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2008/01/30

こんにちわ。

  
序章では、日本バスケが「過渡期」にあるという事を、力いっぱい歌わせて頂きました。
スポーツコラム内で、ミュージカルにより主張を伝えるという斬新な手法については、
何らかのロイヤリティが得られるよう法的保護をかけて小銭稼ぎをしようと思います。

小さなことから、コツコツと。
 
  ・・・先日、「ガス供給停止のお知らせ」がポストに入っておりました。。

 
さて、今回は 第1章 日本バスケ地図 21世紀版 と題して、近頃の日本バスケットボール界がどうなっているのか、その変化の流れ、事情が時系列で分かるようにご説明したいと思います。

分かり易さのために、今回の企画では一般男子のカテゴリについてのみ触れさせて頂きますので、あらかじめご了承の程お願い致します。

下記の図をクリックして、別のウィンドウで拡大表示しながら見ていただけると分かり易いと思います。(右クリックで「リンクを別ウィンドウで開く」)

basuketizu.jpg

ていうか、私の文章だけでは構造が捉えにくいと思うので、ぜひ見て下さい。
お願い。お手数をお掛けして申し訳ないです。
 

2000年~2004年 新しい試み。挫折。
 

日本バスケ界が現在のような複雑な状態になったのは、大きくは2000年に端を発してます。(それ以前の状況については次回に触れますね。)

旧JBL(バスケットボール日本リーグ機構)は、将来のプロリーグ化を前提とし、
それまでの日本リーグ1部を「スーパーリーグ」、2部を「日本リーグ」として再編。
それまでの企業対抗から、ファンを重視した地域密着型の運営に移行するとし、「ホームタウン制」を謳いました。

90年代に起こった一大バスケブームと、Jリーグの成功により「バスケもプロに」の機運が高まった結果、日本協会がやっと重い腰を上げ実現に漕ぎつけたわけです。
Jリーグに続くスポーツコンテンツに期待していたメディア側の賛同もあり、日本バスケの新しい時代が拓くものと、多くのバスケファンが期待を寄せました。

しかし世は底なしの景気低迷時代に突入。企業は生き残るために事業リストラを行いました。
その際真っ先に削られたのは、広告宣伝費と福利厚生費などの経費。
まさに企業スポーツを運営するために用いられる予算です。

結果、次々と休部・廃部が相次ぎ、多くの実業団チームが姿を消して行きました。
スーパーリーグ所属のトップチームも例外ではなく、
中でも、多くの日本代表を抱えるスター軍団、いすゞ自動車の廃部は衝撃でした。

2001年のオールジャパンを制覇し、6度目の日本一に輝いたその年にチームの休部が決定。
選手は移籍を余儀なくされるが、一方ではその受け入れ先のチームがどんどん減っていく。
日本バスケ至上最高の選手といわれた佐古賢一選手でさえ移籍先が見つからないという、悲劇的な状況に。

(その後、佐古選手はアイシン精機バスケット部に移籍。ロートル選手の吹き溜まり集団だった同チームが、リーグ優勝を達成する奇跡の物語は、平山譲氏のドキュメント「ファイブ」に描かれベストセラーに。)

こんな状態だもんで、チームを持つ企業は一部を除いてプロ化への態度を急激に硬化。
ホームタウン制による地域密着も定着せず、これといって起爆剤も見つけられないまま、
90年代にあれだけ華やかだったバスケ人気は、静かに沈んでいきました。
 
 
<沼の底で濃縮された「バスケがしたい」>

バブル経済がはじけて多くの実業団チームが廃部になり、行き場のないバスケ熱が世の中に溢れました。

テレビをつければ、プロ化に成功して人気実力ともメキメキと上がっていくサッカーの番組ばかり。
ワールドカップ日韓共同開催の興奮の影で、誰にも知られずに消えていくバスケの火。

それでもバスケがしたい選手達は、自ら資金を集めてクラブチームを作りました。
仕事を終えてから夜中に練習を続けました。日本中に響いた青い「日本!」コールに背を向け、近所の体育館やストリートで延々と技を磨きました。
バスケをやめてしまった人も、心の底では同じ思いを持っていました。

閉塞感の沼の底に「バスケしてぇ」という熱だけが濃く溜まっていきました。
 
 
2004年 ターニングポイント

この年、日本バスケはターニングポイントを迎えます。

沈み込んでいくバスケ界の中で、異彩を放つ存在が有りました。
2002年からスーパーリーグに昇格した「新潟アルビレックス」です。

廃部した大和証券バスケットボール部を、Jリーグの新潟アルビレックスのメインスポンサーである
NSGグループが支援する形で発足した、日本初の完全プロバスケチームでした。
代表には元日本代表監督であり、NSGグループの池田会長を熱意で説得した河内敏光氏が就任していました。

バスケ人気が低迷し、どのチームも1000人の集客に苦戦をするなか、
アルビレックスはホームタウン開催では満員の4000人以上が殺到する人気チームに成長。
まさにバスケ版「新潟の奇跡」といわれました。

しかし、当のアルビレックスはピンチに陥っていました。
プロである以上は、スポンサー収入、入場料収入、その他クリニックなどの事業収入によって経営を成り立たせなければならないのですが、スーパーリーグの規約では入場料を含む興行収入は、チームではなく試合を主催する地域のバスケット協会の収入となります。

ホームの試合では、興行権を協会から買い取る事で収入を得ることが出来ましたが、地方開催(スーパーリーグは6割以上が中立地開催)ではどうすることもできません。

もともとリーグのプロ化を前提に発足したチームだったので、この状態が続けばチームの経営を維持できないのは明らかでした。

さらに、2006年にはバスケットボール世界選手権が日本で開催されることが決まっており、ホスト国として、プロリーグの所持、プロ化による選手強化が急務であると考えていた河内代表は、協会内にプロ化推進組織を立上げ独自に勉強会を実施するなど、積極的にプロ化の早期実現を協会幹部やチームの親企業に訴え続けました。

しかしその成果はなかなか得られず、時間だけが過ぎて行きました。
 

ついに、シビレを切らした新潟アルビレックスは、日本リーグの「さいたまブロンコス」(親企業をもたない市民チームとして同様の苦境にあった)とともにリーグの脱退、独自のプロリーグ設立を表明しました。
 
 
<蘇った小さな「熱」>

閉塞感の雲が垂れ込めた2004年の日本バスケ界。
世間から忘れられつつあったバスケというスポーツに、鮮烈なニュースが二つ飛び込みました。

一つは、名門能代工業高校で9冠を達成し一躍有名になった田臥選手が、
ついに日本人初のNBA選手としてフェニックスサンズと契約し、試合出場を果した!というニュース。

もう一つは、河内氏がコミッショナーとなって、日本初のプロバスケリーグ「bjリーグ」を6チームで発足したというニュース。スローガンは「バスケがしたい。」

それらは、瞬間的ではありましたが、バスケ関連のニュースとしては大きく報道され、それを見た人々の中に、隠れていたあの「熱」を蘇らせるには、十分な出来事でした。

 

続きます。

日本バスケ地図 第1章 「現代」日本バスケ地図 21世紀版 (2)
 

2008/01/30

下記の図をクリックして、別のウィンドウで拡大表示しながら見ていただけると分かり易いと思います。(右クリックして「リンクを新しいウインドウで開く」)

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ていうか、私の文章だけでは構造が捉えにくいと思うので、ぜひ見て下さい。
お願い。お手数をお掛けして申し訳ないのですが。いやマジで。
 

2005年 分裂
 

新潟アルビレックスとさいたまブロンコスは、旧JBLと日本協会の脱退認可がないまま、日本初のプロリーグ「bjリーグ」開幕の準備を着々と進めていました。
2月に行われた最初のトライアウトには、実に600人を超えるの若者が挑戦しました。

日本協会は脱退・独立の留保を訴えていましたが、bjリーグ側の意思の固さに根負けする形で承認。
しかし、交換条件として次の措置を課すことを宣言しました。

 1.bjリーグは日本協会の認可団体としない。(市井のバスケチーム同士の非公式試合という扱い。)
 2.bjリーグに所属するチームは日本協会への登録を認めない。(公式な試合には出られない。)
 3.bjリーグに所属する選手は日本協会の登録を抹消する。(日本代表資格の失効)
 4.bjリーグの試合に参加する審判員は、公式審判員の資格を剥奪、登録を抹消する。

これらが、現在に続くリーグ分裂状態を決定的にしました。

選手からは日本代表資格の剥奪、審判員からは公式審判員の資格を剥奪することで、bjリーグに有力な選手・人材が流出することを防止。
また各地方協会、協力団体に対して「bjリーグに協力しないように」という通達を発し、政治的に防衛する方策を取りました。

さらに日本協会は2007年に旧JBLを独自にプロリーグ化することを発表。

こうして国内に2つのトップリーグが存在する事になったのです。
 
 
<競争のはじまり>

この年の11月5日、bjリーグの最初の試合が行われ、
有明コロシアムの開幕戦には7700人の観客が集まりました。

盛大なセレモニーにド派手な演出。色鮮やかな専用コート。
日本では見たことが無かった自由奔放なバスケットに人々は驚き、心を掴まれました。
もちろん私もその一人。(開幕2日目の観戦でしたけどね。セレモニー見逃した~!!)

旧JBL側と、良い関係とは決して言えない中でのスタートでしたが、
停滞した日本バスケ界に「競争」という強烈な活性剤が投下された歴史的な瞬間でした。

  

2005年~2006年 暗中模索。 世界を知る。 新しい力。
 
◎旧JBLの動き:

bjリーグが独立したものの、有力選手は軒並みJBLに残留。
新潟が抜けた穴には、新たな完全プロチームとして誕生した「福岡レッドファルコンズ」が参戦しました。
福岡RFは、新潟が独立する際にJBL残留を希望して移籍した主力選手を中心に、旧JBLチームからの移籍選手を迎えて結成されました。

また日本リーグには、全日本実業団選手権で毎年好成績を残していた「千葉バジャーズ(現・千葉ピアスアローバジャーズ)」が昇格し、 さいたまブロンコスの代わりに参戦、昇格1年目での優勝という快挙を達成しました。

 しかしながら受難の時代は続きます。参入したばかりの福岡レッドファルコンズが、杜撰な経営、スポンサー獲得失敗などで経営破たん。シーズン半ばで解散するなど、苦しい状況は続きました。

 また2006年には世界選手権が開催され、世界的指導者、クロアチア人のジェリコ・パブリセビッチ監督のもと、日本代表が強豪国相手に大善戦を繰り広げました。
 惜しくも予選ブロックの突破はなりませんでしたが、JBLでプレーする五十嵐、川村、桜井や、当時大学生だった竹内兄弟など、若い新たなスター選手の躍進が見られました。

 ただし、日本協会は代表選手の選考や大会運営、大会後の監督人事や総括で大失策を演じてしまい、後の混乱を招く大きな原因を作ることになりました。
  
◎bjリーグの動き:

仙台、新潟、埼玉、東京、大阪、大分の6チームで発足したbjリーグは地域密着型の身の丈運営を徹底。
MC・DJ・がいて、華やかにチアリーダーが踊り、音楽と「ブースター(ファンの独自呼称)」の声援で試合を盛上げるという新しいバスケット観戦のスタイルと、外国人選手の豪快で分かり易いプレー、バスケ以外でも楽しめるイベントやアトラクションの工夫などで、 「今までバスケを見たことがない人」をファンとして取り込んでいきました。

それでもマイナースポーツの殻を破ることは困難でした。メディア露出はほとんどなく、集客には苦戦が続きました。しかし、歴史のある新潟がなんとか集客でリードし、人気選手とビッグスポンサー獲得に成功した大阪が、その後に続いてホームでの人気・集客を伸ばしました。そして翌年5月に有明コロシアムで開催されたプレーオフでは、なんと8000人を超える観客を集めることに成功。
ファイナルはその新潟VS大阪で争われ、大阪が初代チャンピオンに輝きました。

毎年2チームずつチームを拡張し、2005年には富山・高松、2006年には福岡・沖縄にそれぞれ新たなチームが誕生しました。とくに高松は運営母体として大企業の後ろ盾を得ることに成功し、参入1年目からリーグ準優勝という素晴しい成績を残しました。

一方、同時に参入した富山はスポンサー獲得に苦戦、苦しい経営状況の中での活動を余儀なくされ、成績も下から2位。(ゲビはアパッチでした(T△T) )
サラリーキャップ、ウェーバー式ドラフトで戦力均衡を図るbjリーグですが、やはり資金力によってチームの強弱が分かれる傾向が明らかになりました。

また、bjリーグは韓国プロリーグKBLと提携し、チャンピオンシップゲームを開催。大阪は2シーズン連覇を果たし、チャンピオンシップに出場しました。

2年目にはネットによる全試合中継配信を開始、民放BSでの専門番組もスタートして、本格的にお茶の間への進出が始まりました。
 
◎ストリートからの新しい流れ

オンコートとは別に、ストリートボール(ストリートバスケ)の世界にもプロリーグが誕生しました。
「Legend」は個人参戦で、3対3のピックアップゲーム(その都度メンバー組合せが違う)によるシーズンを行い、通算の勝利ポイントで個人チャンピオンを決定するという斬新なシステムを採用しています。
試合会場は固定せず、bjリーグ東京のホーム試合にあわせ、有明コロシアム前広場で開催したり、クラブを借り切って大音響とスポットライトの中で開催したり、大学や郊外ショッピングセンター内の広場や、新宿コマ劇場前の道路でもやってました!
 
通常の半分の大きさのコートで試合を行うため、小さいスペースでも開催できるという機動性。コートのラインギリギリまで客席を置き、JBLやbjリーグに劣らない迫力と一体感を演出するドラマ性。などなど、ストリートボールならではの魅力を存分に発揮して、都市部を中心に活動範囲を広げています。
 
他にも、プロ化はしていませんが2005年以前からストリートボールの大会は盛んになっており、とくに近年、90年代のブーム時とは一線を隔した、本格的な競技志向の試合も多く行われるようになりました。
代々木公園のALLDAY,足立、平塚、大阪のHOOP IN THE HOODなどハイレベルな大会が定期開催されてます。
 
このようなストリートのリーグ・大会を経由して、bjリーグのスターになる選手も表れるなど、日本バスケの新しい流れが生まれました。
 
※ 「HOOP IN THE HOOD」の開催地は、足立が決勝大会で、予選大会が平塚、大阪であるんだよ~、と教えて頂きましたので、追記修正いたしました(08.02.12)
ありがとうございました!
 
 
<模索の中で多様化した日本バスケ>

この2年間に、エリート選手を頂点とする「経験者の内輪社会」だった日本バスケが、一気に多様化しました。

bjリーグの隆盛、世界選手権の開催、ストリートプロの誕生。

それぞれがプライドと生き残りをかけて模索した結果、
「バスケを知らなかった人達」にその楽しさを知ってもらう新たなチャンネルがたくさん生まれました。

   

まだ、続きます。

日本バスケ地図 第1章 「現代」日本バスケ地図 21世紀版 (3)

 

2008/01/30

下記の図をクリックして、別のウィンドウで拡大表示しながら見ていただけると分かり易いと思います。(右クリックして「リンクを新しいウインドウで開く」)

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ていうか、私の文章だけでは構造が捉えにくいと思うので、ぜひ見て下さい。
お願い。お手数をお掛けして申し訳ないのですが。いつも苦労かけて悪いねぇ。

 
2007年 やっと日本のバスケが見えてきた。

 
◎協会「新リーグ」のスタート

旧JBLは、独自の計画にそってリーグのプロ化を画策していましたが、参加チームの親会社の賛同が得られず、プロ・アマ混合のオープンリーグで組織を再々編。
スーパーリーグ、日本リーグを再統合して「日本バスケットボールリーグ(JBL)」として将来的なプロ化を目指したリーグ運営を行うことを発表しました。(じゃ、スーパーリーグは何だったんだ?というツッコミが当然でると思いますが~。まあまあ。)

最大の特徴は興行権を各チームが持つことが可能になった事。
新潟や福岡の轍を踏まないために、各チームが独自に事業利益を上げることが出来るようになりました。またホームチームのみが演出を仕切ることをルール化し「ホームアンドアウェイ」を強調する工夫もしました。

新規参入チームを公募した結果、北海道に新規プロチーム「レラカムイ北海道」が誕生しJBL1部に参戦。また廃部した大塚商会アルファーズ(日本リーグ)を母体として、栃木にプロチーム「栃木ブレックス」が誕生し、JBL2部に参戦することになりました。(他に実業団リーグから「アイシンAW」が昇格。)

リーグパートナーとして大手広告代理店とキャラクター企業との提携を発表。
CS放送での試合中継も決まりました。

なかでもレラカムイ北海道は、ファン主体の地域密着運営を徹底。日本有数の起業家として名高いカリスマ社長の敏腕で、設立1年目とは到底思えない素晴しいチームを作りました。日本代表級の選手獲得にも成功し、ホームアリーナに4000人を動員するなど、一躍人気チームになりました。

しかし「新リーグ」と銘打ってスタートしたJBLですが、上記以外には旧JBLとの変更点が明確でなく、また多くの企業チームが興行権を拒否。協会主催の興行組織(JBO)に任せきりにして、旧JBLとの差別化を十分に図ろうとしないチームが出るなど、プロチームと企業チームの間に大きな温度差ができるという問題が発生しました。

プロ化に対するトーンダウンが否めないJBLの対応を受けて、スーパーリーグ当時からプロ化志向が強かったJBL1部の「OSGフェニックス東三河」が、2007年シーズンを最後にbjリーグに転籍する事を発表。シーズン前に脱退・転籍が承認されました。

 

◎bjリーグ 順調に発展。国際化に拍車。経営は苦戦が続く。

bjリーグは2008-2009年シーズンの新規参入チームとして、JBLから転籍の「OSGフェニックス東三河」「滋賀レイクスターズ」を発表し、リーグ発足当初の目標だった12チームを計画の2年前倒しで達成しました。
しかし他の地域からも参入の申し入れが後を絶たず、今期以降も更なるチーム拡張を継続することを決定。

海外リーグの交流も積極的に実施し、KBLとのチャンピオンシップをはじめ、台湾の夏季プロリーグへのチーム派遣、ユーロリーグとの接触などなど、活動範囲の国際化に拍車がかかっています。
海外からの大口スポンサー契約も発表されました。日本のプロスポーツリーグとして海外資本を導入したケースは初。
またその資金を活用して米法人「bjインターナショナル」を設立。選手・審判の強化や、アメリカバスケット界との交流事業を展開するとのことです。

選手によるクリニック実施やイベント参加など、地道な営業努力の成果が上がり、地域での認知度は徐々に上がっていて、NHK地方局では地上波での中継も行われるようになりました。

外国人選手以上に存在感を発揮する日本人選手が次々と育っており、強化、運営ともに軌道に乗りつつあります。

しかしながら各チームの経営に関しては苦戦が続いており、
3シーズン目も単年度で黒字経営のチームは半分に満たない見込みとのこと。
 
 
◎日本協会 問題表面化で大混乱

JBL及びJBAの組織改変を終えた日本協会ですが、現在深刻な分裂状態に陥っています。執行部派と反執行部派に分裂し、反執行部派のボイコットで評議会が開催できず、議会が機能していません。

前回エントリーでも書きましたが、JOC(日本オリンピック委員会)による制裁と指導が決まっています。

発端は2006年に開催された世界選手権の収支決算で、13億の赤字が発生したことでした。協会と広告代理店にて運営責任を折半し、協会執行部は2007年度の予算から6億円を支払うとして、その財源を「競技登録者から毎年徴収している登録料の内部保留から充当する」という補正予算案を発表しました。

日本協会は公式認定する大会の出場資格として、競技者登録と登録料の納入を競技者に義務付けていて、その資金は本来、全国のバスケット競技者の支援、代表強化、協議普及のため等に分配されるべきものです。
執行部の出した予算案に納得できないという評議員が続出し、補正予算案は反対33 賛成21で棄却されました。

この評議会の動きに対して、執行部は突如評議員を56名から80名に増員することを発表。さらに、これを「賛成多数をごり押しするための工作」と批判した評議員3名を一方的に資格停止とするなど、強引な対処を推し進めたため評議会は反発。執行部人事の刷新を求めて、議会のボイコット運動が始まりました。
評議会は定員の3分の2以上が出席しなければ無効となり、予算審議は紛糾が続きました。

8月に高知で開催したアジアオリンピック予選は、予算が通らないまま地方財源と寄付、地元ボランティアの協力によって、なんとか開催にこぎつけました。
しかし、強化が不十分だったため、頼みの日本代表が8位惨敗と、過去最低の成績におわってしまいました。
 
(アジア予選開催のニュースなど少しも流さなかったマスメディアは、8位敗退が決まったときだけ嬉々として「日本バスケ、あらゆる球技のなかで一番早くオリンピック不出場が決定」と書き立て、私は本当に悔しい思いをしました。
この報道の仕方を見た選手当人達の悔しさはいかばかりかと思うと、ぜってー忘れねーからなこのクソマスコミが!!と少々お下品にならざるを得ませんでした。逆恨みっちゃぁ逆恨みなんですがね。。)

2007年11月に人事刷新を条件にやっと予算は通ったものの、役員人事を巡って再び紛糾。2008年になっても事態は改善せず、JOCの人事指導を受けるまでに至りました。

女子日本代表がオリンピック最終予選(世界予選)を残していますが、このまま紛糾が続けばJOCの制裁として認定団体の解除処置を受ける可能性もあり、そうなれば、もし女子代表が世界予選を突破しても出場権が得られないという事態も起こり得るのです。さあ大変。

 
  現在、日本協会はJOCの指導のもと新執行部役員人事を行っています。

 

日本バスケ地図 第1章まとめ
 

ここまで2000年~2007年までの日本バスケの状況について、とうとうと書かせて頂きました。
盛り沢山の現代日本バスケ事情について書こうとすると、どうしてもJBLやbjリーグのことがメインになってしまうので、実業団や、クラブチームの事情についてはほとんど書けませんでした。
ここまで読んでくれた方で、実業団やクラブチームに関係の深い方がいらっしゃいましたら、大変失礼を致しました。後ほど機会を設けて書かせて頂きたいと思います。

今回は話のベクトルが分散しないようにするだけで精一杯でした(^^;
ただ、それだけここ数年の日本バスケ界は活性化しているんだなぁと、改めて感じました。

 
<問題の表面化=活性化の証=正常化への過渡期>

 
「日本バスケ地図 21世紀版(男子一般)」 を見ていただいて分かるとおり、
2004年を契機に日本のバスケ界が一気に騒がしくなっています。

騒がしさの強さにあわせて、普段の生活の中でバスケに関するニュースや映像を見たり聞いたりする機会が確実に増えてきています。今回最後に書かせて頂いた日本協会の大変な状況も、最近急にニュースとして取り上げられる機会が多くなりました。

しかしこれらの問題はここに来て急に発生したという事ではなく、長年に渡って底の方に積もり続けた問題の数々が、バスケ界の活性化によって表面に浮かんで来ただけのこと。

それまでは、マイナースポーツの統括協会だっために世論の関心が極めて低く、問題が起きてもニュースにならないので、内々に処理できていただけ。

単に誰も関心を持って見ないから、見えなかっただけ。
 
と私は捉えています。
 
bjリーグの独立をきっかけに、それまで縮む一方であった日本バスケ界が一気に拡張に転じています。

Jリーグ誕生時のようなメディアの強烈なバックアップがあったわけではありません。
バレーボール代表戦のようにアイドルグループの応援があるわけでもありません。
 
集客について、bjとJBLで客を取り合ってると言われることがありますが、現場で感じる事はむしろ逆です。
お互いにお客さんを増やしあっているとしか思えません。
 
全てはバスケに関わる全ての人が持っているエネルギーが、本来あるべき方向に動き始めたということだと思います。私自信もそうだからです。

こうやって俯瞰すると、このバスケ地図に関わっている全ての人が、バスケに対して何かしらのエネルギーをつぎ込む姿が見えてきます。

色々と批判の的になっているエライ人達だってそうです。大人の事情はもちろんあるでしょうが、もっと良くしたい、もっと広げたい、という思いを感じます。

問題が起きているのは、その方法論が時代に合わず噛み合わなくなってしまっているだけで、気持ちの根っこでは同じベクトルをもっているのだと思います。

「BASKETBALL FOR ALL」 (新JBL設立時のスローガン)
「バスケがしたい」         (bjリーグのスローガン)
「バスケに恩返しして欲しい」   (中学の監督の遺言)
「先生、バスケがしたいです。」  (某神マンガの名ゼリフ)
「先生、バスケが足りません。」  (上をパクった本コラムのタイトル)

 
私を動かしたバスケの言葉、考えてみたら全部「広げる言葉」なんですよね。
余計なのが一個混じってますが、どれかは皆さんも聞いたことがあるんじゃないでしょうか?
 
過渡期を経て日本のバスケがジャンプアップするには、膨大なエネルギーが必要になります。bjリーグを応援するようになっていつも思うのは、

そのエネルギーは十分すぎるほど溜まってるな。ってこと。
  
あとはそのエネルギーを正しく発散するだけなんですよね。
 
発散の方法を間違わないように、そのエネルギーがどこからどうやって溜まってきたのか、次回の記事で紐解いてみましょう。
 
長ったらしい話に付き合って頂き、ホントにありがとうございました。個人の調査範囲で書いておりますので、間違いや抜けが多々あると思います。お気付きになられましたら、ぜひぜひご指摘をお願い致します。

次回 日本バスケ地図 第2章 「過去」小さな幸せを襲った地殻変動
 
よろぴく。
 

2008/01/25

とうとう書かねばならぬ時が来たようだ。

全てのバスケ馬鹿と、全てのバスケ馬鹿以外の皆様に、
愛と希望と余計な何かを込めてお送りします。
 

特別企画 「日本バスケ地図」
 
 
今回から4回シリーズで、日本のバスケットの現状について、
ワタクシなりに皆様にお伝えしようと思います。
 

近頃のニュースで

「JOC、混乱が続くバスケット協会に介入」とか、
「分裂状態にある日本バスケット界」など、

バスケに関する報道を目にしたことはありませんか?
 
現在、日本バスケットボール協会は、2006年に日本で開催されたバスケ世界選手権の巨額赤字処理問題をきっかけに、執行部派と反執行部派が人事を巡って対立し、まともな運営が出来ておりません。
 
反執行部派の評議員は評議会のボイコットを続けており、有効出席者数を満足できないため、今年度の評議会は7回連続で流会しています。長年にわたり愚鈍な運営を続けてきた現執行部に対し、流会をもって責任を取ることを突きつけているものと考えられます。
(どのニュースも内容がすごく浅いので、経緯から想定するよりない。)

しかし、そんなこんなで年末になっても今年度の予算も決まらないという異常事態に、とうとうJOC(日本オリンピック委員会)が指導に乗り出しました。6度目の評議会流会のとき、バスケ協会はすでに強化費用1100万円の支給取りやめという制裁処分を受けています。
JOCは7度目の流会を受け、今回さらなる処分と役員人事に関する直接介入を決定しました。

まー、大変な状況ですよね。
もしバスケ協会がJOCから除名処分でもうけようものなら、まだ世界予選を残している女子日本代表が、どんなに頑張って五輪の出場資格をとってもオリンピックに派遣されない、という事態もあるかもしれません。

このニュースを知った方の見解として、「日本のバスケ界が(分裂・混迷によって)救いようのない状況に陥っている。夢も希望もない。そもそもバスケなんて体が小さい日本人にあわない競技は~・・・」というものお見受けしたりするのですが、まあ、しょうがないですよね。

組織正常化に向けての一時的な混乱ではあるのですが、パッと見、エライさん同士で何かの利権を争っての権力闘争にも見えますもの。(一部の報道はわざわざそうミスリードさせようとしているのでは?というのもあります。)
そして国際的に弱いのもバッチリ事実。

しかし!!「絶好調~!」とは言えないけど、「日本バスケ界は今やっと良い方向に進み始めたとこなんですよ!!」という事をご理解して頂きたいのです。はい。
 

また、先回の記事で書いた「天皇杯にbjリーグのチームはでられない」という事情など、ここ数年のバスケット界の構造が複雑すぎて「ニュースを聞いてもよく分からない。」と、いう声も多く頂きましたので、日本バスケに関心をもって頂くためにも、現状を分かり易くお話させていただく必要があるな、と思いまして。はい。

日本バスケ地図、まずはここから始めます。
 
バスケ、イマ、「過渡期」
  
あるきっかけにより大きなパラダイムシフトがおきて、社会全体がジャンプアップしようとするとき「混乱の時期」は必ず発生します。日本バスケは、今まさにその時、歴史が動いてる瞬間なのです。
 
とはいえ動いてる歴史は常に微妙な問題を含むもの、あまり憶測で細かいことは言えないので、岐路にたつ日本バスケ界の状況をミュージカル調にお話します。

それではお聞き下さい。  

日本バスケ地図 序章  ミュージカル 「カトキ」
 
 
 道は険しい~♪
 しかし~決して怯んではならぬ~♪

 たれこめる雲間から~かすかな光が~、
 我々の道を~確かに照らしている~♪

 平穏の日々を~省みてはならぬ~♪
 それは~、沈みゆく黄昏の薄闇に~♪

 ただただ~♪
 ただただ~♪
 ただただ~~~♪

 まどろんで~いーたーだーけーーー♪
 
 己の立つその場所が、
 険しい道の剣先である事さえ知らず~♪

 たたずんで~いーたーだーけーーー♪
 
 さあ!今~~パンドラの箱は開かれた!
  
 恐ろしい災いがごうごうと降りかかるだろう~♪
 それはそれは凄い感じでごうごうと降りかかるだろう~♪
 人々は~悲しみに~くれるやもしれぬ~。憎しみ合うやもしれぬ~

 だが!! 歩みをとめてはならぬ~♪ 誰も寝てはならぬ~♪

 災いの箱から~、最後に放たれたひとすじの光~♪
 かすかなその輝きは~♪

 それは~♪
 それは~~♪
 それは~~~♪

 それは「希望」~♪
 
 
 希望があれば何でも出来る~♪恐れることはない~~♪ 

 今まさにカトキ~~♪

 カトキ~♪ カトキ~♪ カトキ~♪
 
 カ~ト~キ~○~~♪

katokichi.gif
 
とにかく、悲観するこっちゃないのさ~♪

  

  日本バスケ地図 序章  完
 

次回からの予定

第1章 「現代」日本バスケ地図 21世紀版
第2章 「過去」小さな幸せを襲った地殻変動
最終章 「未来」終わらない熱狂

あの。。次回からは割りとちゃんとしますので、 

序章ですっかりあきれたなんて言わずに、どうか宜しくお願いします。

  

あ、ちなみに先週末の東京アパッチは、新潟アルビレックスBBとのリベンジ戦で、
いいとこナシの2連敗。3位転落。これで新潟戦は4連敗ですよ。

しかも絶対的司令塔の青木康平が怪我。
彼なしの体制を作るためかスタメンも迷走気味。

アパッチもカトキなのか?

なら希望はあるさ。きっと。いや、たぶん。いや、おそらく。

いや、お願いだから。マ~ジ~で~♪
 

2008/01/15

割と挑戦的なタイトルですが、とくに思想上の主張とかはないのでまあ軽く流してね(ハアト

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1月1日は「絶対に一歩たりとも外にでない」と誓い、
布団の中からさえ出なかったという、とても意思の強い私を褒めても一向に差し支えありません。

休日出勤の申請をしていた日さえ、その誓いを守り通し布団を出なかったんですから、
相当なもんですよね!!
ダメ人間っぷりが。。
 
あけましてこんにちわ!(正月度 残50%)
まだまだ正月気分をキープしているフィルコです。
 
しかし日本の正月はスポーツイベントが沢山ありますわね~。
高校サッカー、高校ラグビー、箱根駅伝、サッカー天皇杯などなど、
もはや日本の冬の風物詩になってます。
今回はそのスポーツビッグイベントの一つ。去る1月14日に決勝戦が行われた「天皇杯」のお話。

決勝戦の結果:

アイシン・シーホース(JBL1位) 85 VS 82 トヨタ自動車・アルバルク(JBL2位)

リーグ戦1位のアイシンが、息詰まるシーソーゲームを制し3年ぶり5回目の優勝を果たしました。

アイシンの桜木ジェイアールが、34点18リバウンドの大暴れ!
第4Q残1分40秒、トヨタのベテランセンター古田のシュートで逆転に成功するが、
桜木がインサイドで粘りアイシンが再び逆転、そのまま逃げ切り栄光を掴んだ。

国内最高峰トーナメントの名に相応しい緊迫した好ゲームに超満員の代々木第2体育館は大興奮!!
あまりの熱気に体育館の屋根から多量の遠赤外線が放射され、上空を飛ぶ鳥がいい感じにこんがり焼けたとか焼けなかったとか!!

そうなると「タレ派」と「しお派」の争いにもガゼン注目ですよね!

ちなみに私は「柚子胡椒派」です。
  
 
・・えー、、、皆さんついて来てます(^^;?

あ、これバスケの天皇杯の話なんでけど、そもそもご存知ですか?バスケの天皇杯。
正式名は、「全日本総合バスケットボール選手権大会」

日本協会に所属する中学生以上の全てのチームに出場資格があり、高校や一般クラブチームから、プロ、実業団のトップチームまでが参加する完全オープントーナメント。
日本では一番権威のある大会です

たま~に「日本のバスケは歴史が浅い」と認識している方にお会いするのですが、

実は歴史はかなり古いです。

この大会は1921年(大正10年)に第1回大会が開催されており、
先の大戦で一時中断した以外は、綿々とその歴史を積み重ねています。

バスケの誕生が1891年12月21日(バスケは誕生日があるスポーツ!)
日本に紹介されたのが1908年。

それからたった13年後には、正式な全国大会が開かれたという事ですね。
実際に大ブームがおきたようで、モダンでイカシたスポーツとして大学、旧制中学を中心に爆発的に普及したそうです。
1926年には文部省の正式な体育科目に認定されてまして、各学校の講堂や校庭にゴールが設置され、普及に拍車が掛かったとの事。

現在、国内のほぼ全ての体育館にバスケのゴールがあるのは、こういう歴史があるからなんですね。
 
 
話は戻りまして~、このバスケ天皇杯。面白い特徴がありました。

「日本国籍を有する選手によるオープントーナメント」ひらたく言えば「外国人は出られない大会」

JBLにしてもbjリーグにしても、トップリーグのチームでは必ず外国人選手が主力としてプレーしています。なもんで、各チームは所属する日本人選手だけでメンバーを再構成してこの大会に臨まなくてはいけません。

普段プレータイムの機会が少ない日本人選手にとってアピールする最大のチャンスだし、組織プレーに秀でた学生チームが実業団チームを負かしてしまうことも結構あったりするので、選手も観客も毎度異様なテンションで盛り上がります!!

ところが、「面白い特徴がありました。」とわざわざ過去形で書いてるように、
今回から事情が変わりました。外国人の出場もコート上1名に限りOKになったんです。

たいしたこと無いように思えますが、
実はこれは、この大会の存在意義が劇的に変わった事を意味しています。

この大会は「真の日本一決定戦」を志向する大会に変わったという事です。

来期からJBLはコート上の外国人選手を1名に制限する新ルールを施行します。
(今期までは2名。bjリーグは制限なし。)

つまり今後の天皇杯は、トップリーグJBLのチームにとって「普段の戦力でそのまま戦うカップ戦」となるので、「日本人選手の桧舞台」から「真の日本一決定戦」に存在意義を変えたと言えるわけ。

しかしだねぇ。
この動きに対して、私は「え~(-Д-)ツマンネ」という態度を表明しますよ。意外ですか?

普段bjリーグの外国人無制限制度を賞賛してはばからないワタクシですが、
だからこそ天皇杯は「日本人選手の桧舞台」として区別しておきたかったんです。

普段のリーグは、国籍無制限のハングリーな環境でガツガツやって、
権威ある天皇杯は、日本人選手に具体的な誇りとモチベーションを与える大会として残して欲しかった。

せめてbjリーグのチームが参加できるようになるまでは。

はい。現在この大会にはbjリーグのチームは出られません。
バスケ協会から登録を許されていないんです。

えぇぇぇぇ!? なんで!?

それはまた次回のお話。「日本バスケ地図」

2008/01/09

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北半球のお正月は冬です。南半球のお正月は夏です。不思議です。
そんな地球のお正月、皆様いかがお過ごしになりましたでしょうか?

新年あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。

やっと始動です。 bjリーグも正月休暇を終えて再開しました!
我らが東京アパッチは早速1月5日(土)、6日(日)と2連戦を新潟で戦ってきましてね、
「新潟アルビレックスBB」と。。ええ、はい。見事な連敗でした。

GAME1: 新潟 100 VS 85 東京

新潟のベテラン勢にウマ~くコントロールされ、カッカしちゃって自滅敗戦。 ジョーHCが審判への執拗な抗議で退場するという、テレビ的にはオイシイおまけ付き。 そんなんイランのじゃぁ!!

GAME2: 新潟 89 VS 80 東京

167cmの青木康平が31得点の大奮闘を見せるも、 絶対的エース、ジョン”ヘリコプター”ハンフリーが大ブレーキで機能せず。 息詰まる接戦だったが、第4Qでまたも新潟ベテラン勢にヒネられ突き放される。 惜しかったけど、完全なヘタレ負けじゃブビビビビビー!

 

はぁーい!JUNKSTAGEファンの良い子はもう分かったかな~!?

本誌の人気ライター、後援会員さんのコラム「FROM新潟」でも、鋭く、それでいて愛のあるレポートでお送りされている一戦のお話でございます。

いや~、氏のコラムはいつ読んでもホントに勉強になりますけれど悔しいぃぃぃ。。
かつて氏は、アルビBBファンを中心に絶大な人気を誇ったバスケブログを書かれていて、かく言う私もbjリーグ創立当初から愛読させて頂いておりまして、JUNKでも如何なく発揮されているその的確かつ気さくな文章に、私はいつもいつも感嘆するばかりなのですけれど悔しいぃぃぃ。。

なにげにアパッチに少し気を使って書かれていているようにも感じ、(たぶん考え過ぎですが)なんだかワケの分からん焦燥感に駆られておる33歳の冬であります。

とにかくこれで東京と新潟はゲーム差なしの東カンファレンス2位と3位。優勝を決めるプレーオフには、1位のチームは無条件で出場。2位と3位のチームはワイルドカードゲームで出場権を争います。
はい。完全にデッドヒートに突入です。

東京アパッチは、何が飛び出るか分からない「お祭りビックリバスケ」が身上。
新潟アルビBBは、実直に守り、実直に攻める「質実剛健バスケ」が身上。

バスケ文化が水と油のようにかけ離れた両チーム。プレーオフ出場をかけて血で血を洗う争いになりそうな予感がビンビン物語です。ちなみに血で血を洗っても落ちません。無論、油も落ちませんので、血のご利用方法には十分注意して下さい。
 
  
ところで、そんな両チームの強烈ブースターを同じ屋根の下で飼っているこのJUNKSTAGE。
いったい私たちをどうするつもりなのか。

俺は、俺は、、試合の度にこうやってたまらずイジッてしまいそうです。
彼は私の事どう思ってるのかしら、、ってか読んでくれてるのかしら。

「バスケ馬鹿」という確かな絆で繋がっているのに、応援するチームが違うばかりに素直になれないワ・タ・シ。

アルビBBのことは、bj創設ばかりか、日本バスケの未来を築いた奇跡のチームとして、心から尊敬しているのに、「広瀬(監督)がウルせぇ。」とかひどいことを言っちゃいそうなワ・タ・シ。

お互いの存在に気を使いつつ、シーズンが佳境になればなるほど激しくなるこの両チームの争いに、だんだん理性の押さえが効かなくなってしまう可能性、

         ハッキリ言って∞(無限大)!イエイ!
 
 

bjリーグがプレーオフを終える春。JUNKのINDEXページは真っ赤な鮮血に染まってしまうのか!?それとも・・・!!ライバルブースター同士が織り成す複雑な人間模様から、あなたはもう目が離せない!当事者が言ってるんだから間違いない!!ていうか見て!もっと見てぇぇ!!

ま、そんな楽しみ方もあるJUNKSTAGEを、2008年も宜しくお願いしますね。
  

しかし新年早々、ま~た凄いライターが増えたな~。
どっから連れて来るんだろう。(^^;