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2007/10/16

命が助かるかどうかさえ分からない。そんな状態から、下地さんは再び歩き出します。一歩ずつ、着実に。それは、周りの多くの人の支えがあったからこそでした。

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後援会員(以下、後):ここで語り草となる安里先生の話ですね。
下地(以下、下):はい、なかなかみんなに信じてもらえないんですけどね(笑)。遠く遠くに、針のように細い光が見えるんですよ。白い光なんですけど、これに吸い込まれていくと、すごく気持ちいいんですよ。「うわ~気持ちいい、あれに吸い込まれたい!」って感じですね。あの光に吸い込まれたら、すべてを忘れて一生楽に生きていけそうというか。自分でも「もういいや」とか思ってたんですよね。その時、病室では安里先生が僕の手をずっと握っていてくれて、「下地、起きるんだ!」って声をかけ続けてくれたそうなんですよ。そしたら、僕の頭の中に遠くから聞こえてくるんですよ。安里先生の呼ぶ声が。「下地!下地!」って。僕はそれを聞いて「やべぇ!先生がいる!練習だ!」って(爆笑)。
後:よっぽど先生が怖いんですね(笑)。
下:いやもうホントの話ですよ(笑)。「やべぇ!先生だ!俺、何も悪いことやってねーよ!」って(爆笑)。そしたらパッと目が覚めて、みんなが驚いてるんですよ。安里先生は何も言わなくても分かってくれるんですよね。で、僕が最初に発した言葉が、「先生、お腹がすきました」って(笑)。安里先生は、「そっか。でも今は喰えないからな」って言ってくれたんですけど、医者の先生はびっくりしたみたいですね。手術から1週間が勝負、もしかしたら死ぬかもしれないと思っていたのに。
後:それが1日で意識回復ですからね。
下:しかも、4日で立ったんですよ。手術から4日で。
後:たったの4日で?
下:そう、4日で。そして3週間ちょいで退院しましたからね。なんとしてもインカレに間に合うようにって。だから病院の人には驚かれましたよ、「不死身だ、人間じゃない」って(笑)。その時の看護婦さんとか今でも仲がいいですよ。お世話になった方とか、今でも連絡してますからね。今回、埼玉で倒れたときも心配してくれたんですよ。
後:生きるか死ぬかに立ち会った人達ですもんね。
下:ちなみに僕が倒れた次の日、18日の日曜日ですけど、試合会場では「下地が死んだ説」が流れたらしいんですよ。「下地、死んだらしいぜ」って(笑)。チームメイトは僕のことについて何も言わないし、監督も「体調が悪くて」しか言わないんですけど、なんとなく分かっちゃうみたいで。
後:会場で倒れて救急車で運ばれればねぇ。
下:たぶん、僕の件がきっかけじゃないですかね、JBLでメディカルチェックするようになったのは。入団した選手の体に問題があると悪いので。だから篠原とか青野とかもみんなチェックを受けて問題なかったみたいだし。
後:それまではそういった仕組みがない・・・というか、問題も起こらなかったんでしょうね。
下:それで、退院したその日にすぐに大学に行ったんですよ。体育館にみんなに挨拶したんですけど、チームメイトが「下地、辞めるな、お前がいなくなると俺たち勝てないから」って言ってくれたんですよね。
後:それは嬉しいですね。
下:後になって大学リーグから敢闘賞をもらったんですよね、残り3試合出てないんで結局得点ランクは3位になっちゃったんですけど。で、実はこの時、嬉しいことがあって。得点王は結局拓馬なんですけど、本人はそうは思っていなかったみたいで。拓馬はわざわざ僕のところまで来てくれて、「本当は下地さんが得点王です、僕はこれ(得点王のタイトル)をもらう権利はないんです」って言ってくれて。泣かせますよね。僕は「俺だっていらねーよ!」なんて思ったんですけど、「だったら俺と約束してくれ、リーグ戦で4年連続得点王になってくれ」って言ったんですよね。そしたらあいつ、ホントに4年連続で得点王になりましたからね(笑)。本人は僕との約束を覚えてるかどうかは分かりませんよ。でも、彼が4年連続でリーグの得点王になったと知らされた時、本当に嬉しかったですよ。
後:それは嬉しいですよね(笑)。
下:ただ、その頃の僕の頭の中には「現役復帰」しかなかったんですよ。だから、病院を退院した後は中央大を辞めようかと思ったんですよね。特待生なのにバスケが出来ないなら、もう大学にいても意味がないって。でも、OBの人達は「お前は3年間ここまで中央大のために頑張ってくれたんだから、辞めることはない」って言ってくれたんですよ。これは凄く嬉しかったですね。実際には入院しているときから大学辞める事を考えていたんですが・・・。ところがある時、病室にウザイ奴が来たんですよ。直人ですよ(笑)。
後:来ましたね、宿命のライバルが(笑)。
下:僕は来てほしくなかったんですけどね(笑)。直人は「元気か、大丈夫か?」って心配してくれて。その時、2人で話したのが将来の事で。
後:大学3年も後半ですから、そろそろ卒業後の話ですね。
下:大学3年の時はいろんなチームからオファーが来てたんですが、僕は内心、いすゞ(※1)に行きたかったんですよ。小浜さんは以前からずっと、バスケットボールのことで声をかけて頂いていたし、佐古さんとも一緒にやってみたい憧れがあったし。あと、高校時代にピート・ニューエルさん(※2)の指導を受けたこともあって。ニューエルさんは僕のことを凄く評価してくれて、高校卒業後はアメリカの大学に来いって言われてたんですよね。ハワイ大学なんですけど。実際には、中央大に決めた4日後にその話を聞いたんで実現はしなかったんですが。
後:下時さんの心はいすゞで決まってたんですね。
下:そうですね。たぶん・・・心のなかでは決まってたんだと思います。
後:病院では2人の将来の話もしたんですね。
下:僕は「もう(実業団には)行けなくなったから、お前は好きなところに行けよ」って言ったんですよ。そしたら直人は、「お前、バスケ辞めるつもりなのか?」って。「う~ん、もう無理かな・・・」って僕が答えたら、「馬鹿か!」と。
後:ここまでずっと戦ってきたライバルに、ここで諦めてほしくなかったんでしょうね。
下:本当に、彼とは同じチームのユニホームを着てバスケットを楽しみたかったですね・・・。

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※1 ・・・ いすゞギガキャッツ。1955年、秋田いすゞ自動車を母体に発足した名門チームで、日本リーグ及び正月の天皇杯(オールジャパン:全日本総合バスケットボール選手権大会)における数多くの優勝など日本のバスケット界で一時代を築くが、2002年に休部した。

※2 ・・・ ピート・ニューエル。NITトーナメント優勝、NCAAトーナメント優勝の他、オリンピックでも優勝した名将。NBA選手も参加する「ビッグマンキャンプ」で知られるが、日本のバスケットボール界にも縁が深い人物。


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