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2007/09/18

私がインタビュー記事を書こうと思い立ち、最初に悩んだのは誰に話を聞くか?という事でした。

アルビBBの選手?誰に聞いても面白い話が聞けそうです。

廣瀬ヘッドコーチ?(※1)アルビBBのバスケはすなわち廣瀬さんのバスケ。アルビBBを語る上で廣瀬さんの話は避けて通れません。

元アルビBBの中野さん?(※2)bjの社長に就任する中野さんですが、そもそも小千谷の奇跡と呼ばれたあの大会(※3)を成功させたからこそ、今のbjがあるのは間違いありません。

しかし、まず私の頭に思い浮かんだのは、そのいずれの方でもありませんでした。

「なぜそこまで頑張るのか?なぜそこまでバスケにこだわるのか?」

この言葉で最初に思いついた人。それは、アルビBBのアシスタントコーチ、下地一明さん(※4)です。

マルファン症候群(※5)という難病を背負い、事実、生死をさまよう大手術を3度も乗り越えながら、それでもコートサイドに立つ男。

誰もが無理だと言うことをやってのけた男。

医者に「もう歩けないかもしれない」と言われると、それなら車いすに座ったままでどうやって選手にスタンスを指導しようか真剣に考え続けた男。

私が最初に話を伺うのは、この方です。

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※1 ・・・ 廣瀬昌也、茨城県出身。明大中野高校から青山学院大学へ。青学では1989年のインカレ(全日本学生バスケットボール選手権大会)の優秀選手に選ばれ、卒業後は日本リーグの熊谷組、大和証券で活躍。1999年には大和証券の監督(ヘッドコーチ)に就任し、新潟アルビレックスの発足以来、ヘッドコーチを努める。全日本代表アシスタントコーチの経験もある。1967年5月4日生まれ。

※2 ・・・ 中野秀光、新潟県出身。白山高校を卒業後、小千谷青年会議所(JC)時代からスポーツを通したまちづくりとして「スポーツサミット」を自身の出身地である小千谷市で開催してきたが、1996年、その集大成としてNBAのOB選手を招いた記念大会を小千谷市総合体育館で開催し、全国のバスケ関係者の注目を浴びる。2003年に新潟アルビレックス入りし、翌2004年には代表取締役社長に就任。2007年8月に同社を退社し、9月にはbjリーグの代表取締役社長に就任する。1958年5月15日生まれ。

※3 ・・・ 1996年に小千谷青年会議所(当時の理事長は中野さん)が、地元小千谷総合体育館のこけら落としイベントとして開催した大会。NBAの OB選手(ジェームズ・ウォージーやアレックス・イングリッシュら)を招き、日本リーグの大和証券、住友金属、東芝が対戦した。地元の人にさえ「そんな大会が出来るわけがない」と言われながら、3日間に渡るこの大会は大成功を収めた。特筆すべきは、その演出方法。試合開始前にはレーザー光線を使ったオープニングセレモニーがあり、コートはライトアップされ、チアリーダーがコートサイドを彩る。NBAの元オールスター選手、ジェームズ・ウォージーはこの光景を見て「ここは日本なのか?」と言ったという逸話がある。この演出が後のK-1などの大型イベントにヒントを与えたと言われ、また、現在のbjリーグの演出に多大な影響を与えている。

※4 ・・・ 下地一明、沖縄県出身。北谷(ちゃたん)高校、中央大学を経てOSGへ入社。その後、新潟アルビレックスBBへ。高校時代から全日本ジュニアとして活躍するなど将来を嘱望されるが、マルファン症候群という難病を抱え、中央大学時代、OSG時代の発症を経て選手としては引退。その後はコーチ業に専念し、現在は新潟アルビレックスBBのアシスタントコーチとしてコートサイドに立つ。昭和51年12月4日生まれ。身長195センチ。

※5 ・・・ 3,000人から5,000人に1人発症するといわれる、遺伝子疾患。詳細については「マルファン・ネットワーク・ジャパン」HPをご覧下さい。月刊バスケットボール誌にも連載されたコラム「知らないと恐いマルファン症候群」において、下地さんの症例について詳しい説明があります。


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