« I Love古町×FM PORT 79.0 アルビフリークspecial@西堀ローサ | Home | 「三度(みたび)死にかけた男」 下地一明 ・・・ その16 『ジェリコ』 »

2007/10/23

最初の発症から3年が経ち、もはや諦めかけていたバスケ選手としての道に再び光明が差し込もうとしていました。しかし、そんな下地さんの希望は夢と消えてしまいます。

**********

後援会員(以下、後):ところが、ここで2度目の発症ですね。
下地(以下、下):はい、だから僕のOSGとしてのキャリアは5~6試合で終わりましたね。愛知のチャレンジマッチ(※1)というのに出て、それで引退です。日本リーグでは選手登録はしてありましたけど、公式戦には出ませんでした。
後:やはり大学の時と同じパターンだったんですか?
下:そうですね。自分で気づいたんですよ、「あ、やばい」って。すぐにハートセンターの鈴木先生に電話して、そのまま手術ですね。この時は体に負担をかけないために部分麻酔だったんですけど、人工血管に入れ替える手術ですね。僕は普通の人より血管が薄いんですよ。弱いというか。だから、大動脈とかが破れたら即死なんですよね。そうならないように、人工の血管に入れ替えたりするんです。この時は2週間くらいで退院しましたね。
後:再び発症したということは・・・。
下:ここで選手の道は諦めました。これからはコーチに専念しようと。でも、その後もバスケは遊びでやってましたよ。だから言われましたね、「アイツは2回死にかけてもまだ分からないんだ」って(笑)。
後:そりゃそうだ(笑)。
下:この時ですね、竹原さんに「お前はコーチに向いているから頑張れ」って言ってもらって。なので、OSGの3年目はアシスタントコーチとしてベンチに入りました。和さんも「下地は選手の気持ちが分かるから、どんどん思ったことを言いなさい」って言ってくれましたね。

047.JPG

1993年9月18日、沖縄高校バスケットボール選手権にて、中部工業との試合での下地さん。

**********

※1 ・・・ 愛知実業団チャレンジマッチ。愛知実業団バスケットボール戦の中で、JBL、WJBLのチームが実業団チームとリーグ戦を行う。


Trackback URL
Comment & Trackback

初めまして。NPO日本マルファン協会(マルファン症候群の支援団体)
の猪井と申します。

下地さんのロングインタビュー、同じマルファン症候群の患者家族や、みなさんにぜひ読んでいただきたいと思います。

当会のリンク集に掲載させていただいてもよろしいでしょうか?

はじめまして。後援会員といいます。

HPへのリンク、全然かまいませんよ。下地さんも喜んでくれると思います。

Posted at 2007.10.25 21:05:36 by 後援会員

どうもありがとうございます!

今後も楽しみに拝見させていただきます。

Comment




XHTML: You can use these tags:
<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <code> <em> <i> <strike> <strong>