タイトルの通り、今回がここジャンクステージでの最後のエントリーになります。
「突然」とありますが、実は私にとってはそうではありません。ジャンクステージに誘っていただいてライターとして活動すること約2年半。その間にいろんなことがありました。私にとってはその全てが楽しく、そして刺激的な経験でした。
そんなジャンクステージにお邪魔させてもらっている「いちライター」として、私個人としてもジャンクステージに対する思い入れとも言うべきものがありました。そして思いがけず、今年の1月に東京にて(全てではないですが)ライターと編集スタッフが一堂に会する総会が開催され、そこで自分なりに考えていたことを編集部の方々へ直接伝えさせてもらいました。
その後、自分なりにいろいろ考えた結果、私がジャンクステージを去るのが自然の流れという事を感じるに至りました。編集部とのメールのやりとりでも感じた事ですが、ジャンクステージというメディアにとっても、そして私個人にとっても、次のステップに進むべき時が来たという認識で一致したのです。
私自身はあまり一つの組織に長く属さない性分なんですが、今回のジャンクに関しては双方にとってプラスとなるステップとなるような気がします。私にしては珍しく(笑)
リアルで編集部の方や他のライターさんとお会いした事は、恐らく片手で足りる程の回数しか無かったと思います。しかし、他では代え難い経験をさせてもらった事、そして私のような者にチャンスを与えてくれたジャンクステージと、そしてジャンクステージに関わった全ての人たちに、改めて感謝の意を伝えたいと思います。
短い間ではありましたが、どうもありがとうございました。
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ちなみにこちらは、私がそもそもジャンクステージに誘われるきっかけとなったインタビュー記事。たぶん私から紹介するのはこれが初めてです。
今はインタビューする側ですが、インタビューされた事が最初のきっかけでした。改めて自分の話を読んでみると、「何を偉そうに・・・」と思います(笑)。思えば、ライターという仕事?をする方と接したのも、これが最初でしたね。
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そして、これからについて。
自分なりに考え、そしていくつかの選択肢を検討した結果、次はこちらにお邪魔する事になりました。
コラム ASSRET YOURSELF
この通称「バスナビ」というバスケットボールポータルサイトに仲間入りさせてもらった理由や、また、これからライターとして何を考え、そしてバスナビで何を書いていくのか?については、そちらでゆっくりお話したいと思います。
それでは、今後とも「荒木ユタカ」をよろしくお願いします。
それではまた。
アントニ・ワイチ選手のインタビュー第3回。
最終回となる今回は、大学から海外でプレーする事になった彼自身の豊富なプロ選手としてのキャリアについて、そして彼にとって重大な転機となった引退の決意、更にこれから彼が目指す将来について語ってもらいました。
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荒木ユタカ(以下、荒):ワイチ自身がバスケットを始めるきっかけは何だったのですか?
アントニ・ワイチ(以下、AW):ちゃんとバスケに取り組み始めたのは8年生(13歳)から。最初は野球を頑張ってたんだけど、ニューヨークで育つということは、誰もがバスケットをやるって事なんだ。それからどんどんバスケをプレーするようになって、上手くなっていったね(※1)。
荒:プロのバスケ選手として生きていこうと決めたのはいつでしたか?
AW:ノートルダム大での最後のシーズンが終わった時、これからもバスケをプレーし続けて、海外でもプレーしたいと思ったんだ。僕にはプロ選手としてプレーしている友人や元チームメイトがたくさんいたからね。
荒:ワイチがノートルダム大でプレーしている時のチームメイトには、パット・ギャリティ(※2)やトロイ・マーフィー(※3)といった、後にNBAで活躍するレベルの選手もいました。彼らのようなNBAレベルの選手と、そうでない選手たちの一番の違いは何でしょうか?
AW:そのどちらの選手もサイズとシュート力という、とても珍しいタレントの組み合わせを持っていたね。彼らは身長が206~208センチで、NBAレベルの確実なシュートレンジを持っていたんだ。大抵のNBAの選手と言うのは、まず1つの秀でた才能があり、それに組み合わせてサイズ、パワー、スピードとスキルの全て、若しくはそれらのいずれかを兼ね備えていて、それがNBAに行けない選手との違いだね。NBAでやるのに十分な才能があるのに、それを証明するチャンスがない為にNBA以外でプレーしている選手たちもたくさんいるよ。
荒:ワイチは新潟でプレーする前にマケドニア、メキシコ、フィンランドなどのプロリーグでプレーしていました。これらのリーグの思い出はありますか?
AW:いろんな国々でプレーするのは好きだったし、それぞれのリーグのバスケを経験するのも楽しかったね。あちこちの国でプレーすることで、素晴らしい機会を得たと思ってるよ。この経験のおかげで、僕はよりオールラウンドな選手になることができたんだ。
荒:2007年に新潟を退団した後は、どこでプレーしていたのですか?
AW:中東のトップチームの2つ、カタールのアル・ラーヤン(※4)と、ヨルダンのザイン(※5)でプレーしたんだ。中東のバスケットというのはちょっと独特で、何よりも得点することが重要なんだ。観客はあまりいないんだけれど、それにも慣れなきゃいけなかったね。でもサラリーがいいから、たくさんの選手がプレーしに行くんだよ。
荒:ナイキのCMでコービー・ブライアントと共演していましたね?これはどんな経緯で出演することになったのですか?
http://www.youtube.com/watch?v=UceAchJGJSA
AW:僕とマットはナイキのスポンサー契約みたいなものがあって、シューズや他の商品のテストとかをしていたんだ。そのテストに加えて、彼らはコマーシャルにも僕らを使ったりしていたんだ。バスケをプレーしていない時は、僕はいつでも彼らの手伝いをしていたんだよ。(コービーのCMは)ちょうど僕がアメリカにいたとき、彼らがコマーシャルの為に選手が必要で、ナイキにいる僕の知人が紹介してくれたんだよ。
荒:プロ選手からの引退を決断したのはいつ、そしてなぜ引退を決めたのでしょうか?
AW:娘が生まれてから、僕のメンタリティが変化してきたというか、海外でのプレーの引退後を考えるようになったんだ。中東ではいろいろと嫌な思いもしたし、加えて妻の母親がガンの闘病中という事もあって、僕は帰国しなければいけなかったんだ。でも、家族と共に過ごす事が出来たし、引退後のキャリアを準備する事も出来たから、僕にとっても良かったと思ってるよ。僕はずっとコーチになりたいという夢があって、だからこれは次のステップに進むいいタイミングだと思ったんだ。
荒:今シーズン(2009~2010年)からリーハイ大学バスケットボールチームでアシスタントコーチを務めていますが、チームではどのような役割ですか?
AW:僕の役割はリクルート、スカウティング、そしてガードの選手達がレベルアップするように一緒に練習することだね。僕が現役時代に経験してきたことや知識を、若い選手たちが向上していく為に伝えていこうと思ってるんだ。
荒:現役時代の経験は、選手たちを指導するのに役立っていますか?
AW:それこそが、僕がこの大学に雇われた理由の1つだと思ってるよ。僕は、コーチングの技術の足りない部分を、プレーしていた頃の経験で補っているんだ。僕の経験は選手たちが尊敬してくれるような創造性を与えてくれるし、僕は選手たちが毎日のように上達していくのを手助けしてあげたいんだ。彼らには、僕の経験から良い面も悪い面も学んでもらいたいね。
荒:それでは、自分自身のこれからのキャリアについて、どんな夢を抱いていますか?
AW:この州(ペンシルバニア)のどこかのディビジョン1の大学で、ヘッドコーチになりたいね。一緒に働いているコーチたちから多くを学んで、出来るだけいいコーチになることが僕の目標なんだ。最終的には、ヘッドコーチとして成功して、大学レベルで長いキャリアを送ることができればと思ってるよ。
荒:それでは最後に、新潟のブースターの皆さんにメッセージをお願いします。
AW:新潟の皆さん、僕が新潟にいた時は応援してくれて本当にありがとう。皆さんはbjリーグだけでなく、日本で最高のファンです。廣瀬ヘッドコーチと、そして新潟アルビレックスBBがいずれ成功するようお祈りしています。そう遠くないうちに、新潟のブースターはチャンピオンシップの歓喜に包まれるであろうと確信しています。僕のプレーしていた2年間に優勝出来なかった事を申し訳なく思っているのですが、あの2年間、皆さんを本当に楽しませることが出来たと思っています。皆さんの幸運をお祈りすると共に、また皆さんにお会いできればと思います。そして、僕達リーハイ大学マウンテンホークスが今年のNCAAトーナメントに出場することも確信しています。
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※1 ・・・ ワイチは高校の時点で既に高く評価されており、ノートルダム・ビショップギボンズ高校の最終学年(シニア)では全米74位にランキングされる選手だった(hoopscooponline.com)。また、その前年の94年には、NY地区の高校の優秀選手の1人に選出されているが(USA TODAY)、その中にはステフォン・マーブリー(現中国CBA)、ウォーリー・ザービアックら後のNBA選手、そしてライアン・ブラックウェル(現bj大阪)らの名前もあった。
※2 ・・・ パット・ギャリティ、6-9(206センチ)の白人シューター。コロラド州のルイス・パルマー高校時代から頭角を表し、ノートルダム大では1年から主力として活躍。4年では平均23.2pts、8.4rebを記録してビッグイーストカンファレンスの最優秀選手に選ばれた。98年のNBAドラフトでミルウォーキーに指名され(1巡目23番目)、その後フェニックスとオーランドで計10年のキャリアを過ごした後、98年に引退を表明した。NBA通算で平均7.3pts、得意とする3ポイントは39.8%。現在はデューク大学でMBA取得の為に頑張っているようです。
※3 ・・・ トロイ・マーフィー、6-11(211センチ)の左利きの白人シューター。ギャリティが卒業した98年にノートルダム大に入学したが、1年から平均20pts、10rebという素晴らしい活躍を見せ、2年、3年と2年連続カンファレンスの最優秀選手に選ばれた後、4年をスキップしてアーリーエントリーでNBAへ。ドラフトではゴールデンステートに1巡目14番目に指名された。プロ2年目から安定した活躍を見せるようになり、現在もインディアナのスターティングフォワードとして活躍している(平均14.1pts、9.7reb)。ギャリティに比べるとより大きく、運動能力も高い選手。
※4 ・・・ アル・ラーヤン、カタールを代表するプロスポーツクラブで、バスケットだけでなく、サッカー、ハンドボール,バレーボールなどのチームを有し、いずれも輝かしい戦歴を誇る。バスケットではカタールリーグのディビジョン1に所属し、カタールのナショナルチームも大半がこのチームの選手。
※5 ・・・ ザイン、ヨルダンのトップリーグであるプレミアリーグに所属する、ヨルダンを代表する強豪クラブチーム。ヨルダンのナショナルチームも多くがこのザインの選手で占められている。
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「ワイチが自分なりに納得できるプレーを出来るようになった時、アルビにとって彼は非常に重要な選手になるような気がします。」
これは、まだワイチへの評価が微妙だった2005年の11月、埼玉戦の観戦記で私が書いた言葉です。
この言葉が彼自身の思いに通ずるものがあったというのは非常に嬉しいことであり、そして同時に、彼の活躍だけでは優勝には及ばなかったという事実は、私にとっても非常に大きな落胆でした。
ですが彼自身、そしてチームにとっても、この2シーズンで優勝出来なかった事、つまり優勝出来ないチームだったことは紛れもない事実であり、一方で彼らがやるべき事を出しきっての結果であったと、今では納得できる気がします。
いずれにせよ、ワイチはチームに求められた事に対してベストを尽くし、やれる事をやりきった部分があるように感じられる彼自身の言葉であり、またそれが彼のその後の、そしてこれからのキャリアにとって1つの重要なステップになっている事が、せめてもの救いかもしれません。
きっとワイチの事だから、いずれコーチとしてどこかの大学で成功して、いつの日か日本のバスケの為に……いや、たぶんそれはないな。彼は日本に来るには、ちょっとスマート過ぎるから。
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天才肌ともいうべきクールな雰囲気で、ちょっと取っ付きにくい感じもしたワイチですが、私自身、彼とはこんな事がありました。
ある時パーティーに呼ばれ、そこにはワイチを含む選手たちもいたのですが、ふと気づくとワイチが何人かでビリヤードを楽しんでいました。ゲームも一段落したようなのでワイチに、”Who is the best?”(誰が一番上手いの?)と何の気なしに聞いたところ、彼はその言葉を聞いたとたん間髪入れずに次のゲームの準備をはじめ、私との勝負を始めようとしました。たぶん、私に挑まれたと思ったのでしょうね(笑)。
また、同じパーティーで乾杯の時。参加者が一同に集まったのですが、そこでワイチはその一人ひとりに「皿はあるかい?グラスは?」と聞いて周り、ちゃんとみんなを確認してから乾杯となったのです。実はとても気の回る、優しいキャラクターだったんですね。
実際、当時はそんなエピソードがいくつかあったようです。チームメイトに怪我が相次いだとき、試合前の足のテーピングに怪我をした選手達の背番号を書き込んでいたり、またある時は、「ニックとマットに言いにくい事があったら、俺に言ってくれ」と日本人選手達を食事に誘ってくれた事もあったとか。
実際はかなりのおしゃべりだったようですが、NYネイティブの彼との会話は、あまり出来なかった事を今になって残念に思います。
私を含めた新潟の人がまたワイチに会う事は恐らくないだろうけど、彼が2006年のファイナルで見せた活躍、特に後半開始直後のわずか2分の間に、ほぼ1人で10点を稼ぎ出し(3ポイント2本、速攻から左手のシュート、そして速攻からニックへのノールックパス)、ハーフで10点ビハインドだったゲームを1人で大接戦にして新潟のブースターを熱狂させた姿は、今でも鮮明に覚えているし、きっと忘れることはないと思います。
2年という短い期間でしたが、ワイチならではのプレーで新潟の人々を熱狂させてくれたことに、改めて感謝したいと思います。
ありがとう、ワイチ。これからの活躍に期待しています。
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追記
ワイチがアシスタントコーチを務めるリーハイ大学は、今シーズン、パトリオットリーグで単独1位となる10勝4敗を記録。全体でも19勝10敗という好成績を収めました。今年のエースはフレッシュマン(1年生)のCJマッカラム。Twitterでも何度か書いていますが、シーズン終盤になるほど活躍し、大舞台でもしっかり結果を残すという素晴らしいパフォーマンスを見せています。彼は191センチのガードですが、今シーズンのほとんどの試合に先発出場し、平均18.8得点、3ポイント確率42.6%を誇るシューターです。彼は1年生としては全米No.1のスコアラーであり、もちろんパトリオットリーグの新人王に選ばれ、そしてリーグの週間最優秀フレッシュマンにリーグ記録タイの9回も選ばれています。これは、リーハイ大と同じパトリオットリーグで大活躍したアドナル・フォイル(NBAキャリア12年)の記録を超えているのです(全米屈指の高校生ながら、バスケットの強豪校ではないコルゲート大に進んだフォイルのキャリアも非常に面白いので、是非彼のHPもご覧になってください)。フォイルと同じように、マッカラムも高校時代から成績優秀な生徒です。フォイルは例外とも言える存在ですが(208センチ120キロ、大学3年間でティム・ダンカンのブロックショット大学通算記録を抜くような選手です)、パトリオットリーグで活躍してプロ選手として大成するか?と言えば、その確率はほとんど無いと思います。ですが、マッカラムがバスケット以外のキャリアで将来成功する確率は、恐らくかなり高いでしょう。
そんなマッカラムの活躍もあり、リーハイ大(第1シード)はカンファレンストーナメント1回戦で、第8シードのアーミー(陸軍士官学校)を64-45で下しています。次の対戦はアメリカン大(第4シード)ですが、第5シードのネイビー(海軍士官学校)と62-60の接戦で勝ち上がってきました。アメリカン大には今シーズン2回とも勝っていますが、勢いのある相手だけにこの準決勝には注目しなければいけません。トーナメントブラケットの反対側では、第2シードのバックネル大が第7シードのホリークロス大に64-67で敗れるというアップセットがあり、これでリーハイ大にとって非常に有利な状況になったと言えます。決勝で対戦するのは第3シードのラファイエット大が濃厚ですが、こことはシーズン1勝1敗。しかし、ホームコートの学生がチームを後押ししてくれるでしょう。
パトリオットリーグのカンファレンストーナメント準決勝は現地3月7日、そして決勝は同じく3月12日となります。リーハイ大は第1シードなので最後までホームコートで戦う事ができますが、もしここで勝てばパトリオットリーグ優勝となり、同大にとっては2004年以来、通算4回目となるNCAAトーナメントに出場する事になります。ここまでNCAAトーナメントでは0勝3敗なので、派手な一発に期待したいですね(パトリオットのようなマイナーカンファレンスは、NCAAトーナメントではどうしても下位にランクされる為、1回戦から第1、第2シードといった強豪校との対戦が避けられないのです……)。
いずれにせよ、リーハイ大マウンテンホークスの活躍にもご注目ください。
で、ワイチ。彼はアシスタントコーチだし、今年チームに加わったばかりだから、日々の記事に彼の名前が出ることはまずありません。スタッフでコメントするのはヘッドコーチだけだし、他の記事でワイチの文字を見かけることもありません。
ですが、コーチになるのが夢だったというワイチの事ですから、早ければ数年でどこかのアシスタントコーチ、つまりヘッドコーチの右腕となり、そしていずれはヘッドコーチの座を掴むかもしれません。それは早ければ5~10年くらい、遅ければ……あまりチャンスはありませんが(選手と同じく、コーチも早くから成功して出世魚のようにこの険しい世界を進むしかありません)、彼のことですから、きっと成功してくれると思います。
ちなみに、NCAAの名だたる優秀なヘッドコーチのサラリーは、1億円前後。トップクラスのリック・ピティーノ、ジョン・カリパリ、タビー・スミスあたりでは2億、3億といった数字になります。もちろん1年で、です。実際にワイチがそんなレベルにまで駆け上るとは思いませんが、きっと、大事な家族を養うには十分なサラリーを得るレベルにはなると思いますよ。
かつて新潟アルビレックスBBでプレーしていたアントニ・ワイチ選手のインタビュー第2回。
今回は楽しさと厳しさが同居した新潟での2シーズンの中でも、特に思い入れのある2006年プレイオフでの敗戦、そしてbjリーグのレベルについて、更には日本のバスケットそのものについて話してもらいました。
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荒木ユタカ(以下、荒):ワイチにとって1年目のシーズン(2005~2006年)、新潟はリーグ2番目のシーズン成績を残しました(29勝11敗)。そしてbjリーグとしても初となった有明コロシアムのプレイオフでは、セミファイナルで東京アパッチを下しファイナル(決勝)に進むものの大阪エヴェッサに破れ2位という結果に終わっています。このファイナルという舞台で、果たして新潟が勝つチャンスはあったのでしょうか?
アントニ・ワイチ(以下、AW):この試合の本当のことを話す事は、僕にとっては今でも辛い事なんだ。僕たちは間違いなく優勝するチャンスはあったし、僕たちはシーズンを戦ってきたように全てをあの試合で出しきったんだ。レギュラーシーズンでは大勝した試合がいくつかあったから、それがメンタル的に影響したのかもしれない。大阪は新潟と全く逆のチームスタイルで、4人の外国人選手が得点から何から全てをやるんだ(※1)。パルマーはスタートメンバーじゃなかったけど、彼はすぐコートに出てきてゲームのほとんどをプレーしていたね。大阪とはいつも外国人4人対(新潟の)3人のマッチアップで、これは厳しい戦いだったね。でも僕は、新潟の日本人選手達なら彼らに勝てるという十分な自信があったんだ。(ファイナルでは)僕らは前半のプレーにためらいがあって、このせいでハーフタイムに相手にリードを許してしまったんだ。後半は全ての力を追い上げる事に費やしてしまって、一度は追いつくところまで行ったんだけど、そこから先に進む事が出来なかったんだ。そして最後に、パルマーのジャンプショットで試合が決まったね。誰もが覚えていると思うけど、リン・ワシントンが長谷川にパンチしたのに退場させられなかった事がすごく印象的だよ(※2)。

※ファイナルの後半残り1分、84-82と大阪がリードする場面で、試合を決定づけたミドルシュートを決めたのがパルマーであり、そのパルマーを守っていたのがワイチでした。
荒:続く2年目のシーズン、ここで新潟には大分ヒートデビルズからサイズのあるジャック・ハートマン(※3)が加入し、多くのブースターに「今年こそは優勝」という思いがあったと思うのですが、ワイチ自身はどう思っていましたか?また、結果として新潟はプレイオフ(セミファイナル)で再び破れ最終的に4位に終わるのですが、この結果についてどう考えていますか?
AW:2年目のシーズンも1年目と同様に楽しく、そして厳しいシーズンだったね。どのチームも外国人選手が4~5人いたから、僕たちがリーグで上位を戦い抜く為に他の外国人選手を追加する必要があったんだ。レギュラーシーズンではチームは多くの怪我に悩まされたし、確かシーズンのある時は7人で試合を戦った事があったと思うから、とても厳しかったね。(プレイオフのセミファイナルで)高松ファイブアローズに敗れたのは凄く悔しかったんだ。というのは、僕は絶対にまた大阪とファイナルで戦いたかったからなんだ。高松はいいチームだったし、いいプレーをしていたね。彼らのうち、ソジャナーとカズを外国人選手と考えるならば、高松は5~6人もの外国人選手がいたし(※4)、それが高松のシーズン後半に違いとなって現れたと思う。僕は一発勝負形式のプレイオフは好きじゃないんだけど、もしbjリーグの最初の2シーズンのプレイオフが2戦先勝方式(ベストオブ3シリーズ)だったとしたら、結果は全く違ったものになったと本当に思ってるし、その2つとも優勝できなかったにしても、少なくとも1つは新潟が優勝していたと思うんだ。
荒:新潟で、そして日本でプレーした2シーズンから、何を感じましたか?
AW:bjリーグはチームが増えているし、将来的にレベルアップしていく可能性があると思う。でも、外国人選手の数が増えることはリーグにおける日本人選手の役割が減ることを意味するし、リーグの将来を考えればよい考えではないと思う。
荒:bjリーグのレベルについてはどう思いますか?
AW:競技レベルとしては良いものがあると思うけど、もっと向上することが出来ると思う。リーグは外国人選手の数を制限する必要があるし、外国人選手の制限をしない事は、バスケットのレベルを下げる事になってしまう。チームに保有出来る外国人選手の数は3人まで、コート上には2人までにすべきだね。サラリーが高ければクオリティの高い外国人選手がやってくるし、チームとしても外国人選手ばかりが得点するのではなくて、日本人選手のレベルアップに繋がるからね。僕は、新潟のやっていたモデルは上手く行くと思うんだ。
荒:bjリーグの日本人選手で、印象的なのは誰かいますか?
AW:大阪の城宝、埼玉の清水、東京の青木、仙台のPG(日下)、高松のシューター(岡田)だね(※5)。新潟の日本人選手達もとても印象的なんだけど、特に長谷川だね。あの年齢でオールスターに選ばれる活躍をしていたのは信じられないよ。外国人選手ではニュートンとワシントン、ピッペン、マーシャルだね(※6)。

荒:ちなみに、JBLの試合は見たことありますか?
AW:新潟にいた時はテレビでJBLの試合を見ていたよ。bjリーグのほうがより激しいリーグだと思うけど、日本人選手のレベルに関してはJBLがベターだね。僕はbjリーグとJBLは将来的に交流戦のようなものやるべきだと思うし、それは若い日本人選手にとっていい結果に繋がると思う。
荒:全日本男子チームはここしばらく結果が出ておらず、アジアでさえ苦戦しています。今日の日本のバスケット界にとって必要な事とは一体なんでしょうか?
AW:彼らはチームが安定して力を発揮出来るように、選手たちの自信をつけさせる必要があると思う。競技力向上の為には継続的に強化していくしかないし、JBA(日本バスケットボール協会)がbjリーグの選手達を全日本チームの候補として認めない限り、今の結果は変わらないと思う。bjリーグの選手が全日本の世界ランキングを向上させるとは言わないけど、継続的に強化を続けることで、全ての選手に努力とレベルアップを求める事になるからね。日本がアジアで結果を出して世界レベルに行くにはまだ時間がかかると思うけど、ヨーロッパや世界各国の、トップの次のレベルの国々のバスケットを観察することが大事だと思う。

2006年5月2日、今はもう無くなってしまった新潟フェイズで行われたシーズン終了後のブースターフェスティバルにて。全選手がスーツ姿で揃う中、なぜかワイチだけが私服でした(笑)。
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※1 ・・・ その1で紹介した新潟のバスケットとは対照的に、大阪はマット・ロティック(現bj大分)、リン・ワシントン、ジェフ・ニュートン(現bj琉球ゴールデンキングス)というbjリーグを代表する3選手をガード、フォワード、センターの各ポジションに揃えるだけでなく、シュート力のあるフォワード、デビッド・パルマーがベンチスタートながら試合の大半でプレーしており、これらの選手の活躍により、bjリーグ開幕からの3連覇を達成した。
※2 ・・・ ファイナルの新潟-大阪戦の前半、接触で交錯した長谷川とリンが倒れ込んだ際、リンが長谷川の顔を殴り、長谷川はその後しばらく倒れたまま動けなくなった。このプレーは新潟ベンチの目の前であり、多くの人がその様子を目にしていたにもかかわらず、レフリー、アンパイアの3人(倉田国男、ティム・グリーン、原章次)はテクニカルファウルしか宣告出来なかった。これはbjリーグにとって初のプレイオフであり、そしてその会場は異様な雰囲気に包まれていたとは言え、ここで勇気ある笛を吹けなかった事は、現在5年目のリーグで今シーズンより新設されたパンチングファウル(暴力行為)による出場停止処分が散見されるようになった現状を鑑みると、滑稽以外の何ものでもない。
※3 ・・・ ジャック・ハートマン、6-10(208センチ)のフォワード。前シーズンは大分ヒートデビルズの主力選手として活躍していたが、バイオラ大学時代の先輩であるマット・ギャリソンの存在もあって新潟入りした。前シーズンを通じてインサイドのパワー不足を痛感していた新潟にとっては理想的な補強に思えたが、ハッスルな性格は空回りする事も多く、またフィジカルなプレーに対してパワー不足の面もあり、期待された結果は残せなかった。この新潟でのシーズンを最後に現役を引退。
※4 ・・・ このシーズンからbjリーグに参入した高松ファイブアローズは、参入1年目からリーグでも屈指の有力選手を揃えて優勝戦線に最後まで絡む活躍を見せ、ファイナルでは大阪に敗れたが、シーズン2位という結果を残した。特に外国人選手はレジー・ウォーレン、ラシード・スパークス、ジュリアス・アシュビー(いずれも現bj東京アパッチ)、ディアン・ティエルノ・セイデゥ・ヌロらに加え、アメリカ出身ながら大学以来日本でプレーしているアイザック・ソジャナー、そして専修大学卒業後、アメリカのマイナーリーグでプレーした後に帰国した中川和之(現JBL三菱電機)らが在籍しており、bjリーグでも有数の選手層を誇っていた。
※5 ・・・ 城宝匡史(当時bj東京アパッチ、現bj滋賀レイクスターズ)。清水太志郎(現bj埼玉ブロンコス)、青木康平(bj現東京アパッチ)。日下光(現bj仙台89ERS)。岡田優(現bj高松ファイブアローズ)
※6 ・・・ ジェフ・ニュートン(当時bj大阪エヴェッサ、現bj琉球ゴールデンキングス)、リン・ワシントン(現bj大阪エヴェッサ)、ウィリアム・ピッペン(当時bj東京アパッチ)、マイキー・マーシャル(当時bj大分ヒートデビルズ)。
かつて新潟アルビレックスBBでプレーしていたアントニ・ワイチ選手のインタビュー第1回。
今回は彼がチームに加わる経緯から、初めてやって来た新潟での生活、そしてアルビレックスというチームへの思いを伺ってみました。
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荒木ユタカ(以下、荒):まず、ワイチが新潟でプレーするきっかけは何だったんでしょうか?マット・ギャリソンの紹介という話を聞いたことがあるのですが。
アントニ・ワイチ(以下、AW):そうなんだ、マットのおかげなんだよ。廣瀬ヘッドコーチがカリフォルニアに来て、新潟の契約に興味のある10~12人くらいの選手を集めてワークアウトを開催したんだけど、マットのおかげで僕がそこに参加する事になったんだ。僕はACL(膝の前十字靭帯)の手術を受けた後で、トライアウトの3週間前からプレーを再開したばかりだったから、上手くいくかどうか分からなかったよ。
荒:来日する前に、bjリーグや日本のバスケットのレベルについて知っている事はありましたか?
AW:マットがJBLでプレーしていたし(新潟)、過去にJBLでプレーしていた選手も何人か知っていたから、JBLについては知っていたんだ。bjリーグについてや、JBLとの違いについては聞いていなかったけど、僕はその前のシーズンをプレーしていなかったから(膝の手術のため)、またプレーする機会に興味があったんだ。
荒:実際に来日してみて、新潟での生活はどうでしたか?日本の食べ物や、新潟の冬の寒さについては?
AW:新潟での生活に慣れるのには少し時間がかかったね。東京や大阪のように大都市じゃないから、最初は何もやることが無かったんだ。でもその環境に慣れてくると、楽しいことを見つけたりして楽しめるようになったよ。食べ物については、最初はあまり新しい食事に挑戦しなかったから、チキンとステーキばかり食べていたよ。僕たちのお気に入りは「Sasaki」というレストランで、行けるなら週に2回以上行っていたと思う。新潟の冬は本当に寒かったけど、僕はニューヨーク育ちだからなんとかなったね。でも、毎日寒い体育館で練習する事にはなかなか慣れなかったんだ。冬の寒い体育館で練習するのは、どんな外国人選手にとっても簡単な事じゃないと思うよ。
荒:廣瀬ヘッドコーチをはじめとした新潟のコーチングスタッフ、そして彼らのバスケットのスタイルについてはどう思いましたか?
AW:僕は廣瀬ヘッドコーチとそのスタッフを本当に尊敬しているんだ。手術から復帰してきたばかりの僕に、新潟というチームを助けるというチャンスを与えてくれたからね。廣瀬ヘッドコーチは心の底から日本人選手をレベルアップさせようと日々の練習に取り組んでいたし、そんなヘッドコーチは他にあまりいないと思うんだ。時には意見が衝突することもあったけど、チームの勝利を目指すという情熱に対しては、お互いにリスペクトを失うことは無かったね。彼は僕に戦術的な意見を申し出る事を許してくれて、そのおかげで僕自身も成長できたと思うし、違った視線からチームを助ける事ができたと思う。廣瀬ヘッドコーチのバスケットのスタイルや、彼が僕に何を望んでいるのかを完全に理解するにはちょっと時間がかかったけど、それを理解してからは、上手くやっていく事が出来たと思うよ。僕たちは自己中心的でない外国人選手と日本人選手たちが共にプレーする、とてもバランスのいいチームだったんだ。僕たちは日本人選手と外国人選手の得点のバランスを平均化しようとしていたし、だからこそリーグでも最高のチームとしてシーズンを楽しめたんだ。それに加えて、外国人選手達はチームのシステムをしっかりと理解していたし、日本人選手達が自信を持ってプレー出来るようにしていたんだ。そうやってチームが勝つ事も、そしてそんなチームでプレーしていたことも楽しかったよ。
荒:新潟ではポイントガード、シューティングガード、スモールフォワードから、時にはパワーフォワードのポジションでプレーする事もありました。つまりセンター以外は全てのポジションをプレーした訳ですが、自分自身で一番得意なポジションはどこですか?
AW:僕は生まれついてのポイントガードであり、プレイメイカーなんだ。でも、常にオールラウンドなプレーを心がけてきたから、大学時代からいろんなポジションをプレーしてきたよ。僕自身、常に「よりオールラウンドなプレー」を目指していたし、プレーできるならどんなチームにもアジャストしてきたんだ。廣瀬ヘッドコーチがそれを望むなら、チームを上手く機能させる為にどのポジションでもプレーしたね。ニックとマットはベテラン選手だったから、新入りの僕はチームにフィットするように努力したんだ。廣瀬ヘッドコーチは(1年目のシーズン中盤までは)外国人選手3人のラインナップを使いたがらなかったから、僕はベンチから出てチームを助ける役だったね(※1)。

荒:ワイチにとって、バスケットをプレーしていて最も楽しい時というのはどんな時でしょうか?
AW:プレーしているときはいつでも楽しいね、それが練習であっても試合であっても。マケドニアのリーグで優勝したときは凄かったね、だってマケドニアのファンは本当にクレイジーだったから。あれは思い出深いね。bjリーグ1年目のプレイオフもそうだね。あれは僕が膝の怪我から復帰して、やっと100%のプレーが出来ると思えた時だったんだ。あれは僕にとっても、チームにとっても本当に楽しい経験だったよ。
荒:では、新潟のシーズンで一番つらかったのはどんな時ですか
AW:1年目のシーズン前半は、僕にとって苦難続きだったよ。ACLの手術から復帰して1ヶ月くらいで新潟に来たから、シーズン開幕に向けてとにかく頑張らなければいけなかったんだ。体重も15キロくらい減らしたんだけど、僕は元々そんなに体格が大きくないから、練習とトレーニングをしながら3ヶ月かからずに15キロ減量したよ。試合でも苦労が多くて、というのも僕は以前のようにアスレティックな選手じゃなくなっていたから、自分のプレースタイルをアジャストさせなければいけなかったんだ。僕の膝はまだ完治していなかったから、自分が以前と同じようなプレーを出来ないという事を理解するのにも少し時間がかかったね。それに加えて、ベンチスタートから途中で試合に出て、ヘッドコーチが自分に何を望んでいるかを理解するのにもちょっと苦労したし、シーズン最初の数カ月はいろいろ大変だったね。
荒:新潟の日本人選手についてはどのような印象を持ちましたか?
AW:彼らは若くてとてもいい選手達だったね。チームには核となる選手たち(テラ、ワラ、小菅、公威、池田、そしてベテランの長谷川・・・前回の注釈参照)がいて、彼らが毎日一生懸命に練習している事に本当に驚かされたよ。
荒:2年間の新潟でのキャリアの中で、最も印象的な試合というのはありますか?
AW:bjリーグの1年目、2006年のプレイオフの2試合(準決勝、決勝)が僕にとってもっとも印象深い試合だね。あれは最高の雰囲気だったし、僕らは素晴らしいシーズンを送ってから、リーグにとっても最初のプレイオフだったからね。僕はついにケガの不安なくプレーする事ができたんだ。決勝で大阪に負けたことは辛い経験だけど、僕は、新潟というチームの戦い方に誇りを持っていたし、あの試合は会場に足を運んだブースターにとっても素晴らしい試合になったと思うよ。
荒:新潟のブースターについてはどう思いますか?ノートルダム大学(※2)のファンと比べたらどうでしょう?
AW:ノートルダムのファンと比較するのはフェアじゃないかもしれないね。新潟のブースターは本当に素晴らしいし、新潟を代表するチームの一員としてプレーするのは実に楽しかったよ。ホームコートの朱鷺メッセがオレンジ一色に染まるのは、最高だと思うんだ。新潟のブースターはアウェイに行っても、ホームの観客の誰よりも声を出して応援してくれるからね。アウェイの試合会場では、大阪での試合はブースターが本当に盛り上がっていたからいいけど、それ以外のアウェイゲームはあまり楽しくなかったね。ノートルダム大のファンは本当にクレイジーだし、すごくクリエイティブなんだ。あれはまた新潟のブースターとはちょっと違う雰囲気だね。

※知人にプレゼントしたので既に手元にないのですが、2006年のプレイオフ@有明の試合開始前に、全選手が観客席に投げ込んだボールの中で、私がキャッチしたのがワイチのサインボールでした。見えにくいですが、右側に”Albirex 2006″とあります。
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※1 ・・・ 新潟が加盟していた当時のJBLでは外国人のオンザコート2規制があった事もあり、bjリーグで戦う事になったこのシーズンでもスタートの外国人が2人、日本人が3人となったのは、その経緯からして新潟にとっては自然な事だった。他にも東京、埼玉など新潟と同じく外国人2人でスタートするチームもあったが、開幕当初のbjリーグは外国人選手の人数についての制限が無かったため、大阪、大分らはスタートから3人の外国人が並び、また大阪に代表されるように、勝負どころでは4人の外国人選手がプレーするチームもあり、またこの戦い方がリーグで結果を残していった事から、これが徐々にリーグ全体の傾向となっていく。これに対して新潟の廣瀬ヘッドコーチはスタートの外国人2人という形にこだわっていたが、これらの対戦相手に対応する為には3人の選手を同時にコート上に送らざるえない場面は少なからずあり、スタートを外国人3人に変更したのはもはや選択の余地がない状況だった。しかし、このシーズンを含めてbjリーグ参戦後の数年は「日本人で外国人を倒す」ことを繰り返し公言し、強調していた。
※2 ・・・ ノートルダム大学ファイティングアイリッシュ、NCAAのビッグイーストカンファレンスに所属する名門チーム。ノートルダム大学と言えばフットボールの知名度が圧倒的に高いが、バスケットもかつてUCLAの88連勝を止めるなど、No.1ランキング校を倒す大物食いとして知られる。ワイチがプレーしていた頃のヘッドコーチはNBAダラス・マーベリックスのヘッドコーチとしても活躍したジョン・マクロードで、チームメイトにはNBAでも活躍したパット・ギャリティ、トロイ・マーフィーらがいた。ホームコートは約1万人収容のパーセルパビリオン。
ここでの過去のインタビューは全て入念な根回しと緻密な計画で……という事でもなくて、中には結構行き当たりばったりな部分もあるのですが、今回インタビューをさせてもらったアントニ・ワイチ(※1)も実はそんな感じでした。
アントニ・ワイチは新潟アルビレックスBBで2005年からの2シーズンをプレーした黒人選手で、現在はペンシルバニア州のリーハイ大学(※2)でアシスタントコーチを務めています。
「彼はもう現役を引退したらしい」なんて話をどこかで聞いたような気がするのですが、ある時ふと検索してみたんですね、彼の名前を。するとすぐに出てきました、「アントニ・ワイチがアシスタントコーチとしてチームに加わった」というリーハイ大学のリリースが(2009年6月11日付)。
そこで調べてみるとたまたま彼のメールアドレスも見つけてしまい、あまり深く考えずにインタビューを申し込んでみたら、なんと翌日には返事が来て、インタビューにも快諾してくれたのです。
まぁ日本人に比べれば外国人にはいろんな人がいるというか、他にもインタビューを快諾してくれて、「すぐに返事を送るよ!」というメールから数カ月も音沙汰のないままの人とかいるんですが(笑)、ワイチの場合はレスポンスが早いだけでなく、こちらの質問ひとつひとつにとても丁寧に答えてくれました。質問と回答をワードのファイルでちゃんとまとめて画像と一緒に添付してくれた外国人なんて、彼が初めてですよ(笑)。
実を言うとちょっと「変わり者」っぽい雰囲気もあったこのワイチですが、シーズン序盤は微妙ながら徐々に調子を上げて行き、そして気がつけば新潟にとって欠かせない貴重な存在になっていた事もあり、結構ファンも多かった記憶があるのですが、恐らく多くの人にとってはそれほど印象の強くない選手なのかもしれません。同じ時期にプレーしていたニックやマットの印象が強すぎるのかな(※3)。
なので、今回はインタビューに入る前に、アントニ・ワイチという選手が一体どんなプレイヤーだったのか、まずはこの部分を前振りとして読んで頂いて、次回から彼のインタビューを掲載したいと思います。
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で、新潟時代のワイチについて。
特に新潟に加わった2005~2006シーズンの序盤に関しては、正直に言うとネガティブなイメージが多かったんですが、シーズンが進むにつれて、間違いなくチームにとって大きな役割を果たす存在になっていた記憶があります。
シーズン序盤の不調の原因については次回からのインタビューを読んで頂ければと思いますが、当時の彼のプレーの印象についてはだいぶ記憶が曖昧になっている所もあるので、当時私が書いていたブログからワイチに関する部分を時系列でピックアップしてみました(269g時代のa.m.noteから抜粋、一部加筆修正)。

※プレシーズンの埼玉戦@小出にて。まだヘッドバンドをしていない頃のワイチ。
「新外国人のワイチ、まだ様子見という感じで何とも言えない。」(プレシーズン埼玉ブロンコス戦@飯能)
「未だに判断に苦しむワイチ選手。体も少し引き締まり、コンディションも良くなってきたようです。彼はとりあえず保留ということに。」(プレシーズン埼玉戦@小出)
なんだか微妙な感じですね。シーズン開幕前のプレビューではこんな感じでまとめていました。
「マットはシュート。ニックはリバウンドとブロックショット。この選手達の間を埋めるべく選ばれたアルビ第3の外国人選手が“トム”ことアントニ。ノートルダム大学ではシューティングガードとして堅実な活躍。ずば抜けた面はありませんが、なんでもこなす器用さはあります。ただ、プレシーズンの様子ではまだ本調子ではないようです。何でも出来そうなだけに器用貧乏になってしまいそうで・・・。話によればマットが真面目なアントニを推薦したとか。他チームでは外国人3人は当たり前、チームによっては5人なんて所もありますから、アントニにも頑張って貰わないと困ります。シーズンには入れば本領発揮してくれるでしょう。」
(なお、文中で彼のニックネームを“トム”と書いていますが、当時のチームメイトが話していた発音からすると、“トン”が近かったみたいですね。Antoniの中の“ton”かな。)
……と、ここまでは正直判断しかねる部分が多かったようです。そして、実際にはシーズンが開幕してもこんな感じが続きます。なお新潟は開幕シリーズにおいて、チームの主力選手として活躍が期待されるガードの長谷川選手が負傷してしまい、長期欠場を余儀なくされた事から、ワイチがスタートメンバーしてある程度の出場時間をもらうのですが、しばらく調子の上がらない試合が続きます。
「オフェンス面が極めて不安定。アシストも出来るし、あとは思い切ってプレーするだけだと思うのですが・・・。もちろんターンオーバーは減らす必要があります。長谷川の離脱で、まずスポットライトが当たるのは彼です。未だにワイチのキャラクターってものが見えてこないのですが、出場時間が増えればそれなりにやってくれると思ってます。」(開幕の東京アパッチ戦@有明)
「いつまでも保留状態だったワイチですが、出場時間がふえるにつれて『結構いいプレーできるじゃん』なんて部分もありますが、悪い部分も見えてきました。 シュートの確率が低く、決定力がない所と、些細なところでミスしてしまう傾向にあるようです。」(埼玉戦@所沢)
「徐々に出場時間の増えているワイチ。元々のポジションはSGだけど、アルビではいろんな事をしなければならない。また、まだアルビの選手として数試合しかやってないから慣れてない部分もあるかも知れない。でも、23分でターンオーバー4、シュートが0/4はイカンよなぁ。タイミング的にはいい所で打っているから、あとはシュートタッチだけだと思うけど・・・。」(大阪エヴェッサ戦@なみはや)
しかし、徐々にいいプレーを見せるようになるワイチ。彼にとって初めてプレーした朱鷺メッセでの東京戦は、ひとつのきっかけだったのかもしれません。
「ここまで中途半端にネガティブな存在感だけだったワイチ、このシリーズでは(やっと)前評判通りの『オールラウンダー』ぶりを見せ始めました。元々のポジションはガードなのでボールハンドリングはいいですが、東京の小さいガード陣に対するディフェンスだけでなく、ペネトレイトからのアシスト、ポストプレー、そして3ポイントと徐々に活躍の場を増やしています。まだ『チームプレーに徹しなければ』という意識が見えますが、より積極性を出せばもっと結果を出せるタイプだと思うので、今後のキーマンとして期待してます。日曜日のMVPはワイチでよかったかも。練習を見学に行くと分かりますが、彼のバスケIQというかゲームの理解度は極めて高い。指示に対する動きは的確だし、所々で見せる小さなフェイクや細かい動き方のテクニックなどもかなりのものがあります。それまでイマイチだったワイチについて、中野社長(当時)から、『ワイチは朱鷺メッセの雰囲気を経験させれば良くなる』という話を聞いたことがありました。その真面目さをマットに紹介されてアルビに加入したワイチですが、今ひとつプレーが消極的な印象がありました。しかし今回のシリーズを見てのとおり、彼は得点やディフェンス、リバウンドだけでなく『チームメイトを生かす』という能力があります。もともとアルビにはポイントガードらしいポイントガードがいないのですが(長谷川、藤原はいずれも攻撃型とも言えるポイントガード)、ワイチがガード・フォワードというポジションからパスをさばけるようになると、それは間違いなくアルビの強みになるはずです。事実、この2試合で10astを記録していますからね。」(東京戦@朱鷺メッセ)
……と、それまであまりワイチに触れていなかったのに、この前後から彼に関する記述が多くなってきます。徐々にワイチの良さが見えてきた感じでしょうか。
「長谷川の欠場によってワイチがオールラウンドに活躍するようになりました。PGとしてのボールコントロールやディフェンス、そしてポストアップからのアシストなど、新しいオプションをチームに加えつつあります。このシリーズを見ていても『もって出来そうだな~』と思ったし、今日のように7astを記録するのは相手にとって守りにくくて嫌なはず。あとは外角シュートが安定すれば言うこと無しだけど、この点だけがちょっと不安。」(大分ヒートデビルズ戦@朱鷺メッセ)
「ワイチはこの日も7pts、9reb、6astと攻守に活躍。思うに、彼は『出汁(だし)』のような選手ですね。自分が目立つことはないけど、いろんな面で他の選手を引き立てる役割。それでいて、彼がいなくなるとチームとしては何か味気なくなってしまう。マットやニックのようににこやかな訳ではないですが、それは彼の真面目さからきているような気がします。チームにもだいぶ馴染んできたらしく、かなり積極的に発言するようになったみたい。」(埼玉戦@春日部)
そしてクリスマスの大分戦。この時点になってやっと、ワイチのプレーがチームに何を与えるのか?がハッキリした感じですね。チームメイトに負傷が相次いだからこそ(長谷川、ニックらの負傷)、彼の良さが引き出されてきたようです。
「ワイチの獲得はアルビにとって大きな意味があると改めて思います。長谷川が負傷すればポイントガードとしてボールを運び、ニックが負傷すればインサイドで攻守に活躍。今日の数字(5pts、3ast、4reb)も、シーズンのアベレージもなんら目立つ所はないけれど、ワイチみたいな選手がいなかったら今季のアルビはヤバかったですよ。」(大分戦@東総合)
ちなみに年明けの試合では、こんな事も書いてありました。
「以前にも書いたとおり、ワイチはアルビにとってかなり大きな存在です。目立たないですが、チームにとって欠かせない戦力です。彼のようなタイプは『いなくなってからその重要さに気づく選手』だと思います。あと少し、ほんの少しシュートの決定率が上がれば言うこと無しなんですが・・・。」
……という訳で、その後もスタメンだったりベンチスタートだったりしながらもワイチは着実にチームの戦力として活躍を続けたのですが、3月の大阪戦@上越で寺下選手(現bj埼玉ブロンコス)がやらかしてしまった事をきっかけに(※4)、翌週からスタートメンバーとして固定されました。
シーズン中盤以降の活躍はハッキリと覚えています。タイトでタフなディフェンス。ガードを守る時はそのクイックハンドを生かして、インサイドの選手を守るときはそのフィジカルな体で。ゴール下で相手選手の持つボールを叩き落とすのは見事としか言いようがない。リバウンドを奪えば巧みなドリブルで一気にゴールまで攻め込む。スピードはそんなにないけれど、クロスオーバーとロールターンを駆使して突き進む。ゴールまで切れ込めば右手でも左手でもシュートを押し込む事ができる。でも、それ以上に印象的なのは視野の広いビジョンから繰り出される見事なアシストパス。時にはディフェンスの裏から、また時にはコートを縦断するロングパスが見事に決まる。イチローのレーザービームじゃないけれど、まさにあんな感じのロングパスが決まった時は、会場全体がどよめいてましたね。
もちろんネガティブな面もあります。見事なアシストパスと引き換えに、「え?」というような単純なミスをする。速攻でディフェンスに突っ込んで自爆する。3ポイントはあまり期待できないし、フリースローも安定しない。難しいパスを出してミスに繋がっても、知らん顔している。タイムアウトの時、選手の誰もがコーチの話を聞いているのに、1人そっぽを向いている。でも、よく見ると聞き耳を立ててちゃんと聞いてたりするのですが(笑)。
しかしシーズンの最後には、チームがワイチを獲得した事が正しい判断だったと証明されます。
プレイオフファイナルで対戦するのは大阪、サイズもシュート力も上のこのチームとはシーズン中から激闘を繰り返してきたけれど、一発勝負となるファイナルで新潟の動きは明らかに固い。ニックが得意とするゴール下のプレーは大阪の固いディフェンスに阻まれ、マットはマッチアップするリン・ワシントンを止められない。得意のアウトサイドシュートが決まらない新潟はリードを許し、徐々にその点差は広がっていくが、そこで唯一、大阪の勢いに立ち向かうことが出来たのが彼、ワイチでした。
決して得意でない3ポイントを沈め、ゴール下に切れ込んで見事なアシストパスを決めたかと思えば、強引なドライブからバスケットカウントを決める。そしてなにより印象的だったのが、そのプレーよりも彼の気迫でした。両チームのブースターによる強烈な応援合戦となったこの試合。ワイチは大阪ブースターの目の前で難しいバスケットカウントを決めると、「どうだ?」と言わんばかりに大阪ブースターに埋め尽くされた観客席を睨みつけていました。ここで変に煽ったりしないのがまたワイチらしい。
スマートで常に冷静なワイチですが、その内に秘める闘志ともいうべきものは、実はチームの誰よりも強かったのかもしれません。
結果、残念ながら優勝にはあと一歩及ばず、期待された2年目のシーズンでもチームとして結果を出せないまま、彼はこの新潟の地を離れる事になりました。
今になって思えば、人気者だったニックやマットと同じように、彼からもいろんな話をきいておけば良かったと思うのですが、幸いにして今回、彼とコンタクトを取ることができました。
簡単なインタビューですが、アントニ・ワイチという人物が何を考えていたのか、そして今になって彼がどう思っているのかを、皆さんに読んでいただければと思います。

※当時のワイチで個人的な好きな彼のポーズ。なぜか膝をベンチに立てるこの格好を、何度も見かけたのを覚えています。
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なお、ワイチが新潟に在籍した2年間の成績及びメンバーは下記の通りです。参考までにどうぞ。
2005~2006シーズン レギュラーシーズン29勝11敗(2位)
プレイオフセミファイナル 新潟79-68東京、ファイナル 新潟64-74大阪(最終順位2位)
メンバー
#3浦伸嘉、#4長谷川誠、#5アントニ・ワイチ、#9小菅直人、#11藤原隆充(現bj滋賀レイクスターズ)、#15寺下太基(現bj埼玉)、#21ニック・デービス、#23佐藤公威(現bj大分ヒートデビルズ)、#31小川忠晴(現bjライジング福岡HC)、#33マット・ギャリソン、#55橋本伸広
アントニ・ワイチのスタッツ:25.0min、7.9pts、3pt20.0%、2pt57.7%、FT54.4%、5.0reb、3.1ast、1.2stl、TO2.3
2006~2007シーズン レギュラーシーズン25勝15敗(2位)
プレイオフセミファイナル 新潟69-79高松ファイブアローズ、3位決定戦 新潟70-92大分(最終順位4位)
メンバー
上記より#3浦伸嘉、#31小川忠晴、#55橋本伸広が退団、新加入が#32池田雄一、#41ハン・チェギュ、#44ジャック・ハートマン、#67原口真英の4人。
アントニ・ワイチのスタッツ:27.6min、6.7pts、3pt20.3%、2pt50.6%、FT58.7%、3.5reb、4.5ast、1.2stl、TO2.6
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※1 ・・・ アントニ・ワイチ、1977年9月20日、NY出身。身長193センチのガード・フォワード。ノートルダム・ビショップギボンズ高校からノートルダム大学へ進む。卒業後はアメリカマイナーリーグの他、マケドニア、メキシコ、フィンランドなどでプレーし、2005年より新潟入り。2年のプレー後に退団し、その後は中東各国でプレーした。その後現役を引退し、2009年からリーハイ大学でアシスタントコーチを務める。
※2 ・・・ リーハイ大学マウンテンホークスの所在地はペンシルベニア州の東端にある人口7万人の小さな街、ベツレヘム。かつては鉄鋼で栄えたこの街も現在は衰退しているが、そんな中でもリーハイ大学は全米ランキングでも上位に入る(スポーツではなく学業の)名門校として知られており、特に工学系に強い。学費が高い私立大学であり、つまり裕福で優秀な学生が集まる大学という事ですが、バスケの強豪校ではなくこんな大学を選ぶあたりが、自身もノートルダム大系の私立高校、そして同大を卒業したワイチらしいところです。
なお、リーハイ大学の所属するパトリオットリーグはアメリカ北東部を中心とするNCAAディビジョンⅠのカンファレンス。バックネル大、コルゲート大あたりが時々NCAAトーナメントを騒がせる程度で、他にはかのボビー・ナイトが史上最年少でヘッドコーチとなった陸軍士官学校(その時のキャプテンが現在デューク大でヘッドコーチを務めるマイク・シャシェフスキー)、デビッド・ロビンソンがNCAAトーナメントで大活躍した海軍士官学校、黎明期のNBAで大活躍したスター選手、ボブ・クージーの出身校であるホリークロス大ら全8校が所属しています。つまり、いわゆる「強豪カンファレンス」ではなく、全米のカンファレンスランキングでも下位グループ(31カンファレンス中、概ね20位台)になります。一応、ホリークロスは全米優勝2回の実績がありますけどね。
しかし、これはこれでシンプルな戦い方となり、シーズンの成績によりカンファレンストーナメントを開催し、そこで優勝したチームがNCAAトーナメントの出場権を得るという形となります。シーズン前の予想をあちこちチェックしてみるとリーハイ大はカンファレンスの2位~3位といった感じでしたが(強豪カンファレンスのように各大学のタレントのレベルにそれほど差がないので、予想はかなりバラバラでした)、2月初旬の時点でカンファレンス1位の座を守っており、2004年以来のNCAAトーナメント出場も夢ではありません。こちらのカンファレンスレースにも是非ご注目ください。
※3 ・・・ ニック・デービスとマット・ギャリソン、2004年からそれぞれ3年、4年ずつ新潟でプレーした外国人選手。いずれもチームにとって戦力的に重要な選手というだけでなく、そのフレンドリーな性格とファンサービスを惜しまない人柄で、新潟に限らず多くのブースター(ファン)に愛された選手。
※4 ・・・ それまでシーズン開幕からスモールフォワードのスタートポジションを守り続けてきた寺下選手ですが、この試合では好プレーを見せながらも試合の勝敗に直結するミスもあり、またこのシリーズで新潟が外国人選手がスタートから3人並ぶ大阪に致命的な連敗を喫した事から、この後はスタートの座をワイチに明け渡す事になった。この詳細については寺下選手のインタビュー記事を御覧ください。
先日、大きめの白い封筒が届いたのですが、差出人は「アイロボットサービスセンター」とあります。
アイロボット?
中身を見ると、iRoboot社からのルンバ1年無料点検のお知らせでした。ジャパンブログアワードにノミネートされて六本木ヒルズに行ってから、もう(ほぼ)1年になるんですね。セレモニーは2009年の3月だったから、1年弱かな。早いような、そうでもないような……どうなんだ?
懇親会で思いがけず頂いた自動掃除機ルンバですが、国内正規品であれば、1年後の無料点検がもれなく付いてきます。送料着払いの宅急便伝票で本体と付属品を送ると、1週間もしないうちに我が家へ戻ってきました。使用頻度はそれほど高くないのでメンテも特に問題なかったようですが、ブラシの駆動部分(メインモジュール)に動作不良があるとのことで、そのモジュール一式及び2種類の回転ブラシ、そしてそれぞれの交換用ブラシ(予備)が新品に交換されて帰ってきました。まだ使ってないので分かりませんが、新しいモジュール(つまりエンジン)と新型ブラシによって清掃能力がアップしているとか。
勝間和代も使っているこのルンバ(笑)、まぁいろいろ思うところはあるけれど(掃除の仕方にクセがあるとか、頭がいいのか悪いのかよく分からないところとか)、でも毎回の掃除の度に「うわ!こんなにホコリがあったんだ」というのは変な快感というか、何だかんだ言ってもやっぱり便利というのは事実で、世の中いろいろ便利になってるんだな~なんてオッサンみたいな事を思ったりしてます。
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で、実は今回のメインはこのルンバの話ではなくて、twitterのことです。
ちょっと前に編集部からご紹介のメールが来ていたのですが、これもやっぱりイマドキの「便利な道具」なんであって、道具ということは、それはつまり使い方がキモということになります。
まだ使い始めたばっかりなのでよく分かってないのですが、もう「~なう」とかいう年でもないしな……と思ったり、アメリカだけでなく日本でもブームが去りつつあるのになぜ今頃?とか思いつつ、いろいろやってみたいと思ってます。
なお、ブログのタイトル通り、新潟からのバスケネタとローカルネタを絡めて行きたいと思ってますんで、あまり深く考えずにどうぞ。
ニック・デービスという、誰からも愛される人気選手を応援し続ける新潟のCさんの第3回。
Cさんがなぜニックの応援にここまで熱を上げるのか。そして、そのニックが日本を去ってしまった今、一体何を思うのか。この状況ではなかなか聞きづらい話ではありますが、思い切って聞いてみました。
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荒木ユタカ(以下、荒):それでは続いて今シーズンのニックについて伺いたいのですが、東京は今シーズンからチームの運営会社が変わるなど大きな体制の変化があり、チームでもヘッドコーチのジョー・ブライアントだけでなく、エースのジョン”ヘリコプター”ハンフリーがチームを去りました。新しく青木幹典ヘッドコーチが就任してチームの雰囲気も変わったと思うのですが、Cさんの目にはこの新しいチームは、そしてその中でのニックのプレーはどう映ったのでしょうか?
Cさん(以下、C):ん~~~。やはりニックにフラストレーションが溜まっているというか、自分の思うようなプレーが出来ていないフラストレーションと同時に、チームのシステム的なものが変わって、今までとかなり違うバスケットをしている事の不満もあったのかもしれませんね。
荒:ヘッドコーチが変われば、チームの全てが変わりますからね。
C:それはヘッドコーチだけが責められる事じゃないと思うんですよ。選手たちも新しいシステムにフィットしなきゃいけないし、お互いがやる必要があるんですよね。
荒:私も今シーズンの東京の試合をいくつか観戦したのですが、残念な事ですが、チームとしてあまりいい方向に進んでいるようには見えませんでした。
C:元仙台のシャペール(※1)が新たに加入して、外国人選手がローテーションで少しずつ休めるようになってきて、これからいい方向になっていくのかな?という所で、ニックがカットされてしまったんですよね。
荒:確かに、彼らは何のためにプレーしているかと言えば「勝つこと」が目的なので、そこで勝つために誰かが責任を持って決断しなければ、というのはあるとは思います。私も試合を見る立場として思いますが、例えば今チームにいるメンバーで優勝するのが応援する側からするのが理想かもしれませんが、それを達成出来るのはリーグの中で1チームしかない訳で。ただし、例えそれが仕方ない事とは言え、ニックのようにブースターの誰からも愛されていた選手がチームを去る事は、チームにとっても、ブースターにとっても、そしてリーグにとっても損失と言えるかもしれません。
C:だから1月13日の京都ハンナリーズ戦で、「僕たちはニックを愛しているんだ」という事だけでもニックに伝えたくて、東京のブースターさんの発案で「21 Davis」のポスターを700枚も配って、みんなで掲げさせてもらったんですよね。それは僕にとっても凄く嬉しかったし、感動しましたね。
荒:その思いが少しでも伝わるといいんですが……。
C:それを見たからといって、チームが考えを変えるとか、それはありえないと思うんです。ただ、チームにとって応援するブースターがいなくなってしまっては、何もならないですからね。bjリーグはアマチュアじゃなくてプロなんだから。ブースターが離れてしまうような事をするチームはどうかと思いますよ。
荒:確かにプロのチームというのは、競技のレベルはもちろん、そのファンがいなくては成り立たない部分がありますからね。特にここしばらくのbjリーグのチームについては、あちこちで理解に苦しむアクションがあるというか、その結論はやむを得ない部分があるのかもしれないけど、それに至る経緯について、もう少し説明があってもいいような気がしますね。今回のニックの契約解除の件についても、チームのHPにたったの1行ですからね。その経緯を全て明らかにする必要はないにせよ、チーム側なり、ニックからのコメントがあってもいいような気がしますね。
C:プロなんだから、勝ち負けがあるのは当然だと思うんです。コンペティションとしてやっていれば、どちらかが勝ってどちらかが負けるんだし、ひとつのチームが全部の試合に勝てるなんて誰も思っていないんです。例えあるチームが全部負けたとしても、それは実力がないんであれば、仕方ない事だと思うんですよね。

C:僕がプロチームである彼らに求めているのは、代理戦争なんですよ。
荒:代理戦争?
C:自分がその場に行って戦いたいんだけれど、自分ではその実力がないから、自分の代わりにニックに戦って欲しいんです。
荒:それはつまり、コート上の選手に自分の姿を重ねているという事でしょうか?
C:そうですね。例えばそれはチームであったり、選手個人であったり、人によって違うと思うんですが。
荒:Cさんの場合はそれが選手であり、具体的にはニックだったという訳ですね。という事は、自分がコート上で戦うならニックのようにプレーしたい、という事ですか?
C:そうそう。
荒:あ~、なるほど。すると最初に出てきた竹田謙だったら、「俺もあんなディフェンスをしたい」だったりとか、グレッグ・ストルトのように一生懸命プレーしたいとか、自分の分身のように思って応援している訳ですね。確かに、そのように考えるならば、試合には勝ちもあれば負けもあるという事も理解しやすいですね。
C:だから、結果は仕方ないんですよ。ただ今は、その戦う場所さえも無くなってしまったんです。
荒:ニックがいなくなって、そんな自分の思いをぶつける選手がいなくなってしまったんですね。
C:それが凄く寂しいんですよね……。チームにとって、ニックが試合に出ないほうがいい選手なんであれば、カットされるのも仕方ないんです。じゃあニック・デービスという選手は、チームにとっていないほうがいい選手だったのかな?という事です。
荒:東京アパッチというチームにとって、ニックとはそんな評価の選手だったのか?と。
C:チームとしてだけでなく、リーグとしても、彼は必要ない選手だったのか?と思うんですよね。その1/13の試合では、少なくない数のブースターの人達が、その思いに共感してくれたと思うんです。
荒:それだけ応援していた選手がチームだけではなく、リーグからいなくなってしまうというのは、本当に寂しい事ですよね……。ちなみに東京の試合をメインに見るようになってからは、新潟の試合は見ていたのですか?
C:今シーズンはリーグの試合日程にズレがあるんで、先月の滋賀戦も見ましたね。城宝(※2、城宝匡史、元bj東京)が来ていたし、ワラ(※3、藤原隆充、元bj新潟)もいましたんで、まぁ観戦って感じですね。みんな頑張ってくれればいいな、と思って。
荒:でも、これからの東京の試合については、ニックはもういないし……。
C:これからどうしようかと、女房と毎晩のように話しあってますよ(笑)。

荒:これまでは、実際どれくらいの頻度で東京の応援に行ったんですか?
C:アウェイはだいぶ行ってますよ。先シーズンは東京の公式戦で見なかったのは、2~3ゲームだけですね。
荒:あとは全部見たんですか?うわ~、凄い!
C:今シーズンは、島根であったプレシーズンを見てないのと(滋賀レイクスターズ戦)、平日の試合で行けなかった事が1回ありましたね。
荒:それだけ応援していたのに、その張本人たるニックがいなくなってしまったんじゃあ厳しいですね。
C:そうなんですよね……。
荒:本音を言うなら、どこかのチームにニックを拾ってもらいたい感じですか?
C:もうどこでもいいですよ(笑)。日本のチームなら一番いいですけど、彼が契約もらえるなら、世界中どこでもいいです(笑)。
荒:例えばアジアとかなら、まだ行ける範囲ですからね。
C:新潟から韓国まで飛行機で行くなら、新幹線で東京まで行くのと時間的には大差ないですからね(笑)。
荒:まぁニックの年齢的なことを考えると(今年で34歳)、いつまでもプレー出来る事はないにせよ、あと2~3年はプレー出来そうな感じはしますよね。
C:まだまだプレー出来るというか、あの経験とテクニックがあれば十分他のチームでもやっていけると思いますよ。
荒:確かに、今回の契約解除は本人の意思とは思えないですからね。ただ、もしニックがもうどこからも契約をもらえなかったり、現実的に応援に行くことが難しいチームと契約する可能性もあるわけです。すると、今それに対する答えを見つけるは少し難しいとは思うんですが、Cさん自身がバスケが好きというのはあると思うので、また試合を見ていくなかで、誰か応援したくなるような選手がいれば、という感じでしょうか?
C:そうですね。
荒:ちなみに、今、自分が感情移入できる選手がいるとしたら、それはどの選手ですか?チームやリーグは問いませんが。
C:一番心情的に応援したいのはテラですね(※4、寺下太基、現bj埼玉ブロンコス)。
荒:それはどういった理由で?
C:何というかな……。彼の攻撃的なスタイルというか、アグレッシブなところじゃないでしょうか。埼玉に移籍してから、より良くなりましたよね。埼玉のブースターからもすごく応援してもらっているし。テラはいいですよ。
荒:そこには、やはり彼がかつて新潟でプレーしていたのを見ていたから、といのがあるんでしょうか。
C:そうですね。それから、東京-埼玉戦でも彼のプレーを見ていますからね。
荒:まぁ私個人としては、ニックはまだ全然プレーできると思うし、可能であればbjリーグのどこかでプレーしているのを見たいですね。先程Cさんもお話されてましたが、リーグにとっても価値のある選手だと思いますからね。例えどのユニフォームを着るにしても、また彼のプレーを見たいと思いますよ。
C:私もそう思います。
荒:今日はどうもありがとうございました。

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※1 ・・・ マイケル・シャペール、1978年1月21日生まれ。ミシガン州出身。NCAAミシガン州立大学時代には全米優勝を経験したシューター。身長203センチ。
※2 ・・・ 城宝匡史、1982年4月24日生まれ、北海道出身。大阪商業大学を卒業後、大阪エヴェッサにドラフト指名され、その後2007年から2年間、東京アパッチでプレーした。今シーズン開幕に、滋賀レイクスターズに移籍。身長183センチ。
※3 ・・・ 藤原隆充、1978年7月16日生まれ、福岡県出身。九州産業大学卒業後、新潟アルビレックスのトライアウトを経て入団。7シーズンに渡って新潟でプレーした後、エクスパンションドラフトで滋賀レイクスターズに移籍した。身長182センチ。
※4 ・・・ 寺下太基、1980年2月25日生まれ。和歌山県出身。JBL松下電器で1年のプレーの後、トライアウトを経て新潟アルビレックスに入団。当初は下部組織A2でプレーしたが、2005年からはチームの主力選手として活躍。2008年からは埼玉ブロンコスに移籍。身長190センチ。寺下太基選手については、こちらのインタビュー記事をどうぞ。
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新潟の試合に限らず、会場で応援している人というのは誰かしら特定の選手、それは憧れであれ、様々な形の感情移入であれ、どんな形にしろ誰かに対する思いというものがあると思います。
「私は~~選手のファンです、応援しています!」というのは誰もが思う事だと思いますが、今回のCさんのレベルまで徹底して一人の選手に入れ込むという話は、さすがになかなか聞くことがありません。
これまで「ニックがプレーする」という理由で100を優に超える試合を観戦してきたというCさんは、おそらく過去数年でかなりの労力をニックの為に費やしてきたと思いますが、なによりその根本となる熱い気持ちが一番重要だったのではないでしょうか。
オフェンスリバウンドを奪い取るのと同様に、フィジカル面よりも、メンタル面のほうが何より負担が大きいですからね。
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実は私自身、今回のインタビューがどのような形になるのか全く想像がつきませんでした。
Cさんがニックの熱狂的なファンだというのは知っていましたし、しかしこの企画としてお話を伺う方としては、もしかしたらちょっと偏りすぎているのかも?という懸念を僅かながら抱いていたのは事実です。
しかしその私の予想は、全く想像を超えた形で裏切られる事になりました。もちろん、いい意味でです。
まずニック・デービスという選手への思い。そのロイヤリティ(忠誠心)とも言うべき強い気持ちは、ニック・デービスという稀有なキャラクターと相まって、どんどん強くなっていったと言えるでしょう。恐らく、ニックも同じ気持ちだったのではないでしょうか?
また、Cさん自身がニックという選手だけでなく、所属するチームやリーグの状況を、極めて冷静に見つめている様子も伺うことが出来ました。
そして私自身も、Cさんと話して行く中で、ニック・デービスという選手への思いを改めて確認できたような気がします。
というのは、今回の記事にあたって過去のニックの画像を探してみたのですが、思ったよりその数が少なかったのです。今になって思えば、私にとってニックは「新潟にいて当たり前」とも言える存在であり、彼が新潟というチームの中心にいる事が、私にとっては当然の事だったのかもしれません。
そんなニックに、彼が新潟を去る時、そして日本を去る時に、一言でも声をかけてあげられなかった事を残念に思います。

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今回で3人目となるシリーズ「コートの外」ですが、過去2回のゲストに引き続き、今回もまた濃い話を聞くことができました。いずれの話にも、それがチームであれ選手であれ、バスケを通じた熱い思いという共通のものがあるような気がします。
そしてまた、これからも同じように、もしかしたらもっと強い思いを持つ人達へのインタビューが出来ることを、私自身楽しみにしています。
今回インタビューにご協力いただいたCさん、ありがとうございました。
bjリーグでプレーしていた人気選手、ニック・デービスを熱く応援するCさんの第2回。
今回はニックの応援にどんどんと熱が入っていく経緯を中心に、そしてまた新潟から東京と、常にコートサイドから彼の様子を間近で見てきたCさんならではの話を聞くことが出来ました。
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荒木ユタカ(以下、荒):それではここからやっと本題というか、ニックについての話に入っていきたいと思います。そもそもニック・デービスという選手を応援するようになったきっかけとは何だったんでしょうか?
Cさん(以下、C):最初はこんな事があったんです。新潟の試合後にサイン会があったんですね。コート上に机を並べて、各選手の前に行列を作って。それで私の女房が、ニックからサインを貰いたいと言うんです。パンフレットか何かにサインを貰おうとしていたら、女房が「サインを貰うにはなんて言えばいいの?」という話になって。“Please give me your autograph.”だよって話していたのに、ニックの目の前に行ったら、女房はしゃべれないんですよ(笑)。
荒:ちなみにCさんは英語のほうは?
C:英語は全然ダメです。たまたま外国人の友達がいたんですけど、3歳児レベルですよ(笑)。それでも私が英語で話しかけたら、ニックが“You speak good English!”なんて言ってくれて。それがきっかけでしたね。それからは会場で手を振ってくれたり、握手してくれるようになったんですね。で、その後たまたまなんですが、「肉うどんTシャツ」ってのがあったんですね。
荒:ありましたね、チームが作った各選手のオリジナルTシャツで、ニックは肉うどんが好物という事で“Nick Udon”とかけていたんでしたっけ。
C:それを売店に買いに行ったらサイズがLLくらいまでしかなくて、私は体が大きいんで入らないという話を売店の人としていたら、「ニックの為に1着大きいのを作るんですが、一緒に作りますか?」という話になって。そのデカいTシャツを着て試合会場に行ったら、ニックが凄く喜んでくれたんですよ。そんな事もありました。
荒:では、それからはニックとよく話したりするようになったんですね。
C:結果的にはそうなんですが、そうやっていろいろ話してくれる外国人選手というのは、それまで私は経験無かったんですよ。
荒:ほう。
C:他の選手とも話すことありましたが、ニックのフレンドリーシップというか。彼くらいブースターを大事に扱う選手というのは、他にいないと思いますよ。たいした話をしていた訳じゃないし、試合会場でちょっと話すくらいですけどね。女の子みたいにお菓子とかプレゼントするのは恥ずかしくて出来なかったですね(笑)。
荒:そんなニックと新潟は翌シーズンからbjリーグでプレーし、しかし残念ながら2年連続で優勝を逃すという結果に終わりました(※1)。そんな時のニックはどんな様子でしたか?
C:私が一番印象に残っているのは、プレイオフで高松ファイブアローズに負けた後に、ニックはずっとベンチで泣いてたんですよ。あれを見たら、「あ、ニックはそんなに優勝したかったのか」、「この男に優勝させたい」って凄く思いましたね。それが凄くインパクト残ってるんですよ。
荒:それが、ニックはそのシーズンで新潟を退団することになってしまう。
C:私は次のシーズンもシーズンチケットを買ってニックを待ってたんですよ。それが東京アパッチに移籍してしまって。
荒:新潟最後のイベントで、「来シーズンもチームに残って」と言ったら、「ヒロセ(新潟の廣瀬HC)に言ってくれ」と話していたのを覚えています。
C:私も同じことを言われましたね。“Hirose’s choice”(廣瀬HC次第だ)と。
荒:それではニックは新潟を退団して東京でプレーする事になった際、やはり彼の中には新潟に対する特別な感情というのはあったのでしょうか?
C:それは強く思っていたと思います。新潟との試合の時はいつも“We must beat Niigata.”(新潟は倒さなければいけない)と言ってましたからね。「とにかく新潟には勝ちたい」と。
荒:やっぱりそうなんですね。
C:たぶんニックは、なんで自分が新潟からカットされたか分からなかったんだと思いますよ。

荒:ニックが東京に移籍することに関して、まず新潟を去るという事についてはどう思いましたか?
C:かなりショックでしたね。シーズンチケットが無駄になっちゃった(笑)。
荒:その時点では、「東京のニック」を応援しようと思っていたのですか?
C:とりあえず東京というチームが新潟と全然違うスタイルじゃないですか(※2)。当時はジョン“ヘリコプター“ハンフリーがいたし、ブライアントHCもいたし。まず、そんなチームにニックがフィットするのかな?というのがありましたね。
荒:確かに、新潟はバスケもチームの雰囲気もオーソドックスですが、東京はその対極とも言えるチームですからね。
C:そこでまず、東京のプレシーズンの試合に行ったんですよ(2007年9月24日、韓国KBLテグ・オリオンズ戦)。女房と2人で、足立区の体育館だったかな。そこで、試合会場とは別のサブアリーナみたいな所で選手達がシューティングをしていて、ニックを見つけたんでドア越しに手を振ったら、めちゃくちゃ喜んでくれたんです(笑)。彼は新潟であれだけ人気のある選手だったんで、そのプレシーズンマッチには、私以外にも新潟からのブースターが何人かは来ていると私は思っていたんです。結局、誰もいないんです。
荒:Cさん以外には誰も?
C:私は「そんなものなのかな?」と思って。ちょっと寂しかったですね。だからこそ、ニックは凄く喜んでくれたと思うんです。
荒:日程的なものや、立地的なものもあったのかもしれませんね。
C:それからニックは、更にフレンドリーに接してくれるようになったんですよ。
荒:そんな状況だと、ますます「俺が応援しないと!」と思っちゃいますね。
C:それからはちょくちょく東京の試合に行くようになったんですが、まだ新潟のシーズンパスも持っていたので、半々くらいの割合で見てましたね。
荒:すると東京の試合も見て、行ける試合は新潟も行って、という感じですね。
C:当然、新潟も応援してましたからね。でも、だんだん東京の試合に行くことが多くなって、新潟のシーズンパスも他の方に譲ってしまいました。
荒:東京のシーズンパスは持っていたのですか?
C:(当時の)東京は5枚綴りのチケットがあったので、それを買ってました。で、東京のブースターさん達は、新潟みたいにベンチ裏にはほとんどいなくて、コートエンド側(ゴール裏側)にコアな人達が集まってたんです。ベンチ裏の1列目とか2列目に行ってみると、ブライアントHCが動いているから試合がよく見えないんですね(笑)。
荒:ブライアントは身長が206センチもあるし、いつもベンチ前をウロウロしてましたもんね。
C:だから私は「ベンチ裏に誰も座らないの?」という感じで、女房と2人で座っていたんです。そしたらニックは、スターティング5の発表の時に、ニックのコールがあってから、ベンチ裏の私たちの所に来てタッチして、それからコートに行くんですよ。
荒:それは普通ありえないですね(笑)
C:ブースターとしたら超うれしいですよ(笑)。

※東京時代のニック、右が当時のジョー・ブライアントHC。
荒:そのニックは、新潟時代からよく他の選手に声を掛けたり、ベンチでもチームを盛り上げていましたが、東京アパッチというチームの中ではどんな存在だったのでしょうか?
C:ニックは東京で一番のベテラン選手だったので、それを強く意識しているようでしたね。自分が一番のベテランなんだから、自分からみんなに声をかけて。特に“ヘリコプター”ハンフリーには、常に話しかけていましたね。
荒:そもそも新潟と東京ではバスケのスタイルがかなり違うと思うのですが、その点についてはどうでしょうか?比較的チームとしてまとまってプレーする新潟と、かなり自由なスタイルの東京ですが、そんなチームにニックはフィットしているように見えましたか?
C:東京の1年目は凄く苦労したと思いますよ。コート上で他の選手とケンカ腰でやりあう時もありましたからね。かなり激しく言い合ったり。2年目はかなり噛み合った部分があったと思うし、他の選手ともよく話が出来ていたみたいですね。
荒:東京といえば「ブライアントHCのチーム」という印象が強いのですが、ニックはブライアントとは上手くやれていましたか?
C:ニックはブライアントに対しても、外国人選手に対しても、日本人選手に対しても態度をほとんど変えなかったので、その点はチームでもリスペクトされていたと思いますよ。
荒:その東京では、新潟の2年連続プレイオフ敗退に続いて、今度は2年連続ファイナル(決勝)で敗退するという残念な結果に終わりました(※3)。
C:ニックの口から出た言葉は、“とにかく勝つのは難しいんだ”という事でした。新しいチームがどんどん増えてファイナルに行くことすら簡単な事じゃないし、リーグには毎年のように新しいタレントも入ってくる。そして彼は一つずつ年を取るわけですから。そういった中で、常に戦う気持ちというものを奮い立たせながらプレーを続けて行くといのは難しい事だと思います。そして、例え自分が数字を残したとしても、それがチームの中ではどうなのか?という事もありますからね。
荒:Cさんはニックのプレーを新潟時代からずっと見ていた訳ですが、東京時代はどうでしたか?年齢的な衰えを感じる部分もあったのでしょうか?
C:まずオフェンスリバウンドに行かなくなりましたね。
荒:それは、今シーズン?
C:昨シーズンくらいからですね。それに、ニックはこの1年間、ゲーム中に1度もダンクしてないんですよ。練習ではダンクしても、ゲームではダンクしなくなったんですよね。
荒:それは分かりやすいですね……。新潟の時はときどき派手なダンク決めてくれたんですが。それから、オフェンスリバウンドというのは一番フィジカル的にもキツいところですからね。
C:ディフェンスリバウンドはそれなりに取るんですけど、オフェンスリバウンドが減ったというか、ハリーバック(相手に速攻を許さない為に、自陣のディフェンスに戻ること)を凄く意識していたみたいですね。さっさと(ディフェンスに)戻ろうとしてしまう。オフェンスリバウンドが取れない、取りに行っていない。そしてゲーム中にダンクがないというのは、見ていて凄く悲しいと思ってました。
荒:オフェンスリバウンドというのはフィジカルはもちろん、「絶対に取る」というメンタルの強さが一番必要な部分ですからね。その意味では気持ち的に、少し守りに入っていたのかもしれません。私も去年秋のプレシーズンに東京の試合を見たのですが、例年以上に体の線が細いというか、チームメイトのジュリアス・アシュビー(※4)が大きいだけに凄く痩せているように見えたので、心配なくらいでした。もともと筋肉の付きにくい体質だとは思いますが、これで本当に大丈夫なんだろうか?と思っていましたよ。
C:新潟にいた時はたくさん食べてウェイトがあった分、腰痛の不安があったみたいですね。東京に来て体重は減ったみたいですが、おかげで腰のコンディションは良くなったけど、スタッツは落ちていましたね。何が良いのかはニックとチームが選択することですけどね。

※ニックが東京へ移籍したシーズン、その東京アパッチを朱鷺メッセに迎えてのホームゲーム(2008年1月5日)。試合後の記者会見で、半年前までチームメイトだったマットが多くのメディアに囲まれているのに対し、寂しそうなニックの姿がとても印象的でした。
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※1 ・・・ bjリーグの初年度となる2006年、新潟はプレイオフファイナルで大阪エヴェッサに破れて2位、翌年はプレイオフセミファイナルで高松ファイブアローズに敗退。3位決定戦でも大分ヒートデビルズに破れ、シーズン4位という結果に終わった。
※2 ・・・ 6チームで開幕したbjリーグの中でも首都東京をホームタウンとするアパッチは異質とも言えるチームで、ストリートバスケットのスタイルを積極的に取り入れていた。エースの“ヘリコプター”ハンフリーはその象徴であり、また、NBAを代表する選手、コービー・ブライアントの父親であるジョー・ブライアントヘッドコーチの言動は、常にメディアの注目を集める存在だった。
※3 ・・・ 東京アパッチは2008年、2009年と連続してプレイオフファイナルまで進出したが、2008年は大阪エヴェッサに、2009年は琉球ゴールデンキングスにそれぞれ敗れ、優勝を逃した。
※4 ・・・ ジュリアス・アシュビー、1982年9月14日生まれ、トリニダード・トバゴ出身。バスケのキャリアは浅いが、その恵まれた体格を生かし、bjリーグでは高松で2年プレーし、東京で2シーズン目を迎える。身長205センチ、体重105キロと見事な体格を誇り、フィジカルなプレーに強い。
今回お話を伺う事になったCさんなんですが、この方にはちょっと面白い経緯があります。Cさんは新潟にお住まいなので、以前は新潟アルビレックスBBの応援をしていたような記憶があります。新潟の試合会場で何度か見かけたので、たぶん、応援していたと思います……。
ところが、ある時ふと気がつくと、コートの反対側で応援しているのです。着ているウェアの色も違う。新潟のチームカラーのオレンジではなくてパープル。またある時、試合のTV中継を見ると、新潟と関係のない試合の応援をしている。それも、新潟から遠く離れた会場で。その上、コートサイドの最前列で(笑)。
話を聞いてみると、Cさんが熱心に応援しているのはニック・デービスという選手(※1)。先日のコラムでも紹介しましたが、bjリーグ(※2)の東京でプレーする前は新潟のユニフォームを着ていた人気選手です。しかし、Cさんのニックに対する入れ込みっぷりはかなり強烈です。例えば昨シーズンは、東京アパッチの公式戦を数試合除いて全て観戦したとか。bjリーグはレギュラーシーズンが52試合(ホーム26試合、アウェイ26試合)、プレイオフとプレシーズンを含めると約60試合にもなります。
私もかつて、新潟のシーズン全試合観戦というのをやったことがあるんですが、その頃はまだシーズン全部で40数試合しか無かったし、なによりニックの所属する東京アパッチは、当たり前ですが東京がホームなので(主に有明コロシアム)、新潟で開催される数試合を除けば、新潟在住のCさんにとっては残る全てがアウェイ状態になります。これってかなり凄い事ですよね?
Cさんがそれ程までにニックの応援を入れ込む理由は何なのか?今回はこの点についてぜひ聞いてみたいと思いました。
しかし今回のインタビューはある意味最悪のタイミングとなってしまいました。というのは、そのニックが所属する東京アパッチからカットされた直後だったからです(2011年1月8日、契約解雇のリリース)。日本人選手であればまだどこかで会えるかもしれないけど、外国人選手のニックは、もしかしたらもう2度と会えないかもしれない。しかもニックの場合、33歳という年齢を考えるともうプレーしないで引退してしまうという可能性も否定できない状態なのです。
そんな状況でCさんに話を伺うのはちょっと気が引ける部分もあったのですが、しかしそんなCさんにとっても、今回の件にはいろいろ思う所があったようです。
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荒木ユタカ(以下、):それでは、よろしくお願いします。
Cさん(以下、C):はい、お願いします。
荒:それではいきなりで大変申し訳ないんですが、今回、ニックがチームからカット(契約解除)されたという事について、どのような思いがありますか?
C:とりあえず精神的にかなりのショックですね。女房と2人でニックを何シーズンも応援してきたので、非常にショックを受けてますけど、チームが決定した事なので、仕方ないなというのはあります。ただ、あれだけブースターから愛されていて、彼もブースターを愛していて、そしてリバウンドランキングにも入っている選手を(1/17現在、リーグ4位)、どうしてこのタイミングでカットするのかな?それも、チームの成績がよくないのに(1/17現在、東京アパッチはbjリーグイーストの6位で最下位)、リバウンドのランキング入りしている選手を切るというのは、非常に不信に感じますよね。
荒:今回の件は、やはり東京のブースターにとっても影響は大きいんでしょうか?
C:大きいですね。今年1月13日の試合(京都ハンナリーズ戦@代々木第二)で、試合会場で「21 Davis」と書かれたポスターを配って、みんなで“We love Nick”というコールをしてニックに対するリスペクトの気持ちを表現させてもらったんですけど、そのポスターは700枚用意して、アウェイの京都ブースターの方にも掲げてもらったんですよね。

※東京ブースターとCさん達が会場で700枚も配ったポスター。”We love Nick!”のコールをしている様子は、同日の試合動画でも御覧になることが出来ます(第3Q終了後)。
荒:それは東京のブースターの方が発案したんですか?
C:そうです。東京のブースターさんから提案いただいて、じゃあ私も一緒にお願いします、という感じで。
荒:その気持ちが、多少でもチームに伝わるといいのですが。ここでこんなことを聞くのもアレなんですが、過去数年に渡ってニックを応援してきて、この状況からすると新潟に戻ることも、また東京に戻ることもありえない状況だと思います。もしこれからニックが日本のどこか他のチームと契約するとしたら、やっぱりまた彼を応援したいという気持ちはありますか?
C:そうですね、そのつもりです。でもニックが新潟から東京に移籍した後も、日程的に見れる時は新潟の試合を見てましたし、東京の試合を見るようになってからは東京のブースターさん達に非常に良くして頂いて、暖かく迎え入れてもらったという経緯もありますので、ニックが何処に行っても、新潟や東京の試合も見ていこうかな、というのはありますね。

荒:それではここから、Cさんがニックの応援に到るまでを順を追って伺いたいと思います。まず、Cさん自身はバスケをプレーしていた経験はあるのですか?
C:はい、ミニバスで少しと、中学の時、あと大学の時にクラブチームでやっていました。
荒:するとやはり、2000年に新潟アルビレックスという、日本で始めてのプロのバスケチームが地元に出来たという時には、興味を抱いたんでしょうか?
C:そうですね、サッカーのチームが先にあって、次にバスケのプロチームが出来ると聞いたときは嬉しく思いしましたし、応援したいな、という気持ちはありましたね。
荒:ちなみに、サッカーに関しては応援に行ったりしていたんですか?
C:サッカーは年に1~2試合行くくらいですね。
荒:するとバスケに関しては、アルビ設立時の初期から観戦していたんでしょうか?
C:はい、JBLの頃から見ていましたね。
荒:その頃で印象的な試合とかありますか?
C:ん~~~、あまり記憶がないかな(笑)。まったりとした雰囲気で、新潟の廣瀬ヘッドコーチが一生懸命頑張っているという感じはありましたね。スペシャルマッチで元NBAのマジック・ジョンソンが来たときには、凄いもの見せてもらったというのはありましたけどね(※3)。
荒:確かに当時の日本リーグの頃は、今のbjリーグの雰囲気とはだいぶ違うというか、一生懸命盛りあげようというのはありましたけど、やはり地味だった記憶はありますね。するとCさんにとって、なんとなく試合を観戦している感じから、熱心に応援するようになるきっかけのようなものがあったと思うのですが、それはどの部分だったと思いますか?それは試合そのものに限らず、特定の選手の応援だったり、人によって違うとは思うのですが?
C:そうですね……竹田謙が来た頃かな?
荒:ほう。竹田謙(※4)。それは、彼のどんなところに惹かれたんでしょうか?
C:彼のディフェンスですね。「外国人選手を止めることのできる日本人選手がいるんだな!」というのは、凄いインパクトありましたね。「ディフェンスで魅せる」というのを、凄く感じましたね。
荒:確かに彼の売りはクイックネスとスピードを生かしたディフェンスですからね。当時のOSGフェニックス戦で、エースのジョニー・ローズをピッタリとマークしていたのを覚えてますよ。折茂武彦(※5、現JBLレラカムイ北海道)なんかもシャットダウンしたりしてましたね。他に誰か印象的な選手はいますか?
C:元新潟で当時はOSGにいたホッティーこと、堀田剛司(※6、現JBL三菱ダイヤモンドドルフィンズ)ですね。彼も良かったですね。
荒:彼はどちらかと言うとシュート力のほうですね。
C:去年、東京と浜松東三河の試合があって、ホッティーに3ポイントを7本くらい決められた試合がありましたからね。
荒:それでは、新潟の外国人選手に関してはどうですか?
C:外国人選手ならグレッグ・ストルト(※7)、彼が好きでしたね。
荒:グレッグはどんなところが印象的でしたか?
C:彼のバスケットに打ち込む姿勢ですね。すごく一生懸命にやってる感じがしましたよね。
荒:そういった部分は確かに見ている側に伝わる部分がありますよね。選手たちが手を抜いているという事は無いんでしょうけど、やはり本当に頑張っているというのは、見る者に伝わってくる部分があると思います。
C:サッカーやラグビーなんかと違って、バスケットって選手と観客が凄く近いじゃないですか。コートは目の前だし。例えばベンチにいるときの態度や仕草だったり、コート上のプレーにしても、肌に感じる部分がありますからね。
荒:確かに、コートサイドだと選手の声とか聞こえるくらいですからね。彼らの表情も見えるし。その点はサッカー、野球とか他のスポーツに比べると、遥かに近いですね。コートサイドなら選手同士が話している様子とか、審判に話したりとか、結構聞こえますよね。
C:審判に文句を言う選手もいれば、泣きつく選手もいたり(笑)。いろんな選手がいますからね。
荒:すると、そのグレッグの次ぐらいがニック・デービスになるんでしょうか?
C:そうですね。
荒:ニックに対する最初の印象というのはどんな感じだったんでしょうか?
C:「細いのにセンターやってるんだ」という感じですね。彼のスピンムーブ(※8)が速くて綺麗に決まっていたんで、それが凄く印象に残ってますね。あとはリバウンドの取り方ですね。普通のセンターと全然違ってるんですよね。
荒:それは、やはりCさんがバスケをやっていた事があって、その観点から「彼のプレーは凄い!」というのがあったんでしょうか?
C:いや、私のバスケのレベルなんて全然ですから(笑)。でも、ゴール下で相手の選手と積極的にポジション争いをせずに、相手の思わぬところから手が伸びてくるというリバウンドの取り方というのは、1つの職人芸だと思いますね。
荒:ニックの場合は手足が長くて、相手の頭の上からリバウンドを奪う感じですよね。
C:聞いた話ですが、彼のリバウンドは1回目に取りに行かないんですね。最初に指先で弾いて、それから自分で取るんですね。
荒:ほ~。スラムダンクの桜木花道じゃないですけど、何度も跳んで取る感じですね。ところでニックが加入した2004~2005年というのは、新潟にとってJBL最後のシーズンだったのですが、チームの成績としてはかなり厳しいものがありました(リーグ7位)。そんな中でCさんのスタンスとしては、新潟というチームそのものを応援しているというよりは、選手を応援しているという感じがあったのでしょうか?
C:どっちかと言えば、私は選手個人なのかな、という気がしますね。
荒:これは人によっていろいろあると思うのですが、「チームが勝てばいい」という人や、「負ければ全部ダメ」という人もいると思うんですよね。また一方で、自分の応援している選手に活躍して欲しいという人もいると思いますし。
C:「チームが勝てばいい」という考えなら、サッカーとかのほうがいいような気がするんですよ。バスケットというのは例えチームが勝っても負けても、必ず選手によっていいプレーというのが幾つかあると思うんです。例えば30点差で負けたとしても、負けたチームの選手の中にはいいプレーというのがあるんですよね。そこがバスケットの大きな魅力の1つだと思うんですよ。
荒:確かに、バスケットは試合における個人プレーの占める割合が大きいと言うか、チームに与える影響が大きいですよね。ダンクシュートとか、いいプレー1つで試合の流れが変わったりするし。するとCさんにとっては、自分の興味のある選手、注目している選手を応援する、というスタンスがあったんですね。
C:そうですね。

※ニックの新潟1年目のシーズン、さいたまブロンコス(当時)とのプレシーズンマッチにて。左はチームメイトのマット・ギャリソン、右は現在bjリーグ富山グラウジーズのカービー・レモンズ。
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※1 ・・・ ニック・デービス、1976年9月27日生まれ、NY出身。NCAAの名門アーカンソー大学を卒業後、海外で点々とプレーした後、2004年から新潟アルビレックス入り。3年のプレー後、同じbjリーグの東京アパッチでプレーしていたが、2010年1月8日にチームから契約解除された。細身の体つきだがリバウンドには天才的な才能を見せ、またその屈託のない笑顔と人柄にファンも多い。身長203センチ。
※2 ・・・ bjリーグ、2005年に開幕したプロバスケットボールリーグ。設立当初は6チームが所属し、現在(2009~2010シーズン)は13チームで優勝を争っている。東京アパッチはbjリーグ設立と同時に生まれた東京を本拠地とするチーム。チームカラーはパープル。新潟アルビレックスは2000年に設立された日本初のプロバスケチーム。2005年からbjリーグでプレー。本拠地は新潟。
※3 ・・・ かつて新潟アルビレックスがシーズン終了後に開催していたスペシャルマッチがスーパーBBで、その第1回(2001年)には往年のNBAスター、マジック・ジョンソン率いるオールスターチームが来日し、新潟の観客を大いに湧かせた。
※4 ・・・ 竹田謙、1978年10月5日生まれ。神奈川県出身。青山学院大を卒業後、JBL2部の日本リーグ東京海上でプレーしていたが、退社して新潟アルビレックスのトライアウトに挑戦し合格。3年のプレー後に退団し、現在はJBLのリンク栃木ブレックスに所属する。素晴らしいクイックネスとスピードを誇り、そのディフェンスには高い評価がある。全日本代表選手としてのキャリアもあるサウスポー。新潟時代の竹田謙は、トヨタ時代の折茂、アイシンの小宮邦夫など、相手チームのエース選手をタイトに守りぬいて観客を湧かせた。身長189センチ。
※5 ・・・ 折茂武彦、1970年5月14日生まれ、埼玉県出身。学生時代から日本を代表するシューターとして活躍し、40歳を迎える今シーズンもレラカムイ北海道でプレーを続けている。身長190センチ。
※6 ・・・ 堀田剛司、1978年2月13日生まれ、神奈川県出身。日本体育大学卒業後に新潟アルビレックスで5年のプレー後退団し、現在はJBL三菱に所属。196センチの長身ながらアウトサイドからのシュートを得意とする。
※7 ・・・ グレッグ・ストルト、1976年11月30日生まれ、テキサス出身。新潟には2003年シーズンの1年をプレーしたが、長身からのアウトサイドシュートと、献身的なリバウンドでチームに貢献。練習に試合にと常にベストを尽くすそのハードワーカーなスタイルにファンも多かった。現在はNYのNBAオフィスに勤務。身長203センチ。グレッグのキャリアについては、こちらのインタビュー記事をどうぞ。
※8 ・・・ ニックのようなセンタープレイヤーは、オフェンスでもディフェンスでもゴール近辺でのポジション取りが鍵となる。多くのインサイドプレイヤーは身長だけでなく体の幅があり、そのフィジカル面を生かしてポジションを奪いあうが、体の幅のないニックはゴール近辺での機敏な動きで優位に立つタイプの選手だった。特に、長いリーチとジャンプ力を生かし、ディフェンスの選手の裏をつくプレーは、ニックを生かす有効なセットプレーだった。
何処ぞやで「史上最強の外国人選手云々……」という話を見て、いろいろ考えていたんですが、こと新潟というチームに関しては、これに該当するような選手が思い浮かばない。
というのは、新潟アルビレックスBBという、bjリーグで5年目、創設以来10年目となるこのチームは、伝統的に「チームプレー」を重んじるバスケを展開するので、どうしても突出した選手というのがいない。というか、そのタイプの選手が生まれようがない。
では所属するbjリーグで考えるならば、例えばリーグ在籍の4年を全て優勝し、ファイナルMVPにもなったジェフ・ニュートン(琉球)であるとか、3連覇の立役者であるリン・ワシントン(大阪)であるとか、AND1のアイコンのひとり、”ヘリコプター”ことジョン・ハンフリー(元東京)、大阪3連覇の立役者でもあるマット・ロティック(現大分)とデビッド・パルマー(大阪)、今年も得点王になりそうなマイケル・パーカー(福岡)、放っておいたら何点でもとってしまうマイケル・ガーデナー(高松)、211センチの大型フォワード、アンディ・エリス(元大分)などなどなど、まぁ比較的ピックアップには困らないところです。

(今年は苦戦している大阪のリン・ワシントン)
ついでにJBLに関して考えてみると、とりあえず定番の桜木ジェイアール(アイシン)とかいますけど、印象強かったデビッド・ブース(元パナソニック)、トム・クラインシュミット(元東芝)らに加えて、なんといってもインパクトあったのがルシアス・デービス(いすゞ自動車)ですね。いすゞの黄金期を支えたフォワードですが、彼のプレーを見ては「止めようがないじゃん」といつも思っていたのを覚えています。

(いつも不機嫌そうに見えるアイシンの桜木さん)
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とは言っても「そんな選手は新潟にはいません」ではちょっと寂しいので、過去を振り返ってまとめてみましょう。選手名の右の( )はリーグのタイトル。また、※1はシーズン途中で加入した選手、※2はシーズン途中でカット若しくは退団した選手です。
2000~2001シーズン(日本リーグ、優勝)
#5 レイ・ウェザーズ G
#24 モーリス・ウッズ C
#44 リン・ワシントン F

2001~2002シーズン(日本リーグ優勝)
#22 シャナン・スウィルス F (リバウンド、ブロック)
#44 リン・ワシントン F (ベスト5)

2002~2003シーズン(スーパーリーグ6位)
#24 グレッグ・ストルト F (リバウンド)
#44 リン・ワシントン F

2003~2004シーズン(スーパーリーグ8位)
#2 テイト・デッカー C
#42 ブーマー・ブラゼル F

(ブーマーと言えばいつも思い出すのがこの画像。ホームシックさえなければ……)
2004~2005シーズン(スーパーリーグ7位)
#21 ニック・デービス C (リバウンド、ブロック)
#33 マット・ギャリソン F

(ところでニックがこの髪型をしていたのは、来日した2004年8月から、同年11月6日のアイシン戦@新潟市体育館の前まで。ドレッドのニックを直に見た人は貴重なのかもしれません)
2005~2006シーズン(bjリーグ準優勝)
#5 アントニ・ワイチ G
#21 ニック・デービス C (ベスト5、リバウンド)
#33 マット・ギャリソン F

2006~2007シーズン(bjリーグプレイオフ4位)
#5 アントニ・ワイチ G
#21 ニック・デービス C (ベスト5、FG率)
#33 マット・ギャリソン F
#41 ハン・チェギュ F
#44 ジャック・ハートマン C

2007~2008シーズン(bjリーグイースタン3位)
#1 Mジュンベ・ウィリアムス G ※2
#10 ロドニー・ウェブ F
#33 マット・ギャリソン F
#44 アンドレ・スミス F ※1
#45 アンドリュー・プレストン C ※1

2008~2009シーズン(bjリーグイースタン4位)
#3 ブレット・グラビット G
#5 ドクン・アキングベート C
#8 ホ・ドンキュ F ※2
#21 エマニュエル・リトル F ※1
#22 アントニオ・バークス F
#31 カルバン・チットウッド F
#34 カルム・マクリード C ※1、※2
#43 ポール・ビュートラック C ※1

2009~2010シーズン(bjリーグ)
#31 カルバン・チットウッド F
#41 ウチェ・エチェフ F ※1
#43 ポール・ビュートラック C
#44 アントニオ・バークス F
#45 タイロン・レヴェット F
こうやって見ると、今まで実にいろんな選手がいましたね~。みなさん、ちゃんと全員の顔が思い浮かびますか?
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では改めて「史上最強」というフレーズを考えた時、そこには「記憶と記録に残る」選手がそうであるような気がします。よくスポーツでは「記録に残る選手」と「記憶に残る選手」という話になりますが、その両方を兼ね備えているからこそ、「史上最強」と呼ぶに等しい選手と言えるのでは無いでしょうか?
そこで改めて上の選手たちを思い起こしてみて、これは全く個人的な印象なんですが、私にとって史上最強の選手に最も近いのは、ニック・デービスだったりします。そもそも、私にとって彼は新潟に入団する前から、最もインパクトのある選手だったからです。
初めてニックのプレーを見たのは、彼がアーカンソー大学でプレーしていた1998年のこと。彼はNCAAでも強豪校であるアーカンソー大学のスターティングセンターであり、全米を代表するりバウンダーでした。

(貴重なニックの大学時代の画像。ちなみに背番号は31番です)
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ニック・デービスは1976年9月27日生まれ。NY出身。サウスカロライナ州のコロンバス高校時代は全く注目されず、フロリダ州のGulf Coast短大に進む。ここでニックは1年で平均19点、12リバウンドという立派な数字を残したのだけれど、ラッキーだったのは彼の編入学したアーカンソー大学の状況。
SEC(サウスイースタンカンファレンス)という、NCAAでも強豪カンファレンスに属するアーカンソー大は、1986年から指揮をとるノーラン・リチャードソンHCのもとで着々と成績を伸ばし、1990年にはトッド・デイとリー・メイベリーの”メイデイコンビ”にオリバー・ミラーを加えたメンバーで同大学史上3度目となるファイナル4に進出。そしてついに94年に全米優勝を達成し、続く95年も全米で準優勝という輝かしい成績を残しています。
この時のメンバーが”40 minutes of hell”(地獄の40分)と呼ばれたチームで、NCAAトーナメントの最優秀選手となりNBAに進む”Big Nasty”(大きな暴れん坊)ことコーリス・ウィリアムソンを筆頭に、スコッティ・サーマン、コーリー・ベック、クリント・マクダニエル、ドワイト・スチュワートというスターティング5だけでなく、ベンチメンバーもアレックス・ディラード、ダバー・リマック、ダーネル・ロビンソン、リー・ウィルソンという強力な選手たちが控えており、これらの選手が40分間に渡ってひたすらオールコートでプレッシャーディフェンスを続けるという、対戦相手にとっては非常にタフなゲームメイクをするチームでした。
この選手の大半が卒業したのが95年で、上記9人のうち2人を残して卒業してしまったのです。主力選手が卒業したからといって、簡単に弱くなってしまってはパワーハウス(強豪校)のプライドが許さないので(もっとも、そこで成績を残さなければHCがクビになってしまう)、リチャードソンHCはリクルーティングに力を入れる事になりました。そして、翌96年シーズンに新たにレイザーバックス(アーカンソー大のニックネーム、地元の野ブタのこと)のユニフォームを着ることになったのは実に11人!もいたのです。
その11人のうち、短大(JC)出身の選手が5人もいたのですが、ニックもそのひとりでした。NCAAはいくら才能があっても経験のない若い選手達だけではなかなか勝ち抜けないので、時に経験のあるベテランとして実績のある短大の選手をリクルートするのですが、ニックの短大での1年目のスタッツがそこで目に止まったようです。
このリクルーティングのクラスはニックだけでなく、ガードにカリーム・リード(卒業時は同大の通算アシストリーダー)、パット・ブラッドリー(同じく3ポイント成功リーダー)、フォワードにデレック・フッド(同大史上2人目となる1,000リバウンド達成)らがいたので、やはりリチャードソンHCは見る目があるな~という感じなのですが、実はニックに注目が集まるのは彼がアーカンソー大でプレーして3年目、つまり4年(シニア)のシーズンになってからでした。
というのは、ニックの2学年上にダーネル・ロビンソン、1つ上にリー・ウィルソンという、どちらも211センチのセンターがいたおかげで、アーカンソー大でのニックの最初の2年は、ベンチに座ることと、これらの選手のバックアップをするのが仕事だったのです(なお、ニックは大学時代は6-9、206センチ登録で、卒業後は6-8、203センチ登録)。おそらく大半の方がこの2人の選手の名前を聞いたこともないと思いますが、例えばロビンソンはカリフォルニア州の高校生による通算得点記録を持っているような選手だったので(一応NBAにもドラフトされました)、サイズだけはNBAクラスのこの先輩達には全く歯が立たなかったようです。
その2人が去った98年シーズン、ついにニックに日の目が当たる事になります。シーズンでは平均9.8点、2.4ブロック、10.4リバウンド、ちなみにフリースローは47.2パーセントだったのですが、シーズン序盤は得点とリバウンドでチームをリードしており、特にリバウンドは全米でもトップクラスとなる13リバウンド前後を記録していました。
今も昔もとにかく細いニックですが、そのリバウンドはあるスカウトをして”SECのデニス・ロッドマン”と称されるほどのもの。前述のウィルソン、ロビンソンのようにゴツい体でフィジカルに奪うのではなく、手の長さを生かし、そして果敢にゴール下に跳び込むスタイルでした。そのリバウンドには嗅覚ともいうべきものがあり、単に高く、早く跳ぶだけでなく、シュートが外れてリバウンドが跳ねる方向を知っているかのような素晴らしいセンスのある選手でした。
なお、ニックの癖と言えば試合中に指先を舐める(?)事ですが、この大学時代から同じ仕草をしていますね。握手した時に彼の手がカサカサだったのが印象的なんですが、乾燥肌なんだろうか?
※ちなみに、私がたまたまニックを見た試合がルイビル大学との試合で、ここには後にAND1のエスカレードとして活躍するトロイ・ジャクソンがプレーしていました。トロイ・ジャクソンは当時すでに208センチ、170キロのダンプトラック体型だったので、ニックの3人分くらいの幅がありました。ニックはそのジャクソンの頭の上からリバウンド取ってましたけどね(笑)。

(エスカレードのいい画像が無かったのですが、だいたいこんな感じの選手です。ちなみにニックは半分の90キロくらい)
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だいぶ話がそれましたが、そんなニック・デービスという選手、大学時代はアーカンソー大のホームコートであるバドウォルトンアリーナ(約2万人収容)の観客を熱狂させ、同大では1試合のリバウンド記録1位を保持し(23本!)、また同大のシーズンのリバウンドでは史上2位(322本)を記録するような選手が新潟に来るという事で、個人的には勝手に興奮していた記憶があります。シーズンのリバウンド記録では、ニックより下にNBAクラスの名だたる選手たち、例えばシドニー・モンクリーフ(オールスター5回、NBA1stチーム4回など)、ジョー・クライン(1984年オリンピック金メダル)、アンドリュー・ラング、コーリス・ウィリアムソンらの名前があったんですからね!
なお、ニックは大学卒業後アメリカのマイナーリーグCBAやプエルトリコでプレーしたのち、2000~2001シーズンに日本リーグ(2部)のデンソー・フープギャングでプレーしています。このシーズンはリバウンド、FG率、そしてブロックショットでリーグの1位になったのですが、このシーズンを最後に所属するデンソーが廃部してしまいます。その後も世界中を点々としたニックは、一時はハーレムグローブトロッターズでプレーしたり、またNBAまであと一歩というチャンスもあったようですが、巡り巡って2004年に新潟入りする事になります。
ニックにとって1年目、新潟にとってJBL時代最後のシーズンは、チームとして非常に厳しいものがありましたが、ニックはリバウンド、ブロックショットというディフェンス面で素晴らしい活躍を見せます。

しかし、それ以上に新潟の人達にとって印象深かったのは、彼の人柄の良さでしょう。驚異的なリバウンダーであるニックは、同時にオフェンス面ではいろいろと課題のある選手であり、特にフリースローの確率の悪さについては本人もかなり気にしているようでした。しかし、それを補って余りある程のキャラクターがニックにはあり、おそらく新潟というチーム史上、最もファン/ブースターに愛された選手の一人であるのは間違いありません。
コート外ではともかく、コート上にいる選手というのは、試合中はもちろん、試合の前後も集中しているものですが、ニックの場合は試合の前後であれば、声を掛けると大抵の場合、その人を探し笑顔で手を振ってくれます。会場によってはコートから観客席が見にくい所があったり席が遠かったりしますが、わざわざ探して手を振ってくれるのがニック。ついでに、場合によっては緊迫した試合展開の中でも、観客席の声に応えるのがニックなのです。声をかけたほうが「いや、何も返事をしなくても……」と思ってしまいそうなくらい。
コート上でそんな調子なので、試合前後などコート外でファンに囲まれて彼の笑顔が笑顔が絶えない(絶える暇がない?)ことが日常的ににあり、そんな訳で新潟時代から既に、新潟以外の街にも熱狂的なファンがいたりしました。白人選手に比べると日本語はそれほど覚えなかった印象がありますが、それでもなんとかコミュニケーションを取ろうとしてくれるところが、また多くのファンの心を掴んでいたような気がします。
冒頭の話に例えると、ニックは記録的にもかなりいい線に行ってると思うのですが、記憶という意味では間違いなくそのリストのトップに来る選手のひとりと言えると思います。

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そんなニックが3年の新潟でのプレー後に新潟を去る事になった時は本当に残念でした。彼の3年目、つまりbjリーグでの2シーズン目が終了した後のファン感謝イベントで、「来年はどうするの?新潟でプレーしてほしいよ」と声を掛けると、ニックがいつものかすれた声で「それをヒロセに言ってくれよ」と繰り返し言っていたのが思い出されます。
しかしニックが、結局は同じbjリーグの東京アパッチと翌シーズンの契約をすると聞いたときは、少しホッとした気がしました。もう新潟のユニフォームを着ることはないだろうけど、試合会場では見ることができる。東京では新潟時代と同様に、もしかしたら新潟の時より更にブースターにとって重要な存在になっていたのかもしれません。新潟時代から練習を頑張っていたフリースローも、東京時代には(ちょっと)向上したみたいですからね。
※ニックのシーズン毎のフリースロー確率はこちら
2005年49.4%、2006年50.5%、2007年45.0%(ここまで新潟)、2008年58.3%、2009年57.2%、2010年61.9%
東京に行ってからの数字は「微増」という感じですが、印象的には「倍増」に近いものがありましたね。

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そして、その東京アパッチの選手としてのキャリアも、2009年12月の試合を持って終了することになりました。チームからカット(契約解除)されたのです。
確かに彼のスタッツ(数字)は以前に比べるとだいぶ寂しくなり、今となっては28歳で新潟にやって来た頃の半分くらいの運動量しかなくなってしまったのですが(ちなみに現在33歳)、それでもまだこのリーグのレベルでは一定の評価のある選手であり、また前述のように誰からも愛されるキャラクターというだけでなく、ロッカールームでは他の選手達をまとめてチームをひっぱるムードメイカーとしても、非常に重要な選手としても知られています。洋書やwebで選手の評価を見ていると、「ディフェンスがいい」や「視野が広い」などの他に、「ロッカールームでいい雰囲気を作る」というのがあったりするのですが、そのタイプの選手ですね。
彼は新潟で3年、東京で2年半、ニデック時代も加えると6年半も日本でプレーしている事になります。それも、20代の後半から30代にかけてという、バスケット選手として最も充実した時期をです。日本でそれだけプレーしていたという事は、それだけの理由があるということなのです。
そんな選手をチームから放出することは、それはつまり現在の東京というチームのマネジメントが(残念ながら)破綻していることに他ならないのですが、この点についてはまた次の機会に考えてみたいと思います。
彼が去る事で東京のブースターだけでなく、新潟を含めて各地にいるであろうニックのファンの落胆は計り知れないものがあるのですが、願わくば、また彼の姿を日本のどこかで見たいものです。
なかなかいませんよ、これだけ愛されるキャラクターの選手って。











