暑いですね。
北海道も例年に無い酷暑で、沖の仕事も陸の仕事も大変です。
さて、「朝日の昇る頃に」ではいくつかのカテゴリーで文章を書いています。
「漁師1年生!」は、転職1年目の生活についてです。
「漁師の日常(定置網)」では、それ以降の体験や見聞についてです。
その後について先に書いてしまうと、4年間転職先の船で乗り子(雇われ船員)として働いた後、親方を目指すべく土地を移して修行中です。
何故、土地を移してまで親方修行をしているかというと、土地の事情であったり、漁師になってみてわかった漁業の現状があったからです。
漁師転職6年目、土地を移して2年目にして、ようやく組合員への道も開けてきました。
ということで、漁師へ転職するということについて、僕なりにまとめてみたいと思っています。
◆漁師に転職するのは、別に難しいことじゃない。
ここ数年、ネット上で漁業への転職を希望する人をよく見かけるようになりました。
リーマンショック以降は特に増えたような印象を受けています。
どうしたら漁師になれるのですか?的な質問はよく受けますが、漁師に転職するのは実は意外に簡単です。
全国漁業就業者確保育成センター(http://ryoushi.jp/)では、全国各地で行われている漁業就業支援フェア等の案内をしています。
漁村のある地区のハローワークでは、乗組員の募集をしていたりします。
あとは、自分の希望に沿ったスタイルの漁師になれるかどうか、そこが問題なのです。
◆漁師には2種類ある。
一口に漁師と言っても、漁師は大きく分けて2種類あると考えたほうがいいと思います。
一つは、親方。漁業組合の組合員として漁業権を持ち、自営業として漁業を営んでいる人です。
もう一つは、乗り子。要するに雇われ(=サラリーマン)です。
僕が今のところ「転職漁師」を名乗っているのは、後者として漁業に携わっているからなのです。
脱サラして漁師になりたいという人は親方を目指していると考えるのが妥当でしょうが、現実はそうではないようです。
乗り子への転職に対しても、脱サラ漁師という表現を使っている人もいるようです。
漁業=都会の会社とは違う、という誤解もあるのかなと感じています。
◆自分にあった漁師スタイルとは何か?を考えよう。(乗り子の場合)
転職して乗り子になった場合、人間関係や労働条件はかなり過酷になるという覚悟が必要です。
肉体労働ですから、労働条件が過酷になるのは比較的理解しやすいところでしょうか。
農業や漁業はその性質から、労働基準法の適用が一部除外になる場合があります。
決められた週労働時間とか有給とか言っていれば、捕れるものも捕れなくなるからです。
浜の人間関係は温かいはずだ、などという幻想をいだいていると、足元をすくわれる結果になりかねません。
転職して乗り子になった場合、最初は比較的親しげにしてくれることがあります。
それは大方、物珍しかったり、明らかに自分より仕事ができない人間だと思われているからです。
(もちろん、本当に親切に接してくれる乗り子もいます。)
漁業の場合、乗り子の給与は乗船年数にかかわらず一律で場合も多く、仕事ができない人間には冷たく当たられるのはよくあることです。
また、募集がかかる時は親方が乗り子の若返りを目指している場合もあって、そうなれば年配の乗り子にとっては失業の危機。
転職者が猛烈ないじめにあって、1週間もたなかったという話も聞いたことがあります。
また、仕事を覚えてきた頃に、周囲の態度が変わることもあります。これは僕自身も経験したことです。
こう書いてくると恐ろしいことばかりに感じるかもしれませんが、どこの世界も同じ実力社会で、仕事が出来れば認められて受け入れられるのは言うまでもありません。
但し、10代、20代前半の若者であれば体力がつくのも仕事が手につくのも早いですが、年齢が高くなるほど大変だとは思います。
体験的にいって、30歳でほぼデスクワークに近い仕事から転職した僕は、体力面は本当にきつかった。
技術的な面については、仕事の早さ、特に手先仕事の早さは10代から漁業をしている人に追いつくのは難しいものだなぁと感じています。
乗り子の良さは、給与制であること。これに尽きます。
魚介をとるという仕事の魅力は、親方でも乗り子でも変わらないものです。
(つづく)
港に立ち寄ったとき、停泊している船の名前に注目してみたことがありますか?
いろーんな名前があります。
恵比寿丸とか、弁天丸とか、七福神の中から取ったもの。縁起物ですね。
龍勢丸とか、昇星丸とか、勇ましいもの。
恵美丸とか、夫婦愛を感じるもの(思わず微笑んでしまいます)。
共栄丸とか、船頭の思想を感じるもの。
船名には船主の想いがこもっているんですよね~。
そういえば、船名の前についている、第一八とか、第八十八とかの数字ってどうやってつけてるか知ってました?
僕が転職したての時は、登録順だと思い込んでいたんです。
だから、第一〇八 ××丸なんて見かけると、「やたらと登録数の多い船なんだな」と思っていました。
実は違うんですね。
あれって、数字さえ空いていれば、好きな数字を付けられるそうなんです。
漁師は縁起を担ぎますから、末広がりの八が入っているのが好まれるそうです。
だから、港の船を見てみてください。
八、一八、八十八、一〇八なんていうのが多いはずです。
その他の数字が使われていたら、船主にとってのラッキーナンバーか、船主さんにゆかりがあるか、縁起を担がない船主さんなんでしょうね。
僕もね、船を持ったら付けたい名前が決まってるんです。
自分の名前が入った船で、自由に海を走りたい。
早くその日が来ればいいなぁと思っています。
今まで船名なんて気にも留めなかった方。
今度、港で船名に込められた想いを想像してみてはいかが?
漁師になると、魚介類の貰い物が確実に増えます。
カレイ、ツブ、海老、そして、ブリ。季節によって物は変わりますが、いろいろと貰うことができます。
漁師1年目の5月、僕は極めて珍しい貰い物をしたのです。
それは、イルカの肉…。
以下、当時の日記より抜粋します(ジャンク用にちょっと手を加えてます)。
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僕の働いている船のある港では、5月を過ぎると旅船と呼ばれる漁船が入港してきます。
彼らは獲物を追いかけながら港を転々としてる漁師さんなのです。
イルカ突きやイカ釣りの漁船が寄港し、魚種によりますが数週間~数カ月、X港を拠点に漁をするわけです。
5月の中旬になると、イルカ突きの漁船が数隻寄港してきます。
北海道ではイルカを食べる習慣はほとんどないと思いますし、イルカ肉を出している居酒屋なども見たことはありません。
本州では結構当たり前なのでしょうか?
獲れ立てというイルカ肉のブロック肉(3キロ位)をいただきました。
イルカ肉は、鯨が当たり前に食べられていた頃、鯨肉が切れたときの代用品として食べられていたそうです。
よく食べられるミンク鯨などに、イルカは近いのだそうな。
貰ったブロック肉は、皮つきという生々しさで、よめさんはドン引きしていました。
しょうがないので、僕が捌いて、とりあえずにんにく・しょうが漬けにしておきました。
さて、食べた感想なのですが、少々モサモサするが固いわけではなく、さほど旨味があるわけではないが、美味しくなくはない、というなんとも微妙な、微妙な味でありました。
また、血抜きがうまくいっていなかったので、ケモノ臭が鼻につくのが難点でした。
これは、単純に下処理の問題ですね。
個人的には、スーパーにイルカの肉が売っていたとして、「あー!イルカ肉だ~!」といって飛びついて買う可能性はきわめて低いかなーと思います。
翌日、食べた感想を仲間に伝えたわけですが、それを聞いたO先輩が一言。
「俺はイルカは食えねぇ。イルカの漁ってのは、船の上から銛で突くんだが、あいつは目からポロポロ涙を流すんだ。可哀想でなぁ…」
なにも、食べた後にそんな話しなくてもいいじゃない…の。
あと2キロ以上もあるのに。
=====
ちなみに、残りの2キロ以上のイルカ肉は、唐揚げやカレーの具として全ていただきました。
イルカ肉といえば、丁度今話題になっているので、個人的意見を書いておいてもよいかなと思います。
某映画では、イルカ漁の残酷さについて告発しているようですね。
僕としては、「生き物の命を取る行為というのは本来残酷なもの」だと思っていますから、残酷な漁法、残酷じゃない漁法という線引きは不可能だと考えます。
イルカは賢く、可愛らしい生き物というものだという考え方が背景にあるのでしょうね。
故にえらく残酷なことをしているように見えるのかもしれませんが、追い込み漁自体はイルカ以外にも行われています。
突きん棒で海が血に染まって残酷だと言っても、牛や豚の場合は加工場が血に染まっているのです。
いくつかの指摘の中で、「イルカが賢く可愛らしいから」などというのは差別だというものがあります。
僕もこれには賛成です。
食用になり得る動物に対して、賢いだの可愛いだの言っていられるのは、食に恵まれているからに過ぎません。
食うものに困れば、そんなこといってられないでしょう?
漁師として、映画で扱われているイルカ漁が残酷だというなら、もっと残酷なものがあると言いたいものがあります。
たとえば、宴会等で供される刺身などの盛り合わせ。
皆さん、残さず食べてますか?
僕は、魚介類だけでなく、他の食べ物も腹の許す限り残さず食べるようにしています。
たまに食いしん坊だと思われることもありますが、それが、取った命に対する礼儀だと思うし、漁業者、農家、畜産業者に対する報いだと思うからです。
食べきれもしないのに頼み、残してゴミにしてしまう。
こちらの方が、命を取る行為に比べてよっぽど残酷だと思うのですが、いかがでしょうか。
そして、考えもせず残す人は、漁の残酷さに意見する立場にないだろうなと思ってしまうのです。
漁のあり方にかかわらず、それがきちんと消費されているのであれば命への礼は尽くされていると思うのです。
これが、某映画が指摘するイルカ漁に対しての個人的な意見です。
この意見について、僕は議論するつもりはありません。
これはひとつの見方だと思ってください。
コメント欄で議論を持ちかけられても、それにお答えはしません。
一方的な感情論やに流されず、いろいろなことを知った上で判断して欲しいと思いますし、僕の意見がその一助になれば幸いなのです。
アバリの話をしましたが、漁師の技術と言うのは漁師の荒々しい気性に反して細かいところがあります。
手先が器用でなくては勤まりません。
沖に出れば荒々しい先輩漁師達が、番屋の中では背中を丸めてもくもくと細かい作業をしています。
それは、なんだか可愛らしくも見えるほどです。
素早く綺麗な仕事は上手な仕事です。
浜では下手な仕事を汚い仕事と呼びます。
網をきよっても、汚いと目が揃わず醜くなります。
初心者にとっては難しい、ロープをすばやく輪にすること。基本中の基本です。
僕も最初は輪の大きさが揃わなかったり、綺麗に輪にすることができませんでした。
先輩がスッスッと素早く綺麗に輪にする様子を見て、手品でも見ている気分になったものです。
大事なのは「素早く」綺麗な事で、綺麗にするのは時間をかければ素人でも出来ます。
如何に素早く綺麗にできるようになるかが、漁師としてより上に行くためのポイントというところでしょう。
さて、こうした技術の習得も1年目に苦労したところではありますが、漁師はやはり力仕事です。
僕の雇われていた定置網では、とにかくどのパーツも大きくて重いというのが大変でした。
以前の仕事では、それこそ紙とペンより重いものを持つことは殆ど無いというのが正直なところでしたから、重いというのが本当に大変でした。
2箇所の漁場のうち、大きい漁場では、魚を獲る「胴網」という箱型の網で全長が360m近く、幅が一番広いところで80m近く、深さは一番深いところで50m近くもありました。
これをいくつかのパーツに分けて修繕し、網入れの前に組み立てるわけですが、それにしても大きい。
胴網に魚を誘導する「手網」に至っては、1500mもあったりして、これはもう果てしない感じがしたものです。
下の写真は胴網のパーツの一部ですが、パーツと呼ぶにはあまりにも大きいのがお分かりいただけると思います。

もちろん、4トントラックのクレーンなどを使って広げたりはしますが、いちいち機械を使うよりは大人数で寄ってたかって引っ張ったほうが早い場合も多く、初夏などは汗が噴出す作業です。
下の写真は、型とよばれる網を吊るすための枠になるものです。

ワイヤーに大きい玉がついているのが見えると思います。この浮球も両手で抱えるぐらい大きなものです。
これを4トントラックに載せて、ゆっくり走りながら岸壁にのして(伸ばして)ゆくのですが、これまた重たい。
修繕は、玉や玉の縛りの傷みを見つけて交換・修繕したり、ワイヤーの補修を行います。
特に僕は新人でしたから、補修や組み立てに際しては、バラしたり、運んだり、支えたりという雑用が多く、それだけに力を使う場面が多くなりました。
家に帰るとぐったりとし、立ち上がる気力さえありませんでした(なぜか食欲だけはありましたが)。
外での仕事が始まって1ヶ月もしたころ、前の職場の人と会うことがありましたが、あまりの体つきの変わりようにびっくりしたそうです。
贅肉が落ち、筋肉がついて真っ黒に日焼けしているのですから当然ですよね。

さすがにこいつらはクレーンやフォークリフトを使って運搬しますが、でかくて重いということは作業中の危険もそれだけあるということです。
また、やっぱり漁師根性というか、動かせそうだと思ったら寄ってたかって人力ということもたまにあり、「そりゃ力もつくわ!」と思ったものです。
このほかにもう一つ、僕が一番苦手な重たい仕事があるのですが、それはまた別の回にご紹介しましょう。
何にせよ、漁師はやはり力仕事。
新人だからって、「持てません!」じゃなく、「持たなきゃならない!」わけであります。
新年明けましておめでとうございます。
忙しさにかまけてなかなか投稿せず、申し訳なく思っております。
今年こそは、転職漁師の生き様をたくさんお伝えしようと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
新年一発目は、すこし厳しいお話です。
漁師に酒飲みと煙草飲みが何故多いかについての勝手な考察です。
何が厳しいかは、まぁ、お読みください。
「板子一枚、下は地獄」
いろいろな言い回しは各地にあるでしょうが、漁師が海の恐ろしさを表す時によく使う言葉です。
これまで書いてきた漁師1年生のカテゴリーでは残念ながらまだ海にさえ出ていないません(汗)。
しかし、僕の転職漁師暦もすでに5年目を迎え、それなりに危険な体験もしてきました。
漁師の仕事は危険が一杯です。
冬の冷たい海に落ちれば命はありません。
夏の海だって、落ちれば助かる保障はありません。
甲板上だって、ロープや機械、危険は沢山あるのです。
それは僕が転職漁師になった年の秋、結構な時化の日。
予想外の大波が船を揺らしたとき、僕の目の前で先輩が油圧ドラムに巻かれました。
気丈にも自らドラムを逆回転しロープを解いた先輩は、甲板に倒れこんで「腕がもげた」と叫びました。
合羽のすそから血が甲板上に広がっていきました。
応急処置をして、船は全速で近くの港へ。
たった1キロ程度の距離が、どんなに遠く感じたでしょう。
僕は、その先輩の手を握り励ます事しか出来ませんでした。
骨折はしていたしかなりの重症でしたが、先輩は腕を失う事はなく、しかも脅威の回復力で仕事に復帰しました。
先輩は今も元気に一緒に働いています。
彼は漁師歴50年以上の大ベテラン。
どんなに気をつけていても事故は起きる。
漁師初年の体験としてはとても辛いものでしたが、とてもよい勉強をさせてもらったと思っています。
その年、もう一人の先輩が油圧ドラムで指先を失いました。
2年目、同じ組合の漁船が横波をもらって転覆、幸い乗組員は全員救助されました。
3年目、更に別の先輩が油圧ドラムで指先を失いました。
4年目、網入れの最中に別の漁船が居眠りで網に突っ込み、僕の乗っていた本船の10数メートル先をかすめて突っ切ってゆきました。
その時は5名が本船上で作業中。船上には網の山、それが海中の型と繋がっており、船は逃げることも出来ず、連絡もつかず。
全速で向かってくる船がどてっぱらに当たらないことを願うのみでした。
もしどてっぱらに当たっていたら…、網の重さで船はあっという間に沈没、死者も出たかもしれません。
あの恐怖は忘れられない。
そして、5年目。
夏に僕と同い年の漁師が一人で操業中に海中に転落、妻子を残して亡くなり、秋には同じ組合所属の船が一隻沈み(全員救助)ました。
凪の海ほど綺麗なものはありませんが、荒れれば海は表情が一変します。
船はそれこそ遊園地の乗り物のごとく振り回されます。
自分の立っている場所が安定しない。
これはかなり不安なものです。
年配の漁師は、昔の事故についてよく話してくれます。
船がかっぱ返った(ひっくり返った)話。
仲間を失った話。
それは時に冗談めかして話されますが、その時の恐怖は良く伝わってきます。
煙草は、そんな不安を紛らわしてくれるのかも知れない。
酒は、不安を打ち消して眠りへといざなってくれるのかも知れない。
あるいは、安全に陸に戻れた感謝や、仲間への鎮魂がこもっているかも知れない。
もはや単なるニコ中やアル中の域かもしれんけど、どこかにそんな意味が含まれているんじゃないかと思うわけです。
僕も今日も酒を飲む。
一日の安全に感謝して。
そして、単に酒が好きで(笑)。
前回書いた、網きよりを習った話に関連して一つ。
自分が漁師に転職するときは、仕事を覚える事に関して相当厳しいのだろうなと覚悟していました。
怒鳴られたり、時には殴られるなんてこともあるんじゃなかろうか、そう思っていたのです。
しかし、少なくとも僕の体験ではそのようなことはありませんでした。
おおきな声で指示されることはありましたが、それは怒鳴られているというよりもハッパかけられている言ったほうが適切でした。
先輩に手を出されたことにいたっては皆無です。
転職当初、先輩方が「仕事は見て盗むもんだ」と繰り返し言っていた割には、ほぼ手取り足取りに近い感覚で教えてくれたりもしたものです。
これは親方の方針なのか、転職者という未知の初心者の扱い方に困った結果なのかはいまだによくわかりません。
ただ、一人の先輩が言っていたのは「今の時代は昔と違って、何でも怒鳴りつけておぼえさせればいいってもんじゃねぇんだ」という言葉です。
漁師の教育法も時代とともに変化しているということなのでしょうか。
しかし、僕は相当恵まれた環境の船に転職していった特殊な例なのかもしれません。
色々な体験記を読むと、相当きつい体験をしている転職者もいますので。
ただ、この一見優しい対応に裏があると気付いたのは、沖に出るようになってすぐのことでした。
沖では常にすばやさが求められます。
風、波、潮。
一日の中でも同じ状況が続くということはありません。
すばやく正確な仕事が求められるのです。
わずかなミスが怪我や死を招くというのは漁業においては大げさな表現ではないのです。
このような中で、10数人の中で力を発揮するというのは初心者にとっては難しいものです。
漁業においては、持ち場が決まっている仕事とそうでない仕事があります。
前者は操業などの日々の繰り返しの作業、後者は網入れや緊急時対応など臨機応変さが必要とされる仕事です。
僕の所属していた船では陸仕事が終わると網入れが始まります。
幸い基本的なロープワークなどは陸仕事のうちに身につけることが出来ます。
しかし、実際沖に出てみると、身につけた技術を使う場面に出くわしても先輩方がさっと仕事をしてしまいます。
沖では「おまえやってみろ」などという余裕は余り無いのです。
仮に隙を見て仕事に取り掛かっても、モチャモチャと時間がかかっていれば強引に仕事が奪われてしまいます。
その結果、僕は先輩方の後ろで居場所無く立ちつくすという経験を何度もすることになりました。
別にそのことに関して、先輩方は何かいうわけではありません。
彼らはただ、黙々と仕事をこなしてゆくだけです。
これにかまけて何もしないでいると、仕事が出来ない転職者のままでいるしかありません。
結局は、基本を何度も見えないところで練習して、沖で使えるすばやく正確な仕事の仕方は先輩から盗むしかないのです。
そして、時には先輩の仕事を奪う勢いで挟まっていって、ちょっとづつでも出来ることを見せて行かないと誰からも評価されないし、受け入れてもらえません。
結果、辞めてゆくか一生下っ端でいるか。それが末路なのです。
「積極的にチャンスを与えない、教えない」という教育法は研修などになれた僕にとっては戸惑いもありましたが、新鮮で遣り甲斐のあるものでありました。
これまで書いてきたとおり、新米の僕の仕事は網をばらしたり、パーツを作ったり、特殊な技術が無くても出来る内容をあてがってもらっていました。
この年は10年に一度という網の大改造で忙しく、他の先輩達も新人に仕事を教える余裕など無かったのです。
船頭も「今年は特別な年だからなぁ」といっていました。
しかし、網もばらしつくしパーツも作り終えてしまうといよいよ僕の仕事はなくなってきました。
先輩が網を修理しているところに待機していて、掃除しながらアバリという道具に糸をかけたり、呼ばれて網を引っ張ったり。
出来ることが余りに少なくて不甲斐なく悲しくなったものです。
そんなある日、親方から声がかかりました。
なにやら準備しています。
要らなくなった網が天井から吊るしてあり、糸がかかったアバリが渡されました。
「網をきよれないとこれから仕事にならないからな、練習しろ」と、網の目にはさみを入れて穴を作り始めます。
“網きより”というのは、網の穴をふさぐ修理のことです。
そして、「よくみてろよ」と穴の修理を始めました。
船頭からは「今年は網に触らせてやれないだろうなぁ」と言われていたので、新しい仕事が覚えられることが非常に嬉しかったのですが…。
「漁師の仕事は見て盗め」
これは、僕が転職前にいろいろな体験談を読んで、仕入れた漁師の文化でした。
実際、何人かの先輩達にも同じことを言われていました。
「オレが若かった頃は誰も仕事を教えてくれなかった。横目で見て盗んだもんだ」と。
それが、仕事中にわざわざ時間をとってもらって練習なんて、他の先輩達がどう思うだろうかと不安になってしまいました。
「さ、やってみろ」と親方は僕に声を掛けました。
当然うまくいきません。
道具の持ち方や糸の縛り方、全てが初めてです。
さらに、働いている先輩達の視線がこちらに集中しているのもわかりました。
「みんなどう思ってるのかな…」と不安が募ります。
親方は僕にぴったりとくっついて、親切に教えてくれます。
ぎこちないまでも、何とか穴を修理することが出来ました。
「よし、もっとやってみろ、少し穴を大きくするからな。」
緊張と不安で大汗をかきながら、なんとかこんとか練習を続けますが、どうも気持ちが落ち着きません。
とうとう耐え切れなくなって「あの、後は家で練習します」と親方に言いました。
親方の答えは、「いいからやれ、これが出来ないと仕事にならないんだ」でした。
もう、腹をくくって仕事が終わるまで一心不乱に練習を続けました。
少し安心したのは、仕事の合間を縫って他の先輩達も「ああだ、こうだ」と教えに来てくれたことです。
仕事が終わった後も少し残って練習をしました。
5,6人の先輩が周りを取り囲んで、親切にも「ああだ、こうだ」と教えてくれました。
基本は一緒ですがそれぞれに独特の癖があって、素人にとっては混乱を招くばかりだったのが困ったところでしたが。
家に帰るときに船頭に頼んで、要らない網の切れ端をもらいました。
家で練習してがっちり覚えなくては。
家に戻っても繰り返し練習を。
少し漁師に近づいたような気がして、練習も全然苦にはなりませんでした。
Junk Stageも大変素敵にリニューアルし、日ごろの筆不精を反省しつつ、もっと更新しようと思う今日この頃。
さて、大漁旗は皆さんご存知のことでしょう。
大漁旗は、大漁の時以外にも、お祭り、船を新造したときなどなど、年に数回お目にかかることができます。
このご時世、魚の減少で船一杯に魚を積んで帰ることは少ないですから、港においても縁起物の一つと思ってもよいかもしれません。
4月の末、休漁期中に整備等のため陸に上がっていた本船を海に下ろすことになりました。
漁師になって1ヶ月、港から海を眺めるばかりで陸の仕事ばかり。
網を触っているという以外は、余り漁師らしくない感じもしたものです。
読者の皆様も、この人は一体何時になったら海に出て行ってお魚を獲るのかしら?とお思いのことでしょう。
当時の僕も同様の思いでしたから、いよいよ本船を海におろすと聞いてドキドキワクワク。
大漁旗の取り付けの補助を仰せ付けられ、親方と仲間より一足先に陸に上架されている本船に向かいました。
幸い好天に恵まれ、青空に色鮮やかな大漁旗がはためきます。
なんとも素敵な光景でした。
段取りが整い、いよいよ本船が海に下ります。
ガタンと音がして船を載せているカタパルトがゆっくりと動き出し、ザブーンと海面へ。
エンジンをかけて調子を見た後、いよいよ船首を回して出港です。
「このまま試運転で沖に行ってくれ!」と心の中で願ったのですが、船は番屋前の岸壁へ。
漁師になって初の航海はわずか数分で終わってしまいました。
それでも、大漁旗をなびかせて港をすすむ船に乗るのは気分のよいものです。
周囲の先輩達は当たり前のように、何の感慨も無いようでしたけれど。
「あー、魚を満船にして旗を揚げながら帰港する気分ってどんなだろう?」
そんな妄想をしながら仕事に戻ったわけですが…。
まさか数ヵ月後、それを体験できることになろうとは!
このときは夢にも思っていなかったのです。
4月も末になって北海道でもようやく雪が姿を消すと、少しずつ外の仕事が入ってきます。
その一つが、船の整備。
しょうえいの所属する網では、3隻の船を所有しています。
1隻は本船。網入れや漁で中心的な役割を果たす船です。
残りの2隻は伝馬船といって、本船の作業を補助するための船です。
網の修繕がまだできない僕は、いったんパーツ作りから離れて船の整備担当の先輩の手伝いをすることになりました。
作業内容は伝馬船の船体の塗りなおしです。
伝馬船は大きさが、公園などの手漕ぎボートを2倍ぐらいの大きさにしたものと考えてもらえればよいでしょうか。
12月~網の設置の間は、陸にあげてあります。
僕の役割は色塗り前の表面の清掃。
剥がれかけの塗料や、藻のかす、泥をワイヤブラシで落とすのです。
船底は青の塗料が塗ってあるのですが、ワイヤブラシでこすると粉となって舞い落ちてきます。
これが目に入るとかなり痛い。
伝馬船といっても、船底は結構広く感じます。
仕事は午後一杯かかりました。
仕事終わりの直前に雨が降り、もう少しというところで番屋へ引き上げ。
すると、船頭が僕を見て一言。
「お!ゾンビみたいだぞ~!」
皆も口々に「ゾンビだ、ゾンビだ」と指を差します。
塗料の粉で顔が真っ青になっていたのですね。
番屋に水道が無いので顔を洗わせて貰う為に組合の購買所へゆくと、購買のおじさんにも「あんちゃん、スゲー顔だな」と笑われてしまいました。
粉はいたるところに入ります。
耳、鼻、髪の中。
鼻をかめば真っ青。これがまさに青っ(以下略)。
帰ってきて銭湯に行き髪を洗っていると(転職1年目の頃は家に風呂が無かったのです)、隣の人がじーっとこちらを見ています。
何かと思って手を見ると、泡がきれいな青に染まっているではないですか。
この作業は二日間続き、この青い粉に悩まされたのでした。
あっという間に新年度になってしまいました。
ご無沙汰してます。
このところ猛烈に忙しい日々を過ごしており、なかなか文章を書くに至りませんでした。
北海道もようやく春めいてきて、朝方の気温が氷点下になる日もかなり減ってきました。
道路わきには緑の草もチラホラと見えるようになり、冬が苦手とするしょうえいとしてはホッとするものがあります。
さて、ここまでは定置網漁師に転職したいきさつと転職後の様子を書いてきましたが、今日はちょっと趣を変えてみます。
余りに忙しくて過去の日々をまとめる余裕が無いというのもありますが…。
ブログのタイトルは「朝日の昇る頃に」となっていますが、ご存知の通り日の出の時間は季節によって違います。
今時期ですと5時頃になるでしょうか。
最近は4時出港という日々ですので、出港時はまだ夜空です。
僕が沖で見る景色でもっとも大好きなのは日の出なのですが、この夜空というのもまた本当に良いものです。
生まれてから30年間は大都市で生活していたので、快晴の夜空の中を出港すると満天の星空に圧倒されます。
月夜もなかなか良いものですが、個人的には月の無い降る様な星空が好きです。
この季節、出港して漁場に着くまでの間、南の空にはさそり座やかんむり座が印象的です。
見上げるとはくちょう座やこと座。
北の空には北極星と北斗七星。
スーッと空を横切る流れ星は、願い事をするのに困らぬほど。
人工衛星なども見ることが出来ます。
星座に詳しい方はお気づきかもしれませんが、僕が見ているのは夏の星座です。
本来の春の星座を見るべき夜中の時間には、僕は疲れて酔っ払って夢の中。
早起きして見る薄明間近の夜空は、一つ季節を先取りした夜空なのです。
それは、次の季節の訪れを静かに教えてくれています。












