の端で必要以上の緊張と闘う事でしょう。

とにかく今の母には、心から「お疲れさま」と言いたいと思います。

2009/02/15

昨夜はズボンの裾直しがうまくいかず、結局両面テープで裾を固定する強硬手段に出ました。やれやれ。

今朝はホテルのロビーで待ち合わせ、ホールまで歩いて頭を起こします。

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朝の狩野川の景色、なかなか壮観でした。

11時からのゲネプロは1時間ほど軽く摘みながら調整程度。
レッドラインタンゴはこのゲネプロでようやく全貌を掴む事が出来て、楽しく弾けるようになりました。

ゲネプロから本番まで約2時間、「本番前のランチは沼津の漁港で食事をしたい」という私の希望を汲んで頂き、ホールから港まで約3kmの道のりを低音隊でゾロゾロと歩いて向かいました。

空腹も限界に達したとき港に着きましたが、日曜日にこの天候と条件が揃ってしまい、市場は人で溢れ返り目的のお店「丸天」は約30組待ち。

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本番に間に合わないとマズいので、予定を変更して「かもめ丸」というお店へ。

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全員一致で「ぬまづ丼」なるものを注文しました。
これ、沼津名物鯵の干物による炊き込みご飯に、桜海老・生しらす・鯵のたたきが乗った一品。葱と生姜を溶いた醤油をかけていただきます。なかなかのお味でした。

帰りはタクシーでホールに戻り、着替えたら出番です。

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今回は「オーバー・ザ・ギャラクシー」が降り番だったので、舞台袖からこっそり隠し撮り。
これ、MC中ですね。演奏しているところにすれば良かったな・・・・
 
 
実は人差し指の豆が本番直前に膨れ上がっていたので、一度潰してから本番に向かうか悩んでいたのですが「まあ大丈夫だろう」とそのまま舞台に出たところ、レッドラインタンゴの途中で見事に潰れました。
 
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仕方なくそこからピチカートは中指に変更、ポイントだけ人差し指の肉ごと弾く気合いの奏法へチェンジ。指も何とか最後まで持ってくれました。

終演後は会館の方が楽器ごと駅まで送って下さって、三島から予定より早めの新幹線に乗る事が出来ましたが、それにしても、楽器とキャリーを持ち運んでいるのに世間は冷たい。人々は歩いていても避けないし新幹線も普段なら楽器を入れてくれる乗務員室に入れさせてくれないし、 何だかツイてない一日でした。

この国は、もう少し楽器に対する理解が深まらないかなあ。
せっかく本番が楽しかったのに、帰途は残念でした。
 
 
 
さて、実は皆さんに報告があります。
 
ちょっとここしばらく大変忙しく、4月にアルバムの録音が終わるまで一時休載をさせていただきたいと思います。突然で大変申し訳ありませんが、また新しい連載形式などを考えて復帰させていただければと思います。

それでは、一時的にごきげんよう!!
 
 

2009/02/08

14時からミューザ川崎にて東京交響楽団「第44回川崎名曲全集」の本番でした。

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本拠地ミューザとあって11時からのゲネプロはかなり軽め、各楽章の冒頭部分でバランスを取りテンポの変わり目のみを確認して終了となりました。

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エクセルシオールカフェで軽めのランチを取って本番。

昨日今日とマエストロは全身で音楽を表現されてとても元気です。
秋山さんは母の高校の先輩ですから、もうかなりのお歳なはず。
溢れるパワーの源は音楽への情熱でしょうか。

個人的にはいろいろミスもあり反省点だらけの本番でしたが、反省は帰宅してからじっくりするとして、今日も満席のミューザの聴衆から浴びる拍手は本当に心地良い。拍手によってエネルギーを得られる気すらします、演奏家に実際の年齢より若く見える人が多いのはこんなところにも原因があるかもしれませんね。

本番を終えて楽屋に戻ると、いま演奏したばかりのブラームスの交響曲第1番が流れている。「録画していたのか?」とモニターを見ると、NHK教育の「懐かしの名演奏」という番組で、ホルスト・シュタイン指揮バンベルグ交響楽団の演奏でした。
 
 
演奏がバンベルグ交響楽団と分かるまで楽屋では

「テレビでやってるんだからN響だろ~」
「外人ばっかりじゃん!オーボエがマイヤーって事はベルリンフィルか?」
「あっ俺こいつ知ってる!これバンベルグだなあ」
「じゃ~マイヤーはエキストラか?それともあいつバンベルグから移籍したんだっけ」

などといろんな会話が飛び交っていました。

業界は狭いもので、それが海外のオーケストラであろうと、どこかしらに必ず誰かの知り合いが居るものなんですよね。

さて、本番終了後いまは東京駅。
これから新幹線で新潟に向かいます。
  
   

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