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今回は僕とアニマルセラピーとの出会いについて書きます。
以前から犬を飼いたいと考えていましたが、なかなか機会がなくて飼わないでいたのですが、子供がペットを欲しがる年代になってきて、ある日吸い込まれるようにペットショップに吸い込まれていきました。 「見るだけだから!」と言ったが、数分後には子供が犬(W.コーギー♂)を抱っこしていまして、「この子欲しい!」・・・ 「まあ、しゃあないね」。
犬を飼い始めると、何となく犬を使って社会貢献したいなどと考えるようになったのですが、「アニマルセラピー」に行き着いたのは、元職場の同僚の存在があったからです。
僕がアニマルセラピーという言葉を聞いたのはもう10年近く前だったと思います。僕の職場の同僚の獣医師が退職して「アニマルセラピー」を目指して大学に入り直すらしいと聞いたのが初めてだったでしょう。その同僚は職場を去り、地元の東海地方の大学に入りなおし社会福祉を学びながら、アニマルセラピーについても勉強するとのこと。僕はそのころ「アニマルセラピーって何?」くらい知りませんでした。 その彼は、現在札幌の某専門学校のアニマルセラピー専攻科で教えています。 当時その言葉を聞いたとき、正直なんのことだか分かりませんでした。それで周りの人に聞きましたが、今ひとつ要領を得なかったことを憶えています。
そのことがあり、アニマルセラピーとやらで社会貢献できるかと思い出しまして、インターネット等で活動できる場を探したわけです。ほどなく札幌を中心に活動する「北海道ボランテイアドッグの会」があることを知り、早速入会しました。しかし、どんな犬でもセラピー活動ができるのではなく、犬の「適性検査」があると知り、受験しましたが1回目あえなく失敗。半年後2回目受験しましたが、これまた失敗。 で、家の犬はセラピー犬の適性がないと判断しましたが、通常ほとんどの方は犬が適性に合格できない場合は会を去ります。犬で活動できませんからね。
しかし、僕は変わっていて、「犬」でだめでも「人」で貢献できると考えたのです。それで、とりあえずセラピー犬の適性検査の会場でのお手伝いを申し出て参加しましたが、適性検査後に開催された「総会」に偶々はずみで参加し、そのまま何時の日か役員として活動し始めたというのが実態でして・・・。 まあ、往々にしてきっかけは偶然が多いものですね。
あれから、10年以上経過して、ようやく「アニマルセラピー」という言葉は市民権を得て普通に聞かれるようになりました。これもアニマルセラピー活動に関る方々のお陰でしょう。今では半数以上の方が「アニマルセラピー」という言葉をご存知です。社会的認知を得て、アニマルセラピー活動を希望される施設が増え、イベントに参加する機会も増えてきたのですが、活動できるセラピー犬が足りません。アニマルセラピー活動を待っている施設の数は数十にも上るのですがお断りしているのが実態で、大変もったいない状態です。 なんとか活動犬を増やしたいのですが、こればっかりは急に増えず、その点が悩みなのです。
今後はアニマルセラピー活動への理解はもとより、入会者を増やすことにエネルギーを使わなくてはならないようです。
師走も後半ですが、冬至に近い時期で一日があっという間に過ぎる感じです。今年の北海道は雪が少なく暖かです。11月が寒かっただけに、今年の冬はどうなるか?雪国の方々の関心は「今シーズンの降雪量」は如何ほどという点に集中します。 まだアニマルセラピーに関する話はまだ、端緒に入ったばかりですが、活動を通じてのエピソードを紹介していきましょう。
エピソードといっても、そんなに劇的なものでなく、僕らの活動においては「静かな」ものです。 活動は基本的に1施設1ヶ月に1回程度ですので、セラピーを受ける側の方の日常は全く分かりません。ですので、アニマルセラピー活動をしていて、そこで見た反応がその人の普段の姿であると思い込むのですが、実は施設の職員さんにとっては全く非日常的反応を示している場合があるようです。 その方は、僕が以前毎月活動していた施設(老人介護施設)で常ににこやかに接してくれて、話題も明るく、笑顔がとても印象的な方でした。女性で年齢的には80歳くらいですが、認知症とは思えないくらいの方でしたね。 あるとき、入所者の家族の方がアニマルセラピー活動を見学する企画があり、そこでいつものように活動していたときのことです。活動が終わって帰ろうとしましたら、その認知症の女性の家族の方(息子さん)が僕に声を掛けてきまして、
息子さん:「大変失礼ですが、貴方は母と会話されていましたね!」
僕:「はい、いつも楽しくお話をします。認知症の方とは思えないくらいです」
息子さん:「僕と母とはここ数年会話が成り立たない状態なのです!」
僕:「はあ、しかし・・・いつもお話をさせていただいていますが?」
息子さん:「何故でしょうね?貴方とはお話しができるのですね」
僕:「分かりません。普通に話すだけです。違うのはワンチャンが沢山いるという状況だけです。それと、皆さんが同じ場所に集っていることでしょうか?」
息子さん:「どういうことにしろ、母に人間的感情がちゃんと備わっていることを見られたのは大変うれしかったです。」僕:「お役に立てて何よりです」
まあ、こんな感じですが施設の職員さんにも聞きましたら、普段はほとんど会話しない方ですが、アニマルセラピーのときだけは参加して全く普通の会話をするのを見て驚いていたとのことでした。 アニマルセラピーは決して「魔法」ではありませんが、いろいろな条件の下で何かを起こす力にはなることを痛感したエピソードでした。
今回は、私が獣医師を目指したきっかけについて書かせていただきます。
育った家庭は動物とはなんら縁もなく、父はタクシードライバーで昼夜なく働く人でした。ただ、幼い頃の実家の隣は親戚が酪農を営んでいて、札幌市の中央区にいながら「牛」に囲まれた生活を送っていました。牛の搾乳や餌やりの様子をいつも見ていましたし、ときとして、病気の治療に来る白衣を着た「獣医さん」を見ていました。
当時でもこんな都会の中で酪農を営んでいる所は珍しかったでしょう。餌は近所の豆腐屋さんから「おから」を毎日運んできていました。その親戚は都市酪農にありがちですが、近隣の住宅に対するハエや臭いのことで気を使っていたようで、僕が物心ついてしばらくして郊外に移転しました。それまで、私の家でも当然臭いやハエに悩まされ、時には牛の発情の声に驚かされていましたが、親戚ですから文句も言えませんね。
その後は余り動物に縁のある環境にはいませんでしたが、猫と飼い鳥が、とりわけセキセイインコが好きで飼っていました。しかし、だから獣医さんになろうとは全く思いませんでしたね。中学卒業くらいまで父の跡をついてタクシードライバーになろうと考えていましたから。
高校に入り、部活で剣道部に所属していましたが、1学期で「めん」をくらい過ぎて脳波検査で異常値がでて(本当です)ドクターストップがかかり、退部したあとは何となく目標を失いましたが、新聞配達のアルバイトをして漠然と将来を考えるようになりました。中学ではほとんど勉強らしいことはしませんでしたし、入学した私立高校も当時はそんなに進学校でもありませんでした。ただ、大学付属でしたので真面目にやっていれば大学には何とかいけそうな高校でしたが。 当時私は、報道、特に海外特派員に興味があり、無謀にも「報道記者」になろうと考えたのです。新聞配達をしながらそう考えたのです。しかし、推薦で大学の「広報メディア学科」に行くのは成績がトップクラスでないと難しいことを知り、猛烈に勉強し始めました。私には極端なところがあり、目指すとまっすぐというところがあったのです。
その結果、定期試験の成績は急上昇でした。入学したときは400名中150番くらいだったのが、いきなり高校1年の2学期で40番位、高校1年では最終的には30番となり、いつの間にか学級委員長にも推薦され、2年生では常に10番前後で、3年生の2学期ではトップクラスでした。これは余裕で「広報メディア学科」に進学できます。学校の進学相談で推薦の見通しを聞くことを楽しみに、自信をもって臨みました。
しかし、担任の先生と面談したときに意外なことを言われたのです。 「君を医学部に推薦したい」って!思ってもいませんでした。当時系列大学に医学部を作ることが決定していて、僕が卒業のときに第1回生を入学させるタイミングだったのです。それで、今ではとても難しいのですが、たしか当時は全国の付属高校から5名程度推薦することになったらしく、何故かその中に私が選ばれたのです。まあ、学級委員長も務めさせていただき、いろいろ学校行事にも積極的に参加したことが認められたのだと思います。
さて、医学部に推薦されたことは親戚にも伝わり、家族&親戚会議です。我が家系から医師を輩出すべきとの意見もあり、そのためには投資?もやぶさかではないという意見もあったようです。しかし、最後は本人の意思です。私は、推薦を辞退しました。理由は経済的理由です。いかに親戚も援助してくれるとは言え、そこまでして入学する気になれませんでした。
医学部を断ったら、広報メディア学科も行く気になれませんでした。何故か分かりませんが恐らく、そこで医学的なことに目が向いて、別の道を選びたいとの気持ちが芽生えたのだと思います。それはその後他大学への医学部進学ではなく、「獣医学部」進学に変化したのです。恐らく幼い頃のあの「牛」との生活が深層意識に強くあったものと思います。子供の頃の影響の強さを思い知りました。
その後、まあ苦労してというか浪人して獣学部に1校だけ合格できました。幸運にも地元札幌から通える私立大学に合格できたので、親の負担を少なくすることができましたね。
今は、入学が大変難しいと聞きます。国立大の獣医学部となれば、難易度は医学部並みだと聞きます。まだいい時代に合格できたのだと思います。僕の頃には珠玉混合というかさまざまな人間がいましたが、今の子は優等生が多いなぁという印象です。その「様々な人間」について、つまり学生時代の話はいずれまたお話しさせてください。かなり、ユニークかつ面白いですよ。 いま、獣医師免許を有して思うのは、特権意識ではありませんが、獣医師はまだまだ、社会的地位が認められていないと感じます。獣医師は動物の治療だけでなく、実に様々な分野で活動しています。例えば、保健所や食肉検査で働き、牛海綿状脳症(BSE)の検査を行っているのは獣医師ですし、公衆衛生分野で幅広く活動しています。行政分野でも畜産行政に深く関っているのも獣医師です。しかし、最近は動物診療分野でも犬や猫のペット分野に編重して、牛や豚、馬の診療を行う「産業動物獣医師」が不足していますし、公衆衛生分野の公務員獣医師も圧倒的に不足しています。医師の不足とは要因が異なりますが、似たような状況になっていて、大学定員を増やすか否か議論されています。しかし、定員の安易な増員には反対です。それを行うなら入り口から、つまり入学時から別枠にでもしないかぎり働く先が地方の場合が多い産業動物分野や転勤がある公務員獣医師に行く学生が増えるとは思えません。それよりも、待遇の改善により職場としての魅力をもっと持たせたり、インターシップで学生にその分野の魅力を紹介するなどして新卒獣医師の「適正配置」に努力することの方が先決でしょう。
一時期よりはやや落ち着きましたが、難関で人気の職種となった獣医師という職業の「魅力」を上げていかなくてはその先はないという危機感を持つ必要があるでしょう。 などと、自分の獣医師免許証を見上げつつ思うのでした・・・・
アニマルセラピーをメインテーマにしていますが、違う話題にもちらりと触れましょう。
私は町内会(仲よし町内会といいます)の役員会も務めさせていただいています。かれこれ、10年くらい総務部長なのですが、何せ高齢者の多い町内で後任がいません。まあ、それはいいのですが、ここ数年野良猫被害に対する苦情が絶えなく、町内会にもその苦情がきます。つまり、「なんとか、野良猫を捕まえて処分して」ということです。
獣医師という立場上のこともあり、それはできません。でも、苦情がある。 そこで、まず現状の被害把握のため2007年11月に町内会の人を対象に野良猫の存在と被害に対するアンケートを実施したところ、たくさんの回答を寄せてくれました。これは、裏を返せば如何に被害が多いかということです。
その結果は以下のとおりでした。
(1)野良猫を見たことがあるひと 6割
(2)迷惑だと感じる人 6割(見た人の中で)
(3)被害はうんち、おしっこに関するもの 4割5分
(4)野良猫に対する対処方法は 2割が処分、4割5分が餌やり禁止で野良猫との共生 は3割
アンケートを受けて、僕は野良猫に対する協力者を募集して、野良猫をむしろ地域で管理していくことを考えました。そのための「野良猫対策会議」も主催しました。アンケート結果ではまだ少数でしたが、野良猫に餌を与えて順化し、一時的に捕獲して避妊・去勢することでこれ以上数を増やさないでその地域をテリトリーにして「いさせる」ことが、つまり「共生」していくことが捕まえて処分するよりむしろ被害を減らし、動物愛護の面からも町内からの支持を得られると考えました。
それからは野良猫の捕獲のため、自分で専用の捕獲器を購入し、野良猫の町内の生息状況を個体まで特定してから、野良猫を捕獲し、避妊・去勢していきましたね。自分では病院を運営しているわけでないので、友人の動物病院に持ち込み、避妊・去勢手術の助手やときには術者を務めて、猫を中性化して、傷が癒えるまで保護し、元の場所にリリースしました。野良猫協力者さんにはきちんとした餌やりをお願いし、衛生面でも配慮していただきました(食べ残しなどないように)。
いやはや、結構大変でした。猫は夜から早朝にかけて行動するので、その時間に合せて捕獲器を設置して、猫を捕まえるのですから、当初は近所でも恐らく「不審者」と見られたのでは?まあ、僕の行動の目的が知れ渡るのにそう時間はかかりませんでしたが・・・
今はまだ、未完なのですが、町内の野良猫に対する被害意識はかなり減じられてきたようです。対策後の町内の野良猫に対する意識調査を近々行うつもりです。電話で野良猫に対する相談もかなり受けました。大変ですが、楽しいですよ。野良猫も見ているととてもかわいいですね。もちろん庭にウンチされることもありますがね(汗!)。 まあ、こんな変なことをしてる人なのです、僕は。








