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2010/01/16

何処ぞやで「史上最強の外国人選手云々……」という話を見て、いろいろ考えていたんですが、こと新潟というチームに関しては、これに該当するような選手が思い浮かばない。

というのは、新潟アルビレックスBBという、bjリーグで5年目、創設以来10年目となるこのチームは、伝統的に「チームプレー」を重んじるバスケを展開するので、どうしても突出した選手というのがいない。というか、そのタイプの選手が生まれようがない。

では所属するbjリーグで考えるならば、例えばリーグ在籍の4年を全て優勝し、ファイナルMVPにもなったジェフ・ニュートン(琉球)であるとか、3連覇の立役者であるリン・ワシントン(大阪)であるとか、AND1のアイコンのひとり、”ヘリコプター”ことジョン・ハンフリー(元東京)、大阪3連覇の立役者でもあるマット・ロティック(現大分)とデビッド・パルマー(大阪)、今年も得点王になりそうなマイケル・パーカー(福岡)、放っておいたら何点でもとってしまうマイケル・ガーデナー(高松)、211センチの大型フォワード、アンディ・エリス(元大分)などなどなど、まぁ比較的ピックアップには困らないところです。

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(今年は苦戦している大阪のリン・ワシントン)

ついでにJBLに関して考えてみると、とりあえず定番の桜木ジェイアール(アイシン)とかいますけど、印象強かったデビッド・ブース(元パナソニック)、トム・クラインシュミット(元東芝)らに加えて、なんといってもインパクトあったのがルシアス・デービス(いすゞ自動車)ですね。いすゞの黄金期を支えたフォワードですが、彼のプレーを見ては「止めようがないじゃん」といつも思っていたのを覚えています。

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(いつも不機嫌そうに見えるアイシンの桜木さん)

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とは言っても「そんな選手は新潟にはいません」ではちょっと寂しいので、過去を振り返ってまとめてみましょう。選手名の右の( )はリーグのタイトル。また、※1はシーズン途中で加入した選手、※2はシーズン途中でカット若しくは退団した選手です。

2000~2001シーズン(日本リーグ、優勝)
#5 レイ・ウェザーズ G
#24 モーリス・ウッズ C
#44 リン・ワシントン F

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2001~2002シーズン(日本リーグ優勝)
#22 シャナン・スウィルス F (リバウンド、ブロック)
#44 リン・ワシントン F (ベスト5)

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2002~2003シーズン(スーパーリーグ6位)
#24 グレッグ・ストルト F (リバウンド)
#44 リン・ワシントン F

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2003~2004シーズン(スーパーリーグ8位)
#2 テイト・デッカー C
#42 ブーマー・ブラゼル F

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(ブーマーと言えばいつも思い出すのがこの画像。ホームシックさえなければ……)

2004~2005シーズン(スーパーリーグ7位)
#21 ニック・デービス C (リバウンド、ブロック)
#33 マット・ギャリソン F

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(ところでニックがこの髪型をしていたのは、来日した2004年8月から、同年11月6日のアイシン戦@新潟市体育館の前まで。ドレッドのニックを直に見た人は貴重なのかもしれません)

2005~2006シーズン(bjリーグ準優勝)
#5 アントニ・ワイチ G
#21 ニック・デービス C (ベスト5、リバウンド)
#33 マット・ギャリソン F

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2006~2007シーズン(bjリーグプレイオフ4位)
#5 アントニ・ワイチ G
#21 ニック・デービス C (ベスト5、FG率)
#33 マット・ギャリソン F
#41 ハン・チェギュ F
#44 ジャック・ハートマン C

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2007~2008シーズン(bjリーグイースタン3位)
#1 Mジュンベ・ウィリアムス G ※2
#10 ロドニー・ウェブ F
#33 マット・ギャリソン F
#44 アンドレ・スミス F ※1
#45 アンドリュー・プレストン C ※1

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2008~2009シーズン(bjリーグイースタン4位)
#3 ブレット・グラビット G
#5 ドクン・アキングベート C
#8 ホ・ドンキュ F ※2
#21 エマニュエル・リトル F ※1
#22 アントニオ・バークス F
#31 カルバン・チットウッド F
#34 カルム・マクリード C ※1、※2
#43 ポール・ビュートラック C ※1

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2009~2010シーズン(bjリーグ)
#31 カルバン・チットウッド F
#41 ウチェ・エチェフ F ※1
#43 ポール・ビュートラック C
#44 アントニオ・バークス F
#45 タイロン・レヴェット F

こうやって見ると、今まで実にいろんな選手がいましたね~。みなさん、ちゃんと全員の顔が思い浮かびますか?

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では改めて「史上最強」というフレーズを考えた時、そこには「記憶と記録に残る」選手がそうであるような気がします。よくスポーツでは「記録に残る選手」と「記憶に残る選手」という話になりますが、その両方を兼ね備えているからこそ、「史上最強」と呼ぶに等しい選手と言えるのでは無いでしょうか?

そこで改めて上の選手たちを思い起こしてみて、これは全く個人的な印象なんですが、私にとって史上最強の選手に最も近いのは、ニック・デービスだったりします。そもそも、私にとって彼は新潟に入団する前から、最もインパクトのある選手だったからです。

初めてニックのプレーを見たのは、彼がアーカンソー大学でプレーしていた1998年のこと。彼はNCAAでも強豪校であるアーカンソー大学のスターティングセンターであり、全米を代表するりバウンダーでした。

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(貴重なニックの大学時代の画像。ちなみに背番号は31番です)

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ニック・デービスは1976年9月27日生まれ。NY出身。サウスカロライナ州のコロンバス高校時代は全く注目されず、フロリダ州のGulf Coast短大に進む。ここでニックは1年で平均19点、12リバウンドという立派な数字を残したのだけれど、ラッキーだったのは彼の編入学したアーカンソー大学の状況。

SEC(サウスイースタンカンファレンス)という、NCAAでも強豪カンファレンスに属するアーカンソー大は、1986年から指揮をとるノーラン・リチャードソンHCのもとで着々と成績を伸ばし、1990年にはトッド・デイとリー・メイベリーの”メイデイコンビ”にオリバー・ミラーを加えたメンバーで同大学史上3度目となるファイナル4に進出。そしてついに94年に全米優勝を達成し、続く95年も全米で準優勝という輝かしい成績を残しています。

この時のメンバーが”40 minutes of hell”(地獄の40分)と呼ばれたチームで、NCAAトーナメントの最優秀選手となりNBAに進む”Big Nasty”(大きな暴れん坊)ことコーリス・ウィリアムソンを筆頭に、スコッティ・サーマン、コーリー・ベック、クリント・マクダニエル、ドワイト・スチュワートというスターティング5だけでなく、ベンチメンバーもアレックス・ディラード、ダバー・リマック、ダーネル・ロビンソン、リー・ウィルソンという強力な選手たちが控えており、これらの選手が40分間に渡ってひたすらオールコートでプレッシャーディフェンスを続けるという、対戦相手にとっては非常にタフなゲームメイクをするチームでした。

この選手の大半が卒業したのが95年で、上記9人のうち2人を残して卒業してしまったのです。主力選手が卒業したからといって、簡単に弱くなってしまってはパワーハウス(強豪校)のプライドが許さないので(もっとも、そこで成績を残さなければHCがクビになってしまう)、リチャードソンHCはリクルーティングに力を入れる事になりました。そして、翌96年シーズンに新たにレイザーバックス(アーカンソー大のニックネーム、地元の野ブタのこと)のユニフォームを着ることになったのは実に11人!もいたのです。

その11人のうち、短大(JC)出身の選手が5人もいたのですが、ニックもそのひとりでした。NCAAはいくら才能があっても経験のない若い選手達だけではなかなか勝ち抜けないので、時に経験のあるベテランとして実績のある短大の選手をリクルートするのですが、ニックの短大での1年目のスタッツがそこで目に止まったようです。

このリクルーティングのクラスはニックだけでなく、ガードにカリーム・リード(卒業時は同大の通算アシストリーダー)、パット・ブラッドリー(同じく3ポイント成功リーダー)、フォワードにデレック・フッド(同大史上2人目となる1,000リバウンド達成)らがいたので、やはりリチャードソンHCは見る目があるな~という感じなのですが、実はニックに注目が集まるのは彼がアーカンソー大でプレーして3年目、つまり4年(シニア)のシーズンになってからでした。

というのは、ニックの2学年上にダーネル・ロビンソン、1つ上にリー・ウィルソンという、どちらも211センチのセンターがいたおかげで、アーカンソー大でのニックの最初の2年は、ベンチに座ることと、これらの選手のバックアップをするのが仕事だったのです(なお、ニックは大学時代は6-9、206センチ登録で、卒業後は6-8、203センチ登録)。おそらく大半の方がこの2人の選手の名前を聞いたこともないと思いますが、例えばロビンソンはカリフォルニア州の高校生による通算得点記録を持っているような選手だったので(一応NBAにもドラフトされました)、サイズだけはNBAクラスのこの先輩達には全く歯が立たなかったようです。

その2人が去った98年シーズン、ついにニックに日の目が当たる事になります。シーズンでは平均9.8点、2.4ブロック、10.4リバウンド、ちなみにフリースローは47.2パーセントだったのですが、シーズン序盤は得点とリバウンドでチームをリードしており、特にリバウンドは全米でもトップクラスとなる13リバウンド前後を記録していました。

今も昔もとにかく細いニックですが、そのリバウンドはあるスカウトをして”SECのデニス・ロッドマン”と称されるほどのもの。前述のウィルソン、ロビンソンのようにゴツい体でフィジカルに奪うのではなく、手の長さを生かし、そして果敢にゴール下に跳び込むスタイルでした。そのリバウンドには嗅覚ともいうべきものがあり、単に高く、早く跳ぶだけでなく、シュートが外れてリバウンドが跳ねる方向を知っているかのような素晴らしいセンスのある選手でした。

なお、ニックの癖と言えば試合中に指先を舐める(?)事ですが、この大学時代から同じ仕草をしていますね。握手した時に彼の手がカサカサだったのが印象的なんですが、乾燥肌なんだろうか?

※ちなみに、私がたまたまニックを見た試合がルイビル大学との試合で、ここには後にAND1のエスカレードとして活躍するトロイ・ジャクソンがプレーしていました。トロイ・ジャクソンは当時すでに208センチ、170キロのダンプトラック体型だったので、ニックの3人分くらいの幅がありました。ニックはそのジャクソンの頭の上からリバウンド取ってましたけどね(笑)。

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(エスカレードのいい画像が無かったのですが、だいたいこんな感じの選手です。ちなみにニックは半分の90キロくらい)

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だいぶ話がそれましたが、そんなニック・デービスという選手、大学時代はアーカンソー大のホームコートであるバドウォルトンアリーナ(約2万人収容)の観客を熱狂させ、同大では1試合のリバウンド記録1位を保持し(23本!)、また同大のシーズンのリバウンドでは史上2位(322本)を記録するような選手が新潟に来るという事で、個人的には勝手に興奮していた記憶があります。シーズンのリバウンド記録では、ニックより下にNBAクラスの名だたる選手たち、例えばシドニー・モンクリーフ(オールスター5回、NBA1stチーム4回など)、ジョー・クライン(1984年オリンピック金メダル)、アンドリュー・ラング、コーリス・ウィリアムソンらの名前があったんですからね!

なお、ニックは大学卒業後アメリカのマイナーリーグCBAやプエルトリコでプレーしたのち、2000~2001シーズンに日本リーグ(2部)のデンソー・フープギャングでプレーしています。このシーズンはリバウンド、FG率、そしてブロックショットでリーグの1位になったのですが、このシーズンを最後に所属するデンソーが廃部してしまいます。その後も世界中を点々としたニックは、一時はハーレムグローブトロッターズでプレーしたり、またNBAまであと一歩というチャンスもあったようですが、巡り巡って2004年に新潟入りする事になります。

ニックにとって1年目、新潟にとってJBL時代最後のシーズンは、チームとして非常に厳しいものがありましたが、ニックはリバウンド、ブロックショットというディフェンス面で素晴らしい活躍を見せます。

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しかし、それ以上に新潟の人達にとって印象深かったのは、彼の人柄の良さでしょう。驚異的なリバウンダーであるニックは、同時にオフェンス面ではいろいろと課題のある選手であり、特にフリースローの確率の悪さについては本人もかなり気にしているようでした。しかし、それを補って余りある程のキャラクターがニックにはあり、おそらく新潟というチーム史上、最もファン/ブースターに愛された選手の一人であるのは間違いありません。

コート外ではともかく、コート上にいる選手というのは、試合中はもちろん、試合の前後も集中しているものですが、ニックの場合は試合の前後であれば、声を掛けると大抵の場合、その人を探し笑顔で手を振ってくれます。会場によってはコートから観客席が見にくい所があったり席が遠かったりしますが、わざわざ探して手を振ってくれるのがニック。ついでに、場合によっては緊迫した試合展開の中でも、観客席の声に応えるのがニックなのです。声をかけたほうが「いや、何も返事をしなくても……」と思ってしまいそうなくらい。

コート上でそんな調子なので、試合前後などコート外でファンに囲まれて彼の笑顔が笑顔が絶えない(絶える暇がない?)ことが日常的ににあり、そんな訳で新潟時代から既に、新潟以外の街にも熱狂的なファンがいたりしました。白人選手に比べると日本語はそれほど覚えなかった印象がありますが、それでもなんとかコミュニケーションを取ろうとしてくれるところが、また多くのファンの心を掴んでいたような気がします。

冒頭の話に例えると、ニックは記録的にもかなりいい線に行ってると思うのですが、記憶という意味では間違いなくそのリストのトップに来る選手のひとりと言えると思います。

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そんなニックが3年の新潟でのプレー後に新潟を去る事になった時は本当に残念でした。彼の3年目、つまりbjリーグでの2シーズン目が終了した後のファン感謝イベントで、「来年はどうするの?新潟でプレーしてほしいよ」と声を掛けると、ニックがいつものかすれた声で「それをヒロセに言ってくれよ」と繰り返し言っていたのが思い出されます。

しかしニックが、結局は同じbjリーグの東京アパッチと翌シーズンの契約をすると聞いたときは、少しホッとした気がしました。もう新潟のユニフォームを着ることはないだろうけど、試合会場では見ることができる。東京では新潟時代と同様に、もしかしたら新潟の時より更にブースターにとって重要な存在になっていたのかもしれません。新潟時代から練習を頑張っていたフリースローも、東京時代には(ちょっと)向上したみたいですからね。

※ニックのシーズン毎のフリースロー確率はこちら
2005年49.4%、2006年50.5%、2007年45.0%(ここまで新潟)、2008年58.3%、2009年57.2%、2010年61.9%

東京に行ってからの数字は「微増」という感じですが、印象的には「倍増」に近いものがありましたね。

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そして、その東京アパッチの選手としてのキャリアも、2009年12月の試合を持って終了することになりました。チームからカット(契約解除)されたのです。

確かに彼のスタッツ(数字)は以前に比べるとだいぶ寂しくなり、今となっては28歳で新潟にやって来た頃の半分くらいの運動量しかなくなってしまったのですが(ちなみに現在33歳)、それでもまだこのリーグのレベルでは一定の評価のある選手であり、また前述のように誰からも愛されるキャラクターというだけでなく、ロッカールームでは他の選手達をまとめてチームをひっぱるムードメイカーとしても、非常に重要な選手としても知られています。洋書やwebで選手の評価を見ていると、「ディフェンスがいい」や「視野が広い」などの他に、「ロッカールームでいい雰囲気を作る」というのがあったりするのですが、そのタイプの選手ですね。

彼は新潟で3年、東京で2年半、ニデック時代も加えると6年半も日本でプレーしている事になります。それも、20代の後半から30代にかけてという、バスケット選手として最も充実した時期をです。日本でそれだけプレーしていたという事は、それだけの理由があるということなのです。

そんな選手をチームから放出することは、それはつまり現在の東京というチームのマネジメントが(残念ながら)破綻していることに他ならないのですが、この点についてはまた次の機会に考えてみたいと思います。

彼が去る事で東京のブースターだけでなく、新潟を含めて各地にいるであろうニックのファンの落胆は計り知れないものがあるのですが、願わくば、また彼の姿を日本のどこかで見たいものです。

なかなかいませんよ、これだけ愛されるキャラクターの選手って。

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2010/01/16 02:14 | Old man talking | No Comments

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