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2011/09/12

本日。いえ、日付上は昨日。
JunkStageの一大イベント、第3回公演が終わりました。
携帯の電波が圏外で、現代においては逆に包囲状態になったあの会場で
時間をともにできたお客様、出演者の皆さん、本当にどうもありがとうございます。

わたしはこの公演で、Junkとしても、個人的にも、多くのものを得ました。
「JunkStageってなんなの?」と1年に100回くらい聞かれて、かわし方は覚えても、
うまく答えられなかったものに、ひとつの「解」を与えられた気がしています。

前日、総合演出のスギさんのコラムを読み返していました。
そして、そういえば、サスペンス調だった予定を、311のあの日をきっかけに
物語の方向性を随分変えたことを思い出しました。
スギさんは、ちょっと言葉じりをまとめてますが、このようなことを書いてくれていました。

「今よりも未来について考えるようになった。大きな地球からすれば私たちなんてちっぽけで、
 でも100年後、1000年後、この地球がもっと住みやすい場所になっていてほしい。
 そのためにわたしができることはなんだろう、もしかしたら演劇しかないかもしれない。」

わたしはこれが、JunkStageというものの、正解ではないかもしれないけど解だと思いました。

結局人間なんて万能なわけないし、だから自分のなかで「これ」っていうもので生きるしかない。
JunkStageに居るのは、「俺は、私は、コレで生きていく」というひとつの芯をもち、そこには
「わたしはこういう人間です。この分野でしか、ドメインをもてません」という潔さを持った人達。

それから今度は、出演者のライターのコラムを、一番最初から読み返しました。
(そのせいで遅刻したんです、という言い訳記事ではございません、念のため。)

「これだけは」という何かを持てることが、どんなに幸せで、尊いことか。
それは自分ひとりの力ではなくて、いろんな人に会い、いろんな局面で選択を迫られ、
いろんな運命に導かれてひらかれた結果である道なのだと、あらためて気づきました。
そしてつまり、その道を以って生きていくということは、
自分ひとりで生きてるんじゃないんだ、ということも。

そういうものも全部ひっくるめて、結果その人にしかできないものを表現すること。
それが、人の心を打つのではないでしょうか。

「板(=舞台)の上にいる理由」が、ひとりひとりに、かならずある。
少なくとも、「技術」や「上手下手」“だけ”がものを言うのではない世界を、
きちんと形にして見せたいと、様々な人の情熱に触れるたびに私は思ってきたのだなあ、きっと、
…ということを、自分ですらいま、感じています。

裏方としてはできることなんて特に当日になってしまえばせいぜい力仕事の微々たるもので、
せいぜい、ゲネプロのときに主演が間違えていた台詞のところで本番、
「ジーザス!」並に祈ったりすることくらいしかできないんだけれども。

「わたしがもし世界を変えられるのだとしたら、それは、●●を通じてしか、ないだろう」
●●、にあてはまるものをまだ持てていない、わたしだから尚更なのかもしれませんが。
だいじに生きなければならないのだと、本当に思い、
そして、出演者ひとりひとりから、ものすごい人間くささをもらいました。

ゆかりさんの、ひたすらにまっすぐな演劇というものに向き合う気持ち。
イトウさんの、頑固なまでに妥協をゆるさないこまかい性格。
廣川さんエイミーさんの「大人なのに遊ばないなんて楽しまないなんてつまんない」っていう姿。
「空気」ってもんが目に見えた気がした、場をつかんで離さない、王子・神さんのオーラ。
周りまでぱっと明るくしてくれる、希彩さん(←字の通り!)のもつ雰囲気。
なによりも自分が楽しんでいることで見ているほうの鼓動を上げる、竜半さんの笑顔。
安樹子さんのもつ、ひとつひとつの音とその周辺の人間くさーいものを大事にするナマな演奏。
そしてそれらを、決してギラギラせずことごとく引き出していったスギさんのスマートな仕事人魂。

駆けつけてくれたJunkライターの皆さんにも、ありがとう。

そして何よりもお客様に。
ご来場、本当にありがとうございました。
お1人1人とお話をさせていただくことは叶いませんでしたが。

JunkStageはこれからも、…前に進みます。

02:03 | yuu | No Comments
2011/08/29

JunkStageの第3回公演。 
http://www.junkstage.com/110911/ 
とうとう2週間を切りました。 

いつも、これが最後になる、と思ってやっていたり、します。 
JunkStageは、よく会社組織に間違われますが、 
れっきとした趣味集団です。(いばるな) 

保障などなにもないし、 
うまくいかなくて「次」を待ってもらえるほど、原資もない。 
赤字を出せば即打ち切りだし、その「赤」は金銭の問題だけでは、ない。 

ただ今回、総合プロデューサーなんておこがましい名称のもと、
本当にやりたかったことを、やらせてもらえています。
これは、私自身がJunkStageで何をやりたかったのか、
考え直すきっかけにもなりました。 

今までのJunkの公演は、「お披露目」であり、「文化祭」でした。 
もちろんそれは根本の目的でした。 
しかし、それ以上、を期待してくれている方々(―Junkを「会社組織」ととらえる方)にとって、
つまり「会社組織」でないゆえの「それ以上」を求める方には 
「がっかりした。」という意見をもらったことも、事実でした。 

そんなJunkの公演が、今回、ひとつ、垢抜けました。 
キチっと脚本を上げ、そして演出家としての「あるべき姿」である 
数々の難題と(いい意味での)ワガママを投げかけてくるスギタクミさんは、 
Junkのライターでありながら、一定期間拘束するのが難しいほど人気の女流作家。 
そんなスギさんに引っ張られるように、 
前回までは、舞台の前日にあがった脚本を消化、昇華していた 
帯金ゆかり、イトウシンタロウという、これまたJunkライターであるところの 
女優、俳優は、初日稽古の際にすでにすべての台詞と動きが入っていたといいます。
これまでの公演との、クオリティでなく、”種類”の違いを、感じました。
かれらは、この公演を、「パフォーマンス」ではなく、ひと作品にしようとしている。

それは、「演劇人」からすれば当たり前のことで、
Junkにとってみれば、新たな試みでした。 

ゆかりは言います。 
「単独主演なんて、イトウさんも私もなかなかない!」 
対するスギさんは、そんな気合たっぷりな2人に安堵感をおぼえた、 
というブログを書いています。 

JunkStageをはじめた自分の原点に戻る感覚を、私は覚えました。 

あるべき人間が、あるべき場所へおさまること。 
それは、想像以上に難しいことです。 
世の中の理解が足りなかったり(つまりそれはプレゼンスの能力の問題ですが) 
ある才能を持ったアーティストが、「世に広く認められること」に対して、興味を持っていなかったりする。 
そういった、才能と世の中をつなぐ場所として、わたしはJunkStageをはじめました。 
公演でも、商品のようなプロダクトでもいい。 
「モノ」をつくりださなければ、そんな忸怩たる思いにひとつの選択肢を投げかけることすらできないのです。 

舞台活動の1年の中断は、JunkStageにとっては大きいものでした。 
リピートしてくれたお客様はもうほとんど、目を向けてはくれません。 
われながら、気合的にではなくほんとうに、これが最後になるだろう、と思っています。 

でも、よかった、と、おもいます。 

なぜなら、スギさんの脚本が、抜群にいい。 
スギさんが描いてくれたのは、Junkの未来でした。 
あまりにシンクロして、わたしは恐怖すら、覚えたけれど。 
そして出演者ひとりひとりに、解釈の「のりしろ」のある脚本。 

最初。 
わたしはこの脚本を読んだとき、なんだか物足りなく感じました。 
誤解をおそれず言うのならば、対象のはっきりしない靄。 
ただそれが、日数を追うごとに、色を得ていきました。 

それは、主演のふたりの動きによって。 
出演者によって読まれたせりふによって。 
この公演のために書き下ろされた楽曲によって。 
この舞台は、本は、急速に色を持っていきました。 

そこでわたしは、気づいたのです。
これが、「出演者」がともに作っていくまっさらな原稿用紙なのだと。
出演者自身が面白くなければ舞台も面白くなんてならないし、
出演者が面白ければこの舞台はどうにでも化ける。

それは、JunkStageがあるべき姿そのものでした。

作・演出・スギタクミがさんそこまで考え、「潜在能力を引き出す」能によるものなのであれば、 
わたしはもはや、戦慄しか覚えません。 

いずれにしてもこの公演は、 
JunkStageにとって、最初で最後の公演になる。 

そして、わたしがやりたかった、JunkStageというものを 
わたしは、スギさんに教えられることになるのだろう、とおもいます。 

成功を祈って――いままでならそう表現していたかもしれない。 
成功は確実でした。 
音のキッカケが合わないとか、リハーサルが不十分な出演者の不自然な舞台上の動きとか。 
舞台の成功とは、そういうものじゃないんだと。
だから、通常の舞台公演の常識が通じないにもかかわらず、
これほどまでに、スギさんには自信があるのだろうと。 
それを世界観と呼び、それをつくるのが本来の演出家の仕事なのでしょう。 

あと2週間。
過ぎてしまうのが、惜しい気すらするのです。

お席、あと27席ほど。
お待ちしております。

須藤

2011/01/11

JunkStageをご覧の皆さま、あけましておめでとうございます。
本年もどうかJunkStageをよろしくお願い致します。 スタッフ一同。

さて、JunkStageの風紀委員長ことyuuです。

JunkStageでは毎月、人気記事などのアクセスの分析をしているのですが
先月は、恋人たちのクリスマス月間だというのにいったいどうしたというのでしょう、
リア充爆発しろ!と流行語を口に出しかねない勢いでエロネタばかりがランクイン。
おどおどとしたワタクシは、先月の自分の「男性ストリップショーに行ってきた」
記事までがランクインしているので、さらにおどおどし、そして、決めました。

2011年は、しなやかに、うつくしく生きると。

そしてJunkStageの風紀を…(以下略

そんな先月の話になりますが、フラワーデザイナーの小野寺衆さんの
展示会へ行って参りました。
場所は玉川高島屋。デパートの商戦期でもある12月のシーズンを、
小野寺さんは4つのテーマに区切ってお花の装飾を担当なさっていました。

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そしてクリスマスには、パフォーマンスがある、ということで
ネムい目をこすりつつ昼過ぎに起き出して、見に行ってきました。
ええ、12月25日に。ひとりで。
何か問題でも? リア充爆…(ry

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ちょっとした特設ステージに、小野寺さんの姿が。
9月のJunkStage Cafeでお会いして以来ですが
わたしがその多彩な才覚と、単身パリに修行へ行ってしまい
向こうで個展まで開かれたというフロンティア精神にほれ込んで
熱心にスカウトしたライターさんなのでした。

そしてJunkStageはなにかとお花にご縁があります。
一昨年のJunkStage第2回公演ではフラワーチェーンの
モンソーフルール様にご協賛を頂き舞台に文字通りお花を溢れさせて
いただいたのも一例。

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フラワーデザイン、というとブーケのような小さいものを想像しがちですが
小野寺さんの強みはこうした空間を生かした大きな装飾。
その前でさらに30分という短時間でお花をつくっていくという
パフォーマンスでした。

広場になったところには、お買い物に来られた方や小野寺さんのファンの方が
所狭しと集まり、見入っています。

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最後に作品の前でインタビューを受ける小野寺さん。
「今年はパリから戻ったばかりで調整期間でしたが
これからは積極的に動いていきます。お花の教室も始めます!」
とのこと。これからのご活躍にも、目が離せません!

どうぞ、コラムのほうもご愛顧のほど、お願い申し上げます。

小野寺 衆「花装飾」

2010/12/19

今日、地下アイドルに会いに行きました。

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皆さまこんばんは。JunkStageの狩人ことスカウト担当、yuuです。
はからずも連投、いえ、乱投になりました。
実は昨日・今日と、JunkStageは山奥で合宿をしておりました。
そのイロイロなことは、近い内ももちゃんが書いてくれると思いますが、
その合宿後の本日、わたしは舞台観劇をハシゴしてまいりました。

昼は、ライターで劇作家のイトウシンタロウさんと、帯金ゆかりさんの出演している舞台をご一緒し
夜は、女子部のれいなちゃんと、Junkに新しく入ったライター神さんの舞台をご一緒してきました。
なんともJunkづいた週末になったわけです。
ちなみにその合宿で今朝5時まで飲んで寝た、
不肖・痛風バレリーナ(ワタシ)は午前中の自分のリハーサルはさぼりました。
芸術監督Y先生に、来週土下座します。

さて割り込んでこうして書かせていただいているのもわけがありまして。
今日の神さんの舞台が、とってもおもしろかったのです!内容は…

“男性だけのストリップショー” 

ビビリのワタシはその響きだけでヒヨりまして、れいなちゃんを誘って行ったわけなのですが
渋谷の道玄坂のストリップ劇場のような(入ったことないけど)あやうい雰囲気はなく
お下品でもなければ、かしこまったゲイジュツでもない、エンターテインメント・ステージでした。
(※ちなみに神さんの本職は役者・ダンサーであり、ストリップショーは多角展開の一環です。
  個人的な性癖については未確認ですので、そこんとこワタクシはなんの保障も致しません。)

新宿西口の小滝橋通りをぐんぐん歩き、地下一階のダンススタジオでのアトリエ公演。
ほんの数十席の客席。入口には小さな机を置いて受付をされているカンパニーの方が
煙草片手に見守る、昭和の空気漂うアットホームな雰囲気。
開演前に神さんとお会いし、「男性だと思ってました」といつものツッコミをされます。

今回の公演タイトルは
“BLラブ・男色Temptation / ロンリー X’mas”。 もうなんていうか山盛り。
ご卒業された腐女子ライター、ちぃさんがいたら萌えそうです。
官能小説の朗読で始まり、おもにクリスマスソングに乗せた歌と踊りで進んでいきます。
Tバック1枚のイケメン7人が。王子系、ワイルド系、細マッチョ系と各種取り揃えてあります。
コメディタッチに笑かしてもらったのも事実ですが、舞台に立ってる本人たちが
ほんとうに楽しそうなので、「可笑しい」より「楽しい」が客席にバンバン伝染してきます。

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(写真、ぼやかしてますが公開…ギリギリ…セーフですよね?)

圧巻だったのは、ダンスの技術の高さ。半端なことしてないです。
みなさん、錚々たる経歴の持ち主のプロダンサー。ダンスに関しては硬派一徹です。
クラシックの基礎がきっちり入っていて、へべれけバレリーナのワタシは思わず
アントゥルシャ・キャトル、ジュッテ、アッサンブレ、ピルエット・アンドゥオール、…と
アンシェヌマン(型の組み合わせ)を追いながら見入ってしまいました。
とくに神さん&ショウさん、その本格派ダンス技術には、ただ脱帽。
ああ、その可動範囲とその体勢から、そんなにキレイにダブルを回りますか…
また、舞台映えする立ち姿が美しく、オーラを感じます。

…で。
ただただ明るく楽しい舞台なのに、開始10分で目から涙がでてきたので、あわてました。
笑いすぎではなく。全然泣くところじゃないので自分で「なんでやねん」と突っ込みつつ
照明も暗いし多分誰も見ていないし、涙は止めようとすると苦しくなるので放っときましたが。
変な意味ではなく「見世物」に徹している舞台の、潔さ。
とにかく楽しませること。楽しいものを見せること。
そういう、エンターテインメントの本質を、それ「だけ」を地で行っている。
こうでなくちゃ、いけないのかもしれません。
わたしは舞台もお芝居も大好きなのですが、その分ふだん、アタマを使う小難しい演劇や、技巧を追うスポーツ競技のような舞台を見すぎてきたのかもしれません。
だから今日は、空っぽなココロで見られて、それが裸の琴線に触れさせたのかな、と思ったり。

あっという間の1時間半が終わる頃には、今年のクリスマスをやりきった感。
イエスキリストでもないのに、祝ってもらった感じさえします。
いつもはイヤホンをする帰り道も、音楽もいらず軽快にかえりました。

ちなみに16年続いているこのストリップショーユニット「J-BOYS」の代表ヒロさんは
あの伝説の画家・村上芳正が描いた「少年H」のモデルという由緒正しき団体でございます。

終演後、息もまったく上がっていなければヘンな汗もまったくかいていないにこやかな神さん。
こりゃ、んもう待望の、大型新ライターです。スカウト隊われながら、Good Job!です。
そんな神さん、最初のエントリが上がっています。ぜひ、あわせてどうぞ。

神睦高(じん・むつたか)「神の明日はどっちだ?」

2010/11/12

みなさま、こんにちは。yuuです。

去る先週のこと。JunkStageの舞台公演について、密会がありました。
そのことについて、書いてみたいと思います。

JunkStageはいつも、「ただのWebマガジン」の域を超えたいと思っています。
単なるブログのポータルサイトなら、世の中にいくらでもあります。
でもわたしたちは、書き手を選びすぎるほど選び、
Webだけでない、分野に特化してあらゆるジャンルの最前線を伝えていくミドルメディアの可能性を追い続けています。(参考書籍:『ソーシャル新時代』『インフォコモンズ』)

ひと昔…といっても数年前なら、PV、つまり「数」を負わない、と宣言するWebメディアなど
笑止千万、でしたし、数を集めて「ウチのメディアは○百万人が訪れています!」という以外に
Webサイトが商売…いえ、その「価値」を客観的に認めてもらえる指標はありませんでした。

しかし、テクノロジーの進化とともに、PV至上主義は存在感を薄くしていき、
どこのメディアに「引用」されても勝負が出来るネタ性=コンテンツの力に光が当たり
その過程で、JunkStageも、アドネットワークNo1のグループに仲間入り。
ビジネスを成立させることがJunkStageの目標では決してありませんが、
1on1のパーソナルメディアでも、1to∞のマスメディアでもなく
ミドルメディアの可能性を追求してきたJunkStageにとっては、嬉しい風潮です。

ただのWebマガジン、いや、ブログの集合体ではなく、コンテンツの力を可視化したい。
ライターが一堂に会する舞台公演を行い、Webサイトの域をこえてお披露目もしてきました。

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Season3 at Sakura Gallery 2010 

その舞台公演の、去年までの演出家、イトウシンタロウさんと、来年もし舞台をやるのであればその演出家をやっていただきたいと思っていたスギタクミさんと私の3人で、深夜の渋谷で落ち合いました。
 
わたしから、JunkStageの舞台の試みについて説明しました。
1年目は、ライブハウスを借りて、対バン形式でそれぞれの種目を表現する文化祭。
試験運用だったにも関わらず、前売りの170%のお客様がいらしてくださいました。
2年目は、会場を大きくして、空間デザインから演出まですべてJunkStageでやってみました。
裏方としては限界も感じていたのですが、お客様からは「興味のなかった分野も見れて、新たな関心がわいた」という、一番言って頂きたかった暖かい感想をいただけました。(もちろん、「”舞台”としてはお粗末すぎる」という声が少数ながらあったのも事実です)
3年目は、形式をがらっと変えて、展示中心のアートギャラリー方式に。
こじんまりとはしていましたが、ゆったりとできる空間に飛び入りのお客様もいらして頂けました。
みんながその道のプロフェッショナルではない、いわば凸凹のメディアに、リアルで何が出来るのか応援してくださり、期待してくださっている方の声を感じることができ、非常に励みになりました。
 
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Season3 at Sakura Gallery 2010 (photo by K.Fukuda)

しかし、お客さんが入ればそれは成功なのか、というと、やっぱりJunkStageにとっては、違います。
それは、「●万PVがとれて毎月●万人の読者さんがサイトに来ればJunkStageは成功だ!」という方向性とはまるで違う方向をむいているので、当然です。
 
去年までの作演出をつとめていたイトウシンタロウ氏が言っていたことばに、
Junkの難しさと可能性が圧縮されていると思いますので、引用します。
「第1回の舞台公演が予想外に大成功に終わってしまって、第2回を“JunkStage”って何なのか、と考え始めたとき、前例がないこともあって、自分として答えを出し切れず守りに入ってしまった部分があった。」
 
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Season2 at Moda Politica 2009

JunkStageとは、なんなのか。
この問いに、明確にわかりやすい言葉や例を用いて答えられないことが、
わたしたちの弱みでもあり、そして“前例がない”という、絶対に強みでもあると思っています。
ビジネスには、今すぐには、いえ永久にも、なりえないのかもしれないでしょう。
しかし、ある一定の層に響くコンテンツを様々なジャンルで丁寧に作り、それを集合体としてひとつのポータルとしてのカタチにすること。
――それは、ビジネスモデルとしては前例がないだけで、
バブルとは関係なく100年続く本質的なことだと思っています。
というか、それが100年続くWebの本質的なコンテンツ力にならなければ、どうしようもない。
 
だから、わたしたちはそれでいいのだ、と、批判をおそれず勇気を持って言うこともまた、だいじな覚悟であるのだ、と。
JunkStageにいるライターたちは、みんな向かっている方向が違います。
それは「やりにくい」ことに間違いはないだろうけれど、それがJunkStageなんだと。
そういったことをスギさんに伝えながら、赤裸々に話しすぎていることはわかっていましたが、隠していい面ばかりを言ってだますようなことをしたって仕方ないとも思っていました。
 
対するスギさんは、百戦錬磨のプロの演出家。
JunkStageにはスギさんに提供してあげられる環境はその道に精通した彼女からみればとてつもなくやぶれかぶれです。
ただ、JunkStageは舞台に関しては素人集団かもしれませんが、「なにか」においては超一流のメンバーを集めています。
その「なにか」がみんな別の方向を向いていることも、「なにか」において超一流のためにみんな別々の常識のなかで生きていて相容れないことが多いことも。
でもそれこそがJunkStageというものであり、それを「ひとつのプラットフォーム」にしていくことができなければ、JunkStageは“やっぱりダメ”なのです。
だから、どんなカタチになるとしても、ただの“お芝居”なら、やる意味が無い。
演出家にも作家にも、ホームスタジアムではできないようなことをやっていただく
実験的な場にしていただきたい、と、伝えました。
(どこまで伝わったかは、ワタシの日本語能力もあり未知数ですが)
 
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Season1 at Star Pine’s Cafe 2008

真夜中も迫り、ラストオーダーを取りにまわる店員さんが去った頃。
スギさんは冷静に、イトウさんがきっちり用意してきたこれまでの資料を分類して、言いました。

「わかりました。…やってみましょう。」

JunkStage、シーズン4。
それがどんなカタチになったとしても、わたしはあのときのスギさんの眼光をわすれないでしょう。
 
正直まだだれにも、何が起きるのか、何ができるのか、わからない舞台。
それでも、軸は、整った。
ちょっとでもウキウキした方。
たぶんこのプロジェクトチームは、あなたを求めています。
何ができるかなんてなんでもあって、舞台美術もチケットもぎりも卑尊なんてない。
ただしコンテンツ(ライター)がハチャメチャなだけに、スタッフは協調性を重視します(笑。

なんとなくなにかしらで関わっていたい、と思った方はほんとにお気軽に、メールをください。
info@junkstage.com

07:49 | yuu | No Comments
2010/06/15

読者の皆さん、おひさしぶりです。
桃生さんの前回の記事がひどい書かれようの須藤です。挽回エントリです。

JunkStageでは今年から、「勝手制度」がはじまりました。
JunkStageのなかで、JunkStageの通常のWebサイト以外のことを
勝手にやってください、という非常に乱暴なものです。
これは、JunkStageのスタッフとライターが対象になってます。

名乗りが上がったプロジェクトが、
スタッフ桃生さんのJunkStage Radio(これは近々本人からリリースがあるかと)、
ライターフィルコさんのJunkStage Engineering(これも近々動き出すかと)、
そして私須藤のJunkStage Earthです。

自分の担当分、ということで今日はこのEarthの説明をしたいと思います。
実はこれ、相当昔から構想があって、営業回ったりとかしてました。
Earthとは何か、というと、Junkが「よむ」文章のWEBマガジンなら、Earthは「みる」写真のWEBマガジンです。
その名の通り、世界中から、テーマごとに写真を募集する。
たとえば「500円で買えるモノを撮ってきて!」をお題に、世界中から写真が集まる。
マクドナルドのハッピーセットの場合もあれば、チョコレートバー1本の国もあるでしょう。
でももしかしたら、大根1年分とか、クルマとか、って国もあるかもしれません。
そういうものが俯瞰できたらおもしろいんじゃないかと思ったのです。

そもそも、「現地の撮る人の写真」というのがおもしろい、ということを知ったのは、
前の職場のボスが教えてくれた、とあるマサイ族がきっかけでした。
KIMOJINO君というマサイ族の人がいて、KIMOJINO君は、マサイ族なのに(といったら失礼です)、観光協会かなんだかの人からもらったカメラで、日々サバンナの写真をflickrにアップしているのです。
が、その写真が、なにかがオカシいのです。
たとえば、ライオンの写真があります。でもそれは、我々が撮るであろう写真とは全然違います。
だって、KIMOJINO君は毎日ライオンを見ているのです。なにもおもしろいことなんてありません。
そのKIMOJINO君がシャッターを切ったライオンの姿は…ライオンが毛玉をはき出している瞬間の写真でした。
すぐに、動画も上がりました。ライオンの死闘です。見ていられません(汗)。
サイの写真もあります。近すぎます(汗)。
気になる方は写真共有サイトflickrでKIMOJINO君を検索してください。

話がそれてきました。よくあることです。
そんなわけで、「現地の人」が「自分の国」をみる視点が、いかにユニークかを知ったのです。
「現地の人が見たその国」と「外国の人が見たその国」では、視点が大いに違う。

たとえば日本の話をすると、私の知人が驚いたというのは、中国人の例でした。
工事中の「ご迷惑おかけしてすみません」と人が頭を下げているイラストの看板。
よくありますよね。我々日本人だったら、まったく気に留めないでしょう。
しかし中国の方はアレが相当ツボるらしく、あれの写真を撮りまくるのだそうです。
Youtubeにアップされた、満員電車で駅員さんが人を電車に押し込んでいる動画が
海外から何万件もアクセスがあったのも、同じです。

ファインダーを通して、現地の人が撮る写真のみならず、外国人が撮る自国の写真、というのも、俯瞰して見れたらおもしろいんじゃないかな…と、思ったのです。

なので、やることにしました。

…といういつもの思いつきにも関わらずこれ、構想は2008年です。
私にしては珍しく、めちゃくちゃ時間がかかってます。
なぜなのでしょう。歳でしょうか。
が、ようやく、今月にはα版(テストバージョン)をOPENできそうです。
ホントのOPENは、9月のJunkStageCafeの際に、お披露目パーティも含めて一般公開の予定。
あ、あれ、あと3ヶ月ですか。そうですか・・・

今週金曜日には、テスト版OPENに向けた最終会議を、
JunkStageライター小川さんの経営するギャラリーバーで行います。

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完成予想図はこんな感じ。
背景写真にはJunkライター・松本英樹さんの作品を使わせていただきました。

そんなわけで、写真や海外に興味のある方、ぜひサイトを楽しみにし…
ではなく、海外旅行好きな方、どこかに国の在留邦人の方、
ぜひその力を貸してください!!!! いますぐsudo@junkstage.com へ…!

と、挽回エントリが懇願エントリになってしまいました。
次こそあやさんかれいなさんがなんとかしてくれるハズです。

JunkStage Earthは、twitterもやってます @JSearth

12:18 | yuu | No Comments
2009/10/26

こんにちは。須藤です。今月の雑記を担当いたします。なぜなら、久々にネタがあるから…。
行ってきました!沖縄西海岸。沖縄といえば、3~4年前に、JunkStageスタッフであるちえさんと行って以来。ひさしぶりです。
2時間半くらいで到着。まずはホテルへチェックインです。
今回の旅は「あくせくしないもん」がコンセプトだったので、ホテルがとても重要だったのです。
そして選んだのは、雑誌で「いま泊まりたい沖縄ホテル」第1位だった、カフーリゾートフチャクです。

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で、でかい。思ったよりでかい。5~6キロ離れた真栄田岬からもどでかく見えてます。

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そして、お部屋。すごいです。ブセナテラスとか、ぜんぜん目じゃないです。広さが違う。
ただのツインルームなのに、普通のホテルのスイートに匹敵する広さ。
ベッドルームとリビングルームが別。そして寝てもあまりあるバルコニーから海!
全室オーシャンビューで、このお部屋はお風呂からも海!
7月にOpenしたばかりとあって、ホントにとっても綺麗。。。
そして、長期滞在を推奨しているらしく、お部屋にキッチンがついてるんですよ。
建物はちょうど西向かいにつくられているので、お部屋から海に沈む夕陽が見えます。
こりゃ、たいした宣伝とかしなくても、西海岸でひとり勝ちするでしょうね(広告屋的発想)。

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お昼ごはんはビュッフェだったので期待していなかったのですが、メインを選べるプリフィクス。
私はうにのクリームリゾットにしたのですが、死ぬほどうにが入ってました。
ビュッフェも、地産地消に基づき沖縄の食材がいっぱい使ってあります。
ル・クルーゼのお鍋に入ってるビュッフェは見た目もとっても可愛いです♪

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サンマリーナビーチへお散歩へ行き、向かいの恩納ガラス工房でガラス吹き。作ってきました♪
そのあとはホテルへ帰って(もうこのホテルから出たくない)、プールで泳ぎます。
…ええ、10月です。泳げます。ヨユーで。プールは水平線と平行に作っているというこだわり!
疲れたら、ふわふわクッションのソファーでうとうとします。
寒くなってきたら、温水のジャグジーに入ります。
脱衣室には水着の脱水機がある気遣いに、ランドリー、ジムもあります!ここ凄いよ!

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カフェ&バーではここでもうれしいお気遣い。
なんと、おつまみにするチーズが、一切れ100円で売っているのです。
チーズの盛り合わせって、頼んでも多すぎたり口に合わなくて残したりするので、これはよい。
宿泊者にはワンドリンクチケットもついていました。

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さて2日目。朝の7時から動く予定でしたが、あまりにホテルから出たくないので予定変更。
朝からオーシャンビューのお風呂へ入り、ベッドでごろごろして、バルコニーで空を眺めて。
チェックアウトぎりぎりの時間にホテルを出て、リベンジ・美ら海。
なぜリベンジかというと、大学時代この近くに行ったにも関わらず改修中(移転?)だったから。
ここは、説明する必要もないでしょう!凄かったですよ。評判通り。

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そのあとは移動して、青の洞窟へ行きました。
台風後の高波で、岩に打ち付けられそうになりましたが(汗
インストラクターのお兄さん、「はーい、大きな波きますから、ふんばってー」って、どうやって…。
「あっち行くとサメ出ますからダメですよ」って。単独遊泳は危険みたいです。

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(ほんとに青かったー!)

こうして、遊ぶに遊んでかえってきました。リフレッシュです!
そして、おすすめですよ…カフーリゾートフチャク。
フチャクは地名で、面しているビーチが「フチャクビーチ」。カフーは「果報」の沖縄弁だそう。
ちなみに…ホテルのお隣半分は、なんとレジデンス棟…誰か買ってくださいw

2009/08/25

 JunkStageをご覧の皆様、こんにちは。
茨城県の写真館「スタジオ ラ・フォーレ」さんのご協力で、女子部の4人が月に1回、持ち回りでウェディング撮影会をモニターして参ることになりましたこちらの企画。

第3回は私、須藤が、前回和装を体験させていただいた照山につづき、洋装のウェディング撮影にチャレンジです。

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さてやってきました2回目のラ・フォーレさん。

えぇ、3ヶ月前から楽しみにしていましたとも! なんせあと半世紀くらいは結婚する予定がありませんから(半世紀くらいしたら一通りやりたいことも済んで落ち着く予定)、若いうちに撮っておいて損はありません。

着くとまずは1時間もかけてドレス選びをしてしまいました。
今日は白のウェディングドレスとカラードレスの2点の撮影。
しかしこの白のドレス、なんせ種類が多いこと多いこと。全部チェックするなんて不可能です! 衣裳館にぶら下がる大量のドレスに埋もれ、ばばば、っとめくりながら、気になったものを取り出して見てみます。
そんな中でも、着たいデザインはいくつもあったのですが、こらえます。
だって女子もアラサーともなれば、酢いも甘いも、いえ、自分の弱みも強みも残念ながらよく理解しています。
とにかく「強みをのばして弱みを補う」=体型のカバー、この一点に集中して選びます。試着3つめでようやく、「着たい」と「カバー」を両立してくれるドレスが。

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さてバスローブに着替え意気揚々とメイクブースへ。
前回は普段着撮影ということもあってか、超ナチュラルメイクにしていただいたため、今回は家からある程度のメイクをあらかじめして行ったのですが、さすがウェディングとあってきっちりと、ライティング映えするファンデーション、衣裳に負けないアイラインなどの処理をしていただけました。
須藤はほんのちょっとだけガイジンの血が混じっているため、目を濃くする通常のメイクだとどぎついニューハーフみたくなってしまって品を失うのですが、それを考慮いただいてか否か、適度なメイク。「若い方はだいたいグロスだけなんですが、衣裳に負けてしまうので口紅使いますね」「髪型、なにかやりたいスタイルありますか?」と逐一、確認していただけるご配慮に感謝です。
ヘアセットは、ウィッグなどを使い、やたらボリュームを出すんだなー、と不思議に思っていると、ティアラを載せるからなんですね!
載せるのもティアラか小さい薔薇か、選択を迫られ葛藤です。
泣く泣く薔薇を捨ててティアラを選ぶと、優柔不断な須藤に同情してか、小バラは襟足にさりげなく刺してもらえました(笑)。

意外や意外、ほんの数分で済んでしまうウェディングドレスの着付け。無事、7号で入りました(笑)。選択肢でいうと9号、11号のドレスが多いようですが、背中で締めて調整が出来るので、着たいものがあれば着付けで調整してくださるようです。
そして、「選択の自由」はこれだけでは済みません。アクセサリー選びが待ち構えています。
ネックレス。イヤリング。はたまた手袋からヴェールに至るまで。様々なものを提示され、AランチとBランチも決められない、極度の優柔不断の須藤は冷や汗の連続です。
もはや自己判断は不可能、と思い「どれが似合いますか?」とスタッフの方に泣きつくも、「このドレスに似合うものしかお出ししてないので、あとはお好みで♪」とのお返事。
「ま、迷います…(汗)」との私に、「それがお嫁さんの心境なんですよー」とスタッフさん。
なるほど! だから神田うのさんは、あんなに何回も結婚式をするのですね?!(違うかも)
そして一通り決め、あらためて鏡の前に立つと…

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あらあら…。自分で言うのもナンですが、まるで別人です。
化粧と衣裳とは、怖いものです! 人間、というか女子は、加工と装飾でどうにでもなるものなのですね?!
そして狙ったとおり、「隠したい3つのポイント」(箇所は企業秘密)がきちんとカバーされています。

…んが。
撮影スペースに移動するやいなや、女主人の岩田真理子さんに、いちばん悩んだヴェールを「なんかそれ、普通すぎない」とダメ出しを食らいます(笑)。
「せっかくのモニターさんなんだから、普段うちでやらないようなことにチャレンジしてみようよ!」という真理子さんの一言で、撮影現場の空気は一変。
オーソドックスな、ヴェールをかけた「マリアヴェール」から、通常はしない座りのスタイルまで、撮影は真理子さんのディレクションの下、様々に進んでゆきます。

どうも「カメラに向かって天使の微笑み」ができない須藤に、カメラマンの藤原翼さんがミニーちゃんの耳をつけ無理矢理笑わせます(苦笑)。あ、ミニーちゃんの翼さんはしっかり須藤のデジカメでおさえたのですが、しれっと本人により削除されていました…。残念。笑

こうして出来上がった作品がこちら。

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んぉ!
…もう結婚式はしなくていいです!(爆)

さて衣裳とヘアスタイルをチェンジして、カラードレスの撮影へ。

本当はパープルのカラードレスを着るつもりだったのですが、普通っぽすぎたので、急遽赤×黒のドン・キホーテっぽいドレスに変更。(でもパープルもいつか着たいv)
キトリっぽいなぁ。。(バレエに明るくない読者の皆様、済みません。)

ヘアアレンジは、変わって真理子さんが担当。結構かっちりと髪をあげてもらっていたのですが、「トリートメントスプレー」というものを使用すると、逆毛を立てた髪の毛もすぐに櫛が通るように。本来はドレスにつけるはずの羽根飾りを頭につけ、赤の混じったウィッグで、どんどん派手になっていきます。
テーマは「アール・デコ風」。
小鳥が飼えそうなスタイルはもはやウェディングというよりはパリコレ。なんだかすごいことになっております。大丈夫かしらと不安もつかの間、ドレスを着てみるとこれがハマってしまうから驚き。
アクセサリーは、今回はすべてお任せだったので気が楽でした(笑)。黒で統一し、幻想的な感じに。偶然、通りがかった店主の岩田力三さんのアイディアでカットを追加したり、臨機応変に撮影が進みます。

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実は須藤は、19のときからモデルをしています。
といっても、見事なまでに顔を完全カットされる「手」(ネイル)のモデルです。
ネイルアートのグランドチャンピオンさんのモデルもさせていただいていたのですが、私がなにか(たとえばぼーっとしていて塗ったばかりの指をほかの指にぶつけてしまうとか)やらかしたらお姉様がコンテストの受賞を逃すという、緊張感の半端ない現場。ネイリストのお姉様が、いま塗った指に戻ろうとしているのか次へ行こうとしているのか、塗り残しやはみ出しを処理するタイミングなどをじっと見極めて指先の行動を変える手タレは、心身ともに重労働。にも関わらず、手タレなんて所詮、現場にでれば「小道具」扱い。
「撮影」といえば、そんな現場を繰り返してきたので、「疲れますよね?」なんて気を遣っていただき二重にびっくりです(そんなこと言われたことない)。実際、快適でスムーズ、撮影自体は2衣裳あわせて2時間ほどで終了したので、全然疲れませんでした。

こうして出来上がった作品がこちら。

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終わったあとは、女子部恒例となった真理子さんとの昼食がてらの恋愛談義。
この日はスタジオのすぐ隣の、ピザ屋さんに連れて行っていただきました。これが美味しい! サ●ヴァ●ーレを超えました。加えて、「撮影までは減食!」と決めていたこともあり、もうなんか、見境なく本能のままに食べます。(いかん、3週間後にはJunkStageの一大舞台公演が控えているというのに、ドラえもんのような代表では格好がつきません。)
店員さんの中には、成人式にラ・フォーレさんで撮影をした方も多いとのこと。みんなが家族のような、あたたかいローカルさを感じました。
女子部スタッフのお母さん世代より上ながら(まったくもって見えませんが)、現役大学生の息子さんがいる真理子さん。ご主人(現店主、岩田力三さん)はベトナム戦争時の戦場カメラマンで多くの賞を受賞しながらも、「戦争ではなく人の笑顔を撮りたい」とこの写真館をはじめたそうです。そして、戦争が終わるまでひとり待ち続けた真理子さんの恋愛観、結婚観の波乱万丈で示唆に満ちたお話を聞くのは、毎回、女子部の隠れ目的だったりします(笑)。

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現在、敷地内に新たにどでかい撮影スタジオを建設中のラ・フォーレさん。
「お金残したって仕方ないからね、生きてるうちにやりたいこと全部やるのよ!」という姐御肌な生き方、見習いたいもんです…。
社会のせいばかりにはしないけれども、この慢性不安と閉塞感の漂う、なんとなく薄暗い世の中。真理子さんのような「オトナ」と接することができるというだけで、私やJunkStageのスタッフたちは恵まれているのかもしれないな、と、このモニターという試みに新たな価値も見出した日でした。東京にばかりいるとわからないこともある、というのは、暑くとも清々しい、ラ・フォーレさんの最寄駅で電車を降りたときから感じたこと。

あらためましてラ・フォーレの皆様、ありがとうございました!
来月は、女子部きっての美女代表であり受付嬢のAyaがラ・フォーレさんにお伺いします。
読者の皆様、来月もどうぞ、ご期待くださいませ!

そして9月5日のJunkStageの第2回公演では、ラ・フォーレさんのご協力のもと、彩と、JunkStageライターであり舞台女優の帯金ゆかりの2人の花嫁をフックに物語が展開してまいります。
これ以上はネタバレになりますので伏せますが、是非遊びにいらしていただければと思います。現在ご予約いただいている方のうち、約半数のお客様がお1人でのご来場です。お気軽にお越しくださいませ!

2009/07/30

今、輝いている女性に会いたい、お話を聞きたい――そんな思いからJunkStage女子スタッフが各界をリードする女性にインタビューをするこちらの企画。第2回目のゲストは、DJ・歌手の西任白鵠(にしとあきこ)さん。
経歴や仕事への思いを伺った前回に引き続き、後編の今回では彼女がFM802のDJをしながら行っていたという、少年院での面接員のボランティア活動について伺いました。 nishito4.jpg

■少年院「篤志面接員」という仕事
西任さんが25歳、FM802の仕事で東京と大阪を往復していたときのこと。木曜日の夕方と金曜日の夜にDJの仕事が入っていたため、金曜日の昼間が空いていた。その時間を使って西任さんは、少年院でのボランティアを始めた。
新聞記事をきっかけに知った、「篤志面接員」の存在。それは、法務省が設営した制度で、少年院の少年少女たちと、刑務員のような「評価」が発生しない利害関係のない立場から悩みを聞いたり話をしたりするもの。新聞記事の中では、現在は篤志面接員は、校長先生や牧師さんなどの高齢者が多く、若手が求められていると書いてあった。
その頃西任さんは、かねてから考えていた「なぜ自分はここにいるのか」「どうして生きているのか」という答えを見つけられずにいたという。誰もが一度は思い悩むことであるが、西任さんはその育った環境や人一倍の完璧主義から、とくにその悩みは大きく、何をしていてもいつも心のどこかに漠然とした不安があったという。
「DJとして一定の評価はされていたのかもしれないけれど、ラジオは、言ってしまえばエンターテイメント。医療や福祉のように直接的に誰かの役に立つ類のものではない。勿論ラジオを聴いて元気になりましたとか、登校拒否が直りましたとか、泣くほど嬉しいお便りもあったんですが、それでは足りない気がしていました。ずっと自分に自信がなかったから、直接的に役立てると生かされている気がして、安心できるじゃないですか。」
DJとしての経験を生かし、点字図書館に寄付するための朗読書を制作するボランティアを検討したこともあったが、余りに多い研修などのシステムに挫折。そんな折に、この篤志面接員の新聞記事に出会ったのだった。西任さんは片っ端から少年院に電話をするものの、「募集はしていない」と全滅。未成年犯罪者ということもあり、厳重にプライバシーを守れるという保障のある、身元の確実な人間しか採用できないため、紹介制になっていたのだった。
しかしまた縁があり、読売新聞で西任さんが取材を受けた記事をきっかけに少年院の側からアプローチがあり、西任さんは特例的にこの篤志面接員に採用されることになったのだった。

■子どもたちへの共感
西任さんが担当したのは、「出院準備寮」の少年たち。少年院は、出院までの期間を3つに分けており、出院を目前に控えた出院準備寮の少年たちは、生活する寮も変わり、驚くほどに人柄も変わっているのだという。
勢いで応募してみたものの、心理学の勉強経験などもなく、当時25歳の西任さんに、ほかの篤志面接員のように人生を語れるほどの引き出しもない。何ができるだろうか、と不安にもなったというが、篤志面接員の仕事は説教や薀蓄を垂れることではない。西任さんは、仕事でインタビューをしたアーティストの話や、仕事で行った旅行の話、見た映画のことなど、本当にとりとめもないことを話した。しかし西任さんは彼らと接しながら、驚くほどに違和感を感じなかったのだという。
「心のやり場がないんですよね。私が彼らくらいの年のときに感じていた、“自分はどうしたらいいのか、どう生きればいいのか”という悩みはまったく同じだった。彼らと私とでは、結果は違ったけれども、原因は一緒なんです。私の場合も、周りには話せない大人しかいなかったし、親も先生もそうだった。学校がすべてじゃないよって言ってくれる大人がひとりでもいたら違っただろうなって思ったんです。もう大きい子になると当時の私と5歳くらいしか違わないのですが、あなたたちの生きている世界は本当に狭い世界で、本当はステキな大人もたくさんいてこれからどんどんそういう人に出会えるんだよ、っていう、私自身が感じて救われてきたことを少しでも伝えられれば、と思ってやっていました。」
彼らにとって、西任さんのような人は「周りにいなかった人種」。『母親はずっと刑務所で、彼女はヤク中で売春の毎日。女なんて最低な生き物だと思っていたけれども、女の人は守るものなのだと感じた。すぐには無理でも、これからは少しでも早く、守れる男になっていきたい』という手紙を貰ったこともあったという。
西任さんが彼らに向けて紡いだ言葉は、まさに西任さん自身が彼らの歳のときに誰かに言って欲しかった言葉だった。このボランティアは、「誰かのため」と思って始めたことながら、結果的には西任さん自身の痛みが癒えることとなったのだった。

■生かされて、生きる。
西任さんのお気に入りだという、故マイケル・ジャクソンの『Man in the Mirror』には、こんな歌詞が出て来る。
『世の中を変えようと思ったら、まず鏡の中に映っているその人(=自分)から始めよう』
DJの仕事をする中で、ビジネス界、アート界の第一線の人々をゲストに招くことも多かった西任さんだが、彼ら「成功者」に共通していたことは「命が有限であるということを常に考えている」ということだったという。常に、今晩死んでも悔いはない生き方をしているから、毎日が輝くのだ、と。
「輝いている彼らを見ながら、学ぶ、毎日を生きるっていうのはそういうことなんだと思いました。毎日、昨日の自分とは違う、そういう自分でありたい。」
自分に自信がないからなんですが、と繰り返しながら、西任さんはしきりに「何かを残したい」と繰り返す。
「いいものを持っている人はたくさんいるけれども、それを“伝える”ことができたら、その人だけのものではなくて社会の財産になる。私のもつ“喋ること”の技術を広く伝えることによって、そういった社会の財産をひとつでも多く作ることができれば。肉体は滅びていつかなくなってしまうけれど、生きていく中でいろんな人と出会って、もらった知恵を次の世代につなげていくことが、命をつなぐっていうことなんじゃないかな…」

でもまだ、なんのために生きているのかはわからないけど――と付け加える西任さんに、それがわかっちゃったら、逆に生きている意味がなくなってしまうのかもしれないな、と思った私。
悪く言えば「なりゆきまかせ」ということになるのかもしれないが、それは1人ではなく、周りの影響力を一身に受けて生きていくほうを取った彼女の選択。これから何人分もの人生を吸収しながら生きるのであろう西任さんに、僭越ながらすこしだけ、やっぱり多くの“他人”との出会いによって目の前の世界が拓け、JunkStageを立ち上げた頃の自分の初心を重ねてみた。

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西任白鵠(にしと・あきこ)
大阪生まれ、福岡県育ちの女性DJ、歌手。歯切れの良い話し方と堪能な英語を生かした番組進行には定評があり、ラジオ番組のDJや各種イベントの司会・進行で活躍。慶應義塾大学総合政策学部卒業。所属プロダクションはFM BIRD。FM 802の他、TOKYO FM、NACK5、FM yokohama、FM-FUJI、JFNの全国ネットの番組などでラジオ番組を担当。NHK BS2やGyaOなどのテレビでもコメンテイターを務める。歌手としても2001年にシングルCD、2006年にアルバム『If you go away』をリリース。

(聞き手、文責:須藤優)

2009/07/26

今、輝いている女性に会いたい、お話を聞きたい――そんな思いからJunkStage女子スタッフが各界をリードする女性にインタビューをするこちらの企画。第2回目のゲストは、DJ・歌手の西任白鵠(にしとあきこ)さんの記事をお届けします。(今回の聞き手・文責/須藤優)

「トントン拍子」――彼女のDJとしてのキャリアを見れば、誰もがそんな言葉を思い浮かべる。
慶応義塾大学1年生在学時、全くの未経験で挑戦したDJコンテストでの入賞をきっかけに、現在の事務所の社長にスカウトされる。後に在籍中にFM802のレギュラーに。卒業後は、FM 802の他、TOKYO FM、NACK5、FM yokohama、FM-FUJI、JFNなどのラジオ番組のほか、NHK BS2やGyaOなどのテレビでもアカデミックからアート、ビジネス、スポーツまで幅広くキャリアを積んできた。
おまけにご覧のとおりの美女で、仕事の傍ら歌手としての活動もこなす――まさに「スーパーウーマン」という肩書きが似合う彼女だが、一見華やかで非の打ち所のない女性に思える彼女の根幹を支えていたのは、「自らの存在意義」への自問という、誰もが一度は立ち向かい、そして彼女にとってはその生き方ゆえか一時のものではなく常時抱える葛藤であった。
ガラス一枚向こうの「ラジオDJ」という普段の姿を脱ぎ、等身大の「にしとあきこ」を語ってくれた。

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■「DJ」と出会った大学時代
慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス。通称SFCで、彼女は大学生活をスタートさせた。入学から半年も経たない大学1年の秋、西任さんは突如、友人から「学園祭のDJコンテストに出ないか」と誘われる。友人は学園祭の実行委員をつとめていたのだ。しかしDJなど、当然未経験。それどころか、放送部や放送研究会といったサークルともまったく無縁だった西任さんは「なんで!?」と問うが、友人の答えは「だって喋るの好きじゃん」という至極単純、かつ無邪気なもの。
西任さんも気軽な気持ちで参加を決めたものの、当日、出番の前のコンテスト応募者のプロフィールとパフォーマンスを見て驚愕する。準備も練習も万端で臨んでいる他の出演者たちに、「ほとんどプロですよ」と当時の感想を語る。対する西任さんは箇条書きでメモをまとめた程度の準備しかしていない。急遽、トイレで鏡の前で練習をすることに。
だが持ち前の才能もあってか、優勝は逃すものの入賞。その場で現在の事務所の社長にスカウトされ、オーディションを受けるようになる。この間も、いわゆるアナウンサー学校のようなものには一切通わなかったというから驚きだ。そして大学3年時、3000人の応募者を勝ち抜いてFM802のレギュラーを獲得する。当然大学3年といえば、周りは絶賛就職活動中。西任さんも悩んだ。
「昔から、歌手になりたかったんですよね。DJの仕事なら、普通のサラリーマンよりは、やりたかった音楽に近いし、サラリーマンはやろうと思えばこの先いつでもできるから。」と、このチャンスに乗り、就職活動をしないことを決める。当時の西任さんは、DJの仕事をそんなに長くできるものでもないだろうと予想していたというのだが、予想に反し、それから15年に至る今日までDJとして活躍することになるのだった。
「DJとして必要な、“感じたことを言語化してアウトプットする”という基本的なことが、苦にならなかったんです。以前はDJなんて選択肢を考えたこともなかったから自分でも意外でしたが、今思えば、そういう自分の特技に気づかせてくれたのも、学園祭直前に会った実行委員の友人や、事務所の社長、そして仕事先の人たち。彼らとの出会いがなかったら、一生自分でも気づかずにDJという仕事とも出会っていなかったと思うから。タイミングって凄いな、と本当に思います。」

■目標達成、そして突然の通告
スポット的な出方の多いDJという仕事のなかで、月曜日から金曜日まで決まった時間をレギュラーで任される、通称「帯番組」。DJとしてひとつの目標、段階とされるものがこの帯番組でもある。東京FMというFM界の最高のステージで、西任さんはこの帯番組を手に入れた。
ところが1年半後。西任さんは番組プロデューサーから、通告を受ける。
「来月で番組、終わるから。」
突然の打ち切りだった。それまで、ほぼフルタイムで仕事をしていたのが、来月からいきなり無職になるという状況に、今までがトントン拍子だっただけにはじめて「なんて不安定な立場だったんだろう」ということにも気づいた。
これまでは、じっとしていても仕事のほうがやってきた。ところがもうそれはない。自らを「器用貧乏」と称する西任さんだが、「これからは何でもやっていい。じゃあ何がやりたい?」とあらためて自問したとき、最初はまったく答えが出てこなかったという。
そして仕事への見方も変わった。与えられた枠のなかで、いかに「プロフェッショナル」を見せるかに躍起になっていたことに気づいたという。自らのストイックなまでの完璧主義が、周りにも完璧を無言のうちに強要していたことにも初めて気がついた。
「それに気がついて最後の1ヶ月の放送を、すごく自由にやってみたんです。そうしたら自分もすごく楽しくて、周りの空気も本当に変わって。すごく反省しましたね。“プロフェッショナル”の意味を、はき違えていたんだなって。」

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■本を書きたい。
「今、やりたいこと」――それを自問した西任さんなりの答えは、「本を書くこと」だった。DJ業ではなく、歌手業を続ける中で、西任さんには長年の疑問があった。それは、歌謡ポップス界における「習ったということを積極的に公表しない」という風潮。舞踊でも芸術でも、あるアーティストのプロフィールには「○○氏に師事」など、習った人間のことが書かれるが、ポップス界ではほぼ皆無。しかしその世界には錚々たるアーティストたちに指導をする有名教師というものが存在していて、西任さんの師匠も多くのアーティストに指導をした高名な人物。その教えを広めるべく、西任さんはその師匠についての本を書きたい、と思ったのだという。
そして、とある出版プロデュース会社が主催する講座に入学するのだが、「どうせなら師匠のことじゃなくて、西任さんのことを書いてください」といきなり当初の野望を軌道修正されることに。これも縁、と思って取り組むことにした西任さんだが、何せ周りの受講者の面々が凄い。著名な人物や会社の経営者たちに混じって、西任さんも、講師に「ほかのDJにはできなくて、西任さんにしかできないことって何ですか?」「西任さんが日本一のことって何ですか?」とブランディング確立を迫られる段階で「…そんなものありません…」と落ち込むことも多々。しかしその過程で、あらためて自分の弱み、強さといった部分を見直すきっかけになったのだという。

■「話す」ことを教える立場に
最後まで納得の行くことはできなかったというが、各出版社のプロデューサーも出席する、講座の卒業プレゼンテーションのとき、西任さんにはひとつの発見があった。それは、「喋りの技術」。錚々たる受講者のプレゼンテーションを次から次へと聞きながら、ものすごい経歴と才能を持っているにも関わらず、喋りの部分で損をしている人が少なくないと強く感じたのだという。西任さんは、(逆に「喋りだけで」と本人は振り返るが)審査員特別賞を受賞してしまう。そのときの西任さんのプレゼンテーションを聞いた同期からも、「喋り方を教えてほしい」と言われた。「教えるなんて、そんな」とその場では辞退するものの、翌日にフリーアナウンサーの講演会があると知った西任さんは早速行ってみた。会場で、「自分だったらこうする」というポイントを書き留めていたらA4の用紙が5枚ほどになり、自分にも、喋ることについてなら教えることができるかもしれない、と考えるようになった。元々幼少から「教育」というものが一番重要であると考えながらも、自分には他人に教えられるものなどないと思っていた長年の思いも手伝って、西任さんは一念発起。その3週間後には、自らの手で区民センターを予約して講習会をスタートさせたのだった。今では、講師として数々のイベントに招致されるまでにもなり、喋りの技術を題材にしたビジネス書の出版準備も進めている。
「番組が終わると聞いたときは物凄くショックでした。でもそれがあったからこそ、自分の生き方を考えることができた。いま自分が“やりたいこと”が一番の正解ではないし、“自分に起こることを全て受け止めていく”っていうことが、これまでも頭ではわかっていたけれども、はじめて心でわかった気がします。」

ではこれからの中心は、自分がプレイヤーになることよりも教える立場で?と問う私に、「私にとって、教育ってすごく特別なものだったんです」と一転して表情を曇らせた西任さん。「私、少年院で篤志(とくし)面接員のボランティアをしていたんです」と、またしても意外な経験を語ってくれた。

後編へつづく

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