2008.04.05

……とかなんとか甘ったるいこと言ってんじゃねえぞ恋愛資本主義者!
全く、嫌になってしまう。
冬が終わって春が来て、気がつけば周りは4月1日から新社会人で、
新しい出会いなんてものを謳歌しちゃって、
楽しそうでいいですね、へへへ、てなもんである。
さて、今回は2007年(2006年かな?)マイベスト
臨死! 江古田ちゃん/瀧波ユカリ
基本的には4コマ漫画は嫌いな僕だが、これは最高。
4コマに、「女」がぎっしり詰まっていて、
この噎せそうな濃さがたまらなくツボにハマる。
「猛禽」のネーミングなんか本当に巧い。
「猛禽」というのは、
「聞き上手で下ネタにも寛容、ほっとかれてもふくれず、ブサイクにもやさし」く、
「ピンで活動」することも平気で、
「雑魚も『友達として好き』とか言って飼い殺す」女の子のことらしい。
意外と、いる。こういうタイプ。
可愛い顔してアレですね、というときに「あいつ猛禽だわ」と友人と言い交わす。
僕が心配するまでも無く、江古田ちゃんは版を重ねているようだ。
「猛禽」も確実に認知を得てきている。
だがしかし、と僕は言いたい。
「江古田ちゃんを面白いと言う君も、猛禽ではないのか?」と。
正確に言えば「猛禽の亜種」くらいだろう。
おそらく、猛禽は猛禽が嫌いである。なぜなら、自分の他にも同じタイプの人間がいれば、
自分は必然的に目立たなくなり、選ばれなくなる可能性が上がるからだ。
別にこれは猛禽に限った話ではない。
だから、「江古田ちゃん」を読んで面白いという女子は、
実は江古田ちゃんが、自身のライバルたる猛禽を徹底的に辛辣に描いているから
溜飲を下げている部分があるのではないだろうかと、僕は思うのだ。
さらにいうと、「『江古田ちゃん』を面白く思える女子」は得てして、
「猛禽のタチの悪さを笑うことの出来る女子」という点も含めて、
「サバサバした女子」を自認している場合が多い。
断言してもいい。「サバサバしてると言われます」と自ら言うヤツは、
男女問わず絶対にサバサバしていない。これはもう100%自信を持って言う。
大体にして、本当にそういう性格の人は、まず自分の性格のことなど口に出して人に言わない。
おそらく「サバサバ」自認者は、女子の場合は単純に言動がガサツなだけだ。
もしくはそのようにして自身を認識させたいだけだ。
だから僕は、そういう人は亜種の猛禽に過ぎないと思う。
本当は江古田ちゃんもまた本質的には猛禽と同じなのだ。
猛禽はその本質を可愛らしく隠す路線に走り、
江古田ちゃんはわざわざ必要以上にその部分をさらしてみせているだけの違いだ。
ああ、そうか、だから江古田ちゃんはいつも裸なのか。
2008.03.04

道程、それがなんだっていうんだ
僕は精一杯歩いている
「君は何がしたいの?」と、ここ1年くらいよく聞かれた。
就職活動シーズンだったせいではあるが、
考えてみるに、物心ついてからこの質問がされない年はないんじゃないだろうか。
「大きくなったら何になるの?」からスタートして、
いざ教育課程を修了するこの年まで問われ続けるこの問いへの回答を
僕は最近ようやく編み出した。
「何もしていないに等しいことがしたいです」
るきさん/高野史子
「るきさん」の仕事は、在宅の医療事務だ。
近所の個人医院の薬価計算をしている。
一月分の仕事が一週間で終わるらしい。
残りの日は図書館に行ったり掃除をしている。
るきさんが積極的に買うものは、蒐集している切手だけだ。
お洋服にも興味がないし、夜遊びにも興味がない。
るきさんの生活は素敵だ。
彼女はものの見事に「何もしていない」。
だけれど別にその状態に何の不安も不満も感じていない。
そもそも、それがおかしなことだと微塵も考えていない。
近所に住んでいる友達のえっちゃんをからかう程度には恋愛にも疎くはないが、
自分自身はちっとも興味を持っていない。
HANAKOに連載されていた漫画なのに、
驚くほどマガジンハウス臭(ひいてはan・an臭)がしない。
恋愛資本主義からほど遠いところにるきさんは暮らしている。
「女の幸せ、ほしくないの?」と誰かが彼女に問うたとして、
彼女はきっと首を傾げて、夜にお風呂で
「あれは何だったんだろう」と思うだろう。
るきさんの生活は、「生産性が無い」といわれる生活なのかもしれない。
でも、「生産性がある生活」なんてものは存在するのか?
無闇に上ばかり見るから、皆首が疲れるんじゃないのか?
皆がるきさんみたいに暮らせばいいのに、と思うときがある。
目標とか未来とか、そういうものに向かって上を目指して進むんじゃなくて、
ただひたすら横に横に、一直線にゆっくり歩いていく。
そんな道程でどうだろう。
そうしたらきっと誰も、あまり苦しい思いをしないでいい。
本当は、それだってけっこう大変なのだ。
2008.02.10

最近気が付いたのだが、「ワンピース」と「ジャガー」をのぞけば
僕の本棚には最近講談社の漫画が多い。
新刊で購入している漫画の大半が講談社刊だ。
まぁもちろん他の版元のものも色々あるのだけれど
ごく個人的に「これはアツい!」とか何とか思って新刊を心待ちにしているのは
講談社が多い、という話だ。
そこで今週から3週連続で「注目の講談社コミック」を取り上げようと思う。
第一回目の今回は
レッド①/山本直樹(イブニング)
山本直樹といえばエロだが、現時点で未だエロはない。
実は年末に山本直樹のバンド「スロラナ」のライブを見る機会があったのだけれど
「初めてエロの無い漫画を刊行した」というようなことを言っていた。
(ちなみにスロラナはすごく格好良かった。駄目な大人の格好良さ、みたいな)
時は1960年代から70年代、学生運動が過激化していく頃のお話だ。
武闘路線へシフトした運動はしかし、
若者たちの手には負えなくなって内部分裂・自滅へと至る。
まさにこの漫画の登場人物たちはその時代の若者だ。
帯には「革命を目指す若者たちの青春群像劇」とある。
確かに群像劇だ。
しかし本当に彼らは「革命を目指す若者たち」だろうか?
作中では学生運動が最も華々しかった時期は過ぎ、
ほとんどの学生が運動から手を引いて何食わぬ顔で大学に復学し、
世間全体で「政治の季節」の熱が冷めだした頃が物語のスタート地点になっている。
若者たち(大半が「革命者連盟」所属)は逮捕され尾行され射殺され、
どんどん追い詰められていく。
一人また一人と仲間が死んでゆく。
一巻終了の現時点ではまだ一人しか死者は出ていないが、
この漫画は不思議なことに、最終的に死ぬ登場人物が画面に登場するときには
必ず「①」「⑩」「⑭」などと、作中で死ぬ順番がキャラクターの脇に描きこまれている。
あるいは各主要登場人物の脇に
「○○ このとき××歳
群馬県山中で逮捕されるまであと898日 死刑確定まで8921日」などと表記が入る。
これはものすごく不穏な空気を作品に落とす。
要するに、死あるいは致命的失敗へのカウントダウンの物語でしかないのだ。
誰もまともな形では生き残れない。
では何故彼らは滅亡してゆくのか?
さっき、「しかし本当に彼らは『革命を目指す若者たち』だろうか?」と書いた。
思うに、彼らは革命を目指しているのではなく、革命という共同幻想にしがみついているだけだ。
僕がそう思う理由は、登場人物たちの言葉の貧しさにある。
彼らの絶叫する言葉はある意味では
電車の中吊り広告に翻るananの表紙のコピーと変わらない。
形骸化した言葉を振り回して、それがもはや何の重みも持っていないことに気付かない。
あるいは気付いていないフリをする。
彼らが使用する言葉はもう、自分たちがいる場所、所属する集団、やっている行為に
確信を持つための内輪の言語でしかない。
それでは崩壊するのも当然だ。
そんな集団に未来はやってこないだろう。
山本直樹は「学生運動」というひとつの輝ける時代を決して美化しない。
描写は無くとも、この執拗なまでのエグさはやっぱり山本の本領エロ漫画に近い。
そうか、よくよく考えてみれば
学生運動が大規模で傍迷惑なオナニーなのかも知れないと考えれば、
「レッド」は「全体として」エロ漫画であるといえるかもしれない。
夏に第二巻が出るらしい。
とても楽しみにしている。
2008.01.24

先日、「ピューと吹く!ジャガー 実写版」を見に行って来た。
渋谷、宅飲み明け、昼の12:00。
待ち合わせも劇場も、前日の夜中に決めた。
それくらいの適当さを以って見るのが良いだろう、と思って行った。
僕は正直に言ってそれほど映画に詳しくない。
だからあの「映画」自体の出来不出来については知らない。
ただ、「うすた京介漫画の実写」として見ると、とても不満だ。
以前に「ピューと吹く!ジャガー」について記事を書いた。
(参照→http://www.junkstage.com/subculture/misaki/?p=6)
その中で僕は「うすた漫画のいいところは、盛り上がりに欠けるところ」で、
「何があろうとなかろうと、結局日常にたいした変化は無い」ということを言った。
その特徴が、今回の実写版ではことごとく消えていた。
ややネタバレになってしまうが、今回の実写版は
フエ科存続の危機と、その後に巻き起こる珍笛にまつわる珍騒動だ。
結局最後に珍笛を彼らは手に入れ、フエ科は存続される。
めでたしめでたし、というわけだ。
もちろん小ネタ小ネタはきちんと織り交ぜられている。
劇場で見ていれば笑いも起きるし、僕だって場所によっては笑った。
でもそういうものではないと思う。
うすた漫画の面白さは、小ネタの面白さではない。
彼の漫画が面白いのは、徹頭徹尾妙な人間が(ex.まさるさん、ジャガーさん)
自分が変だなどとは微塵も思わずに暮らしているせいで存在する、
ものすごく不条理な日常生活の故だ。
あの映画は、その世界の中には無かった。
あったのは、コメディともギャグとも呼べない、中途半端な作りで、安っぽい虚構の世界だった。
監督の、マッコイ斎藤のことはよく知らないが、
脚本がオークラだったことをエンドロールで知った。
オークラは「3人目のバナナマン」と呼ばれ、彼らの番組の構成作家をやったりしている人だ。
僕はバナナマンが好きである。
バナナマンのコントの殆どは、不条理な生活が設定になっていると僕は思う。
そんな作品を一緒に作っているオークラだからこそ、
もっと他にやり様があったんじゃないかと残念でならない。
そしてこれだけは声を大にして言いたい。
ピヨ彦がフエを吹いてるじゃないか!
まだ本編では吹いてないはずだ。
ていうかもうピヨ彦がフエを吹くとか吹かないとか、
そもそもフエ自体がだんだんどっかに消えてってるぞ、ジャガーさん。
いいのかうすた先生。
まぁ多分いいのだろう。
それがまかり通るのがジャガーさんの世界だ。
うすた漫画は絶対に、実写にするのには向いていなかった。
彼の漫画は、紙の上でこそ最大限に面白くなれるのだ。
それを確信するには良い映画だった。
2007.12.31
僕は酒が好きだ。
こんなタイトルのページを作ってるくらいだから
まぁそれ相応、相当に酒好きであると言っていいだろう。
特別強いわけではないが
それなりに量も飲めるので日々アルコールを嗜んでいる。
金曜日の夜に飲むウーロンハイ、
土曜の夜に飲む麦焼酎、
日曜の昼に飲む白ワイン…
どれもこれも愛している。
炭酸が苦手なばっかりにビールが飲めないのが残念だが
好きな時に好きなものを飲んでいる。
たいへんに、幸せだ。
忘年会だ新年会だと、しばらく会っていなかった人たちと会って
酒を酌み交わせるこの時期は毎日夜が楽しみで仕方ない。
でも僕は基本的に自宅ではあまり酒を飲まない。
何故なら自宅で飲んでいい気分になっても
ほとんどの場合何も楽しくないからだ。
映画や動画を見ながら飲む人は多いが
僕はそれをしない。
そんなものはアルコールが入ってなくたって楽しいからだ。
じゃあ酒を飲んでてなにが一番楽しいか?
と聞かれれば、迷わず僕は
「酔っ払いの観察」である。
あんなに楽しい人間はなかなかいない。
だから酔っ払って怒りっぽくなる人は嫌いだ。
適当になるか、くだらねぇことばっか言うようになるか、泣くか脱ぐかぐらいが
面白いパターンだ。
ちなみに僕はよく物を投げる人になる。
先日も手に持ったベビースターの大袋を
横断歩道の友人に向かって投げつけて、
拾いに行った友人が危ない目にあっていた。
(本当に危なかったのでちょっと反省した)
僕の友達だと、程度の軽いところで留守電に告白する人、
ちょっと危ないところで路上で人間スプリンクラーになる青年、
重症なものだと毎週末知らない道で目を覚ます女の人がいる。
一番下はちょっと本当に笑えないらしいので何とも言いがたいが。
りさ’s ばー/伊藤理佐
これは実は単行本にはなっていない。
メディアファクトリーから出ている「ダ・ヴィンチ」の別冊
「ダ・ヴィンチ コミック劇場」に連載されている漫画だ。
コミックエッセイなので、伊藤理佐本人の酔っ払い記録的なものが描かれている。
もともと伊藤理佐は好きだったが、
この漫画を読んでたいへん親近感を覚えた。
酒飲みなら大半の人が覚えのある、いわば「酔っ払いあるある」だ。
人にちょっかいを出しすぎてキレられたり、
理不尽な攻撃をしたりされたり、
身に覚えのない怪我をしていたりする、アレだ。
ここ最近で一番お気に入りだったのは、
最近結婚した伊藤理佐が、その相手の吉田戦車(「伝染るんです。」「殴るぞ」等)と
付き合い始めた頃に飲んでいたときのエピソードだ。
二人して酔っ払って、公園で鉄棒を見つけて逆上がりをやったはいいが
吉田戦車が肉離れだか剥離骨折だかを起こして
よたよたタクシーで病院に向かう、という話で、
ちょうど吉田戦車の誕生日が近かったものだから
初めてのプレゼントで杖をあげた、というオチだった。
そんな付き合い方って最高羨ましい。
酔っ払いは酔っ払いと付き合った方が絶対に幸せだ。
大概の事件は酔っているときに起きるし
だからこそすぐに許されたり笑いになったりする。
恋愛するなら楽しい酔っ払いに限る。
飲めない人とだけは絶対に付き合いたくない。
あんなに楽しい時間を共有できないなんて
勿体なさすぎる。お互いに。
飲める人は飲める人同士、飲めない人は飲めない人同士で遊んだ方が
お互いのためってものだ。
そんなことを考えながら、忘年会・新年会ラッシュを乗り切っていこうと思う。
(画像は酒神・バッカス)

2007.12.27

結婚に幸せな結末を夢見ていない。
それはもう今になって覚えた感覚ではなくて
かれこれ15年くらい前から思い続けている。
まだ社会にも出ていない、21歳のガキが何を言うか、と
よく言われるが、あんまり何歳だとかそういうこととは
関係ない気がする。
僕は誰かと一緒に暮らすのが好きではないのだ。
実家暮らしの今でさえ、そう思っている。
そんなふうな、同級生の女子に言わせれば「寂しい」僕が
唯一理想に思っている結婚がある。
西荻夫婦/やまだないと
「生活の幸せ」という意味で言うなら
それに真正面から向かい合って描かれた漫画だと思う。
会社に入って苦労して、毎日しんどくて、
家に帰ったら帰ったで家庭に問題がないわけではない…という
「生活」ではない。
ともするとリアリティに欠けて見えるくらいのフワフワした生活だ。
妻のミーちゃん、旦那のナイトー。
旦那は漫画家で、妻は多分デザイン関係の会社員。
結婚7年子供なし。西荻在住。
一年付き合って結婚したけど、
お互いに恋をした覚えはないし、馴れ初めが不明。
そんな二人。
多分この漫画を読む人のほとんどが、
登場人物と作者を重ねて読むと思う。
でも作者のやまだないとは女性だ。
なので僕は思う。
「ミーちゃんとナイトーは、二人ともやまだないとなのではないか?」
二人とも一見自立した人間に見えるけど
本当は違う。そういうことではないのだ。
お互いに少しずつ無関心で、所有なんて出来ないと思っている。
「ずっと一緒」とかそういう安心感とか信頼には全く依拠しない。
なんというか、すごく後ろ向きなのだ。二人とも。
全然ポジティブじゃない。
だけどやっぱり心のどこかでは「終わらないでほしい」と願っている。
僕はときどき、もう一人自分がいたら絶対に一緒にいたいと思う。
自分が好きだから、というよりは
それは一番楽だし、多分好むと好まざるとに関わらず
そんな人間と出会ったら何であれ離れられないだろう。
多分すごく幸せで、同時にすごく不幸なことだ。
どこにも行けないし、何も進まない。多分だけど。
ミーちゃんとナイトーはよく似ている。
だからこそお互いに近寄りきらない。
だけど根っこの部分でつながっていたいと思っている。
そういう夫婦だ。
元はひとつの人間のように、彼らは似ている。
たいへん不幸な、幸せだ。
そういう結婚なら、僕はしたい。
2007.12.14

椎名林檎のこのツアータイトルは秀逸だと毎度思う。
今回の漫画はだいぶそれとは違う雰囲気だが
(椎名林檎は絶対この漫画に出てくるような女子ではなかったと思う)
それでもなんでも「ふくらんできちゃ」う時期の女の子たちのお話。
ラウンダバウト/渡辺ペコ
帯に「絶賛第二次成長中!」と書いてあるが
その通り、絶賛第二次成長中の中二の女の子たちが主人公だ。
とは言っても、中学生同士の淡い恋、先生への憧れ、未来への不安…とか
そういう代物ではない。
いや、描かれていることはそういうものなんだけど
どうもそういう印象が薄い。
それは何故かというと、主人公の真があまりに幼児的だからだ。
敢えて言えば、「よつばと!」のよつばが中学生になった感じ。
ちょっと首をかしげるような発想があったり
普通の中二女子なら多分「げっ」と思うところを普通に受け入れたり
そのくせたまに妙に発言が現実的だったりするところが
そう思わせる原因になっているのだろう。
真の周囲の人は普通に少女漫画の中二女子だ。
(淡い恋、先生への憧れ、未来への不安…ってヤツだ)
不登校になって家庭訪問に来た若くて格好良い担任とデートしてちょっとときめいて、とか
自分の性格と周囲との不一致で悩んでる時に気になってる子にプレーほめられて泣ちゃったり、とか
そういう女子だ。いたって普通の少女漫画の中学生だ。
なのに、主人公の真だけがちょっと変で、
それ故この漫画はステレオタイプな少女漫画に見えなくなっている。
うまいな、と思う反面、一体どこに着地する予定なのかが気になる。
真は多分成長しないだろう。
彼女が成長してしまったらこの漫画は魅力を失う。
じゃあどうするのか?
まぁ多分、成長を予感させるようなところで終わるのかな、というのが今の考えだ。
ところで、この漫画の書評をいくつか読んだが
どうもヰタ・セクスアリス的なことがメインのように書いているものが多かった。
確かに友人宅でAVを見たり、
男女ばらばらに性教育の授業を受けた後の気まずい空気とか
そういうものが描かれているという点ではそうだろう。
でもそのへんに関しては、ちょっとイノセントすぎるんじゃないだろうか。
多分何も言及がないあたり、時代設定は現在で、
場所はわからないが多分郊外という設定なんだろう。
少なくとも自分が中学生だった頃を思い返してみるに
ほぼ同じような状況で過ごしていた自分の周りはもっと生々しかった。
中学生ってこんなに可愛らしいもんじゃない、ということは
確実に言える。
でもそういうところも、結局は真のキャラクターに因るところが大きいのかもしれない。
これからすごい生々しい中二女子が
(作中で言う「あっち側」=セックスをしたことのある人間サイド)
登場してきたりしたら面白いんだけどな、と思って二巻を待つ。
2007.11.30

待望の新刊が出た。
きのう何食べた?/よしながふみ
僕はよしながふみの漫画がとても好きだ。
最近だと「大奥」が話題だが、この漫画も連載当初から楽しみにしていた。
何しろ初の!青年誌での連載だ。
よしながふみといえばBLの同人出身で、
当然のごとく女子ファンは多かったが
「アンティーク~西洋骨董洋菓子店」のドラマを見て
原作も読んでみてびっくりして閉じた、という男子の話を聞いたことがあるくらいで
出自が出自だけになかなか男性ファンが付きにくいところだったように思う。
今回何故モーニングで連載することになったかはわからないが
果たしてこれで男性読者は増えたのだろうか?
(正直「大奥」のほうが男性に人気がある気がする)
メインのカップルは例によって男性二人で
同棲している弁護士(筧史郎)と美容師(矢吹賢二)という組み合わせ。
タイトルにある通り、食事ネタを中心に話は進む。
一話完結で、各話ごとにたいへん素敵なレシピ付きだ。
(付いているというか、漫画の中で調理しながら手順が説明される)
周囲の出来事や思い出話、
それに、ゲイ(この単語は好きではないが)が生きていく上での
養生訓的なものをところどころに織り交ぜながら生活が描かれる。
「日常」というよりは「生活」だ。
「日常」というと通り過ぎていくもの、周辺的なものという感じがするが
何しろ「食」という直接的に生命に結びつくことが中心になっているので
僕は、ここに描かれているのは「生活」だと思う。
大げさに言うと、彼らを見ていると「あぁ、生きていこうとしているなぁ」と思う。
ただそこで不思議なのが、セックスシーンがないことだ。
「食べること」は「生きること」だというような意味のことを僕は上に書いた。
それなら「セックスすること」もまた「生きること」なんじゃないだろうか?
だって人の三大欲求は「食欲」「性欲」「睡眠欲」だと言うではないか。
(実感として僕はあんまり信じてないけど、そうらしい)
そういえば眠るシーンも描かれていないが
同棲カップルが主人公なら寝ることとセックスは切り離せないから同じことだろう。
何故この「生活」にセックスは存在しないのか?
それは彼らがゲイのカップルだからではないだろうか。
セックスは本来生殖のために存在しているとされている。
彼らのセックスは何も産み出さない。
人が生きる上での使命の一つに反している(と言われている。僕個人の意見はまた別)。
それを描くことは、「食べる」ということで「生きる」ことを描くこの作品中では
矛盾することになるんじゃないだろうか。
だからよしながふみは、この作品でセックスを描かなかったのではないか。
と、まぁここまで書いたが
「青年誌連載だから」というのが一番の理由な気もする。
でもやっぱり食べることとセックスすることは似ているから
いつかこの作品中でそんなシーンが出てくることを待ってみる。
それから、僕はよしなが作品に出てくる女性がとても好きだ。
男女の恋愛をメインにしたものを読んでいないからかもしれないが、
彼女の漫画に出てくる女性は皆大人で、
そのわりに少女らしいところもあるけれど、鋭いことを言ったりもする。
そして何より厭味が無くて、少しドライだ。
深刻さがない、とも言える。
この作品に出てくる「佳代子さん」も
矢吹に髪を切ってもらって娘の結婚式に行った人も
矢吹の昔のバイト仲間の奥さんも、皆そうだ。
実はけっこう大変なことや普通には受け入れづらいことに面しているはずなのに
彼女たちにはあまり深刻さや戸惑いが見受けられない。
よしなが作品の男性たちは
同性愛者だったり過去にトラウマがあったり手痛い挫折を経験していたりで
けっこう深刻かつ面倒なバックグラウンドを持っている人が多い。
だからその分だけ女性はドライに、
その深刻さを受け流すこともする存在として描かれているのかもしれない。
こんな女の人と友達になりたい、と思うくらい
僕にとっては魅力的だ。
2007.11.27

取りわけ積極的に迷いながら生きていこうと思っているわけでもないが
よくあちこちで迷っている。
道に迷い、電車の路線で迷い、進路で迷い、人の色香に…はあまり迷っていないが
このままでは最終的に路頭に迷って終わりそうなあたりが
我ながら恐ろしくも楽しみではある。
ずっと迷わずに、予定調和で生活が終わってしまっても
それはそれで面白くない気がしてしまう。
そんな状況に自分がいるときは、いつもよりもこの漫画が素晴らしく感じられる。
よつばと!/あずまきよひこ
主人公は小岩井よつば(5)、日本人ではなく「とーちゃん」に育てられている。
とーちゃんは翻訳家で、独身で、多分本当はまだ若い。
よつばを「外国で拾ってしまって、なんだかわからないうちに」育てることになった(らしい)。
そんなよつばととーちゃんと、隣の家の家族やとーちゃんの友達、
彼らをめぐる一日が一話ずつに描かれている。
説明するとたったこれだけのことなのに、妙に繰り返し読んでしまう。
馬鹿売れしているわけではないが、
同作者の「あずまんが大王」以来のファン以外にも人気がある。
(先日、東京外語大学の学祭に行ったらコスプレ(しかも着ぐるみ)が歩いていた)
よつばは常識と言われるところから少々はみ出している。
「子供ってそんなもんでしょ」という向きもあるかと思うが
それにしても隣家の小学生の娘の度肝を抜いたりしているくらいなので
この「よつばと!」世界内においても大いにずれているものと思われる。
そのよつばを育てている親のとーちゃんだって
何やら親らしい顔をしてはいるが、その実けっこう変人だ。
多分とーちゃんは、よつばのことを子どもだと思っていない。
だけどそれと同じくらい、自分が大人だとは思っていない。
だからよつばととーちゃんは親子として暮らしているのに、どうも友達のように見えるときがある。
(男親だから、というのもあるのかもしれないが、それはちょっと僕の推測の範囲を超える)
僕が最近ことさら「よつばと!」が素晴らしいと感じるのは多分、
よつばもとーちゃんも、何かに迷ったり悩んだりしているように見えないからだ。
(もちろん「夕飯何にしよう」くらいの悩みはある)
よつばは前述の通り、本当はとーちゃんの子供ではない。
日本人でもないし、誰の子供なのかもよくわからない。
いわば世界を股にかけ、かつ家族関係も超越した迷子だ。
そんな壮大な迷子のよつばと、言ってみれば「養い親」のとーちゃんが
そんなことには頓着せずに、それぞれやりたいようにやりながら二人で生活しているのを読むと、
「まぁ俺も何とかなるかな…」という気になってくるから不思議なものだ。
殺伐とした迷子にはあまりお勧めしない。
「子供の頃は良かったなぁ…」というストレスフルな迷子にもお勧めしない。
「迷ってみるのもまた一興」くらいに思ってしまう人間には、ちょうど良い迷子のススメかと考える。
2007.11.15
昔からわけもなくロシアに惹かれてきた。
夏休みの宿題で、歴史上の人物・事件について壁新聞を作ってこいと言われたので
「Revolution」というタイトルでフランス革命・ロシア革命について書いたら
先生に「明治維新ぐらいにしろ」と言われた。
そうか、その手もあったのか、と思ったが
ロシア革命について書こうと思っていたので仕方がなかった。
高校生の時にはロシアの宮殿について勝手にレポートを作っていた。
本も漫画も、ロシアを取り扱ったものは案外多かったから
いろいろ読んではみたけれど
最近、久しぶりに期待できる漫画を見つけた。
女帝エカテリーナ/池田理代子
池田理代子といえば「ベルサイユのばら」だが
たしかに帝政ロシアの女帝も通じるものはあるな、と思いながら読んでみて
たいへん正直に申し上げてがっかりした。
期待しすぎた僕が悪いと言えば悪いが、それにしてもがっかりだった。
そもそもこの漫画には、アンリ・トロワイヤによる伝記「女帝エカテリーナ」という原作がある。
それを漫画化したものだが
たしかに話の筋はいい。
いいと言うか、まぁ基本的に伝記なのだからある程度以上史実に基づいているのだろうし
過度の解釈はないのだろうと思う。
(ものすごく簡単に言うと権力欲・政治力を持った、頭の良い不幸な女性の話だ)
したがって何ががっかりだったのかといえば
「絵」なのだ。
荒れすぎ!と憤りたくなるような背景、
本当に同一にしか見えない群集の顔、
げんなりして途中で読むのをやめそうになったが
物語は悪くないので可哀想に思って読みきった。
池田理代子がこの時期にどのような状況にいたのかは知らないし
もしかしたらアシスタントのせいなのかもしれないが
あのベルばらの作者がこれでいいのか、と思わずにはいられなかった。
この漫画は中央公論社から出ている。
僕が昨年取っていた講義で「雑誌ジャーナリズム論」というものがあり、
その教鞭をとっていたのが元中央公論編集長だった。
先生は講義の中で中央公論社の倒産の理由に言及していた。
「紙媒体が売れなくなったからだとか言われてましたけどね、
僕は漫画なんかに手を出したからだと思いますよ。
やめときゃよかったのに…」
それを踏まえてこの作品を考えてみると
慣れない漫画編集によって世に出されたものなのかもしれず
池田理代子可哀相だなぁとも思ったりする。
最古の月刊総合誌を持つ出版社として長い間やってきた中央公論社と
この漫画の舞台である帝政ロシアの辿った道筋の重なり方に
皮肉を感じないこともない。
何にせよいつか必ずロシアへ行って
モスクワのバーでウォッカを飲もうと思う。
ついでに毛皮の帽子も買おう。