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2010/01/29

bjリーグでプレーしていた人気選手、ニック・デービスを熱く応援するCさんの第2回。

今回はニックの応援にどんどんと熱が入っていく経緯を中心に、そしてまた新潟から東京と、常にコートサイドから彼の様子を間近で見てきたCさんならではの話を聞くことが出来ました。

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荒木ユタカ(以下、荒):それではここからやっと本題というか、ニックについての話に入っていきたいと思います。そもそもニック・デービスという選手を応援するようになったきっかけとは何だったんでしょうか?
Cさん(以下、C):最初はこんな事があったんです。新潟の試合後にサイン会があったんですね。コート上に机を並べて、各選手の前に行列を作って。それで私の女房が、ニックからサインを貰いたいと言うんです。パンフレットか何かにサインを貰おうとしていたら、女房が「サインを貰うにはなんて言えばいいの?」という話になって。“Please give me your autograph.”だよって話していたのに、ニックの目の前に行ったら、女房はしゃべれないんですよ(笑)。
荒:ちなみにCさんは英語のほうは?
C:英語は全然ダメです。たまたま外国人の友達がいたんですけど、3歳児レベルですよ(笑)。それでも私が英語で話しかけたら、ニックが“You speak good English!”なんて言ってくれて。それがきっかけでしたね。それからは会場で手を振ってくれたり、握手してくれるようになったんですね。で、その後たまたまなんですが、「肉うどんTシャツ」ってのがあったんですね。
荒:ありましたね、チームが作った各選手のオリジナルTシャツで、ニックは肉うどんが好物という事で“Nick Udon”とかけていたんでしたっけ。
C:それを売店に買いに行ったらサイズがLLくらいまでしかなくて、私は体が大きいんで入らないという話を売店の人としていたら、「ニックの為に1着大きいのを作るんですが、一緒に作りますか?」という話になって。そのデカいTシャツを着て試合会場に行ったら、ニックが凄く喜んでくれたんですよ。そんな事もありました。
荒:では、それからはニックとよく話したりするようになったんですね。
C:結果的にはそうなんですが、そうやっていろいろ話してくれる外国人選手というのは、それまで私は経験無かったんですよ。
荒:ほう。
C:他の選手とも話すことありましたが、ニックのフレンドリーシップというか。彼くらいブースターを大事に扱う選手というのは、他にいないと思いますよ。たいした話をしていた訳じゃないし、試合会場でちょっと話すくらいですけどね。女の子みたいにお菓子とかプレゼントするのは恥ずかしくて出来なかったですね(笑)。
荒:そんなニックと新潟は翌シーズンからbjリーグでプレーし、しかし残念ながら2年連続で優勝を逃すという結果に終わりました(※1)。そんな時のニックはどんな様子でしたか?
C:私が一番印象に残っているのは、プレイオフで高松ファイブアローズに負けた後に、ニックはずっとベンチで泣いてたんですよ。あれを見たら、「あ、ニックはそんなに優勝したかったのか」、「この男に優勝させたい」って凄く思いましたね。それが凄くインパクト残ってるんですよ。
荒:それが、ニックはそのシーズンで新潟を退団することになってしまう。
C:私は次のシーズンもシーズンチケットを買ってニックを待ってたんですよ。それが東京アパッチに移籍してしまって。
荒:新潟最後のイベントで、「来シーズンもチームに残って」と言ったら、「ヒロセ(新潟の廣瀬HC)に言ってくれ」と話していたのを覚えています。
C:私も同じことを言われましたね。“Hirose’s choice”(廣瀬HC次第だ)と。
荒:それではニックは新潟を退団して東京でプレーする事になった際、やはり彼の中には新潟に対する特別な感情というのはあったのでしょうか?
C:それは強く思っていたと思います。新潟との試合の時はいつも“We must beat Niigata.”(新潟は倒さなければいけない)と言ってましたからね。「とにかく新潟には勝ちたい」と。
荒:やっぱりそうなんですね。
C:たぶんニックは、なんで自分が新潟からカットされたか分からなかったんだと思いますよ。

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荒:ニックが東京に移籍することに関して、まず新潟を去るという事についてはどう思いましたか?
C:かなりショックでしたね。シーズンチケットが無駄になっちゃった(笑)。
荒:その時点では、「東京のニック」を応援しようと思っていたのですか?
C:とりあえず東京というチームが新潟と全然違うスタイルじゃないですか(※2)。当時はジョン“ヘリコプター“ハンフリーがいたし、ブライアントHCもいたし。まず、そんなチームにニックがフィットするのかな?というのがありましたね。
荒:確かに、新潟はバスケもチームの雰囲気もオーソドックスですが、東京はその対極とも言えるチームですからね。
C:そこでまず、東京のプレシーズンの試合に行ったんですよ(2007年9月24日、韓国KBLテグ・オリオンズ戦)。女房と2人で、足立区の体育館だったかな。そこで、試合会場とは別のサブアリーナみたいな所で選手達がシューティングをしていて、ニックを見つけたんでドア越しに手を振ったら、めちゃくちゃ喜んでくれたんです(笑)。彼は新潟であれだけ人気のある選手だったんで、そのプレシーズンマッチには、私以外にも新潟からのブースターが何人かは来ていると私は思っていたんです。結局、誰もいないんです。
荒:Cさん以外には誰も?
C:私は「そんなものなのかな?」と思って。ちょっと寂しかったですね。だからこそ、ニックは凄く喜んでくれたと思うんです。
荒:日程的なものや、立地的なものもあったのかもしれませんね。
C:それからニックは、更にフレンドリーに接してくれるようになったんですよ。
荒:そんな状況だと、ますます「俺が応援しないと!」と思っちゃいますね。
C:それからはちょくちょく東京の試合に行くようになったんですが、まだ新潟のシーズンパスも持っていたので、半々くらいの割合で見てましたね。
荒:すると東京の試合も見て、行ける試合は新潟も行って、という感じですね。
C:当然、新潟も応援してましたからね。でも、だんだん東京の試合に行くことが多くなって、新潟のシーズンパスも他の方に譲ってしまいました。
荒:東京のシーズンパスは持っていたのですか?
C:(当時の)東京は5枚綴りのチケットがあったので、それを買ってました。で、東京のブースターさん達は、新潟みたいにベンチ裏にはほとんどいなくて、コートエンド側(ゴール裏側)にコアな人達が集まってたんです。ベンチ裏の1列目とか2列目に行ってみると、ブライアントHCが動いているから試合がよく見えないんですね(笑)。
荒:ブライアントは身長が206センチもあるし、いつもベンチ前をウロウロしてましたもんね。
C:だから私は「ベンチ裏に誰も座らないの?」という感じで、女房と2人で座っていたんです。そしたらニックは、スターティング5の発表の時に、ニックのコールがあってから、ベンチ裏の私たちの所に来てタッチして、それからコートに行くんですよ。
荒:それは普通ありえないですね(笑)
C:ブースターとしたら超うれしいですよ(笑)。

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※東京時代のニック、右が当時のジョー・ブライアントHC。

荒:そのニックは、新潟時代からよく他の選手に声を掛けたり、ベンチでもチームを盛り上げていましたが、東京アパッチというチームの中ではどんな存在だったのでしょうか?
C:ニックは東京で一番のベテラン選手だったので、それを強く意識しているようでしたね。自分が一番のベテランなんだから、自分からみんなに声をかけて。特に“ヘリコプター”ハンフリーには、常に話しかけていましたね。
荒:そもそも新潟と東京ではバスケのスタイルがかなり違うと思うのですが、その点についてはどうでしょうか?比較的チームとしてまとまってプレーする新潟と、かなり自由なスタイルの東京ですが、そんなチームにニックはフィットしているように見えましたか?
C:東京の1年目は凄く苦労したと思いますよ。コート上で他の選手とケンカ腰でやりあう時もありましたからね。かなり激しく言い合ったり。2年目はかなり噛み合った部分があったと思うし、他の選手ともよく話が出来ていたみたいですね。
荒:東京といえば「ブライアントHCのチーム」という印象が強いのですが、ニックはブライアントとは上手くやれていましたか?
C:ニックはブライアントに対しても、外国人選手に対しても、日本人選手に対しても態度をほとんど変えなかったので、その点はチームでもリスペクトされていたと思いますよ。
荒:その東京では、新潟の2年連続プレイオフ敗退に続いて、今度は2年連続ファイナル(決勝)で敗退するという残念な結果に終わりました(※3)。
C:ニックの口から出た言葉は、“とにかく勝つのは難しいんだ”という事でした。新しいチームがどんどん増えてファイナルに行くことすら簡単な事じゃないし、リーグには毎年のように新しいタレントも入ってくる。そして彼は一つずつ年を取るわけですから。そういった中で、常に戦う気持ちというものを奮い立たせながらプレーを続けて行くといのは難しい事だと思います。そして、例え自分が数字を残したとしても、それがチームの中ではどうなのか?という事もありますからね。
荒:Cさんはニックのプレーを新潟時代からずっと見ていた訳ですが、東京時代はどうでしたか?年齢的な衰えを感じる部分もあったのでしょうか?
C:まずオフェンスリバウンドに行かなくなりましたね。
荒:それは、今シーズン?
C:昨シーズンくらいからですね。それに、ニックはこの1年間、ゲーム中に1度もダンクしてないんですよ。練習ではダンクしても、ゲームではダンクしなくなったんですよね。
荒:それは分かりやすいですね……。新潟の時はときどき派手なダンク決めてくれたんですが。それから、オフェンスリバウンドというのは一番フィジカル的にもキツいところですからね。
C:ディフェンスリバウンドはそれなりに取るんですけど、オフェンスリバウンドが減ったというか、ハリーバック(相手に速攻を許さない為に、自陣のディフェンスに戻ること)を凄く意識していたみたいですね。さっさと(ディフェンスに)戻ろうとしてしまう。オフェンスリバウンドが取れない、取りに行っていない。そしてゲーム中にダンクがないというのは、見ていて凄く悲しいと思ってました。
荒:オフェンスリバウンドというのはフィジカルはもちろん、「絶対に取る」というメンタルの強さが一番必要な部分ですからね。その意味では気持ち的に、少し守りに入っていたのかもしれません。私も去年秋のプレシーズンに東京の試合を見たのですが、例年以上に体の線が細いというか、チームメイトのジュリアス・アシュビー(※4)が大きいだけに凄く痩せているように見えたので、心配なくらいでした。もともと筋肉の付きにくい体質だとは思いますが、これで本当に大丈夫なんだろうか?と思っていましたよ。
C:新潟にいた時はたくさん食べてウェイトがあった分、腰痛の不安があったみたいですね。東京に来て体重は減ったみたいですが、おかげで腰のコンディションは良くなったけど、スタッツは落ちていましたね。何が良いのかはニックとチームが選択することですけどね。

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※ニックが東京へ移籍したシーズン、その東京アパッチを朱鷺メッセに迎えてのホームゲーム(2008年1月5日)。試合後の記者会見で、半年前までチームメイトだったマットが多くのメディアに囲まれているのに対し、寂しそうなニックの姿がとても印象的でした。

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※1 ・・・ bjリーグの初年度となる2006年、新潟はプレイオフファイナルで大阪エヴェッサに破れて2位、翌年はプレイオフセミファイナルで高松ファイブアローズに敗退。3位決定戦でも大分ヒートデビルズに破れ、シーズン4位という結果に終わった。

※2 ・・・ 6チームで開幕したbjリーグの中でも首都東京をホームタウンとするアパッチは異質とも言えるチームで、ストリートバスケットのスタイルを積極的に取り入れていた。エースの“ヘリコプター”ハンフリーはその象徴であり、また、NBAを代表する選手、コービー・ブライアントの父親であるジョー・ブライアントヘッドコーチの言動は、常にメディアの注目を集める存在だった。

※3 ・・・ 東京アパッチは2008年、2009年と連続してプレイオフファイナルまで進出したが、2008年は大阪エヴェッサに、2009年は琉球ゴールデンキングスにそれぞれ敗れ、優勝を逃した。

※4 ・・・ ジュリアス・アシュビー、1982年9月14日生まれ、トリニダード・トバゴ出身。バスケのキャリアは浅いが、その恵まれた体格を生かし、bjリーグでは高松で2年プレーし、東京で2シーズン目を迎える。身長205センチ、体重105キロと見事な体格を誇り、フィジカルなプレーに強い。

2010/01/29 11:18 | コートの外 | No Comments

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