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2009/07/30

今、輝いている女性に会いたい、お話を聞きたい――そんな思いからJunkStage女子スタッフが各界をリードする女性にインタビューをするこちらの企画。第2回目のゲストは、DJ・歌手の西任白鵠(にしとあきこ)さん。
経歴や仕事への思いを伺った前回に引き続き、後編の今回では彼女がFM802のDJをしながら行っていたという、少年院での面接員のボランティア活動について伺いました。 nishito4.jpg

■少年院「篤志面接員」という仕事
西任さんが25歳、FM802の仕事で東京と大阪を往復していたときのこと。木曜日の夕方と金曜日の夜にDJの仕事が入っていたため、金曜日の昼間が空いていた。その時間を使って西任さんは、少年院でのボランティアを始めた。
新聞記事をきっかけに知った、「篤志面接員」の存在。それは、法務省が設営した制度で、少年院の少年少女たちと、刑務員のような「評価」が発生しない利害関係のない立場から悩みを聞いたり話をしたりするもの。新聞記事の中では、現在は篤志面接員は、校長先生や牧師さんなどの高齢者が多く、若手が求められていると書いてあった。
その頃西任さんは、かねてから考えていた「なぜ自分はここにいるのか」「どうして生きているのか」という答えを見つけられずにいたという。誰もが一度は思い悩むことであるが、西任さんはその育った環境や人一倍の完璧主義から、とくにその悩みは大きく、何をしていてもいつも心のどこかに漠然とした不安があったという。
「DJとして一定の評価はされていたのかもしれないけれど、ラジオは、言ってしまえばエンターテイメント。医療や福祉のように直接的に誰かの役に立つ類のものではない。勿論ラジオを聴いて元気になりましたとか、登校拒否が直りましたとか、泣くほど嬉しいお便りもあったんですが、それでは足りない気がしていました。ずっと自分に自信がなかったから、直接的に役立てると生かされている気がして、安心できるじゃないですか。」
DJとしての経験を生かし、点字図書館に寄付するための朗読書を制作するボランティアを検討したこともあったが、余りに多い研修などのシステムに挫折。そんな折に、この篤志面接員の新聞記事に出会ったのだった。西任さんは片っ端から少年院に電話をするものの、「募集はしていない」と全滅。未成年犯罪者ということもあり、厳重にプライバシーを守れるという保障のある、身元の確実な人間しか採用できないため、紹介制になっていたのだった。
しかしまた縁があり、読売新聞で西任さんが取材を受けた記事をきっかけに少年院の側からアプローチがあり、西任さんは特例的にこの篤志面接員に採用されることになったのだった。

■子どもたちへの共感
西任さんが担当したのは、「出院準備寮」の少年たち。少年院は、出院までの期間を3つに分けており、出院を目前に控えた出院準備寮の少年たちは、生活する寮も変わり、驚くほどに人柄も変わっているのだという。
勢いで応募してみたものの、心理学の勉強経験などもなく、当時25歳の西任さんに、ほかの篤志面接員のように人生を語れるほどの引き出しもない。何ができるだろうか、と不安にもなったというが、篤志面接員の仕事は説教や薀蓄を垂れることではない。西任さんは、仕事でインタビューをしたアーティストの話や、仕事で行った旅行の話、見た映画のことなど、本当にとりとめもないことを話した。しかし西任さんは彼らと接しながら、驚くほどに違和感を感じなかったのだという。
「心のやり場がないんですよね。私が彼らくらいの年のときに感じていた、“自分はどうしたらいいのか、どう生きればいいのか”という悩みはまったく同じだった。彼らと私とでは、結果は違ったけれども、原因は一緒なんです。私の場合も、周りには話せない大人しかいなかったし、親も先生もそうだった。学校がすべてじゃないよって言ってくれる大人がひとりでもいたら違っただろうなって思ったんです。もう大きい子になると当時の私と5歳くらいしか違わないのですが、あなたたちの生きている世界は本当に狭い世界で、本当はステキな大人もたくさんいてこれからどんどんそういう人に出会えるんだよ、っていう、私自身が感じて救われてきたことを少しでも伝えられれば、と思ってやっていました。」
彼らにとって、西任さんのような人は「周りにいなかった人種」。『母親はずっと刑務所で、彼女はヤク中で売春の毎日。女なんて最低な生き物だと思っていたけれども、女の人は守るものなのだと感じた。すぐには無理でも、これからは少しでも早く、守れる男になっていきたい』という手紙を貰ったこともあったという。
西任さんが彼らに向けて紡いだ言葉は、まさに西任さん自身が彼らの歳のときに誰かに言って欲しかった言葉だった。このボランティアは、「誰かのため」と思って始めたことながら、結果的には西任さん自身の痛みが癒えることとなったのだった。

■生かされて、生きる。
西任さんのお気に入りだという、故マイケル・ジャクソンの『Man in the Mirror』には、こんな歌詞が出て来る。
『世の中を変えようと思ったら、まず鏡の中に映っているその人(=自分)から始めよう』
DJの仕事をする中で、ビジネス界、アート界の第一線の人々をゲストに招くことも多かった西任さんだが、彼ら「成功者」に共通していたことは「命が有限であるということを常に考えている」ということだったという。常に、今晩死んでも悔いはない生き方をしているから、毎日が輝くのだ、と。
「輝いている彼らを見ながら、学ぶ、毎日を生きるっていうのはそういうことなんだと思いました。毎日、昨日の自分とは違う、そういう自分でありたい。」
自分に自信がないからなんですが、と繰り返しながら、西任さんはしきりに「何かを残したい」と繰り返す。
「いいものを持っている人はたくさんいるけれども、それを“伝える”ことができたら、その人だけのものではなくて社会の財産になる。私のもつ“喋ること”の技術を広く伝えることによって、そういった社会の財産をひとつでも多く作ることができれば。肉体は滅びていつかなくなってしまうけれど、生きていく中でいろんな人と出会って、もらった知恵を次の世代につなげていくことが、命をつなぐっていうことなんじゃないかな…」

でもまだ、なんのために生きているのかはわからないけど――と付け加える西任さんに、それがわかっちゃったら、逆に生きている意味がなくなってしまうのかもしれないな、と思った私。
悪く言えば「なりゆきまかせ」ということになるのかもしれないが、それは1人ではなく、周りの影響力を一身に受けて生きていくほうを取った彼女の選択。これから何人分もの人生を吸収しながら生きるのであろう西任さんに、僭越ながらすこしだけ、やっぱり多くの“他人”との出会いによって目の前の世界が拓け、JunkStageを立ち上げた頃の自分の初心を重ねてみた。

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西任白鵠(にしと・あきこ)
大阪生まれ、福岡県育ちの女性DJ、歌手。歯切れの良い話し方と堪能な英語を生かした番組進行には定評があり、ラジオ番組のDJや各種イベントの司会・進行で活躍。慶應義塾大学総合政策学部卒業。所属プロダクションはFM BIRD。FM 802の他、TOKYO FM、NACK5、FM yokohama、FM-FUJI、JFNの全国ネットの番組などでラジオ番組を担当。NHK BS2やGyaOなどのテレビでもコメンテイターを務める。歌手としても2001年にシングルCD、2006年にアルバム『If you go away』をリリース。

(聞き手、文責:須藤優)

2009/07/30 12:10 | yuu, ・世界を変える女性たち | No Comments

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