2008.10.27
中東最新遊戯事情(嘘) vol.4
ゲームで味わう感動と、
旅行先で味わう感動と。
その違いはいったいどこにあるのだろう。
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今回、ヨルダン旅行で見てきたのは主に3カ所。
「インディ・ジョーンズ−最後の聖戦」の舞台にもなった、
岩壁を彫ってつくられた世界遺産『ペトラ遺跡』
アフリカ・ナミブ砂漠と並び称される赤い砂漠、
赤い砂と岩とが織り成すランドスケープ『ワディ・ラム』
そして、その塩分濃度の高さから異常に浮力が大きく、
人間が浮いてしまう不思議な湖、『死海』
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例えば、『死海』
ただ、浮きたいだけなら、箱根ユネッサンで死海風呂に入ればいい。
浮く、という行為そのものではなく、
『死海』で“浮く”からこそ、そこに感動があるのだ、
ということなのだろう。
砂漠を見たい、という思いから『ワディ・ラム』を目指したけれど、
たぶん、鳥取砂丘じゃ味気無かった。
じゃあ、鳥取砂丘が味気無い場所なのかというと、
それはそれで、全く別の問題。
はじめから、日本国内で手軽な砂漠体験がしたい、
というモチベーションの元に鳥取砂丘を目指していれば、
十分に満喫できたはずだ。
詰まるところ。
箱根や鳥取よりも、ヨルダンの方が優れていた、ということではなく。
今回の旅行の原動力が、“雰囲気の違いを楽しむ”ところにあり、
そこには、“異国情緒”というスパイスが必要だっただけの話。
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しばしば。
ゲームは虚像であり、実体験を伴わない。
だから、価値が無い、という議論を耳にする。
ゲームで得た感動すら、虚像だと言わんばかりの論調で。
が、ちょっと待てよ。
前者にはさほど異論は無いが、後者は異論大アリだ。
そもそも、前提部分が間違いなのだ。
誰も、ゲームに実体験を求めてはいない。
少なくとも、最低限の良識と常識をわきまえた人間ならば。
『死海』では浮くことができる。
ゲームでは浮くことができない。
じゃあ、ゲームは『死海』よりも劣っているのか?
ゲームでは、ヒトは“浮けない”。
当たり前じゃあないか。
優劣を決めるポイントがおかしいのだ。
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逆に捉えれば、
ゲームの中で、ゲームのキャラクターが浮くことはできるが、
果たしてそれが面白いかと言われれば、また別の問題。
少なくとも、水にただ浮くだけのゲームは、間違いなく売れない。
シュール過ぎて。
前回の話(参照)ではないが、
現実を疑似体験できるということが、即ゲームの面白さに繋がるわけではない。
現実の模倣は、ゲームとしては玄人好みの部類に入ってしまう。
むしろ、ゲームだからこそできる体験。
魔法を使えたり、剣で戦ったり、ピクミンを引っこ抜いたり。
そういう未知の経験こそが、ゲームの感動の源泉にはあるのだろう。
そんなことを、摂氏50度に達しようかという砂漠を歩きながらふと考えていた。
あのとき、あそこでサソリに襲われても、絶対面白くなかったけれど、
それがゲームの中なら楽しめる。
そういうことだ。

