« 【インタビュー】元新潟 アントニ・ワイチ その0 | Home | 【インタビュー】元新潟 アントニ・ワイチ その2 »

2010/02/19

かつて新潟アルビレックスBBでプレーしていたアントニ・ワイチ選手のインタビュー第1回。

今回は彼がチームに加わる経緯から、初めてやって来た新潟での生活、そしてアルビレックスというチームへの思いを伺ってみました。

********************

荒木ユタカ(以下、荒):まず、ワイチが新潟でプレーするきっかけは何だったんでしょうか?マット・ギャリソンの紹介という話を聞いたことがあるのですが。
アントニ・ワイチ(以下、AW):そうなんだ、マットのおかげなんだよ。廣瀬ヘッドコーチがカリフォルニアに来て、新潟の契約に興味のある10~12人くらいの選手を集めてワークアウトを開催したんだけど、マットのおかげで僕がそこに参加する事になったんだ。僕はACL(膝の前十字靭帯)の手術を受けた後で、トライアウトの3週間前からプレーを再開したばかりだったから、上手くいくかどうか分からなかったよ。
荒:来日する前に、bjリーグや日本のバスケットのレベルについて知っている事はありましたか?
AW:マットがJBLでプレーしていたし(新潟)、過去にJBLでプレーしていた選手も何人か知っていたから、JBLについては知っていたんだ。bjリーグについてや、JBLとの違いについては聞いていなかったけど、僕はその前のシーズンをプレーしていなかったから(膝の手術のため)、またプレーする機会に興味があったんだ。
荒:実際に来日してみて、新潟での生活はどうでしたか?日本の食べ物や、新潟の冬の寒さについては?
AW:新潟での生活に慣れるのには少し時間がかかったね。東京や大阪のように大都市じゃないから、最初は何もやることが無かったんだ。でもその環境に慣れてくると、楽しいことを見つけたりして楽しめるようになったよ。食べ物については、最初はあまり新しい食事に挑戦しなかったから、チキンとステーキばかり食べていたよ。僕たちのお気に入りは「Sasaki」というレストランで、行けるなら週に2回以上行っていたと思う。新潟の冬は本当に寒かったけど、僕はニューヨーク育ちだからなんとかなったね。でも、毎日寒い体育館で練習する事にはなかなか慣れなかったんだ。冬の寒い体育館で練習するのは、どんな外国人選手にとっても簡単な事じゃないと思うよ。
荒:廣瀬ヘッドコーチをはじめとした新潟のコーチングスタッフ、そして彼らのバスケットのスタイルについてはどう思いましたか?
AW:僕は廣瀬ヘッドコーチとそのスタッフを本当に尊敬しているんだ。手術から復帰してきたばかりの僕に、新潟というチームを助けるというチャンスを与えてくれたからね。廣瀬ヘッドコーチは心の底から日本人選手をレベルアップさせようと日々の練習に取り組んでいたし、そんなヘッドコーチは他にあまりいないと思うんだ。時には意見が衝突することもあったけど、チームの勝利を目指すという情熱に対しては、お互いにリスペクトを失うことは無かったね。彼は僕に戦術的な意見を申し出る事を許してくれて、そのおかげで僕自身も成長できたと思うし、違った視線からチームを助ける事ができたと思う。廣瀬ヘッドコーチのバスケットのスタイルや、彼が僕に何を望んでいるのかを完全に理解するにはちょっと時間がかかったけど、それを理解してからは、上手くやっていく事が出来たと思うよ。僕たちは自己中心的でない外国人選手と日本人選手たちが共にプレーする、とてもバランスのいいチームだったんだ。僕たちは日本人選手と外国人選手の得点のバランスを平均化しようとしていたし、だからこそリーグでも最高のチームとしてシーズンを楽しめたんだ。それに加えて、外国人選手達はチームのシステムをしっかりと理解していたし、日本人選手達が自信を持ってプレー出来るようにしていたんだ。そうやってチームが勝つ事も、そしてそんなチームでプレーしていたことも楽しかったよ。
荒:新潟ではポイントガード、シューティングガード、スモールフォワードから、時にはパワーフォワードのポジションでプレーする事もありました。つまりセンター以外は全てのポジションをプレーした訳ですが、自分自身で一番得意なポジションはどこですか?
AW:僕は生まれついてのポイントガードであり、プレイメイカーなんだ。でも、常にオールラウンドなプレーを心がけてきたから、大学時代からいろんなポジションをプレーしてきたよ。僕自身、常に「よりオールラウンドなプレー」を目指していたし、プレーできるならどんなチームにもアジャストしてきたんだ。廣瀬ヘッドコーチがそれを望むなら、チームを上手く機能させる為にどのポジションでもプレーしたね。ニックとマットはベテラン選手だったから、新入りの僕はチームにフィットするように努力したんだ。廣瀬ヘッドコーチは(1年目のシーズン中盤までは)外国人選手3人のラインナップを使いたがらなかったから、僕はベンチから出てチームを助ける役だったね(※1)。

004.jpg

荒:ワイチにとって、バスケットをプレーしていて最も楽しい時というのはどんな時でしょうか?
AW:プレーしているときはいつでも楽しいね、それが練習であっても試合であっても。マケドニアのリーグで優勝したときは凄かったね、だってマケドニアのファンは本当にクレイジーだったから。あれは思い出深いね。bjリーグ1年目のプレイオフもそうだね。あれは僕が膝の怪我から復帰して、やっと100%のプレーが出来ると思えた時だったんだ。あれは僕にとっても、チームにとっても本当に楽しい経験だったよ。
荒:では、新潟のシーズンで一番つらかったのはどんな時ですか
AW:1年目のシーズン前半は、僕にとって苦難続きだったよ。ACLの手術から復帰して1ヶ月くらいで新潟に来たから、シーズン開幕に向けてとにかく頑張らなければいけなかったんだ。体重も15キロくらい減らしたんだけど、僕は元々そんなに体格が大きくないから、練習とトレーニングをしながら3ヶ月かからずに15キロ減量したよ。試合でも苦労が多くて、というのも僕は以前のようにアスレティックな選手じゃなくなっていたから、自分のプレースタイルをアジャストさせなければいけなかったんだ。僕の膝はまだ完治していなかったから、自分が以前と同じようなプレーを出来ないという事を理解するのにも少し時間がかかったね。それに加えて、ベンチスタートから途中で試合に出て、ヘッドコーチが自分に何を望んでいるかを理解するのにもちょっと苦労したし、シーズン最初の数カ月はいろいろ大変だったね。
荒:新潟の日本人選手についてはどのような印象を持ちましたか?
AW:彼らは若くてとてもいい選手達だったね。チームには核となる選手たち(テラ、ワラ、小菅、公威、池田、そしてベテランの長谷川・・・前回の注釈参照)がいて、彼らが毎日一生懸命に練習している事に本当に驚かされたよ。
荒:2年間の新潟でのキャリアの中で、最も印象的な試合というのはありますか?
AW:bjリーグの1年目、2006年のプレイオフの2試合(準決勝、決勝)が僕にとってもっとも印象深い試合だね。あれは最高の雰囲気だったし、僕らは素晴らしいシーズンを送ってから、リーグにとっても最初のプレイオフだったからね。僕はついにケガの不安なくプレーする事ができたんだ。決勝で大阪に負けたことは辛い経験だけど、僕は、新潟というチームの戦い方に誇りを持っていたし、あの試合は会場に足を運んだブースターにとっても素晴らしい試合になったと思うよ。
荒:新潟のブースターについてはどう思いますか?ノートルダム大学(※2)のファンと比べたらどうでしょう?
AW:ノートルダムのファンと比較するのはフェアじゃないかもしれないね。新潟のブースターは本当に素晴らしいし、新潟を代表するチームの一員としてプレーするのは実に楽しかったよ。ホームコートの朱鷺メッセがオレンジ一色に染まるのは、最高だと思うんだ。新潟のブースターはアウェイに行っても、ホームの観客の誰よりも声を出して応援してくれるからね。アウェイの試合会場では、大阪での試合はブースターが本当に盛り上がっていたからいいけど、それ以外のアウェイゲームはあまり楽しくなかったね。ノートルダム大のファンは本当にクレイジーだし、すごくクリエイティブなんだ。あれはまた新潟のブースターとはちょっと違う雰囲気だね。

005.jpg

※知人にプレゼントしたので既に手元にないのですが、2006年のプレイオフ@有明の試合開始前に、全選手が観客席に投げ込んだボールの中で、私がキャッチしたのがワイチのサインボールでした。見えにくいですが、右側に”Albirex 2006″とあります。

********************

※1 ・・・ 新潟が加盟していた当時のJBLでは外国人のオンザコート2規制があった事もあり、bjリーグで戦う事になったこのシーズンでもスタートの外国人が2人、日本人が3人となったのは、その経緯からして新潟にとっては自然な事だった。他にも東京、埼玉など新潟と同じく外国人2人でスタートするチームもあったが、開幕当初のbjリーグは外国人選手の人数についての制限が無かったため、大阪、大分らはスタートから3人の外国人が並び、また大阪に代表されるように、勝負どころでは4人の外国人選手がプレーするチームもあり、またこの戦い方がリーグで結果を残していった事から、これが徐々にリーグ全体の傾向となっていく。これに対して新潟の廣瀬ヘッドコーチはスタートの外国人2人という形にこだわっていたが、これらの対戦相手に対応する為には3人の選手を同時にコート上に送らざるえない場面は少なからずあり、スタートを外国人3人に変更したのはもはや選択の余地がない状況だった。しかし、このシーズンを含めてbjリーグ参戦後の数年は「日本人で外国人を倒す」ことを繰り返し公言し、強調していた。

※2 ・・・ ノートルダム大学ファイティングアイリッシュ、NCAAのビッグイーストカンファレンスに所属する名門チーム。ノートルダム大学と言えばフットボールの知名度が圧倒的に高いが、バスケットもかつてUCLAの88連勝を止めるなど、No.1ランキング校を倒す大物食いとして知られる。ワイチがプレーしていた頃のヘッドコーチはNBAダラス・マーベリックスのヘッドコーチとしても活躍したジョン・マクロードで、チームメイトにはNBAでも活躍したパット・ギャリティ、トロイ・マーフィーらがいた。ホームコートは約1万人収容のパーセルパビリオン。


Trackback URL
Comment & Trackback
Comments are closed.
No comments.